Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年04月30日(水) 孤独な日々

2003.5.1(Thr.) 23:07

この日は、久しぶりに大学に行って来た。なんと一週間ぶりだ。書類を提出したり、卒論のプログラムを書いたり、何かとやることはあったはずなのに、いったいなにをやっていたのだろうか。まったく…。

講義そのものは、四限しか受けなかった。ヒューマンインターフェースの講義だ。

前回までは概念的な講義が中心だったが、今日から具体例を学生が紹介して、それについてインターフェースの視点から述べるという形式になった。題材はWebページ。そしてこの日は、その中でももっとも基本的なHTMLによって記述されたページを扱った。HTMLは、ホームページを作るための言語と言われることもあるが、本来は文書を修飾するための言語であって、自由自在にページを作り出すほどのポテンシャルはない。したがって、この言語を用いたページづくりには本来の表現に関する内容以外に、HTMLの仕様による技術的な制約が大きく影響する。もちろんそれ以外に、閲覧者の回線状況も大きく影響する。そのために、HTMLによる表現は、基本的に文字によるものとなり、それと小さな画像を組み合わせるというパターンが一般的となる。

ここでいくつかのWebページが紹介された。紹介した人たちは、この講義の主旨を理解しているとは言い難かったような気もするが、教官はそれをうまくまとめていた。ただ、話をするのがあまりうまくないのが、そのうまさをうち消していたのだが。要するに、このような実例を用いて、よいインターフェースとは何かを考えていくのだ。この問いに答えはない。かつてのUNIXやMS-DOSは真っ黒な画面にごく簡単な情報が何文字か。そして、入力位置を示すカーソルが点滅しているのみだった。それを見ただけでは、なにをどのように操作するのかほとんど分からない。これが優れたインターフェースとは言えないような気もするが、そんなことはない。この画面からコマンドを打ち込めば、そのPCにインストールされたあらゆるプログラムを実行できる。あらゆるコマンド命令を完全に覚えたマニアには、これが最高のインターフェースと言えるかもしれない。不必要な情報はなにもない。自分のやりたいことを、最短のコマンドでダイレクトに実行できる。スタートメニューから、数多くの情報を読みとり、その中から必要なプログラムを選び出す必要などないのだ。このように、使う人によって最前のインターフェースは全く異なるのだ。僕は卒論でインターフェース開発を行うことになっている。その上で、きわめて参考になる講義だ。来週は僕が発表を行うことになっている。少々気合いを入れてやってみるか。

気合いを入れたいと思う理由にはもう一つあって、この講義、前に会ったときに僕が誘ったからか、それとはまったく関係なく気が向いたからなのか、時間ができたからなのか、よく分からないが、彼女が顔を見せていたのだ。来週も、顔を見せる可能性がある。だとすると、あまりにみっともない発表をするわけにはいかない。彼女はどう思ってこの講義を聞いていたのだろうか。僕は、自分で言うのもなんだが、教室の一番前に座ってかなりまじめに講義を聞いている。したがって、多少講義が下手でも、教官の言いたいことは分かる。だが彼女は、研究の片手間に講義をのぞきに来ているにすぎない。それでは、あの教官の真意は分からなかったかもしれない。

で、講義はそれでよかったのだが、それ以外がどうも…。来て、友達に会いに行ったのはよかったのだが、講義が終わったあと、書類だけ書いて、そのまま帰ってしまったのだ。まあ、懸案になっていた書類を処理したのはよかったのだが、とにかく、人に会っていない。あとは講義の前に、彼女にあったくらいだ。まあ、それで十分か…。

2003.5.1(Thr.) 0:52



2003年04月29日(火) 望まない変化

2003.04.30 (Wed) 2:14:32

人は、いや、すべてのものは、例え望まなくても、変化を強いられる。その時間的な長さには違いがあるにせよ、いつかは変わらなければならない。

今回変わってしまったのは、家での生活。僕は元々、整理整頓というのがかなり嫌いだ。それほど苦手ではないのだが、とにかく嫌いなのだ。ものをきれいに整頓するというコトに価値を見いだせない。雑然としている方が落ち着く。きれいにしていると、それに手を出しにくいからだ。だいたい、使いたいものがすぐ使えない机など、机としての本来の機能を発揮していないと言っても過言ではない。

だが、単身赴任していた父の帰宅をきっかけにして、家の状況は一変することになった。整理整頓を強要され、嫌なら家を出て行けとまで言われたのだ。出ていけ、というのは酔っぱらいの戯言(たわごと)だと思いたいが、とにかく、それを強要されていることには違いない。で、1時間近くにわたってこのことを言われ続けた。多くの人に経験のあることだろうが、長い時間、自分の嫌いなことについての話をされるのはかなりの苦痛だ。僕も、相手が酔っぱらいであるにもかかわらず、相手…父につられて感情的になってしまった。まったく、愚かなことだ。父は僕にできない多くのことができて、社会人として、人間として、とても尊敬できる存在だ。だが酒を飲めばただの酔っぱらいと化すのは、人間である以上仕方がない。エタノールに脳を麻痺させる薬効がある以上、それを避けるには酒を飲まないようにするしかない。だが、現代社会は飲酒を強要される社会だ。従って、酒を飲まないようにすることを考えるのは現実的でない。昔は絶対に飲みたくないと思っていたし、主張していたのだが、この当然の主張が受け入れられないのが今の社会であることを、最近になって知った。酒の毒性については多く議論されているし、このような異常な社会慣習によって命を落とした者も少なくないことから、いずれ、この悪習は消え去ると僕は信じている。未来は過去よりも良いと信じていたい。楽観主義的だが、悪いことではないのではないだろうか。

話がそれたが、どんなに尊敬できる人間でも、酒を飲んだ時点で酔っぱらいだ。…彼女はそれでもかわいいと思ったが、これは僕の感情的な判断であって、冷静に見ればやはり酔っていることは疑いようがない。とにかく、酔っぱらいと化した父にそう通告された以上、僕には従う義務が生じる。忘れかけていたが、所詮僕は子どもなのだ。結局のところ、親の意志に反しては生活できない。親の意志に反して生活したければ、親の影響範囲から離れなければならない。僕はここにいる以上、親の操り人形に過ぎない。今、自由に動けるのは、単に親が操り人形の糸をゆるめているに過ぎないのだ。一度強く引かれれば、僕の意志などなんの役にも立たない。そうなれば僕に残された選択肢は二つ。糸に引かれるままに踊り狂うか、自分で糸を切り離し、未知の世界へ飛び出すか。本来ならば糸を切り離すべきなのだろう。だが現状で、それができるかと言えば、否だ。21歳の特にこれを言った価値のないただの子どもが生活できるほど、今の世の中は甘くない。だからこうも言える。僕は親の操り人形であると同時に、社会全体の操り人形でもある、と。もしかしたら、今あるすべてを捨て去れば、新しい生活を築けるのかもしれない。しかし、それではその先はどうなる?捨ててしまえば、もう二度と手に入らないものばかりなのだ。そのときに新しい生活を築けたとしても、それで未来永劫過ごせる保証はどこにもない。ましてや、幸せな生活など。もちろん、自由に価値を見いだし、いかなる束縛からも離れていることが自分の幸せだと信じる人ならば別だ。だが僕は、そんなことに価値など感じない。最低限の自由ならともかく、あらゆる義務から解放される代わりに、あらゆる権利も失う自由などまっぴらだ。あらゆる権利。たとえば、生存権も含む。ホームレスを考えれば分かりやすい。中学生に殺されたりしているではないか。彼らの生存権を保証するのは、もはや警察しかいない。その他のあらゆる社会システムは、彼らの生存権を保証する方向に働いていないのだ。

親の操り人形であることは仕方あるまい。その代わりに、僕は安全な環境だけでなく、数え切れないほどの様々なものを得ている。それは、もちろん具体的な「モノ」も含む。PCもそうだし、食べ物、衣類、PHS、などだ。ちなみに、目の前にあるものを適当に並べただけで、それぞれのものにはあまり意味はない。最低限の制約で最大のものを得ていると言っても過言ではない。だからこれは仕方がないどころか、僕にとって極めて有利な状況だ。だが、その親が酔っているとなると、話は一変する。あらゆる理性的な判断は失われ、僕が操り人形であるという事実がクローズアップされる。本来親には、僕を操り人形として操ったところで、それほどの利点はない。自分が親になっていない以上、なぜ親が子を育てるかという問題は難しいが、簡単に言えば自己満足だろう。自分が何をしても得られない満足感を、子に期待する。このときに、子を自分の思い通りに動かすことが、この目的、満足感を得ることにつながるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。むしろ、失敗に終わる可能性が高いだろう。特に、僕はもう大学生になっており、操ると言ってもその動きは硬直化し、多くの可能性はすでに失われている。なのに僕を操ろうとするとすれば、それは、感情的な問題が原因としか考えられない。つまり、これと言った利点がないにも関わらず、現状の僕が気に入らないから、自分の気に入るように操ろうとするのだ。そしてこのような過ちは、僕の知っている本来の両親であれば決してすることのないものだ。酒によって脳機能が低下することによって、このような事態が起こりうる。これは酒によるものだから一時的なものだが、それでも僕の立場を考えると、この問題が引き起こす結果はあまりに重い可能性がある。結果として今の環境を失いかねないのだ。

ここで僕はどうすべきか。相手は理性を失い、感情的な判断によって動いていることが重要だ。本来であれば相手は両親であり、一般的な法則になぞらえて対応すべき存在ではない。だが、何度も述べるように、誰であろうと酔ってしまえばただの酔っぱらいに過ぎないのだから、それ相応の対応をすればよいと、僕は考える。

まず第一に、冷静であること。感情的になる相手に対して、自分も感情的になるのは愚の骨頂だ。あらゆる感情的な意見は、その聞くべき点のみを考え、残る感情的な部分は排除して考えなければならない。「うっとうしいから片づけてくれ」と言われたら、うっとうしいという点は排除して良い。片づける必要性があるかどうかだけを考えるべきなのだ。

第二に、議論をしないこと。酔っぱらいに話を聞いてもらおうだなんて、考えるだけ無駄だ。聞いているように見えるかもしれないが、実はまったく聞いていない。酔っぱらいとの話が堂々巡りになるのは、同じ意見をどれほど主張しても、相手がそれを記憶していないことが原因と考えられる。酔っぱらいとの議論がその後に大きな影響を与えるとは考えにくい。酔っぱらいとの議論で敗北したとしても、相手がそれを明確に記憶している可能性は低いからだ。

以上の二点より、僕の取るべき行動は、以下のようであるべきだった。まず、相手の話を冷静に聞き、聞くべき点のみを選び出す。極めて感情的な意見の中から聞くべき点を選ぶのは難しいが、残るものは少ないはずだ。短い話の中に聞くべき点を多く入れるのは、冷静な人間でも難しい。酔っぱらいがこのような芸当をしてくるなど、排除して考えて良いだろう。そして、聞くべき点のみを聞いたら、残りの意見は受け流し、ただ相手の意見に同意のみを示す。もちろん、同意を示したからと言って、実際に同意する必要はない。反論があっても反論するなということだ。酔っぱらいへの反論ほど無意味なものがないのは、上に述べたとおりだ。

だが、実際はこうでなかった。僕の最大の失敗は、相手が酔っぱらいだということに気づくまで1時間ほどもかかってしまったことだ。それまで僕は、相手を父だと思い、相手の意見を受け容れた上で反論をした。だが、無駄なのだ。ようやくそれに気づいた僕は、なんとか気持ちを立て直し、聞くべき点を考え、それ以外は受け流した。だが、1時間もの議論で僕もすっかり感情的になってしまい、十分に冷静な判断ができず、その気持ちを立て直すのに30分以上の時間を要した。

平たくいえば、酔っぱらいとけんかしてカッカしていたのだ。自分で言うのもなんだが、僕は相当なバカだ…。

酔っぱらいへの対応など、冷笑で十分だ。この不毛な議論の唯一の成果は、これだ…。まあ、次からは十分に注意すべきだろう。僕は暇な人間だが、それでも、酔っぱらいとの議論で時間を費やすほどではないからだ。感情的な議論など、すべて受け入れてやれば相手は満足するだろう。もっと言えば、「はいはい」と言っておけばいいのだ。ちなみにこれは、救急隊の人が使っていた技術でもある。相手がなにを言おうと、「うんうん、そうだね。」と受け入れてやるのだ。感情的な反駁など無意味だ。残念ながら僕は、そうだと分かっていても、このような実際の経験を伴わないと、なかなか自分自身の行動に反映できない。情けないことだ。

題名と関係ない話が大半を占めたが…。まあ、このような理由で、僕の生活は変化を強いられたわけだ。まったく、困ったことだ。とにかく酔っぱらいとの議論はしないこと。これが今日の教訓だ。

2003.04.30 (Wed) 3:12:21



2003年04月28日(月)

2003.04.30 (Wed) 1:45:57

夢を見た。僕は普段、あまり夢を見ないのだが、最近は多く夢を見る気がする。

内容は、極めて単純。妄想の具現化。願望が夢となって現れたのだ。僕と彼女は恋人同士になっていて、僕は、彼女の家を訪れる。そんな、物語だ。

彼女は僕を受け入れてくれて、二人、幸せな時間を過ごしていた。しかし、先に進むためには、彼女の両親と話をして、承諾を得て、その他、いろいろなことをしなければならない。しかし夢だから、彼女の父と話すこと以外はすべて省略されていた。彼女は僕を受け入れてくれたが、彼女の父は僕を受け入れなかった。僕と彼女の父親は口論になって…。夢は、そこまでだ。

僕を受け入れてくれた彼女の立ち姿が、強く印象に残っている。単なる妄想にすぎないにしても、さすが、夢というだけあって、僕の願望を忠実に再現していた。僕はその、夢で見た彼女の姿が、この日一日、頭から離れなかった。

夢で具体的に見せられると、なおさらそれがいかに途方もない話なのか、実感として理解できる。今、どうすればいいのかなんて、考えることもできない。なによりも、行動をおそれている自分がいる。そして、それによって彼女が不幸になることをおそれている自分がいる。言い訳のように見えるかもしれないが、たぶん、言い訳じゃない。彼女との距離は近くて遠い。僕が無理に近づこうとすれば、おそらくはあちこちにひずみが生まれる。そんなものを乗り越えて、彼女と幸せになれる、と信じられるほど、僕には自信がない。裏付けとなる経験もない。

