鶴は千年、生活下手

2012年06月14日(木) 母が悲しむと思うこと

先日、目覚まし時計で起きたはずのもぐちゃんが、なかなか起き
て来ないので、起こそうとくすぐったりしていた。
しかし、ぴくりともしない。
ぐっと我慢してるんだなと、布団で隠している顔をのぞいてみた
が、眠った顔のままだった。

わたしは心配になって、強く起こし始めた。
夫も研修に行くとかで、もぐちゃんと同じくらいの時間に起きる
予定だったから、わたしがもぐちゃんを起こす声で目を覚ました。
ちゃんと起きていたらしいことがわかって、母は君が具合が悪い
のかとすごく心配したよと伝えた。
そうしたら、もぐちゃんは泣きそうな顔になり、どうして動かな
かったのかを話してくれなかった。

どうしても聞き出したいわたしと、言いたくないもぐちゃん。
そのやり取りに少しイライラする夫。
夫が怒りだしそうだったので、わたしはもぐちゃんを台所につれ
ていき、ゆっくりと説明して答えを得ようとした。
すると、もぐちゃんが「お母さんがきっと怒るし、悲しむから言
えない。」と涙を流した。
大丈夫だから言ってごらんとさらに説得すると、そっと答えた。
「死んだふりをしてた。」

そうか、わたしが具合が悪いのかとすごく心配したよと言ったか
ら、死んだふりをしていたとは言えなくなったのだなとわかった。
もう少し大きかったら、もう少しずるかったら、もう少し自分を
ごまかすことができていたら、寝たふりをしていたと言ったのか
もしれない。
が、素直に白状することしか想像できなかったから、言えば母が
とても悲しむと思ったのだろう。
母を悲しませることは、言ったりしたりしてはいけないと気がつ
いたのだ。

その日は透析だったから、病院で隣のベッドの方に朝の出来事を
話した。
そしたら、優しい子ねえ、と言われた。
お母さんが悲しむから言えないなんて、優しい子なのよ、と。

母になってみて、いろいろ知ることがある。
自分が母に心配をかけないように黙っていたことだってたくさん
有ったなと思い出す。
子どもはいつも母を恋うている。
親は、子どもの気持ちに気づかないこともある。
母親が好きだからこそ、気持ちに応えてもらえなかったときの反
動が大きいのだと思う。

母になって思い出す。
親は心配しているつもりが、実は子どもに心配されていることを。
自分も子どもの頃、母を心配していたのである。
大人になって、そんなことも忘れていた。
母が姉を選んだということだけをずっと引きずっていた。
そう言われ傷つきながらも、わたしは母の心配をしていたのにね。



2012年06月13日(水) 母たちのおしゃべり

前回の更新の後、自分が書いた内容とは裏腹に、学童から帰って
くると毎日叱ってというか、説教していたような気がして、とて
も反省した。
そして、もやもやした気持ちを誰かに聞いてもらおうと思って、
知人を誘ってバーミヤンで昼ご飯を食べながら、話をした。
2時間近くに及んだのだったろうか。
完全にすっきりではないにしろ、気持ちを切り替えることができ
たような気がした。

今週は、支援級の保護者親睦会があった。
学校のランチルームで、お茶やお菓子をいただきながらの話をす
るのだが、最初に先日の運動会で何か気づいたことはないかとい
う、PTA役員さんからのアンケートにみんなで答えた。
気づいたことは、児童席が風下だったため、かなり砂ぼこりを浴
びてしまっていたことなどだった。
校庭というものは、だいたいにおいて砂ぼこりがすごいものだが、
児童席は色別学年別に並んでいるので競技による出入りが頻繁で、
その度に砂ぼこりが舞うわけだ。
わたしは日差しが強くて日陰の無い児童席は大変だなと思ってい
ただけだったので、砂ぼこりのことは考えなかった。
なるほど、砂ぼこりかと再認識した。

他には、週に1回、体育館を支援級の子ども達に開放してくれる
という試みが始まったので、その感想などだった。
以降は雑談。
母たちの関心は、終業式の日に行われる宿泊学習のことだったり、
担当の先生のことだったり、中学のことだったりである。
来週は、学年合同の保護者親睦会がある。
再来週は、授業参観と懇談会がある。

そうして6月が去りつつプールが始まって、7月が始まる。
7月は、あっというまに過ぎていき、短縮授業になったかと思う
と、宿泊学習があり、夏休みが始まる。
夏休みが始まると、家庭訪問がある。
我が家では引っ越しが先で、その後に家庭訪問になりそうだ。

 母たちの穏やかそうなおしゃべりも言葉の裏に苦労が見える(市屋千鶴)

楽しそうな話の中にも、支援級の保護者ならではの苦労が垣間見
えるものである。



2012年06月08日(金) 徐々に

最近、支援級の担任からのコメントの中に、「課題ですね」とか
「勉強中ですね」とかといった言葉が目立つようになってきた。
なんだか運動会が終わってから、目立つようになってきたような。

運動会で一日中交流級の場所でみんなと一緒に居られたことで、
もぐちゃんのレベルが上がったと認識されたのだろうか。
教師としては、可能性を持った子どもを見ればその可能性を伸ば
したてやりたいと思うのが普通なのだろう。
もぐちゃんはもっとできるはずと思われているのか。
親としてはまだできなくて当たり前と思っていることを、まだま
だ課題ですねと言われると、そんなに期待されているのかという
気持ちになる。
例えば、授業に入るきっかけを自分で見つけられずに、ずるずる
と時間を費やしてしまうので、学習のタイミングとか授業の開始
とか、いろんな場面で言われないと動かないという状況とのこと。
時間の認識が弱いのか、切り替えが下手なためかはわからないが、
言われないと動かないというのは、発達障害を持つ3年生ではむ
しろ普通なのではないのかと思っていた。
しかし、先生は自分から動いてほしいと思っているし、そうでき
る子どもだと認めてくれている訳だ。
成長する可能性をたくさん持っている子であることは、親も認め
るところだが、それは時間のかかることなのだろうなと思ってい
るので、見守る方はとにかくしつこく言い続けて身につけさせる
しかないのである。

毎日一緒に居る親としては、言い続けることをしていくのだが、
学校という場所においては、意外なきっかけでグンと成長するこ
ともあったりして、それを目の当たりにしている先生としては、
どんなきっかけで伸びるのかを試行錯誤している毎日なのだろう。

親の気持ちは、徐々にしっかりして行ってくれればいいのである。
だって、これまでにできるようになったことがいっぱいあるのだ
から、まだまだこれからなのである。
学年が上がるごとに、個々が伸びたところですねと言ってもらえ
る箇所があればいいと思っている。

 ゆっくりと自分のペースで生きていく君といつまで生きられるだろう(市屋千鶴)


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