今日は、昼夜続けて2つのプロレス興行を観てきた。ひとつは女子プロレス「我闘姑娘(がとうくーにゃん)」旗揚げ興行、もうひとつは「全日本プロレス・武藤敬司20周年記念興行」だ。
まず、「全日プロレス両国大会」。今回のメインは、武藤敬司・三沢光晴組vs佐々木健介・馳浩組だが、ほぼ予想通りの展開で、最後は武藤が馳にフォール勝ちを収め、大団円を迎えた。やや予定調和的な部分も感じられたが、楽しく観戦することができた。 でも、私の関心はもうひとつ別のところにもあった。70歳近いアブドーラ・ザ・ブッチャーが現役レスラーとして参戦、あの地獄突きや反則攻撃は健在だった。また、往年の超大物レスラー、スタン・ハンセン(彼の必殺技ウェスタン・ラリアートはかつて日本のマット界を震撼させた)がPWF会長として来場、リングにも上がり、元気な姿を見せていた。というわけで、昔からのプロレス・ファンにとってはこたえられない大会だった。
さて、昼間観に行った「我闘姑娘」旗揚げ興行だが、これがとてもいい興行だった。 「週刊ゴング」のなかに、「高橋李佳選手(中学1年生)のデビュー戦」という記事を見つけ、好奇心旺盛な私はノコノコと出掛けていったわけだ。プロレスを始めて間もない選手たちが中心の団体旗揚げ戦ということで、正直言ってあまり期待してはいなかったのだが・・・。思わず涙腺が緩み、涙が出そうなくらいに感動した。 選手一人ひとりは決して強くはないが、出せる力を存分に出し合って、熱い熱い試合を繰り広げた。彼女たちの闘いにかける情熱は、一流選手にも決してひけをとらない。彼女たちは、いわばダイヤモンドの原石だね。 零選手や高橋李佳選手が見せた空中戦は観客を魅了していたし、さくらえび☆きっず(小学生4人組)が元気美佐恵選手に挑んでいく姿は可愛らしかったし、他の選手たちのひたむきな闘いも素晴らしかった。そして、 こんな素晴らしい団体を作り上げた、さくらえみ選手には敬意を表したいくらいだ。 で、感動ついでに詩を作ってしまったので、披露しよう。題して「疾走する夏・我闘姑娘篇」。
10月31日、新木場 1st Ring 秋ゆく街で ここだけがなぜか夏なのだ
照りつける日ざしのなか 君たちは 四角いジャングルを駆けめぐる 全身からあふれ出る闘志 君たちの鼓動が 灼熱の大地を揺るがしている
額に光る汗 両の目にひときわ輝く宝石
一瞬に通り過ぎる季節のなかで 今こそ 君たちが光り輝く時なのだ
とてもとてもいい休日であった。
2004年10月30日(土) |
「アレグリア2」&<格闘芸術> |
今回、格闘技やプロレスの試合を観て歩くために上京。また、開幕したばかりの「アレグリア2」(シルク・ドゥ・ソレイユのスーパー・サーカス)を観るのも楽しみだった。
前回の「キダム」の感動から約1年、シルク・ドゥ・ソレイユが再び日本上陸。 原宿の特設テントにて「アレグリア2」を観たのだが・・・。結論から先に言えば、物足りない印象が残った。決してレベルが低いわけではないのだが、前作「キダム」と比較してしまうと、ストーリー性という点で、あるいは技術や演出の面で、見劣りがしてしまう。 まあ、それだけ「キダム」が素晴らしかったとも言える。あれこそ、まさに驚愕と感動の大スペクタクルだったからね。
終演後、一度新宿のホテルにチェックインを済ませ、後楽園ホールへと向かった。しなしさとこ選手も出場する格闘技イベント「DEEP 16TH IMPACT」を観戦。 しなし選手は、1ラウンド20秒で、寝技に持ち込み、見事一本勝ちを収めた。また、メインで行われた「DEEPウェルター級トーナメント決勝戦」では、最有力の優勝候補・中尾受太郎選手が優勝し、初代チャンピオンの座に輝いた。 全試合終了後、後楽園ホール近くの「コロッセオ」(格闘技ファンが集う店)にて行われた「しなしさとこ祝勝会」に参加。しなしさんやファンの面々と楽しいひとときを過ごすことができた。
10月30日 後楽園ホールは異様な興奮に包まれていた 僕には一瞬何が起こったのかわからなかった
20秒殺 こんなにも速い決着を誰が予想できたろう
ともかくも試合は終了した しなしさとこは全力で闘った
打撃練習の成果を出す間もなかった もちろん練習は無駄ではなかった すべてをやり尽くした自信が しなしに勝利をもたらしたのだから
しなしさとこよ 君はこれからも闘う者の道を行くのか 長く険しい道のりを君は行くと言うのか
君が闘う意志を燃やし続けるかぎり 僕らはどこまでもついていこう そして 闘いを前にした君の凛とした表情と 闘いを終えて満面に笑みをたたえた表情と そんな両面の君を これからも見続けていきたいと 僕らは強く願うのだ (夏撃波「20秒殺の夜を越えて」)
2004年10月25日(月) |
Show The BLACK |
