2005年08月31日(水) |
夏の終わりの<スローブルース> |
今夜も、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加してきた。先々週と同様、大入り満員、演奏者多数。すべての演奏が終わったのが、午前1時頃。 今回は、ソロで3曲+1曲の演奏を行った。1巡目は、『夏の終わり』(オフコース)、『山のロープウェイ』(ふきのとう)、「萩原朔太郎『竹』ブルース・バージョン」(作曲・編曲:夏撃波)を演奏。 2巡目は、『涙のキッス』(サザンオールスターズ)を、ボンゴ&ギター&サウンドホースで演奏。 他にも十数組が演奏し、ライブタイムは長時間に亘ったが、演奏のレベルは高く、とても楽しめる内容だった。
2005年08月29日(月) |
リンダ リンダ リンダ |
映画『リンダ リンダ リンダ』を観てきた。女子高生4人が学園祭でバンド演奏するまでの4日間の奮闘を描いた青春ドラマ。題名からも明らかなように、バンドが演奏するのは、ブルーハーツのカバーだ。ブルーハーツと青春は、とても相性がいいよね。単純に楽しめる映画だった。 今度、どこかでブルーハーツも演奏してみたい。そんなふうにも思った。
「AAF戯曲賞ドラマリーディング」(「耳でみる 劇を聴く」)なるイベントを、愛知県芸術劇場(小ホール)まで観に行ってきた。 簡単に言ってしまえば「朗読劇」。欧米では頻繁に行われているという「ドラマリーディング」だが、私には中途半端な演劇としか思えなかった。そうした上演形式が日本ではまだ根づいておらず、観る側も演ずる側も単に慣れていないということなのか。たしかに難しいんだろうな。一度、欧米で上演されている「ドラマリーディング」を観てみたい、聴いてみたい。でも、そうすると今度は「言葉の壁」がそこに立ちはだかっていることに気づいた。
星ヶ丘「スローブルース」で開催されたブルースセッションにパーカッションとして参加。演奏のレベルが高いので、ついていくのが大変だった。あと、今日はボーカルもなかなか充実していてよかった。やっぱりボーカルが上手いか下手かで、だいぶ違ってくるからね。 それと、私自身は楽器よりもボーカルをやりたい人間であることを再認識した夜でもあった。歌いたくてウズウズしてきちゃったもんね。いつか本場のブルースも歌ってみたいと思う。
2005年08月25日(木) |
詩「夏をぶっとばせ!」 |
久しぶりに、しなしさとこさん(女子格闘家)に詩を贈った。以下が、その詩「夏をぶっとばせ!」である。
照りつける太陽に身を焦がし 灼けつく大地を駆け抜けていく どこまでも続く 長くくねった道の途上 君は 最後に行き着くべき場所を見据えている
夏をぶっとばせ! いま一瞬のこの時を 夏をぶっとばせ! 熱い風を感じながら
近づきつつあるゴールに向かって 君はひたすらに ただひたすらに疾走するのだ・・・
2005年08月21日(日) |
夏の終わりの「続・ぽえ茶」 |
本日、8月の「続・ぽえ茶」(詩の朗読会)が開催されたので参加してきた。午後3時前に会場に到着すると、主催者(林本さん)よりいきなり「演奏は今のうちに早くやって!」とのこと。 慌てて楽器を用意し、まずは<沙羅双樹ふたたび>による演奏(知久寿焼「326」)を開始。今回の目玉は、沙羅のピアニカ初挑戦。ピアニカが入ることで、演奏により深い味わいが加わった感じ。 続けてソロ(夏撃波)で演奏。今回は、萩原朔太郎の「竹」という詩に、ブルース調の曲をつけてみた。 我々の演奏が終わってから「本編」の「ぽえ茶」が始まった。その後は、私もオーソドックスな(?)朗読をおこなった。自作の短歌を、室生犀星「小景異情」と絡めながら発表。また、ユーミンの「ひこうき雲」を朗読してもみた。 「続・ぽえ茶」終了後は、そのまま二次会へなだれ込む・・・。
それにしても、もう夏は終わりに近づいているんだな。明日から、仕事の日々が続く。ちょっと気が重いが、それも致し方ない。 さあ、次の楽しみまで乗り切っていくとしよう。
