本日の感想文。

2004年05月31日(月) 英語とフランス語

5月31日は祝日です。
で、だんなとデートしていました。

レアルでピザを食べていて、だんなが席を立ったときにギャルソンが
「***+++***@@@?」
といったので、
「はぁ?」
と聞き返しました。
が、ちんぷんかんぷん。
「きゃんゆーすぴーくいんぐりっしゅ?」
と聞かれたので
「ありとる」
と答えたら、今度は英語で
「ぺらぺらぺら……」
どうやら、他に注文は? と聞いたようですが、すでに頼んだコーヒーがまだだったので、
「もう頼んでいます」
と言おうとして、すぐに英語が出てこなかった。

しばらくしてだんなが戻ってくると、そのギャルソン、だんなと少し言葉を交わした後、
「マダムは英語もフランス語も話せないようですね」
と言った。
思わず大爆笑して顔が赤くなりましたよ、本当に失礼な! いや、本当だけどさ!
不思議なことに、フランス語でもこういうことはちゃんと聞き取れるんだよねぇ、なぜか。

動物的感とでもいうのか? 
それとも悪いことはよく耳に入るとでも言うのでしょうか?
しばらくは、だんなに「勉強しろ!」と言われ続けそう……。





2004年05月30日(日) 全仏オープンテニス

だんなの時差ぼけを直すため、無理やりのお散歩。
(今日は、実は土曜日です。ちょいと時間がずれますねぇ)
ブローニュ方面にテクテク歩いてぼっとしようと思っていたのですが、歩いてすぐに【ローランギャロスの駐車場はここ】とあり、ぼさぼさ歩いていただんなの目の色が変わりました。

全仏オープン開催中のことは知っていたのですが、まさか、家から歩いて10分のところでやっていたとは……(^^;
かつてはボルグにあこがれてテニスをやっていたこともあるだんな、すっかり見てみたくなったようです。
当然チケットはありませんが、ダフ屋がいっぱいいて話しかけてくるようです。
だんなはダフ屋から買ってでも見たかったようなのですが、どんなカードがあるのかわからないし、今日はそのままぶらぶらして帰りました。

センターコート他何面かは、まるで野球場? と思えるほどのすごいつくりで、一番上の席の人は、おそらく試合などあまりよく見えないのでしょう……パリの風景でも見ているのでしょうか? 違う方向を見ています。
歓声は時々道のほうまで響き渡り、まるでお祭りのよう……会場内もお祭りのよう……。
ただ、柵のこちら側から覗いただけですが、わくわくしてきて試合はいいから入らせて! っと言いたくなります。

センターコートは無理ですが、道から柵越しに試合が見れるコートもあり、しばらく男子ダブルスの試合を見ていました。
球の速さが……さすがというか、怖いです。(^^;
生で試合を見て初めてわかったのですが、玉拾いの子供たちのけなげなことったらありません。
ラインマンもそうなのですが、軍隊的な規則正しさで交代や玉拾いをするのです。
拾ったら、とにかくダッシュ! ゲームの休憩時間は選手のために日傘を差してあげる。それも、微動だにせず、腕も替えず。
しかも、両サイド同時に傘をたたむのです。公平だぁ。
試合途中でメンバーが変わるのですが、それも決まった動きがあるようです。
テレビでは少ししか写らないから、こんなことしているとは思わなかった……。

帰りはスーパーによって、水の浄化装置を買ってきました。
日本人はみんな使っている……と聞いて、よし、私も日本人になろう! なんちゃって。(^^;
ところが家に帰ってみてみたら……なんと壊れていて、げげげ……初めてのクレームにいかなければならなくなりました。
だんなったら、テニスのチケット入手法を知らべるから、などといって、つきあってくれません。(−−;
やむなく一人でいって、超怪しいフランス語で乗り切りました。
ただし、3箇所くらいたらいまわしになりました。
「まっすぐ行って左を下がって……」
は、なんとなくわかったのですが、ぼけっとしていたら、案内のお姉ちゃんが場所まで連れて行ってくれました。
ちなみに私のフランス語ですが、
「わたしはこれか買う・でも・これこわれている・あたらしいの・あなたある?」
こんな感じだったお思います。(^^;しかも発音はかなり怪しい。

家に帰ってみると、だんなはテニスではなくF1のニュースに夢中。
私もびっくり! フランス人解説者も「ばんざいばんんざい」と言っていましたが、さとうたくま(漢字忘れた)フロントローじゃないですか?
(@@;しかもあのシューマッハと競い合ったとは!

今日のスポーツニュースは、じゃぽねという言葉がてんこ盛りです。
F1、テニス(浅越がウィリアムスとあたるからだが)そしてバレー。
久しぶりに日本の看板とか「そーれ!」という掛け声を聞きました。
日本にとっては痛い敗戦ですが、フランスにとっては結構大きなニュースだったようです。




2004年05月29日(土) さらに踏んだり、踏んだり、踏んだり……

犬の糞(−−;
これ、本当に困ります。
飼い主は、犬をとてもしつけていて、みんなえらいのですが、なぜかこの件に関しての飼い主のマナーは最悪といえるでしょう。

パリは車道の横から水が流れています。ちょろちょろと……。
初めて見ると趣がありますが、実は下水の役目をしています。
お掃除は、水で犬のうんこを流すんですよ。
そんな勢いで流れるのーーーーっ! って感じなのですけれど。

……と。
実は犬の糞を踏んだ話ではありません。
今朝、地下鉄を追い出されてしまいました。(;;)
その名も日本語にすると【ポンプの通】というところで、いきなり地下鉄が動かなくなり、テロなのか危険物なのかわからないまま、一駅歩かされてしまいました。
悲しいことに言葉がわからないと、なぜなのかわからないのでした。
フランスにきて、フランスのニュースも日本の新聞で読むという感じですから、視野はどんどん狭くなります。
結局原因はわからないまま、一駅歩いて学校を遅刻。

今日はだんなが帰ってくるので、空港まで迎えです。
学校のあと、お友達とお昼を食べて時間を過ごしたあと、空港へ。
ゆとりはあったつもりなのですが、なんと渋滞で1時間以上かかってしまい、飛行機がついていました。
なかなか出てこないので、すれ違ったかと結構あせりました。

だんな、疲れ果てておりました。
日本人団体観光客と飛行機で一緒になったそうで、少しお話したようです。
その人たちは、そのあと翌日のサンミッシェル観光のため、バスで移動だそうで……。きついですねぇ。
でもパックツアーは安いです。
そのツアーは、13万円台なのだそうで、この時期の格安航空券よりも安いかもしれません。それで観光すべてと食事がつくなんてねぇ。



2004年05月28日(金) 「初めてのおつかい」はなしよ。

日本の某テレビ番組で……
「はじめてのおつかい」なるものがあったような気がします。
小さな子供が、初めて一人でお使いに行ってちゃんとできるかな? 見たいな番組。
私は、どうも子供が好きではないので見てはいませんでしたが。

実は、フランス語学校に来ている奥さんが
「今日は学校へ子供を置いてきてから……」
という話をし出し、それから話が発展して……。

なんと、フランスでは10歳以下の子供は大人が見ていなければならないという法律があるそうなのです。
(アメリカはもっと厳しいらしいのですが)
つまり、
「何々ちゃん、あそぼー!」も
「何々ちゃん、学校へ行こう!」もなしです。
親が学校まで送り届けしなければなりません。
子供同士で外出もなしです。
つまり……。
フランスでは「はじめてのおつかい」なる番組は成り立ちません。
きっとそれをやったら【法律違反!】となるわけです。

そういえば、子供は傘をさしてはいけないという決まりもあるらしいですし、いやはや……。ところ変われば! です。

ちなみにフランス人は、子供と犬のしつけが厳しいらしく、
「フランスでは犬と子供は泣かない」という通説があるそうで。
犬も実におとなしく、熊のような大きさでもぜんぜん危険を感じません。
子供も公衆の面前で泣いたり駄々をこねたり……みたいなことは確かにありません。
フランスだったら、かつてはやった「俺は子供が嫌いだ!」みたいな歌はできなかったかもしれません。
私の子供嫌いも、少しはましだったかも? (^0^;



2004年05月27日(木) ふんだりけったり

パリのアパートはナンバーロックのところが多いです。
放射状に作られた道路ぎりぎりまで、ぴったり建物が建てられていて、しかもくっついている。
数メートルごとに大きな扉があって、そこが建物の入り口かと思いきや、たいがいは中庭への道だったりして、その横に本当の入り口があったりする。
時には「巨人が通るのか?」と思うような扉があり、おそらくは馬車ごと中庭につけたのだろうと思われる……が、今は車が止まっていたり。

私はこの扉に妙に惹かれます。(^^;
というのも、パリの建物は同じ基準で統一感あるように作られているので、さほど個性は感じないのですよ。
が、扉の向こうはどうなっているのかわかりません。
まるで秘密が隠されているような、そんな気持ちにさせてくれます。
たいがいはいつも閉まっていますが、たまにあいていたりすると、覗いてみたい衝動に駆られてしまいます。

不思議なことに、中世の街は「小人さんの街か?」と思うほど、扉も家も部屋も小さく、天井も低いのですが、パリはいきなり巨人の街です。
天井も高いので、大変……階段が。
私の住んでいるところは30年ぐらいの比較的新しいところなのでエレベーターがありますが、ないところも多いです。
あっても一人か二人が乗れる程度。
というのも螺旋階段の吹き抜け部分に無理やり合わせて作るわけですから。
素敵な古いホテルに泊まりたい! と思っている人。荷物はコンパクトに。
下手をすると階段で運ぶ羽目になります。

さて、今日のタイトルですが。。。
踏んだりけったり……というのは、出かけて途中で雨になり。
からりと晴れていたので、まさか雨になるとは! あわてて家に帰って、家に入ろうとすると。
玄関が開かない。(−−;
何度ナンバーをたたいても、あかない。(−−;
雨が降ると寒いんだよね。私はどうしたらいいんでしょう?
不動産屋に連絡? しかし、今日に限って手帳を家においている。
しかも、だんなは日本に帰っているから、ひとり。
ぼよーーーん。。。(・0・;

しばらくすると、超かわいい小さな犬が、まるでどうしたの? というように私に近づいてきた。
思わず「めんこめんこ」いっぱいなでくりまわしてしまった。
するとすぐに飼い主登場。同じマンションの人だったらしく、ドアを開けてくれた上、新しいナンバーを教えてくれた。
どうやら時々ナンバーを変更するらしい。
英語で「郵便受けに今日からナンバーが変わると入っているはずだ」と教えてくれた。
……(*^^*)ちょっとハンサムかも?

いえ、これはしゃららーーーん! な、イケメンにあった話ではないのです。
ふんだりけったり……のついていない話であります。
家に入り、部屋の電気をつけようとしたとたん!
ばちんっ! という音とともに青い火花! あっという間に闇の世界。
だんなの留守に、ちょっと浮ついたバチでしょうか? (−−;
真っ暗な夜をすごす羽目に。
運がよかったのは、こちらは10時まで明るいって事でしょうか?

不動産屋さんにきいたら、ヒューズが飛んだだけだったようで、少しほっとしました。
電気屋さんに修理を頼むことになったらどうしようと思っていた。
とりあえず……ふんでもけっても、最悪なことにならないのが、私の強運ぶりってことでしょうか?