今夜、大川興業公演「Show The BLACK」(愛知県芸術劇場小ホール)を観に行ってきた。上演時間1時間50分のうち、1時間30分以上が全くの暗闇のなかでドラマが進行する。 目を凝らしてみても様子は窺い知れず、自然と聴覚が研ぎ澄まされることになる。突然暗闇のなかに閉じこめられた数人のあいだで巻き起こる奇妙な人間ドラマとでも言おうか。登場人物自身は至極真面目に発言しているのだが、第三者的にはとてもおかしく妙な笑いがこみ上げてくる。役者の発声など、やや難ありとも思われたが、ホンとしてはよくできているように感じられた。「B級遊撃隊」の芝居(ナンセンス不条理劇)に何となく近いような・・・。 今回の実験的な試みは一応成功と言っていいだろう。大川興業の芝居を観るのは今回が初めてだったが、こんどは明るいところで観てみたいと思った。
2004年10月20日(水) |
アル・ムルワッス劇団(イラク) |
バグダッド(イラク)からアル・ムルワッス劇団が来日し、今日、千種文化小劇場で「イラクから、船乗りたちのメッセージ」を上演した。民族楽器を使い、歌や踊り、パントマイムを盛り込んだ作品だ。 演劇技術論的にはやや弱い印象もあったが、一方で演劇の枠に収まりきらない表現の幅が予感され、未知数の可能性を秘めているようにも思われた(うわ〜っ、えらそうな評論家みたいな発言をしてしまった)。 独裁政権下で「反政府的」とみなされた演劇人たちは弾圧され続けてきたようだが、フセイン体制崩壊後、「イラク人による自前の文化の創造」を目指してアル・ムルワッス劇団は活動を開始。今も戦火の中にあって、表現者にとって厳しい状況は続いているようだが、地に強く根付いていってほしいと思う。
熊本、鹿児島両県から関西に移り住んだ水俣 病の未認定患者30人と死亡患者15人の遺族 が、国と熊本県に損害賠償を求めた「関西水俣 病訴訟」の上告審で、最高裁第二小法廷(北川 弘治裁判長)は15日、「国と県が被害の拡大 を防がなかったのは著しく合理性を欠き違法」 として、国と県に賠償を命じた大阪高裁判決を 支持する判決を言い渡した。 (2004年10月16日付「中日新聞」朝刊より)
「水俣病公式発見」から半世紀。「国、熊本県に責任を認める」判決が出され、「画期的な判決」とも言われているようだが、ここに来るまでに費やされた時間の長さを思わずにいられない。一部には訴えを退けられてガッカリしている方もいて、すべてにおいて満足のいく判決とは言い難いようだ。 確か3年ほど前、「ハンセン病国家賠償訴訟」で熊本地裁から「国家責任を認め、賠償を命ずる」判決が出された。世論の後押しもあり、国は控訴を断念した。 ほぼ同時期に「関西水俣病訴訟」控訴審で「国と県に賠償を命ずる」判決があったのにもかかわらず、国側は上告し、原告側を随分とガッカリさせた。一方の「ハンセン病国家賠償訴訟」では控訴断念、他方の「関西水俣病訴訟」では上告、という何とも整合性のない対応に、小泉政権の正体を見、その薄っぺらさを見抜けない国民の認識の甘さに思わずため息をついた覚えがある。 今回、最高裁が3年前の大阪高裁判決を支持し、国もその判決を受け入れざるを得なくなったわけだが、この期に及んでもなお環境省は「個別の損害賠償に対する判決と認定制度は別」として「患者認定は見直さない」考えを示している。それに対し、患者・遺族の側は「反省は口先だけ」と怒りを露わにしている。 水俣病は健康被害をもたらしたばかりではなく、患者や家族からあらゆるものを奪っていった。身体の自由が奪われたがために、生活の糧を得る手段を奪われ、また治療などのために経済的かつ精神的な負担を強いられることになる。そして、地域共同体のなかで差別が生み出され、人々の絆は断ち切られ、そのことがいっそう患者・家族の苦しみを強めていった。そうした苦難の歴史、人間としての誇りを踏みにじられてきた患者・家族の思いを国側は少しでも想像してみる必要があるだろう。 今回、一応は「原告勝訴」の最高裁判決が出た。とは言っても、患者・家族はこれからも日々闘っていかなければならず、そして奪われた時間は戻ってこない。私とてどこまで行っても「第三者」に違いないが、「水俣病」の「歴史」を心の片隅に置きながら、自らの歩むべき道を誤らないようにしていきたいと思う。
2004年10月15日(金) |
アンチノミー(二律背反) |