2005年08月19日(金) |
「編曲:沙羅双樹ふたたび」 |
ギター・デュオ<沙羅双樹ふたたび>として、市内某所で練習を行った。まずは、21日開催の「続・ぽえ茶」で発表予定の「326」(知久寿焼)を中心に練習。今回の目玉は、沙羅のピアニカ初挑戦。私が「326」の旋律をギターで繰り返し演奏している横で、沙羅がピアニカでいろいろと試して演奏。そうこうしているうちに、だんだん形になっていく。まあ、私は口出しするばかりで、ほとんどは沙羅がアレンジしたようなものなのだが、クレジットとしては「編曲:沙羅双樹ふたたび」ということにした。沙羅のピアニカはとてもいい感じに仕上がりつつあり、本番当日はかなり期待できそうだ。こんなふうに音楽を作るプロセスというのが、これまた楽しいものである。
2005年08月18日(木) |
美術館めぐり&赤味噌ビール |
今日は、「片岡球子展」(名古屋市美術館)と「ゴッホ展」(愛知県美術館)を立て続けに観てきた。 まずは、現代日本画の巨匠・片岡球子の100歳記念展。ライフワークである「面構」シリーズを中心に、初期作品、「富士山」や「裸婦」シリーズなど代表作が展示されていた。片岡球子の名は今回初めて知ったが、大作揃いで、なかでも「面構」シリーズには惹きつけられた。とりわけ、「面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」には、そのあまりに大胆で自由な発想に驚かされた(浮世絵研究家・鈴木重三氏と、浮世絵師・歌川国芳と、国芳の描いた浮世絵とが、ひとつの絵のなかに、時空を超越して描かれている)。さらに凄いのは、片岡球子さんご自身、百寿を迎えてなお現役でご活躍という点だ。私は、すっかり片岡球子ファンになってしまった。 さて、続いては「ゴッホ展」。絵に興味がない人でも、その名前は知っている。印象派以後の美術に大きな影響を与え、今日もなお私たちの心を揺り動かしているゴッホ。彼も、浮世絵から多大な影響を受けた一人。というか、それまで見向きもされてこなかった浮世絵を「芸術」として初めて評価したのが、ゴッホや印象派の画家たちであった。そうした美術の歴史の積み重ねの上に、片岡球子のような才能が生まれてきたのだとも思った。 芸術に酔いしれた後、今度はおいしい地ビールで酔いしれた。地ビールレストラン「ランドビアサーカス」にて味わったのが、名古屋のご当地ビール、その名も「赤味噌ビール」。お味のほうは、黒ビールのような口当たり。気をつけてみないと、赤味噌の風味は感じられない。私には好みのビールであった。 てな具合で、芸術とビールで、ちょっぴりリッチな気分の一日だった。 、
昨夜に引き続き、星ヶ丘「スローブルース」へ。今夜は「生音くらぶ」。お盆だと言うのに、大入り満員、演奏者多数。結局、すべての演奏が終わったのが、午前1時過ぎ。 今回、私はデュオ(沙羅双樹ふたたび)の相方・沙羅と参加。まずは2曲、『夏祭り』(井上陽水)、『おるがん』(たま)を2本のギターで演奏。 2巡目は、ソロ(夏撃波)で。『サマータイム』(ジャニス・ジョプリン)を、ボンゴ&カズー&サウンドホースで演奏。 ソロとデュオとでは音色も微妙に(だいぶ?)違ってくるが、そこがまた面白いところ。音楽の楽しみも非常に幅があるのだと思う。
2005年08月16日(火) |
真夏のロック・セッション |
約1ヶ月ぶりに、星ヶ丘「スローブルース」に出かける。今夜は、ロック・セッションの日。ジミ・ヘン、クリーム、ツェッペリン、ディープ・パープルなどの曲を演奏。私は、ボンゴ&カズーで参加した。 お盆ということもあってか、今日はお客さんも少なく、盛り上がりとしてはいまひとつだったが、いい練習にはなったと思う。
昨日に引き続き、今日も鶴舞「K.D.Japon」に行ってきた。今日は、元「たま」の知久寿焼ライブがあった。 「たま」初期の頃の名曲も演奏された。特に、私の「持ち歌」(?)でもあり、大好きな曲『おるがん』が演奏されたのはうれしかった。それにしても、知久さんの歌は心に沁みるよな〜。これって何なんだろうかと思う。 帰り、中央線高架下の居酒屋「バリバリ屋」で一寸一杯。ほろ酔い加減で、帰路についた。
