「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2003年02月27日(木) ベートヴェン交響曲第8番初演、シューマン入院

1814年2月27日
ベートヴェン交響曲第8番初演。
この曲は第5番と第6番のように
第7番と双子の交響曲といわれていましゅ。
2曲が並行して作曲されたからでしゅ。
第7番とカップリングされたCDで時々聴きましゅが
雄大な7番を聴いたあと8番を聴くとホッとしましゅ。
ベートヴェンの偶数番交響曲は
みな明るく爽快な感じがしましゅ。
とくに4番と8番はそう感じましゅが
いかがでしょうか。

1854年2月27日
2月6日にライン河に飛び込んだ
ロベルト・シューマン
ボン近郊のエンデニヒ精神病院に入院。
精神的危機が最高潮に達した
シューマン、ついに社会生活を
送ることが不可能になり
入院を余儀なくされましゅ。
彼は
”Ich weiss!”(私は)知っているぞ!
(クララとブラームスのことを・・・)
と叫んだといわれていましゅ。
病因は脳梅毒説が古来有力でしゅが
異説を唱える学者もいるようでしゅ。
当時の医学水準では
有効な治療が行われず
悲惨な最期だったと思われましゅ。



2003年02月24日(月) ペール・ギュント初演、シャルパンティエ没

1876年2月24日
イプセンの戯曲「ペール・ギュント」が
グリーグの劇付随音楽とともに
初演される。

現在は戯曲が上演されることは
ほとんどなく
グリーグの音楽のみが
ペール・ギュント組曲として
あるいはその中の曲が
演奏される。
一般には「ソルヴェイグの歌」が
有名だが
L.A.S.Ponderは
モヤモヤの中から
黎明が浮かび上がる
「朝」が好きでしゅ。
アニトラの踊りも
エキゾティックで悪くないでしゅ。

1704年2月24日
マルカントワーヌ  シャンパルティエ
Marc-Antoine Charpentier 1636年頃生まれ 
リュリと仲たがいしたモリエールによって見出され
とんとん拍子に当時のフランス楽壇、宮廷に登場。

L.A.S.Ponderの好きなのは
テ・デウム
クリスマス真夜中のミサ曲

リュリとモリエールの愛憎がなければ
こんなに活躍できなかったかも。



2003年02月22日(土) チャイコフスキー交響曲第4番初演、三浦環誕生

1878年2月22日
チャイコフスキーの
交響曲第4番
モスクワで初演、
指揮はニコライ・ルビンシュテイン。
前年1877年の不幸な結婚と
ナジェージダ・フォン・メック夫人からの
援助開始の成果でありましゅ。
L.A.S.Ponderは
第5番の次に好き。
先日聴いた
小林研一郎指揮
チェコ・フィルハーモニー交響楽団の
マンフレッド交響曲も良かったけれど・・・

1884年 2月22日
オペラ歌手
三浦環
静岡県に誕生。
 1946年5月26日没
蝶々夫人を
世界中で2000回以上
歌ったというのは
空前絶後、驚異的でしゅ。



2003年02月20日(木) セビリアのバーバー初演、黛敏郎誕生、武満徹没、石川啄木誕生

1816年2月20日
ロッシーニの歌劇セビリアの理容師初演。
初日は同名の歌劇を書いた
パイジェルロ派の妨害でさんざんだったそうでしゅ。
この序曲の冒頭
アマチュアオケが弾くと
「やめてけれ、やめてけれ、やめてけれ・・・」
と聴こえるというのは本当でしゅ。

1929年2月20日
作曲家黛敏郎誕生
 1997年4月10日没

彼の作品はよく知らないけれど
彼が司会をしたテレビ番組の
「題名のない音楽会」の
公開録画には何度か行きました。(渋谷公会堂)
そのうちの1回はわが母校の
不名誉教授(不正入学斡旋事件で失職)が
ゲストでした。
脂ぎった顔でステージに座っていたのを
昨日のことのように
思い出しました。