2004年05月26日(水) お金持ちの優雅な生活

本日は学友とともに、ジャックマール・アンドレ美術館に行ってきました。
19世紀(第二帝政時代)のお金持ち、アンドレさんとその奥さんが集めた美術品が見れます。
……というか、華やかなお金持ちの優雅な生活を垣間見ることのできる美術館です。

独身時代から美術品収集に励んでいたアンドレさんは、自画像を描いてくれた画家のネリー・ジャックマールさんと結婚し、夫婦そろって世界中を飛び回り、美術品を収集しました。
特に18世紀のフランス絵画やイタリア・ルネッサンスのコレクションが充実しています。

何の変哲もない入り口(パリでは……の話。日本ではびっくりの入り口)をくぐると、緩やかな弧を描いた傾斜ある小道。
そこを過ぎると庭があり、パンジーの花がきれいに咲いた花壇があり、ほのかにいい香りがしました。
目の前にデデーンと豪邸です。
そこが美術館なのです。
オーディオ・ガイドも無料です。日本語もしっかりあり。

入ったとたんに、高い天井・豪華な壁の装飾に、つい声が出そうになります。
とはいえ、きんきらきーんでありながら、宮殿のような度を越えた派手さではありません。一邸宅として済んでみたい気持ちにさせられます。
応接用として使われていた部屋は、扉を大きく開いたり、地下に収納できる工夫が施され、1000人のお客様をもてなすことができたそうです。
特に吹き抜けになっている音楽の広間はすごいですね。
人々がくつろぐ中、2回から音楽が流れてくる……うーん、もてなされたいものです。

さらに奥がなんだか明るい。
「冬の庭」という場所は、天井がガラス張りで温室として使われていたところ。古代の彫刻が緑とマッチしています。
人ごみに疲れはてたご婦人たちのくつろぎの場所になっていたとか。
その横に、やや薄暗め(明るいところから入るからそう思ってしまうのか?)の小部屋があり、そこは喫煙室。殿方のくつろぎの場。
当時の流行で、喫煙室なる場所にはオリエンタルテーストのものが飾られていたそうで、壷やらがありました。
さて、温室に戻りますと、そこには二手に分かれた階段があります。
大理石の白と鉄と木を使った手すりは、そう書くと無機質で冷たそうに感じるでしょ? 
ところがところが! この階段はきれいな曲線をふんだんに使っていて、鉄柵もまるでつる草のように優雅なのです。
天使が階段を下りてきても、違和感のないくらい。
上まで上がってみて、あれ? この感じは? と……。
LOTRに出てくるロスロリアン。ついそう感じてしまいました。

この階段の壁にはフラスコ画があります。
これがまたこの階段に微妙なバランスでマッチしているのです。
明るく淡い色彩で書かれた絵なのですが、風景はベネチアで、ちょうどお客様が階段を上がってきて、もてなされているところ。
まるでこの屋敷の一部のように描かれています。
美術品って、飾る場所を選ぶと思うのですが、これはベストマッチ! と思った絵のひとつにします。
(ルーヴルの「ニケ」オランジェリー美術館の「睡蓮」もいいですよね)

見所たくさん、いい絵もたくさん! なのですが、ついつい建物のことばかり書いてしまうところ、やはりそこが印象的だったということか……。
(^^; また、夫妻のばら色の人生(?)を見たような気がしました。

見学し終わってケーキを食べる。
これまた美味しい! 太っちゃいそう!
ここのカフェもいいですねぇ。カフェだけなら無料で入れるそうです。
こんな豪邸に住みながら、1年の半分は旅行に明け暮れたという夫妻。
優雅な気持ちになって、ネリーのように、旅したいですねぇ。
「見るものすべてに惹かれてしまいます。このままもう少し遠くへ行きましょうか? 香港? いっそ日本へも……」

***

家に帰ってくると、いつもはマルシェの立つ場所に風船がいっぱい。
何かのお祭りらしいです。
日本で言えば、盆祭り? うーん。。。わかりません。




2004年05月25日(火) 【執筆ネタ】最近。

更新できないので、やや読みモードになっていましたが、自作もかなり読み返しています。
ナルシスト? (^0^; いえ、誤字チェックなど。
直したいところもあるけれど、今回はそれはなしよ。
(だって、次に読み返してもおそらく直したくなるところが、また新たに出てくるもん)

【彼方へ】未公開部分。
読んで愕然! ……ぜんぜん面白くない。(−−;
公開しなくてよかった! 書いた当時、こんなに回想ばかりでいいのかなぁ? と悩んだけれど、やはりダメだったことが判明。
とくに【陽が沈む時】のあとに読むと、そのテンポと流れの悪さに、涙が出てしまう。
思いっきりエピソードをカットすることを決定!

【一角の森】
くどいなぁ……と思う場面もあるけれど、思ったよりは悪くはない。
自分で思っていたよりは、シルヴァーンはそれなりにいい男だったかも?
ラストは、もうちょっと会話が短くてもいいくらいだったかなぁ?

【蒼白なるファセラ】
【彼方へ】を読んだ後に読む気が起こらなかった。もっとひどいかも?
連載再開の前に、もう一度心を入れ替えよう……。

【勝手にノベル】
多少の変更と追加を加え、DL版を作った。
続きも執筆中だけど、前半かなり映画に忠実に書いていることに、自ら驚く。まだ、DVD出ていないときに書いたはずなのに……。
多少の追加は入れたものの、当時の自分の熱中ぶりがわかる内容だった。
【王の帰還】あたりとのエピソードがずれたり……っていうのがあるから、訂正はDVDが出てからにしよう。

次に執筆しているもの。

【どーる!】
これ、一応携帯サイト用に書いているのだけど、受け取ってもらえるものやら? 
(^^;というのも、やはり私の作品って若い子受けしないのか、あまり読まれていないみたいで。
ドタバタFTコメディで、大学時代に友達と書いた【僕の生きる道】と似たような色合いの作品。
テンポ優先の漫画みたいな作品で、ネット公開向きかもしれません。
現在60Pまで書き終えた。150P予定です。

【遠くへいきたい】
こちらは30Pくらいの短編。現代ものです。
こちらも携帯サイト用に書いて、一応送ったけれど、掲載してもらえるかどうかわからない。一度OKもらっていたけれど、担当が替わって白紙に戻った作品。

【鈴鳴姫と銀の騎士】
童話風のFT。
60Pを目指して書いていたけれど、やはり150Pぐらいに書き直し中。
ストーリーを追うよりも少し懐かしい童話の世界のわくわくを取り入れたくなった。

【銀のムテ人】
自分では結構完成度高いと思っていたけれど、未公開部分を少し書き直し。
あらはやはり出るものだ。(^0^;

【信じて……】
しばらく信じられないかも? (−−;

志麻さんのサイトにも載せた【下手をすると命取りになる話】を、実はとある出版社の「新聞に載らない事件(仮名)」という企画に書き直して応募。
運よく佳作をいただいたので、公開の許可をいただいてHP公開するつもりです。






2004年05月24日(月) トロイを見た!

レアルでトロイを見ました。
始まったら行こうね! と、学友と約束していたのですが、今日がいよいよその日。
授業もうつらうつら、映画のことを考えてわくわく。

2時半からというので、オペラの近くでご飯をたべ、早速……。
と、思ったら、なんとフランス語吹き替え版だった!
で、入るのをやめて、ぶらぶらレアルで映画館チェック。
すると、ちょうどジャストでオリジナル音声でやっていて、ラスト1席という超満員状態で見ました。

えーここで驚いたこと。
こちらの映画館って、座席指定ではないのですが、なんとチケット売り場で残り座席数がわかるんですよ。
3人で行ったのですが、一人ずつチケットを買っていたら、私がラスト2だったようで、きわどかった……。
チケット売り場は何箇所かあったので、おそらく横でも買っていた人が痛んだろうなぁ。
もうすでに予告編が入っている状態だったので、満員は座席を見つける
のが辛かったです。
でも、あいているところを見つけて移動していると、どうやらその列に空きが3席あったらしく、奥の人たちがつめてくれて、3人並んで座ることができました。
ラッキー! というか、皆さんありがとう!

映画の感想は、また【本日の感想文】にまわしますが、まずまず面白かったです。
さすがに泣くまで……は行かなかったのですが、泣いている人はいたようです。
でもまぁ……美形をそろえましたねって感じですか?
アキレスのいとこは(名前忘れた)立ち姿がエルフっぽかったですね。

でも、軍配は【ヒダルゴ】だなぁ。
CGに頼りすぎてるような気もして、息を呑みつつも、LOTRに似ているよなぁ……これ。って感じ。




2004年05月23日(日) 夜遊び(?)

だんなが日本に帰ってから、なんだかむなしい……(−−;
日々にはりあいがないっていうか、いると粗大ごみといいませんが、やれ
「ご飯!」とか「ワイン!」とか
うるさいじゃないですか?
最近は少しよくなって
「コーヒー飲もうか?」とか「ビール飲もうか?」とか
ちゃんと文章になってきたうえ、たまにコーヒーを入れてくれたりするようになって、かなり感激。
それでもやはり家事があるし、だんなの場合、何でも食べられるわけではないから手がかかるじゃないですか?
とはいえ、いなくなるとそうやって
「私がいないとだめなのよ〜♪」
なんて、思い込んでせっせせっせしていることが、楽しいんだなぁ……と、つい思ってしまいます。
で、だんなからの電話によると……
向こうは日々宴会で、飲んだり食ったりしているようです。(−−;
私がいなくて、楽しくてよかったね!

復讐の夜遊び!
……というのではありませんが、今日は少し出かけました。
前に泊まったホテルの人にお世話になって、こっちにきたら日本酒をプレゼントしよう! と、へらへら約束していたのですが、その人って9時からのナイトシフト(夜勤)なんですよ。
何度かホテルにいったのだけど、その人はいず、しかも名前も覚えていなかったので、家で日本酒が酢になりかけていたわけ。
やはり暗くなってからの外出なんてできないと思っていたのですが、外を見ればまだ明るい。
10時ぐらいまではもう明るいんですよね。
というわけで、酒を届けにいきました。
日があるうちに帰ろうと思ったわけですが、結局話し込んで暗くなってしまいましたが。

だんながいると、それでもこの時間に出かけてくるとは言いにくいので、やはり、だんないぬ間の夜遊び! と、いえるんじゃないでしょうかね。
(^0^; ごめんね、だんなさま。



2004年05月22日(土) 【執筆ネタ】久しぶりに……。

【陽が沈む時】のDL版を訂正いたしました。
久しぶりに読み返してみると、いやぁ出るわ、出るわ……。

一番は、「っ」が「つ」になっているところです。
これは、何かの文字を修正するために、一括置換を掛けたところ、どういうわけか小さな「っ」は全部大きな「つ」に置き換わってしまい、結構直したんですが、何箇所かそのままでした。
それと、レグラスの名前が一箇所レゴラスになっていました。(^0^;
オンライン版は修正できない状態なので(いや、テキストで直せば直せるんだけど)恥ずかしいや。

あと、感極まって書いたところは、読み返しても恥ずかしいですねぇ。
ううう、、、書き直したい。
でも、人称の揺らぎが激しい作品なのですが、思ったよりも気にならず、それが味になっているかなぁ? などと思いつつ読んでしまいました。
描写不足は、やはり気になるところですが、それなりの山場は力を入れて書いているようですし、テンポが命だからいいのかなぁ?
しかし……戦いの場面などは、もっと書き込みたかったなぁ。。。
いつか、書き足そう。

しかしながら、我ながらパワーを感じるなぁ。
正直、今この作品を書けって言われても、絶対に書けないや。
へたくそな文章だけど、今の作品よりもずっと伝わるものがあるかもしれない。
自画自賛してどうする……私。(−−;

つまりは、最近の私、少しはうまくはなったのかも知れませんが、持ち味がなくなってきたのではないかなぁ? などと思うわけです。
たいがいのオンライン作家って、過去の作品を読んで「へたっぴー! 恥ずかしい!」と思う人が多いらしいのですが、どうも私は違うらしい。
ダイナミックさに欠けて最近の作品はつまらない。



2004年05月20日(木) だんなのいぬまに……

悪いことをしようっていうのではありません。
(^^;しばらくしていなかった小説の執筆を始めたのです。
ってことで、昨夜は徹夜。本日はお昼におき、その後再びお昼ね。

大変なことが私に起きました。
久しぶりにビールを昼間からかっくらっていたら、何が本当で何が夢なのか、本当に区別がつかなくなってしまったのです。
このビールは麻薬なのかしらん? それとも徹夜の疲れ?

今から思い出すと、何があったのかよくわからないのですが、ファンタジーっぽい世界にいたような、その上、指輪関連の批評本を読んでいたような気もします。
あ、あと、長い間読みかけていたオンライン小説をDLして読んだ感想なんかも書いていたようです。

つまるところ……。
単なる酔っ払いです。



2004年05月19日(水) しばしのお別れ

だんなが仕事のため、日本に一時帰国してしまいます。
(;;)私はさびしい……。

昨日買った手土産ですが、散々もうないのか確認したのに、足りないものがあり、再度買い物。
ふたたびプランタン屋上でくつろぐことに。
ああ、もう、本当に夏です。気持ちいい!

