2003.06.01 (Sun) 22:35:40
毎週、土日になると日記が滞る。やっぱり、休みの方がかえって時間がないようだ。電車に乗ったりとかよけいなことをしなくていい分、1日を自由に使えるからなのだろうな。日記は元々空いている時間に書いているから、時間が空かないと書けなくなるわけだ。
この土日で小説を書こうと思っていたが、結局何もしていない。土曜はゲームをしていたのだが、日曜は友達と遊びに行ったのだ。考えてみれば、友達と遊びに行ったなんてずいぶん久しぶりだ。
書こう書こうと思ってずっと放置している間、草案だけは練れてきた。コンセプトは、「悲しき運命の少女」…。これだ。趣味に走っているが、元々小説なんて書くようなやつは、多かれ少なかれ趣味の世界に走っているのだ。テーマはいろいろ考えたが、やっぱ「正義」だろう。絶対の正義なんて存在しないんだってことを、アピールしていってみようと思う。うまく行くのかな…。実はまったく同じ舞台設定で、2つほど小説を書いている。1つめは、割とうまく行っていたのだが、あまりに長くなりすぎて、自分でもストーリーが分からなくなり、矛盾が多くなりすぎたのでそのまま放置した。2つ目は、主人公があまり魅力的でないという致命的な欠陥が発覚した。もともと、自己主張が弱くて何を考えているのか分からないが、とにかく優秀、なんてのは、脇役の設定なのだ。それを主役に据えたのは、高校の頃の友達をモデルにしていて、その友達とのつきあいの関係だ。
もうできあがっているストーリーの、視点を変えるだけだ。これなら何とかなるはずだ。そうだと分かっているのだが、なかなか手が着かない。何なのだろう。公開することを考えているからいけないのかもしれない。しかし、せっかくなら誰かに読んでほしいしなあ。この日記を読んでくれている方で、小説を読んでくれるような人はいらっしゃるのだろうか。とりあえず、短くまとめることを考えなければ。1つ目は、テキストデータだけで1メガバイトにもなったからなあ。自分ですら読む気がしないのに、他人に読ませようだなんて…。
小説を書こうとすると参考になるのは、やはりなんと言っても他人の小説だ。今の時代、一流作家の小説なんぞ、何の苦労もなく読める。ちょっと図書館に足を運べば、ただで読むことも可能だ。実際、書く参考にしようと思ってそういう小説を見ると、まったく違ったものが見えてくる。たとえば、状況説明。小説というのは、説明するものではない。物語であって、説明というのはなるべく簡潔に済ませるべき性格のものだ。しかし、実際に他の作家の小説を読んでみると、それがうまくストーリーにかみ合っている。主人公がその時の状況を説明するような行動をとるのだ。もちろん、ごく自然にだ。この辺のうまさはさすがと言わざるを得ない。
2003.06.01 (Sun) 23:02:39
2003.05.30 (Fri) 21:30:09 彼女のこと、ようやく吹っ切れた気がする。思えば長かった…。去年の7月からだから、1年近くずっと同じようなことばかり考えていたわけだ。 その理由は、これも今になってみれば簡単なことだ。何だかんだで会ってたから。会えなくなればそれなりに会いたくなる。そんなときに会えれば、忘れていたことも思い出すというものだ。1ヶ月近く会えなくて、ようやく目が覚めてきたという感じがする。目が覚めてきたというのは逆かな。眠りについたと言うべきか。 それにしても、会わないとは思っていたが、本当に他の研究室の友人とは会わなくなった。3年まではほとんど毎日一緒にいた友人ですら、1週間に1度、会うかどうかと言ったところだ。普段はそれでどうとか思うこともないが、やはり、ふと我に返ってみるとかなり寂しくなる。今の研究室は、人間関係と言えるほど人がいないし。大学院生になって、後輩が入ってくれば、また話は違うのかもしれない。 こうなってみると、本当に人間関係というのは大事だな、と強く思う。ただ周りに人がいるだけで、気分はまったく違ってくるものだ。環境はそれほど悪いとは思わないが、それだけでは気分という曖昧なものはどうにもならない。 しかし、こんな風に何もやることもなく、人間関係も希薄なときこそ、一人で何かをやるチャンスではあると思う。僕はこれまで、多くの人に囲まれた、恵まれた環境に慣れすぎた。これまでが幸福すぎたのだ。すでに人生の頂点を越えてはいるが、それでも生き続けなければならない。これ以上望むべくもない状況から、徐々にではあるが、僕を取り巻く世界は悪くなりつつある。いろいろなものが失われ、その代わりに、多くの人が求めてやまない時間というものが、僕の手元にはある。 研究室、なんだか気分が良くないと思っていたが、今日、ようやくその原因に気づいた。分かってみれば極めて当たり前のことだ。前にも書いたが、今の研究室は、1つの部屋を本棚で区切って使っている。そして僕たちのいる方には、窓がないのだ。窓のない部屋。これでは息が詰まるのも当然だ。コンピュータを設置するには適しているのかもしれないが。考えてみれば、なるべく教授が、この部屋の機能を限定しようとしていたのも頷ける。だれだって、窓のない部屋に長時間いようとは思わないだろう。 それにしても、どのように過ごしても、日々は確実に過ぎ去っていく。中学生の頃は一歩一歩踏みしめるように進んでいた時間が、今ではまるで駆け抜けるようだ。高校生の頃は、20代の時間が短いだなんて考えもしなかったが、今では当然のように思える。その理由もだいたい分かる。その当時も今も、暇をもてあましていたのは変わらない。しかし今では、時間があれば何かやることがある。この日記でもいいし、それこそゲームでもいいし、いろいろだ。インターネットを見ているだけでも、テレビをボーっと見ているよりも遙かに有意義だろう。PCが僕の生活を変えてしまったのだろう。情報機器は便利だが、心の余裕と時間を奪ってしまうのかもしれない。
強制終了してしまったので、なんだかやる気が失せてしまった。風呂にも入っていないし、今日はこのくらいにしておくか…。
2003.05.30 (Fri) 21:58:36
2003年05月29日(木) |
充実するのに必要なのは |
2003.05.30 (Fri) 0:50:21
なんか最近、またやる気がしなくなってきた。何なんだろうか。やはり、他から何か動機付けされないと、どうしようもないものなのだろうか。
いろいろとやっているほど、かえって他のこともやる気が出てくるようだ。日記も、忙しいときほどいろいろ書けたような気がする。逆に、暇になってからはまったく…。とりあえず、1日を有効に使うためにも、早く起きるのは必須かもしれない。何が必要なのだろう。PCから離れて、何か気分転換をするのが一番大事かもしれない。何をするにも、PCに触れているような気がする。
毎日毎日ボーっとしているから、面倒でも、ある程度きっちりしていかないとまずいだろう。とは言え、翌日の予定を寝る前にびっしり決めておくのはかなりストレスだから、何か負担に感じないように。やはり、次の日の予定、と言うように決めるのではなく、毎日のパターンとして決めていくのがよいだろう。できれば、10時には大学に着いていたい。
今は時間に余裕があるから、あえて忙しくするのも手かもしれない。一応、やりたいことはあるのだ。
と言うわけで、もう寝るか…。
2003.05.30 (Fri) 0:57:45
2003年05月28日(水) |
Justice is no absolute thing |
2003.05.28 (Wed) 21:36:33
絶対の正義なんて存在しない。正義は常に人の心にあり、人の心は決して同じではあり得ない。人の正義は人の価値観であり、すべての人に共通の価値観などあり得ない。生きることですら、絶対の正義ではない。人が生きること、それだけで罪だとする考えも珍しくはないのだ。
だが、絶対の悪はどうか。盗人にも三分の理と言うが、三分の理すらわきまえない連中が、世の中にははびこっている気がする。すべての人が信じる正義などあり得ないが、すべての人が信じる悪など腐るほどあるだろう。暴力団が絶対に正義であり、やましいことなど何もないと言いきれる人間が、いや、言い切れたとしても、心の底からそう思える人間が、果たしているのだろうか。
暴力団と群れる政治家もそうだ。別に、一部のことを言っているのではない。露呈していないだけで、癒着は確実に進行しているはずだ。もし違うのであれば、とっくに暴力団など、この日本から殲滅されていてもおかしくはない。暴力団の組織構造など、そこらの高校生でも知っているのだから。
すべてを力でねじ伏せようとする者たち。憎むべき者は多いが、僕はこのような連中は吐き気がするほどに嫌いだ。今すぐにでも焼き払ってやりたいと思う。あらゆることを壊すことしか知らない人間は、何も築くことができない。何も生み出せない人間など、もはや存在価値などない。一刻も早く社会から抹殺すべきだ。もっとも、これは人間全体に言えることかもしれないが。人間の存在そのものが罪なのかもしれない。しかしそれでは、人は生きていくことはできない。生きていくために、何かをしなければならない。しかしそれが、他の人間や、その人間によって作られたものを、ひたすら壊し続けることであってはならないはずだ。
ちなみに、僕は愛国心も嫌いだ。いったいこれが、なんの役に立つと言うのだ?国を愛さなければできないことなどあるのか。
今の日本が、太平洋戦争中の出来事をすべて罪であるとして一方的に封じているという意見には一理ある。そのような中でも立派な功績を残した者はいるだろう。それで?…ここから、愛国心に結びつける論理には、まったくと言っていいほど説得力がないのだ。確かに優れた功績を残した人物はいるだろう。彼らのしたことが忘れられているのもおそらくは事実だ。しかし、それが愛国心となんの関係があると言うのだ。もっと言えば、山や川、その他自然環境を愛せよ、そして国を愛せよ、という意見もはなはだ説得力に欠ける。前段は説明する必要がないほど自明だが、それで国を愛することと、なんの関係があるのかさっぱり分からない。結局のところ、為政者の論理としか思えないのだ。政治と関係のない人間が、そのようなお題目を唱えていると思うと、薄ら寒い思いすらする。
その点で日本の歴史教育は、問題点こそ数あれ、何らかの思想を教え込まなかった点では評価できる。善も悪もない。多少その内容に偏りはあるが、考えそのものは何も教えていない。生徒が勝手に考えるのみだ。これこそが教育のあるべき姿ではないだろうか。教えるのは思想ではない。知識であるべきなのだ。社会を生きる上での知識は、その他の環境、もちろん、学校も含めるわけだが…。そのような環境の中で得ていくべきであるはずだ。どのような内容であれ、授業で恣意的に教えられるべき性質のものではない。特定の思想を学校という否定しにくい場で強制されることは極めて危険だ。もう一度述べるが、絶対の正義などない。どのような思想であれ、学校で教えるには適さない。人に親切にするということだって、よけいなお世話とも考えられる。これはそれぞれの人が考えるべき問題であって、学校で強制されなければならないことではないのだ。誰がどのように考えるのも勝手だが、それが学校で強制されることなどあってはならない。憲法にも銘記されているのではなかったか?
