夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年09月30日(日) ポカスカジャン

 コミックバンド・ポカスカジャンが今夜、今池「TOKUZO」にやってきた。彼らのことはずっと気になっていたので、ライブに行って来た。
 最近NHKのお笑い番組に出演していた彼らは、その番組のなかで『俺ら東京さ行くだ』(吉幾三)のボサノバ・バージョンというのを披露していた。それがすごく面白かったので今回のライブを観に行くことにしたのだが、ちょっと期待が大きすぎたようだ。というか、面白いものとそれほどでないものとの差が大きかったということなのかな。
 でも、帰りには彼らのCDを購入。CDのなかで秀逸だったのが、『村田ディランの王将』という一曲。「もしも村田英雄の『王将』をボブ・ディランが歌ったら、こんな感じになるんだろうな」と思わせるようなコミックソングだ。彼らの音楽センスのよさを思わせる作品だった。
 ライブはアッという間に終わってしまい、物足りなさが若干あったが、それでも勉強にはなったと思う。



2007年09月24日(月) アルマジロ

 今夜、本郷(名古屋市名東区)にあるライブハウス「アルマジロ」で行われた「アコースティック・ナイト」に参加し、3曲演奏してきた。
 このお店、カントリー・ミュージック主体のライブと、アメリカ南部料理の店ということらしい。初めて行ったが、なかなかいい雰囲気の店だ(星ヶ丘の「スローブルース」とはまた一味違うけど)。
 さて、「アコースティック・ナイト」について。「スローブルース」の「生音くらぶ」と同じようなコンセプトのイベント、つまり、約10組が参加し、2〜3曲ずつを演奏していくというスタイルだ。
 店にはライブ・スタートの夜8時よりだいぶ早くに到着。店に着いて「夏撃波です」と名乗ると、店員の一人が「え〜っ、夏撃波さんですか?」「僕、星ヶ丘で観たこと、ありますよ」「すごく楽しみです」などと話しかけてくる。そして、他の店員に「この人、すごくいいですよ」と言いまくっている。私は「そんなにハードル高くしないでよ」と応じた。どうやら一番乗りということで、出演順は1番手らしい。多くの人は1番手を敬遠しがちだが、私はむしろ1番手が好きだ。なんだかんだ言っても、演奏前は緊張するもの。演奏自体は楽しいのだが、緊張感からは一刻も早く解放されたいという思いが強い。だから、1番手はほとんど苦にならない。
 で、8時過ぎに、ライブ開始。私は、『雨ニモマケズ』(宮沢賢治の詩)の朗読と、『ティアーズ・イン・ヘブン』(エリック・クラプトン)、『朝日楼』(浅川マキ)の演奏を行った。それなりに満足のいくステージではあったが、初めての場所はやはり緊張も強かった。思わぬところで(一度も間違ったことがないようなところで)小さなミスも出た。
 でも、早々と出番を終え、あとは他の出演者の演奏をリラックスして聴くだけ。他人の演奏を聴くのもいろいろと勉強になるし、楽しい。「スローブルース」の「生音くらぶ」の常連さんも2組出演していたが、初めて聴く演奏者がほとんど。演奏は十人十色で、それぞれに個性があって面白い。それと、「スローブルース」以外も経験しておくと、また演奏の幅も広がるような気がした(先月は、滝ノ水「アランプーサン」に行ったけど)。
 11組の演奏が終了して帰ろうとすると、今日の出演者のひとり、20代の女性が寄ってきて、「ライブの予定とかないんですか?」と聞いてくる。特に予定がないのでその旨を伝えると、「演奏、すごくよかったです」という感想を伝えてくれた(その瞬間、私の心のなかでは、「俺に惚れるなよ」と呟く自分に対して「もうひとりの自分」が「バカなこと言ってんじゃねえよ」とツッコミを入れていた)。わざわざそんな感想を伝えてくれる人がいたのは、とても嬉しかった。ほろ酔い加減で、機嫌良く家路につく私であった。



2007年09月22日(土) 「乱れ髪」上演会

 「劇団pH-7」公演の「乱れ髪」上演会を観に行ってきた。
 今回の公演は、「みだれがみ」プロジェクトの一環として、映画プロダクション「STONE ENTERTAINMENT」と「劇団pH-7」がタッグを組んだものだという。この「乱れ髪」上演会は、映画「みだれがみ」のワンシーンに組み込まれるらしい。実際に上演会場であるpH-7アトリエにハイビジョンカメラが潜入し、俳優たちと人形を記録。2次元の虚像(映像)と3次元の虚構(舞台)とがいかなる融合もたらすのか(人形と俳優、そして映画と演劇、このパラドックスの間に生まれるものは何か?)という実験でもあるらしい。ちなみに映画の完成予定は来春という。
 さて、今日の上演会についてである。人形や舞台セットが効果的に用いられ、劇中でも幻想と現実とが交錯する展開があった。次々に繰り出されるイメージシーンとそのテンポのよさとで、見事な舞台空間が創り出されていたと思った。ただ、セリフのシーンが若干弱く感じられ、虚構の中に十分に入り込めなかったようにも思えた。