まずいな。最近、気分だけでなく、家の生活も大学の生活も、すべてが低調だ。すこし気合いを入れないと、このまあずるずる行く可能性がある。じっくり考えなければ。ちゃんと書いておくか。期限の過ぎた履修申請をどうするか。卒論の指導願いはどうするか。卒論自体はどうするか。家の机のまわりはどう整理するか。なにが重要なのか、もう、よく分からない。すべてがどうでもいいことのような気がする。履修申請を出さなければ単位が認定されず、従って、大学を卒業できない。大学を卒業できなければ、大学院の推薦もなしだ。すべての予定が遅れる。留年すれば人生そのものが一年ずれるのが、現代の世の中だ。時間は容赦なく過ぎ去る。ときどき立ち止まり、抱えている問題を認識しなければならないのか。歴史上もっとも幸せな時代を生きているのかもしれないが、それでも面倒なことだ。夢で見た彼女との時間。夢と現実との間には、これほどの差異があるのだ。

2003.04.30 (Wed) 2:11:47



2003年04月27日(日)

2003.4.28(Mon.) 0:01

さっきの日記を書いていたときは日曜日だったのに、もう月曜日になっている。時間が過ぎるのは恐ろしく速いものだ。

で、昨日の日記にも書いたが、僕には弟がいる。年子だ。僕よりもだいぶいい大学に行っているが、たぶん、端から見たら僕の方が頭が良さそうに見えることだろう。見た目で判断すると間違うということが、これだけのことからも分かる。

僕はどちらかというとまじめな方で、それほど遊び回るようなことはしていない。それに対して弟は、自分は認めていないがすべての他人が認める遊び人だ。どこかに書いたような気もするが、夜、家にいないことの方が多い。「今日も愛車にまたがり、青い風の中、光に向かって失踪している弟である」と書け、と言っている。「しっそう」は「疾走」かもしれないが、おそらくこちらの方が的確に事実を反映している。「ニフラムじゃないんだからいなくならないよ。」と言っているが、僕から見ればよく消え去っている。3日くらい見ないこともあるくらいだ。

ちなみに愛車とは、KawasakiD-Trackerだ。正確にはこのD-Trackerの、KLX-250-J1とかいうやつだと思われる。年式ははっきり覚えていないらしい。それでよく愛車などと言えたものだ。まあ、いいが。25000キロも走って、だいぶくたびれてきているらしい。メンテナンス費用が出せないから売ってしまおうかと考えているようだ。乗り換えだと主張しているが、僕に借りた10000円を未だに返していないのに、そんなものが買えるのかどうか、はなはだ疑わしいと考えざるを得ない。

あとは自分のプロフィールと同じように…。年齢は20歳。まあ、とてもそうは見えないが。タバコを買うときは未成年だと思われて、買うのに苦労しているのではないだろうか。大学の専門は機械工学だが、あまりまじめに勉強しているようには見えない。うまく単位を取得する技術は習熟しているようだ。まあ、大学のシステムからして、そういう学生を大量生産しているように見えるから、これは当然のことだろう。身長は、僕よりやや低い程度。173センチメートルと言ったところか。174あると主張しているが、それでも僕より少し低い。まあ、僕も、身体測定で測るたびに少しずつのびているから、正確なのかどうかは怪しいところだ。まあ、背なんてどっちが高くてもどうだっていいが。ちなみに弟によると、僕の背が高いのは単に頭がでかいだけ、とのことだ。確かにそれは否定しない。多くのフリーサイズのヘルメットや帽子は、僕の頭を拒否し続けてきた。僕の方は弟の胸あたりしかない、と書け、と弟は言っているが、もちろんそんなことはない。いくらなんでもそんな異常な体型ではない。ただ、頭がでかいと弟は馬鹿にしたように言うが、脳容積が大きいことは、それほど悪いことではないのではないかと思う。まあ、脳細胞は死滅し続けるのだから、いずれ若い人間には勝てなくなるのだが。性格は、八方美人で脳天気なのは僕と同じだが、神経質ということはない。と言うか、ほぼ対極だ。僕は比較的論理で物事を考える方だが、弟は感覚で物事を判断することが多いような気がする。まあ、しかし、なんだかんだで共通する部分はあるのかもしれない。ちなみに、弟は自分は神経質であると主張している。ナイーブとは俺のために生まれてきた言葉だと言っているが、ナイーブな人間がそのようなことを言うとは考えにくい。

好きな食べ物は、何だろう。シイタケとインゲンが嫌いなのは知っているが。とりあえず、ラーメンが好きなのは確かだ。別に嫌いじゃないと言っているが、シイタケやインゲンが入っていると僕の皿に移すその姿を見ると、とても好きなようには見えない。僕にビタミンが足りていないからだと言うが、それならシイタケやインゲンである必然性はない。嫌いではなく苦手なだけだと言っている。なにが違うのか、僕には分からない。好きな本は、スラムダンク、あと、少女マンガの「ナナ」が好きだと言っている。それから五木寛之の青春の門だそうだ。青春の門とそれ以外に関連性が見られないが、まあ、いいだろう。

学年は、大学の学部3年だ。信じられないことに、留年も浪人もしていない。大学の易化傾向は、顕著に現れていると言えよう。資格は、自動二輪の免許を持っているはずだ。でなければバイクに乗っているはずがない。ちなみに、違反はかなり多く、それだけで財布の中身がすっ飛んだこともあったくらいだ。最近は安全運転らしいが。ああ、違った。弟の財布の中身がからなのはいつものことだ。常に金を持っていない。そうではなく、預金通帳まで飛んだと言うのが正しい。何度か書いているが、弟の全財産は常にマイナスだ。バイクのローンなど、各種の借金が常に首を絞め続けている。多くの人がこれほどの浪費をすれば、日本の経済はもっとよくなるに違いない。僕は絶対にイヤだが。ちなみに、弟は税金対策だと主張している。

携帯電話はauを使っている。次世代ってやつだ。まあ、あまりその機能を使っているように見えない、と言うより、そんな金がないように見えるが。次世代ってなにがあるの?と言っている。確かに、頑強な通信プロトコル、優れた相互互換性などその機能を挙げればキリがないが、ユーザにしてみれば大して変わってはいないだろう。思うに、大した機能がない割りに高い、という印象は拭えないのではないだろうか。機能があるのはいいが、金は出したくない。それが、大方のユーザの感想ではないだろうか。

好きな女性のタイプは、何だろう。かわいい子なら何でも、と言っている。無節操なやつだ。この点に関しては言行がぴったり一致している。確かにその通りの行動だ。んなこたーない、と言ってはいるが、僕から見る限りそうは思えない。

こんなものだろうか。これって読んでいてかなりつまらないのかもしれない。まあ、書くことがなかったから仕方がないと言うことで…。

2003.4.28(Mon.) 0:45



2003年04月26日(土) 兄弟の存在

2003.4.27(Sun.) 23:22

さてさて。また間があいてきた。休みの日は要注意だ。

そして休みの日は書くことがない。考えてみれば大学生活の日記なのだから、あえて休みに書くこともないかもしれないが…。

こういうときのためにため込んだネタがあるのだが、それを保存してあるデスクトップPCは弟が使っていて、今は見られない。PHSから送っているので、そのPHSを見れば分かるのだが、PCと違って他の人に送ったのと自分に送ったもの、その管理ができないのでどれがどれだか探すのは非常に難しい。

ああ、なんだか知らないが、弟のノートPCは使っていると妙に疲れる。キーボードが使いにくいというだけではないようだ。何なのだろう。それにしても自分のタイピングスピード、最近さらに速くなったような気もする。これ以上速くなっても、特に用途などないのだが、まあ、いいか。

横で見ている弟が、「何だよ、その文。そんなの書くくらいなら短く済ませればいいじゃねえか。」と言っている。そして、「それじゃ俺が悪者みたいじゃねぇかよ」と。そして、「おいおい、それじゃ俺が悪者になっちまうだろ。」と言っている。どうやら、自分が悪者ではないと思っているらしい。なかなかおめでたいやつだ。ずいぶん昔から、悪者以外の何者でもなかったと思うのだが。にしても、こうやって他人に見られながら日記を書き、しかも、何か書くごとにいちいち突っ込まれるのは妙な気分だ。「おい、悪者!他人じゃねえだろ、家族だろ!」と言っている。しかしこの場合、日記を書くという状況なのだから、自分でなければすべて他人だと思うのだが。自分以外の人は自分の他の人、つまり、他人だ。普通に言う他人とは、ニュアンスが異なる。まったくこれだから最近の若い者は…、などと書くと、また突っ込まれるのだろうか。「つっこまねえよ、馬鹿!」と言っている。これだけ事細かに書くと、もうなにも言えなくなるらしい。ペンは剣よりも強いのだろうか。

そのあと、タバコを吸おうとした。百害あって一理なしという言葉の代表であるタバコ、よく吸おうなどという気になるものだ。この言葉を考えた人は、まさかこれほどにこの言葉にぴったりのものが現れるとは思わなかったに違いない。弟は、「喫煙所で知り合えた人がいる」と言うが、そんなのはどこだって知り合えるものだ。喫煙所である必然性は全くない。暇つぶしになると言うが、タバコを吸って暇をつぶして、時間と一緒にどれだけのものを失っているのか、それを考えるだけで十分、有意義な時間を過ごせる。弟は「言いたい放題ね。」と言っているが、言いたい放題書くために日記を書いているのだから、それが当然だ。妙に女みたいな言葉遣いなのは何なのだろう。「あたしの勝手でしょ?」と言っている。まあ、もう口述筆記するのはやめるとするか。

にしても、大学生にもなって弟と同室というのは珍しいのだろうか。明日の日記も書くことがないし、少し弟の紹介でもしてみることにするか。

2003.4.27(Sun.) 23:59



2003年04月25日(金) 親愛の功罪

2003.4.27(Sun.) 2:54

大学に行くはずだったのに、朝、起きるのが面倒で行かなかった。こんなコトでいいのだろうか。結局、調子がよかったのは水曜日のただ一日だけだったのか。今も眠くて仕方がない。日記が何日も遅れていなければとっくに寝ていただろう。

大学の女性の友人、最近話す機会が増えたというのは今までに少し書いたと思う。3年になるまではほとんど機会がなかったのだが、乗船実習などを経て、何人かの人と話す機会を持てるようになった。それで驚いたのが、みんな、非常に親しげであることだ。そんな経験など僕はなかったので、思わず勘違いしてしまいそうになったほどだ。ただ、いくらなんでもいきなり数人の人に好かれることなどあるはずがない。これはつまり、それだけの好意を示すのがその人たちのスタンダードだということだろう。これにはかなり驚かされた。

確かに、インターネットなどのコミュニケーションでは、そういう人も多かった。だがそれはインターネット固有のもので、現実のつきあいは腹のさぐり合いのようなところがあって、そんなに単純なものではないと思っていた。だが、少なくともその人たちは、表面上、きわめて好意的に接してくれたのだ。心の中でどう思っているのかは知らない。おそらく、善意のみということはないだろう。僕は自分の声を録音して聞いてみたことがあるのだが、相当不愉快な話し方をしている。おそらく、耳についているはずだ。きっといろいろと言われることもあるだろうが、それでも、僕にとって厚意を向けられたことは驚きだったのだ。

なぜだろう。今までそんなことはなかったのに。僕は何か変わったのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。高校生の頃と比べても、僕はそれほど変わってはいない。中学生の頃の方がむしろ大人だったのではないかと思うほどだ。だからきっと、周囲が変わったのではないかと、僕は思っている。自意識過剰ではあるが、表面的な部分から、少し内面を見るような姿勢に変わってきたのではないだろうか。で、僕の表面だけを見るととても見られたものではないが、内面も合わせて見たら、端から避けるほどひどいものではなかった。そんなところではないだろうか。

それで、いったん話す機会があれば、あとはそれなりに自信がある。これも自意識過剰の可能性もあるが、僕はある程度、人の話を聞けると思っている。と言うよりも、人の話に対して、他の人よりも興味があるのだ。 結果として、僕に話す方が他の人に話すよりも、若干気分がいいのではないだろうか。…そうだといいな、と思っている。

うう…。眠い。これでとりあえずは終わりか。それで、このような厚意なのだが、これは時として誤解を招くのではないだろうか。このような意志を受け取る側としては、僕のように、相手の意志を強く認識しすぎてしまう可能性がある。つまり、単なる友情を恋愛だと、感じてしまうのではないかということだ。これは、どちらかと言えば受け取る側に非があるのではないかと思うが。その結果としてどうなるのかと言えば、それは、お互いの意志の食い違いだ。女性の意志を男性側が、強く受けすぎてしまうのだ。どちらかと言えば男性の方が感情表現が苦手だというのもあるかもしれない。女性の方は女性の方で、男性の方の意志を弱く認識しすぎてしまうかもしれない。恋愛に関する問題の、一つの大きな原因が、このようなところにあるような気がしてならない。

それで、このような状況が引き起こす一つの問題として、ストーカーがあるのではないかと思う。女性は軽い気持ちで何かを言っているのだが、それを男性の方が強く受け止め、それに応えようとする。だが、女性にそれを受け入れる意志は初めからなく、男性の感情は空回りする。結果、行き場を失った男性は、その感情をなんとしても相手に届かせようと、手段が目的と化すのではないだろうか。なんか自分でも書いていてよく分からないが。

つまり、親愛の情は必ずしもよいことばかりではないんじゃないか、と思うのだ。それと、男性と女性との間には、親愛の情において大きな隔たりがあるのではないかと思う。…僕は、どうなのだろう。僕もやはり、相手に親愛の気持ちを示すのは苦手かもしれない。そう思ったら素直に伝えられる。これは、もしかしたら女性の特権なのかもしれない。

2003.4.27(Sun.) 3:55



2003年04月24日(木) 他人から見た自分

2003.4.27(Sun.) 2:32

おかしいなあ。書いたつもりだったのだが。書いただけでアップしていなかったのだろうか。

前日の日記、題名と内容があまり関連していなかった。あのあと結論として話をつなげるつもりだったのだが、弟が帰ってきたのでやめてしまったのだ。前日の日記を読んでいなければ内容がさっぱり分からないのではないかと思うが、それを説明していると内容がかなり重複するので省略する。

その人が、いろいろと僕に話してくれるのはとても嬉しいことだ。僕に話をすることで楽しいと思ってもらえるのであれば、僕にとってそれで十分だ。しかし、その人にとって僕の存在とは何なのだろうか。女性にかなり免疫のない僕ですら、相手を恋愛対象のような感覚でとらえていないのだから、向こうだってそういう気持ちはないだろう。であれば、その人はどういうつもりで僕に話をしていたのだろうか。もしかしたら、単に話をするのが楽しいだけだったのではないか。そんな風にも思えてくる。僕はその人の存在を十分すぎるほど意識して、緊張して話を聞いていたのに、その人の方は、ただ単純に自分の思いを吐き出せればそれでよかったのではないか。そんな風にも思える。その人にとって僕の存在とは何だったのだろう。単に不満のはけ口だったのだろうか。地面にあけた穴にも似たような存在。ストレスを発散させることができればそれでよかったのではないか。別に友達だなんて意識はないのではないか。

などという話を書こうと思っていたのだが、4日もたって考えてみると、別にそんな神経質になることもないような気がしてきた。友達と考えるのに、それほどの抵抗はないだろう。多くの人は、同じ生活の場で暮らし、普通に話をしていれば、それで相手を友達として認識しているはずだ。なにもそれで、自分が友達以下の単なる不満のはけ口だなんて考えることもないのではないかと思えてくる。

ところで前日の日記を書いたとき、帰ってきた弟が、僕が日記を書いているのを見て、読みたいとか言ってきた。あんな終わらせ方をしたのに大丈夫だろうかと思ったが、たいして気に障らなかったらしい。まあ、二十歳にもなってあの程度のことで腹を立てることはないかもしれないが。で、目を通して、結構おもしろいと言ってくれた。意外な反応だった。まさか弟がそんなことを言ってくるとは思わなかった。しかし、他の人にもそう思ってもらえるのなら張り合いがあるというものだ。

2003.4.27(Sun.) 2:52



2003年04月23日(水) 自分の存在とは?