こんなところでこうやって言っていても、おそらくなんの力にもならないことだろう。まったくもってむなしいものだ。
今日は講義を二つ受けた。研究室の友人から、研究室に来ないのかとメールが来たが、そのときにはもう帰路についていた。考えてみれば、今まで女性からメールをもらうことなどほとんどなかった。例えこんな事務連絡のような内容であれ、メールをもらえるような関係になれたのは嬉しいことだ。やはり、思わざるを得ない。人間関係なんて、環境でだいたいの部分が決まるものだ。その人と僕とは、そもそも接点などほとんどない。趣味・趣向もほとんど合わない。考え方もまるで違う。同じ研究室にならなければ、これほど話をすることもなかったはずだ。逆に、もっと話をする人がいたが、その人とは研究室が違うので接点を失ってしまった。話したければこちらから会いに行くしかない。
人間なんてそんなものだ。自分一人にできることなど、たかがしれているのだ。
2003.05.28 (Wed) 22:06:47
2003.05.28 (Wed) 10:05:30
何度目だろう。同じようなことを何度も何度も繰り返し、そのたびに後悔して、それでもやめられない。
2度あることは3度あるとは言うが、2度も失敗して、そこから学ばないのは人間としてどうなのか…。
そう。健康食品。僕ではない。母だ。今まで何度も、めちゃくちゃに高い健康食品に手を出し、そのたびに後悔しているのだ。その最大の原因はもちろんお金だ。うちの家庭が裕福なのかどうかは知らないが、なんにしたって、月に50000円も60000円も健康食品に使っていては、たまったものではない。
問題は山積していて、その構成する要素の、どの部分を見ても問題点だらけなのだが…。ただ、あえてその健康食品の品質や選び方については考えないことにする。その健康食品がどうとか、そんなことを言う以前の問題があるのだ。
その会社のシステムは、基本的に口コミによって紹介されるものだ。ディストリビューターというのに登録すると、商品を70%の額で買える上に、他の客を紹介するたびに報奨金が支払われる。その下にいる客がさらに客を紹介すれば、そのネットワークはどんどん広がる。
このようなシステム、聞いたことがないだろうか。極めて有名な商法だ。
比較的近代的な言い方をすればマルチ商法。平たく言えばネズミ講だ。…母よ。健康食品にはまっているのは分かるが、よりにもよってマルチ商法に手を出すことはあるまい…。
この晩、一家総出で説得だ。マルチ商法が危険だということくらい、1秒で説明が終わりそうなものだ。「だってマルチ商法だよ?」と言えば、普通の人だったらその危険が認識できるはずだ。…まあ、言われなくても気づくのが普通だろうが。にもかかわらず、酒に酔っていたこともあって、5時間ほどの時間を費やした。僕はそのうちの半分、2時間半一緒にいたが、その間、ほとんど議論が進展しなかった。マルチ商法を紹介してきた人を信じ切っているらしい。やれやれ、だ。カルト宗教と関わりがなくて良かった。もし関わりがあったら、間違いなくはまっている。健康食品も、結局摂取すれば、普通の食事をしている人と同じ効果が得られるわけで、それ以上の劇的な効果など、望むことはできない。本来の健康食品なら、だが。そのようなものに高額の投資を行うことは、常識的に考えてあり得ない話だ。
ふぅ、とりあえず大学に行かねば。
ちなみに後日談になるが、それだけの時間をかけて説得したにもかかわらず、母は酒に酔っていて、何も覚えていなかったそうな。ちゃんちゃん。
2003.05.28 (Wed) 10:19:03
2003年05月26日(月) |
Sentences and Figures |
2003.05.26 (Mon) 21:19:29
今日は研究室での発表だった。準備がいい加減だったせいでもあって、ろくな評価をしてもらえなかったようだ。あまり教官の評価を気にしすぎるのもどうかと思うが、プレッシャーをかけられても何も感じない僕のようなのもどうかと思う。
この教官は、友人のところの教官とはずいぶん違う。前に聞いた話で、今どう言っているのか知らないが、少なくとも僕が聞いた限りでは、その教官はむやみに図に頼るなと言っていたそうだ。大事なのは日本語で分かるように書くこと、だそうだ。分かりにくくて困ると、すぐに図を使うのは良くない傾向なのだそうだ。が、僕のところの教官は、ある意味では正反対だ。とにかく、図を描け。それだけで分かるような図を描けと。そうは言っていないが、文章なんかいらない、とでも言いたげなほどだ。実際、文章などこれっぽっちも要求されていない。一目で分かる図を描け。それだけだ。一緒に研究している人たちは様々なことを言われて非常に困惑している。その点では、僕の方は極めてシンプルだ。暗号化やデータベースなど、特殊な技術も必要ない。将来的にはともかく、いまはJavaの本当に基礎的なアプリケーションのみを使っている。もっと言えば、そのアプリケーションのコードすら打ち込んでいない、計画段階だ。
とにかく、図を描き方について調べてまとめようと思う。そういうのを自分で考えるのには長けていないし、現代は、先人たちが残した数々の知識が、インターネットなどを通して豊富に手に入る。自分で必死に頭をひねって、くだらない図を描く必要など全くないのだ。なぜなら、図を描くことが目的ではないからだ。図はあくまでも手段であり、目的はプログラムを開発することだからだ。
とは言え、この日記を毎日これだけ書いていることから分かるのではないかと思うが、僕は基本的に文章を書くのは好きだ。図で一発で示すよりも、百万言を費やしてじっくり説明したいたちだ。と言っても、教授ともあろう人間にそんな暇があるはずはないし、自分の専門分野ならともかく、僕の書くプログラムの説明なんてのをえんえんされたって、理解しきることはできないだろう。
今日は、金曜とは違う方の人とずっと一緒だった。この人は前の人と比べると、2人きりという状況に違和感を感じている感じがあった。にしても、たいして気にしないなあ、という感じはしたが。まあ、僕の方も僕の方で、そんなのには慣れっこになってしまってそれほど違和感は感じなかったと思うのだが。もしかしたら、挙動には現れていたのかもしれない。
小説を書こうと思っていて、アイデアも固まっている。友人をモデルにしてずっと書いていたのだが、その友人、小説の主人公にするには少々凡庸な感じがする。凡庸と言うと言葉が悪いだろうか。何事もそつなく、器用にこなすのだ。その代わり、これと言ったものがない。つまるところ、個性がないのだ。実際にそんな人間がいるはずないのだから、要するに僕に見る目がないということだが、考えてみれば、あえてそんな人間を主人公に据える必要はないのではなかろうか。高校生の頃に、そいつを登場人物にして小説を書くと言ったからずっとそいつを主人公にしようと思っていたが、考えてみれば登場させると言っただけで、主人公にすると言った覚えはないような気がする。まあ、主人公でなくても、主人公に近ければ問題はあるまい。どうせそいつの方は覚えていないだろうし。
ということで、ヒロインの方を主人公にしようと思う。まあ、上の話はいわばこじつけ、人に聞かれたときの説明用だ。実際のところは、女性の一人称で小説を書いてみたかった。これだ。悪趣味と言われればそれまでだが。
と、公開することで、少しはプレッシャーがかかるのではないだろうか。まあ、時間はたっぷりあるはずだ。少しずつ取り組むとしよう。もう、その友人が主人公の話はずいぶん書いているのだ。高校生の頃から少しずつ暖めていた話だから、大筋も決まっている。あとは、書くだけだ。そのときは、必要のない人物まで、友達を登場させると言うことで次々と登場させてわけが分からなくなってしまったが、今となってはそんなことを気にする必要もない。
誰かをそのままモデルに使うのはやめよう。そのモデルのイメージに制約されるし、正直、小説の世界に現実の人間が合うとも考えにくい。現実的なのがリアリティではないのだ。現実っぽいのがリアリティなのだ。演劇やドラマを見れば分かるように、真実っぽく見せることと真実そのものはまったく違う。本当のことよりも本当っぽく見えることなど、いくらでもあるのだ。そのように書かねばなるまい。場合によっては凡庸なできにもなるだろう。しかし、奇をてらった意味不明なものより、ずっとよいと思う。だいたい、名作と呼ばれる小説に、異常に奇をてらって理解を拒むような作品などないのではないだろうか。
2003.05.26 (Mon) 21:44:09
2003.05.26 (Mon) 1:23:02
最近、昔ほど日記を書きたいと思わなくなった。前は書いているだけで楽しかったものだが。それだけ、書くことがなくなってきてしまったのだろうか。確かに、休みの日には書くことなんてありはしないが。それとも、1年以上やっていて、ようやく飽きてきたのだろうか。まさか、今さら飽きるなんて…。
ちょっと前まで鬱っぽかったと書いたが、とりあえず、その状況は脱したようだ。なんか書いたような気もするが。
最近は、自分でもはっきりと分かるくらい、躁と鬱のリズムを刻んでいる。病気ではないと思うのだが、それでもかなり明確に分かる。特に引き金になるようなこともなく鬱になり、時間がたてば自然と元に戻る。理由はよく分からない。なんなのだろう。
それにしても、気が乗らないとミスタッチが多くなる。キーを叩くのを間違えるのはなぜだろう。まったく持ってよく分からない。いつも間違えているのが、たまたま集中していないから気になるのだろうか。なんにしても、僕のミスタッチの多さはかなりのものだ。測定したら、5%を越えることも多かった。もう少し丁寧にやらないと、効率が悪くて仕方がない。スピード自体は決して遅くないので、注意さえすればまだまだ速くなるはずだ。
さて、まだ課題をやっていないから、明日は早く起きて、早く大学に行って、なんとか形にしておかなければ。例のごとく、紙には書いていないものの頭では考えているから、それを書き記せばいいだろう。
もう、寝るか…。
2003.05.26 (Mon) 1:29:23
2003.05.26 (Mon) 0:29:18
二日前に書いた「いまどきの学生さん。」という日記。同じ日記を見て、同じように考えた人が、僕の他に2人もいたらしい。こんな安易なことを考える人間が、僕以外にもいたとは。なんだか驚きだ。元の日記を書いた人の方がもっと驚いているのだとは思うが。
ところで、今週は研究室で、課題もやらずにずっとゲームのソースを書いていた。と言っても、何もないところからゲームができるわけはないので、ずっと基礎になる部分を作っていた。RPGっぽくしようと思うのだが、その基本的な計算式などを延々書いていたのだ。
その一部をここに載せてみる。スキルがどうたらこうたらとか、よく見るとゲームっぽいことを書いてあるのが分かると思う。
public static void main(String[] args) throws InterruptedException {
Charactor a = new Charactor();
Charactor b = new Charactor();
System.out.println(a);
System.out.print("Damage: ");
int damage;
if ((damage = a.attack(b)) == 0) System.out.print("Miss!");
else System.out.print(damage);
System.out.print(", ");
System.out.println();
System.out.println("Hit: " + a.hitRate(b));
a.aSkill = (AttackSkill)a.skill.firstElement();
System.out.println(a);
System.out.print("Damage: ");
Thread.sleep(a.aSkill.castingTime);
for (int i=0; i<a.aSkill.number; i++){
if ((damage = a.attack(b)) == 0) System.out.print("Miss!");
else System.out.print(damage);
System.out.print(", ");
Thread.sleep(a.aSkill.intervalTime);
}
Thread.sleep(a.aSkill.delayTime);
System.out.println();
System.out.println("Hit: " + a.hitRate(b));
Enumeration e;
e = a.item.elements();
while (e.hasMoreElements()){
Item obj = (Item)e.nextElement();
System.out.println(obj.getClass().getName() + ": " + obj.name);
}
e = a.skill.elements();
while (e.hasMoreElements()){
Skill obj = (Skill)e.nextElement();
System.out.println(obj.getClass().getName() + ": " + obj.name);
}
}
これは、自分の作ったクラスのテスト用のものだ。ちゃんと機能しているかどうか確認するためのものだ。こうやってみるとしみじみ思う。我ながら、なかなか意味不明なことをやっているな、と。慣れてしまえばそうでもないが、これは確かに、知らない人には取っつきにくいのも仕方がない。これでも、C言語あたりと比較するとかなり扱いやすいのだ。
ちなみにこれは、極めて初歩的な技術のみを使って書かれている。これ以上難しいことは、僕にはよく分からないのだ。と言っても、基本的な文法などは一通り扱えるはずなのだが。まあ、それだけできてもしょうがないと言うことだ。
なんか疲れた。このくらいにするか。
2003.05.26 (Mon) 1:21:53
2003.5.23 22:30
帰ってきてからずいぶんたつ。なのに、部屋に入れない。兄弟の相部屋なのだが、弟が友人を連れてきているからだ。はっきり言って僕は弟の友人と合わない。ちょっとワルっぽい雰囲気の友人が多いのだ。理路整然とキビキビ話すと言うよりも、なにを話しているのかよく分からず、ダラダラ話す感じがする。
今日は、2限に出るはずだった。しかし、見事に朝、起きられず、そのまま昼くらいまで寝てしまった。鬱っぽい気分ではないので、やろうと思えばやれるはずなのだが。相変わらずダメダメだ。
仕方がないので昼から研究室に出かけた。同室の友人に少し遅れることをメールしたら、寄っていくところがあるから問題なしという内容のメールが来た。結局3時くらいになってやってきた。
課題をやる気分ではなかったので、Javaの勉強にもなると思い、ゲームのシステムを作っていた。ずっと前から温めていたアイデアがあるのだ。Javaは、きわめて柔軟な知識表現に適していると思う。何でもできるゲームを設計するにはもってこいだし、なにより慣れているゲームをプログラムにすることで、Javaにも開発環境にも慣れることができる。
お、帰ったようだ。それじゃ、日記も適当に切り上げるとするかな…。もう22時45分になる。
結局研究室では、ほとんどその友人の手伝いをしていた。まあ、しょうがないのかな。手伝いも自分の技術の向上に役立つわけだし。
2003.5.23 22:44
2003年05月22日(木) |
いまどきの学生さん。 |
2003.05.22 (Thu) 20:55:46
とある人の日記に、今時の学生についての意見が載っていた。その転載をして、僕に当てはまるかどうか考えてみようと思う。書くことを考えるのが面倒くさかったとか、そんなことは断じてない。ないのだ。日記の題名まで同じだとか、そんなことは決してないのだ。
-
授業によく出席し、生真面目であるが、深みがない。
授業には、遅刻はしているが、まあまあ出席している。割と前の方に座っているし、きまじめなのもおそらくそうだろう。問題は深みがないという部分なのだが…。いったいなにをもって深みがあるとするのか、その点が分からない。その講義について考えているかということであれば、考える価値があると思ったものについては考えることにしている。主にこの日記で、だが。なんか講義のことをうだうだと書いてあったら、それはその講義について考えているのだと思ってもらって間違いはない。考えるだけでは深みがあることにならないということであれば、この1番の内容は僕に当てはまる。