2007年09月19日(水) リベルタンゴ

 今日の昼、久しぶりに<沙羅双樹ふたたび>の練習を行った。個々では日々練習していたが、もう1ヶ月以上音を合わせていなかった。今日は3時間みっちりと練習。その余勢をかって、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加した。

 8時すぎに店に入るも、すでに大勢の人。ペコ小林率いる「ピアノ軍団」が店の中央に陣取っており、奧からはえみちゃんが出て来るではないか。その後も続々と出演者やお客さんが来店。スタート時点で店は満杯に近い状態。
 まずは、ペコ小林(ピアノ)&チャビィ小林(ギター)のジャジーな演奏からスタート。「ピアノ軍団」とチャビー小林のコラボがしばらく続いたが、途中「ピアノ軍団」の一人の女性が実のおじいさんと共演。80代というこのおじいさん、ただ者ではない。この人の吹くサックスはとても色気があって、無茶苦茶渋かった。ジャズのスタンダード曲「モーニン」の演奏に、会場はまさしく「興奮のるつぼ」。
 興奮醒めやらぬままにその後もステージは続いたが、「ピアノ軍団」の演奏がひととおり終わった後、えみちゃんがアコーディオンで「黒あめナメナメ」と奏でながら登場(この人、数年前に春日井製菓の「黒あめ」のCMソングを作ったそうな。この人もやはりただ者ではない)。『見上げてごらん、夜の星を』『サン・トワ・マミー』を演奏、最後は私も大好きな『ビア樽ポルカ』でノリノリの演奏。腕前が凄いのはもちろんのことだが、「この人、本当に音楽が好きなんだなぁ」という感じが強烈なまでに伝わってくる。素晴らしいエンターテナーだと、あらためて感じた。

 そうこうしているうちに、われわれ<沙羅双樹ふたたび>の出番がまわってきた。まず1曲目は、ソロで『星ヶ丘ロケンロール』(オリジナル)を演奏。そこそこ盛り上がったところで、沙羅とその後の2曲を演奏。
 2曲目は、『アスタ・マーニャ〜明日への子守唄〜』(ディアマンテス)。私は沙羅のギター演奏に歌をのせ、最後ミンミンを演奏。ちょっと音をはずしてしまったのは残念だった。
 気を取り直しての3曲目。無謀にも、アストル・ピアソラのタンゴの名曲『リベルタンゴ』(数年前に、ヨー・ヨー・マがチェロで名演奏をして有名となった)に挑戦。沙羅がアコーディオンを、私がギターを担当。つたない演奏ながら、気持ちよく演奏でき、最後には大きな拍手もいただいた。『リベルタンゴ』が名曲であることをあらためて思った。今回のステージでは、『リベルタンゴ』の曲そのものの持つ力に助けられた気がした。

 私たちが終わった後も、何人もの演奏者が控えていた。でも、自分たちの演奏が終わってしまえば、あとはリラックスして純粋なお客として楽しむだけだ。結局すべての演奏が終わったのは、深夜1時近く。
 次の日も仕事は控えているが、いつもにも増して楽しい夜だった。



2007年09月15日(土) 短篇小説『モノローグ』(夏撃波・作)

   治、かわいそうに。お前のお母さんも
  あんなふうに言わなくてもいいのにね。
  知ってるかい、お前のお兄ちゃんがあん
  なふうになったのも、元はと言えば、お
  母さんのせいなんだ。お兄ちゃんがお腹
  にいる時に、お母さんが転んじゃったん
  だよ。だいたいね、うちの家系に自閉症
  なんて障害者は一人もいなかったんだか
  ら。司みたいな子が生まれるなんてね。