1996年2月20日
作曲家武満徹没
 1930年10月8日生まれ

彼の曲はよくわかりません。
うまく歌えませんでした。
ごめんなさい。

1886年2月20日
石川啄木誕生
彼の短歌に越谷 達之助が作曲した
歌曲「初恋」は
L.A.S.Ponder日本歌曲中
最も好きなものの一つでしゅ。
桜木町の神奈川県立音楽堂の最前列で
大倉由紀枝さんが歌うのを
聴いた時は涙が止まりませんでした。



2003年02月19日(水) ボッケリーニ誕生

1743年2月19日
ボッケリーニ, ルイージ ジョヴァンニ
イタリアのルッカで誕生
 −1805.5.28
 
明るく伸びやかなチェロ協奏曲,メヌエットが有名。
L.A.S.Ponderが好きなのは
ギター五重奏曲集でしゅ。



2003年02月18日(火) ルター没、越路吹雪誕生、オノ・ヨーコ誕生

1546年2月18日
マルティン・ルター(Luther,Martin)
生まれ故郷のアイスレーベンで没、62歳。
 誕生:1483年11月10日
宗教改革者でコラールを
たくさん作り大バッハへの道を開きました。

1924年2月18日
歌手・女優の越路吹雪が東京に誕生。
L.A.S.Ponderのお気に入りは
「愛の賛歌」「そして今は」「イカルスの星」

1933年2月18日
オノ・ヨーコが東京に誕生。
ジョン・レノンのイマジンは
ヨーコの詩集「Grapefruits」に
インスピレーションを受けたもの。
最近は2001年9月
2003年2月と
アメリカ合衆国の新聞に
反戦広告を打つなど
イマジンを地で行く活動を
行っている。




2003年02月16日(日) インスブルック冬季閉会

1976年2月16日
オーストリアのインスブルックで
冬季オリンピックが閉幕。

このとき閉会式で流れたのが
ハインリッヒ・イザーク作曲の
哀愁と感傷にみちた名曲
「インスブルックさようなら」。

原曲は無伴奏混声四部合唱。
1. インスブルック、いざさらば
見知らぬ国へ われ去り行く
喜びもなく、楽しみもなき
わが哀れさ
3. ただ君のみに憩うわが胸
まこと尽くさん
わが恋う人を
なにとぞ神よ守りたまえ

いまでもこの曲とともに
わが恋う人を
思い起こすと
涙が流れましゅ。
この感動的な合唱曲を
若き日のL.A.S.Ponder
宇都宮合唱団で憶えました。
また歌いたいでしゅ。



2003年02月15日(土) グリンカ没/リヒター没/浅田美代子誕生

1857年2月15日(ロシア暦2月3日)ロシアの作曲家 
グリンカ(Glinka,Mikhail Ivanovich)没、52歳。
 1804年6月1日誕生
ロシア国民楽派の祖。
現在演奏会でよく取り上げられるのは
歌劇ルスランとリュドミラ序曲くらい。
L.A.S.Ponder子どもの頃
歌劇イワン・スサーニンの
終曲合唱「栄えあれ祖国に」の
怒涛のような大合唱をを聴いて大感激。
ロシアにはこんなすごい
大合唱曲があるのかと驚いたものでした。

1981年2月15日
ドイツの指揮者、オルガニスト、チェンバリスト
カール・リヒター
演奏会直後 心筋梗塞のため急逝。
  1926年生まれ
ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団を組織して
J.S.バッハの音楽を精力的に紹介し
ナチス旗揚げの地を
バッハ演奏の拠点の一つにした。
息詰まるような緊張感の高い演奏は
彼の死を早めた。
L.A.S.Ponderも
彼とミシェル・コルボによって
バッハに開眼しました。
2002年11月30日
グローリア アンサンブル&クワイアー
ロ短調ミサ演奏会のときも
リヒターのCDおおいに参考にしました。

1956年2月15日
元アイドル、女優
浅田美代子誕生
L.A.S.Ponder子どもの頃のアイドルのひとり。
下手すぎる歌とあどけない顔がすてきでした。
今は無残な姿をブラウン管にさらしていましゅが
映画「釣りバカ日誌」シリーズでは
浜ちゃんの妻を好演してましゅ。
L.A.S.Ponderのお気に入りは
アイドルとして落ち目の頃出した
「思い出のカフェテラス」



