2007年08月31日(金) |
被害者は二度殺された |
「闇サイト」も絡んだ、名古屋市千種区の「女性拉致殺害事件」について、再び言及したい。まずは、8月30日付の中日新聞朝刊(社会面)から引用する。
殺害された名古屋市千種区の磯谷利恵さんがブロ グを開設していたことが報じられた28日。そのブロ グに、匿名の投稿者からの心ない中傷の書き込みが 相次いだ。犯人を擁護する内容や、舌を出して万歳 をした文字絵などもあった。
そんな書き込みをする人間が信じられない。本当に信じたくない出来事だが、これが今日の社会の現実なのだ。実際の殺人と同等、いや、それ以上に罪深い行為だと思う。もちろん、そのような書き込みをするのはごく一部の心ない人間だけだろう。けれども、たとえ少数であれ、今回の拉致・殺害事件の加害者たちと同じメンタリティーを持った人間が一定数存在するという現実を突きつけられ、戦慄を覚えずにいられなかった。 とてもとても病んだ社会のなかで、私たちは生きている。絶望的な現実のなかで、けれども、どこかに希望を見いだしていきたいとも思う。
2007年08月30日(木) |
韓国でも「自己責任論」? |
アフガニスタン旧政権タリバンによる韓国人拉致・ 殺人事件は28日、タリバンと韓国政府が人質19人の 全員解放で合意し、事件はようやく全面解決に向か う見通しとなった。解放条件は駐留韓国軍の年内撤 退と同国のキリスト教宣教団の活動中止とされるが、 身代金の支払いなどの裏取引も交わされたとの見方 は根強い。タリバンの「面目」を立て、韓国政府が 「実」をとった可能性が高い。 (中日新聞8月29日朝刊.国際面より)
今回の事件をめぐっては、韓国内でネットを中心 に「自己責任」論争がわき起こり、青瓦台の報道官 が記者会見で被害者に対する批判への自粛を呼びか ける一幕もあった。 (中日新聞8月29日朝刊.国際面より)
タリバンによる「韓国人人質事件」はここに来て解決に一歩踏み出したわけだが、今回のようなケースで韓国においても「自己責任」論争が起きたというのはちょっとした驚きであった。3年前にイラクで起きた「日本人人質事件」、そして人質3人に対するバッシングが思い出された。あれと同様なことが韓国でも起きたわけだ。ただ、そうしたバッシングに対する政府の対応ということでは、日韓のあいだに大きな違いがあった。当時の日本政府は自らの責任に言及せず、「人質3人」に責任転嫁するという対応をとった。その点、今回、韓国政府はもう少し冷静に対処したように思われた。 もうひとつ、日本も韓国もすっかり「ネット社会」になったんだな、と実感もした。
2007年08月29日(水) |
今池デ、アフリカヲ、踊ル! |
今日、「午後4時半から、今池ガスビル前で、カメルーンのバンド<エリク・アリアーナ&コロンゴ・ジャム>が路上演奏する」との情報を得て、出掛けていった。どことなくユッス・ンドゥール(セネガル出身のミュージシャン)を彷彿させる、リズミカルで解放的なサウンドと踊りに魅了された。至福の40分間だった。 その後、庄内通(かつて住んだこともある所)まで移動して、某・韓国焼肉料理店にて夕食を摂る。本場の焼肉に、キムチ、トック(韓国風お雑煮)等を食べつつ、マッコルリ(韓国の濁り酒)を飲んでほろ酔い気分。ちょっと食べ過ぎて苦しかったが、楽しい気分のまま帰宅。
2007年08月28日(火) |
「美しい国」の卑劣な犯罪 |
名古屋市千種区の会社員磯谷利恵さんが男3人 に拉致され殺害された強盗殺人・死体遺棄事件で、 死体遺棄容疑で逮捕された3容疑者は、インター ネットを通じて知り合ってから犯行に及ぶまでの 約1週間、ほぼ連日、夜中に市内を車で走り回り、 金を奪うために襲う女性を物色していたことが 愛知県警特捜本部の調べで分かった。 (中日新聞28日夕刊 より)