 夢、だったのか。なんて嫌な夢を見てしまったんだ。実際のところ、祖母は幼い私にあんなことを言ったのだろうか。このところ、本当に悪い夢ばかりを見る。昨日は、義理の伯父がわが家にどなり込んでくる夢、「司のせいで、俺たち親戚は本当に迷惑している」などと口走っていた。その前の日は、私自身が兄の死を秘かに祈っている夢、その夢のなかで母は嘆き悲しんでいた。
 やはり病院の簡易ベッドがよくないのか、いや、隣に眠る兄の病状が思わしくないのが不眠の何よりの原因に違いなかった。昨夜も、夜中に嘔吐を繰り返す兄の背中を何度もさすった。今朝のご飯も結局手つかずで、兄はそのまま寝入ってしまった。
 午前八時、父が病室にやってきた。付き添い交替の時間だ。
 「治、大丈夫か」
 「俺は大丈夫だけど」
 「本当にすまない。まあ、俺も退職した後
 だったから何とかなるけど、仕事してたら、
 母さんの負担は大きかったな」
 「父さんも母さんも大丈夫なのか」
 「母さんはずっと泣きっぱなしだ。『なん
 であんないい子が白血病なの』ってな」
 「俺も最初は現実感なかったよ。でも、兄
 貴は今、生きようとして闘っているんだな」
 「こいつはずっと闘ってきたんだよ」
 「えっ」
 「病気になる前から、見えない巨大な敵と
 な。お前のお兄ちゃんはずっと闘ってきた
 んだよ」
 父が泣いているのがわかった。人前で涙など見せたことのない人なのに。私は気づかないふりをして、「仕事、行ってくるよ」と声をかけ、病室を出た。
 病院を一歩外に出た時、朝日があまりにまぶしくて、目がくらみそうだった。
 闘い、か。父にとっても、母にとっても、私にとっても、それぞれの闘いがあった。けれども、私たちのなかで兄がいちばん激しい闘いの人生を生きたのかもしれない。多くの傷を負いながら、何度も何度も立ち上がり、生きてきた。三十年以上にも及ぶその闘いにも、間もなく終止符が打たれようとしているのか。
 生きることは闘いだ。多くの援軍を得て勢いに乗る時もあれば、裏切られ、深く傷つくことだってある。けれども、誰もが死ぬ時は一人。その時、誰にもその一人の人間を助けることなどできないのだ。
 大きなくしゃみをひとつした後で、めいっぱい息を吸い込んで、私は今日という一日の第一歩を踏み出した。


 ****************
 
 今日は「短編小説」講座の最終日。受講者が創作してきた短篇について批評することに多くの時間が費やされた。
 今回、創作に当たって十分な時間をつくることができず、結局ギリギリまで悩んだ。何とか無理矢理にでも創り上げた作品であり、出来については不満な点もあった。受講者のなかから不足な点についての指摘もあったが、それは私自身にも十分に納得のいく批評であった。それでも、私の作品について、おおむね好意的に受け止めていただけたように思う。受講者のひとりが、「私は、この作品、好きです」という感想を言ってくださり、今回はそれだけで十分満足だった。できれば、この先、自分の追求するテーマで、小説に取り組んでみたいと思っている。



2007年09月13日(木) ザ・無責任

 参院選での惨敗後も退陣せずに政権にしがみついてきた男が、まさかの辞意表明。しかも国会で所信表明演説を行った直後だなんて。一国の首相がまるで幼児レベルの行動ではないか。ああ、日本人としてあまりに恥ずかしいよ。
 まあ、俺は一度だって、安倍さんを支持したことはなかったし、自民党に投票したこともないのだけれど。でも、現実には自民党が政権の座にあって、自民党総裁たる安倍さんがこの国のトップだったわけだ。間接的には国民が選んだ人がこのていたらくなわけだから、歯がゆいよな。国民はもっと利口にならなくちゃ、いつまでたってもバカにされると思うね。



2007年09月08日(土) 桐野伴秋写真画展&ケン・コシオLIVE

 昨日に引き続き、日中は「短篇小説」の講座を受講。
 講座が終わってから、一度家に戻り、塩釜口のギャラリー「ネスパルド雅」で開催中の「桐野伴秋写真画展」を観に行った。撮影の際に何らかの仕掛けを施してできあがってきた写真は絵画のように見える。その不思議な世界を堪能した。
 そのイベントについては、ケン・コシオさん(アメリカ・アリゾナ在住の、シンガー・ソング・ライター。愛知県出身)から紹介された。実は、今日の午後、私の職場でもある福祉施設にケンさんが来てライブをやってくださっていた。私は、短篇小説」講座を受講していたため、残念ながらそのライブを観ることはできなかったのだが。そのかわりに、今夜、桐野さんの展覧会のオープニング・パーティーで、ケンさんがミニ・ライブをされる、との情報を得ていた。で、それも目当てで出掛けていったわけだ。オリジナルの他、ロックのスタンダードのカバーも熱唱。1時間弱のライブは大いに盛り上がりを見せていた。ケンさんのスピリットが伝わってくるようだった。
 明日の夜勤を思うと気が重くなるが、しばし楽しい時間を過ごすことができ、ハッピーだった。帰りに、八事のベトナム料理店で食事を済ませてきた(本当はジャマイカ料理店に行きたかったのだが、臨時休業だった)。