-
学習の内容・価値を認識しないで、学習する傾向がある。
友人を見て、そのような傾向があるのは否定しないが、自分自身でそのようなことがないように注意しているつもりだ。注意すれば大丈夫かどうかは分からないが。とにかく、自分が勉強しているものが自分にとって価値があるかどうか、もちろん内容はなんであるか、それは最も重要なことだと思う。本来は内容の方が重要なのだろうが、僕にとっては、自分にとって価値があるかどうかの方が重要だ。従ってこの傾向は、僕には当てはまらないのではないだろうか。
-
行動・思考が多種多様である。
こんなものは古今東西、今も昔も変わらないことだろう。行動や思考が同じような人間ばかりだったら気持ち悪い。歴史上、そんな人間ばかりだったことがあるのだろうか。思想が抑圧されると、そういうことも起こるのかもしれない。これは当然僕にも当てはまることだし、それは人としてあるべき姿だと思う。
-
頭でっかちである。
これは自他共に認めるだろう。日記を見ただけでも、僕が頭でっかちであることは一目瞭然だと思う。ちなみに関係はないが、僕は物理的に頭部が大きい。並みの帽子やヘルメットは、僕の頭を拒否する。スマートな女性のウエストよりも、僕の頭の方が大きいはずだ。前に計ったときは59センチだった。それで、僕は頭でっかちであることが悪いとは思わない。否定的に用いられることの多い言葉だが、何も考えずに物事を進めるよりもずっといいと思う。そもそも大学というのはそういう場所であり、そういう場所に学生として所属している以上、頭でっかちになるのは当然であり、そうあるべきだと思う。
-
思考・行動の幅が狭い。
思考の幅が狭いのかどうかは、僕にとっての思考は自分の思考がすべてであり、他人の思考など分かるはずもないのだから、何とも言えない。行動の幅が狭いのは間違いないと思う。ただ、思考については割と幅広く考えているつもりだし、考え方もある程度バランスを取っているつもりだ。少なくとも、1つの事象だけを見てその普遍的な法則を判断するような愚は犯していないと思う。
-
フィールドワークが嫌い。
嫌いだ。確かに得られるものは多いのだろうが、僕には適さないと思っている。それに、フィールドワークで得られる情報は、非常に質が高く密度も高いが、とにかく範囲が狭く、そこから何らかの知見を得るには詳細な分析が必要だ。これだけ情報が満ちあふれている現代で、そのような作業を行う必然性があるのかどうか、疑わしいと感じる。今まで多くの人がフィールドワークを行い、詳細な記録を残しているのだから。もし自分より前にフィールドワークをした人が自分より優秀であれば、その時点で、自分自身でフィールドワークをすることの価値は半減するだろう。
-
本を読まない・知的好奇心が欠如している。
これは当てはまらないと思う。あらゆることについて知的好奇心があるとは言わないが、かなり広い範囲に対して、僕は好奇心を抱いていると思う。テレビのバラエティ番組などは興味ないが、その他はだいたいのことについて興味がある。情報源も、なるべくいろいろなものを当たっているつもりだ。テレビは分かりやすい代わりに時間がかかりすぎるので、なるべく避けるようにしているが。ただ、分かりづらいことについては、映像情報より分かりやすいものはなかなかない。ちなみに、情報源として最も優れているのは、量的にはともかくとして、質的に考えれば、明らかに人だ。生身の人間だ。人間と面と向かって話す以上に情報を得られる手段など、現代では存在しないと思う。もちろん、目的にもよるが。無機質なデータが必要で、なおかつそのデータの入手方法が分かっている場合にはこの限りではないだろう。だいたい、人間という生物はそもそも、人間から情報を受けるのに適した構造になっているのではないだろうか。
-
失敗を恐れすぎる。→受動的である。
これは当てはまる。確かにその通りだ。僕の友人たちを見た場合には当てはまると思えないが、少なくとも僕自身を見た場合はそうだ。だいたい僕は、行き当たりばったりというのが大嫌いだ。妥協するのは別として、失敗するかもしれないなら、もっと準備すればいいのだ。失敗をおそれるのは決して悪いことじゃないし、世の中には失敗が許されないことなどいくらでもある。だいたい、失敗が好きな人間などいないだろう。失敗を許さない世の中である以上、そういう世の中を変えるか、自分が失敗しないようにするか、そのどちらかしかない。失敗を許せるような世の中に変えるなんて、並大抵の苦労ではできないことだろう。そして、それによって得られるものなどあるのだろうか。それによって満足できる人ならやるべきだろうが、僕は、世の中を変えることに価値を感じない。世の中を変えられる人は、心から尊敬するが。自分がそうなれるとは思わない。であれば、自分が失敗しないようにするのが最も早い。失敗するくらいならやらない方がよい。これが、僕の考えだ。否定する人も多いだろうが、僕はこう思う。この点については、できればいろいろ意見を聞きたいものだが…。
にしても、そこから受動的であるという結論を導いているのはすごい。何がどうつながっているのか推測すらできない。まあ、勝手な憶測をすれば、失敗をおそれて何もしないから、他人に言われるまで何もしない。だから、受動的なのだ、ということなのかもしれないが。…うーん、自分で書いていてもよく分からない。ちなみに、受動的なのは当然のことで、これは今の学生の責任ではない。他の問題で、僕を含めた若い人たちに自覚を促すことはできるかもしれないが、少なくともこの点について自覚を促すのは間違いだ。なぜなら、世の中のあらゆるものが、人が受動的であるよう求めているからだ。まず、国の根幹を成している法治主義。法を受け入れなければならないことを明示している。拒否することは許されていない。そして資本主義。様々な情報を受け入れ、それを判断してものを買うことを要求している。最近はインターネットなど、能動的に情報を集める手段が整備されているが、基本的に受動的であることは否定のしようがない。そして、組織構造。ほとんどどの組織を見ても、何らかの形でピラミッド構造をしている。ヒエラルキーというやつだ。これはつまり、下の人間が上の人間に従わねばならないことを意味する。下の人間が上の人間の石によって動くことにより、それぞれの人がバラバラに動くのでは得られない結果を得ようとしている、極めて効率の良いシステムだ。だが、これは下の人間に受動的であることを要求する。
要するに、受動的であると言っても、そもそも社会がそれぞれの人に受動的であることを要求しているのだ。言い換えれば、受動的である方が望ましいのだ。それなのに、都合のいいときだけ能動的であって欲しいなどと考えるのは非合理だ。受動的だと批判する人自身も、絶対に受動的であるはずだ。僕は絶対に、というものの言い方が嫌いだが、この問題に関しては絶対だろう。何者をも受け入れず、すべてを能動的に判断していれば、待つものは死刑か、それでなくても社会からの村八分だ。
-
入学時には能力の差は小さいが、学年が進行するに従って、差が大きくなる。
こんなのは当たり前だ。入試というシステムがあるのだから、入学時の能力の差が小さいのは当然だ。そして、人間が集まると必ずいくつかの集団ができ、その中にはできる者とできない者がいるというのも、極めて有名な経験則だ。そもそも、教室の構造だけを考えてみても、前の方に座れなければ授業に集中できず、結果として理解が進まないのは当然のことだ。そして、前の方に座るには大きな心理的抵抗がある。僕はその点、かなり傍若無人だから遠慮なく座っている。しかしそれでも、友人が一人もいない状態で、他のみんなが後ろの方に座っているのに自分だけ前に座るのは、かなり抵抗を感じる。僕ですらそうなのだから、他の人だったら、まともに前の方に座れないのも当然だ。この時点で講義を理解することはかなり難しいだろう。話している内容もそれほど簡単ではないのだし。
ちなみにこれは僕の経験からきた推測なのだが、そもそも人間は、すわったまま1時間半もの間、集中力を持続させることなどできないのではないだろうか。僕は極端にカフェインが強く作用する体質だから何とかなっているが、他の人たちを見ていると、強くそう感じる。コーヒーを飲まなければ、どんなに興味深く、おもしろい内容の講義であっても寝てしまう。
まあ、こんなところだ。全体を通して見れば、よく当てはまっていると言えるだろう。別に学生でなくても、なんでも当てはまりそうなものもあったが…。ああ、初めからネタがあると楽だ。いかんなあ。他人の日記を無断借用しちゃ。…ごめんなさい。
2003.05.22 (Thu) 21:44:54
2003.05.21 (Wed) 19:57:15 とりあえずは本題から外れた話から。分かりやすく説明する技術とかいう本を読んだ。いちいちもっともで、なるほどと思わされる。それを適用すればこの日記ももう少し読みやすくなるかな、と思ったが、考えてみれば、そもそも毎日の日記で主張したいことというのがはっきりしない。はっきりしている日もあるが、日記なので、その日のことをそのまま書くことが多い。ほとんど備忘録に近い。出来事にしても、何らかの考えにしても。 …ああ、その本についてまとめようかと思ったが、そういう気分ではない。それよりも、一大事件についてなるべく詳細に書こうと思う。 僕が起きたのは12時頃。昨日は遅くまでゲームをしていたのだ。なんせ講義が5時限しかないから…。だからってこんな時間に起きるのはどうかと思うが。布団に潜っているときに玄関のチャイムの音が聞こえた。どうせ何かの勧誘だと思っていたが、どうも母の声に拒否するような勢いを感じない。なんだろう、と思っていたが、そのまましばらく布団に潜っていた。 それからしばらくして、布団から這い出し、布団を片づけて、着替えた。僕がいつも寝ているのは2階なので、そこから1階に下りていった。13段の階段。今では気にならなくなったが、昔はこの13段の階段というのがなんだか気味が悪くて、1段とばしに登ったりしたものだ。13段の階段を1段とばしに上っていくと、最後に端数が出て、結局7歩で登ることになる。13という数字が7という数字になるのがなんだか嬉しかった。そんな小学生の頃の感覚がいまだに残っていて、今でも階段は一段とばしに登ることが多い。で、その階段を下りていった。下りるときは普通に1歩ずつ下りている。 階段を下りてアコーデオンカーテンを開けると、そこには赤い箱があった。そこで僕はピーンときた。「これは、例のブツでは!?」と。だが、それにしてはその貼ってあるシールがよく分からない。なぜか、「ガラス、ビン、セトモノ」と貼ってあったのだ。もしそれが僕の想像通りのものなら、割れ物であるはずがない。 「これはいったいなんだ?」と思い、僕はその箱の貼付票を見た。僕に宛てた箱だ。僕の家の住所には「淵」という字が含まれる。これが正しい字なのだが、僕は普段、この字が書きづらいので、「渕」という字を使っている。しかし、たまたまこの例のブツの宛先として住所を書いたときは、面倒くさくて変換を直さなかったのだ。…ごめんなさい。 差出人は間違いなくあの人だ。品名は…。こ、これは…。そこには、「趣味の頑具」と記載されていた。本当は「玩具」と書くが、そんなことはどうでもいい。なんだ、この誤解を招きかねない品名は!!…あらかじめ家族に言っておいて良かった。この時点ですでに、こみ上げる笑いをこらえきれずに、「ふふふ…」と声を出していた。台所にいた母は、さぞかし気味が悪かったことだろう。 僕はその怪しい赤い箱を抱え、ソファーに座り込んだ。箱は丁寧にビニールで包まれていて、セロハンテープできっちり留められていた。丁寧なのは非常に嬉しかったのだが、…あ、開かない…。しばらくがんばってセロハンテープに爪を引っかけたりしていたが、セロハンテープの破片が取れるだけでどうにもならない。僕はその箱に対して非常な怒りを覚え(アホだ)、セロハンテープが少しだけはがれたその隙間に指をつっこむと、全力をもって引き裂いた!(ごめんなさい) 箱を見た段階から実に4つの段落を経て、ついに、箱を開けるときが来た。僕の胸は最高潮に高鳴り、運命の時を一刻も早く迎えるべく、箱を開いた。 「を、をををっ!!」 そこに現れたのは、カバーだった。黄色い化学ぞうきんのような(失礼)物体に包まれ、それはあった。僕は神秘のヴェールを奪い取るように、そのカバーを取り外した。カバーはシールで留めてあった。"especially for you"…。"especially"という単語には辞書へのリンクを貼ってあるので、見てみるといいと思う。英語のできない僕にその単語の意味が分かるはずもなかった。 カバーの中から、ついにそれは現れた。老若男女、誰もが一度は夢見る幻の品(本当か?)、ナースキャップだ。ナースキャップ、あえて英語で言えば(言うな)nurse cap、日本語で言えば看護帽だ。僕は高鳴る胸の鼓動を必死に抑え、こみ上げる笑いもついでに抑え、そのナースキャップを手に取った。持った瞬間分かった。こりゃ確かに、割れ物だ、と。
ナースキャップのあの形は、全体をノリでバリバリに固めることで維持されているようだ。確かに、普通の布がこんな形になったら怖い。箱の中には、丁寧な包み以外にも、緩衝材がたくさん入れてあった。…これ、いくらかかったんですか?申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、僕はさっそく、そのナースキャップを見定め、前と後ろを確認して頭の上に載せた!
…コトン。
ナースキャップは、間抜けな音を立てて、あっさりと床の上に転がった。なんぢゃこりゃぁ!!僕はその理不尽な構造に、目がくらむ思いだった。明らかに上部が大きいアンバランスな構造。そもそも、小さすぎて頭にはまるようなものではない。本当に頭の上に載せるしかない。僕は何度が悪あがきを繰り返したが、とてもじゃないがそんなアンバランスな代物を頭の上に乗せ続けることなどできなかった。確かに僕は、常人よりも頭が大きい。きっと脳容積が多くて頭がよいのだろう。…だが、頭が大きいとかそういう代物ではないのだ。そもそも、構造上、人の頭の上に載せるのは不可能なのだ。
僕は、箱をさらに詳細に調べた。おっ、メッセージカードだ。なんかやたらハートマークが描いてあるが、きっと意味はあるまい。メッセージカードには、普段僕が使っているペンと同じ色でメッセージが…。じ〜〜ん。結構感動。…しかし、感動していても、ナースキャップをかぶれないという事態は解決しない!僕はさらに箱の中を見た。そこには…。
ヘアピン。
な〜るほどね、ピンで留めるのね。そりゃそ〜だよなぁ。だが、そこで深刻なことに気がついた。ナースキャップをかぶるということはつまり、自分の髪の毛とナースキャップをヘアピンで連結することを意味するのだ、と!笑いながらちょっと載せてみるくらいならともかく、ヘアピンなんて使ったこともないのに、それを僕に使えと言うのか!しらふのまま、ナースキャップと自分の髪の毛を連結する作業をせよと言うのか!
僕は、ナースキャップを目の前に置いて、じっくりと考えた。よく考えろ。男として、それをやるべきなのか!?それはちょっとばかり道を踏み外してはいないか?
だが、さらに考えた。そもそも、ナースキャップを欲しがった時点でちょっとずれてるんじゃないのか?もはや、かぶろうがかぶるまいが、たいした問題じゃないのではないか?
よし!僕は、おもむろにヘアピンを手に取った。…あっ。外れない。ヘアピンを台紙から外す方法が分からん。妙に流れるような筆記体で、ヘアピンの台紙には"Hair Accessory"と記されている。その文字が、なんだか僕をバカにしているような気がした。意地でも外してやるぞ、ヘアピンめ!だが、にらめっこしても分からないものは分からない。だがそこに、コペルニクス的転回が訪れた!押して外れないものは引けばいいんだ!そして僕は、ヘアピンを台紙から引き抜いた。
いよいよ運命の時、戴冠の時だ。僕はナースキャップにヘアピンをセットし、それを髪の毛に引っかけた!…ずるっ。だが、その努力もむなしく、ナースキャップは無情にも僕の頭から転げ落ちた。へ、ヘアピンってどーやって使うんだぁ〜〜!?
僕は悲嘆に暮れながら思った。やはり僕は、ナースキャップをかぶるべき人間ではないのだと。こんな機会だったので少しナースキャップについて調べてみたのだが、本来ナースキャップは、看護職としての適正があると認められた者だけが、かぶることを許されるらしい。そのための儀式として戴帽式というのがあるそうだ。僕はまったく知らなかったが、ナースキャップを与えられ、ナイチンゲールのランプが由来とされるろうそくを持ち、その志を継ぐ者として看護の職に就くことを誓う儀式のようだ。
