鶴は千年、生活下手

2016年04月21日(木) 忘れないように

今週の月曜日のこと。
わたしは中2日の2日目ということで、とても調子が悪かった。
眠かったし、だるかったし。
やっとこさ息子を登校させ、なんとか洗濯もし、あとはだるだる。
4時過ぎに息子が帰ってきた。
制服はいつものように脱ぎっぱなし、連絡フィルを出すより先に
寝っ転がってしまうので、注意した。
調子が悪いわたしの注意の仕方は、かなりぶっきらぼうだった。
とたんに、息子の様子が少しおどおどした感じになった。
それさえも、調子の悪いわたしには、イラっとすることだった。

なんだかんだして、わたしは、ひと眠りした。
なんだかバタンバタンという音と、息子の声で目が覚めた。
トイレの方から音がするので行ってみると、わたしに何か言った
のかとトイレから大声できいていた。
わたしは、寝てたんだから何も言ってないよと、少し怒って言い、
まったくもうと不満をあらわにしてリビングに戻った。
トイレから帰った息子は、トイレに居たらお母さんの声が聞こえ
たから、なんて言ったのかといっぱいきいたんだと言った。
何も言ってないよと、再び不機嫌そうに言って、晩ご飯にした。
調子が悪かったので、あるものを適当に食べていると、わたしが
息子の言葉に「うそー!」とはっきり言ったと言われた。
わたしは、元気無く「そう」と言っただけだったので、そのよう
に伝えたが、息子は納得しなかった。
次第に二人の食い違いが激しくなり、息子はパニックを起こした。

あー、あーと言っていて、何が言いたいのかとわたしが言い、そ
れに答えることができずに、ますますあーあーという息子。
辛いなら泣いてしまえばいいのにと言うと、今度は両手で自分の
頭をぽかぽかと叩きながら、「痛ーい、痛ーい、助けてー。」と
叫ぶので、肩を抱いてそれを止めると、また「痛ーい」と言う。
見ると、自分の腕に爪を立てていた。
それを止めるために、わたしは両手で息子とつないだ。
つないだまま「大丈夫だから、もう怒ってないから。」と伝えた。
パニックを起こし始めてから20分くらい経った頃、やっと言葉
にすることができた。
「泣きたかったのに、どうして意地を張ってたんだろう。」と、
息子は泣きながら言った。
泣いて、お母さんに甘えたいことを伝えたいのに、意地っ張りな
自分が、もう中学生だから泣いちゃダメだと自分を止めようとす
るのだと言った。
その後、わたしは泣きながら息子に謝った。
「中学生になって、色々できるようになって、おかあさんは、君
がすんごくがんばって学校に言ったり授業を受けたりしているこ
とを忘れちゃってたよ。ごめんね。家では甘えたかったよね。」
まさに、その通りで、精一杯のがんばりの上に中学校生活は成り
立っているというにに、家に帰ってまで、同じようにがんばらな
くてはならないのは、辛かったであろう。
2週間のがんばりを、母はただ喜んでいるだけだった。
すまなかった、息子よ。
腕には爪で引っ掻いた後ができていて、絆創膏を4枚も貼った。
家ではリラックスさせてあげようという言葉を、忘れないように
紙に書いて張っておいてと息子に言われた。
わたしの座る位置の真横に、その紙は張ってある。



2016年04月11日(月) 第2週目

中学校生活、2週目。
先週は金曜日に、登校途中でトイレに行きたくなり、少し戻って
公民館のトイレを借りたということだった。
その間も、仲良し君はずっと一緒にいてくれて、一緒に小走りで
登校につきあってくれたらしく、息子は「○○君がいてくれて、
頼もしかった。」と言っていた。
幼なじみというものは、そういうものなのだろう。
お互いを小さい頃からよく知っているから、長い付き合いの中で
ずっとに気が合う友だちとして、互いに大事に思っているし、ま
た思ってくれてもいるのだろう。

他の友だちも入れて何人かで遊ぶときも、互いを気遣いながら遊
んでいる様子がわかる。
それが、他の子から見ると、特別扱いしているようにも見えるの
かもしれないが、そこは自然とでてきてしまう感情なのかも。

日曜は、他の中学に行った友だちと三人で、午前、午後と遊んで
いた。
リュックをもっと大きなものにしたいということだったが、母が
選べば大丈夫だとかで、わたしと夫と二人だけで買いに行った。
結局、仲良し君と同じリュックにしたのだが、今朝は同じだねと
いいながら、同じリュックの背中を見せて登校して行った。
大きくて、たくさん入るので、体育着も入れられる。
持ち物が多い日も大丈夫そうなリュック。
母としては、たくさん入って、かえって重くなるんじゃないかと
思ったりもするが、背負いやすいからか、そうは言わなかった。

だんだんとペースが掴めてきて、楽しく毎日通えればそれでいい。



2016年04月05日(火) 入学式

相模原市では、5日が入学式。
我が家のあたりでは、午前中が小学校、午後が中学校の入学式。
降っていた細かい雨も午後にはやんで、傘がささなくても大丈夫
になった。
息子と、「小学校の入学式の日も、雨だったよね。」と話した。

予定の出発時間を10分ほど過ぎて家を出ると、一番の仲良し君
と途中から一緒になった。
ご両親も一緒で、軽く挨拶を交わして共に歩くが、母は次第に遅
れをとってしまうのだ。
中学校までは、わたしにとって長い道のり。
息子は、友だちと楽しそうに歩きながらも、ときどき後ろを振り
返って、わたしを気遣ってくれた。

到着して受付をすると、胸にピンクの花を付けてもらった。
クラス編制が張られていて、息子は一番の仲良し君と同じクラス
になって、大喜びの二人。
いったん支援級に入ってから各クラスにいって、入学式の説明を
受けるようだった。
新入生入場と、新入生確認(名前を呼ばれる)と、新入生退場と、
滞りなく入学式は過ぎていって、それぞれの場面で、息子の姿を
確認して、安堵するのだった。
保護者はその後、PTAの役員決めがあったが、我らのクラスは
いち早く決まって、余った時間は教室を見てきていいと言われ、
わたしは支援級に行ってみた。
新入生と先生方だけ残っていて、先生の挨拶などしているところ
だったが、教室に入れてもらった。
小学校のときにいらした介助員さんがいらして、久しぶりですね、
またよろしくお願いしますと挨拶。
昇降口で仲良し君を待って、一緒に帰った。

4月いっぱいは交流に行かないのだが、交流級に仲良し君がいる
というのは、交流級に行く楽しみがあるということだから、もう
それだけでありがたいことだ。



2016年04月01日(金) 子どもから大人に

息子たちは、宇都宮まで出かけてきた。
お昼は餃子とご飯で、餃子を2皿食べたと言って、晩ご飯は少な
めだった。
それから、毎日のように友だちと遊びに出ている。
といっても、近所の公民館くらいだが。

息子が撮った写真を見てみたら、ほとんどが電車の写真だった。
餃子の写真は1枚も無かった。
当たり前か、鉄道大好き4人組なのだから、電車か、それを撮影
している友だちが写っているかなのだった。

小学生としては最後の日。
いつも通りに、母は透析に出かけ、息子は午前、午後と友だちと
遊んでいる。
しかし、今日から、子ども料金とはいかず、電車に乗るのも大人
料金に。
手持ちのスイカも大人スイカに変更するのだ。
ファミレスの飲み物だって、大人料金で飲むのだ。
中学生は、まだまだ子どもだが、大人への一歩も踏み出す年頃だ。


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市屋千鶴 [MAIL]