2003.04.24 (Thu) 15:27:33

ああ…。選挙カーがうるさい!明らかに昔にあった騒音規制を越えてるだろ。間違ってもあんなやつだけには投票しないぞ。マイナス投票があったらこいつで決まりだ。

抽象的で哲学的なことを書こうとしていたのに、思い切り出端をくじかれた…。まあ、仕方がないのだが。

4限から講義があったので、それに合わせて出かけた。朝は問題なく起きられたので、少し早めに出かけることにした。電車も特に問題なく走り、講義開始の40分くらいまでには大学に着いた。いつもこうでありたいものだ。今は知らないが、僕の知る限りでは彼女もそうしていたし。そこで、久しぶりにあった友人と少し話し、講義を受けに行った。彼はその講義を受けずに帰ってしまった。この講義の履修申請を出さなかったそうだ。まずいな。僕は履修申請そのものを出していない。

うーん。普段はここで講義の内容をまとめたりするのだが、そういう気分ではないな。ということで、2つの講義を受けた後のこと。僕は研究室の合い鍵を作ったのだが、研究室のメンバーを知らないかと、一人の女子学生に聞いた。…まあ、口実だ。そのメンバーがいないことは、見ればすぐに分かる。だいたい、僕はその研究室のメンバーのメールアドレスも知っているし。同じ研究室に所属していれば、連絡など簡単に取れるのだ。…そう、僕の友人が、彼女といつでも会えるように。まあ、そんなことは仕方がないのでいいとして、なんでそんなことをわざわざやったのかと言えば、それは、この人に会う機会が、一週間でこの時間だけだからだ。まあ、逆に言えば、彼女と違って、一週間のこの時間には会うことができる、とも言える。

…どういう人なのかといえば、昔、好きだった人だ。まあ、彼女の時と違って、片時も頭から離れない、なんてコトはなかったが。ただ、1年生の頃から気になっていたにもかかわらず、最近までずっと話をする機会がなかった人なのだ。別につきあってみたいとは思わなかったが、せめて話くらいはしてみたいと思っていた。そんなに強く願っていたわけではないが、しかし、2年ほどそんなことを考え続けていたのだ。それで最近、実は彼女のことがきっかけで、その人と知り合うきっかけができたのだ。…そうなってみたらびっくりした。まあ、直接話さなくても、見ているだけである程度は分かっていたのだが、本当に機関銃のように話す人だったのだ。アナウンサーの才能があるんじゃないかと思うくらいにすごい。普通、いくらおしゃべりな人でも、「えーっと」とか、そういうのを間に挟んだりするものではないだろうか。その人の場合、そんなことはいっさいない。少なくとも、僕の記憶には残っていない。常に話したいことが蓄積しているらしく、きっちり整理して一気に話してくるのだ。さらにすごいのは、それが止まらないこと。講義が終わってからその人と話していて、帰ったのが約1時間後だったのだが、その1時間、ぶっ続けで話し続けていた。もちろん、相手の意見を聞けば僕にもそれなりの考えというのが出てくるわけで、そういうのを言おうとも思った。しかし、ちらっと僕の話を聞くと、また話し始める。僕の話を聞いていないわけではないが、それよりもとにかく話したいようだ。日本人は自己主張ができないとか言うようだが、この人の場合、それはまったく当てはまらない。まあ、短くまとまってはいないかもしれないが。もちろん、整理されている上に途切れないのだから、聞いているこっちも非常に楽しい。相手の主張に飲み込まれるような気分になりながらも、それもまたいい気分だったりするのだ。そのときは飲まれても、あとで考え直せばそれでいいだけのことだ。

彼女と話していると、どうしても緊張して上の空になってしまう。当たり前ではあるが、いくら相手が女性でも、それが彼女でなければそんなことにはならない。気楽に話せる人なのだ。それに、こう言ってしまってはなんだが、はっきり言って、話す相手が女性なら、ただそれだけでも楽しいと僕は思う。誰しもがそう思うのかどうかは知らないが。ただ、そういうのを抜きにしても、やはり楽しいというのはある。どうしても、いつも話している人だと慣れがあったりして、ただしゃべっているだけですごく楽しい、などとは思えないものだ。その点この人の場合、僕にしても相手にしても、一週間でこの時間しか会えないことは分かっている。まあ、その人がそう言っていたのだが。一週間に一度、会えるか会えないか。それだけでも、何か違うような気がしないだろうか。

ちっ、弟が帰ってきた。もう終わりだ。

2003.04.24 (Thu) 18:03:42



2003年04月22日(火) 躁鬱は繰り返す

2003.4.23(Wed.) 3:17

僕はだいぶ前から、躁と鬱のリズムを繰り返している。今は鬱の時期だ。昔はそんなことは分からなかったが、今はすぐに分かる。鬱の時期になると、日記がはかどるようになるからだ。気分がいい方がたくさんかけそうな気がするが、このあたりはよく分からない。鬱々とうちにこもっていた方がいろいろとため込むものなのかもしれない。

初め、あまり気分が良くないのは、人との接触が少ないからだと思っていた。しかし、彼女に会ったのを始め、今だって十分恵まれている。これは結局、今までにもあった周期なのだろう。

あとは、生活のリズムの問題もある。こんな時間に日記を書いていることからも分かるように、生活習慣はかなりひどい状況にある。前に一時期立て直したと思ったこともあったのだが、あっという間に崩れてしまった。今日、彼女と会ったのをきっかけに、早めに行こうと思ったのだが…。

だめだ。さすがにこの時間は眠すぎる。明日は大学へ行くし、とっとと寝よう…。

2003.4.23(Wed.) 4:06



2003年04月21日(月) 論理と非論理の狭間で

2003.04.21 (Mon) 19:33:59

人間関係において、ともに過ごした時間など、絶対のものではないだろう。ましてや物理的な距離など、取るに足らないもののはずだ。大事なのは心であって、それ以外のことなど、それに付随しているにすぎないはずだ。だが僕は、羨望を押さえきれない。多くの時間をともに過ごせること、その多くの時間を、すぐそばで過ごせること。どんなに望んでも手に入らない人間がいる一方で、何も望みはしないのに、簡単にその場所を手に入れる人間もいる。

僕でない人間にとっては取るに足らない時間が、僕にとってはかけがえのない時間となる。わずかな時間に、僕のわずかな望みが叶えられるのだ。その100倍、1000倍もの時間を共有する人間がいても、きっと僕のこの充実感は得ることができないだろう。これは僕が僕だから得られる記憶であり、他の誰であっても意味のないものなのだ。

人を愛することは、アイデンティティーを確信する最大の手段なのかもしれない。誰かを愛していると気づいたとき、その誰かを愛している自分自身は、他の誰でもない自分なのだと気づく。同じ思いを抱いている人間は、他には存在しないのだと。ただ自分だけの思いであり、何者にも侵すことのできないものなのだと。自分が、他の誰でもない自分で、他の誰とも違うのだと、これほど強く思えることが、他にあるだろうか。どんな技術も、他に持っている人がいてもおかしくない。かけがえのない友人とて、そのような存在がいるという人は少なくない。自分だけのかけがえのないものなんて、そう多くはない。

僕でない誰かが、僕が望む時間を過ごしている。それを知っていることと、実際に分かることは違う。そう、気づかされた。屈辱とも絶望とも思える、妙な気分だった。嫌でも突きつけられる現実。考えたくないと目をそらしていた現実。だが、間接的ではなく、直接感覚に届く距離に近づいたことで、僕は逃げられなくなった。僕を必要としていない空間の中で、なぜそこにいるのかも分からないまま、見たくもない現実をひたすら突きつけられる。

…抽象的な話はともかくとして、今日は研究室の集まりがあった…、はずだった。しかし、連絡が不十分で、学生の方は集まったものの、教官の方が何も準備をしていなかった。仕方がないので、途中だった細かい引っ越しを最後までやった。机の位置を決めるとか、そういうことだ。

そがバイトに遅れそう(と言うか遅刻確定)だったので、僕は彼女と一緒に駅まで走った。彼女はずいぶん遅いと思ったが、なんのことはない。スーツなのだからまともに走れないに決まっている。こんなことにすら気づかなかったのだから、相変わらず頭に血が上っていたようだ。それでも、いつもと比べれば冷静だったように思えるのだが。しばらく会えないと思っていたのに、案外早く会えて安心したのかもしれない。自分でもよく分からない心理だが。

僕には話すことなどそれほどなかったのに比べて、彼女は就職活動でずっと苦労していたらしく、30分ほどの間、ほとんど彼女から話し続けていた。…と、思ってはいるが、実際どうだったのかはよく分からない。僕は不必要にぺらぺらとしゃべるから、実際はかなり、こちらからも話していたのかもしれない。面と向かって話していると気づかないが、チャットなど、ログが残るものを見るとものすごいことになっている。4人で話しているのにログの半分以上が僕の発言だったり、などということが珍しくないのだ。

まず、基本情報技術者の話を少し。彼女は白百合女子大学でこの試験を受けたらしい。思い切りキリスト教系のお嬢様学校だったと言っていたが、実際、Webサイトを見ても、そういう印象を強く受ける。僕が受験した武蔵工業大学とはだいぶ違う。こっちは、要するに思い切り理系の、華やかさのまるでない大学だ。落ち着いていていい雰囲気だとは思うが、そう思う人はおそらく少ないだろう。

それからあとは、ひたすら彼女の就職活動の話だった。一般職で内定が出たとか言っていた。彼女の能力で一般職なんて、もったいないというのを通り越してばかばかしい。それ以前に、この人減らしの時世に、一般職なんて募集しているあたりが信じられない。と言うか、もし彼女が一般職にしかなれないのなら、僕は就職することなどできやしないだろう。流通の専門的知識は言うに及ばず、僕がもっとも得意としているソフトウェア分野ですら、彼女は僕と同等か、僕の上を行くのだ。少なくとも僕は、大学のテストの成績は、最も優れているということになっている。この得点分布の表の、一番右にいるのが僕だ。2位以下を引き離しているのが分かると思う。と言ってもこれは、自分の説明にもっとも都合のいい教科を持ってきただけであって、他の科目ではこれほどの差は付いていない。それらも公開されていたのだが、担当教授(現在の僕がいる研究室の教授)がアメリカに行ってしまった関係で、削除されてしまったらしい。とりあえず、僕に能力がないということはないはずだ。そんなことになったら、僕は生きていく上ですがるべきものをなくしてしまう。まあ、んなことはいいとして、僕はひたすらこの分野だけに取り組んできて、結果としてこの程度の成績を取れるようになった。が、彼女はハイブリッドでこなしているにもかかわらず、その情報分野だけとっても、僕より劣るとはとても言えないレベルなのだ。

まあ、とにかく、彼女はマシンガンのように話し続けた。この短い時間ではあまりよく分からなかったが、ストレスがたまっているのは確かだ。前も、疲れてきたときにかなりトゲのあることを言っていたが、今日もオブラートをつけ忘れたかのような言葉が少し飛び出していた。彼女に限ったことではないが、どうも努力しない人をバカにしているような気がした。自分が努力するのは大いに結構だが、それをしていないからと言って他人を嘲るような態度は、どうも好きになれない。別に自分が努力していないからではなく、僕は嘲笑というのが嫌いなのだ。正直言って、彼女がそういう態度を示したのは不満だったが、彼女は僕の理想を形取った偶像ではないのだから、そのくらいのことはあって当然と言うべきかもしれない。むしろ、今までが完璧すぎたのだ。もともと非現実的な理想を抱いていたわけではなかったが、それにしたって、そのものズバリ、理想そのままの人がいるというのは…。経歴まで理想そのものだ。強い自信を持っており、その裏付けとなる知識を持っている。その知識を生かせるだけの、明晰な頭脳も持っている。僕自身は論理的な思考がかなり好きだが、理想の人には、どこか非論理的な部分を持っていて欲しい。夢を見ていて欲しいと言うか、ちょっと悪く言えば、ちょっと妄想しているような、と言うか…。こんな意味不明な部分まで、なんとなく備えているような気がする。

顔に傷のようなものがあったのが気になった。顔色を見るのは得意ではないが、あまり良いようには見えなかったし。僕に感情をぶちまけることで、少しは気が楽になったのならいいのだが…。ただ、なんだろうな。自分から積極的に話しているにもかかわらず、僕の干渉を拒否する雰囲気を感じた。怒濤のように話していたのは、僕に対するバリアだったのかもしれない。そう考えてみると、大学の友達に話しているだけのはずなのに、なんだか必死のような印象も受けた。なにをやるにも一生懸命なだけなのかもしれないが…。自分の話を説明するためだけに、わざわざ自分の手の甲にボールペンで図を描いたりするものなのだろうか。…きれいな手に、もったいない。などとは言えなかった。ずっと話し続けていたのに、こちらを見なかったのも気になる…。なんだったのだろう…。