このナースキャップはもっぱら象徴としての意味を持ち、衛生面では特に意味がないどころか、むしろマイナスになる部分も大きいらしい。清潔感を与えるものではあるのだが、その実態は清潔なんてものではなく、最悪、雑菌が繁殖することもあり得るらしい。と言うのも、さっきも上で述べたように、これはノリでバリバリに固めているので、そのノリがエサになって雑菌の繁殖を促してしまうらしいのだ。また、同様の理由でそんなにいつも洗えるものでもなく、白衣と比較すると、あまりきれいとは言えない状況らしいのだ。 というわけで、廃止の動きが進んでいる。僕がこうしてナースキャップを手にしたのも、そういう動きの影響なのだ。世の中がなんでも合理的になって悲しいと見るべきか、不衛生なのであれば当たり前だと言うべきか。ちなみに、衛生面の問題だけでなく、引っかかって邪魔だとか、問題は他にもいろいろあるらしい。おもしろいものでは、ヘアピンのせいではげる、などという意見もあった。
ナースキャップ…。これ1つ取ってみても、その背景には実に様々なものが見えるものだ。少し、世の中の広さというのを思い知った気がする。
2003.05.21 (Wed) 21:24:34
2003.05.20 (Tue) 21:56:04 ご存じの方もいるかもしれないが、今日は基本情報技術者試験の合格者発表の日だ。情報処理技術者試験センターのページを見れば、おおよそのことは分かるだろう。名前を見てもかなり分かりづらいが、情報処理技術者というのはコンピュータなどの情報機器を扱う技術者の総称であり、基本情報技術者というのはその資格のうちの1つだ。システムエンジニアとしては、名前の通りもっとも基本的な資格だ。 で、僕はどうも、その試験に合格したらしい。しかし、間抜けなことに、その成績を照会するためのパスワードをなくしてしまった。これでは、合格したことは分かるものの、その成績の内訳は分からない。そう言えば、この試験を受けた人が知り合いに二人いる。彼らは合格したのだろうか。一人とは大学で会ったが、まだ成績を調べてはいないようだった。もう一人は、彼女…。僕でも合格できたくらいだから合格したのだとは思うが、まったく準備できていなかったようだから、もしかしたら危ういかもしれない。僕と違って、年がら年中PCに触れているわけでもないし。とりあえずパスワードを送付してもらえるよう、封書を送ったが…。この封筒というやつ、たいしたことではないのだが、ひどく面倒に感じる。 ところで、ナースキャップを入手できることになった。ナースキャップだ。看護師の帽子だ。略して看護帽だ。…まあ、分かる人には分かるだろう。ゲームの話なのだが。入手元はもちろん(?)秘密だ。青少年のあこがれ、追いも若きも一度はかぶりたいと夢見る(本当か?)、幻のナースキャップだ。まあ、手に入れたからどうということではないが。
今日は大学にいったのはいいが、友達と会って、ずっと話し込んでいた。これでいいのだろうか…。なるべく早く仕事を済ませていかないと。バイトの話があったが、大学の講義との折り合いがつかず、パアになってしまった。さすがに、バイトのために単位を捨てるほど、僕は不良学生をやっているわけではない。
たいして書いていないのにずいぶん時間がたっているのは、途中で風呂に入ったからだ。
2003.05.20 (Tue) 22:56:01
2003.05.19 (Mon) 20:18:35 やはり、いい加減な知識でものを書くべきではないな。BBSに指摘があるのだが、要するに昨日の日記に書いていたロジスティクスってのは違うんだよ、という話だ。専門教育を受けているにもかかわらずこんなことでは…。ロジスティクスだけでなく、ソリューションの話もまったく違う可能性があるので注意していただきたい。専門用語ってのはややこしいというのを例示したかっただけだ。 今日は、研究室で集まりがあった。毎週月曜日に決まってから、今日が2回目だろうか。今までは不定期だったが、ゴールデンウィーク後から正式に集まるようになったわけだ。全快はろくに準備をしていなかったが、今回はきっちり指示されたこともあって、それなりに形にはなっていた。僕はと言えば、先週一週間の日記を見てもらえると分かると思うのだが、まともな準備などしていなかったのでずいぶん抽象的な話になってしまったが。目的と要件定義という話なので、そもそもあれこれ準備が必要なことではなく、どれだけ考えているか、と言うことだと思うのだが…。手は動かしていないが、さすがに3月から2ヶ月もの間、何も考えていなかったわけではないので、設計に関してはある程度まとまった話ができた。主な指摘としては、シミュレータの環境と、監視するコードを分けろ、ということだろうか。船舶のシミュレーションを行うわけだが、僕はそれで、船をおいたり障害物を配置したり、という環境と、その船の位置を与える機能を一緒にしていたのだ。船が置いてある部分で位置を調べたりするのは自然だと思ったのだが…。まあ、逆らっても仕方がない。どうしてもこうしたいというこだわりがあるわけではないし。他の人の意向で変わっていくようなプログラムも、それはそれでいいだろう。難しいことではあるが。好きなようにやりたければ、自分で作ればいいのだ。とは言え、実際にプログラムを書き始めるまでに相当時間をかけることになる。システム設計の手順も知らないし、これはこれで仕方のないことだろう。手順から学んだ方が早いのかもしれないが。 とにかく、今まで漠然としていてなにをするのかよく分からなかったのが、ようやく形になってきた気がする。他のメンバーはあれやこれやとやることがたくさんあって大変なようだが、僕はとにかく今の構想を具体化するためにじっくり練り上げればいい。またベースのプログラムとにらめっこすることになるのか…。 ところで、久しぶりにウイルスメールが来た。差出人はsupport@microsoft.comだ。ウイルスだ、と思って思わず背筋が寒くなってしまった。触れなければ問題はないはずだが。独自のSMTPサーバを使っているらしいので、ヘッダの情報は一から十まですべて嘘だと思った方がいいかもしれない。
さて、なるべく早く寝て、明日もがんばるかな…。
少し補足。SMTPなど、パッと見てなんの略称か分からない言葉は、<acronym>タグを使用して説明を付けてある。こんなところまで間違ってしまっては情けないので、間違いないと思われるものだけだが。Internet Explorerなど、対応ブラウザであれば、カーソルを合わせると説明がポップアップで現れるはずだ。
2003.05.19 (Mon) 21:31:34
2003.05.19 (Mon) 2:51:40 いろいろな人が好んで使う専門用語。これの意味はなんだろうか。 なんでそんな話なのかって?そんなのは決まっている。書くことがないからだ。 そもそも専門用語というのは、一般に弊害が指摘されがちだ。細々したことはあるが、平たく言ってしまえば「分からない」のだ。まあ、当然だろう。聞き慣れない言葉をあえて使っているのだから、分からないのが当然と言っていい。ではなぜ、あえてそのような言葉を使うのだろうか。
利点は三つ考えられる。既存のイメージとの混同を避けること。新しいと言うことを明示すること。そして、対象を正確に表現すること。
既存のイメージとの混同を避けるとはどういうことか。一般に専門用語を用いる場合、何か新しい研究に伴う場合が多い。新しい研究には新しい概念を伴うことが多い。今まであるもので、すべて説明できる方が少ないと言っていいだろう。まったく新しいことを、今までの言葉で表現することは難しいだろう。従ってここに、専門用語を用いる意義がある。分からないと言ったって、そもそも今までないんだから分かるわけはないのだ。
二つ目は上の仲間と言ってもいい。あえて分ける必要はなかったかもしれない。ただ、あえて言うなら、上の場合は仕方なく専門用語を使っていたのに対して、こちらは積極的に使おうということだ。既存のものと似たようなものでも、あえて新しい名前を付けることで今までのものとは違うということを表現したい場合に用いられる。この場合が一番多いのかもしれない。分かりにくいのを承知で自分の専門分野を例に取るが、僕は流通情報工学課程に属していて、そこで扱っているのはロジスティクスと呼ばれるものだ。平たく言えば要するに流通なのだが、厳密に言うとまるで違う。ロジスティクスは流通を包含する、より幅の広い概念なのだ。と言っても、誰もが納得するような定義をした人はまだいないのだが。定義すらできないものを学問として扱うのは不思議な気もするが、工学とはそのようなものだ。例え完全に理解できなくても、現実に存在する以上、何とかしたいと思うのが人の常、ということだ。この点で科学という視点から見た場合、工学は邪道だ。イギリスでは1970年代まで工学は科学として認められなかったという歴史的経緯もある。工学がこれほど世の中に浸透しているのは日本くらいかもしれない。
話がそれたが、流通と似たような概念であるにもかかわらず、実は違うロジスティクスという言葉。このように、新しいということを厳密に言う必要がある場合、専門用語を使う意味がある。ちなみにこの言葉は、新しい仕事をしているのだという意味で企業のうたい文句になることもあるようだが、実態がどうなっているかは、その企業により様々のようだ。e-Businessの時代にトータルなソリューションを提供する…と言った言葉と似たような感じだ。ちなみにこのソリューションという言葉も最近は頻繁に使われる。成果だとか実績だとかそんなような意味のようだが、あえて分かりづらい言葉を使う意味があるのかどうか、僕にはよく分からない。あえて違いを示すなら、その成果や実績そのものが売り物だと言うことだが…。要するに、どっかの会社に行って、なんかの仕事を効率化したり、情報の整理をしたりする。この仕事そのものが売り物なのだ。具体的なものではなく、業務の効率化をすることでお金を取るわけだ。こうやって言ってみると、確かに専門用語が必要な気もするが…。
余談ではあるが、このソリューションという代物、現在ではかなりお粗末なものも多いようだ。業務用アプリケーションを提供したりするわけだが、そのアプリケーションがひどく使いづらいとか、バグが多いとか、いろいろな話を聞く。逆に、ソリューションを導入して完璧になったという話はまるで聞かない。時代の流れだと言って必死にやっているが、実際のところ、べらぼうな投資をしてまで導入すべきなのか、疑問符がつくのではないかと思う。と言っても、将来僕は、このようなソリューションを提供する側に立つことになるだろう。お粗末だから使わない方がいい、なんて言っていられなくなるのだろうが…。
これ、考えてみれば分かると思うが、非常に難しい仕事なのだ。他社に乗り込んでいって事業を構築しなければならない。しかも、企業秘密の壁などがいろいろあって、本来完璧に知っていなければならない仕事内容がよく分からない。よく分からない仕事を最適化しなければならないのだ。最適化とはつまり、コストを最小にしたり、より仕事の能率を上げたりすることだが…。できるか?そんなこと…。自社にシステム部門を持って、そいつらにやらせた方がいいと思うのだが…。まあ、それだけの正社員を抱え込む余裕なんて、今の企業にはないんだろうな。人材不足もあるし…。僕も含めて、大卒の人間を普通に連れてきてもなんの役にも立たない。僕はまだ大学である程度の効率化手法を学んでいるが、普通の大学生はそんな金儲けの方法なんて、大学で勉強したりしないのだ。その辺がアメリカあたりと違う。
さて、ぐだぐだ言う前に、やらないとなあ。システム開発のやり方が分からないのなら、現場に出かけていって見てくればいい。難しそうに感じるだろうが、派遣社員なら現場に出かけていって、その現状を見ることができる。やることは分かっているのだが…。
ああ、そうだ。三つ目の対象を正確に表現することというやつ。上でだいたい説明したような気もするが、新しい概念は、他とは違う点が必ずある。そのような場合に、今まである言葉で表現してしまっては、誤解を招きかねない。そのために、今までとは違うということを明示するために、新しい言葉が必要なのだ。似たようなことで表現すると、それと似ているだけ、であるにも関わらず、聞いた人は「同じ」だと思ってしまう可能性があるのだ。ロジスティクスは今までの流通の概念に、その流通に付随する情報を包含したイメージを持っている。しかし、それを「流通」と言ってしまっては、この情報を包含するという部分が伝わらないのだ。かと言って、これを日本語訳してしまうと「兵站」という言葉になってしまう。戦場において、兵士にいかに物資を供給するかという、まるで違った話になってしまうのだ。まあ、こんなことをぐだぐだ言うくらいなら、新しい言葉でズバッと言ってしまった方が早いし正確だということだ。
2003.05.19 (Mon) 3:39:42
2003.05.19 (Mon) 1:56:29 世の中には、特に幸せな人も不幸せな人もいないと言う。幸せに見える人もどこかに不幸な部分を抱えているし、不幸のどん底に落ちているような人でも幸せの種は持っているのだそうだ。 本当だろうか。不幸な人はどこまでも不幸だし、本当に幸せなら、不幸など抱えたりはしないのではないだろうか。 僕は物質的にも恵まれているし、精神的にも常に余裕のある日々を送っている。余裕がありすぎて何とかしないと、という気になれないが、それはつまり、現状が十分幸せであって、改善の余地がないということだ。将来はどうなるか分からないという不安はあるが、今は十分すぎるほどに幸せだ。もちろんこれは僕の力で成されたものではない。両親を初めとした多くの人の努力によって、僕という人間が幸せな生活を送ることができるのだ。先人たちはみな、豊かで満ち足りた生活を求めて努力を重ねてきた。今、僕が享受している生活は、その理想を具現化したものに他ならない。 食うに困らないなど当然だ。欲しいものがあれば大抵は、たいした努力もなしに手に入る。多くのものにたいして値段を下げる努力がなされ、多くのものの値段が、実際に下がっている。技術は加速しながら進歩を繰り返し、今や、新発明のものが1年もたてば手元に普通に届く。青色発光ダイオードは世紀の大発明といわれたにもかかわらず、今や珍しくも何ともない。LEDと言えば、すべての可視光を表現できるのが当たり前なのだ。
僕に便利な生活を提供する技術は進歩し続ける。生活の環境は、歴史上類を見ないほどに整備されている。今までそのような生活を享受してきた人間はみな、その立場を維持するために多大な努力を強いられてきた。しかし僕は違う。この生活が当たり前であり、別段の努力など必要としない。そういう世の中なのだ。
だから僕は、幸せなのだと思う。幸せとは何かということをあえて考えずにいるが、一般的な感覚で言えば、そういうことになるのではないだろうか。 ああ、もう遅い。早く寝なければ…。
2003.05.19 (Mon) 2:50:44
2003.05.18 (Sun) 16:08:25 気づけば金曜日から書いていない。ボーっとしているとすぐに時間がたってしまう。嘆かわしいことだ。 最近、大学に行っても家にいても、まったくやる気がしない。何かをやらなければならないという必然性もまったく感じない。どうしたものか…。まあ、どうしたものかもへったくれも何もない。やらなければならないことをやるだけなのだが。 この日は、2限の講義に少し遅れていって、それからそこであった友人と昼食をとって、研究室に行った。研究室では友達の手伝いばかりしていて、自分の仕事は結局何もしなかった。このままでは卒論なんて完成しないぞ…。どうにかしないといけないが、どうにもならない。やらなければならないことの道筋が見えない。今だって、こんな日記を書いている場合ではないのだが。
結局、どうしてもやる気がしないのであきらめることにした。やる気がしないことは今までもあったが、何も手が着かないほど無気力なのは初めてかもしれない。それでもやっていかないと、どうにもならないのだが…。こういう場合はどうすべきなのかな。なんでもいいからやるべきなのか、それとも、絶対に一番重要なことにこだわるべきなのか。卒論はやらなければならないが、ずっと前から小説を書いてみたいと思っているし、Javaをせっかく勉強したのだから、ゲームも作ってみたいと思っている。その点、どうすべきか…。 まずはやりたいこと、やるべきことをリストアップするか…。
- 卒論関係。船舶群行動シミュレータを開発する準備。目的、要件定義、それに伴うオブジェクト設計。
- 小説。世界観の整理と執筆。HTMLがベストか?