2003年02月13日(木) ワーグナー没/アインシュタイン没

1883年2月13日
ワーグナー(Wagner,Richrd)
ベニスで心臓発作にため没、69歳。
 誕生:1813年5月22日

昔東京文化会館で
ワグナーのオペラを観たことが
あるのでしゅが
演目も演奏者も
思い出せません。
それだけ印象が薄かったのでしょう。
いつか全歌劇、楽劇観てみたいでしゅ。
彼の合唱曲も
歌いたいでしゅ。

1952年2月13日
音楽学者
アルフレート・アインシュタイン(Einstein,Alfred)没、71歳。
 誕生:1880年12月30日

最初L.A.S.Ponder
ノーベル物理学者アルベルト・アインシュタインと
勘違いしていましたが
同一人物ではなく
いとこでした。

バッハ、モーツァルトに詳しく
「死ぬということは
モーツァルトを
聴けなくなることだ。」
という名言を吐きました。
ごもっともでしゅ。

1980年2月13日
彫刻家 本郷新 没、74歳。
 1905年12月9日生まれ

L.A.S.Ponder
彼がたくさん作った
両手を頭上で合わせるポーズの女性の
彫刻が好きでしゅ。

札幌彫刻美術館で
無造作に展示されている
作品を観て
いっぺんに好きになりました。
そのほか石川啄木像、小林多喜二像など
素晴らしいでしゅ。



2003年02月12日(水) ハイドン皇帝賛歌初演、ワルトトイフェル没、ガレ ナンシー派結成

1797年2月12日
ヨーゼフ・ハイドン
神聖ローマ皇帝フランツ2世の
29歳の誕生日を記念して
皇帝賛歌「神よ、皇帝フランツを護りたまえ」を
ブルク劇場で初演。

弦楽四重奏曲「皇帝」にもあらわれる
このメロディ
賛美歌にも使われ
穏やかで気宇壮大
L.A.S.Ponderハイドンの旋律中
最も好きなものの一つでしゅ。


1915年2月12日
フランスの作曲家
エミール・ワルトトイフェル没。

1837年ストラスブール生まれの
ドイツ系フランス人
パリ音楽院卒
宮廷舞踏楽長

現在残る曲は
「女学生」
「スケーターズ・ワルツ(スケートをする人々)」
L.A.S.Ponder小学生の頃
いとこの伴奏で
「スケートをする人々」よく歌いました。
が、いとこが思春期になると
ぴたっとやめてしまいました。
池袋スケートセンターへ
かよった頃この曲にあわせて
すべり突然よくひっくり返りました。

1901年2月12日
フランス ガラス工芸の泰斗
エミール・ガレ(54)が
ナンシー派を設立し、
その初代会長に就任する。



2003年02月10日(月) マルティーニ没

1816年2月10日
マルティーニ没
本名 ヨハン・パウル・エギディウス・シュヴァルツェンドルフ
ドイツ生まれ

1760年ナンシーに移住。
1766年パリに行き軍楽隊と関係を持つ。
のちパリ音楽院院長。
軍楽、交響曲、オペラ、教会音楽などを作曲。
現在は歌曲「愛の喜び」のみで知られてましゅ。
イタリア古典歌曲集中の名歌。
旋律が甘ったるく美しいので
他の楽器でもよく演奏されてましゅね。
歌詞は失恋及び愛の苦しみを歌ったもの。

コール・エッコではwakasamaさまが
カモミールさまのピアノ伴奏で
2002年アマチュア・ミュージック・フェスティヴァル
in田沼で披露してくださいました。
ほんに愛の苦しみと来たら・・・



2003年02月09日(日) ヴェルディの歌劇ファルスタッフ初演

1893年2月9日
ヴェルディ最後の歌劇ファルスタッフ
ミラノ・スカラ座で初演。

これも未見。
原作戯曲シェークスピアの
ウィンザーの陽気な女房たちも未見。
ビデオがあるので時間を見つけて観たい。

好色のんべえ中年男フォールスタッフは
「戦場へは最後に、
宴会へは真っ先に」という
L.A.S.Ponderと同じモットーの
中年ちゃらんぽらん。
シェークススピア戯曲中の傑作男。