気にしていても仕方がない。僕にできることなど限られているのだ。万が一、彼女を救えるような機会があれば、そのときは全力をもって立ち向かうとしよう。でなければ、その覚悟は朽ちて消えるのみだ。話を聞いて欲しいと願っているのか、非干渉を望んでいるのか。僕には、何も分からない。

2003.04.22 (Tue) 5:49:08



2003年04月20日(日) 基本情報技術者試験

2003.04.21 (Mon) 1:14:04

今日は、基本情報技術者試験を受けてきた。前回は寝坊したのでそのままサボってしまったが、今回はちゃんと受けた。後半はよかったと思うのだが、前半はかなり自信がない。この程度で受かるなら誰も苦労などしない、と思うほどだ。

前回は、苦い思い出がある…。彼女に受験すると言ってしまった手前、まさか寝坊して受けなかったとも言えず、モニター試験の結果を本試験の結果だと言ってなんとかごまかしたり…。我ながら情けないことをしていたものだ。

今回の試験はなぜか、まったくやる気がしなかった。だから、昨日も何も勉強していない。受験料として5100円も出したのに、なんの対策も練らなかったのだ。なぜこれほどまでにやる気がしなかったのかは、よく分からない。前回の試験、彼女と一緒に受けたときのことを思い出して、むなしくなってしまったからかもしれない。そんなつもりはなかったが、無意識のうちにそう思っていたということはあってもおかしくないような気がする。試験が近づくに連れて生活のリズムまで崩れてきて、3時間しか寝ていない上に、日記も書かなかった。その前の日も6時間ほどしか寝ていないので、今はかなり眠い。

試験は9時半開始だった。そして、試験会場までは電車で1時間。家から駅まで20分、向こうの駅から会場までは12分だったので、約1時間半で着く計算になる。しかし、行ったことのない場所だったので、僕は7時半に家を出た。30分の猶予を見たことになる。実は電車の所要時間を調べるとき、出発時刻を入力し忘れていて、大幅にずれていた。実際は45分ほどで行ける場所だったようだ。ちゃんと到着時刻を入力して調べなおしてみたら35分で到着すると表示された。ということで、そのまま行けば45分前に到着できるはずだった。

ところが、席にボーっと座っていたら、乗り換えの駅を乗り過ごしてしまった。二子玉川という駅なのだが…。急行に乗っていたので、そのまま勢いよく3つの駅をすっ飛ばした。僕はあわてて逆方向の電車に乗ったが、なんと、その電車は途中で急行に追い抜かれる電車だったらしい。途中の駅で止まってしまった。そして、急行の電車が抜いていく音が聞こえたあと、ゆっくりと走り出した。また時間を守れないのかと暗然としてしまったが、その後は順調に動き、なんとか試験開始5分前に試験会場に入ることができた。朝、余裕を持っておいてよかったと思う。ただ、予想通りの30分の猶予では足りなかった。電車の誤算があって、猶予が45分になっていたから何とか間に合ったのだ。まったく、気をつけなければ…。高速道路もそうだが、一度乗り過ごすとなかなか戻れないというのは怖いものだ。

この試験に限ったことではないのかもしれないが、基本情報技術者試験の会場へ向かう道は、多くの人であふれかえる。だから、その多くの人がみんなで道を間違えていない限り、その人波に乗っていれば目的地に着く。その点は結構楽だった。僕はパスネットを使っているので、帰りの切符を買う必要はなかった。まったく、便利なものができたものだ。JRと規格を統一して欲しかったものだが、まあ、それぞれに都合があるのだから仕方あるまい。コンビニで昼食を買っていこうかとも思ったが、結構混んでいたし、何とかなるだろうと思ってそのまま会場へ向かった。まあ、それほど時間がなかったというのもある。彼女だったら乗換駅で乗り過ごしたりせずに、それこそ、45分前には会場にいるのだろうな、と思った。

会場に入ったら、もう説明が始まっていた。その説明は適当に聞き流して、僕は試験の準備をした。時計を使っていいことにここで初めて気づいて、僕はあわててカバンから時計を取り出した。試験時間は9時30分から12時まで、最大で2時間半にもなる。これだけの長い間、時間が分からずに過ごすのは苦痛だと思ったのだ。

実際は、11時前にはすべて終わってしまった。そのとき、友人から電話が来た。一度他のことを考えてからもう一度見直そうかと思っていたが、気になったので、そのまま退出してしまった。これで、5点差で不合格だったりしたら泣くに泣けないが…。そう言えば、彼女も前回、5点差で不合格だった。彼女は僕と違ってずいぶん勉強していたのに、どうして合格できなかったのだろう。やはり、難しい試験なのだろうか。合格率15%と言うくらいだから、簡単とは言えないだろうが。ただ、僕が見た感じでは、彼女はどうもデジタルな発想は苦手のようだ。逆に言えば、それでプログラムを書いたり各種情報関連の問題を解いたりできるのはものすごいのかもしれない。僕は普段からPCに向かっていて、思考回路自体がPCの回路と類似しているから、勘でもある程度解くことができるが、彼女はどう見てもそんな生活パターンには見えない。ちなみにその友人の電話は、MOを購入した、というものだった。そんな高いものを、よく買うものだ。まあ、プレステ2を買った僕も似たようなものだが。弟は、本当に半分出してくれるのだろうか。

まずはコンビニに行って昼食を買った。普段からよく食べているアップルパイに、メロンパンに、焼きたらこのおにぎりだ。ちゃんと食事できる場所があるとは思えなかったので、最悪、歩きながらでも食べられるものを、と思ってこれらを選んだ。…まあ、食事できる場所を探す前から、歩きながら食べていたのだが。いったいいつから、そういう食事の仕方に抵抗を感じなくなったのだろう。別に改めて言うことでもないが、歩きながら食べるというのはかなり消化に悪い。良くないことは分かっているのだが。さらに蛇足だが、歩きながら食べると消化に悪いのは、足の筋肉が血液を奪って、消化器官に十分な血液が供給されないからだ。筋肉というのは、動かすとかなりのエネルギーを消費する。消化をするにも内臓の筋肉が動くわけだから、歩きながら食べたりすると、血液の奪い合いになるわけだ。と言っても、脳が歩けと言っている以上、歩かないわけにもいかない。従って、気づかないところで、内臓からかなり血液を奪っているのではないだろうか。まさかそんな人はいないだろうが、食べながら走るとどうなるのだろう。…このような理屈は関係なく、普通に走るより疲れるような気もするが。

11時に出ていってしまったので、1時間もの間、そこらを歩き回って時間をつぶさなければならなかった。しかし、その日は雨が降っていたので、僕は建物の中に入って、壁により掛かりながら本を読んでいた。いつものようにブルーバックスなのだが、そのとき読んでいたのは、まれに見るほどのひどいできの本だった。とても科学的とは言えない内容を独善的に書いてある。1000冊以上もあるのにすべて良い本というのを期待する方が間違っているのかもしれないが。途中で読むのをやめるのは気が引けるが、やめてしまうかどうかと考えているところだ。

12時になったら部屋に入り、13時から試験を受けた。そして15時くらいに部屋を出た。…もっと早かったかもしれない。機械語の問題は苦労したが、Javaの問題はかなり易しかった。易しいとは聞いていたが、想像以上だった。何も知らなくたって、図形があって、三角形があって、長方形があって、正方形があれば、三角形と長方形と正方形はそれぞれ図形の仲間だ、などということは分かりそうなものだ。ちなみに、この問題に限らず後半の試験は、何も勉強していなくても、頭さえ使えば解けそうな問題が多かった。そういう意図なのかもしれない。この基本情報技術者の分野に関してはあまり勉強していなかったので、試験を受けるだけでもだいぶ勉強になった。

ああ、目がシパシパする。昨日の日記も適当に書いておくかな。この試験の帰り道、もしかしたら彼女が同じ会場にいるかも、と思ったが、別に何もなかった。あとで同じ会場だと知ったら公開するだろうが、そんなことを聞く機会など、あるのだろうか。申し込みの時期は近かったし、家もそれほど遠くないので、可能性としてはあり得るのだが。メールくらいしてみれば良かったかな…?まあ、今さら後悔しても仕方ないが。

2003.04.21 (Mon) 2:16:20



2003年04月19日(土) 積極的に消極的

2003.04.21 (Mon) 2:18:23

土曜日…。ゲームをしていただけだな。なぜか日曜日の基本情報技術者試験に対して、なんのやる気も湧かず、ボーっと過ごした。睡眠時間3時間というのは我ながらかなり無謀だ。消極的と言うよりも、積極的に手を抜いていたとすら思える。なぜそんなことをしたのか、自分でも動機がつかめないが。今回は受からなかったが、ちゃんとやれば受かるのだといういいわけをしたかったのだろうか。

だ、ダメだ。眠い。今日はこれだけということで…。

2003.04.21 (Mon) 2:20:11



2003年04月18日(金) どんな日も返らない

2003.04.19 (Sat) 3:32:41

今日は16時くらいに起きた。もちろん、大学の講義なんて受けられなかった。別に研究室の引っ越しで疲れたからではなく、単に夜更かししすぎたのだ。

で、新しいプレイステーション2を買ってきた。古いやつは、スターオーシャンをまともに読めないのであきらめたのだ。今後もどうなるか分からなかったし。

ああ、やっぱり、まともに頭を使っていないと、日記を書く手もまともに動かない…。どうしたものかな。頭を使わないのもよくない気がするが、一日プログラムとにらめっこしていると本当に疲れるし…。だからと言ってプログラムをやって、ゲームをやって、などとバランスを取れるほど器用ではないし。ゲームはともかく、勉強だとかは時間をかけなければものにならない。ちょっとやったからすぐにどうにかなるものでもないし。それでも、1日の中でバランスを取るようにした方がよいのだろうか。1日中遊んでいるのもどうかと思うし。

そう言えば、アルバイトに応募したんだった。コミュニティサイト関連だ。基本的にインターネットのコミュニティは好きなので、何とかなると思うのだが…。だいたい、この日記だってその一環のようなものだし。しかし、在宅でいいという条件に惹かれて応募したのだが、Javaのスキルを学べるような仕事が、ギリギリやれそうな条件であった…。もったいないことをしたと思うが、まだ日程のはっきりしない状況で、あまりアルバイトを詰め込まない方がいいのかもしれない。だいたい、今の課題にもめどはついていないし、日曜日には基本情報技術者の試験を受けるし。この期に及んでまだ勉強をしていないというのは、少々基本情報技術者という試験をなめているかもしれない。と言うか、まず受からないだろう。合格率は15%程度だったと思う。それでこの受験料はもったいないが、まあ、宝くじは買わなければ当たらないということで。この試験の対策はしていないが、プログラミングの勉強はしているので、まあ、何もしていないと言うよりマシ、という程度ではあるだろう。

こんなものかな…。

2003.04.19 (Sat) 4:01:27



2003年04月17日(木) 新たなる生活へ

2003.04.17 (Thu) 23:04:09

今日は、研究室の引っ越しをした。今までも部屋はあったのだが、教授と一緒だったりしていろいろ遠慮があったりしたので、他の場所に分けることにしたのだ。ついでに、その僕らの方の部屋に教授の本なども置くことにした。奥さんの本も混じっていたようで、不倫の小説などが混じったりしていてなかなかおもしろかった。

11時集合と言われていたのだが、20分ほど遅れてしまった。まずいと思っていたら、呼び出した技官の人も来ていなかった。なかなかいい加減なものだ。まあ、それで、それから10分ほどして、技官の人も現れた。その人と引っ越しの相談をしばらくしていた。作業そのものは全員が集まってからやることになった。

それから約1時間後、全員が集まる時間になった。その頃には引っ越しの話もだいたい掌握して、あとは実際ものを動かすだけとなったのだが…。なぜか、一人来ない。どういうことかと、集まっていたうちの一人がメールを送った。すると、どうやらそのメールの音で目が覚めたようだ。完全に寝ていたらしい。いつも遅刻する人だが、寝ていたというのはなかなかすさまじいものがある。ちなみにその人、女性なのだが、なぜかそば屋と呼ばれている。「すぐ届けます」と言ってもまったく届かないのとそっくりだからなのだそうだ。何がなんだかよく分からないが。

というわけで、その人をのぞいた学生3人と技官の人、助教授、教授というメンバーで引っ越しが始まった。まさか教授本人が手伝うとは思っていなかったが、その理由はすぐに分かった。…運ぶものの半分以上が教授の私物なのだ。論文誌はまだ分かる。教科書というのも分からないではない。明らかに大学時代のものと思われる教科書が置いてあったりしたが…。分からないのが、小説だとか、画集とか…。英会話教材などもあった。さらにすごいものになると、スーツケースとか、バーベキューセットとか、アメリカのキッチンペーパーとか。安かったからまとめ買いしてきたらしいが、なぜそれが研究室にあるのだろう。家に置く場所がないと言っていたが、だとしても、大学に置いていいのだろうか…?ちなみに、教授が持っていた本でもっとも印象に残ったのは、「だから教授はやめられない」という本…。どんな内容だったのだろう。

とにかく教授の本が多くて、時間がやたらかかった。でもまあ、他のメンバーもいたし、疲れはしたが、楽しかった。今でもまだ腰が痛いが…。と言うか、もう4時だ。これはもう、明日の史学概論を受けるのは無理だな。基本情報技術者試験も近いのに、何もしていない。まったく、こんなことでいいのだろうか。バイトの応募もしたが、今のところ、そんな余裕はない。4年になって講義が減ればバイトくらいできると思ったが、案外余裕はないものだ。だいたい、まじめにやるつもりなら、講義がない日も研究室に顔を出しておかなければ。

ああ、眠い。もう寝よう…。

2003.04.18 (Fri) 4:13:00



2003年04月16日(水) 冷酷な周期

2003.04.16 (Wed) 19:08:49

もう、君は必要ないはずだ。僕は新たな道を歩まねばならない。もう、消えてくれ。

深呼吸すれば、冷静に考えられるはずだ。今の世の中、ここで立ち止まっている余裕などないのだ。血反吐を吐いてでも進まねばならない。ましてや今、僕の歩みを止めるものなど何もない。