- ホームページ。コンテンツを考える。
- Javaのゲーム。基本となるオブジェクトを設計して、アプレットでどこまでできるかを調査。サーバを使用可能と思われるので、場合によってはオンラインで。
こんなところか。一番手をつけやすいのはホームページだが、内容がないものはどうしようもない。いったい何を載せるか…。この日記に書いてあるようなことであれば、日記に書けばいいのであって、あえてホームページにする必要はないんだよな…。情報として有意義なものだといいが、さすがに有意義な情報を発信できるほどものを知っているわけではない。高望みはしない方がいいか。HTMLやJavaについて整理して、まとめておくと便利かもしれない。一応、誰でも知っているものではないし。できれば小説も載せたいところだが。
昔は日記を書く程度のことは苦に思わなかったものだが…。なんだろう。ゲームをやっているせいだろうか。ゲームをやるとやる気が失せるというその論理がまったく理解できないが。限られたエネルギーをゲームで消費しているのかもしれない。しかしそうだとすると、まだ21歳にもかかわらず、ゲームですべてのエネルギーを消費して何もできなくなっていると言うことになるが…。ちょっとゲームをやめてみるのも手かな。もしやめられないようなら依存しているということが分かるし。さすがにそんなことはない、と思いたいが…。
2003.05.19 (Mon) 1:52:17
2003.05.16 (Fri) 0:32:03
今日は、11時頃からずっと研究室にいた。と言っても、ボーっとしていたり人の手伝いをしたりで、自分のことはほとんど何もしていないのだが。
14時くらいまでは男の同級生と女の同級生が一人ずつ来ていて、僕を含めて計3人いた。しかし、その男の方が帰ってしまって、二人きりになってしまった。PCくらいしかない研究室。本来、向かいには技官の人がいるはずなのだが、少なくともこの日は来ていなかった。他の研究室まではかなりの距離がある。50メートル近くあるのではないだろうか。まあ、その部屋は2階なので、1階までだったらもっと近いが。とにかく、周囲に人の気配すらなく、鉄の扉で完全に閉め切られた研究室に二人きりでいて、僕はひどく緊張してしまった。…が、どうやらそれは僕だけだったらしく、その同級生は、僕が見る限りではなんのためらいも感じさせなかった。そういう状況になれているのか、それとも鈍いのか、あるいは、そもそもそんなことでいちいち緊張したりする方がおかしいのか…。こう言ってしまっては語弊がありそうだが、僕が魔がさして何かをしようとしたら、止められる人はいないような状況だったのだ。…そんなこと、いちいち気にしないものなのかな。これが彼女だったらどうだったんだろう、と思ってしまった。
13時頃、僕は食事をするために研究室を離れた。そのときに、どういう経緯だったのか忘れてしまったが、その人も着いてきた。で、コーヒーをおごった…。どうもそれが目的だったように見えなくもなかったが…。そのあと、その人はもう食事をしていたので、僕だけ固焼きそばを買って食べた。その人のお薦めだ。実は一昨日も食べたのだが、今度は時間が遅かったためか、作りたてでかなりおいしかった。ちょっとラッキーだったかもしれない。
で、結局、そのときからずっと一緒だったわけだから、ほとんど半日一緒にいたわけだ。講義のあるときは、それほど仲がいいわけでもない人と半日もずっと一緒にいるなんてあり得なかった。研究室が違う人とは本当に縁がないが、逆に研究室が同じだと、これだけ長い時間一緒にいることになるわけだ。…彼女と一緒なら、と、また、意味のないことを考えてしまう。しかしまあ、半日一緒にいただけで、この人、俺のことが好きだったりして…。などとふざけた妄想を抱くくらいだから、あんまり近くにいない方がいいのかもしれない。もうちょっとつきあいが長くなったら、そういうことも万一としてあり得るかもしれないが、まあ、今はあり得ないことだろう。間違っても、勝手に勘違いして迷惑をかけるようなことはしないように…。
ただ、この同級生に限ったことではないが、大学に入ってから、周りの人の距離感に、かなり戸惑っている。高校の頃は、話すと言っても、露骨に他人に対する話し方だった。しかし、今はほとんどの人から強い親愛の情を感じる。僕は相当鈍い方だが、それでも明らかに感じる。距離感を置いて話すような人も少しはいるが、そういう人に対して、かえって違和感を感じてしまうほどだ。置かれている立場と見る目の違いかな…。高校の頃は、僕は本当にパッとしなかった。それに対して、その頃とそう変わってはいないが、相対的に学力で上の方に来た。…要するに、高校の仲間の中ではかなりランクの低い大学に入ったということだが。上から見て4分の3くらいの位置にいたのが、5分の1くらいまで上がったのだから、だいぶ変わった。あと、前の方に座らないと字が見づらかったり講義に集中できなかったりするので、いつも前の方に座っていた。それで今までよりも目立つようになったのだろう。で、なんとなく優等生っぽく見られるようになったのではないか。まあ、こんな分析をしてもしょうがないのかもしれないが。
ちなみに、優等生っぽいイメージは持たれているようだが、僕は優等生ではない。なんと言っても、ちっとも努力をしていないからだ。前から何度か書いているが、ほとんどの試験で、僕が勉強なんてろくにしていない。普段の講義を聞いておいて、日記に書いたりしてある程度その内容を整理する程度だ。だが、こんな日記でも、何もしていないのと比べれば雲泥の差だ。いざ論述をする段になって、ブルーバックスを読みまくり、よく分からない日記を書きまくっている成果が発揮される。そこそこ科学的な記述に慣れているために、高校までどころか、大学に入っても論述の訓練などしたことがない学生の中では、文章で優位性を示せるわけだ。そして、講義の内容をある程度覚えているので、それをうまく示せばいい。大抵の試験では、講義で扱った内容をすべて覚えていることなど要求されないので、ある程度覚えていて、それと自分の意見を織り交ぜて示せれば優はもらえるわけだ。と言っても、もちろんこれはちゃんと理解しているわけではない。いわば、他の学生と比べれば相対的にマシな文章力で点数を稼いでいるに過ぎない。内容を深く理解しているわけではないのだ。まあ、たまたま理解できた話はあるが、体系的にまとめて理解できた講義となると、そう多くはない。
だがこれは、僕にとっては単に簡単に単位が取れて嬉しいという話だが、十分に優秀な学生にとっては大きな意味を持つ。だいたい、優秀な学生というのは、講義で話される程度の内容では飽き足らないものだろう。とはいえ、大学に所属している以上、単位は取らなければならない。だが、このような状況であれば、講義だけ聞いていれば、あとは適当な考察を示すことで単位を得られる。それ以外のことに手を出す余裕が十分にあるわけだ。この時間を利用して、どれだけの学生が多くのことを学んだのだろう。アメリカ式の卒業しにくい大学では難しいことだ。良いと評価されていても、必ずしも良いことばかりではないということだ。だいたい、世界の先端を行くような技術は、講義では身に付かないだろう。マニアがひたすら時間をかけて没頭することで身につけるものだ。
そうそう。見たくはなかったのだが、父が見ていたので仕方なく、ワイドショーを見ていた。そうしたら、座礁した外国船を指して有事などと言っていた。…日本は平和な国だ。政府が戦争の危機に備えて方策を練っているこの時期に、外国船が座礁した程度のことを有事などと言っていられるのだから。正直、今の有事法制には賛成しかねるし、備えれば憂いが生ずるという意見には一理あると思うが、それにしてもこの平和ボケはいかがなものだろうか…。大学にいると、教授というのはすごい人なのだと実感できるが、ワイドショーなどを見ると、教授を含めた有識者というのはなんて頭が悪いのだろう、と思わされる。まあ、これは視聴者がこのレベルだと判断し、そういうコメントで構成されている番組が問題なのだが。視聴者は、自分がそれほどまでに低いレベルだと認識されているということに気づき、このような番組を見ないようにすべきだ。情報としての質が低すぎるし、何より、視聴者をバカにして作った番組に、見る価値があるとは思えない。批判が絶えないのにいつまでたってもなくならない原因はただ一つ。多くの人が見るからだ。まさか、本当に視聴者のレベルが、ワイドショーの作成者が考えるほど低い、などということはあり得まい。
2003.05.16 (Fri) 1:25:36
2003.05.14 (Wed) 20:30:30
宗教と民族
新聞を読んだら、日本には宗教と民族の問題がないと書かれていた。まったく、幸運なことだ。この問題がなかったことで、どれだけの悲劇が避けられたのだろう。どちらにも功罪があるのだろうが、どう見ても罪の方が多い気がする。僕の知り合いには、圧倒的に無宗教の人間が多い。宗教者に話を聞いてみたいものだが、残念なことに、普通に話をする人の中に、まともに宗教を信じている人など一人もいない。だが、科学の世界である大学にいる人間なら、それでいいのではないだろうか。例え大学がキリスト教の教えを体系化するために設立された施設だとしても、それは遠い昔の話であって、現代とはほとんど関わりのないことだ。
で、宗教はまだ理解ができる。全知全能の神に救いを求めるのは、人間としてごく自然な発想だろう。しかし、民族の問題は本当に理解できない。顔つきが似ていたり、肌の色が同じだからと言って、なぜ連帯感を持てるのだろう。はっきり言って、逆は理解できなくもない。自分と異質なものを避けようとするのは、ある程度仕方のないことだろう。もちろん、それを乗り越えるための努力は必須だ。優生学のことについても書いたが、自分たちの民族が優れていて、他が劣っているとでも言うのだろうか。これだけ様々な人種がいれば、何か1つにおいて優れている人種があったとしても、全体として優れている人種など、存在し得ないだろう。また、たった一人でも全神経を集中して仕事をできるような素質を持った人と、多くの人間と協調性を持ってつきあい、全体として大きな仕事ができる人は、どちらも非常な価値がある。だが、この両方の資質は両立できないものではないだろうか。人類には多様性が必須なのだ。なのになぜ、他を拒絶するのか。
人知れず病に苦しむ人たち
今日は、普段話をしない人と話をすることができた。今後もなかなか話す機会などないだろう。そういう意味でかなり嬉しかったし、貴重な体験だった。印象に残ったのは、病気の話だった。割と偏見を持たれるタイプの病気だったのだが、それをよく話してくれたものだ。初めは少し躊躇していたようだったが。僕ともう一人友人がいたのだが、二人とも信頼されたのだろうか。日頃割と脳天気な雰囲気だったので、とてもそんな病気に悩まされているとは気づかなかった。
あとは、いろいろな人と話すたびに聞ける、僕の意外ないい評価…。もちろん、本人の前で悪口を言うとは思えないが、根も葉もないことで誉めてくれることはないだろう。ちなみに、その内容は「意外と話しやすい」ということだったのだが。よくよく考えてみると、誉められているのかけなされているのかよく分からない。まあ、中分けの髪にメガネをかけ手前の方に座って、理屈っぽいことを延々と語っていれば、話しにくそうという印象を持たれても不思議ではないが…。ただ、自分でこう言うのも変かもしれないが、僕は割とくったくのない方だ。細かいことは気にしない。まあ、限度を越えて気にしないために、完全に忘れ去ってしまうことも少なくないのだが…。細かくないことも気にしないという良くない性癖もある。まあ、だから、細かいことでいちいち言われると思って僕と話すと、確かに意外な印象を受けることもあるだろう。ただ、僕は少々どころでなくオーバーアクションの傾向があるので、その辺でどういう印象を持たれているのかが問題だが…。普通、よほどのことがない限りのけぞって笑うなんてことをしないと思うのだが、僕の場合は日常茶飯事だ…。
まあ、僕の評価はともかくとして、くったくがないという意味では僕の上を行くような明るそうな人が、病気で苦しんでいるというのを知って、かなり意外に思った。みんな、それぞれ悩みを抱えて生きているんだというのが実感として迫ってくるような気がした。もう長いから…、などと言っていたが、長ければ大丈夫というものではないだろう。深刻な症状を笑いながら語れるその強さに、僕は心の中で舌を巻いた。
やはり、人はそれぞれ、見ただけでは伺い知ることもできないようなことを抱えているものだ。僕もやはり、他の人から見たらそうなのだろう。基本的に自分のことはストレートに表現しているつもりだが、それでも、話したこともなければ分からないだろうし、ストレートなつもりでも、相手には伝わっていないかもしれない。
2003.05.14 (Wed) 20:56:07
2003.5.13(Thu.) 13:39
今日は昼間から大学で。やらなければならないことがあるのだが、どうもやる気がしないので。勢い込んで大学に来ても、やらなければ意味がないよなあ。
朝は割とすっきり目覚めた。珍しいことだ。やはり、2回目の目覚ましがあるからと言って1回目の目覚ましを止めたあと寝てしまうと、寝起きは最悪になるようだ。あとは、寝る前に飲み物を飲むことを忘れないことだ。何か飲んでおけば、トイレに行きたくなって自然と目が覚める。あまり体に良くないかもしれないが、寝起きには代えられない。
最近はあまりにPCに向かう時間が長い。だから、どうも目が疲れている感じが抜けない。視力も下がってきたし。かと言って、現状では何をやるにしてもPCから離れられない。大学の研究にしろ、家で遊ぶにしろ、結局は同じことだ。姿勢を良くするよう、心がけるとするか。
朝、大学まで電車で来たのだが、新型車両が来たのでそのまま乗ってしまった。だがそれは各駅停車で、そのまま乗っていては倍近く時間がかかってしまう。しかし、隣に座っている人が美人だったので、しばらくそのまま座っていた。…僕もなかなかに頭が悪い。まあ、男なんてそんなものだ、と思うことにする。
そのあと、研究室に行こうと思ったのだが、その前に健康診断の再検査を受けに行った。掲示が出ていたのが4月30日なのでかなり遅いが、まあ、履修申請のように、期限を過ぎていたとかそういうことではないので問題はあるまい。そもそも、至急という記載があっただけで、期限などは記されていなかったのだが。
レントゲンに何か出ていたのかと思ったが、そういうわけではなく、立ちくらみということで確認のために呼ばれたらしい。最初の健康診断と同じような問答を繰り返して終わりだった。医者がくるまでに少し待たされたが、まあ、問題はあるまい。そのときに時間つぶしに読んでいたブルーバックスの本はあまりおもしろくなかったが。どうにも感情的に過ぎる気がした。人間行動遺伝学かなんかだったと思うのだが、優生学の流れを汲む学問で、かなり批判の対象になりやすいらしいのだ。
では、そもそも優生学とは何か。僕は専門家ではないので詳しいことは知らないが、イメージを浮かべるためにはヒトラーを思い浮かべるといいだろう。アーリア人種は優れていて、ユダヤ人種は劣っている。まあ、結論としてこのようなものがくるのが優生学だ。と言っても、ユダヤ人が劣る、などというのが科学的な手法によって得られた結論だとは、到底思えないのだが…。歴史を見ても、ユダヤ人には歴史に名を残すようなきわめて優れた業績を残した人が何人もいる。アインシュタインがいちばん有名だろうか。
で、この優生学はそもそも進化論の流れを汲んでいる。進化論については説明の必要はないと思う。突然変異や有性生殖などで限りなく多様化した生物は、その環境に適応したものだけが生き残るとするものだ。今になってみれば当然のように思えるのではないだろうか。しかしこれは、19世紀最大の研究と言われ、その当時の社会に大きな影響を与えたらしいのだ。なんと言っても、キリスト教の「世界は神が創った」という価値観を覆したことが大きい。それ以外にもいろいろあるようだが。
とまあ、進化論の考え方を受けて、「優れた人間が生き残り、劣った人間は排斥されるべきだ」というのが優生学の論旨だ。実際は違うのかもしれないが、少なくとも一般にはこのような認識を持たれている。当然、受け入れられるはずもなく、また、受け入れるべきではないと思う。んで、人間行動遺伝学がこいつの流れをどう受け継いでいるのかと言うことだ。この学問は、人間の行動には遺伝も影響すると言う考えが基本姿勢らしい。つまり、同じような環境で同じように生活しても、その結果として現れる人間(表現型)は異なると言うことらしい。この原因として、その人固有の遺伝子が影響するのではないかと言うことだ。で、これを主に一卵性双生児に対する実験によって証明しようとしている。言っていることはもっともで、研究としても意義があるのではないかと思うが、その表現があまりに感情的過ぎて、読んでいて不愉快になる。どうやら、優生学の流れを汲むせいで必要以上に批判されているようだ。まあ、それ以外にも、データの捏造だとかいうスキャンダルがあったらしいのだが…。
この筆者が強調していることは、遺伝子が影響するからと言って、遺伝子によってすべて決まるわけではないということだ。これもそれほど受け入れにくい意見ではないと思う。極端な話、どれほど話術に適した遺伝子をもっていたとしても、まわりに英語を話す人間がまったくいず、英語を学ぶこともまったくなければ、英語を話せるはずもない。遺伝によって引き継がれた能力をどれほど引き出せるかが重要なのだ、とのことだ。身体的特徴だけでなく精神的な部分も遺伝することは確かであり、これを認めるべきだとしている。
実は日本の教育自体、いや、日本に限らず教育ということを行う場合のほとんどで、このようなことが意識されている。遺伝がどうとかという話ではなく、才能があるならば引き出す、ということだ。日本の場合は教育勅語にそのような記載があり、現在では表で議論するのはタブーとされているようだ。ちなみに教育勅語に記されていたのは、子どもを5%のハイタレントと95%のロータレントに区別し、その5%のハイタレントが国を導くべきだ、などというものだ。このようなことは、古くはプラトンのころから言われているそうだ。プラトンというのはアリストテレスの師匠だ。
まあ、要するに、性格自体は遺伝しないが、その資質は遺伝するということだ。将来神経質になりやすい傾向が見られる、とかそういうことだ。統計的な処理で、このような人間の性格がどの程度の部分、遺伝に由来するものなのかも示せるらしいが…。
なんだか支離滅裂だ。頭がまとまらない。研究室では集中できないのだろうか。あまりに刺激がなさ過ぎるのかもしれない。殺風景な部屋にただPCが並んでいるだけだからな…。自分ひとりでは気楽に部屋も出られない。やはり誰かにいて欲しいものだ。さびしいのではないかという危惧は見事に当たったと言える。
独りなんだからと、ためしに床に寝転がったりしてみたが、やはりそんなことをしても何にもならない。本当に、どうしようか…。家で一人でいてもなんとも思わないのに、研究室に一人だと、これほどさびしいとは。意外だが、どうしたものか。
さしあたり、きつい作業はなしにして、HTMLやJavaScriptでもやってみるとするか。
2003.5.13(Thu.) 14:44
2003年05月12日(月) |
利用する者、される者 |
2003.05.13 (Tue) 1:07:56
今日は、研究室での集まりがあった。しかし、体調不良で一人休んだ上に、連絡するのを忘れていて、もう一人来なかった。…何をやってるんだか。体調不良はどうしようもないが、もう一人の方は僕のミスだろう。連絡係は僕になっていたのだから。Webページに書いただけで安心していたのがいけなかった。
12時半の集合だったので、12時に大学に着くように家を出た。本当はもっと早く着きたかったのだが。
ああ、こんな時間なのに疲れている。やはり大学に行くと、疲れ具合が違うのかもしれない。
それで、東京駅に着いた頃、その研究室の同級生からメールが来た。東京駅から大学までは2駅しかない。すぐそこまで来ていたとき、ということだ。寂しいから来てくれ、と。前回もそんなことを言われたような…。僕は基本的に、他人のために動くのは嫌いではない。それに、女の子から頼られるのは悪い気分じゃないし。いや、まあ、8割方こっちが理由かな…?「なるべく急ぐ」とか返したら、「きゃっ(^0^)だいちゅき☆」と返ってきた。…な、なんだか。もしかして僕は、本当に誰でもよくて、ただ利用されてるだけなんじゃないかと。そう思えてきた。いや、たぶんそうだろう。別にそれでも構わないと思うのは、プライドがなさ過ぎだろうか。
その同級生は、学食近くのラウンジで固焼きそばを食べていた。350円で、この学食では一番おいしいそうだ。割と派手で、まあ、ちょっとチャラチャラした感じの人がラウンジに僕を呼んで固焼きそばを食べているというのもなんだか不思議だ。入学した当時は、僕なんかにこの人と話す機会なんて、絶対ないだろうなと思っていたが。まさか同じ研究室になるなんて。先週と三週間前の水曜日に出てきた人もそうだが、入学した頃に気になっていた人とは一通り話ができた。普段は消極的なのに、女性が絡むと少しだけ積極的になれるようだ。まあ、今日の同級生の場合、研究室が違ったらやはりほとんど話さなかったのではないかとも思うが。
大学生活と銘打っているので、少しその点を見ておこうと思う。どうも数少ない感想を聞くと、大学生活のことよりも、僕の主義主張についての意見が多いのだが…。もしかして、大学生活の話よりも、僕の主張の方が読んでいておもしろいのだろうか?