歌劇ファルスタッフの最後は
「この世はすべてバカ騒ぎ、
・・・人生はすべてこうしたもの」という
フーガの合唱とのこと。
早く観てみたいでしゅ。



2003年02月06日(木) オケゲム没

1497年2月6日
前期フランドル楽派の大作曲家
ヨハネス・オケゲム
Johannes Ockeghem没
 1410年頃生まれ

シャルル7世,ルイ11世,シャルル8世と
歴代のフランス王に仕え,王室礼拝堂楽長。
「音楽の王」「オルフェウスの再来」「我らがよき父」
と称えられた。
ミサ曲約11、レクィエム1、モテト10,土俗シャンソン約20が残っている。
各声部の比重を均等にしてポリフォニー音楽を大成した。
代表作
ミサ・プロラツィオーヌム
ミサ・ミ・ミ
レクィエム

今日茨城からの帰り
プロ・カンツィオーネ・アンティクヮのCDで
オケゲムのレクィエムからイントロイトゥスと
ジョスカン・デ・プレの
オケゲムの死を悼む挽歌を聴きながら
ポリフォニーの美しい響きを
満喫いたしました。
彼のミサ曲を演奏したいものでしゅ。



2003年02月05日(水) 歌劇オテロ初演

1887年2月5日
ヴェルディの歌劇オテロが
ミラノ・スカラ座で初演。

オペラは未見でしゅが
シェークスピア原作の戯曲オセローは昔
渋谷ジャンジャンで
小田島雄志訳
出口典夫演出
シェークスピア・シアターの上演を観ました。
イヤーゴーのあまりのあくどさ
オセローの嫉妬妄想に
胃が痛くなり
この悲劇は
嫌いになりました。



2003年02月04日(火) カレン・カーペンター死す

1983年
カーペンターズのヴォーカル
カレン・カーペンター Karen Carpenter
拒食症→衰弱→心臓発作で死す、32歳。
 1950年3月2日誕生

拒食症は死に到ることは
少ないものの
社会的には回復困難な場合が多いでしゅ。
すなわち自立した生活を送ったり
順調な結婚、家庭生活を続けたりすることが
なかなかたいへんなようでしゅ。
くれぐれも無理な食事制限はなさりませんように。

カーペンターズ
L.A.S.Ponderのお気に入りは
Hurting Each Other



2003年02月03日(月) メンデルスゾーン、アルブレヒツベルガー誕生

1736年2月3日
オーストリアの作曲家、教育家、理論家
ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー誕生
   1809年3月7日没

ベートーベンの先生としてのみ有名。
L.A.S.Ponderは
彼の作曲した
口琴協奏曲がすきで
カセットテープでよく聴いていました。
CDが入手できれば欲しいのでしゅが。
ほかに作品としては「テ・デウム」
聴いてみたいでしゅ。

1809年2月3日
ヤコブ・ルードヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ
ハンブルクのユダヤ人大銀行家の家に誕生
   1847年11月4日没


音楽家として最高の教育を受け
オーケストラを雇い
自宅で演奏会を開いたほどの大金持ちでしゅ。

L.A.S.Ponderの好きなベスト3
1. 組曲「真夏の夜の夢」
2. 交響曲第4番「イタリア」
3. 甘納豆コンチェルト(ヴァイオリン協奏曲ホ短調)

合唱曲の大作として
オラオリオ「聖パウロ」
オラトリオ「エリアス」が
ありやすが 
聴いたことありやせん。
無伴奏混声4部合唱曲なら
何曲か歌ったことがありやす。

他に大業績として
バッハのマタイ受難曲を
100年後に蘇演
 19世紀バッハブームのさきがけ。
シューマンが発見した
シューベルトの交響曲第8(9)番
「大ハ長調交響曲」初演。




2003年02月01日(土) プッチーニの「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」初演

1893年2月1日
プッチーニの歌劇「マノン・レスコー」初演
1896年2月1日
プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」初演

L.A.S.Ponder
どちらも未見。
ミミのアリア「私の名は耳?」
くらいしか思い浮かばないでしゅ。
今年はプッチーニの
グローリア・ミサを歌うので
プッチーニの歌劇
ビデオで集中的に観ましゅ。


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