4時ごろ、ロワッシーバスで空港に出発。
二重連結のバスなのに、結構飛ばすのが楽しいです……が、やや渋滞。
この時間は、どうしても渋滞に巻き込まれてしまいますね。

空港について、出てくる日本人団体客とすれ違いました。
おばさんおじさん団体で、どこかの慰安旅行っぽかったです。
笑えたのが、荷物運びのポーターさんが、「これこれ、これこれ」といいながら荷物を運んでいるのですが、どういうわけか、団体ご一行様もそのポーターの後を「これこれ、これこれ」といいながらついていくんです。
なぜ? (^−^;
しばらくは笑いが止まりませんでした。

ターミナル1は工事中もあって、中に入らないとたいした売店やサロンもなく、だんなは早めに入ってしまいました。
あまりに寂しいので
「フランス人ごっこしよう」といったら、
ぶっちゆとキスしてくれましたが、なんかそれって、単に顔がぶつかっただけっていうやつじゃないかい?
(^−^; あの、ちゅっちゅ、ちゅっちゅという、ビスってヤツをしたかったのですが。
テロとかもあるし、これが最後の別れになったらどうしよう? (;;)などと、大げさなことを考えつつ、最後の最後まで見送りました。
二階で手を振っているだんなを見つけて、なんだか愛を感じました。
が……。言っていることは、
「迎えに来いよ!」でした。あれま……。

家には、エールフランスのバスを使って帰ってみました。
この凱旋門行きのほうがわずかに高いのですが、その後をタクシーにすることを考えたら、こちらのほうが早くて便利かもしれないなぁ……。



2004年05月18日(火) お買い物

だんなが明日から帰国するので、ちょいと手土産用のお買い物。
プランタンに出かけました。
つい、日本語が通じるところでことを済ませようとする怠惰な性格です。

でも、ここのテラスから見える景色はなかなかなので、買い物が終わったらビールで一服。
これが至福のときなんですよ。
ボーっとする幸せを感じますね。

だんなが仕事に行ってしまったので、私は再び自分の服を買いに。
実は太ってしまって服がきつくなってしまいましてね。
いえ、洗濯で縮んだ……って言っているんですけれど、だんなは信じません。
しかも、私の頭痛を伴う肩こりは、きつくなった服を無理に着ているからだと言い出す始末で、だんな命令で服を買うのよ。(^^;
カーデガンとタンクトップと長袖Tシャツを買いました。
一番のお気に入りは、水色と黄色のボーダーで肩が割りとワイドのTシャツ。パリにあってますねぇ。

水色のような寒色は、正直今まで似合わないと思っていたので着たことがありません。まぁ、濃紺のスーツと制服、水着、ジーンズくらいでしょうか?
でも、こちらは色がかわいいし、太陽の光に鮮やかに映えます。
とはいえ、なぜかこちらの人は黒を基準にする人が多いですね。
なぜなんだろう? (・・?
だんなも目立たないように人に合わせて黒を着れ……というのですが、ちびの私が黒を着ると、本当にみじめったらしいんですよ。
黒ぽいものでも、必ず色の入ったものを着ています。

あと、こちらはひらひら系もわりと多いみたいですね。
ひそかに派手なの。でも、あまり目立たないところがうらやましい。
アジア系の人は、やはり控えめ。
パリはいろいろな人種がいるけれど、女の人はちゃんと自分の似合うものを知っているなぁ…と感じました。

ちなみに、ブランド物が好きな人種は日本人に限ったわけではなく、アジア系の人はたいていヴィトンが好きなようです。
ヴィトンを持った中国人は、日本人以上に見かけます。



2004年05月17日(月) 茶髪・なちゅーる

「なぜ、こんなに太陽が高いのだろう?」
「はぁ、そう?」
「なぜ、日差しが南国なのだろう?」
「気候がそうだからでしょ?」
「なぜ、建物がつながっているんだろう?」
「そう建てからだと思うけど?」
「なぜ、こんなにのんべんだらりとしているんだろう?」
「……のんべんだらりが好きだから」

ベランダでビールを飲みつつ、おしゃべり。
日光浴好きなだんなのせいで、ヴァンパネラ並みに日差しに弱い私も、日に焼けつつあります。
まじめにこちらの日差しは、南国の海なみで、ついにサングラスを買いました。
が……。
3時間後、だんなにとられました。(−−;
どうも、私はめがねが似合わないらしく、私がめがねをしていると、だんなは笑い出すんです。
シリアスの話の腰を折る、私のサングラス……。
しかし、このままでは間違いなく土方焼けです。

それで気がついたのですが、私の髪!
いつの間にか、茶色いです。
えっと、もともと真っ黒ではないし、茶髪にしていたときもあったのですが、最近は自然の黒に戻していたんですよ。
ところが、今日、みてみると、いつの間にか日光脱色?
それともドライヤーのせいか、新しくこちらで買ったコンディショナー(パンテーンですよ!)のせいか?

今のところ、茶色くなったと思っているのは自分だけだから、気のせいかも知れないし、目が焼けてしまったのかも知れないんですけれども。
昔の女性は、屋上で日光浴し髪を脱色したらしいから、あながち日光脱色の可能性は捨てがたいです。



2004年05月16日(日) カルト・オランジュ

パリではカルトオランジュが便利。
市内のバス・地下鉄が乗り放題の定期なので、毎日出かけるなら安上がりだし、いちいち切符を買わなくてもすむし。
特にバスなんかは、切符を持っていないで乗ると、いつ払っていいのかわからなくなるから、便利です。

今日は、だんなとばらばらに行動しました。
私は遅刻しそうになりながら、学校へ。その後、バスで帰宅。
天気がいいと、薄暗いメトロは早くても気分的に乗りたくないような気がします。
だんなは仕事に出かけました。
やっと、コンタクトをとっていた人と会うことができ、仕事の計画が立ってきたようです。

わがだんなは、そして案の定中華街がお気に入り。
(^^)今のところ、楽しいようなので頼むと買い物してきてくれます。
物価が桁違いに安いんですよ。本当になぜなんだろう?
ごま油、干ししいたけ、わさび、甘栗、しょうが、米、ウーロン茶。
こんなところを買いました。あと、食器も買い足しました。
特に、陶器のポットには餓えていたんです。(;;)お茶はやっぱりポットで味が変わります。

さて、私に話が戻ります。
カルト・オランジュは、買った日からの有効期間ではなく、月曜日から日曜日まで、1日から月末まで……といった、単純な有効期間なのです。
ですから、途中で買うと損をしてしまいます。
この日も、切れたことを思い出して、あわてて買って出かけました。
実は、先日姉が来たときは、乗り放題パスではなく、10枚つづりの切符を買ってもらい、あまりは私がもらいました。
今週はだんなが里帰りするので、水曜日までしかパリにいず、カルト・オランジュを買うと割高になるのでした。
切符は有効期限がなく、まとめて買ったほうがかなりお得だからです。

なのに、なんとだんな様、あんなに日々「無駄になる」って言っていたくせに、朝にはすっかり忘れてカルト・オランジュを買ってしまった!
そして、「いない間、使ったら?」なんて言い出す始末。あの、私も買ったんですけれど、分身の術でも使えと?
しかもこのカルトオランジュ、一応顔写真つきの身分証明書と対。人にあげても、万が一監査に引っかかったら、大損してしまいます。
(めったに現れないのですが)

もったいないので、バンバン出かけてもらいましょうか? (−−;



2004年05月15日(土) セーヌ川くだり

だんないわく、
「だんだん怠惰な自分になってゆく」
つまり、あまり日本にいたときのような忙しさがなく、天気が悪い日が続いたので家にばかりいて、飽きてきたみたいです。

そこで天気がよいので、セーヌ川くだりをしよう! ってことになりました。
テクテクと歩いてセーヌまで出て、その後、姉が転んだという【白鳥の散歩道】を歩いてエッフェル塔の近くまで。
途中、橋の上からセーヌを下る船を見ていると、女の子が甲板に大の字になって昼寝していました。
気持ちいさそう……。
どういう人たちかわからないのですが、個人の住宅らしき船が停泊していて、ワインを飲みながらちゃんとしたテーブルセッティングでお彫るを食べていたりするんですよね。
自転車を積んでいたり、植木やプランター、衝立なんかがあり、いい感じなんですよ。
でも、その船に荷物らしきものもつんでいたりして、もしかして遊牧民ならぬ、遊船民?

ボートビュスに乗ることにしました。
カルト・オランジュを持っていたので、1.5ユーロも割引になりましたが、結構高いですね。
船が来るまで時間があるので、アイスクリームを買って食べました。
どれがおいしいのかなぁ? と迷っていると、なんと試食させてくれました。

川くだりの時は、岸辺方面ではなく、川の方を見るようにするのがお勧め。
つまり、乗り込んだ方から奥のほうに陣取るほうが正解です。
川越しに対岸を見るのは遠くてよくないように思えますが、セーヌ川の見所は中州のノートルダムやコンシェルジュだし、遠いほうが視野が広く取れていいです。
それに、ほかの川くだりの船が見えて、雰囲気がよく出ます。
あと、日中は日差しが強いので、逆光にならない方向のほうがきれいに見えますね。
暖かい日でしたが、川の上は意外に寒く、特に日がかげるとぶるっとしてしまいます。

だんなが寒がってルーヴル前で下船することになりました。
私はずっと乗っていてもよかったのに。(−−;
その後、お昼を和食で済まし、プランタンへと行きました。
プランタン屋上のテラスでビールを飲もうとおもって。実は、姉が来たときの買い物で、ビールのタダ券をもらっていたのです。
風が強いけれど、いい天気で景色最高です。

面白かったのは、モンマルトルの丘かな?
この地点からは見えるのですが、構図上ベストスポットというわけでもなく、もしかしたら隣のラファイエットの上からのほうがいいかもしれません。
ただ、今日は雲もあり、時々雲の陰のためにサクレクール寺院が灰色になったり白く輝いたりを繰り返して、カメレオンみたいで面白かったのです。
ぼけーっとしてビールを飲みながら、時間と光が移っていくのを見ているのもいいですねぇ。

……ということで、本日もやはり怠惰な日々を満喫したのでありました。



2004年05月14日(金) ロイヤルウエディング

デンマークの皇太子さんが結婚式を挙げていました。
ユーロニュースでは、ライブで中継しておりました。
私は教会から出てきて馬車にのってパレードするところまで見たのですが、なかなか綺麗で市民たちが大熱狂しておりました。

ネットで確認したところ、日本からは皇太子様も出席していたとのこと。日本ではニュースになっていたのかな?
まぁ、花嫁さんの綺麗なことったら……。
派手な美人という感じではないのですが、楚々とした美しい人で、ドレスも大変シンプルで彼女によく似合っていました。
新郎のほうが幼く見えるほどの、お上品な落ち着きのある人でした。
でも、笑うとかわいいね。

大変だなぁと思ったのは、あの裾の長いドレスで馬車に乗り込むとき。いやはやお付の人も苦労します。
そして私は見てしまった! 馬車がつくとき、赤い絨毯の上で待機していた新郎をどついてしまったガードマン。
あれれ、ぶつかっちゃったよ……と思いましたが、声をかけることもなく、さっさと通りすぎてしまいました。

このガードマンたちは6人くらいいましたが、パレードの間中、馬車の横にぴたっとついて歩いていました。
馬が速歩になったら駆け出し、常歩になったら歩き出す……という具合で、なかなか大変そうでした。
おそらくテロ対策のボディガードなんでしょうけれど、スーツの上着のボタンをはずし、わさわさと走っている姿は、けして美しくはありませんでした。
いざというときは、身代わりにならなければならない重大な任務を帯びている人に、失礼と言えば失礼なんですけれどもね。
こういう人たちの存在って、要人には必ずついているものですが、それが印象に残ったのは、アメリカのレーガン大統領襲撃事件のときです。
あの時、レーガンは撃たれたけれど命は助かりました。ボディガードたちが身を挺して守り、代わりに撃たれたからなんですけれど、ひやーっと思いました。こんな仕事があるなんて……怖すぎます。
でも、この人たちの存在のおかげで、死ななかった偉い人って、たくさんいるんでしょうね。

話がそれましたが、パレードは馬がたくさんで、壮大な感じでした。
まずは車とバイクの先導があって、二頭の馬。その後に指揮者らしき馬が続き、ラッパと太鼓を持った騎兵。
馬に乗りながら太鼓をデンデンたたいているのにはびっくり、手綱はどうしているんだろう?
その次に、剣を抜き、胸元に抱いている騎兵。馬が急に暴れたらどうするんだろう? 間違えて隣の人を刺しちゃって、ごめんではすまないだろうなぁ。
服装は古めかしい軍服部隊とイギリスの狩猟風の服装チーム、警官風部隊とさまざまな時代のものが混在。
印象的だったのは、一部の部隊がLOTRのエオメルのように、白いふさふさをつけた帽子(兜?)をつけていたことかな?
馬車は白い馬の6頭立てだったと思います。御者はその馬に乗っていて、隣の馬と2頭ずつ御しているようでした。大変そうです。
馬車の後ろには、さらに鹿毛の馬の部隊が続き、豪華でした。
しかし、それほど重々しく感じなかったのは、意外と市民の身近を走っていたからでしょう。
人に驚いてなのか、時々列を乱す馬もいて、ほほえましかったです。
しかし、本当にあれだけの馬を、いったいどこで飼っているのでしょう? しかも、色や体型もそろえているのはすごいです。
まさか、映画撮影のごとく、そのためにかき集めたわけではないでしょうね。
日本では、馬によるパレードをしたくても、もうそんなにたくさんの馬がいないらしいです。
雅子様の結婚パレードもロールスロイスでしたね。

たまたま『銀のムテ人』でパレードの様子を書いている部分があり、なんとなく興味を持って見てしまいました。(ただし、こちらは徒歩ですが……)
別に話の主要な部分ではないのですが、ちょこっと書き足そうかな?