世相を反映するようなイヤな事件は年がら年中発生しているが、あまりに多すぎて一つひとつの事件を覚えていられないというのが正直なところだ。でも、上記の事件は私にとっても大変ショッキングな事件であった。同じ市内で起きたということもある。が、それ以上に、自分の身近な人が(場合によっては自分自身だって)殺される可能性もあったという思いが浮かんできて、とても恐ろしくなった(「女性なら誰でもよかった」と容疑者も供述しているらしく、つまりは名古屋近辺にいた女性なら誰でも可能性があった。その時の状況によっては、男性だって可能性ゼロではなかったと思う)。それと、「あまりに残酷な殺人」であるにもかかわらず「とてもお手軽な犯罪」に見えてしまう点が、逆に恐怖を呼び起こしたということもあるのだろう。それにしても、殺害された女性が味わったであろう恐怖や苦しみ、無念さを思うと、胸が締めつけられる思いがする。 私は「死刑廃止論者」ではあるのだが、このような事件が発生した時、「死刑廃止」というポリシーが一瞬揺らいでしまう。たまたまそこを通りかかったというだけで拉致し、金品を盗み、命乞いする女性を無惨にも殺害する。どうしたら人間はそこまで非情になれるのだろうか(加害者もまた私と同じ人間ならば、私のなかにもそんな残酷さが眠っているのだろうか、というふうにも考えてしまった)。どう考えてみても「許し難い犯罪」である。けれど、いや、だからこそ「死刑」(犯人の死)をもってその罪を償うことなど到底できるものではないと思う。それに、殺人に対して国家が合法的とはいえ死刑という名の「殺人」を行うことが許されていいのか、という疑問はどうしても残る。いかなる極悪人であっても殺されてはならないし、殺人を犯した者は一生その罪を背負って生きていくべきだと、私は思う。 ところで、中日新聞28日夕刊の1面、「女性拉致殺害・1週間女性を物色」という記事の隣には、「ネットカフェ難民5400人、厚労省・半数が非正規労働者」という見出しが並んでいる。 2つの記事の間には、直接的な関係はない。けれども、まったくの無関係かというと、そんなことはないと思う。「ネットカフェ難民」が社会問題化する時代の空気のなかで、今回の「女性拉致殺害事件」も起きたのだ。だからと言って、「社会が悪くて、加害者に責任はない」などという暴論を言うつもりはまったくないので、誤解なきよう(念のため)。ここで言いたいのは、「格差社会の是正」「セーフティー・ネットの拡充」等の政策の実行が一方では求められている、ということだ(ピントはずれの現政権には到底期待はできないのだが)。
2007年08月27日(月) |
「美しい国」の茶番劇 |
「美しい国」の茶番劇、言うまでもなく、安倍改造内閣のことである。 この前の参院選で事実上の不信任を突きつけられたはずなのに首相の座に居座る人間も恥知らずなら、そんな内閣の大臣になって喜んでいる人間も相当な恥知らずだ。そのことをマスコミはなぜ指摘しようとしないのか。「どこまで国民をバカにする気なんだ?!」と、俺は本当に怒っている。 国民の皆さん、こんな子供だましの目くらましに騙されてはならない。選挙前にあった諸問題(「年金問題」「コムスン問題や介護・福祉の問題」「事務所費問題など政治倫理の問題」等々)は、何ひとつとして解決されていないのだから。怒りを忘れてはいけない。「日本国民は忘れっぽいから、時間を稼げば何とかなる」と思っているのが、権力者どもだ。だからこそ、奴らの思うようにさせてはならないのだ。
連日厳しい暑さが続いているが、「暑い、暑い」とばかり言っていてもしょうがない。真夏ならではの楽しみは何かないかと考え、ビア・ガーデンに行くことを思いついた。沙羅さんを誘って、中日ビル(栄)の屋上ビア・ガーデンに出掛けていった。 ビア・ガーデンには毎年行きたいと思いながらも、その機会を逃してきた。家で飲む場合とも居酒屋で飲む場合とも違った雰囲気のなかで、飲食を楽しみ、会話を楽しんだ。沙羅さんとは自然と音楽の話題になり、「曲名しりとり」「音楽クイズ」などで遊んだ。楽しい時間はアッという間、ほろ酔い気分のうちに制限時間の2時間を終了。 まだまだ暑い日は続くが、何とか元気を出していきたいものである。
今夜、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加してきた。いつも思うことだが、ここでの演奏者はなかなかレベルが高い。ギターの演奏技術は本当に高い人ばかり。演奏技術のない私は、アイデアと表現力で勝負するしかない。 で、今夜は、『ヘイ・ジュード』(ビートルズ)と『心の旅』(チューリップ)のメドレー、そして独自のアレンジで『あの日に帰りたい』(荒井由美)を演奏。 予想以上に盛り上がったので、とてもうれしく思った。
今夜の「生音くらぶ」の模様は、余語さん(水曜日のセッション・リーダー)のブログ(「水曜日のスローブルース」。下記)で、ご覧になれるので、一度ご覧あれ。(「スローブルース」で検索すると、「スローブルース」のホームページに行き着けるはずなので、そこから「水曜日のスローブルース」をクリックしてみてね)
