2012年01月30日(月) |
へとへとハンターの筋肉痛 |
土曜日、小学校の保護者主催で「逃走中」遊びが企画されていて、 もぐちゃんは父親と2人で出かけていった。 わたしは透析なので行けなかったが、もぐちゃんの話では、ハン ター役の保護者が少なめで、半数くらいの子ども達が逃げ切った らしかった。 なかなか楽しかったよと夫は言っていたが、昨夜の寝る前くらい から筋肉痛のようだった。 1日半で筋肉痛か。 2日後でなくて良かったねえ。
次の日曜は体育館で鼓笛隊の演奏会があるようで、それは母と行 こうねと言っている。
昨日は、もぐちゃんの長靴を買いに行った。 この冬はすこぶる寒いが、この辺ではこれから雪の降りやすい時 期だから、小さくなった長靴では脚が冷たかろうと思う。 きっちりした長靴は暖かくない、というのはわたしの経験則だ。
筋肉痛といえば、わたしも40代は2日後くらいになっていたが、 なぜだか最近は当日に筋肉痛になったりする。 というより、筋肉痛になるほどの運動はしないので、少し長く歩 いたりしたときや、同じ姿勢を長くやっていたときなどに、筋肉 のこわばりを感じる程度なのである。 筋細胞を破壊するほどの運動をしていないということだ。 しかし、乳酸がたまる程度の運動はするということかな。
夫の場合、我孫子に住んでいた頃は片道30分の道のりを歩いて 通っていたので、かなりの運動量だったが、こちらに戻ってから 運動不足だと自覚しているのである。 3月に人間ドックを予約しているが、メタボ診断が一番の心配と いうところか。
今週末から少し寒さが弱まるらしい。 立春だからか。
昨日は、わたしの母方の親戚の新年会だった。 今回は冷たい雨だった。 毎年このくらいの時期にやるのだが、雪の降りやすい時期でもあ るらしく、何回か雪の中を出向いた覚えが有る。 小田急線の本戦と多摩線に乗り、小田急永山からバスに乗って、 聖蹟桜ヶ丘まで行くのである。 家を出てから約1時間半の道のり。 帰りは9時過ぎに開場を出るので、帰宅時間は11時頃である。
新年会のメンバーは姪の旦那さんや、従姉の長女の旦那さんが加 わり、男女半々くらいになっている。 もともと女系親族がベースなので、結束力は強い。 もぐちゃんと一番年が近いのが、今年成人式を迎えた従姉の次女 である。 2人でマリオカートを楽しんでいたが、そこにわたしの甥(今年 30歳になる)が、「やってみたかったんだよ。」と言って参戦 したが、もぐちゃんにゴール前で抜かれていた。 昨年の夏に結婚した従姉の長女は、ただいま妊娠中で7月に出産 予定である。 別れ際に、「おなかを大事にしてね。」ともぐちゃんが言うと、 「赤ちゃんが生まれたら遊んでね。」と返されて、しれっとした 感じでうんと答えるもぐちゃん。 しれっとしてるのはいつものことなので、そういう子なのよと少 しフォローする。
遠くの親戚の情報も得られる機会だが、今回は秋田の従弟の長男 の話が出た。 彼は自閉症なのだが生まれてからずっとおばあちゃんが育ててき てしまったので、母親が彼を好きではないという事実。 すぐにできた弟の方がずっとかわいがられていて、母親と2人の 時にはかなり邪険にされているらしいという話。 彼の祖父母(わたしの叔父叔母)が、自分たちが死ぬときは一緒 に連れて行こうかと言うときも有るという話。 それは違うと説得したという話、などなど。 初孫だからと、母親から奪うようにして孫を育ててきたことへの 代償は、一朝一夕には支払えない。 障害のある子どもをいつまでも守ってばかりいられないのだから、 他人の手を借りながら生きるということを少しずつ教えていかな ければならないのである。 それは障害が有ろうとなかろうと同じことで、社会の一員として 1人で生きているのではないということであり、助け合って生き ることの大切さを教えることだろう。 障害がある場合は、常に家族の助けを受けている状態から、まず は家族以外の人に助けてもらって何かをすることに慣れていくと いうことが必要なのだと思う。
実際、同じ支援級に通うお母さん達は、そうやって母親から離し て野外体験するイベントなどに参加させたりしている。 いつまでも家族が生きている訳ではないのだから、自分たちが死 んだ後に子どもがどうやって生きていくのかを今から考えてあげ なくてはと思っていますとの話だった。 深いのである。
今日はこれから、ぷらむ短歌会に出かける。
先週の金曜日は、東武博物館に行ってきた。 東向島の駅の隣、というより同じ敷地という感じだ。 運転シミュレーションが複数台有り、子ども達が並んで順番を待 っていたが、それも3、4人くらいでそれほど待ったりもしない ようだった。 しかし、階段が多いので、走り回ってあれこれ見て回りたがる子 どもに着いて歩くのは少々しんどかった。 後半は、休憩コーナーで座ってるから、1人で行ってきなさいと 言って送り出してしまった。 もう8歳になって、並んでいる子ども達とトラブルを起こすよう なこともあまり無くなったので、少しは離れていられるのだ。