それはそれとして、とにかく大学生活だ。他の大学は知らないが、少なくともうちの大学の場合、4年生になると授業の数が大幅に減る。文系では3年から減るという話もあるが、理系ではそんなことはない。3年生もぎっちりだ。3年後期は就職活動と重なって修羅場になる。彼女も大変そうにしていた…。まあ、それはいいとして、4年になると、生活の中心は研究になる。僕の場合は、比較的暇な生活を過ごしている。しかしこれは割とまれなパターンで、研究室にもよるのだが、この時期は基礎を鍛えるために、相当忙しい生活をしている研究室が多い。そもそも論文というのは、過去の論文を見ても書かれていないような、独創的な内容というのが最低限必要になる。従って、過去の論文に目を通すという作業がどうしても必要になる。…本来は。だが、学部学生はそんなことをやっていられないので、あらかじめそういう問題が起きないテーマを、教官が選んでしまう場合が多いようだ。もしどうしても卒論で研究したいことがあるなら、そういう研究室を選ぶか、事前に教官に言っておくことだ。時期としては大学にもよるが、研究室配属の説明が始まった頃がよいだろう。ただその場合、過去の論文を調べて自分のやりたいことをやっていないかどうかを調べたり、あるいは、過去の論文から自分の研究に使えそうな部分を探したりという作業が必要になる。
このような形で研究室での生活をするわけだが、そのときに、他の研究室の人とはほとんど会わない。もし同じ講義を取っていなければ、1週間に1度も会えないと言っていい。彼女は水曜日の講義を取っているので、会うことができるのだが…。だが彼女は、研究が忙しそうな上に就職活動もまだ続けていて、しかも講義がかなりつまらなそうだった。来なくなるかもしれないな…。まあ、そうであればそれは仕方のないことだ。
とにかく、人との交流が極端に少なくなる。3年生の頃にそうなるんじゃないかと不安に思っていたが、まさに予想通りだ。仲のいい友達とはメールなどで連絡を取り合っているが、逆に言えば、そうでもしなければなかなか会えない。同じ研究室に所属していても、講義を取っていなければ研究室の集合時間が伝わらないほどだ。まあ、これは上にも書いてあるとおり、メールなりなんなりで伝えなければならなかったのだが。
そんなわけで、今は少々鬱だ。まわりにたくさんの人がいて、普通に話せていた頃が懐かしい。いずれ慣れるのだろうが、今はまだ…。インターネットの人間関係に依存しそうな気もする。正直、研究室の同級生には救われている。本来は一緒にやるはずの人たちではなかった。しかし、その人たちを担当している教官と、僕を担当している教官がたまたま仲が良かったために一緒にやることになったわけだ。
ちなみに、僕の担当教官は、かなり評判が悪い。師事してみて分かった。理由は簡単。何も教えてくれないのだ。教官によっては、毎週の予定をきっちり組み上げ、何度も発表を繰り返し、そのために厳しい批評を繰り返すということをする。たとえば、彼女が所属している研究室がそうだ。僕から見ればスパルタと思えるくらい、ハードに基礎をたたき込まれている。当然上に述べた過去の論文を読むのは必須の作業となっている。他の友人も所属しているが、彼の場合は問題になるまい。性格に合っているようだし。叩かれれば叩かれるだけ強くなりそうなやつだし。でも、彼女はどうなのだろう…。心の強さは誰にも負けないんじゃないかと思うが、それでも、心配になる…。僕が心配したってなんにもならないことは分かっているのだが。まあ、彼女のことはともかく、厳しく基礎からたたき込まれるわけだ。
こういう研究室だけでなく、確かに基礎をたたき込まれるのは確かだが、雰囲気がまったく別物という研究室もある。学生が院生なども含めて自主的にレポートを作成し、それを論評し合うことで理解を深めるという形式を取っている。これは、上記の研究室と違い、取り扱う問題について理解しているのが教授だけ、という特殊な状況でないから可能なのだと思う。ちなみに、上の研究室ではとにかく流通の専門分野を扱っており、次の研究室では統計学の基礎を学んでいる。学ぶ内容が違うから、やり方も違うわけだ。
僕の研究室では、そもそもJavaというのを教官が知らない。従って、自分たちで勉強する以外にはない。教えてもらったりなどできないわけだ。その代わりに、やりかたについては基本的に教官側から口は出さないというのが方針になっている。ある意味で学生を信頼し、任せていると言える。その一方で無責任とも言える。無責任だから評判が悪くなったのだろう。これは、学生側の姿勢が問われるところだと思う。とにかく、どんな方針だろうと教授は教授だ。別に話を聞きにくいわけでもない。従って、学生側にやる気さえあれば、やることを強制される研究室よりも良いのではないか。もちろん、強制を否定するつもりはない。そもそも研究内容が違うのだから、どうしてもやらなければならないことがあるのは当然だ。そしてそれが、僕たちの場合は、自分自身でやらなければならないということだ。
弟がうるさいと言うのでこの辺にしておく。日記の題名に関することを書いていないが…。
2003.05.13 (Tue) 2:28:44
2003.05.12 (Mon) 0:54:06
地震だ。0時57分50秒ってところか。震度は2かな?久しぶりのような気がする。
で、朝方の電車に乗ると、…ん?まだ地震が止まらない。1時ちょうどにまた来たな。今度は震度1ってところか。まあ、それで、朝の電車に乗ると、妙に遅く走るのを経験したことがないだろうか。あれは、混み合っているために渋滞のようなことが起こるのだが、それでなぜスピードが落ちるのかということだ。実はこれは、スピードが上がると、安全確保のために車間を広くとる必要があるらしいのだ。そのために、車間を狭くして、短い間に多くの電車を走らせるには速度を落とす必要があるのだ。と言っても、スピードを落とし続ければいずれ止まってしまうわけで、それでは人は運べない。よって、安全のための車間距離を広く空けては多く運べないし、速度があまり遅くても多く運べないということで、人を最大限運べる速度というのは決まっているらしいのだ。それはせいぜい時速40キロメートル程度なのだそうだ。道理で、混むと遅くなるわけだ。
思いついたときはおもしろいと思ったのだが、こうやって書いてみると、どうでもいいように思えてくる。だから日記は、なるべく帰ってすぐ書くといいんだよなあ。なかなかそうも行かないのだが。
2003.05.12 (Mon) 1:10:05
2003.05.12 (Mon) 0:24:37
土日は、本当にこれと言ったことはしていない。あえてすることもないからいいのだが…。日記を書くには困る。
まだ書いていないネタから…。実際見たことはないのだが、世の中には、好きになった女性にあの手この手で接近し、口説き落としてしまうという人が存在するらしい。前はそんなこと、どうでもいいと思っていたが、実際自分がそういうことをできる立場になると、そういう人はなんてすごいのだろうと驚かされてしまう。もしかしたら僕も、無理に押し通せば口説き落とすということができるのかもしれない。だが、そのあとに、その人を幸せにできるのか。自分と一緒にいて、相手が不愉快に思わないか、などと考えたりはしないのだろうか。なんとも、恐ろしいほどの自信だ。まさか、何も考えていないだけということはないと思うが…。まあ、理屈よりも感情で動くような人だって、好きな人のことだったら少しは考えるに違いない。好きだからこそ、何も考えられない、という人もいるのだろうか。
僕には、なぜできないのだろう。やはり、自信がないからだろうか。それよりも、そもそも僕はそんなこと、望んではいないのかもしれない。恋人としてつきあうだけがすべてではないだろう。それ以上に、おそれているのかもしれない。それでもダメだったときのことを、無理に押し通して彼女が悲しむことを、すべてがうまく行って、慣れてしまって気持ちが色あせることを。
自分の価値観というのは、どこまで大事にすべきなのだろう。この世の中でもっとも大事なのは自分であり、すべてに優先するのは自分の価値観なのかもしれない。確固たる自分を築き上げ、その自分の価値観をどこまでも貫くことが理想なのかもしれない。であれば、僕はそんな無理をするべきではない。そもそも僕はそんなやり方、好きではないからだ。価値観、か…。より価値のあると判断したことのためなら、その他のことは犠牲にしてもいいのかもしれない。まあ、そもそも自分の価値観を考えるとき、いろいろなことを矛盾せずに考えられるような価値観を持つべきなんだろうな。
今、僕が持っている価値観は、果たしてこの世の中において、多くの人に認められる価値観なのだろうか。実際僕のしている行動はともかく、価値観自体は、ある程度受け入れられるのではないかと思っているが。どうなのだろうか。
2003.05.12 (Mon) 0:51:14
2003.05.10 (Sat) 12:52:46
昨日、大学の教官に頼まれて、PCのセットアップをした。しかし、設定をミスして、うまく使えるようにならなかった。ルータをリセットすればいいのだが、そのリセットの方法が分からなくなっていたのだ。で、この日にもう一度やり直して、ルータの裏側をジッと見ていたら、リセットスイッチを5秒以上押せという記述があった。それに気づかなかったのは、ルータの裏側というわかりにくい場所にあったこともあるのだが、それ以上に、それが英語で記述されていた、ということが大きい。DellのPCは優れているのだが、マニュアル類が英語で書かれているのは問題だろう。ちなみに、その教官が購入したのは、Dimension 8300 HTテクノロジ インテル(R) Pentium(R)4プロセッサ3GHz(FSB800MHz)パッケージだと思われる。何ともまあ、高いものを購入したものだ。さすがに僕が使っているPCとは、処理速度がまるで違う。
それで、昨日と今日の分の作業をバイト扱いにしてもらえることになった。ラッキーだ。あと、英語教材を作るから音声データをCDに焼いてくれと言われた。それも給料が出るらしい。貯金が減りつつある現在、これはかなり嬉しいことだ。
昨日はそれだけかな…。あとはまあ、朝に寝坊して、2限に遅刻したくらいか。もはや遅刻程度で動じなくなった自分が嫌になる。
最近、どうも空白の中にいるような、妙な感覚になることが多い。充実感がないといえばいいのだろうか。そういうのは嫌いではないので、構わないと言えば構わないのだが。毎日毎日大学で講義を受けて、だいたい決まった時間に大学に行って、決まった時間に帰る方が、今よりもよかったのかもしれない。疲れるのだが。やはり、講義に代わるものとして、バイトがあるといいな、と思う。やはりどうも、起き抜けはイマイチ調子が出ないようだ。落ち着いてはいるのだが、逆に感情的にならないから、あえて何かを書きたいという気分にならない。
2003.05.10 (Sat) 13:14:46
2003.05.09 (Fri) 1:19:13
この時間に書き始めている時点ですでに遅くなりそうな予感がするが、その点はあえて気にしないことにする。
今日は、本来は3限に授業を受けることになっている。しかし、研究室の友人が、課題を手伝ってくれと言っていたので、一緒に少しやってみることにした。Javaを用いてTOEICを作るというのがテーマなのだが、これが意外と難しい。音声を扱うためだ。基本的にHTMLは言葉を扱うための仕様であり、音声については十分な機能がない。そのためにJavaを用いることになったのだが、Javaにも音声に関しては、それほど多くのメソッドが準備されているわけではない…ように見える。実際にはあるのだが、とても僕に理解できるレベルではないのだ。Javaのサウンドの説明はあるが、見てもよく分からない。
そのあと、研究室に一緒にいる教官が、新しいPCを買ったからセットアップしてくれと言うので、ちょっといじってみた。最近のPCは起動するだけで使えるようになるので、その点はまったく問題はなかった。しかし、無線LANの方に少々手こずった。普通のワイヤレスブロードバンドルータが付属していたのだが、大学で使う以上、そのルータは大学の設定に合わせなければならない。このとき、DNSの設定をずっと間違っていたのだ。気づいたのはなんと、帰り際。何とも情けないことだ。しかたがないので明日も挑戦することにしたが。どうなるコトやら。
今日は、ずいぶん遅く出かけた。昨日、あんな時間まで日記を書いていればそれも当然だと思うが。まあ、それはそれとして、そんな時間に出かけていったので、普段僕が使っている駅のホームでは、1つのホームが完全に空いていたようだ。そこで、線路を磨く作業をしていた。あまり見られるものではないので、そこで少し見ていたのだが、そのとき、妙なものに気づいた。線路を磨いていたのだが、その傍らに置かれていたのは、なぜか食器用洗剤…。なぜ、そこに食器用洗剤?確かに、フライパンも線路も鉄でできているし、どちらも確かに油汚れが中心だろう。そうは思うが、それにしても違和感は否めない。
にしても、駅のホーム。喫煙所がなくなったのはとても嬉しい。禁煙時間なんてニコチン中毒の前では無力だったようだ。今まではとても効果を発揮していなかったのだが、喫煙所そのものがなくなったことで、さすがにタバコを吸う人はいなくなった。あとはJR…。当然のことだが、喫煙所付近は人が少ない。元々ホームの端にある上に、副流煙が大量に漂ってくるためだ。だが、僕はそこを使わなければならない。京葉線ホームには、そこが一番近いのだ。彼女が使っている出入り口は中央付近なのでそこを使おうかと思ったことがあって、帰りはそちらを使っているのだが、さすがにそんなところで偶然の出会いを期待するのもばかばかしいので、行きではやめている。時間が若干厳しいし。
ところで、昨日寝る前に布団に入って、ふと考えた。僕のイメージだと、男と女が全然違って見える。まあ、これは、別に僕に限ったことじゃないだろう。多くの人が、そういうイメージを持っているだろう。この布団の中で考えたのは、欲望のイメージ。男にしろ女にしろ、だいたいの人が何らかの欲望を持っているだろう。僕にしたって、漠然とはしているが、それでも欲望というのがある。で、僕から見た場合、男と女ではこの欲望のイメージが違うのだ。女の人は、いい意味でも悪い意味でも、欲望が純粋だと思う。あれこれ考えないで、こうだと思った方向に突き進む、というようなイメージがある。打算的な人もいるだろうが、そういう部分も含めて、割とはっきりしていると思う。逆に、自分も含めて男はよく分からない感じがする。本当に純粋にただ一つのことが好きだという人がいる一方で、好きだということにあれこれ理由があったり、本当に好きなのかなんなのかがはっきりしない、というようなイメージがある。もやもやとよく分からない。けどまあいいや。そのままでもなんとなく分かる、と考えるのが男で、そんなのは許せないのが女だという気がする。
なんか、弟がこの日記を誉めてくれた。前もそういうことがあったのだが、なんだか意外だ。僕と弟は、4月27日にも書いたように、かなり違う点も多いのだが、根幹の価値観は相当似ているようだ。少なくとも僕は、誰でも同意できるような、無難なことばかりを書いているつもりはないし。