「劇団pHー7」20周年記念公演第2弾『アンチノミー』を観てきた。 今回は、演劇(イヨネスコ『授業』より)と舞踏(江戸川乱歩『盲獣』より)の2本立て興行だ。 「pHー7」の前回公演『舞踏劇・澱の匂い』が私の嗜好にとても合っていたのだが(そのアングラさ加減が)、今回はそれを上回るものを期待してもいた。単純に比較はできないのだが、舞踏に関しては前回のほうがメリハリがあって見やすい気はした(これは「役者の力量」というよりは「構成」の問題だと思うのだが)。 演劇のほうは、と言えば、(一般的に)「わかりにくい芝居」ではあるのだが、舞台での緊迫感がダイレクトに伝わってきて面白く観ることができた。 ところで、今日、会場で前回公演『舞踏劇・澱の匂い』のビデオを購入し、早速観た。今年4月に観劇し絶賛した舞踏劇だったが、ビデオであらためて観ると、なぜか違和感を感じた。「劇場でライブを観るのと、映像を通して観るのとでは、そこに流れる空気がまったく違う」ということにあらためて気づかされる。 私は芝居を観るためにと劇場に足を運びながら、その実、役者たちの身体を通して発せられる空気を感じているだけなのかもしれない。空気のなかに何かを嗅ぎとり、そこに私の感性に訴えかけてくるものがないかと気を研ぎ澄ませているように思えてくる。そして、空気は時々刻々と動いている。そこが、ライブの面白さでもあり、怖さでもある。 う〜ん、怖いけど、やっぱり芝居やりたいな。舞台を離れて早2年。仕事の都合で舞台に立てない私は、満たされぬ欲求の代わりにと、狂ったように芝居を見続けている。
(追記) 来る12月5日、不肖・夏撃波は、大阪のライブスペース「COCOROOM」のブッキングナイトに出演することとなりました。約40分間のステージ、楽器演奏を含む「詩の朗読パフォーマンス」を展開してまいります。
名古屋市公会堂ホールへ、シュートボクシングを観に行った。柔術の試合も含めて10試合ほどを観戦。 第1試合から激しい撃ち合いがあり、会場全体が大いに沸いた。第2試合では、先にダウンを喫した選手が逆転のKO勝利をおさめるが、試合直後に倒れるアクシデントがあった(ほどなくしてその選手は立ち上がり、両肩を支えられるようにして退場していった)。無名の選手たちが白熱した好試合を展開し、観客からも選手たちに熱い声援が送られていた。大変すばらしいものを見せてもらったという感想を抱いた。 というわけで、爽快な気分なのだが、一方で最もメジャーな立ち技格闘技・Kー1に出場する元・横綱のことを思い出してしまった。技もなければ、緊迫感もない試合ばかり。それなのに高額なファイトマネーが支払われている。世の中、なんて不条理なんだろう。そこらへん、何とかならないものか。 無名の選手たちが懸命に打ち込んでいる姿は感動的だが、そうした選手たちをバックアップする態勢ができてくると、もっともっと面白い試合が観られるのではないかと思う。
2004年10月03日(日) |
東京の中心で詩を叫ぶ |
久しぶりに東京へ行って来た。今回の旅のテーマは、「東京の中心で詩を叫ぶ」だ。
2日の昼過ぎ、楽器を携え、新幹線で東京に向かう。いったん新宿のホテルに荷物を置いてから、池袋へ。夕方に開催の「池袋EGPP step13『異教徒のうた』」というイベントに参加。詩の「朗読」をしたのは、主催者である「フーゲツのジュンさん」のほか3〜4人ほどで、「朗読」はさほど盛り上がっていなかったように思う。でも、全員参加のジャムセッションは、ほとんどノイズに近い演奏だったが、楽しかったな。 私自身の「朗読パフォーマンス」では、「棘はずっと刺さったまんまだ」「現代能『隅田川』」「映画『息子のまなざし』予告編(夏撃波バージョン)」などの自作詩を「朗読」した他、浅川マキの「朝日楼」や、シャンソンの名曲「愛の讃歌」を熱唱。気持ちのいい「朗読」ができて、満足している。
明けて3日、夜に開催の朗読イベントまで時間があるというので、新宿コマ劇場で上演中の「松平健『暴れん坊将軍スペシャル・唄って踊って八百八町〜フィナーレ・マツケンサンバ』」を観に行った。 最初から最後までテンポよく文句無しに楽しめる内容だった。まあ、「楽しい」以上のもの、例えば「衝撃」を受ける、といったことはなかったが、まあ、それは最初から期待はしてないからね。下手な「小劇場系演劇」を観るよりははるかにいいことだけは確かだ。 でも、私がいちばん観たい芝居は「小劇場系」の良質の芝居。この秋、いい芝居に出会えるものと期待している。
さて、夕方になってから、今夜の「朗読イベント」の主催者・近藤洋一さん待ち合わせ、新宿ゴールデン街の一角にある小さな飲み屋「珍呑」へと向かった。 雨ということもあってか、集まりは悪かった。8時半ごろから、近藤さんが朗読を始めると、一人、二人とやってきて、私の順番が巡ってきた。前日にもやっている「『隅田川』」「『息子のまなざし』予告編」の「朗読」に、「朝日楼」「愛の讃歌」の「熱唱」を終えた私は、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。 東京駅に急行し、最終の新幹線で名古屋に舞い戻った。 明日からまたハードな日々が始まろうとしていた・・・。
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