2004年05月13日(木) 中華街

ニースから帰ってきましたが、後戻りして日記を書きます。
まずは、本日の話題から。

しばらくフランス語をサボっていたら、何がなんだかわからなくなってきました。
中学校の時、初めて英語を習ったときも、こんなのわかるのかい? と思いましたが、それ以上です。
というのも、おそらく頭が硬くなっちゃったからなんでしょうね。一度覚えてもすぐ忘れてしまいます。だんないわく、復習しないから、なんていいますが、そんなにお勉強ばかりしている暇はありません。
家事もあるし……。

そうそう、米を買いました。
中華街まで出かけてきて、1k1.5ユーロの米を。ちゃんと「じゃぽね」と書いてあるお米ですが、カリフォルニア米らしいです。
パンを主食にしてきたのですが、どうも消化しないというか、食べた気がしないとだんながいうのです。
やはり、日本人はお米を主食にしないと、元気が出ないようです。という私も、胃の調子が相変わらず悪い。米のほうが調子が出るような気がします。
それと、こちらでは減塩食材がないようです。ハム・ベーコンがしょっぱい。
特にベーコンは、あれはスープ用のダシですね。生では感じないけれど、焼いたら塩辛くて食べられません。
そのせいか、食事をすると頭が痛くなります。そして……ぶくぶくと太りました。
日本から持ってきた服がきつくなった。やばいです。少しダイエットしようっと。
しかし中華街……。ものが安いです。わさびや干ししいたけ、中国茶なども買ってきました。それと、お茶碗とポット。
やはり、お茶は陶器の急須で入れないと美味しくありません。それと、水は絶対に軟水を使わないと……。



2004年05月11日(火) 【パリ観光4】最後は晴天

いよいよ今日で姉が帰国してしまいます。
ジョギングから帰ってきてすぐに洗濯。その間に朝ごはん。よかったですよ、頭痛が治まって……。
というか、それでも少し続いていたのだけれども。

洗濯機がとまらないので、少しブローニュの森を散歩。
家の近くなのです。奥までは行かないけれど、散歩にはちょうどいい森で、ランニングしている人も結構います。
鳥がちゅんちゅん鳴いていて、パリという都会の中だということを忘れさせてくれます。でも、エッフェル塔がちゃんと見えるんですよね。
ただ、今日は天気は回復しましたが、まだ少しもやっていて、はっきりと見えませんでした。

家に帰って荷物を積め、バスを利用してオペラまで。
地下鉄のほうが断然早いのですが、あまりエレベーター・エスカレーターの類がなく、重たいケースを持って歩くにはちょっと不便。
バスならば、さほど段差はないし、始発に近い場所なので混んでいないから荷物置く場所も確保できるし、また景色が見えるからいいんですよ。
案の定、晴天になってきて、外の景色がとてもいい。
本当にどうして帰る日になって……って感じです。

オペラにつくと、デパート直行。
買い物の間、荷物を預かってもらい、買い終わったあともしばらく預かってもらい……。
オペラ通りを少し歩いて、カフェ・ド・ラ・ぺでコーヒーを飲みました。本当は食事がしたかったのだけど、高すぎるのでやめました。
コーヒーだけでほかの店の3倍はするよ。でも、オペラのきんきらきんの飾りが見えるので、姉が喜んでくれました。
ずっと曇りだったので、あんなにきんきらだったとは思わなかったみたい。
ほかにも晴れていたらきれいなところがいっぱいなのに、本当に残念。

最後にプランタンのテラスで、ビールとパンを頼んでくつろぎました。
晴れていると、ここからの景色がいいんですよね。案の定、とてもきれいで、姉も大満足。
帰りたくないよーって感じです。ううう、晴れてよかったよ。
本当は3時ごろに出ようと言っていたのに、つい長居してしまい、時間ぎりぎりになってしまいました。
4時のロワッシーバスに乗らなくちゃ! 渋滞していたら、結構大変。免税手続きもあるし…。
免税の書類を作ってもらうと、ドリンクチケットをくれました。あ、先に免税の書類を作ってもらえば、ビール代が浮いたのに。失敗。
それは私がもらって、後でだんなと飲むことにしよう。

デパートを出るとき、びびびびび……と、ベル。
なんと、買った物の札取り忘れで、検査に引っかかってしまったのです。
店員さんのミスなんですけれど、レシートとかを警備員さんに確認してもらわなければならないので、面倒。
しかも、こちらは急いでいるときている。さすがの姉も怒っていたけれど、警備員さんがいい人で陽気な感じでした。

1本逃したと思ったロワッシーバスですが、なんとまだいました。
走りこみセーフで乗車。私も一緒に空港まで見送りです。最後までパリの風景を味わってもらいたかったのですが、バスに乗ってしばらくすると、姉は爆睡してしまいました。
テンション高いとはいえ、なんせ朝早くのジョギングもありますし、ビールも飲みましたから。
空港でお茶でも……というけれど、免税書類を出したあと、もう30分ぐらいしか時間がないし、税関で並んでいる人が多かったので、すぐに行ってもらいました。

その後、再びロワッシーバスで帰りました。
実はこのバス、我が家の2つほど手前で曲がってオペラまで行くんですよね。そのまままっすぐ行ってくれたら、我が家なのになぁ。。。
ロワッシーバスの空港側の乗り場は、少しわかりにくいです。インフォメーションに聞いても、すぐにはわかりませんでした。
エールフランスのバスの横なのですが、エールフランスのほうはおきな表示があるのですけれど、ロワッシーはありません。
しかも、ぼさっとしていると止まらずにいってしまうことが判明。
ロワッシーバスに乗るぞ! っという気構えを運転手さんにアピールすることが大切なようです。

こうして私のパリガイドは終わったわけですが、天候悲惨なため、思っていた半分も堪能してもらえなかったかもしれません。
でも、楽しかったです。
パリに来る予定のある人は、ぜひお知らせを。こんな私でよければ、観光案内いたしますよ。何もわかりませんが……。



2004年05月10日(月) 【パリ観光3】ガイド失格

月曜日は買い物をしたいとのことで、観光の予定は未定。
オープンバスに乗ろうとも思ったけれど、なんせ寒い。雨は降らず、曇りも薄曇程度だけど、なんせ日が照らないと寒いパリなので。

姉は相変わらず朝のジョギング。
ジョギングで観光ができる姉に、運動音痴の私は尊敬……。冗談でシャンゼリゼまで行ってきたら? と、提案したら、本当に行ってきてしまった。
凱旋門でパトロール中のおまわりさんを捕まえて、なんと写真を撮ってもらったそうで……。しかも、写りが今一と難癖をつけ、もう一度撮りなおさせるというずうずうしさ。
おまわりさん、ごめんなさい。(−−;
しかし、このジョギングのおかげで、姉はだいぶパリを見直し、かなり好きになってくれたに違いないと思います。
姉の頭には、「フランス人はおフランス=気位が高い」「ヴェルサイユ時代の貴族のイメージ」「個人主義で冷たい」「英語は絶対に話そうとしない」「スリが多くて治安が悪い」というマイナスイメージが強く埋まっていたらしく、親切な人が多いのに驚いたみたい。
困っている人に手を貸すのは、日本人以上だと思います。

この日はまずデパートにいって買い物の下見。
実は姉、来るときのタクシーにうんざりして(タクシーが悪いのではない、渋滞していたため)帰りはオペラの前から出るロワッシーバスを使うと言い出したのです。
それならば、買い物は帰る前のほうが楽ということになり、下見だけしてオペラ・ガルニエを見学することにしました。
オペラ座は本当に豪華絢爛で重厚な建物です。見学するのに結構な料金を取る上、本当にオペラ座の建物だけですし、カルト・ミュゼも使えないところなので、あまり中まで見学する人はいないかも知れませんが、見学しました。
すると、なんと私がフランス語学校に通っているということで、学生料金適用。半額で入ることができました。
ここもたっぷり堪能して、あっちこっちで写真撮りまくり。残念なのは、建物内部が薄暗く肉眼ではきれいに見えるのですが、写真ではフラッシュが届かず、あまりきれいな写真が撮れなかったことです。
しかも、姉のカメラの方が性能がよく、フラッシュなしでも結構がんばってくれているのに、私のほうはまっくろけ。

オペラを出たところでだんなと待ち合わせ、レアルでCDを買い、私が撮った分の写真を持ってかえってもらうことにしました。
そこで昼食をとったのですが、大いに外しました。
昨夜、散々「パリ名物オニオン・スープは、ボリュームたっぷり」と話していたのに、何を思ったのか、姉は「オニオンスープとオムレツ」を頼んだのです。私はキッシュ。だんなは肉料理。
案の定、姉はスープもオムレツも食べ切れませんでした。
オニオンスープとは名ばかり、あれはオニオングラタンというべき品物です。
オニオンスープの中に、パンがぎっちり入っていてひたひた状態、ほとんどスープがありません。その上、たっぷりのチーズが乗せられていて、オーブンで焼いてあるのです。
正直、チーズだけでおなかいっぱいです。スープという名前にだまされてはいけません。

食事を終えて、コンシェルジェリーを見学し、一度帰ってからセーヌ川クルーズをしようと思い、そこでだんなと別れました。
が……。
私、突然の頭痛。(−−; うーん、こんなことは滅多にないんだけどなぁ。
もうコンシェルジェリーを見ている間にガンガン・ガンガン。吐き気がしてきて、もう超不機嫌。
これはきっと肩こりのせいだと思います。パリに着てから、ずっとショルダーの斜め掛けですから。
私は昔からいつも斜め掛けなので、そんなにきついと思っていなかったのですが、思えばショルダーバッグってそんなに持って歩いたことはないかも?
スリを恐れるあまりに、いつもショルダーバッグにしているのが、ここにきて効いてきたみたいです。

家に帰ってすぐ薬を飲んで寝ました。
姉とだんなにスーパーで買い物をしてもらい、ご飯を作ってもらい……。いやはや、困ったことです。
おかげさまでパリのナイト・ツアーは中止。
私は堪能しているけれど、姉とだんなにセーヌ川の夜景を見せてあげたかったので、とても残念です。



2004年05月09日(日) 【パリ観光2】ノートルダムには上ってみろ!

今日こそは晴れ! と思っていたのに、やはり雨。
姉は、時差ぼけとマラソン大会準備のため、早朝マラソンに。私は寝ていましたよ。いつも通り。
昨日通ったセーヌ川方面が気にいったらしく、橋を渡り、白鳥の散歩道を走り、自由の女神と写真を撮り……。しかし、突然トラブル発生! あたりをきょろきょろして走ったらしく、つまずいて転倒。
その後も走り続け、エッフェル塔前を走り、シャイヨー宮からのエッフェル塔に感動し、迷子になり、人に道を尋ねてやっとこさ帰ってきました。
血まみれ、服ぼろぼろ、カメラ傷だらけで……。(−−;

二階建てオープンバスはあきらめ、今日は美術館巡りと決める。
しかし、きっとオルセーとルーヴルを見たらご馳走様かなぁ? と思いつつ、カルト・ミュゼを買いました。
この寒空に、入場に30分も待たされたら辛いと思い……。それに、コンシェルジェリーなどは、興味がある人以外は料金の割りに見ごたえがないので、お金を出さずに見たいなぁと思い。
しかし、やはりオルセーとルーブルを一緒にすると、結構ハードだったりします。

まずはコンコルド広場。ここはマリーアントワネットが処刑されたところ。
天気はよくないけれど、雨は降っていないので写真を撮る。が。。。初めて見ました。エッフェル塔の脚しか見えない光景。
本当にあんまりな天気です。
まずはオルセーを午前中に攻める。案の定、並んでいますが、カルトミュゼを持っていると、特別な入り口からすんなりと入れてくれるのです。待ち時間0。時間に追われていると、これはうれしい。
スカスカ見ようといっていたのに、一度見てしまうと結構時間が掛かってしまうものです。予定をオーバーしてオルセーを出ます。そのままルーヴルではお腹がすくので、だんなと待ち合わせして、お昼を食べました。
姉はここでやっと魚のスープを食べることができました。これはかなり美味しかったようで、帰る前にもう一度食べたいと行っていましたが、時間的に無理でした。

ルーヴルは、正直いって本当に駆け足見学。
見たいものはないと言うので、ヴェルサイユで見た「ナポレオンの戴冠」など、大きな絵を見る。
それと、「モナリザ」も。でも、やはり??????って感じです。
どうしてモナリザに人だかりができるんでしょうか? って感じ。ダヴィンチの絵は他にもあるのだけれど、モナリザだけ見てみんな帰っちゃうんでしょうね。
私は、実はここにあるラファエロの絵も好きです。
キャッチーな感じだとも思うのですが、華やかな色はミケランジェロっぽくって、柔らかな表情はダヴィンチの影響を受けているような気がします。
その後、宮殿の豪華な調度品を展示し、再現した部屋を見ました。こちらは、これでもか! っていうほど、華美な装飾であいた口がふさがらなくなります。
「ヴェルサイユのイメージはこんな感じだった」と、姉が感想を漏らしました。

