またまた台風がやってきました。仕事からの帰り道、完全にずぶ濡れです。帰宅後は家から一歩も出ないつもりで、帰宅途中で食糧を買い込みました。でも、こんな時にもし地震があると、困りますね。まあ、そんなふうに悪くは考えずに、家で楽しく過ごしましょう。恋人がいる人は愛を語らうといいのでしょうが、恋人のいない私はどうしましょ。などと、またしても悪い方向に考えてしまいそうになりますが、一人は一人で悪くはないのです。音楽を楽しみ、読書でもしましょう。そして、できたら詩を詠み、哲学でもしようかな。う〜ん、夜はまだこれからだ。
このところ迷走が続く日本プロ野球(以下略して「プロ野球」)だが、はっきり言って、いまプロ野球なんぞ観たいとは全く思わないね。私ももともとは野球ファンだし、今でもアメリカ大リーグには大いに関心がある。本来、野球はとても夢があり、楽しいもののはずだ。それをつまらなくさせている元凶は、読売巨人軍であり、もっと言えばナベツネということになろうか。札束攻勢による選手の引き抜きなど、なりふり構わぬその姿勢は多くの野球ファンを白けさせた。「プロ野球の落日」という現実は、何よりもテレビ視聴率の低迷に現れている。だいたいだね、読売巨人軍とそれに寄生する他球団という構図が変わらない限り、野球人気が戻ることはないと思うね。 つまらないと言えば、大相撲もまた人気が低迷している。こちらも観ていてワクワク感がまったくない。いわゆる名勝負など望むべくもない。 夢も感動もないスポーツなんぞ、誰が観るものか。世の中には面白いことがいくらでもあるのだから。面白ければ、自然とお客はついてくるはずだ。そのことを当事者はどう考えているのだろうか?
たまたま見つけた星ヶ丘のライブハウス「SLOW BLUES」に出掛けてきた。毎週火曜日は、ブルース・セッションの日。「楽器、テクニックを問わず、ブルースのセッションをしたい人は楽器を持参して集合!」とのことだったので、アコースティック・ギターとパーカッション数点を持って出掛けていった。 ブルースのセッションに、店の常連さんとおぼしき人々が代わる代わる参加。皆さん、とても弾けてらっしゃった。かく言う私も、パーカッションで数曲に参加。1曲だけ弾き語りもさせてもらった(浅川マキの「朝日楼」)。 てな具合で、なかなか楽しい夜を過ごした。終電逃して、タクシーで帰ったけどね。まあ楽しかったんで、また遊びに行こう、っと。
2004年09月20日(月) |
スウィングしようゼ! |
今日はまず、豊田市体育館に空手の試合を観に行ってきた。世界空手道連盟と真樹道場の主催による、オープントーナメント第5回全日本空手道選手権大会だ。 2分間の試合のなかで、たいていは判定による決着となる(すっきりと一本勝ちとなるケースは、ほとんどない)。選手たちの試合にかける意気込みは伝わってくるが、さすがに30試合以上観戦しているうちにこちらが疲れてしまい、途中退席してきた。
で、名古屋に戻って、矢口史靖監督の映画『スウィングガールズ』を鑑賞。ひょんなことからジャズのビッグバンドをやることになった田舎の女子高生らの奮闘を描いた作品。前作『ウォーターボーイズ』の姉妹版といった趣か。独特のギャグを交えながら、ラストは観る者の心を熱くする、感動的な作品だ。
青春て、いいよな。年を経るごとに余計なことを考えるようになり、無垢な心は次第に失われていくものだ。そのことをすべて否定的に考えることはないけど、でも、どこかで青臭さを大事にしたいとも思う。別に年齢は関係ないんだよな。何かひとつのことに打ち込む姿は、他人に何かしらメッセージを伝えていくものだと思う。
2004年09月15日(水) |
映画鑑賞と、朗読会と |