http://slowwed.exblog.jp/6024258/
今朝は、夜勤明け。家に一度帰り、休憩を取り、夕方には今池「TOKUZO」へと出掛けていった。 今夜は、以前から楽しみにしていたソウルフラワー・モノノケサミットのライブ。モノノケサミットは、ソウルフラワー・ユニオン(「日本が世界に誇るべきロックバンド」と、私は強く思っているのだが)のチンドン・バージョン。阪神淡路大震災後、被災地で、沖縄・アイヌや日本各地の民謡、また戦前・戦後のはやり唄などを取り入れた独自の演奏活動を始めたのがきっかけで、以後3枚のアルバムを発表。不定期で(?)ライブも行っている。 ソウルフラワー・ユニオンのライブには過去3,4回行っているのだが(去年も行った)、モノノケサミットは今回が初めて。ユニオンの現メンバーの他にも、伊丹英子、内海洋子、大熊亘といった実力派が加わって、非常にレベルの高い演奏を展開してくれた。特に、大熊のクラリネットには大いに魅了された。もちろん中川敬の力強いボーカルがあればこそ、独自の世界にどっぷりと浸ることができたわけではあるが。ほとんどは民謡やナツメロのカバーだったが、彼らのオリジナル曲『満月の夕』の演奏もあり、大いに盛り上がった。 モノノケサミットは最高だったが、オープニング・アクトの桃梨(唄・語り:上村美保子、ベース:JIGENのふたりユニット)の演奏も非常に楽しく(語り物のところでは、夏撃波がやりたいと思っていることと少し重なる面もあった)、一度で二度おいしいライブであった。
昨年に引き続き、今年も「ダンス白州」(舞踏家・田中泯さんを中心に組織された「ダンス白州実行委員会」主催の、ダンスやその他表現のイベント。山梨県北杜市で開催)に参加してきた。自然の森のなかに作られたいくつかの舞台、そのなかで公演やワークショップが行われた。 16日夜、「森の舞台」(まさに、「森の舞台」。野外劇場)で行われた田中泯さんの独舞からは圧倒的な迫力が感じられた。虫の音、森の発する音が、ひとつの効果音となって、舞台を盛り上げた。これは、通常の劇場ではあり得ないシチュエーションだ。その夜は、会場で貸し出されたテントのなかで寝袋に包まれて明かした。 明けて17日。朝7時、「赤土広場」(畑の中)で行われた舞踊「ドン・キホーテ」早朝公演(演出・出演:玉井康成、ウラジーミル・ヤヴォルスキー)を観る。ユーモアたっぷりに演じられた作品であった。 そして、午前10時から、トゥバ・ホーメイのワークショップ(講師:巻上公一さん)に参加。まず身体をリラックスさせるために気功、そして発声練習。身体や喉が暖まったところで、巻上さんが一人ひとりに対して指導。それから巻上さんが奏でる楽器をバックに、参加者全員でホーメイのセッション。これがなかなか楽しかった。第三者から見れば、われわれの集団はあやしい集団に映ったことだろう。でも、ホーメイはクセになる。帰りの電車待ちの時間にも、ついついホーメイをやってしまう自分がいた。 正午過ぎに「ダンス白州」会場を後にして、名古屋に帰ってきた。明日一日休んだら、夜勤の仕事が待っている。8月中は「飛び石」で休みが続く。「飛び石」って疲れるけど、まあ仕方がない。 厳しい暑さも続いているが、楽しい時間もないわけではないのだから、元気を出していこうと思う。
(注) ホーメイ Khoomei, xoomeiとは :ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる喉歌。もともと声に含まれている倍音の高音部を声帯の力で意識的に強調させて口笛に似た音を出し、舌や口腔を微妙に動かして美しい倍音を紡ぎだす。非常に低い倍音を出したり、音を細かく震わしたりと、発声法が7種類以上(28種類という説も)ある。馬や豚や蛇の皮を張ったさまざまな楽器や、口琴などと共に演奏される。 また、この他にもアルタイ山脈周辺地域には類似した喉歌が伝えられ、モンゴル国ではホーミー、アルタイ共和国ではカイ、ハカス共和国ではハイと呼ばれている。
2007年08月15日(水) |
2007年の敗戦記念日 |