価値観…。こうやって日記を書いて自分の考え方を確認することで、僕の価値観はまとまって、自分というものを形作り始めたのだろうか。僕は「本当の自分」というのは、価値観の集まりだと思う。これに対してはこう思う。あれに対してはああ思う。それはいいが、あれはよくない。そんな、いろんなコトに対する価値観の集まりこそが、自分というものの本質ではないだろうか。逆に、ある人の価値観を理解できれば、その人のことを少し、理解できると思う。すべてのことに対する価値観など知ることはできないのだから、他の人を完全に理解することなどできないのだろうが。
明日は7時起床。きついな…。
2003.05.09 (Fri) 3:04:40
2003.05.07 (Wed) 18:48:24
僕は、人に信じてもらえるような人間なのだろうか。自分で自分を信じられないところから考えると、その点に関しては、大きな疑問符がつきそうだ。
自分で自分を信ずるに値しないと考えているのに、人の信頼を得たいと考えている。これほど虫のいい話もないが、僕は今、そういう状況にあるようだ。彼女に対して強い劣等感を感じながらも、彼女の信頼を得たいと思っている。矛盾なのは分かっているのに、自分を信じられるようにはなりそうにない。と言っても原因は哲学的なものでもなんでもなく、単に、いまだに課題をこなせていないからなのだと思う。難しいことを言ってみたところで、結局は目の前の事象に振り回されるしかないのだ。
ある人と話していて、僕はその人に信頼されているのかどうかと、ふと考えたのだ。詳細は省く。その人のプライバシーに関わるし、その人と僕を両方知る人がこの日記を読みに来ているからだ。で、まあ、その人は、僕がここに書いたらまずいんじゃないかな、と思う程度のプライベートな話をサラッとしたわけだ。それはどういうことなのだろうか。信頼の証か、その人が自分のことについて配慮を欠いているのか。
前回話したときも同じようなことを考えた。僕でなくても誰でもいいのか、それとも僕だからこそ話してくれるのか。まあ、とりあえず言えることは、彼女よりも僕のことを信頼してくれているのではないか、ということだ。彼女にはどうも警戒心のようなものを感じられる。壁を立てて、他人だと言うように区切っているのを感じる。他の人だと、そうなる前に僕が離れているにもかかわらず、そこを強引に近寄ってくる印象を受けるのだが。追うから逃げるのか?逃げるから追われるのか?よく、分からない。
ところで、少しJavaScriptの勉強をしてみた。とほほのWWW入門にあるとほほのJavaScriptリファレンスに目を通しただけだが。僕が見る限り、このページは極めてよくできていると思う。僕がそんなことを言わなくたって、よく知られているWebサイトなのでご存じの方もいるとは思うが。アクセス数は、僕が見た時点で14,092,232。正真正銘の人気サイトだ。
知り合いのサイトを見て、ちょっとまた100の質問をやってみた。いくつめだろう。今度は題名からして嘘っぽいが。3月27日の日記だ。ああ、疲れた。そんなことをやっているうちに4時になってしまった。信じられないな。早く寝ようと思ったのは昨日だけか。彼女を見習うのはどうしたと言うのか…。
ダメだ。眠い。また明日、いろいろ考えよう…。
2003.05.08 (Thu) 4:23:11
2003.05.07 (Wed) 0:42:57
今日は大学へ行こうと思っていたが、遅かったのでやめておいた。ウィークデーだと言うのに。恥ずかしくて日記に書けないような生活は、すべきではないな。本当に。
今日は近くまで出かけていたのだが、その帰り道、フッと思ったことがある。今になって冷静に考えてみるととんでもないことのように思えるが…。まあ、気分が悪くなることは間違いないので、なんだこりゃ、と思ったら途中でやめることを勧める。
僕としてはこの日記、ときどきかなりとんでもないことを書いているつもりでいる。社会一般の常識から見てどうなのかと思うようなことも平気で書いている。で、ここは一つ、それが極端になったらどうなるのかと考えてみよう。まあ、要するに書くことがないのだが。
先日書いたのだが、父が帰ってきて以来、僕の生活は一変した。実際はなあなあでどうにかなっているのでそれほど変わってはいないのだが、僕の生活は完全に父に掌握されているのだ。もっと平たくいえば、僕は父の一存で、食べていけない立場になるということだ。
そのとき父に、「うるさいな、いい気になりやがって。だったらあんたの世話になんかならねえよ。」と言ってやったらどうなったのだろう。酔ったときの父の性格から考えて、売り言葉に買い言葉ということになるだろう。「だったら出て行け!」となるだろうな。実際、これは言われたし。で、まあ、僕としては、そこで出ていってはつまらないわけだ。「うるさいやつだな…。自分が一番えらいと思いやがって。お前、俺をなめてるんじゃないのか?」となる。まあ、その時点で拳が飛んでくるだろうな。この辺の場数は、僕の方が極端に少ないので、これを回避するのは無理だろう。為すすべもなく、僕は吹っ飛ぶわけだ。で、ここでおそらく父は躊躇する。踏んできた場数が仇になるわけだ。まあ、僕が息子であるというのもそうだろうな。
ここら辺で僕は思い当たるわけだ。そもそも自分の存在意義なんてあるのか、と。こんな面倒なことでなぐられたりしてまで生きていく理由はなんだ、と。もはや彼女は、僕の希望にはなり得ない。彼女は僕の中で理想化され、現実の彼女とは食い違っているはずだ。僕の中にそういう実感はないが、彼女にろくに会わずに延々彼女のことを考えていたのだから、そうなっている可能性は高い。現実の彼女をあるがままに受け入れる余裕は、きっと僕にはない。となれば、希望もないし、存在意義もないことになる。そもそも人間に存在意義なんてあるのか?たまたま有機物が混ざり合ってできた物質の塊など、壊れようが他の生物に食われようが、どうなったってよいのではないか。今すぐ宇宙が消し飛んでも、僕は困らないのではないか。となれば、僕は僕のまわりの世界を壊し、そしてすべてを壊せばいい。それで、すべての面倒なことは消えてなくなる。一番不必要なのは自分だが、自分だけ消えるのもしゃくだ。
「もういいよ。そこまで言われて、俺が何もしないと本当に思っているのか?」となる。経験がないことで、僕に躊躇は生まれないはずだ。台所に向かったところで、止められることもないだろう。方法はいくらもあるが、手っ取り早いのは包丁だ。…って、後ろに弟がいるな。どうしようか。
まあ、いいか。それで、…母は躊躇するだろうな。おそらくここで向かってくるのは父だ。う〜ん。あまり効率がいいとは思えないな。まあ、でも、おそらく足を狙えば確実だろう。そのあとに腹を突き刺せばショックか出血でそのままこの世からおさらばだ。あとは新聞紙にでも火をつけて、灯油をばらまいて家に火をつけるか。とりあえず、家に弟がいないというのが条件だな。弟と僕の間には、身体能力の点で大きな差がある。まともにやりあったら僕の敗北は火を見るより明らかだ。いきなりテーブルを投げつけて、包丁を放り投げるくらいの博打をする必要があるだろうな。投げつけただけでも、当たり所によっては致命傷になりうるだろう。
家に火を放ったあとは、忘れずに財布を回収しなければ。警察の動きがどうなるか分からないが、さしあたり、すべての貯金を下ろそう。15万ほどあるから、1週間は何とかなるはずだ。あとは、有り余る時間を利用して彼女の家でも突きとめよう。暇をしそうだから、家から何かカバンを持ってきておいた方がいいだろうな。本でも詰め込んでおけばいい。あとは彼女が乗った電車に体当たりしておしまいってところかな。社会に大きな影響を与える死に方としては、電車に飛び込む以外にも焼身自殺というのもある。が、これは非常に苦しいらしい。面倒なのが嫌なだけなのに、好きこのんでそんなことをする必要はないだろう。
父の車もいいかもしれないが、やはり行動は電車だろうな。理想は自転車だが、さすがにそれで長時間行動する気にはなれない。彼女には何かするかな…。いや、別に何もないな。姿だけ確認できれば、あとは死ぬときに僕の印象をたたきつけられればそれで十分だろう。
生きていく意味なんて見いだせないのだから、派手に散ってやろう。冷静に考えると何がよいのかさっぱり分からないが、ときどきふと、こんな衝動に駆られる。
ただ、そんな衝動に駆られなくても、自分の存在意義を見いだせないのは確かだ。自分のために何かをする気にはなれないから、誰か他の人のために、できれば彼女のために、と思う。でもそれだって、いつも都合よく何かをできるわけではない。自分を形作る上で重要な価値観。その自分自身の価値観の中で、僕という存在に価値がないのだ。平凡で、どこにでもいる大学生。今すぐここで死んでも、何も問題はない。これは僕に限ったことではない。世の中すべての人間がそうだ。僕にとって彼女は違うが、それ以外の人間など、精神的に見れば、いつ死んだって構わない人間ばかりだ。
まだ、鬱なのかもしれない。だいぶ波が上向きになっているようではあるが。
2003.05.07 (Wed) 1:51:50
2003.05.06 (Tue) 4:02:05
特にこれと言ったことはしていない。思う存分休みを満喫しただけだ。まあ、ゴールデンウィークはそんなことになるんじゃないかと思っていたが。
ということで、手抜きしてしまった前日の分を少し補足する。セクハラに限らず、ハラスメントの問題は、多くの場合、対策を練ることができると思う。たとえば、会社に相談窓口を設けたり、そもそも社内の雰囲気を変えるようなことだって、できるだろう。セクハラ以外のハラスメントはあまり知られていないようだが、その中でもまあまあ知られているものとしては、テクハラというのとアルハラというのがある…はずだ。あまり自信はないが。
テクハラはなんの略なのかよく分からない。テクニックとかそのあたりの言葉だと思うのだが。これは、若い社員が中年以上の社員に対して行う場合が多いハラスメントで、主にPCの技術を知らないことを利用した嫌がらせのことだ。紙でも処理できる書類をあえてメールで送るなど、やり方にはいくらでもあるだろう。これは、時代の流れというのがあるから、嫌がらせなのか、それともコンピュータを使った効率化のためにはやむを得ないことなのか、判断は難しいところだ。ちょっと調べてみたが、やはりそれなりに問題になっているようだ。ネット最前線・スペシャルに結構詳しいので、興味があったら見てみてはどうだろうか。テクニカル・ハラスメント、あるいはテクノロジー・ハラスメントというのが元の言葉のようだ。ちなみに、テクハラという言葉で検索すると分かるのだが、この問題に関しては、かなり理解されていない部分があるようだ。
アルハラというのは、古来からある嫌がらせだ。一気飲みさせるとか、まあ、そういう酒に関する嫌がらせのことだ。アルコール・ハラスメントというのが正式な名称だ。イッキ飲み・アルハラ防止のページというのがあるので、ここを参照すると分かりやすいだろう。
が、ここで言いたいのはそういうことではなく、直接不特定多数の人と接するような人の場合だ。そしてこの場合のセクハラとは、主に採用時の問題を指す。セクハラと言うより、差別と言う方が適切かもしれない。女性を顔によって差別したら、それはセクハラだと思われるので、セクハラという表現を用いたのだが。
顔によって差別するとはどのような場合か。たとえば、フライト・アテンダントなどの例が挙げられるだろう。あまり一般的ではない言葉なので、もう少し通りのよい言葉にしてしまうと、スチュワーデスというやつだ。まあ、この言葉自体がセクハラになりかねないらしいので、なるべく使うべきではないが。詳しい知識はないが、看護婦というのも場合によっては問題になりかねない。まだ一般的な言葉にはなっていないが、極力看護師と言うべきだろう。
説明の必要などないと思うが、フライト・アテンダントの例とは、要するに飛行機に乗って、アテンダントの人が美人だった方が、客は喜ぶということだ。それ以前に、客はフライト・アテンダントが美人である、と期待して飛行機に乗っているという場合もあり得る。もちろんこれ以外にも、レースクイーンなど、顔で差別している事例には事欠かない。会社側がどのような姿勢であろうと、利用者側は従業員を顔で差別するし、顔がよいというだけで評価が上がるのもまた、仕方のないことだ。いくら差別をしないと建前を言っても、客はそんなこと、知ったことではないからだ。
企業は利潤を得なければならない。これは経済学の最初に習う基本的な原則で、利潤を目的としない組織は、そもそも企業ではない。そういう組織はNPOなどと呼ばれる。そして利潤を得るためにもっとも重視すべきコトは、金を出す人間の意向に沿うことだ。客が欲しいものを、欲しいときに、欲しいだけの量を、欲しいと思える価格で提供することだ。で、上にも述べたように、客は顔がよい従業員を好む。従って、従業員を採用するときに顔で差別すれば、利潤につながる可能性が高い。企業は利潤を目的としているのだから、ここで顔で差別するなと言えば、企業の存在意義そのものと矛盾する。顔の善し悪しを数値化できるわけでもないし、このような差別をなくすことは、事実上不可能だ。
で、何が言いたいのか。現実なんてこんなもんだ、世の中なんてくだらない、などと言いたいわけではない。現実がこのようなものであるのはおそらく確かだと思うが、問題なのはそこではない。もしこれが事実であれば、それを正しく認識さえしていれば、いくらでも考えようはある。印象は本人の努力次第でいくらでも変えられると言われたのだが、これもまた、真理だろう。だが、このようなことを考える場合、結局のところ、パッと見の印象で評価されるということを考えておかなければならない。
なのに、なぜ学校やマスメディアは、このような問題から目をそらすのだろう。マスメディアはこの点、まだマシだ。特にひどいのは学校だ。大学ともなるとそうでもないのだが、高校くらいまでは、常に理想ばかりを語り、あまりに現実を見ようとしない傾向にある。教育者そのものが理想を見すぎている傾向にあると思うのだが。物事を思考することは、現実を正しく認識することから始まる。何かの前提から結論を導く場合、前提が正しくなければ、結論が正しいかどうかなんて言えるはずもない。極端な例だが、たとえば、僕は男だ。にもかかわらず、僕が女だという前提から議論をしたところで、それは空想の世界としてはおもしろいかもしれないが、現実に何か得られるわけではない。僕は男なのに、僕は女だから、ああだ、こうだ、などというコトを言えるはずがないのだ。
現実を見過ぎると楽しくないのだろうか。そんなことを言ったって、今の生徒たちは、十分すぎるほどに現実を知っていて、それで絶望しているのだと思うが。なんせ、絶望するような情報はいくらでも流れてくるのに、希望をもたらすような情報は教師や学校によってゆがめられていて、どこまで信じられるのかまったく分からない。これでは、やる気を出せなどと言う方が無理だ。今の僕もそうだが…。
2003.05.06 (Tue) 4:50:52
2003.05.06 (Tue) 4:52:10
どうせこっち側はほとんどの人が読まないだろうから、適当でいいだろう。
新聞や啓蒙書など、いろいろな生物学の資料を見ると、疑問に思うことがある。