この夏いちばんの話題の映画、ロジャー・ムーア監督の『華氏911』を観てきた。 結論から先に言うと面白くなかった。単にブッシュの無能ぶりを笑いの種にしているだけで、本当の意味での「ブッシュ批判」にもなっていないように感じられた。本質的な意味で伝わってくるものは何もなかった。 とは言うものの、面白い部分もあるにはあった。映画のなかで、ムーア監督が国会議員を直撃、「アメリカ国家に貢献するために、息子さんを軍隊に入れてイラクに派遣してはいかがですか」と言ってマイクを向けるシーンがある。カメラは議員の凍りついたような表情をとらえる。あからさまに嫌な表情を浮かべる議員、逃げるように立ち去る議員もいる。現実の問題として、富裕層の青年がイラクなどの戦場に派遣されることは少ないとされる。ここに「アメリカにおける階級問題」「イラク戦争の欺瞞性」が浮かび上がってくる。このあたりを掘り下げても、もっといい映画にはなったはずだ。
さて、昼食をはさんで、次は是枝裕和監督の『誰も知らない』を観た。主演の柳楽優弥君がカンヌ映画祭史上最年少で最優秀男優賞を受賞したことで話題になったが、出演者の表情を引き出し丹念に映し出した素晴らしい作品だと思った。 大好きだった母親に捨てられた4人の子供たちの生活とその内面が表情豊かに描き出され、観る者の心に静かに迫ってくる。もう一度観てみたい、そんな思いにさせられた作品だった。
一度帰宅し、ギターその他の楽器を携え、千種「空色曲玉」へ。「詩の夕べ」で今日もまた詩の朗読パフォーマンスを行った。
夕方、詩のイベント「tamatogi」に出掛ける。場所は、鶴舞「K.D.Japon」(中央線の高架下の店)。今回は参加多数、遠くは岡山からの参加者もいた。で、様々な詩的表現を聞くこととなり、イベント自体も盛り上がった。私は、バックパッカー・タイプのギターを持参して参加。5分の持ち時間のなかで、浅川マキの歌「朝日楼」を歌った。
さて、ニューヨーク同時多発テロから3年。世界貿易ビルが崩壊するあの映像は非常に衝撃的だったし、だから9月11日は私たちの記憶に深く残ることとなった。殊にアメリカに与えたショックは甚大なものであっただろう。「建国」以来、あんなふうにアメリカ本土が攻撃にさらされたのは初めてだったからね(「真珠湾攻撃」など比較にならないほどのショックだったはずだ)。その後、アメリカは冷静さをすっかりなくし、アフガン戦争、イラク戦争を起こした。そして、罪なき多くの命を奪った。それでアメリカの威信が取り戻せたかというと、現実はまったく逆で、さらに混迷を深める形となった。 9・11、アメリカにとっては忘れがたい一日であろう。もちろん、亡くなられた方々を悼む気持ちは、私にもある。だが、同時に、これまでアメリカが介入してきた戦争(ベトナム戦争、湾岸戦争、等々)で、どれほどの人々が犠牲になってきたのか、ということにも思いを巡らせる必要はあるだろう。そこで犠牲になった人々にとって9・11が決して特別な日にはならないのではないか。そんな思いが私のなかにはある。 「ブッシュの戦争」、それを下支えするアメリカ国民、アメリカ追随の小泉政権・・・。うんざりするような現実を変えたい。その方法を見つけたいと思う。
2004年09月08日(水) |
プロレス映画鑑賞と楽器収集の一日 |
『華氏911』とか『誰も知らない』とか、カンヌ映画祭各賞受賞の話題作も観ておきたいと思うのだが、今日はプロレスを題材にしたB級映画を2本観てきた。 まずは、『いかレスラー』。不治の病を患ったプロレスラーが修行の末「いかレスラー」として甦り、かつてのライバルと対戦することになる。試合当日、「いかレスラー」の前に現れたのは、「たこレスラー」に変身したかつてのライバルだった。さらに、新たな敵「しゃこボクサー」も出現し、物語は思わぬ方向に展開する。 『いかレスラー』を観終わってから、自転車で栄まで移動。