2005年08月13日(土) |
なずさふなつことのは |
みおよしき・プロデュースによるポエトリー・リーディング・イベント『Birdなずさふなつことのは』が、鶴舞「K.D.Japon」で開催された。 夏の宵、女性7人による詩的表現。「K.D.Japon」という場所の雰囲気も、詩の朗読にはおあつらえ向きだと思ったね。 後半は、飛び入り参加による「オープンマイク」。もちろん、私も参加したよ。中原中也『汚れちまった悲しみに』に曲をつけた作品を発表(演奏)、観客の皆さんもノッてくださり、大いに盛り上がった。 ちょっとした暑気払いにはなったように思う。
愛知県勤労会館に、『百人芝居・真夜中の弥次さん喜多さん』(原作:しりあがり寿、脚本・演出:天野天街、主演:小熊ヒデジ・寺十吾)を観に行ってきた。『二人芝居・真夜中の弥次さん喜多さん』のリメイクといったところかな。出演者総数161人、スタッフ・協力者含めると300人前後がかかわっているというこの芝居、実は「三百人芝居」との話もある。 百人以上の人が舞台上にのると、さすがに迫力がある。「二人芝居」のエッセンスは残しつつ、見応えのある芝居に仕上がっていた。アマノテンガイ・ワールド満載、2時間あまりの舞台を十二分に楽しむことができた。
名古屋に戻ってきた。 戻ってきてすぐ愛知県体育館に出かけた。新日本プロレスの最強を決める大会「G1」を観るために。 プロレスの場合、強さもだけど、いかに観客にアピールできるかが重要だね。今夜は好試合が続き、十分楽しむことができた。
昨日より、我が故郷・山梨に帰ってきている。久しぶりの我が家、両親はすっかり年老いた。短い帰郷だったが(明日再び名古屋に戻る)、今回は家族、親戚の人などといつも以上に話す場が持てた。それにしても、帰るべき場所は、半分は帰りたい、しかし半分は帰りたくない場所だ。「故郷は遠きにありて思うもの」ということか。 ふいに、短歌が思い浮かんだので、それを以下に記しておこう(今回の帰郷で着想は得たが、いちおうフィクションなのでお間違いなく。特に2種め、父は危篤では決してないので)。
どうしても 出て行くのかと 問う母の 我に渡せし にぎり飯かな
チチキトク スグカエレとの 電報に 十年ぶりの 故郷(こきょう)の土踏む
私には私なりのポリシーというものがあるが、そのなかで一番のポリシー(?)は「どんなに苦しくとも、自ら命を絶たない」「人生を全うする」ということだ。だが、世の中には「人生を全うすること」を阻む<悪>がある。その最大のものが「戦争」ではないだろうか。 広島に原爆が投下されてから60年、世界は核の脅威に晒されてきた。この地球上には、人類を何度も滅亡に追いやるだけの大量破壊兵器がある。この60年間、アメリカをはじめとする核保有国がおこなってきたことの罪は重い。もちろん、それを追認してきた日本だって、十分すぎるほど罪が深いのだが・・・。 今でも原爆病に苦しむ人々がいる。その後も、世界のあらゆる場所で戦争が繰り返され、数え切れない悲劇を生んできた。現実を前に、ノー・モア・ヒロシマの言葉は虚しく響くばかりだ。
生きたくて 生きたくてなお 生きられぬ 君の悲しみ 誰が知ろうか (夏撃波)
東京に来てだいぶ遊び歩いているが、今日と明日は研修。でも、研修が終われば、夕方から夜にかけて遊ぶにかぎる。 というわけで、やってきました、新宿末広亭へ。今日のお目当ては、漫才の昭和のいる・こいる。彼らの漫才は、私の笑いのツボを大いに刺激する。でも、落語もいいもんだ。特に古典落語は噺としてよくできているとあらためて思ったね。とにかく4時間、よく笑った。 ついつい遊ぶほうに力が入ったが、仕事もまあしっかりやらねばなりませんな。明日、研修を受けてから、名古屋に、ふたたび日常へと戻って行くんだなぁ。
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