コンシェルジェリーの閉館は6時半と聞いています。
で、あせって走りました。が、実は6時閉館だったらしく、すでにクローズしていて、見物した人たちがわさわさ出てくるのを、あんぐりみる羽目になりました。
仕方がないので、今度はシテ島のノートルダム寺院へ。こちらの塔へ登れるようだったら上ろうと。
そうしたら、ぎりぎりOKでした。私たちの10人ほど後ろで切られていましたから、本当にぎりぎりです。
ノートルダムの塔に上がるのは私も初めてでしたが、ウィーンやミラノ、フィレンツェ、ピサなどで上った経験から、ひどく大変だろうなぁ……と思っていたら。
思った通り大変でした。(−−;
私は確信しました。私は、実は高所恐怖症だったようです。上がり以上に下りが怖かった。後から来た人に先に行ってもらうくらい。
しかし、ノートルダムからの眺めは最高によいです。何っていったって、魔物たちがかわいいです。姉も写真を撮っていました。
また、鐘楼は木で組まれていて、大きな鐘がありました。6時にはガランガランとなっていた鐘なのかな?
鐘楼の上にもさらに上ることができ、一大パノラマとなります。エッフェル塔から見るよりも、低い分だけ細部が見えて、かえって面白いかもしれません。しかも、ノートルダムの細かなところ、風見鶏までみることができるし、こんなところにこんな人たちが? っという銅像まで見えちゃうわけですから、お得です。
少しずつ、街に明かりがともり始めました。
ここはシテ島なので、両サイドにセーヌ川が見えるっていうのもいいですねぇ。
ぜんぜん知らない日本人観光客に、凱旋門を教えてあげて、ちょっと得意満面の私。

しかし、上りよりも怖かったくだり。
妙に響くヒールの音に、姉が笑う笑う。すごーいゆっくり、カツーン、カツーンと音が立つ。音は聞こえても姿が見えず……。
くだりは本当に何人にも抜かされてしまった。抜かれるのも怖いですよ。細い螺旋階段だから。
降りたあと、まだどうにか中に入れるみたいだったので、入ってみるとミサ中でした。
しかも、聖殿が改装中(−−; ううう、数日前までは見れたのにぃ。
でも、姉はかすかにしか見えない薔薇窓にも満足。美しい賛美歌が聴けたといって満足。とにかく満足してくれる人だから、助かります。
姉はおそらく、旅行していて残念だった……と思うのが、根本的に嫌いなんだと思います。どうにか代替を見つけて、それでよかったと思おうとするタイプ。
曇りのパリでも満足してくれたのも、そういった気持ちからかもしれません。

帰りはサンミッシェルでケーキをつまみ、サンジェルマンデプレ界隈の雰囲気を味わい、オデオンから地下鉄に乗って帰りました。
本当はこの時間までいたのだから、もう一度セーヌに出たらきれいな夜景が見れたのですが。夜歩きはしないとかいって、家に帰ってからご飯を作って食べました。
わが旦那に気を使ってくれたんだろうなぁ。。。

その夜は急いで買い物をし、姉が持ってきてくれたフランス料理の本から、アスパラの料理を作りました。
なんと、オレンジを絞って煮込む料理で、とても心配だったのですがおいしかったです。後から砂糖を入れるのを忘れたことに気がつきましたが、充分の味だったので良しとしました。というか……甘い味になったら、買えて不気味かも?
水を足してスープにしてもいいねぇ……。などといいながら、友達からいただいたワインで乾杯。
今まで私は赤ワイン党でしたが、フランスの白は美味しいですね! 日本では美味しい白は高くて手が出ず、安いのはどこか薬くさかったり、後味が悪かったり、味が水っぽかったり……。
これから夏に向けて、きりっと冷やした白やロゼがいい感じです。



2004年05月08日(土) 【パリ観光】ヴェルサイユへいく

私の予定では、土曜日は祝日ということでヴェルサイユ、日はオルセー、月はルーブル、その間にコンシェルジェリーやノートルダム寺院の塔、凱旋門などに登り、ゆとりがあれば、モンマルトルの丘へ。移動は気持ちのよさそうなオープンエアのバスを使おう……という計画でした。
しかし、予定は大いに狂いました。

まず、天気は回復せず、土曜日は大荒れの天気でした。
一日中雨ってことは少ないはずのパリですが、その日は一日中雨。しかも翌日も時々雨のどんより天気。その翌日も曇りの寒い日が続き、私にとっても初めての天気の悪さでした。
結局、姉がいる間に晴れた日は、帰る当日だけでした。ちょいと気の毒。
しかし、姉のイメージでは「パリは灰色にくすんだ街」だったらしく、まさにイメージぴったりだったようです。それは、おそらく「霧のロンドン」のイメージが、ヨーロッパすべてのイメージになっているからだと思われます。
そもそも姉は、パリにはあまり期待していなかったらしく、というか、移動して歩くのが好きらしく、タクシーの中でも「ユーロスターでロンドンまで行ってくる」とか言っていたくらいです。

しかも、土曜日の朝、姉は二日酔いかはたまた疲れが出たのか、朝、片頭痛を起こし、寝込む有様。スタートは午後からとなりました。
マルシェが立つ横を歩き、ミラボー橋を渡り、RERでヴェルサイユへ。
計画通りなんですけれど、なんせ天気が悪くて最悪。この橋からのエッフェル塔はなかなか見ごたえがあるはずなんですけれども、霧でかすんでいます。
切符を買おうとしたら、係りが留守で自販機しかない。使ったことがないので困っていたら、少し英語の話せる女の人が親切に教えてくれました。
しかも、RERは切符を無くさないように……とまで、アドヴァイスしてくれました。
私のガイドは、まったく役に立ちません。(^0^;

しかし、それが功を奏したのか、ガイドブックや旅行してきた人たちの噂から「フランス人は個人主義で冷たく、しかもおフランスだから気位が高いに違いない」と思い込んでいた姉には、目からうろこだったようです。
ニースでもパリでも、みんな困っている人には親切にしてくれます。地図を見て悩んでいる人がいると、「探しましょうか?」と声を掛けてくれる人がいるし、ドアは開けていてくれるし、昔よりもずっと英語が通じるところも増えて、旅行者には優しいです。

まあ、それはさておいて。
ヴェルサイユでは、まず食事。前に美味しかったところの定食を頼んだのですが、調子が悪いから軽いもの……といっていた姉が、何を思ったのかメニューを頼む瞬間に、肉料理に変更。
思えばニースでは、頼んだ料理がいつも同じ魚料理だった……ということもあり、変えたのだと思うけれど、てんこ盛りの肉とフライドポテトだった。私は、魚を頼んだのだけど、びっくりお頭付でした。
風と雨が激しくなり、ヴェルサイユ自慢の庭園は見ることなく、宮殿内を見ることに。
日本語のラジオ・ガイドを借りました。なかなか面白い解説でした。時々、団体客とぶつかってしまい、うんざりしたこともありましたが、比較的土曜日にしてはすいていました。
おそらく時間がすでに3時半を回っていたからで、この時間からは料金も安くなるというおまけつきでした。ただし、ガイドは6時までに返さなければならないので、駆け足だったかもしれません。

ヴェルサイユの残念なところは、鏡の間がなんと修復工事中でシャンデリアが4つしかぶら下がっていなかったことでしょうか?
解説にもありましたが、ヴェルサイユ宮殿は50年の歳月を掛けて作られ、その後も修復と増築を重ね、工事していない時がなかったとのことです。
思えば、パリの中の建造物もそうです。
必ずどこかここか工事しています。
失業対策? などと思うぐらい。思えばローマもそうだったし。
旅行して、工事中でたまたま見ることができませんでした……などという経験談を効きますが、あれはたまたまではなく当然というべきかもしれません。
工事中でない建造物をみることこそ、それこそたまたまかもしれません。

また、ヴェルサイユは絶対王政華やかな頃の家具や調度品のほとんどを失っています。
今あるもののたいていは、レプリカだったり、何もない部屋になっていたり。そういう意味では、調度品に期待していくと、少し見ごたえの点でさびしいかもしれません。
姉いわく、ルーブルのほうが、これでもかっていうほど華美な宮殿に思えた……とのことでした。
それって、期待度の違いっていうのもあると思いますが。



2004年05月07日(金) [ニース旅行5]風強し……

エズを後にニースへ。
帰りのバスは本当に20分で着いてしまいました。
本当に20分で……。(−−;
帰りの山から見下ろすニースもなかなかきれいでよかったです。悔しいけれど。

今日も天気はいいですが、風が強くて寒いです。
姉の目的のひとつに、魚のスープを食べること、レモンケーキを食べることがありましたが、それが果たせていませんでした。
ですから、ニースへは早めに戻り、マルシェの立っている旧市街の一角で、目的を達するつもりでした。
が……。
忘れていました。お昼のメニューは12時からなのです。(−−;
飛行機は2時50分。ここを遅くても1時には出たい。こちらの料理のペースではちょっと無理のようです。
お菓子ですきっ腹を埋め、再びお土産を買いまくり。マルシェでの買い物は、ただ買うという行為だけで楽しいのです。
12時になったので、簡単に食べられそうなスパゲッティの店に入りました。イタリアに行ってスパゲッティを食べるという姉の希望は、これで妥協というわけです。
しかし、風が強い。
この風の中、レストランは外の席まで用意します。風でメニューやクロスが飛ばないよう、クリップで留めています。グラスは寝せて脚をクロスにして転がらないようにします。
しかし、今日の突風は店の看板を倒し、寝せていたグラスを転げ落とし、めちゃめちゃに割ってしまいました。なのに、店の人はそれもありですという感じで、懲りずにテーブルセッティングをしてゆくのです。不思議。

一度、ニースのホテルに戻り、荷物を受け取りました。
後は、20分おきに来るというバスを待つだけ。
ところが……。
それらしきバスが目の前を通り過ぎて行きました。あれれ?
バス停で待っている男の人に聞くと、自分も空港まで行くというから、じゃあ大丈夫と安心しました。
ところがところが……。
バスは着ません。(−−; さっきのバスはそうだったのに違いない。
20分経過したころ、姉が焦り始めてタクシーで行こうか? などと言い出しました。
空港に行く人たちとワリカンというのは、いかにも姉らしい考えですが、フランスって流しのタクシーがほとんどいない。ホテルで呼んでもらうしかないかもしれません。
先に待っていたおじさんは、2時半のフライトらしく、30分待ったところでいらいらし始め、やはりタクシーかなぁ? と思い始めたころ、やっとバスが来ました。

なんせ、行きは20分も早く飛んだ飛行機です。
あせりました。姉を待っている間に場所を確認しておいてよかった。
まっすぐにその場所に直行できたので、どうにか間に合いました。しかも、今回は定刻フライトだったので、少しゆとりもありました。
飛んでしばらくすると曇りはじめ、姉は寝始め……。

パリは……再びの土砂降りでした。
大ショック! だって、パリはこのところずっといい天気で気持ちいい日々が続いていたんですよ。
それがニースから帰ってきたとたん、雨かい? (−−;

さすがに旅の疲れもあり、荷物も大きいということで、タクシーを利用。
我が家は空港からのアクセスがいい位置なので、すぐに着くはずでした。が、どういうわけかひどい渋滞。
ちっとも進みません。時間もお金もたっぷり掛かってしまいました。
しかし、雷まで鳴ったという雨も上がり、少し日が差し始めてきました。明日は晴れそうだね……などと思いながら、旅の疲れを癒すようにワインをあけて眠りました。



2004年05月06日(木) [ニース旅行4]鷹の巣村・エズ

えー、しつこくアンテルボーのことを。
まず、アンテルボーと書きましたが、それは私が多分そう読むのだろうと書いただけで、本当は違うかも知れません。正しくは『 Entrevaux 』という綴りです。
帰りは汽車の中で眠たくなっていたのですが、面白いことがありました。

駅は無人駅が多いので、車掌さんは大活躍です。
若い男の人だったのですが、私たちの反対側に一人で乗っていた女の子が気に入ってしまったらしく、言葉を交わしておりました。
しかし、そのうちますます仲良くなってしまい、しまいには向かい合って座って語りだしてしまいました。女の子のほうもまんざらではないらしい。
おいおい、仕事中にいいんですかぁ? って感じです。
でも、ちゃんと汽車が止まると、まじめに仕事はするんです。そして、また走り出すと、座ってお話。
どうやら女の子は学生で、住んでいるところはディジョンというところらしいです。ニースからは遠いみたい。で、メール・アドレスを聞くところまで、車掌さんは成功し、メモを取ろうとしたところ、再び駅。仕事に戻っていきました。
ところが、その駅から別の若い男の子が乗り込み、なんとその女の子の向かいに座ってしまいました。車掌さん、ピンチ! もう戻れません。
しかも、どうやらその男の子にはお友達がいたらしく、次の駅では派手な若い女の子が二人乗り込んで、4人掛けが埋まってしまいました。
きゃいきゃいしている若者たちにまじり、例の女の子は居心地が悪そう……。
これで車掌さんとの出会いもおしまいか……? と、思われたところ、ちゃんとニースに着いたときに、車掌さんが再び女の子に話しかけ、なにやらアドレスなどをメモっておりました。
めでたし、めでたし……。

