日記王(ニッキング)
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2010年02月17日(水) |
綿棒の女(監督:伊丹サーティーン) |
先日、綿棒の容器が空になった。100円ショップで売っている、ごく普通の200本入りの紙軸綿棒である。私は耳の穴が大きいため、風呂上りは綿棒で中の水気を取ってやる必要がある。サボると翌日が面倒くさいことになるのだが、それはさておき、綿棒をそれ以外の用途で使うことはまず無い。というわけで、綿棒が減るペースはほぼ正確に1日1本。200本入りが空ということは即ち200日が経過したということで、自分の中でちょっとした一里塚みたいなものになっている。 20代前半の頃、私は就職に失敗し、3ヶ月で実家に帰ることになった。上京するときは知り合いの運送会社に頼んでいたので、何箱でも定額だったことから、洗剤などの日用品まで詰め込んでの引越しだった。 そんな気合の入ったスタートから3ヶ月弱で同じダンボールに荷を詰め直すことになるのだが、思っていたほど心が痛むということはなかった。あの場から開放されるという安堵感が大きかったのだろう。家具や衣類などの荷造りも手際が良かった。(そりゃあ3ヶ月前に同じ事やってますから・・・) そして小物類の番になり、綿棒に手がかかった。半分ほど残っていた。その容器の中で空いているすき間に、この3ヶ月間のあらゆるモノを視覚で突きつけられた気がした。手を止めてしまいたくなったが、止めてしまうとしばらく動けそうにもなかったので、すぐにダンボールの中に放り込んだ。 その後も炊事洗濯関係で、ちょっと減ったものたちと大量に遭遇するのだが、無心で一緒くたにまとめて梱包して、実家での荷解き時に「使って」と言って母親にダンボールごと渡した。「捨てても良かったのに、あんたらしいわ」という言葉を背中で聞いた。 それから、三歩進んで二歩下がってまた進むかと思ったら今度は反復横跳び、といったワンツーパンチからのバックドロップみたいな年月を過ごした挙句、再び上京して今に至るのだが、このときの荷物に、数年前に使い切らずにそのままだった綿棒を入れた。せめて今回は、この綿棒を使い切るまでは、しがみついてみようと思ったのだ。今思えば、随分と期間の短い誓いだなと苦笑してしまうが、それが功を奏してか、綿棒の容器はほどなくして空になった。新しい綿棒を買いに行ったとき、普段自宅では全くと言っていいほど飲まなかったのだが、缶ビールを1本、買い物カゴに綿棒と一緒に入れた。その晩、上京して初めて自室で飲んだビールは、いつもと違う味がした。 そんな初々しさも今じゃすっかり忘れて家には一升瓶が鎮座するような有様で、もはや見る影もないのだが、綿棒を買うときは今でもほんの少し緊張してしまう。相変わらずの反応に「しょうがないな」思いながら、またここに買いに来られるよう、もうちょっと頑張ってみようかと綿棒に手を伸ばす、ささやかな私の一里塚なのである。
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