忘れられるはずだ。このまま日々を過ごせばいずれ消える存在。ならば今、僕の心から消してしまわなければ。

…憂鬱な顔をしていたと思う。こんなことを考えながら帰りの電車に乗っていた。今日は割といい日だったが、それでこの憂鬱が消えるわけではない。だが今日は、朝にチキンラーメンを食べただけで、他に固形物は口にしていなかった。くだらない思考は食欲に屈し、僕は、東京駅京葉線ホームのキヨスクでチョコレートのバーを買った。

キヨスクを出たとき、なぜか、彼女がそこにいた。別に、僕に会うためにいたのではないんだから、なぜか、という言い方はおかしいが。このときは珍しく、彼女の方が先に気づいていたようだ。彼女を見た瞬間に、うだうだと考えていたことはすべて、巨大質量のハンマーで吹き飛ばされたかのように消し飛んだ。深呼吸も何もない。理性まで一緒にすっ飛んだような気分だった。「どうしたの?」と声をかける。電車から降りてそのチョコレートのバーを買うまで、1分以上経っていたはずだ。そうしたら何のことはない。彼女はこれから大学へ行くところだったらしい。就職活動をさんざんやってから研究室とは、彼女も大変だ…。

すぐに行こうと思ったが、立ち去る一歩が踏み出せなかった。結果、電車が出る直前まで、彼女を引き留めることになってしまった。乗り遅れなかったのだから別にいいとは思うのだが。…しかし、うっとうしいとは思っただろうな。まさか東京駅なんかで、僕と会うとは思っていなかったに違いない。いったい何を話したのだろう。彼女を見た瞬間から、彼女のところを立ち去るまでの間の記憶が曖昧だ。いつになったら、彼女と冷静に話せるようになるのだろう。ただ、彼女はかなり小さい声で話していた。これは、電話の経験から類推すると、僕の声が大きすぎた可能性が高い。大きな声で話されると、小さい声で返す傾向がかなり多く見られるのだ。ま、あくまで僕の経験であり、一般に言えることではないかもしれないが。

にしても、彼女がずいぶんきれいになっていると思った。しばらく会わないうちに、彼女は僕の中でどんどん神格化されて行ってしまったのだろうか。それとも彼女には誰か好きな人でもいるのか。恋の魔法できれいになったんじゃないだろうな…。と、思ったが、もう少し落ち着いて考えればそんなはずはない。僕の目から見て彼女がきれいになったように見える原因としては、僕の心理的なことも考えられるが、いくらなんでもそれで大きく違って見えるはずはない。自分の視力が落ちたのかとも思ったが、僕の視力は昔から悪いので、今になってそんなにおかしくなるはずはない。まあ、単純に考えて、就職活動のために化粧をしているとするのがもっとも妥当だろう。…人は、変わるものだ。他の人が化粧をしていても何とも思わないが、彼女の姿は、まるで別人のように見えた。元々化粧っ気のない人だったからかもしれない。

いつもの僕だったら、そのホームに残って彼女の姿をずっと見ていたかもしれないが、さすがに今回は、引き留めてしまったのが気まずくて、さっさとその場から歩き出した。僕はおなかが空いていると落ち着かなくなるので、それもあったかもしれない。それまで憂鬱だとうだうだ考えていたのが、まるでなかったかのように気分がすっきりしていた。ただ、ほんの少しの立ち話しかできなかったことが悲しくて、それほど楽しい気分でもなかったのだが。

なぜ彼女は、こんな絶妙なタイミングで現れるのだろう?単なる偶然に決まっているが、それでも、忘れようと思ったときに限って現れる。もう吹っ切れようとすると、フッと現れるのだ。彼女にしてみれば普通に生活しているだけだろうが、それでも、こんなふうに会ったりすると、なんだか妙な運命のようなものを感じる。だからと言って、それで彼女と運命的なつながりがあるとか言うほど、僕は楽天的な性格ではないが。プラス思考を心がけてはいるが、そんな都合のいい話はないだろう。…などと考えるそばで、実は彼女は、僕に会うために必死にタイミングを計っていたんじゃないかとか、わけの分からない妄想を抱く自分がいるのだが。

彼女は研究室に行くと言っていた。講義の時に彼女と同じ研究室の友人が、これから仕事があると言っていた。おそらくは研究室に行ったのだろう。彼らの研究室は、みんな毎日のように集まっているそうだ。2週間に1回くらいしか集まることのない僕のところとはずいぶん違うとは思うが、それはそれとして、何の苦労もなく彼女に会えるその友人が、うらやましく思えてならない。今さらどうしようもないことは分かっているし、ここでこうやって言っていたってどうにもならないことは分かっているのだが。そう言えば、彼らの研究室にはもう一人の人がいるが、その人は、なぜか教育用計算機室のプリンタを使っていた。彼らの研究室にはプリンタがないのだろうか。なんとなく、思い出した…。

彼女、水曜の4限は講義を受けたかったが、用事があって忙しいから受けられないと言っていた。…それさえ受けていてくれれば、少なくとも1週間に1度は会えるのに。

…ばかばかしい。会ったからって、もう手が届かないことは変わりないのに。いろいろ言っていたって、僕にはもう彼女を追うつもりなんてないのだ。追いきれるものか。僕よりも前にいる上に、僕よりも速く走っている人間なのだ。僕に何ができると言うのか。

それはそれとして、最近、あまり人に会っていなくて、かなり寂しかった。家族とか数人の友達とは会っていたのだが。前からちょこちょこ書いているが、インターネットでの知人はそれなりにいて、連絡も普通に取れているのだが、それで孤独がいやされるはずもない。コンピュータという、直接会うこととは比べものにならないほどの低レベルなインターフェースを通してしまうと、独特の楽しみはあるものの、所詮、得られるものなどたかがしれている。人と直接会うことができて、余裕があって、それで初めて楽しめるものなのではないだろうか。インターネットのコミュニケーションだけで幸せだと思える人は、異常なのではないか。…世間一般ではそう言われるが、少しうらやましい気がする。幸せなんて他人が定義するものじゃない。それで幸せを感じられるのなら、それはよいことなのかもしれない。もっとも、社会に認められない幸せなど、所詮長続きしないのだが。

それで今日は、講義を受けたので、いろいろな人と話ができた。5分ほど立ち話をしただけだが、それで十分だ。大学院に行ったらどうなるのかと不安に思うが、今は、これで少しは癒された。にしても、どうも男と話すときと女と話すときで、気分が違うような気がする。昔はそんなこともなかったのだが…。女好きになったのかな?男なら誰でもそうだ、という意見もあるようだが。それとも何かコンプレックスでもあるのだろうか。こっちの方があり得る気がする。無意識のうちに上に見ている相手と話せるからうれしい、と。まあ、どっちでもいいのだが。

さて、明日は研究室の引っ越しだ。力仕事になるようだが…。果てさて、今の運動不足の僕に、どこまでやれるのやら…。

2003.04.16 (Wed) 20:01:46



2003年04月15日(火) 刻まれるリズム

3月25日の日記3月26日の日記を更新しています。良かったらご覧ください。…って、やはり古い方から更新していくべきだったか。あとから3月分を書いても、更新したことが分からないし…。ま、いいか…。

ここからが本文だ。

2003.04.15 (Tue) 20:52:00

今日は、かなり早起きした。8時だから他の人にしてみれば普通なのだろうが、僕にしてみれば相当早い時間だ。この時間に無理せず起きられたのは、数ヶ月に一度の奇跡と言っていい。

すぐに大学に行ってプログラムを書こうと思っていたのだが、家でのんびりしているうちに10時になってしまった。さらに大学に行ったら研究室が開いていなくて、友達の研究室に行っているうちに14時になってしまった。今になって気づいたのだが、朝に食事して以来、夕飯まで何も食べていなかった。道理で、夕方におなかが空いていたはずだ。かなりの運動不足だが、摂取カロリーはそれ以上に少ないかもしれない。

それから講義を受けようと思っていたのだが、そこにいた友人に言われたりしているうちに時間が経って、面倒になって受けなかった。まったく、やれやれだ。

そのあと、自分の研究室に行ってPCに向かっていたが、研究室の連絡用に作ったWebページを編集しただけで、肝心のプログラムにはほとんど手をつけられなかった。そこまで以上に難しいプログラムではないはずなのに、どうしてここまでうまくいかないのだろう。やる気がないのだろうか。それとも、整理が足りないのだろうか。

まあ、こんなものか。また明日だな…。友達に会えないわけではないのに、ひどく寂しく感じる。何が原因だろう。と言っても、思い当たることは1つしかないが。

2003.04.15 (Tue) 20:58:58



2003年04月14日(月) 悲しき夢は儚く

2003.04.14 (Mon) 10:39:34

夢を見た。経緯は忘れたが、彼女にデートに誘われたのだ。自分から誘ったのかもしれない。とにかく、僕の家の近くの、結構変な場所で待ち合わせをした。だが、僕はその場所を、しっかり把握していなかった…。

当然、僕は狂喜して待ち合わせ場所に向かったつもりだった。時々使っていた駅のはずなのに、夢の中ではなぜか、非常に天井が高くて大きな駅だった。イメージとしては成田空港に近い。どんな駅だ、という感じだったが…。東京駅のように混み合う成田空港のような駅で、僕は待ち続ける。時間になってもまったく連絡がないのをいぶかって、僕は彼女に電話をかける。すると彼女は、その路線の終点の駅にいると言う。僕のいた場所からは45分の距離。あわててその旨を告げて平謝りに謝ったが、彼女はそのまま怒って電話を切ってしまう。

僕はあわてて時刻表を見上げる。すると、なぜかその場所まで10分で行ける特急が出ていることに気づく。細かいことを気にしている余裕はない。とりあえず彼女にメールを送る。そして、直接彼女にこの特急のことを告げようと思ったが、もはや電話には出ない。仕方なく、僕は全力疾走でその特急のホームに向かった。階段を駆け下り、ちょうど乗ろうとしたところで、無情にも電車の扉は閉じようとしていた。なぜか足下にちょうつがいがついていて、扉がそのままホームへの橋になるようなおかしな構造になっていた。だから僕は、閉まろうとして上がっていくその扉に飛びついた。その勢いで扉がガクンと下がったが、それでも僕は、彼女に会いたい一心で扉にしがみついていた。僕が一番最後だったが、なぜかそんな風にしがみついている人がたくさんいた。

本当に間違っていないのかと不安になったが、特急は快調に走り続けた。ところどころ線路がガタガタになっていて、そのたびにしがみついていた僕は振り落とされそうになったが、それでも必死にしがみついた。

そしてすべての乗客が降りたとき、ここが目的地なのかと思って、僕もそこに降り立った。しかしそこは、単なるマンションの前。彼女もいなければ、そもそも駅でもなかった。マンションに対して直角に建っている、塾と思われる建物の前には、数人の子どもたちがいた。まずい、ここではない、と思い、あわてて乗り直そうとした。しかし、そこにいたのは1匹の犬。そしてその犬はそのままその場を走り去ろうとしていた。僕は一緒に乗っていたはずの人を捕まえて聞いてみた。その人は、この犬はここらを巡回しているのだと言っていた。その駅に行くのかどうかは分からないが、ここが目的地ではないと。そのとき、犬はすでに走り出していた。僕はあわてて呼び止めたが、犬はまったく反応すらしない。そのとき子どもたち、…だったと思うのだが、犬の名前は「マーチ」だと教えてくれた。僕はあわてて「マーチ!」と叫ぶ。犬…マーチは立ち止まり、僕の方を振り返った。その時初めて、その犬がゴールデンレトリバーであることに気づいた。僕は何も考えず、そのマーチの背にしがみついた。マーチは再び、すさまじいスピードで走り出した…。

とまあ、ここで目が覚めたわけだ。何とも情けない夢だ。待ち合わせ場所をしっかり確認しないことが多いし、時間を守れないこともままあるので、その不安がこんな夢を見させたのではないかと思うのだが…。

別に僕は、犬が好きなわけでもなければ、日産のマーチに思い入れがあるわけでもない。前に書いた気がするが、どうせ乗るならカローラかプリウスだ。あの大きさの車ならヴィッツの方がいいと思っている。まあ、これは、トヨタが好きな友人の影響をかなり受けていると思うのだが。犬は昔、2度ほどかまれたことがある。1度目は、「大丈夫、かまないから」と言われて、油断して近づいたらかまれた。2度目は、「なんか怪しいチェーンがあるけど、気にしないで行っておけ」と言われてそのチェーンを外して中に入ったらかまれた。2度とも人に裏切られてかまれたのだ。所詮犬は犬であり、時にはかむということもあるものだ。最近はもう、そのトラウマに近いような思いも消えてきたが…。

これが、僕に与えられた運命なのかもしれない。手を伸ばしても届かない。最愛の存在は遠くに消え去る。次、などはあり得ない。今後どのような人に出会ったとしても、彼女とのことは吹っ切れずにずっと心に残り続けるだろう。まともにつきあえなかっただけに、僕は彼女の醜い部分、見たくない部分、嫌いな部分を見ていない。僕の中で彼女は理想化され、現実の彼女を越えた存在として、心に残り続けることだろう。僕は今後、例え新たな出会いがあったとしても、その理想の彼女と比較し、絶望するのだ。自分で勝手に理想化した存在に勝てる人間など、いようはずもない…。仮にいたとしても、僕の心からその幻想が消えるまで、ずっとつきあい続けてくれる人などいるのだろうか。

彼女が僕と話すことを望んでいないのは明白だ。他の女の友人と比べても、その話し方はかなり素っ気ない。これは、彼女の友人の影響があるのではないかと思っているのだが…。友人の影響の方は単なる思いこみかもしれないが、話し方が素っ気ないのは、僕の思いこみの影響を排除して考えてもほぼ間違いない。ちなみに彼女の友人は、僕に対してかなり良くない印象を持っているようだ。はっきりしないところはあるが、その視線は相当冷たい。友人たちを見る目から考えると、どうも見た目で態度を決めている可能性が高い。そういう人がいることは知っていたが、実際に目の当たりにするとおもしろいものがある。まあ、その友人は、見た目だけでなく、成績優秀で何でも器用にこなし、人当たりも良いのだが…。長い髪で少し色を抜いているのであまり良い印象を持たれないようで、試験前なども彼よりも僕の方が人気がある。まあ、僕が普段から理屈っぽい話し方をするので、頭が良さそうに見えるのかもしれないが。しかし、彼はその辺のことをあまり考えていないが、僕はなるべく頭が良さそうに見えるようにと考えて話している。と言うより、外見に関しては、理知的に見えるように、ということ以外は何も考えていないと言っていい。まあ、そんなわけで、僕の方が成績は悪いのだが、頭が良さそうに見えるらしい。まあ、それはいいとして、一般的な評価で言ったら彼の方が上のようだ。さすがにそこまで露骨に態度で示す人は少ないが、さすがにこの歳になれば、そんなのはなくてもなんとなく分かる。