2007年09月07日(金) 短篇小説創作ワークショップ

 今月7日・8日・14日・15日の4日間にわたって行われる『短篇小説創作ワークショップ(4日間集中)』(NHK名古屋文化センターと愛知淑徳大学の提携講座)を受講。講師は、作家の堀田あけみさん。1980年に発表した『アイコ16歳』でデビュー(当時、高校2年生)、その後作家活動も続けながら、心理学者として研究者の道も歩む。最近では、自閉症の子を持つ母として『発達障害だって大丈夫〜自閉症の子を育てる幸せ』という本も発表している。
 さて、今回の短期集中講座では、前半は認知科学的アプローチ(「言葉とは何か」「コミュニケーションの手段としての言葉」)、後半は創作へのアプローチ(「文体を考える」、「評価と討論」)という内容での講義と演習が行われるとのこと。
 幼い頃から小説を書きたいという思いだけはあったが、今回はそのきっかけづくりとして受講することにした。4日間の講座の間に果たしてどんな小説ができるのか、楽しみである。



2007年09月05日(水) ティアーズ・イン・ヘブン

 今日も、星ヶ丘「スローブルース」で開催の「生音くらぶ」に参加してきた。
 今夜は、友人の<まっちゃん&えみちゃん>も参加し、楽しい演奏をしてくれた。まっちゃんとは職場の同僚を介して知り合ったが、その後コンサート会場で偶然に顔を合わすことが3回もあり(友部正人、ソウルフラワーユニオン、ソウルフラワー・モノノケサミット)、音楽的な趣味を共有する仲間でもある。えみちゃんとは先日のソウルフラワー・モノノケサミットのライブで知り合った。彼らの演奏(ソウルフラワーユニオンの『満月の夕』と、スタンダード曲『スタンド・バイ・ミー』)は、とてもホットで楽しかった。えみちゃんのエモーショナルなピアニカ演奏と、それを包み込むようなまっちゃんのギター&ボーカルは、素敵だった(まっちゃんのボーカルは、どことなくBEGINのボーカリスト・比嘉さんを彷彿させた)。<まっちゃん&えみちゃん>とは近いうちに、<沙羅双樹ふたたび>と同じステージに立っていただいて数曲合わせてみたいとも考えている。
 その他常連メンバーに加えて、バンジョーで参加の方や、ピアノを始めて1〜2ヶ月というのが信じられないほど上手な方の演奏も聴くことができ、楽しい夜となった。
 私自身は、ソロでの演奏。まずは、宮沢賢治<雨ニモマケズ>にミンミンで音をつけ、朗読。ギターに持ちかえて『ティアーズ・イン・ヘブン』(エリック・クラプトン)を演奏、間奏ではホーメイ唱法(?)も披露。最後は『朝日楼』(浅川マキ)で締めた。
 「生音くらぶ」には演奏技術の高い方々が多く出演されるが、私は自らのスタイルに更に磨きをかけていこうと思っている。



2007年09月03日(月) 1週間 もたなかった

   遠藤武彦農相は3日、午前自身が組合長理事を
  務める農業共済組合が国から補助金を不正受給
  していた問題の責任を取り、首相官邸で安倍晋
  三首相に辞表を提出、受理された。安倍内閣で
  の閣僚交代は5人目。後任には若林正俊前環境
  相が決まった。
    (9月3日付 中日新聞 夕刊 より) 

 内閣改造後わずか1週間での農相交代とはあまりにお粗末だ。任命権者にあたる首相の責任は当然重い。というか、今回のような事態を招いた元凶は首相自身の身の処し方にある、と言って過言ではあるまい。そんな簡単なことをこの国のトップは全くわかっていない。あるいは、わかっていてもなお首相の座にしがみついている。あまりに醜くて、逆にこちらが恥ずかしさを覚えてしまうくらいだ。
 今の自民党には特に自浄能力がないみたいなので、今は野党側の闘い方に期待するしかない。でも、その野党にしてもどこまで期待できるのか、疑問符は残り、この隔靴掻痒感はなかなかなくなりそうにない気がしている。


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]