沖縄料理店で「豆腐そば」を食べ、それから書店、楽器店と巡る。書店では本を、楽器店ではパーカッション数点と楽譜を購入。また、「一五一会」なる楽器(10万円也)と「音来(にらい)」なる楽器(5万円也)を聴き比べ、やはり音色の差は値段に反映されているなと思いつつ、、「一五一会」を購入したい思いを抑えて楽器店を後にした。 再び自転車を走らせ、映画館へ。性懲りもなく、プロレス映画『MASK DE 41』を観る。かつて学生プロレスをやっていた41歳のサラリーマンがリストラをきっかけにプロレス団体を旗揚げするというストーリー。 終映後、時計を見ると午後4時過ぎ。こんなふうに一日が終わってしまっていいのだろうかと思いつつ、心地よい疲れを感じていた・・・。
ロシア連邦北オセチア共和国で起きた学校人質占拠事件で、少なくとも300を越える尊い命が奪われたという。まるで2年前の「モスクワ劇場占拠事件」が繰り返されているかのような印象を持った今回の事件であった。 ひとつには、ロシア軍特殊部隊の突入によって数多くの犠牲者が出てしまったという類似点である。他にとるべき道はなかったのかという疑問が浮かび上がり、どうしてもロシア当局の人権軽視の傾向を感じずにはいられない。 もうひとつ、ロシア当局の隠蔽体質も2年前と変わっていない。当局にとって不都合な情報を極力抑え、都合のいいように加工する、つまりは情報操作が露骨なまでに行われている。まあ、情報操作はアメリカ政府だって日本政府だってやっていることではあるのだが(今年4月の「イラク邦人人質事件」の際に湧き起こった「自己責任論」の出どころは日本政府だよね)。今回の事件での犠牲者の数、そして「チェチェン独立派の犯行」とされる情報までも疑問視されている。 ところで、プーチン(ロシア大統領)にせよ、ブッシュ(アメリカ大統領)にせよ、小泉(首相)にせよ、「テロとの戦い」という言葉をあまりにも軽々しく口にしてはいないだろうか。そもそも「チェチェン紛争」は何世紀にもわたるロシアによるチェチェン人弾圧に起因しているのではないか。9・11同時多発テロでは確かに罪なき多数の人々が亡くなられたが、その報復としてアフガンやイラクの無辜なる民衆を死に追いやったブッシュの罪は重いのではないか。事件の背後にあるものに想像力を働かせるべきなのだ。 そのことと関連して、もうひとつ言っておきたいことがある。今回の「学校人質占拠事件」や「9・11」での犠牲者については、世界中のマスコミが報道し、世界中の人々がその死を悼んでいる。その一方で、無意味に繰り返される戦闘のなかで死んでいったアフガンやイラクの民衆の死は、あまりに軽く扱われてはいないだろうか。どちらも尊い命であることに変わりはないはずなのに。 紛争(大小さまざまな)の平和的解決こそがほんらい政治に求められていることだ。戦争で解決するというのであれば、政治などいらない。もっと想像力を大いに働かせるべきなのだ。無意味な戦争に終止符を! すべての人々の心に花を!
今夜、名古屋クラブ・クアトロで行われた「TREASURE 052」というライブに出掛けてきた。出演は、KOKIA、光永亮太、林明日香、他。 KOKIAも、光永亮太も、そこそこ歌は上手いけど、私のお目当ては林明日香ただ一人。中学3年生ながら、抜群の歌唱力。その力強い歌いっぷりは、聴く者を大いに魅了する。MISIAを彷彿させるような、伸びやかでソウルフルな歌声は、15歳にしてすでに完成型との印象を抱かせる。 そんな彼女に対抗しようなどとは思わないが、「私は決して『天才型』ではないよな、そうそう、敢えて言うなら『大器晩成型』だよね」と自らに言い聞かせてみるのであった。
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