文字数、収まっているのだろうか…。

2003.04.14 (Mon) 12:00:56



2003年04月13日(日) 露出趣味

2003.04.14 (Mon) 3:46:58

前から思っていたことではあるが、僕は秘密を持つのが嫌いだ。どうせ僕という人間を知ってもらうなら、しっかりと知ってもらいたいと思う。僕には、何事も隠したがる人の気持ちはどうしても理解できない。もっとも他の人と違うと感じるのは、この日記だ。僕も前は、この日記の存在をあまり知られたくはなかった。内容についていろいろ言われるのが面倒だったからだ。だが、考えてもみれば、それが面倒なら、面倒だとちゃんと伝えればそれでいい。何も隠すことはないということに気づいたのだ。だが、一般的にはそれは違うらしい。日記の存在を知人に知られたら、そのまま日記をやめてしまおうと考えている人がかなり多いようなのだ。実際、日記書きさんに100の質問でも、日記の存在が他の人に知られたらどうしますか、という質問があった…、と思う。そんな記憶がある。引用はしたが、内容までは覚えていない。

このような考え方は、一般とかなり異なる。普通、秘密は秘密として、持っておきたいと願うもののはずだ。だからその点について、僕とは感覚が異なっている。従って僕は、この点については十分な注意をしなければ、他人の秘密を話してしまうということになりかねない。自分が良くても、他の人がよいとは限らないのだ。だいたい、話をする場合に、第三者の秘密というのはさほど重要でない場合が多い。たとえば、このエンピツに日記を公開している他の作者さんの個人情報など、第三者が知ってもほとんど意味のないものだ。

だからこの点に関して、十分に警戒する必要があると考える。とりあえず文章にして意思表示をしておけば、ただ頭の中で漠然と考えるよりもマシな結果になるだろう。考えてみれば、彼女に告白したときも、そのことを周囲の多くの人間が知っていた。僕にとってもうれしいことではなかったが、彼女にとっては不愉快以外の何物でもなかっただろう。これはその当時も考えていたことだが、心に刻むべき失敗として、今後も反省していく必要があるだろう。それにしても、それが去年の7月だったのだから、もう10ヶ月になろうとしている。月日が過ぎるのは早いものだ。最近は彼女と会う機会もほとんどなくなってしまった。メールを送ってみたら、などと言う知人もいるのだが、メールがしつこく送られてきてうっとうしい、と悩んでいる別の知人がいる。今の僕の状況だと、それと同じコトになりかねないだろう。

内容はともかくとして、今日はずいぶん冷静な文体になっていると思う。キーを叩く手もだいぶ落ち着いている。いつものことだが、どうしてこの時間がもっとも落ち着くのだろうか。昼間にこれだけ落ち着いていれば、もっといろいろなことができると思うのだが。この時間からでは、何かをやろうとしてもさすがに時間がない。

仕方がない。夜更かしばかりしているからこうなるのだ。今日はもう寝ることにしよう。今は4時過ぎだから、10時頃に起きればいいだろう…。明日は、受けるべき講義はないが、研究室に顔を出しておくと良いかもしれない。家ではどうせまともなことをしていないのだから、なんでもいいから大学に顔を出しておくべきだろう。

2003.04.14 (Mon) 4:05:33



2003年04月12日(土) Refresh Rate

2003.04.13 (Sun) 17:31:32

今日もやはり、書くことなどはない。休みの日はいつもそうだ…。そんな休みの日ばかりでいいのだろうか。たまには、そういうのも悪くないのかもしれないが…。だが、休みの日に何かをやると、平日にダウンしてしまう。僕はまだ若いはずじゃなかったのだろうか。この程度の無理もできないとは。まあ、その最大の要因は、休日に休んでいないことではなく、平日の睡眠時間が少なすぎることだと思うが。決して朝が早いわけではないのだが、なんと言っても夜が遅すぎるために、結果として睡眠時間が極めて短くなる。4時間程度は当たり前という生活だ。これではつらいのも無理はないだろう。世界に名を残すような偉人の中にはそのような生活をしていた人も少なくないようだが、少なくとも僕には無理だ。だいたい、そういう生活は、何かを成し遂げようとする強い意志があって初めて成立するものだ。

別に何をしたというわけでもないのだが、気温が高いためか、調子は悪くないようだ。5分程度でここまで書けた。

今日は、ここ数日と比べて、一気に気温が上がったような気がする。温度計を見ると、25度を越えている。つい最近まで寒いと思っていたが、今日は暑いと感じる。…で、ふと気づいた。暑いなら服を脱げばよいのだ。やれやれ。熱気で脳がやられてしまったのだろうか。今日は鼻づまりがきついから、それで脳の機能が麻痺しているのか。鼻が詰まっていて呼吸が苦しいのに、それでも無理に鼻で呼吸しているから、なんだか頭痛がする。まあ、この季節だったら口呼吸をしたところで風邪を引いたりはしないと思うのだが…。

ところで、唐突だが、リフレッシュレートというのをご存じだろうか。パソコンのディスプレイが、1秒間に何回画像を表示しているか、という値だ。テレビもそうだが、一般にモニタ類は、常に光を放ち続けているわけではない。そうではなく、ある決まった回数で、画面を点滅させているのだ。これは光を放つ機械には割と一般的に言えることで、たとえば、蛍光灯も例外ではない。ちなみに、電球は違う。あれは電気抵抗が大きく、かつ融点が高いタングステンに電流を流すことで、電気抵抗を光に変えているのだ。だが、電気抵抗というのは熱に変わりやすいため、光とともに大きな熱を持つことになる。従って、エネルギー効率が悪いのだ。

で、パソコンのディスプレイだが、こいつが点滅していることは、パソコンの画面のすぐ近くで指を振ってみると分かる。まるでストロボ撮影のように、指が分裂するのが見えるはずだ。この設定は変えられるのだが、一般的には60Hz、つまり、1秒間に60回であることが多いようだ。だが、この回数ではかなり目が疲れる。1秒間に30回程度であれば、人間の目は連続した動きとして認識すると言われている。実際、ほとんどのテレビ番組はその程度の更新回数で映像を流しているが、これが分裂して見えると言う人間には、少なくとも僕は会ったことがない。確かに連続して見えるのだが、しかし、それでも疲れるものは疲れるのだ。これは見え方と直接依存しているわけではないようだ。おそらくチカチカとした点滅が影響しているのだろう。

要するに、点滅が避けられない以上、この点滅のスピードを上げれば、目に優しいというわけだ。理想を言えば120Hz程度あると良いらしいが、僕はそんなモニタは見たことがない。せいぜい85Hz程度だろう。そういうわけで、画面のプロパティ、詳細の中から変更できるはずなので、暇な方は試してみて、画面の前で指を振ってみるといい。3時間ほど使えば、疲れ方が違うので、違いが何となく分かるはずだ。…ちなみに、そんな長時間PCを使わないと言うなら、リフレッシュレートなんてどうでもいいと思うが。ちなみに僕は、75Hzに設定している。前に85Hzに設定していたこともあったのだが、キーンという嫌な高周波音を放つようになり、これはまずいと思って変更したのだ。リフレッシュレートを上げると、モニタに大きな負荷をかける。また、PCそのものにも負荷をかけるようだ。あまりむやみに上げると良くないのかもしれない。あとは、若干ぼやける傾向もあるようだ。…ちなみに、これはCRTディスプレイの場合だ。僕はLCDなどという高級品は持ち合わせていないので、そちらの事情はよく分からない。非常に欲しいのだが…。くれるという方は、遠慮なく連絡して欲しい。例え早朝だろうと深夜だろうと、全力疾走で受け取りに行くことを約束する。おそらく、泣いて喜ぶことだろう。

ちなみに、LCD以外にも、グラフィックボードやメモリ、新しい自転車も欲しかったりする。前まで物欲はなかったのだが、最近はその辺、すさまじいものがある…。

2003.04.13 (Sun) 18:33:58



2003年04月11日(金) Too Weak Decision

2003.04.13 (Sun) 16:57:29

気づいたら日曜日だ。本当に、気を抜くとすぐに更新が遅れる。昔はどうして、抵抗を感じずに更新ができたのだろう。まあ、休みの日でなければ抵抗なんて感じないから、休みで気が抜けてしまっているだけかもしれないが。

金曜日…。特に何もしていない。2限に行こうかと思っていたが、寝過ごしてしまったのでそのまま家でゲームをしていた。…ああ、こんなのが多すぎる。本当にどうにかしなければ。しかし、自分の意志だけではどうにもならないことが、最近ようやく分かってきた。で、都合のいいことに研究室というのがある。ということで、これからはなるべく研究室に行くことにしよう。研究室には、基本的に研究に必要な設備しかない。PCのスペックなどは若干劣るが、どうせ家にいても何もしないのだ。だったら、大学に行った方がずっと良いというものだ。

本当にそれだけだ。今日はこのくらいにしておくか。

2003.04.13 (Sun) 17:00:42



2003年04月10日(木) 他の研究室

2003.04.11 (Fri) 1:36:09

やれやれ。消えてしまった。書き直しか。

本来は1時に寝なければならなかったのだが、こんな時間になってしまった。だが、これは別に、ゲームをやっていたせいではない。ずっと、研究室にいたのだ。と言っても、僕が所属している知識情報設計研究室ではなく、地域計画研究室という別の研究室なのだが。

友人に頼まれて、OSのインストールをしにいったのだ。11時半に行って、12時半から講義があるはずだったが、極めて中途半端な状況だったため、そのまま講義をさぼってしまった。1回目の講義をサボってしまって良かったのだろうか。ちなみに、友人の手伝いのはずだったのだが、それ以外にも、そこの教授のPCのメンテナンスや、他の人のPCのOSのインストールなど、よく分からないことまでやっていた。

にしても、極めて居心地のいい研究室で、他の人のOSのインストールからソフトのインストール、Windowsのアップデート、プリンタのドライバインストール、などなどを含めても、5時頃にはだいたい終わっていた。それから食事に行ったのだが、そのあとなぜか、9時40分頃までずっとその研究室にいた…。落ち着けるのはいいのだが、とっとと帰らなければ睡眠時間が減ってしまう…。

ちょっと前に別の研究室に行ったのだが、そことはまた違う雰囲気だった。前に行った場所は、カリスマと言っていいほどの優秀な教授を頂点として、全体としてピラミッド構造をしているような研究室だった。下っ端は例え理不尽なことでも言うことを聞いて、とにかく辛酸をなめながら鍛え上げられる、という研究室だ。その代わり、それだけ鍛えられるだけのことはあり、その研究室出身の人はみな優秀らしい。企業からも極めて評判が高く、大学名では評価されなくても、研究室名で評価されるほどなのだそうだ。まあ、さすがにこれは、僕の勘違いが含まれている可能性があるが。ただ、数を気にしなければ、そういう評価があるのは事実らしい。ちなみに、彼女もそこにいるのだが、果たして彼女はそこで楽しく研究ができるのだろうか。不安に思うが、僕にはどうしようもないことだ。何か助けられればよいのだが、なんと言っても、能力的に僕は彼女より劣る。彼女に助けられることはあっても、彼女を助けることはないだろう。残念ながら。ちなみに、あとでちょっと書くつもりだが、だからと言って僕の能力が低いとは決して思わない。と言うか、そう言ってしまったら何もできない。僕の能力だってそれなりだが、彼女はそれより上ということだ。

とまあ、そういうピラミッド構造の研究室を見たあと、別の研究室、地域計画研究室をのぞいた。ここは上記の研究室の源流なのだそうだ。ここから派生して上記の研究室が誕生したらしいのだが、その雰囲気はずいぶんと違う。はやり言葉で恐縮だが、「まったり」と表するのがふさわしい。もう少し一般的な言葉を使えば、極めてのんびりとした雰囲気なのだ。もちろん、論文の締め切り時はそうはいかないのだろうが、少なくとも、部外者である僕が居座っていても、なんの抵抗も感じないほどゆったりとした雰囲気なのだ。教授のPCをメンテナンスしたときも、作業をしている僕が教授の席に座って、教授は立っていたくらいだ。そんなんでいいのか、と思ったが…。リンクなんて張って、アクセス解析されてこの日記を見られたら大変だな…。まあ、大丈夫だろう。おそらくは。

それで、そこでOSなどのセットアップ作業をしていたのだが、どうやら僕は、うちの大学の他の学生や院生と比べて、若干PCの知識はある方らしい。プリンタのドライバをメーカのWebサイトからダウンロードしてきて、TCP/IPポートを設定して、インストールするという作業を行ったのだが、その研究室でこの作業をしてあるPCはほんのわずかなのだそうだ。プログラミングにしても、それなりに書ける方らしい。だいぶ自信になった。と言っても、いくら雰囲気がゆったりしていても、論文自体の指導は苛烈を極めるようだ。プログラムだけ渡されて、あとは好きにしろと言われている僕と比べれば天地の差だ。それをこなしている人たちは、やはり尊敬に値する。まあ、そもそも、その研究室に入る段階で厳しくなることは分かっているわけで、それにも関わらず研究室にやってくるだけでも十分尊敬に値する。

さて、そろそろ寝るか…。

2003.04.11 (Fri) 2:11:01



2003年04月09日(水) 基礎科目の不足

2003.04.10 (Thu) 0:41:43

なんだかんだでこんな時間になってしまった。今日はゲームをやっていないのに…。

今日から、講義が始まった。4限と5限だったので、本来なら余裕なのだが、朝にかなりのんびりしてしまっていた。で、途中でこれはいけないと思って、それから急いで大学に向かった。初日からかなり気持ちがゆるんでいた。危険だった…。それにしてもこんな調子では、またいつか遅刻を繰り返すようになるかもしれない。十分注意して、時間には余裕を持って行動するようにしなければ。気をつければ何とかできるはずだ。