14日、夜勤の仕事を終えた後、自宅に戻り、洗濯や部屋の片付けをする。少しせわしなかったが、夕方実家の山梨に向けて出発。中央線を乗り継いで甲府へ。 わが故郷は1年ちょっと前までは甲府市の隣町・「中道町」であったが、市町村合併で甲府市に吸収されてしまった。未だに自分の実家が甲府市だとの認識が薄いのだが。 年に2回の帰郷の度に、ご近所の方が一人また一人と亡くなられており、さみしい思いが湧いてくる。いつものことながら、両親が年老いているのも実感できる。そしてまた、自分自身の「親不孝」を思わずにいられない。かつては踏み越えていくべき存在であった両親も既に年老いた。私が若い時分には、私の生き方に反対し道をふさぐ存在でもあったのだが、結局は反対しつつも認めてくれた(いや、今でも不満はあるに違いないのだが)。兄が障害を持っていたこともあり、私への期待は大きかったのだが、私は親の敷いたレールの上を歩きたくはなかったのだ。今にして思えば、「これでよかったのだろうか」という思いもないではない。でも、自分で選び取った道なのだから、これから出てくるであろう困難な問題にも自らの責任において対処していかなければならないのだろう。 とは言うものの、仕事のことではついつい愚痴もこぼれてしまう。この国において年々「福祉切り捨て」の方向は強まり、それは「現場」にも大きな負担を強いる形となっている。「福祉」という仕事を選択したのは間違いではなかったのか、という思いさえ浮かんできてしまう。 62年目の終戦記念日、いや敗戦記念日と本来は言うべきなのだ。「美しい国・日本」と恥ずかしげもなく口にするこの国の首相は、今日のあまりに醜い日本の象徴ではないか。 格差社会を是認する現政権といい、「勝ち組」「負け組」などという品のない言葉が飛び交う世の中といい、なんてイヤな時代の空気だろう。でも、どんな時代であろうと生き抜いていかなくてはならない。私は両親や兄よりも早く死ぬわけにはいかない、そんな思いを日々強くしている。
今夜、韓国・光州マダン劇団<ノリペ・シンミョン>による来日公演『立ち上がる人々』を白川公園まで観に行ってきた。野外劇だ。 マダンには「広場」とか「人々に開かれた空間」といった意味があるそうだ。マダン劇というのは、1970〜80年代にかけて、韓国の若者たちが創りあげた演劇のスタイルで、その根源は朝鮮半島で古くから民衆に愛されてきた芸能に由来する。風刺劇やタルチュム(仮面踊り)、農楽(チャンゴ、ケンガリ、プク、チンの4種類の打楽器を用いた演奏)等を西洋から入ってきた舞台演劇に取り入れ、民衆の伝統的な文化の楽しみ方を再現したのがマダン劇である。マダンの周りを観客がぐるりと取り囲み、演者と観客が声をかけあいながら、一体となって楽しむのだ。風刺と笑いを存分に盛り込んだマダン劇は、70年代から80年代にかけて、街頭や大学キャンパスで演じられ、当時の韓国軍事独裁政権への対する異議申し立てとして、民主化運動の学生や市民、労働者によって担われた。 さて、今回の『立ち上がる人々』だが、これは光州事件(1980年5月18日から27日にかけて韓国の全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した、民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件)をモチーフとした作品である。重いテーマを含んだ作品だが、これが演劇的にも非常に面白く、最後まで目が離せなかった。 冒頭は滑稽な踊りや掛け合い漫才のようなテンポのいい芝居。2場は一転して躍動的な群舞、力強いミュージカルを見ているかのよう。そして、緊迫の3場、クライマックスへとなだれ込む。エピローグでは、何台もの太鼓が加わり、農楽隊と共に、マダンを圧倒的な音の渦に巻き込み、そこに祝祭的空間を創り上げていく。最高の芸能を目の当たりにして、終演後もしばし放心状態の私であった。 前座の朝鮮舞踊もとても美しくステキな踊りだったということを、付け加えておきたい。
今夜、緑区・滝ノ水のライブバー「アランプーサン」に行き、第2金曜日の「アコースティックDEナイト」に初参加。「スローブルース」の「生音くらぶ」はだいぶ慣れてきているが、見知らぬ場所でも演奏してみたいと「アランプーサン」へ出掛けていったわけだ。行く前はやや緊張していたが、敢えてトップバッターで演奏。『雨ニモマケズ』(宮沢賢治の詩)の朗読パフォーマンスと、『朝日楼』(浅川マキ)の演奏を行った。 自分の演奏を早々と終えてしまえば、後はリラックスして人の演奏を聴くばかり。技術的には上手い人ばかりとは言えなかったが(夏撃波が技術の事なんか言えた立場でもないだろうけど)、演奏者それぞれに個性が感じられ、面白かった。 イベント後、店のマスターから突然の出演依頼。嬉しかったけど、仕事の兼ね合いで断念せざるを得なかった(残念!)。