それは、目的論的自然観で物事を見ていないかということだ。事実がどうであるかは知らないが、科学の姿勢は、神が何かの目的を持って世界を作った、というものではない。この世界には何らかの秩序があり、すべてはその秩序に従っているのだというのがその姿勢だ。そしてその姿勢の極致が、法則というものだ。ある条件を満たしたすべての場合において、物事の挙動がまったく同じパターンを示す。これを数式などで記述したものを法則と言う。地球上ではどんなものでも常に一定の加速度で加速される、などだ。まあ、厳密ではないが。これを、機械的自然観と言うはずだ。自然はあくまでも機械だとする考え方だ。特定の条件で特定のことをすれば、その結果は一意に定まるのだ。
科学は自然科学に限らず、すべてこのような発想で考えられるはずだ。そもそも、そのようなものでないと科学と言わないはずだからだ。
にもかかわらず生物の場合は、この酵素はこの目的のために作られる、という記述が多く見られる。読む方に分かりやすくするためなのだろうが、これはかなり気になる。すべての生物のすべての機構は、誰かが何らかの目的のために作ったものではないというのが今の科学の姿勢だ。進化を続ける中で取捨選択され、たまたま残っているのが今の生物なのだ。従って、免疫機構が、まるで体を最近やウイルスから防御するために存在するように見えても、それはたまたまそういうシステムになっているだけで、それが防御の目的を持って作られたわけではない。進化の過程でたまたま遺伝子に免疫というシステムが記述されたから、そういうシステムが存在するに過ぎないのだ。
まあ、別に構わないのだが。僕よりも専門家の方がよほど詳しいだろうし、彼らがよいと思っているのであればよいのだろう。
2003.05.06 (Tue) 5:05:29
2003.05.04 (Sun) 2:11:55
今日は朝からゲームをやっていた。こうやって、日々を無駄に過ごしていくのか…。将来のために生きるのと、今を楽しく生きるのと、どちらがより有意義なのだろう。
そんなわけで、別に書くこともないので、準備しておいたネタから。…と、その前に。
我が家や4人家族で、父、母、僕、弟という構成なのだが、それぞれ、違う携帯電話を使っている。と言っても、母は携帯電話を使っていないのだが。機械は苦手なようなので、正直、持っていても使いこなせないのではないだろうか。それで、父は、DoCoMoを使用し、弟はauを使用し、そして僕はDDI POCKETのPHSを使っていた。ご存じの方も多いと思うが、携帯電話というのは、家族で共通にすると、家族による割引サービスが適用される場合がある。従って、基本的に安いPHSは別として、父と弟の二人は共通にした方が得だと考えられるのだ。そして、いろいろと話をした結果、将来性を考えてDoCoMoにすることにしたようだ。僕の場合は、メールが定額で使い放題など、PHSには特筆すべき数多くの利点があり、それを放棄してまで携帯電話を変更する利点がなかった。ちなみに、上にPHSは安いと書いたが、そういうイメージがあるというだけで、実際に安いのかどうかは知らない。この結果、弟と父がDoCoMoの携帯電話を使い、僕だけPHSを使うことになった。
…セクハラの話を書こうと思ったのに、なぜこのような話を思い出したのだろう。よく分からない。ちょっと前まで覚えていたはずなのに、上の文を書いているうちに忘れてしまった。人間の記憶は移ろいやすい…、と言うよりも、僕の記憶が移ろいやすい、と言うべきかもしれない。
ああ、思い出した。この準備しておいたネタというやつなのだが、そもそもどうやって準備しているのか、という話だ。僕は上にも述べたように、ど忘れが極めて多い。若年性アルツハイマーを疑いたくなるほどだ。ということで、日記に書けるような話を思いついたとしても、PCの前に座るまで覚えていられるとは思えない。だから僕は、いつもPHSで、思いついたことを自分のメールアドレスに向かって送っているのだ。PC側では、自分のメールアドレスから届いたメールは「日記ネタ」として分けるようにしてある。残っているのは今年の1月からの分だけだが、1月27日から、計62通ある。まあ、よく送ったものだ。それで、このような芸当ができるのも、メールが使い放題だという要因がある。使い放題でなければ、いくらなんでもただのメモ代わりにメールを使うようなことはできない。
昨日も眠かったが、また今日も眠い…。もう2時37分か。もっと早く寝るようにしなければ。彼女を見習うとか言っていたのはどこへ行ったのやら。
それで、これだけ書けば十分という気もするが、一応準備しておいたネタを。
セクハラというのをなくせるかどうか、ちょっと考えてみた。で、とある状況を考えたとき、すぐに結論は出た。セクハラはなくならない。今の社会、ほとんどの人が、直接、間接に人からお金を得て生活している。このとき、取引というのが生じるわけだ。この取引において、お客さんという不特定多数の人に対して販売を行う場合も多い。さて、このお客さんは、果たしてセクハラなどを考慮する必要があるのか?店員が美人だったからものを購入する。顔で選んだとしても、客に落ち度はないはずだ。
…ああ、なんだか右の瞼がぴくぴくするな。何だろう?
それで、客がこのような姿勢でいる以上、店側が「客によい印象を与える」という基準で店員を雇用したとしても、それは責められるべき性質のものではない。ああ、なんだか面倒くさくなった。とにかくこのようなわけで、客の姿勢は店に波及する。ということで、感情は抜きにしても、合理的な判断によって、セクハラは行われることになるのだ。客が合理的でない以上、店がどれほど合理的であっても、導かれる結論は非合理的なものでしかない。
もう、寝よう…。なぜこれほど眠いのだろう。
2003.05.04 (Sun) 2:48:38
2003.05.03 (Sat) 4:06:38
アクセス数、昨日をさらに越えて、なんと274件に達していた。この長さの日記をこれだけ読んでいくとなると、並大抵の時間では済まなかったに違いない。解析結果を見る限り、ほとんどのページを読まずにすっ飛ばしているようだが、それでも計4時間程度は費やしているようだ。ありがたいことだ。もし僕の直接の知人であれば、適当な手段で連絡してもらえると嬉しい。まあ、面倒なら無理にとは言わないが。
ここで気になるのは、まさか彼女じゃないだろうか、ということ。もし彼女がこの日記を見に来たら、これだけしつこく自分のことが書かれているのだから、気になってざっと目を通しても不思議じゃない、とは思う。こんなところを見に来る理由がないので、あり得ないとは思うのだが。それに、僕の知る限り、彼女はWindows
XPを使っているはずなのだが、これは解析結果と異なる。あとは、僕のプライベートなホームページを経由していることから、友人関係か、あるいは、研究室関係。研究室のページのURLから類推して僕のページを探し当てることは容易だ。
ああ、眠い。昨日は3時頃に寝て7時に起きて、そのままこの時間だから…。
今日は、史学概論の講義だけを受けた。後は特に受けていない。研究室にも顔を出していない。
昨日の夜、ふと思ったこと。僕は人と比べてストレスを感じない性格のようなのだが、これは、必ずしもよいとは言い切れないようだ。なぜか。ストレスを感じないということは、外の刺激にたいして鈍感ということだ。刺激というのは、環境、状況を含む。このとき、どうしても急がなければならない状況だったり、やらなければならない状況だったりすることは、よくある。しかしそう言うとき僕は、ストレスを感じないということで、危機感をも感じないのだ。せっぱ詰まった状況になっても、追い込まれた気分にならないのだ。これはよいこともあるだろうが、一般的にはあまり良いとは言えないと思う。人間の行動力の源泉がないのだ。
ダメだ。瞼が重い。本気で眠い…。
2003.05.03 (Sat) 4:27:08
2003.05.02 (Fri) 1:36:25
やれやれ。消えてしまった。仕方がないな。書き直しか。
昨日、なんと206件ものアクセスがあった。これは、突然僕の日記に人気が出てきたのではなく、一人の人が11月までさかのぼって読んでくれたのだ。特に教えていない僕のホームページから飛んできていた。誰だったのだろう。
今日は、伊豆へ行って来た。昨夜遅くまでラグナロクをやっていて、そういう気分ではなかったのだが、昼食を食べに行き、その流れでドライブに行かないかと誘われて、なんとなく着いて行ってしまったのだ。おかげで、明日は早いのにこんな時間に日記を書いている。まあ、これは、弟に部屋を占拠されていたのも大きいのだが。弟は明日から、友人とツーリングに行くらしい。伊豆に。どうやら僕は、その弟の行く先に、一足早く行ってしまったようだ。だからどうと言うこともないのだが。何枚か写真を撮ってきたが、デジカメはそのまま弟が持っていくらしいので、帰ってこないと見ることができない。まさか消されたりはしないと思うのだが。
伊豆から帰ったあとは、食事をして、1階で弟のPCを使って日記を書き、そのPCのバッテリーがなくなると同時に、部屋から弟がいなくなったので、今使っているデスクトップを使うことにしたのだ。
友人が、多変量解析という講義を受講している。この講義では、C言語によるプログラムを書き、レポートを提出することになっている。それについての相談を受けたので、僕はハードディスクからプログラムを探し出し、解説を付けて友人に送りつけた。そのとき、そのプログラムを書くに当たってなにを考えていたのか、日記に記されていないかと思って過去の日記を読んでみた。すると、プログラムについての記述はほとんどなかった。だが、彼女についての記述が…。懐かしい。彼女から来た、はじめてのメールだ。もう、なくしてしまったはずだ。
調べてみたら、あったよ…。これはもう、CD-Rに焼き付けているはずだから、2度となくさないようにしなければ。…ははっ、丁寧語だよ、おい。まあ、たいした内容ではない。彼女はWindowsの環境について詳しくなかったので、僕は、C言語の開発環境やコンパイラの入手方法を調べて送ったのだ。…僕のメールも丁寧語だ。こんな頃があったんだな…。懐かしすぎる。できるなら、戻ってもう1年やり直したいものだ。他のことじゃ後悔なんてしないのに、彼女のことに関しては…。だいたい、メールを見ただけで胸が締め付けられるような気分になるというのは…。
月日が経つにつれて、明らかにメールの内容が変わっている。11月くらいになると、強い親しみをも感じるのだ。…浮かれていたのも、仕方がないかもしれない。今、そんな関係になれれば、きっとまた浮かれることだろう。ああ、なんかこう、もやもやとした気分を感じる。僕はずっとこうして、懐かしいというのと悔しいというのと、そんな気持ちを抱き続けたまま人生を過ごすのか!?
問題は、僕の中で彼女は、すでに理想化されてしまっているということ。彼女本人を目の前にしたときよりも、メールを見たときの方がよほどドキドキしているし…。僕の妄想と混じり合ってしまった彼女は、もはや現実の彼女とはまったく別人なのだ。よく、死別すると、そういうことになるらしいが、そんなわけじゃないのにこんなことになるのは、いったいどういうわけだろう。あきらめてしまったからだろうか。…基本情報技術者試験の合格発表があったとき、会う機会がなければメールでも送ってみようか。それでどうなるのか知らないが。当たって砕けてみるか?そうなれば彼女の迷惑もなにも関係ないからな。彼女が嫌がろうと迷惑に思おうと、自分の気持ちだけに素直にやるのも、いいのかもしれない。
…でも、別に僕は、彼女と恋人としてつきあいたいわけじゃないんだ。友達でいい。友達が、いい。強い感情的な交流が欲しいわけじゃない。困ったとき、悩んだとき、わずかでも手をさしのべられればそれでいい。逆もしかり。僕が困ったとき、悩んだとき、わずかでも彼女に助けてもらえれば。たった一言の彼女の励ましは、僕にとって、その他のすべての励ましを凌駕する力になろう。僕の励ましがそんな力にならなくてもいい。例え、一助にでもなれば。
今さら、気づいたのか?初めから、そうだったじゃないか。彼女と性的な関係を持ちたかったのか?くっついて歩きたかったのか?同じ指輪をして、愛を確かめ合いたかったのか?…そんなことがしたかったわけじゃない!僕はただ、心の底から尊敬できる友人が欲しかったのだ。似たような知人がもう一人いるが、彼女はその人とは違う。その人は人間離れしているが、彼女はあくまでも、弱く、傷つきやすい人間としての一面を持っている。いや、誰だって持っているが、そういう一面を、うまく隠し通せていないと言うか…。なんだか意味不明になってきたが…。
彼女には、隠しきれない劣等感がある。方言が嫌いだ、メガネが嫌いだ、などと。それは、そのままでいいのかもしれない。それが彼女の個性なのかもしれない。だが、もし僕がそんな劣等感による苦しみをいやせるのなら…。
彼女の優秀さも、劣等感の単なる裏返しなのかもしれない。ただがむしゃらに、負けたくないと必死に走り続けているだけなのかもしれない。走ることすら放棄している僕には、彼女が遠い存在であることに違いはない。だが、そのまま走り続けることなどできるのだろうか?いつか、心が折れたりはしないのだろうか?彼女は強いのかもしれない。しかし、どんなに強い人間も、いつもいつも強くいられるわけではない。そんなときに…。僕は、走っていないだけに余力がある。自分のこともできない人間になにができるか、というのはあるが、それでも、彼女のために何か…。
彼女の姿は、彼女の自信にあふれ、強い意志を持ち、多くのことを確実にこなしていくその姿は、ガラスのような心の鎧に過ぎないのではないか。そうだ。ずっとそう思っていた。だからこそ彼女を尊敬したのだ。傷つきやすい心を持ちながら、必死に自らを高め、すでにそれに成功しつつある彼女を。そして、そばにいて欲しいと思った。情けない僕の手本として、優秀な友人として。そしてできれば、心が折れそうなとき、僕に救いを求めて欲しいと思った。そうすれば僕は、僕にできるあらゆる手段を持って、彼女を救うだろう。
確かに僕は彼女が好きだ。だがそれは、恋人としてつきあいたいわけじゃない。尊敬できる友人として、そばにいて欲しいのだ。時にはお互いに心の支えになることがあってもいい。でも、普段はただ、お互いを高め合うための陰の存在であれば…。それで、十分、だったのに…。
気づくのが、遅すぎた。勘違いして、1年近い日々を過ごしてしまった。まあ、今ではどちらにせよ無理なのだ。まずは僕が、自らを高める努力をしなくては。できれば彼女と共に歩みたかった。同じ研究をするのでもいい。なんでもいいのだ。…ああ、ただ同じ研究室にいるだけの友人に嫉妬してしまうのが分かった。僕にとって、それで十分だったのだ。その立場だけで…。
なにもせずとも、日々は駆け抜ける。もはや限られてしまった彼女との時間は、今までとは比べものにならない速さでさらに失われていく…。僕のゆがんだ心を埋めてくれる存在は、もう現れないのだろうな…。
2003.05.02 (Fri) 3:08:45
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