さて、足りない基礎教養科目、水曜1限と木曜1限は朝がきついので、あとは木曜3限になるな。倫理学と社会学概論があるが…。倫理学の方は、4年次に開講されている基礎教養科目なので履修生は本当に少ないかもしれない。どちらの教官もいいと思うのだが、どちらかと言えば倫理学の教官の方が好きだ。ただ、ほんの数人で受けるというのはちょっと気が引ける…。

今日は、ヒューマンインターフェースの講義とニューメディア論の講義を受けた。どちらも、かなり出席者は少なかったが、4年次のこの時期にしては、多いような気もした。ただ、初回でこの程度では、今後はどんどん減っていくことだろう。まあ、仕方のないことだ。それにしても、こんなにおもしろい講義を用意したのなら、下の学年でも受けられるような制度を用意すべきだと思うのだが…。

ということで、毎度恒例の復習をしようと思う。

ヒューマンインターフェースは、簡単に言ってしまえば人間の関わるインターフェースのことだ。では、インターフェースとは何か、ということだが、本来のインターフェースとは、2つ、もしくはそれ以上の存在の境界を表す。ここから転じて、異質の存在がコミュニケーションを行う際、どのようにその変換を行うかという方法や、その手段をインターフェースと呼ぶようになった。たとえば、人間とPCの場合、人間がPCに意志を伝えるインターフェースは、マウスやキーボードだ。そして、PCが人間に情報を伝えるインターフェースは、モニタやプリンタだ。人間とPCは動作原理がまったく異なるために、このような情報の変換手段が必要となるのだ。そして、このインターフェースの一方、もしくは両方が人間の場合、ヒューマンインターフェースと呼ぶのだ。一方が人間の場合というのは、人間対機械だからよく分かると思う。自動車の運転も、運転手の意志を自動車に伝える、ハンドルやアクセルやブレーキというインターフェースを介して行われる。このようなものだ。では、人間と人間のインターフェースとは何か。人間と人間との間に何らかの媒体を挟む場合に、このようなことを議論する必要性が出てくる。たとえば、電話やインターネットのチャットなどだ。ただ、本質的には人間対機械のインターフェースとそれほど違いはないように思える。

ここで重要になってくるのが、インターフェースとプロトコルの違いだ。プロトコルとは、日本語では通信規約と呼ばれる。2つの存在が通信を行うとき、何らかの約束がないと、意志疎通が図れない。たとえば人間の場合、お互いが同じ言語で話さなければ意志の疎通はできない。まあ、違う言語を理解できるのなら、やってやれないことはないかもしれないが。PCの通信でも、やはりこのような問題がある。と言うよりも、人間の場合は暗黙の了解というのがたくさんあって、厳密に通信規約を決めなくてもなんとでもなるが、コンピュータは現在、人間がプログラムした以上のことは何もしない。だから、通信をする際には、その決まりを厳密に決める必要があるのだ。両方が同じ約束で動いていないと、情報を送ったり受け取ったりすることはできない。それで、これがインターフェースとどのように異なるのかということだが、プロトコルは、あくまでも通信の約束事であって、2つの間の境界という概念ではない。2つの存在を効率よく結ぶのが目的だ。それに対してインターフェースは、AとBという存在があったとき、Aの表現を変換し、Bに分かる表現にするということを行う。この変換を行うのがインターフェースだ。

…とまあ、ヒューマンインターフェースの講義はこのような内容だった。このヒューマンインターフェースの設計の上で重要なのは、誰が使うのか、ということだ。そして商業的に考えた場合、誰に売りたいのかということが重要になる。なぜなら、使う人に応じて、ヒューマンインターフェースを設計する必要があるからだ。たとえばコンピュータの場合、専門家向けの場合は、OSは必ずしもWindowsを搭載する必要はない。むしろ、ソースコードが公開されており、動作をすべて把握できるLinuxを好む人もいる。そして、このLinuxを操作する際には、マウスで操作するのではなく、すべてをキーボードで直接コンピュータに命令する方法を好む人もいる。PCと言えばWindowsだが、この場合は必ずしもWindowsを搭載するのが最善とは言えないかもしれない。

ニューメディア論は、その名の通り、新しいメディアについて論じている。だが、実際の講義内容はもう少し広く、新しい情報技術全般について論じていた。日本における情報技術の位置づけ、情報技術の内訳、情報技術の実際などだ。

日本のおける情報技術の位置づけは、簡単に言ってしまえば、文部科学省が予算を重点的に配備し、重要視している、という話をしていた。簡単に、と書いたが、難しく書いてもこれ以上のことは書きようがない。

情報技術の内訳は、大きく分けて4つだった。そしてこれが、この講義そのものの中心になるようだ。次の情報技術の実際というのは、これに付随する話になるらしい。その4つとは、確か、処理、蓄積、検索、伝達だったと思うが…。言葉の使い方は違うかもしれないが、ニュアンスとしてはこのような話のはずだ。あまりに早くてノートを取れなかったのだが…。現代、このような情報技術はどうなっているのかということを中心に講義するらしい。

情報技術の実際の話は、たとえば、世界で最も速いコンピュータは何か、という話だ。ちなみに、答えは地球シミュレータだ。もちろんそれだけではなく、クラスタコンピューティングやグリッドコンピューティングについても扱った。前者は、たくさんのコンピュータを1カ所に並べてそれらを1つにまとめて処理能力を上げようとするものであり、後者は世界中に散らばった計算機資源を使って、1つの処理をするものだ。前者で有名なものは、講義で挙げられていたのは東工大のシステムだ。リンクを張ろうと思ったが、調べてみた限りでは見つからなかった…。名前なども忘れてしまって、よく分からない。で、後者で有名なのは、SETI@homeだろう。他にもいろいろあるが。これは、簡単に言えば地球外生命体を発見するためのプロジェクトだが、まあ、詳しくはリンク先を見ると良いだろう。とにかく、宇宙から来る電波を片っ端から拾って、それを解析しているわけなのだが、何しろデータ量が多いために、その処理に莫大な計算能力を必要とするらしいのだ。

話は飛ぶが、もともとHTMLやHTTPなどの言葉に表れるHyperTextというのは、上記のようにリンクを含む文書を指すらしい。…だからリンクを張りまくったわけではなく、ホームページ・ビルダーをせっかく使っているのだから、という理由なのだが。ちなみに、最新版にリンクを張っているが、僕が使っているのはホームページ・ビルダー2000 Version 4.0.6だ。どうでもいいと言えばどうでもいいが。最新版の機能なんて使いたいとは思わないだろうし。レイアウトテンプレート機能くらいか。これだって、単に僕にデザインセンスが不足しているために必要になるわけで、本来だったら必要のないはずの機能だし。Frontpageも良いソフトだと思うが。どちらにも言えることだが、慣れさえすれば、使い勝手は極めて良い。ただ、それまではどちらも、使うのにはかなりの苦痛を強いられることだろう。

ああ、やはり、大学に行くようになると、いろいろ書くことがあるな。まあ、1日に何もしなければ、書くことがないのは当然のことなのだが。さて、明日は倫理学を受けるか社会学概論を受けるか。どちらがよいのだろう…。悩ましい問題ではある。ちなみに、これは卒業するためにどうしても必要なので、受けないという選択肢は捨てて考えた方がよいと思われる。できれば両方受けておきたかったのだが。まあ、時間が重なっているからそれは無理だろう。さて、明日から毎日、これだけ書いていくのだろうか。書く方はいいが、読む方はきっとうんざりなのだろう…。

2003.04.10 (Thu) 2:15:20



2003年04月08日(火) わずかな痕跡に何を思う

2003.04.08 10:38:05

今日は、久しぶりに大学に来た。電車に乗っていてずいぶんと疲れてしまった。まあ、普段は本を読んだりしているのに、今日に限って何もしないでボーっと立っているからそういうことになるのかもしれないが。

完全に日付けがずれているので、今日のことを書いても仕方ないだろう。ということで、ちょっとした感想を…。

今日は9時から健康診断をやっている。だが、友人が遅れてくると言っていて、一人で健康診断を受けるのは嫌だからお前も待っていろ、と言う。仕方がないので、こうやって日記を書いているわけだ。

で、やることがなかったので、大学の教務課に行って、履修案内の冊子をもらってきた。この履修案内、どうも一人で2冊以上持っていく不届き者がいたらしく、今年からもらった人はチェックをするということになっていた。…前振りが長かったが、そこに彼女のチェックがあったのだ。ちょくちょく大学に来ているようだったし、もらっていてもおかしくないのだが、なんだかびっくりしてしまった。僕がその冊子を受け取っているのと同じように、彼女もこの教務課に来て、この冊子を受け取って行ったのだと。1ヶ月以上会っていないが、彼女は確かにここに来ていたのだ。ただそれだけのことなのに、なんだかやたらと印象に残ってしまった。

…上に書いた友人から、大学についたと電話があった。残りは家で書くことにしようか…。

2003.04.09 (Wed) 3:32:34

残りと言っても、書くことなどないか。これでは肝心の当日の日記のようだ。やれやれ…。やはり、3月の日記を今さら書くのには無理があるのかもしれない。

この日はこのあと、彼女に直接会った。びっくりしたが、突然のことで、軽く挨拶だけしただけだった。

もうこれは、当日の日記にした方が良さそうだな。当初はそんな予定はなかったのだが。それでまあ、彼女は就職活動が大変だと言い、笑顔で歩き去っていった。僕は馬鹿みたいに、そのあとをずっと眺めていた…。

その後、健康診断を受けて、昼食をとって、友人の研究室に遊びに行って、家に帰った。まあ、こんな1日だ。どうってコトのない1日だったが、それでも、彼女に会えたのだからそれで十分いい日だった。

これからは、どうなるのだろう。何度となく考え続けたことの結果が、ようやく見えてくる。就職活動でまともに大学に来ないと思われる彼女には、あとどれだけ会うことができるのだろう。就職できなければ、大学院で一緒になれる、なんて卑怯なことも考えてしまう…。まあ、彼女に限って就職できないなどということはないと思うが…。彼女の能力を普通に評価すれば、例えうちの大学の学生、残りすべてが落とされたとしても、彼女は採用されるんじゃないかと思う。何をさせても万能というわけじゃないが、それでも優秀であることは、おそらく間違いない。尊敬するが、それとともに、おそらくねたみも感じている。自分ではそう意識していないが、おそらくそうなのだろう。

ああ、眠い。文章が支離滅裂だ。いつもそうだが、今日はいつも以上にひどい気がする。ああ、これから歯を磨いてこないと…。3時間しか寝ていないのにこんな時間まで起きていたから、なんだか気分が悪い。虫歯にはなりたくないが、歯を磨くのが本当におっくうに感じる。

…ああ、そうだ。後回しにして書きたかったこと。普通、こんなに長く人を好きでいられるものなのだろうか。ろくに会えやしないのに、僕はどうしていつまでも、いつまでも忘れられないのだろう。頭にカーッと血が上る感じはなくなってきたが、それでも、彼女は僕にとって、あくまでも特別な存在だ。もう、未来永劫変わらないような気がする。愛は憎しみの裏返しと言うが、これが憎しみに変わることなどあるのだろうか…。まったく理解できない。

2003.04.09 (Wed) 3:48:39



2003年04月07日(月) 話してみたい人

2003.04.08 (Tue) 3:33:56

やれやれ。明日から大学だと言うのに、ゲームをこんな時間までやってしまった。ダメだな、ホント。と言っても、明日は健康診断しかないのだが、それにしても…。日記を書いていたら、寝られるのは3時間程度だな。こんな生活を続けたら絶対に体力がもたない。それで前の期は、さんざん遅刻を繰り返したりしたのに…。彼女は12時前に寝ていると言っていた。単なる生活習慣の違いだろうが、それでも見習わなければならない。やってやれないことはないはずなのだ。ただだらだらと、時間を無駄に使っているからこういうことになるのだろう。

とにかく、ゲームは23時まで。その他、ある程度の制約を自分に課さねば、規則正しい生活など送ることはできないだろう。これは、大げさに言えば、社会人としての評価にもつながりかねないことだ。どんな無理な生活をしていても、無理さえすればいい評価を得ることができるかもしれないが、それでは疲れてしまう。それよりも、初めから疲れないようにする方がずっといいはずだ。だいたい、そんな余裕のない生活をしていたら、また母が階段から落ちたりしてしまったとき、対処する余裕など残らなくなってしまう。人生、何が起こるかなんて誰にも分かりはしないのだ。

いつもそうだが、このように睡眠時間が短くて、早く寝なければならないと思っているときほど、日記を書く手がスムーズに動く。いったいどういうことなのだろう。寝ることを避けているのだろうか。僕にとって寝ることはつらいことなのか?確かに夜、積極的に寝たい、と思うことはあまりないが…。母の不眠症が、僕にも多少出ているのかもしれない。とは言え、講義を聴いていれば確実に寝るのだから、眠れないことはないはずだ。

最近、何かのテレビで、呼吸が深い方が新陳代謝が活発になりやすいと聞いて、実践している。僕の場合、この真偽などはどうでもいい。かなり強く自己暗示が働くので、そういうことをテレビでやっていたという事実だけがあれば十分だ。今のところ効果は実感できていないが、やっているうちに効果が出てくることだろう。暗示が強く効く性格。我ながら便利なものだ。うまく使っていかなければ。錯覚のようなものだが、これで擬似的に強くなれるはずだ。本当はできないことでも、自分に言い聞かせてやってしまうことができるはずだ。

昨日、久しぶりにこのエンピツで知り合った人からメールが来た。…まだ返事を返していないのだが。とっとと返さねば。まあ、それはそれとして、その人が、あなただったらどういう人と話してみたいのか、と聞いてきた。もちろん、こんな文体ではないが。どういう人…。僕が話してみたい人…。そう考えると難しいものだ。基本的に僕は、自分で話をするより人の話を聞く方が好きだ。実際人の話を聞くときどういう態度になっているのか、正直言って自分ではよく分かっていないが、基本的にはそうだ。どうしても人と話すときは、自分の好きなことを好きなように話すわけにはいかない。そのストレスをこの日記にぶつけて、自分の好きなことを好きなように、この日記に書いているとも言えるのだが。だから、そんなストレスを感じながら話すくらいなら、人の話を聞く方がよほどいいと思う。何よりも、自分でしゃべっているよりも、人の話を聞く方がずっとためになる。自分で話すのも、考えの整理になることが多いのは確かだ。だが、他の人が話すことで、僕が考えもしなかったようなことをいくらでも聞ける。まあ、僕が考えるようなことしか話さない人の話を聞きたいとは思わないが、そんな人はまずいないだろう。どんな人でも、それぞれの考えをもっており、考えに大してそれぞれの解釈を持っている。