鶴舞「K.D.Japon」で開催された「どんと院まつり」に行って来た。 どんとが亡くなって7年。毎年のように、どんとを偲んでミュージシャンたちがライブを行っている。どんとにゆかりのある曲を演奏するのだ。どんと(一般的にはボ・ガンボスのボーカリストとして知られているのかな)は、今もなお多くのファンやミュージシャンたちに愛され続けている。 どんと(あるいはボ・ガンボス)は、私にとって好きなアーティストの一人(ひとつ)であった。というか、今でも好きだ。何がいいって、音楽に対する姿勢だね。彼(彼ら)は誰よりも音楽を愛し、すごく音楽を楽しんでいた。その音楽に触れた時、聴いている側であった私も、いつしかもの凄く幸せな気分で彼(彼ら)と音楽を共有していた。 享年36才、あまりに早い死であったが、どんとの魂は今もなお生き続けている。今宵のライブで、あらためてそのことを感じさせられた。
2007年08月08日(水) |
希望という名のあなたを訪ねて |
仕事の後、星ヶ丘「スローブルース」に出掛け、「生音くらぶ」に参加。 『夏まつり』(井上陽水)、『希望』(岸洋子)の2曲と、寺山修司の詩『力石徹よ』の朗読パフォーマンスを行った。こうしてみると、俺って、つくづく暗いのが好きなんだって思う。人間の感情の喜怒哀楽のうち「哀」の部分が強く浮き出てしまうという感じだね。楽しい歌も好きだけど、暗い歌ほど感情移入してしまう。選曲からすでにその人となりが出るみたいだね。
2007年08月05日(日) |
少年王者館公演「シフォン」 |
今日もまた、大須に出掛けてしまった。夏祭りの雰囲気を感じつつ、七ツ寺共同スタジオに入っていった。そこでは、少年王者館の新作「シフォン」の公演が行われていた。今回、脚本は天野天街ではなく虎馬鯨が担当し、天野は演出に専念。まあ、でも結局はいつもながらの天野天街的な劇的世界が展開されていたように感じられた(いや、悪口ではないんだよ)。矢継ぎ早に発せられる数多の言葉から紡ぎ出される数々のイメージ世界。とても不思議で、どこか郷愁を感じさせる少年王者館の芝居が、私は好きなのだ。実際、今回の芝居もすごく面白かった。 観劇後、大須夏祭りのハイライトとも言うべきサンバ・パレードを探し求めて、大須の街を行ったり来たり。やっと見つけだしたサンバの集団の後を追いかけていった。サンバのリズムに合わせてダンサーたちが魅惑的な踊りを見せてくれたのだが、人だかりでよく見えないではないか。心のなかで舌打ちする私。でも、この熱い感じはいい。よく見ると、見知った顔がギターを弾いている。Hさん、「スローブルース」でボサノバやショーロといったブラジル音楽の演奏をしているあの人ではないか。リズム隊も楽しそうだから、来年はリズム隊で参加させてもらおうかな、などと一人で勝手に思い描いていた。 もっともっと祭りの雰囲気を味わっていたかったけど、夏バテ気味でもあったので、まだ明るいうちに家路についた。
今日は、<沙羅双樹ふたたび>の練習日。午後いちばんで天白区の某・練習スタジオにて練習を行った。 その後、大須に移動。大須の街は歩くだけでもとても楽しい。ウィンドウ・ショッピングをしたり、コメ兵で楽器を物色したり、名物おばあちゃんのみたらし団子を食べたりして、アーケード街をブラブラ。 で、夕食にはひつまぶしを食べた。まずは普通のうな丼を食べる要領で、次にわさび等の薬味を加えて食べ(わさびがうなぎとマッチして、とても美味しい)、最後にお茶漬けとしていただいた。これで夏バテ対策は万全(?)。 お腹もいっぱいになったところで、夏祭りのメイン会場である大須観音に移動。夜も更け始めた頃、ファイヤートーチのショー(知り合いのMちゃんも出演)がスタート。「ウォーター・ボーイズ」ならぬ「ファイヤー・ボーイズ&ファイヤー・ガールズ」という感じで、緊張感のなかにも爽やかで若さあふれるパフォーマンス。引き続いて、夏祭り1日目のメイン・イベントである仕掛け花火も鑑賞(もしかして、1日目のメインは、「世界コスプレ・サミット」かな?)。花火の規模はさほど大きくないものの、間近に観ることができ迫力満点だった。 束の間に通り過ぎる真夏の夜の夢を、私は心から楽しんだ。
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