2005年01月05日(水)  

マンキン最終巻感想。
極個人的な気持ちを書き綴ったので、不快に思われる方もいると予想。
ひたすらマンキン好きの方には申し訳ないなぁ。
勝手に言ってろ、と聞き流して下さい。
所詮、私、古い人間ですから・・・。

でも、反転とかしない。
赤裸々に綴ります。今回は。
マンキン完結。だからこそ。



勤務中、売店行って買って、そのままトイレ駆け込んで読んだ。
あとがきのようなものを読んで、即座に仏3巻がフィードバックした。
帰って確認したら、全然レイアウト違うんだけどな。なんでだろうなぁ。

表紙見て「あーやっぱ変わるもんだ」と。
皆コロコロしてて可愛い絵ですね。
これが現在の武井宏之先生なのかぁ。

私は、マンキン前半が限界なのかもしれない。


仏の存在がでかすぎて、追い求めて、そんでもって、やっぱり比べちゃって…。
打ち切りから3ヶ月。
ついに最終巻も手にしたけど…。
相変わらず、仏を引き合いに出してしまう。
やってはいけない禁じ手で、マンキンファンには悪いとも思う。
むしろ、過去を追う私は、時代に取り残されているのだろうな、
とやけに客観的に見れて、笑けてきさえする。

「マンキンも好き」
「も」と言ってしまう。
「が」とは言い切れない。

仏ゾーンがなければ、マンキンは見なかった。これは事実。
私にとっての武井作品は仏ゾーンありき。
仏の面影を求めてマンキンを読んでいたのが連載当初。
やっぱり違うな、とジャンプ購読をやめた。

マンキンを又読み出したのは、仏ゾーンが所々に載っているから。
そしてキャラ萌えに以降。
のちに話もおもしろいことに気づいたが。
ただ、後半あんまり付いて行けなくて「裏切られた」と懐古主張したり。

今思うと、最初から私の動機が間違っていた。
仏ゾーンを重ねていたから。
年が経てばヒトだって変わる。生々流転。
同じ話を描ける訳がない。それじゃあ作家じゃなくなる。
コピー機だ。
第一、商業誌では、そんなことしたら食っていけない。
「又この手できたか…」と読者に言わせてはいけないのだ。
同じようなストーリーを待ち望んでいる読者なんてそうはいないだろう。

私も年をくった。
そんなこと分かっていたけど、そうさせたのは仏の仕業。
そこまで仏ゾーンは私にとって影響力が凄かった。
唯一かも知れない。
ここまで年を忘れて熱く思い続けられる作品は。

キャラ萌えで萌えていれればよかった。
ただひたすら、妄信的に。
ふとしたところで、やっぱり武井作品のおもしろさに気づいてしまった。
そして、私の中で最大の栄華を誇った仏ゾーンを思い起こしてしまった。


そこから、マンキンは仏を越えることはできなくなった。


比べることは間違っていると思う。
独りで御託並べていれば良いと思う。
実際、こんな事書くのも自己満足の域。
知ってる。馬鹿げています。大いに。
しかし、書いてしまうのは誰かに知って欲しいから。

私は武井作品懐古主義者です。
昔の思い出をずーーーっと引きずります。
仏ゾーン至上主義です。
あの頃の自分の人生で色々あったから、そんときの思い出ひっくるめて、
仏ゾーンが一番大切な漫画であります。

それでも、マンキンのこの終わり方は解せない。
出版社に対するやり場のない思いが、作者にまで飛び火しそうで怖い。
あがいて欲しい。
まとめて欲しい。
書ききって欲しい。

がんばれ、武井宏之。



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読み返して、まとめ。

「マンキン好きです。でも私は仏ゾーンの方が好きです」

漫画読んで、熱中できる時代も青春期。ってことか。
あのころ読んだ漫画が一番脳裏に焼き付いている。

思い出は美しく風化するのであります。
私にとって、風化しない思い出が仏ゾーンと共にある。
だから、仏ゾーンはバイブルなんでございます。はい。
格好良く言うと、そんな感じ(アホ)


なんだ。マンキン感想が仏賛辞になった。
結局、仏ゾーン盲信者ですね、私。




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