だから、結論。僕が話してみたいのは、僕にはない考えを、いろいろと話してくれる人だ。たとえば、旅行の体験などは、聞いていてすごく楽しいものだと思う。もちろん、その人の感想がちりばめられていれば、だが。重要なのは、その人が何を感じ、それを僕にどう伝えてくれるか、ではないだろうか。これはある意味、面倒くさがっているのかもしれない。自分で話をするのが好きじゃないから、いろいろなことを話してくれる方がいい、と。ちなみに、僕を知っている人がこれを呼んだら嘘臭いと思うかもしれないが、僕はある程度知っている人には、かなりいろいろとしゃべる。基本的に自分の意志を理解してもらいたいたちなのだ。…でなければ、毎日毎日、こんな長い日記を書いたりはしない。

まあ、こんなところか。はぁ。寝る時間、ないなあ…。

2003.04.08 (Tue) 3:57:52



2003年04月06日(日) 今が指し示す未来

2003.04.07 (Mon) 2:57:35

こんな時間になってしまった…。友人とメッセをしていたのだ。どっちかと言うと僕が一方的に語っていたような気がするが、それでも、考えがまとまってためになったような気がする。とは言っても、そろそろ大学も始まるし、後ろでは弟が寝ている。こんな時間に日記を書いている場合ではないのだが…。

やっぱりこの時期、話題は就職の話になる。まあ、お互い大学院進学で、差し迫った話ではないのだが…。それを聞くと、自分のいる研究室がいかに特殊か、思い知らされるような気がする。教官は3人いるのだが、助教授は新任の人で、二日に会ったばかりなのでよく分からない。だが、残りの二人がいい意味でも悪い意味でもアメリカナイズされているような人で、雰囲気はかなり日本的な風習から遠い。研究室というと、教授を頂点に上下関係ができているようなところも多いようだが、この研究室はそれほど人もいないし、教官もそういう性格ではない。僕にはとても合っているのだが、社会に出たとき、これでよいのかと少々不安には思う。普通の研究室の人間関係と企業とはまったく違うだろうが、このような研究室と企業とでは、さらにもっと違うだろう。…なるようになるとしか言えないのだが。やはり、派遣の仕事をやってみるべきだろう。派遣社員と正社員とはまったく違うだろうが、それでもやるのとやらないのとではずいぶん違うはずだからだ。

それにしても、同級生たちの動向はほとんど分からない。連絡を取り合っている友人なんてほとんどいないし、大学にもあまり顔を出していないのだからそれも当然なのだが。ただ、先日彼女とほんの少しだけ話した感じでは、相当就職活動はきついようだ。まあ、八日にはみんな大学に集まって健康診断を受けることになる。そこで会えれば、様子も分かることだろう。

大学生活の日記なのだから、大学に行かないと話にならないような気もする。まあ、休みの日でも、ちゃんと研究をしていればいいのだろうが、はっきり言ってそんなことはしていないし…。とりあえず、それをやればいいのかもしれない。ここで1つ、今の課題をまとめてみることにしようか…。自分以外の誰にも理解できないとは思うのだが。まあ、どうせ載せるなら、ある程度分かるようにすべきだろうか。問題は、その研究が僕のものではなく、教授のものだということなのだが。僕は基本的にサポートであり、今のところは僕自身のアイデアによって、何か加えられたり、ということはないのだ。

現状を大まかにまとめると、まず、僕のすべきことは、教授のプログラムの翻訳だ。C言語で書かれたプログラムを理解し、Javaで書き直せばよいのだ。このとき、完全に同一の動作をする必要があるのだが、JavaはC言語とは違い、オブジェクト指向の言語であるため、その内容は異なってくる。従って、ソースコードを1対1で書き直すことはできない。これが問題なのだ。異なる言語で記述しているのに、まったく同じ動作をさせなくてはならない。これを不勉強な僕がやるのは、そうとう難しい、とこういうわけだ。おそらく、このような要請は世の中一般に多くあることだろう。何らかの手法もあるに違いない。従って、そのような手法から調べていけばいいのかもしれないが…。それで何も得られなかったらどうすればよいのかと考えると…。とりあえず、問題を軽く見ていたことは間違いない。これは僕にとって、相当に難しい問題なのだ。ちなみにそのC言語のプログラムは、800行程度の短いものだ。内容は、自律型の船舶エージェントの動作をシミュレートするものだ。従って、オブジェクトを設計する場合、その自律型のエージェントをクラスとして用意すればいいはずだ。船舶の取る座標、進行速度(速度は方位を含む)、船舶の動作を決定する力の係数などをフィールドとして持ち、進行方向を決定するメソッド、自らの新しい位置を取得するメソッドなどを実装すればいい。それは分かっているのだが、ここの細かい動作が正しいのかどうか、どうやって確認すればいいのか分からないのだ…。実際、動かしてみても正しく動かない。どこが間違っているのか分からないのだ。

前途は多難だが、自分で選んだ道だ。やるしかあるまい。これくらいのことができなければ、ソフトウェアを扱う技術者にはなれないだろう。手間を惜しんでは、将来の自分が苦しむ。まずは、すべきことを順序立てて整理することだ…。

やはり、頭の中だけで考えるよりも、日記にしてみた方がまとまるような気がする。…それを人に読ませるのもどうかと思うが、他の人が見たらどうなのだろう?まあ、こんな日記があっても悪くはないだろう。見てくれと頼んだわけでもないし。…と言ってしまってはあまりに無責任だろうか。

今日は久しぶりにまとまった量になった気がする。読む方は大変かもしれないが、一応書くならこのくらいは書いておきたいものだ。

2003.04.07 (Mon) 3:49:45



2003年04月05日(土) スタイルシートの機能

2003.04.06 (Sun) 4:18:38

スターオーシャンというゲームをやっていて、最近、クリアした。で、データを保存しておいた。そのあと、弟がそのゲームをやり始めたのだが、そこで行き詰まってしまった。そこで、自分のデータをロードして調べようとしたところ、間違って弟のデータで自分のデータを上書きしてしまった。70時間も無駄な時間を費やしたのに、すべて消えてしまったわけだ。

で、もう一度最初からやり直そうと思って、少しやってみることにした。と、思ったら、ずいぶん調子が良くなってきて、そのままずーっと日が変わるまでやっていた。前の日の12時くらいから始めて、次の日の9時くらいまでやっていた。なかなか廃人の生活を送っている。

…今日はなんだか文章がおかしいような気がする。眠いからだろうか。それとも、頭を使っていないからちゃんとした文章を書けないのだろうか。とにかく明日は、家の外に出よう。いろいろやることはあるかもしれないが、とりあえずこれが一番だ。

ここ数日、ホームページビルダーを使ってこの日記を書いているのだが、なにも加工などをしていない。せっかくのホームページビルダーなのにもったいないことだ。まあ、あれこれいじくり回して昨日の使い方は確認したのだが、肝心の、機能を使う目的がない。あえて使わなければならない必然性がないのだ。すべてのHTMLタグを使えるここは、練習にはちょうどいいと思うのだが…。ああ、そうだ。なんか枠を出す機能があったな。この日記に使っているスタイルシートの機能だ。

ここに枠のタイトルを書くらしい。

このような感じになるようだ。どういう意図で用意されているのか分からないが、なかなかおもしろいのではないだろうか。それにしても、外部のスタイルシートを取り込んでそのまま使えるとは、ホームページビルダーもなかなかおもしろい。

ま、今日はこんなもんで。…もっと早く寝ないとダメだな…。なんか焦げ臭い気がする。PCが異音を発しているが、まさか焦げているのではないだろうな…。

2003.04.06 (Sun) 4:50:55



2003年04月04日(金) 狂うリズム

2003.04.05 (Sat) 4:21:52

ずいぶん遅い時間になってしまった。と言っても、今日起きたのは夕方の17時頃だからちっとも眠くはないのだが。

今日は、朝方早く、弟に起こされて一緒にゲームをやっていた。昨日、4時頃に寝て、起こされたのは6時頃だったので非常に眠かったのだが…。で、その影響もあってか、昼間はずっと寝ていた。

う〜ん、ちょっと前まで、PCの前に座れば、適当になんか書けたものだが…。最近、本当に何も書けやしない。何もしていないから何も書けないというのはあるが、それにしても…。

この時期、友人たちはみんな、就職活動で非常に忙しくしているはずだ。僕も、いくら大学院進学を決めたとは言え、こんなのんびりしていていいのだろうか。やるべきコトはいくらでもあるのかもしれない。

2003.04.05 (Sat) 4:28:50



2003年04月03日(木) 更新の決意

2003.04.04 (Fri) 3:32:53

書いていた内容がすべて消し飛んだ。コンピュータがシャットダウンしたせいだ。ああ、自動保存機能のあるWordが欲しい。

今日は、彼女と少し話をした。と言ってもメッセンジャーだが。研究室が彼女と同室の友人が、その研究室に彼女が来ていると言って呼んでくれたのだ。と言っても、今さら話すことなんてなかったのだが…。

毎度のことなのだが、同じコトを二度書くのは悲しすぎる…。いったい、何が原因なのだろう。CPUは考えにくいから、マザーボードか、グラフィックボードか、あるいはサウンドボードか。

とりあえず、毎日書いていけば、いずれ隙間も埋まることだろう。とにかく、これ以上開けないことが大事だ…。

まあ、もっと量は多かったが、とにかくこのようなことを書いていたはずだ。やれやれ…。本当にどうして消えてしまうのだろう。

2003.04.04 (Fri) 3:40:00



2003年04月02日(水) 機械的自然観

2003.06.29 (Sun) 15:55:38

さて、ずっと空白になっていたここら辺の日記も、ついに片づく。最後は何を書くべきだろうか。

過去の日記を少し読んでいた。その中で気になった記述があったのでこの点について。

機械的自然観という言葉をご存じだろうか。少なくとも、日本ではわりと一般的な考え方だ。だが、この考え方、登場したのは確か17世紀くらいだ。結構最近なのだ。

簡単に言えば、自然は機械だという考え方だ。あらゆるものには法則があり、条件さえ整えば、すべての挙動は必ず同じになる。当たり前だと思うのではないだろうか。

しかし、この考え方は、300年ほど前までは存在しなかったのだ。では、どう考えられていたのか。

すべてには目的がある。人間には存在意義があり、その他のものにも、すべて目的がある。たとえば、野菜は人間やその他の動物に食べられるために存在し、その他の生物は生物連鎖を構成するために存在する、だとかまあ、そういうようなことだ。

これは、神の存在がその根底にある。すべては神が作ったのだから、神は何らかの目的を持ってこの宇宙を作ったに違いないと言うのだ。そして、その目的を追求するのが人間の役目だと考えられていたらしい。

機械的自然観は、少し大げさにいえば、人類を…少なくともその自然観を信じる人々を、絶望のどん底にたたき落とした。すべては特定の法則に従って動く。そこに目的などはない。ただ、そういう世の中があるだけだ。では、何のために人類は存在するのか?この自然観は、そこに答えを示さない。人間は単なる有機物の塊であり、存在意義などそもそもないのだと。

ああ、やっぱりだいぶ昔に聞いた話だから、ずいぶん忘れている。

でもとにかく、それは悟るべきではないだろうか。人間にはそもそも価値なんてないのだ。だから、価値を見いださなければならない。自分の自己規範の中で許される手段で、何とか自分の価値を確認する。それができなければ、生きる目的も何もあったものではない気がする。

ああ、やっぱりこういう話は、感情的にならないと書きづらいな。ただでさえ今日はたくさん書いていて疲れているのに。

もういいか。どうせこんな日付の日記なんて、そんなたくさんの人が読むわけではないだろう。

2003.06.29 (Sun) 16:24:05



2003年04月01日(火) 学歴

2003.06.29 (Sun) 15:41:14

今日は、学歴について。

最近、学歴が就職に影響しなくなってきたと言う。なるほど。確かにそのような傾向はあるようだ。僕も、世間一般で一流企業と呼ばれるようなところで派遣社員として働いている。三流大学にいるにもかかわらずだ。まあ、実際に行ってみると、教育内容としてはなかなか優れていると思う。有名私立大学に行くくらいなら、ぜひとも東京商船大学を勧める。もちろん、内容を確認してからではあるが。三流というのは、世の中の評価のことだ。

世の中の評価、ひらたくいえば偏差値だ。高校から見た大学の評価になるわけだ。社会から見た大学の評価は、明確な基準を知らない。何かあるのかも知れないが。

それで、この学歴だが、考えなければならないのは、これはそれなりに重要だということだ。特に工学系の場合、高度な専門教育を施されて卒業する。専門学校と違って、その理論的な背景も含めて教育される。従って、このような人材をうまく使えば人件費の費用対効果は格段に上がることだろう。企業内で教育しなければならないところ、新人の時点で、勝手に勉強してきてくれているのだ。

だが、それはごく一部の場合だ。たとえば、文系の学部になると、実際に社会に出て役に立つような能力はほとんど身につけてこない。そもそも、そういう趣旨の教育をしていないのだから当然だ。とは言え、物事の思考力というのは鍛えているはずだから、人材として役に立たないことはないはずだ。

だから、学歴が重要なのは一部だ。会社の指導者となるべき人間、高度な専門知識を必要とする職種。このような場合は、学歴を考慮すべきだろう。たとえば、東大などの出身者は、やはり相対的に見て物事を思考することに関して優れている場合が多い。一方でいろいろと弱点も指摘されているようだが。

ほとんどの場合、学歴は関係ない。しかし、学歴を考えるべき場面もやはりある。その点をよく考えるべきだと思う。

ちなみに僕の場合、確かに社会で必要となるような専門知識を学んでいる。だから、東京商船大学の出身者は、社会に必要とされる能力を持ち、学歴として評価されるだけのものを持っているだろう。ただ、僕自身はそうは言えない。専門としてコンピュータを選択したため、世の中で自分の力を主張できるような高度な専門知識を持つには至らなかったのだ。従って、僕は学歴なしで、中級以下の人材として勝負することになるだろう。

要するに、最高の人材は学歴など、細かいことも考慮して選ぶべきだが、そうでもない人材は学歴なんてどうでもいいということだ。

2003.06.29 (Sun) 15:52:00


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