このプロヴァンス鉄道、本当に楽しいですよ。そんなラブロマンスはめったにないかも知れませんが、とある駅に着いたとき、駅員さんが走ってきて、一生懸命くるくると紐を巻きつけている。まさか? と思ったけれど、どうもレールの切り替え作業だったらしいです。

***

話変わって、本日のことをば。
この日でホテルをチェックアウト。やっと晴れていい天気。
予定では、鷹の巣村として有名なエズに行き、その後、サンポールエヴァンスという鷹の巣村では一番人気という村に行くはずでした。
「でもさ、やっぱりイタリアにも行かない?」と、しつこい姉。
ホテルも決まっていないのに、観光に専念できるのか? それに移動ばかりじゃ私はいやだ! と駄々をこね、今日は二つで納得させました。
ニースからイタリアに行ったという事実を、姉は作りたかったようなのですが……。でもさ、行ったという事実を作るために、駆け足観光はいやだったんですよね。
午前中でエズを見て、ニースに戻り、バスでサンポールエヴァンスに移動。ホテルを決めて観光。翌日、再びニースに戻り、ニースの旧市街を観光し、お土産でも買おうってことになりました。
それに、ニースのご馳走も食べてはいないしね。

ニースのホテルに荷物を預かってもらって、一泊だけの用意で出発。
しかし、そこでバスを乗り違えるという大きな間違い。20分でつくはずが40分たってもつきません。しかも、山の中ではなく海沿いを走っています。
景色はとてもきれいだったけれど……。
一応、エズに止まるか? と確認したら、止まるというのでそのまま乗っていました。
はい、止まりました。確かにエズですが、それは海のほうの地域で、目的のエズ・ヴィレッジは、はるか山の方でした。
ここからは1時間の登山になります。
その日の私の格好は、素足にサンダル。しかもヒール。スカートでした。
もちろん登山しましたよ。もう……。(−−; 体力に自信ありの姉に、すべて荷物を持たせて。
しかし、見事な晴天のおかげで、やっとニースらしい風景を味わうことができました。とはいえ、なぜか礼文島縦断ツアーを思い出してしまったのはなぜでしょう?
はい、礼文島縦断ツアーもなかなか過酷で、しかしきれいな景色が堪能できて、いい思い出になりますよ。
『ニーチェの小道』と呼ばれるこの道を、きっかり1時間掛けて上りきりました。かなりハードですが、景色はきれいですし、途中咲いている花もきれいです。
ぜひ、一度チャレンジを。エズに着いたときの感動が違います。

はい、着いたとき一番最初に思ったのが、ビールを飲みたい! でした。
途中、なぜか持ち歩いていた水を飲んではいたのですが、暑さと疲労でのどがカラカラです。
昨日のアンテルボーをにぎやかにしたような、とてもかわいい村です。
私の荷物まで持ってくれた姉が、さすがに疲れたのか、今日はここで泊ろうと言い出し、インフォメーションで安宿を探して、泊ることにしました。
理由は、疲れたのもありますが、次の場所に移動するためには、この村の滞在時間が30分しか取れないということもありました。1時間登山に費やしてしまったので。
どうせ泊るなら、ヴィレッジ内のシャトーホテルに泊りたいとも提案しましたが、姉は宿泊よりもご馳走を選び、一泊60ユーロの二つ星ホテル。
なんと、下のお土産屋さん兼食堂がホテルの受付までしているという簡素さ。でも、清潔で心地はよかったです。

チェックインを済ませると、再び村へ。
ニースから20分で来れるとあって、観光客がたくさん。アンテルボーとは違い、ほとんどの建物が、売店かレストランかホテルになっています。
しかし、ちゃんと住んでいる人もいるらしく、中庭のようなところで写真を撮っていたら、家から男の人が犬の散歩に出てきて、照れくさかったです。

建物はみんなやはり小さいので、お店も大変です。
看板があり「ここの品はこの先の『ソフィーのお店』で」などと書いていて、展示だけしているっていう場所もあります。
アンテルボーでもそうでしたが、中世の人って小人だったのでしょうか? 本当に何もかもが小さすぎです。
喉からから、おなかもすいてきた私たちは、ホテルをケチった分、贅沢にレストランへ。
ガイドブックにも載っている『シャトーエズ』ホテルのレストランに入りました。なんせ、一泊300ユーロ近くの値段のホテルですから、入りにくそう……。そこをがんばって入りました。すると……。
「食事は12時からです」とのこと。がくーーー!まだ、20分前でした。
モナコの例もあるし、仕方がないから「予約だけして20分後着ます」というと、「よろしければ、テラスで座って待っていてもかまいません」とのこと。うわーい!
そこのテラス、めちゃめちゃ景色がよいのですよ! もちろん、休ませてもらいました。
いやー、景色はきれいだけど……ここでビールがほしいよねぇ……などと話していると、先ほどの人が戻ってきて、「もしよろしければ、何か飲み物でも?」なんていうから、すぐにビールを注文しました。
銘柄は? と聞かれたので、フランスのビールでお願いしました。あとから知ったところ、フランスのビールはいまいちという噂で、レストランでは別物を頼む人が多いようです。でも、やはりフランスに来たならフランスのビールだよね。
実はいつもうちで飲んでいるビールが出てきたのだけど、喉が渇いてへとへとだったから、ものすごくおいしく感じました。

料理は、本日のお任せコース。ワインはハーフのプロヴァンスの白でお願いしました。
正直に言います! 美味しかったです!
メインは魚料理だったのですが、飾りつけもきれいだったし、美味しいです。マスににた魚ですが、白身で淡白。それにソースを絡めて食べます。
パンも何種類かあり、係りの人が食べ終わったのを見計らって、どれがいいですか? と聞いてくれます。
私は、最初はオリーヴ入りのパン、次にブラウン・パンを食べました。美味しいです。
もう、ソースももったいないからパンに絡めてすべて食べました。
ワインもかわいいお兄さんが注いでくれるし、もう景色はきれいだし……最高!

お料理は、味だけじゃないなぁ。。。気分だよなぁ。。。などと感じました。
味も盛り付けも繊細で、先日のモナコとは大違い。でも、何よりもサービスしてくれる人の心使いが美味しかったのです。
きれいな景色を見てワインを……と思ったとき、ちゃんとワインを注いでくれ、パンのおかわりがほしいときに、ちゃんと持ってきてくれ、写真を撮りたいと思ったときに、写しますか? と声を掛けてくれる。
それなりに高かったけれど、(ホテル一泊よりも高いぞ!)気分は最高! ここはお勧めですわ。

しかし、食事している間に、なんとなく雲行きが悪くなってきました。風が出てきて、寒くなってきました。
案の定、食事を終えて街中を散策しているうちに雨。急激な天候の変化にびっくり。暖かいと思って、上着をホテルにおいてきたのは失敗でした。
ちょっと歩いては店に飛び込むという感じで、おそらくエズにあるお店は全部入ったと思います。
ソフィーさんのお店に入ったときに、ついに本格的に降り始め、そこで買い物しがてら雨宿り。すると、ソフィーさん、いきなり荷造り用ビニールをチョキチョキ。何をしているのやら? と思っていると、いきなりそれを私にかぶせるではないですか?
つまり、合羽を作ってくれていたのです。
雨もよけるけれど、寒かったのでありがたかったです。
エスでは結構日本人にも会うことが多く、この店にもちょうど雨宿りがてら見るだけの団体日本人客が入ってきていました。
ほぼ同時だったので、私たちも、多分見るだけの観光客に見えたでしょうに、「いるぷる(雨が降っている)」といったら、「あら、それは残念」などといって、ちょきちょきし始めたのです。
ソフィーさんはいい人だぁ。。。

というか、この村の人はみんないい人みたいです。
プロヴァンス近辺で活躍の画家の絵を扱っているお店の店番の女の子は、絶対買いそうにないのに話に付き合ってくれ、寒さは11月並だといってました。
その上、ニーチェの道を登ってきたというと、地元にいる自分でも試したことはない、でも景色がいいというので、いつかはチャレンジしたいと言っていました。
地元の人さえしないことをしたんだよ。私たち……。(−−;ただし、犬の散歩コースにしている地元人はいるようです。
ついに土砂降り、しかも風が強くて、ソフィーさんお手製の合羽も効かない有様になり、教会で雨宿り。真っ暗でしたが、目がなれるほどそこに閉じ込められました。
雨だけではなく、風がひどくて。
やっとホテルに着いたときには、もうべちょべちょでぐちゃぐちゃ。さすがに疲れたのと、酒と、時差ぼけのために、一度姉はお休みモード。寝てしまいました。

しかし、天気は変わりやすい。
4時ごろになると再び天候がよくなり、日差しが戻ってきました。早速姉をたたき起こして、再び村散策。ガイドブックに載っているサボテン園に入りました。
天候が心配でしたが、その後は再び暖かくなって、私たちの気分も盛り上がりました。それにサボテンがかわいいんです。
アロエとアロエでないものがあるらしく、その違いを説明した文章があったりして面白かったです。そして、ここの景色が、またすばらしい!
先ほど食事をしたホテルのレストランが一望できます。頂上は壁の一部しか残っていない砦の跡があり、アンテルボーの砦が、廃墟とはいえよく残っているほうなんだなぁと実感しました。
6時半閉館……といっても、まだまだ明るい中、ぎりぎりまでくつろぎました。

エズでの面白いことといえば……。
いきなり背後から日本人に話しかけられたことでしょうか?
エズは人気のスポットで、かなり日本人も着ます。団体ツアーやオプショナルで来る人と、女の子同士や新婚さんらしき人が、バスに乗って(20分で着くほうで)くる場合が多いようです。私たちのように泊るのはまれでしょう。なんせ、ニースから20分ですから。普通は。
背後から話しかけられた話に戻ります。
いきなり「すみません……」と蚊のなくような声。聞き違いかと思っていたら、再び。
振り向くと、老人といえるくらいのおばさんが一人。何でも道に迷ったらしいです。
エズは10分も歩けば全部村を見ることができそうなくらい狭いのですが、小さな道が入り組んでいる上、坂道も多いので、迷子になりやすいのです。もう迷路のようなところです。
どうやらツアーでやってきたのですが、仲間とはぐれてしまい、集合時間が迫っているのに、坂道で息が切れてしまい、もう泣きたい気分でいたようなのです。
とはいえ、私も自信がないので一走りして道を確かめ、出口を教えてあげました。
時間を気にすると、どうしても楽しんで見ることができませんよね。きっとその人のエズの思い出は、迷子になって困り果てた……となることでしょう。

その坂道の中腹に、テーブルクロスや陶器やらを売っているお店があり、店のおばさんが、クロスを縫う作業をしていました。
姉はそこでクロス用の生地を買ったりしました。私もテーブルクロスを買いました。かなり長く悩んだりして、居座ってしまいました。
しかし、姉はまだ買い足りなかったらしく、翌朝、再びヴィレッジを散策しようと言い出しました。その店が開いていたら、買い足したいものがあるらしいかったのです。
バスは10時なのでちょいと無理っぽい。案の定、店はちょうど開店の準備をしているような状態です。
ここのお店は、毎日きれいにウインドウをかたずけて、翌朝再びきれいにディスプレイするらしいです。
やはり閉まっているようだねぇ……と思っていたら、ちょうど店のおばさんが歩いてくるではありませんか!
おばさんはびっくりして
「坂道はつらいから、ゆっくり歩いてくるのよ。待たせたかい?」
などといって、まだあいていない店に特別に入れてくれました。



2004年05月05日(水) [ニース旅行3]中世の村

次も雨でがっかりです。
エズ観光をしようと思っていたのですが、昨夜のうちに計画変更。今度はプロヴァンス鉄道に乗ってみることにしました。
姉の下調べでは、小さな鷹の巣の村々があり、乗ってみるのも楽しいなどとガイドブックに書いてあるようです。しかし、汽車の本数が少ないので、遠くへは行けません。
アンテルボーという中世の街並が残る小さな村まで行き、そこから行けるようだったらさらに汽車に乗っていくと決め、9時の汽車を目指しました。
が……。
駅と線路が邪魔をして、プロヴァンス鉄道の駅に行き着けない。インフォメーションで行き方を聞くと、12分から15分かかるという。げげげ……。まさに9時15分前。切符も買わなくちゃ!
ってことで走りました。が、私はとんでもなく運動音痴なので、先に姉に駅まで走っていってもらい、切符を買ってもらいました。
へとへとになって、駅に着くと「あなたを待っていましたよ」などと、駅員さんに調子のいいことを言われました。