帰る予定時間になったので、もぐちゃんの遊んでいる場所まで迎 えに行って帰宅。 行きは田園都市線から半蔵門線、東武線と乗り入れて、曳舟から 各駅停車に乗り換えていったが、帰りは反対方向の北千住の出て、 千代田線から小田急線に入って帰ってきた。 しかしながら、いつものようにすんなりとは帰れないもので、東 京メトロ千代田線の一番新しい車両(16000系だったかな?) に乗りたいからと、3本の電車を見送って新型車両に乗った。 たしかに、かっこいい。 内装の色使いも魅力的だった。 そんなこんなで夕方に帰宅。
昨日から3学期が始まったが、早速日直だったとかで、東武博物 館に行ったことを話したんだと、報告を受けた。 日曜からくしゃみ鼻水のもぐちゃんだが、熱とか出なければいい のだが。
今日は、半日で終わりなので、もぐちゃんの具合が大丈夫なら、 帰宅後に海老名のポポンテッタに行く予定。 お試し運転をやりたいのだそうだ。 父親と、ある約束をしていて、それが守れていないうちは海老名 はお預けと言われていて、やっと解禁なのである。 母は、もぐちゃんの運転体験中、ただ待っているだけなのだが。
今月のぷらむのお題は「食」。 どうすればいいのだろう。とほほ。
昨年末の水曜日にも遊んだが、昨日も水曜日ということで、同じ 支援級に在籍する1学年上の近所に住む男の子と公園で遊んだ。 夏休み中にも一緒に遊んだのだが、それ以来のこと。 昨年末、お互いの部屋が大掃除途中ということもあって、公園で 遊び道具を持ち寄って遊んだのだった。 それがなかなか良かったので、昨日も同様に外で遊ぶことに。 夫の結石の話をしていろんな病院話をしてみたり、箱根駅伝の話 をしてみたり、母親2人はベンチで話しながら子ども達の行動に 目を光らせている。
公園で話しながら、その公園はある幼稚園の園児受け渡し場所に なっているという話になり、あそこの幼稚園はサークルとかなん とかいうものがあって、そのグループで何かしたりという具合な のだそうで、あそこでなくてよかったわと話す2人。 2人とも群れることが苦手なのである。 ちょっとずつわかってくるお互いのこと。 まだまだ手探りだが、信頼できる相手だと確信している。
夫は、昨日、とりあえず診療している病院で検査をしてもらいに 行った。 3日からどうも痛くなくなったらしく、排尿回数も多くなった。 検査で、腎臓は腫れていないということがわかり、痛んでいない ならと痛み止めも出なかった。 もしまた痛んだら、粉砕とかができるような設備のある病院に行 くようにと言われ、患者としても診てもらえるのはこちらだけで したのでと正直に話したうえで検査をしてもらったのだった。 まだ微妙に血尿が出ているらしいが、それこそ石が出たからか出 そうだからなのか、そんな感じだろう。 今日から普通に出社していった。
わたしはというと、3日に夫がすき焼きが食べたいからと、材料 を買い込んできたので、不本意ながらすき焼きにしたためなのか、 今日は中1日なのに体重増加量が多くて、恐縮するばかりだった。 今日からは通常の食生活に戻る予定なので、土曜日にはきちんと ドライウェイトまで行けるようにしたいものだ。
明日はもぐちゃんと電車乗り。 今日から計画するのである。
我が家の2012年は、救急車で始まった。 日付が変わったころから、夫が激しい背中の痛みを訴え、ついに 救急車を呼ぶことに。
大晦日、わたしが透析している時間に、もぐちゃんとラーメンを 食べにいったときから背中が痛かったらしいが、一度おさまって から夜中にまた痛みだしたのである。 救急車を呼ぶ頃になって、わたしはどうやらこれは石だなと思い 始め、救急隊員の方も、運ばれた病院の担当医師も、一様に石で すねという言葉が出た模様。
模様、というのも、わたしは薄情にも同行しなかったのである。 なんといってももぐちゃんを夜中に起こして連れて行く訳にも行 かず、石かもと思っていたのでなんか有ったら連絡してねという ことで自宅待機していた。 一応着替えて、いつでも出かけられる用意をしたままで待機。 布団に入って暖をとりながらも、眠れないまま連絡を待ったので ある。 朝方(5時頃)に連絡が取れて、石だと言われたとのこと。 痛み止めの座薬と飲み薬をもらって帰宅した夫。
正月中、使い物になりません。(きっぱり) なにしろ、いつ痛みが来るかわからないからと出かけもしないし、 痛み止めを入れると寝てしまうし。 すっかり、食べて寝るだけの日々である。 しかしながら、大きな内臓疾患でなくて、まずは一安心だった。
こんな正月だが、どちらにせよ一応は喪中なので初詣も行かない。 お餅とおせち料理だけが順調に減っていく二日間である。
どうか今年も、穏やかな一年でありますように。
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