このプロヴァンス鉄道は、まるでバスくらいの小さな車両ですが、なかなか景色がよくてお勧めです。最初は、ニースの街中をバス停のようなところで止まって不安でしたが、そのうち雨もやみがちになり、時々日が差すようにもなり、気持ちがよかったです。
川沿いにどんどん山奥に入っていくのですが、予想していた登山列車のようなものではなく、谷を縫って進んでいきます。
本当に小さな農村が続き、それこそ北海道の片田舎の無人駅のような様相に、降りる街たいする不安がよぎりはじめました。
アンテルボーという村、本当になんの情報もないんですから。中世の砦があり、中々風情がある……とだけの小さな記述だけ。
さらに先に行くと、また見ごたえのある村々が続き、他の鉄道もある大きな町に着くらしいのですが、そこまでの時間もなく、戻ることも考えなければならず。
そう思うと、ホテルなんて取らず、行き当たりばったりでもよいのかな? などと思い始めるから人間不思議です。
この先には何があるのだろう? だけの興味で、さらに旅を続けるのも楽しいかもしれません。
アンテルボーのひとつ前の駅についても、中世らしき街並はなく、川のほとりにキャンプ場などがある田舎の村の風景が続きました。

しかし、アンテルボーというところ、ついたとたんに期待に答えてくれました。
無人駅の小さな駅です。しかし、谷川があり、滝があり、川の向こうに旧市街が広がっていて、その上に九十九折の道が続き、廃墟と化した砦が見えました。
しかし、そこにはフランスの国旗がたなびいていて、きれいに保護されていることがわかります。
汽車を降りようとしたときに、近くに座っていたおじさんに呼び止められました。なんと、アンテルボーの地図をただでくれました。ううう、みんな親切だ。
突然現れた要塞に、姉も私も大興奮! 早速村へと行きました。
街の屋根は、オレンジの瓦が敷き詰めてあり、ところどころ崩れていたり、石をさらに載せていたり……で、人が住んでいるようには見えません。しかし、中腹には建物に埋もれて教会が見え、鐘突き塔が見えます。

ここで降りたのは、数人の観光客と小学生の遠足らしき一行。しかし、あっという間に別々になってしまい、村の中ではすれ違った利することもほとんどありませんでした。
廃墟のように見えた村は、実はかなりきれいにされていました。
橋の上では、おばさんが一生懸命プランターの花を飾っていましたし、掃除のおじさんもいました。
橋は、途中から板で渡したような部分があり、どうやら昔は巻き上げることができたようです。城壁の門をくぐると、片側が囚人小屋だったらしく、人形が飾ってありました。もう片側はインフォメーションになっていました。
とはいえ、まったくこの村の情報がない私たちは、聞くこともあまりなく、とにかく地図を頼りに歩き回るしかありませんでした。
街の中には小さなお土産屋さんやレストランがありますが、そればかりではなく、ごく普通の住まいらしきところも多くありました。
窓の下に猫が寝ていたり、犬がいたりします。しかし、人間は見かけません。この村の人々の、気配はなんとなく感じるのですが、まったく姿が見えないのです。
ほんの小さなドアに、金属のプレートで小さな表札が出ていたり、アンテナがあったり、花がきれいに窓辺に飾られていたり、古い建物だけど、ドアだけは新しいものに取り替えていたり……。
それでいて、中世のイメージを損なわないよう、大事に村を使っている。そんな気配を感じるのです。

私たちは、すっかりこの小さな砦の村が気に入って、次に行くことをあきらめました。
そこはそこなりにまたいいのでしょうが、この小さな村をゆっくりと見たくなったのです。
かなり急な坂。階段。石畳。狭い道。そして城壁。
広くはない小さな村なのに、迷路のようで迷子になりそうです。
中世の人々は、こんな小さな家に住んでいたのでしょうか? まるで小人さんの家みたい。
人影がないのに寂れたように見えないのは、やっと晴れてきた天気のせいではなく、さりげなく手入れされた花のせいかもしれません。
人がいないのは、お昼だったからかも知れませんが。

ちいさなミュージアムもありました。
入ったとたんに自然に電気がつく仕組み。そして中央には大きな大砲。
解説が読めないのですが、そうやら英語文を読む限りでは、そこはかつてフランスの要となった要塞都市だったようです。砦の門を川が流れる旗印が、この村のものだったようです。
中世だけではなく、17世紀ごろ(絶対王政の頃?)も、この村は重要な地だったらしく、村にある教会はその頃立てられたものです。村にたった一つだけですが、パリにあるような手すり付の窓もあり、おそらく当時はハイカラな建物としてもてはやされたことでしょう。
笑えたのは、この博物館横にある公衆トイレ。
私は危険を感じて使いませんでしたが、姉は私よりもトイレが近いらしく、チャレンジ。
「きれいかい?」「うん、きれいだよ」
観光客があまりいない。ということは、あまり使われていない。ということは、割ときれいだということも、納得。仕組みは日本式の腰掛けないタイプだそうです。
しかし、その後姉の悲鳴が! なんと、水の勢いがすごくて、飛び上がって逃げないと、水を受けてしまうようなすごさだったようです。
足の下まで水が流れる仕組みのトイレで、かつて札幌の地下鉄にもあったタイプだと思われます。

街の奥に砦に向かう道があります。
そこも無人ですが、お金を入れるところがあって、3ユーロ入れると回転ドアが回る仕組みになっているようです。
入れて入ろうとすると……見事閉じ込められました。(−−;
ちょうどそのとき、アメリカ人のアベックが通りかかり、私たちの様子を不思議そうに見ていました。
どうにか私たちがそこを通り抜けたのを見て、自分たちも見学しようと思ったようです。彼らも砦見学にやってきました。おそらく、その日の見学客は、私たちとそのアメリカ人たちだけだったかもしれません。

景色はきれいですが、正直へとへとになりました。
石が敷き詰められた登り道が果てなく続き、何個アーチをくぐったのかわからなくなりました。城壁にところどころ窓のような隙間があり、そこを覗くと街の景色が見事です。城壁の外にはのどかな谷間の田園が広がり、滝の音が届いてきます。
中腹で、先ほどのアメリカ人が写真を撮っていたので、お互いに撮りっこしました。
「あそこはワイナリーだよ」と、アメリカ人の彼と教えてくれました。

砦の入り口は、再び板を渡しただけ。
敵が攻めてきたときに、すぐに落とせるようになっているようです。板の隙間から下を見ると、もう目が回ります。
門にはフランス語でなにやら張り紙がしてありました。
「私の名前はポールです。ガイドです。私が案内いたします……うんぬん……」
というような内容のようでした。が、ポールさんの姿はありませんでした。
しかし、この崩れかけている砦の管理をしているのが、彼なのでしょう。覚書らしきものに、「ポールさん、ありがとう」などという書き込みがあって、なぜかほのぼのしてきます。
砦の中に入ると、上のほうから人の声がし、思わずきょろきょろしてしまいました。
先ほどのアメリカ人が、砦の上から声をかけていたのです。
びっくりしました。
その後も、私たちは別々に砦を見学していましたが、時々はちあわせるたびに写真を撮ってもらいました。

砦はかなり保存されているほうだとは思いますが、心無い落書きがいっぱい残されていました。が……。
汚いといえば汚い。でも、見学した人の足跡とも見れなくもないかもしれません。このような廃墟にいたっては。
2階の部屋まで残っていて、階段もあります。しかし、ところどころ底が抜け落ち、階段も半分崩れかけています。日本ならば、立ち入り禁止にしそうなくらい、危険ですが、子供の頃の砦ごっこを思い出し、ここで遊べたらきっと幸せだっただろうなぁ……などと、馬鹿なことを考えてしまいました。
年甲斐もなく、先ほどのアメリカ人が私たちに砦の上から声をかけたのも、思わず童心に返ってしまったからかもしれません。

貴人たちが過ごしたと思われる部屋は、噴水らしきものすらある中庭に面しています。
しかし、歩兵たちの部屋は、寝るには小さすぎるほどの傾斜のある石のベッドと、馬も入らないくらいの小さなスペースがあるだけ。
ただし、歩兵たちが待機していた場所はそれなりに広かったようです。
中庭には、抜け道もあります。電気がついていたので降りてみましたが、とても階段が急で途中であきらめました。
しかし、後から下のほうからそちらに向かう地下通路を通ることができました。
詳しい説明がないので、どのような感じでこの砦と村があったのか、想像するのは大変ですが、少しだけミナス・ティリスを思い出しました。
それほど豪華ではありませんから、エドラスと足して2で割りボロにした感じでしょうか?
この道を馬であがってきたとは考えにくいけれど、村の仮装大会の写真を見る限り、馬もいたように思えます。しかし、厩がないような気が……。

村の中だけではなく、砦の中にも小さな教会があります。
本当に小さい6畳くらいの部屋で、壁が真っ白に塗られていました。十字架はその辺で拾った薪のようで、すべては質素で村にあった17世紀のものとは違いすぎます。
そこに記帳用のノートが残されていて、じゃあ、何か書いちゃえ! と思ったのですが、前の人(たぶん例のアメリカ人)が英語で、「われわれはみな、神の子である。世界に平和を」と書いてあったので、ついくだらないことを書いて日本人の品を落としたくはないと思い、書くのをやめました。
姉は、世界平和を願うメッセージを、一生懸命書いていました。
そこは、おそらく日本人はめったに訪れないのかもしれません。行く人がいましたら、姉のメッセージを探してみてね。

たっぷり砦を堪能して戻り、下のお土産屋さんで買い物をすることにしました。
お土産屋さんとジャム屋さんがあり、かわいい店構えに引かれてジャム屋さんに入りました。
ちりりんと鈴がなりましたが、誰も出てきません。その代わり、さきほどまでお土産屋さんと話し込んでいたお兄さんが、お店に飛び込んできました。どうやら彼がお店の人だったようです。のどかなところです。
お兄さんの英語は、私の英語レベルと同じくらいだったらしく、姉の英語はほとんど通じていませんでした。何度ゆっくり話しても、わからないのだから無理です。
私のあやしいフランス語と動物的勘で、どうやらジャム屋さんだということがわかったのです。あまりに通じない言葉に、お兄さんは「ここで僕がジャムを作っているんだよ」といって、作業所まで見せてくれました。
そこで花のジャム(私たちは蜂蜜と勘違いして買ってきたのだが)をいくつか買って帰ってきました。
ここまで英語が通じないと、かえって楽しいものです。

その後、もう一軒あったお土産屋さんを覗こうと思ったら……お昼休み。(−−;
仕方がないので、村を出て、駅の近くのレストランで食事をしました。こちらのレストランの人は、英語が堪能で、しかもおしゃべり好きときていて、
「英語のメニューはありませんが、私が口頭で説明いたします」
とのことです。
窓の外の広場に、なぜか黒服の人たちが集まってきました。村人というよりは、あちらこちらから集まってきた感じです。
ここで何か会議とか、催しがあるのかな? と思っていましたが、さらに不思議な光景が……。
黒服の人たちと、軍服を着た人たちが、列を作って橋を渡り、門をくぐって村に入っていくではありませんか。しかも、なにやら儀式的な行進。黒い旗を六人でもち、厳かに進んでいきます。
あれは何か? と聞くと、おしゃべり好きな店の人が、説明してくれました。
実はお葬式です。
この村出身の人は、亡くなると故郷に戻って葬儀をするのだそうです。そのときは、村を離れた人々も戻ってきて、みんなで山の上まで故人を運んで祈るそうです。
もしかしたら、それで旗があちらこちらのたっていたのかもしれませんが、そこまでは聞けませんでした。
このお葬式の話を聞いて思い出したのは、萩尾望都の『ポーの一族』の一場面。ポーの人々が村に戻って儀式をするシーンです。一瞬、この村は実はポーの村だったりして……なんて思ってしまいました。
村の感じはまったく違いますが、まさにエドガーとメリーベルが子供時代をすごしたスコット村のような気がします。
私の住んでいた札幌では、もう村意識とか郷土意識とかは希薄なところなので、なんだかとても新鮮に感じました。
こういう刺激は、心に心地よいですね。



2004年05月04日(火) [ニース旅行2]モナコでマッサージ

ニースのウエストミンスターというホテルは、姉にしては奮発したホテルで、古い建物でしかも大きくて立派でした。
海の見える部屋でしたが、雨。それでも姉は元気いっぱいで、
「この光景、絶対に車のCMに使われていたよ。ほら、あの透き通ったオブジェ」
などと騒いでいます。
しかも、初日はあきらめたものの、翌日からは時差ぼけ4時起きを駆使して、ランニングを始めました。帰国3日後にマラソン大会に出るとのことで、フランスにいる間中、姉は朝のランニングをし続けました。
もちろん、私は寝ていました。

初日は散々。
雨の中、仕方がないからシャガール美術館を見に行こうということになりました。私は行きたかったところだったのですが、日程からいけそうにないなぁと思っていたのです。絵よりも青い海……というのが、姉の優先順位だったので。
ホテルの人に聞いたのに、散々迷ってバスに乗り、やっとつきましたが、なんとその日は休みでした。がーん。。。
ショックで倒れそうになりながらも、近くのマルシェを見学し、えびやら野菜やら果物などを買って帰ってきました。
姉は度胸が据わっているというか、行き当たりばったりでイタリアまで行くつもりだったようですが、私は反対。飛行機に乗れなかったらこまるもん。
しかし、行き当たりばったりとはいえ、下調べの量はすざましく、日帰りでいける小さな鷹の巣村を調べまくっていました。
イタリアまでの汽車も調べ済みで、スパゲッティでも食べて帰ってこようよ、などと言います。なんか、大いに外れそう……。

その日は、後は何もできそうにないので、モナコまで出かけました。
雨はずっと降り続けていたので、買い物や見学に当てるしかなかったからです。
汽車に乗り、それでも水色の海を眺めながら、なぜか積丹半島を思い浮かべてしまいました。南国と北国の違いはあれど、地形とかが似ているような気がしたからです。
話はそれますが、ニースの海岸はまるでハワイのロングビーチをお上品にしたような感じがしました。まぁ、海岸が湾曲しているからなんですけれど……。
初めての場所に、今までの場所を重ね合わせる。
こんなことを思うなんて、私も年をとったのかもしれません。

モナコで驚いたのは、まずは街が清潔なこと。
はじめは工事中ばかりで、ここはいったい何なんだ? と思いましたが、それは大きな間違い。工事ではなく、なんとF1グランプリのコース作りだったのです。
街のあちらこちらにフェンスが立ち、観客席が設けられていました。
坂道が多いので、先ほどと同じ感覚で「小樽みたい」とも思いましたが、建物とかがまぁ立派で背か高いです。
しかし、本当に坂道だらけのところです。地図がまったくあてになりません。道にすっかり迷いました。
しかし、パリでの汚いトイレに閉口していた私には、このモナコの清潔さには感動でした。トイレの便座がくるくる回って、きれいにしてくれるんです。
ちょっと湿っぽく感じるけれど、安心して座れます。

カジノ近く、F1でも走るはずのロータリーの前のカフェレストランで食事。
しかし、もう時間が遅かったせいか、誰もギャルソンが相手をしてくれません。
話しかけて、食事がしたいというと、数人が「おまえが受けろ」みたいな話し合いをして、私たちはそっちのけ。
結局、しぶしぶ受けてくれた感じで、気分悪い。(−−;
こちらは、2時くらいでレストランがしまるので、ぎりぎりだとお断りされることもあります。
隣に座っていた品のいいフランス人のおばさんと、なんとなく仲良くなりながら、食事をしましたが、高い割にはサービス悪いし、サービス悪いと味も悪く感じます。
私の食べたスパゲッテイは海の幸豊富でおいしかったのですが、盛り方があまり綺麗でなく、そのうえ麺が解けそうなくらいに柔らかかったです。

それでも食事をして元気になって、次はエステにいきたいと姉が言うので、必死にガイドブックと顔を突き合わせ、やっと発見。
ニースに着てからは、英語が通じないかも? と思っていた姉は、
「英語を話せますか?」と受付嬢にいきなりの質問。
すると「おふこーす!」と返事が返ってきました。
どうやらその人、イギリス人だったみたいです。(^0^;
予約なしだし時間がなくて、簡単なマッサージしか受けられず、しかも、夜の7時からだといわれましたが、ここまできたら受けてやる! って感じでマッサージしてもらいました。
海を見ながらの心地よさでしたが、私はハワイのロミロミの方が好きだな……。しかも、後で話を聞いたら、姉の方がねんいりだったみたい。
私は足の裏までマッサージしてもらわなかったぞ!
しかし、お肌すべすべになり、その余韻は結構何日も続きました。

帰りの時間は、すでに10時。
しかし、こちらのほうは治安もよくて、あまり危ない感じはしません。それに暗くなるのも遅くて、9時ならまだ薄明るい感じですから、どうしても夜更かしになってしまいます。
が、翌朝、姉はやはり時差ぼけパワーで、朝の海岸線を走っていました。



2004年05月03日(月) [ニース旅行1]イージージェットなお話

姉が日本から遊びにくるというので、ニースで待ち合わせし、南仏を旅行することにしました。
当初の予定では、シャルルドゴール空港で姉が乗り換えるエールフランスに乗るつもりでしたが、片道300ユーロと聞いてよろけました。せ・しぇーる! 高すぎです。
正規料金しかないならそんなものでしょうが、東京ー札幌往復できちゃいますよ、JALの悟空運賃で。
ニースへは、EZ-JETという飛行機を使っていくことにしました。
お友達に教えてもらったのですが、他の利用した人の評判もよい格安航空会社です。
なんと、片道29.9ユーロ! 桁が違う!
結局は、空港税や便違いで60ユーロほど払ったのですが、300ユーロとは大違いです。なんだか、不安……。

オペラの前からロワッシーバスに乗り、シャルルドゴール空港へ。
帰りはタクシーにしたのですが、荷物が軽いならこれが便利かも? 8ユーロちょっとだし、空港直行だし……。
連結バスで高速130Kは出しているだろう運転はすごいけれど。
他にもエールフランスバスも少し高めですが、行き先によっては便利のようです。
RERだけは誰もお勧めしません。7ユーロほどで安く、しかも早いのですが、日本外務省お墨付きの注意が出ているくらいです。
ためしに北駅まで乗って見ましたが、車内が狭く大きな荷物の置き場がないこと、人の乗り降りが激しく混んでいること、(私はぎゅうぎゅう詰めになって、顔を殴られた)空港までのお客を狙って、スリや強盗が発生しているという噂あり……。しかも、汚いときています。
私は絶対にロワッシーバスをお勧め! (ただし、ホテルまでが近い場合。前日記にあるように、パリは初めての人の場合、迷います)

早めに空港に出発。
なんせ、シャルルドゴールの第3ターミナルなんて、聞いたことがない。日本で仕入れたガイドブックにも乗っていない。不安で不安でたまらずに、運転手さんに思わず「たーみなる・とわ? しるヴぷれ?」と、嘘っぱちなフランス語で聞きました。「ノープロブレム」と英語で答えが返ってきました。(^0^;
ハブ空港とは思えない小さなターミナルでした。
正直、釧路空港と同じくらい? と思いました。千歳? 大きいですよ。ここに比べたら。
日本では、シャルルドゴールは第2ターミナルまでしかないと思っている人が大半だろうなぁ……。
その上、人もガラガラ。EZ-JETの受付らしいところを見つけて、とりあえずフランス語でチャレンジして、英語でチャレンジして、最後にあきらめてメモを見せる。この会社、すべてインターネットでチケットを管理しているので、チケットをもらっていないのです。
すると、すぐに荷物を預けるところに行きなさいとのこと。
え? え? え? 搭乗券は? 
と思ったけれど、とりあえずいわれたとおりに。なんと、荷物を預けるときに身分確認をして、搭乗券をもらうのです。
この会社、イギリスの会社と言うことで英語でOK.(とはいえ、私はフランス語も英語も5歩100歩なんだけれどさ)しかも、けっこうきっちりしている。
なんと、遅れるどころか人がそろったということで、定刻よりも20分も早く飛んでしまいました。
しかも、座席の指定などはなし。適当に座ってくださいとのこと。
私など、ぜんぜん座席番号じゃなさそうな数字を見て、必死になって座席を探しましたよ。あぁ、恥ずかしい。
でも、いい席に座りたいって思ったら、早めの搭乗ってわけですよね。

安かろう、狭かろうではないことが判明。
通路ぎりぎりまで座席は取っているけれど、足元は十分に広いし、私が座った非常口の付近は、なんと前の座席が窓側だけないというゆったりさ。(普通の飛行機は、非常口はすべて座席がないんだけどさ)
バンケットのサービスはなく、やや寒かったので暖かいものが飲みたかったのだけど、この値段だから機内サービスはないんだろう……と思っていたけれど、ちゃんとあった。ただし、頼んだら2.5ユーロだと言われた。う、中級カフェ並みのお値段です。
でも、シチュワーデスの人も感じがよくて親切で、テレビなどはないけれども、十分十分って感じでした。

20分早くニースについてしまいましたが、ショックだったのはパリが晴天だったのに、ニースはどんよりで雨が降っていたことです。しかも晴れそうにないあつーい雲であたりが暗い。
コートダジュールの紺碧の海とさわやかな青空を期待してきたのに、これはいったい何なんだ! と腹が立ちました。腹が立ったらおなかがすいたので、またまた怪しいフランス語で、サンドイッチを頼むとやはり英語で返事が返ってきました。
うーん……やっぱり通じていないよ。(−−;

姉の飛行機は約2時間後に着きます。
一応、帰りもこの飛行機を取っていたので、乗り場の確認やホテルまでのバスチケットを買ったり、乗り場を確認したりしました。そして、再びサンドイッチを買った店に戻って、ビールを頼んで飲みました。
すると、きれいな日本語で「山崎さんですか?」と話しかけてくる人がいるではありませんか? 見ると、アジア系ではなく、れっきとした白人系のおじさんです。
実は私、本名は山崎ではありません。「違います」と、もちろん言いました。
その人は、日本人観光客を相手にしたガイドさんでした。
時々飛行機の便が変わることがあるので、予定の便よりも早めに空港にくるとのこと。
フランス人は仕事にルーズと噂に聞いていたので、少し驚きました。
やはり人によりけりなのでしょう、思えば、初めてのヨーロッパ旅行の時、忘れもしません。わがツアーの添乗員は成田集合を30分も遅刻してきました。こっちは時間に遅れないように前泊までしたのにさ!
もともとはトルコ出身だというそのガイドさんと、いろいろ日本語でお話したおかげで、待ち時間はあっという間に終わりました。
ニースはこのところ天気が悪く、ガイドもすっかり困り果てているとのこと。いつもはこのような天気ではないのに……とのこと。
「アフリカの土を含んでいるから、少し空が黄色いですね」などと話していました。

あとで姉に話したら、姉はホテルの窓から見える雨の様子を写真に取りました。
あとでみんなに「アフリカから来た雨」と解説するようです。
うーん……。ガイドさんの推測なんですけれどもねぇ。。。



2004年05月01日(土) すずらん

本日はメーデーなので、どこもかしこも休みであるはず。
ということで、家でぶらぶらしていたのですが、だんだん出かけたくなり、旦那を置いて一人で出かけました。

と言っても、あてがあるわけではありません。
地図も持たずにぶーらぶら。
まず、驚いたのがあちらこちらで一束2ユーロぐらいですずらんの花が売られていること。
そしてみんな買っていること。
マルシェがたつ日など、リラなどを売っている人を見かけるのですが、普段見かけない花売りまで見ると、何かあるんだと思います。
が、あると思っても、なぜ? と、きけないところが辛いところ。
知っている人がいたら教えてください。

RER・C線は、ばばっちいパリのメトロの中では割と綺麗なほう。
ということで、今日はミラボー橋を渡り、C線の駅まで。う、かわいい駅です。
ちなみに、このミラボー橋からのエッフェル塔は、非常にいい眺めです。
セーヌ川の中州にちょうど【自由の女神】が見えるし、近代的なビルとエッフェル塔のバランスがいいんですよ。
C線の2階席からは、少しだけどセーヌ川の様子が見えて、ちょっと気に入っています。

オペラ界隈のデパートやショップがクローズだと、観光客はどうしてもノートルダム寺院の前や、カルチェラタン、ルーブルなどの観光地に集まります。
恐ろしいことに、シテ島は行列で歩く有様。(−−;
うーん。。。ひどいや。
それでも、日本人観光客にはあまりあいません。
今後はゴールデンウィークだから増えるんだろうけれど、圧倒的にアジア系は中国人が多いです。

オペラ近くは、まるで廃墟のような静けさ。
買い物客がいないと、静かなことです。ロワッシーバスの乗り場を確認していると、今降り立ったような日本人の女の子2人組が地図を片手に右往左往していました。
あー! やっと日本人がいたぁ! って感じで、ついうれしくなって、話かけました。
案の定、バスで着いてホテルを探していたようなのですが、迷っていたようです。

持っている地図を見せてもらうと、うわ、これは解りませんよーーー! って地図でした。
日本のガイドブックについている地図は、何かを探すときにはあてになりません。かなり慣れた人ならいいけれど……。
細い道は省略しているし、道の大きさはおおよそで、ちっともあてになりません。通りの名前とにらめっこしながら歩くには不向きです。
その上、パリは建物がみんな似ているし、目立つ看板も掲げていないので、近くに行かないと見つけられないのですよ。
通りの名前さえわかったら、これほど解りやすいところもないらしいのですが、それは慣れた人のお話です。
つい、地図を持ってこなかったことを悔やみました。
大きなケースを抱えていたので、ぐるぐる回ることになったらかわいそうと思い、どうせぶーらぶらだったので、ホテルまで一緒に行きました。
オペラ近く……というよりも、マドレーヌのほうが近いくらいでかなり距離があったので、初めての人にはわからなかったと思います。

ホテルの前で別れましたが、パリに来て初めて人のために立ったような、うれしい気分になって家に帰りました。
が……。
その途中、道に迷い、なぜかシャンゼリゼまで歩いてしまったことは、旦那には内緒にしておきます。


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