昨日、10年ぶりにノートパソコンを買い替えた。 夫と1台ずつ使っていたが、今度は1台を三人で使う。 昨夜、夫が設定とコピーをしてくれている間、おとなしく待って いる妻と子。 土曜日に「逆転検事」を買ってもらって、それをやり始めていた ので、おとなしく待っている間に事件の捜査を続ける妻と子。
で、今日は新しいパソコンでこの日記を書いているのだが、何と いっても、速い。 なにしろ10年ぶりなのでその性能の違いたるや、それはもうす さまじく、立上がりから感心しっぱなしである。 昨夜などは、もぐちゃんは某サイトのミニゲームがさくさく動く のでうれしくて仕方がないらしく、今日も帰ってきたらやるんだ と意気込んでいる様子。
内容を確認していたら、なんと短歌関係のファイルがすっぽりと 漏れていて、さきほどあわててコピーした。 やっぱり確認は必要である。
10年前は我孫子にいて、夫の会社の人から安価で譲り受けたの がわたしのマック君だった。 あれからずっと使い続け、誤って落っことしてモニターの接続部 分が少し曲がったりして、それでもがんばって動いてくれていた。 夫のマック君は、もぐちゃんと共用することになって、もうすぐ ハードが飛びそうだとハラハラしながら使っていた。 二人ともそんな心配もなくなって、きれいなモニターにスムーズ な動作環境、多少の使い勝手の違いは大目に見よう。 いやあ、楽しいなあ。
ちなみに、「逆転検事2」の発売直前に「逆転検事」をあわてて やっているわたしだが、2000円ならオッケーじゃないか。 久しぶりに「待った!」とか「異議あり!」とか叫んでいる。 いや叫ばせている。 もぐちゃんも事件の捜査をしたがって少々困るのだが、学校に行 っている間にどれくらい進めるのやら。
揺さぶって揺さぶってのち突きつける君の心の真実のため(市屋千鶴)
今週は、2回もセールスの電話が来た。 クレジット会社からの傷害保険の勧誘と、ニ●センからの美容液 の紹介の電話だった。 傷害保険は他のにもう入っていますからと断り、美容液はベビー ローションで間に合わせてますからと断る。
わたしだって、何かある時は化粧くらいするが、しっかりメイク はもう十何年もしていない。 ささっとファウンデーションを塗って、口紅を塗るくらいである。 それだって、マスク装着が基本の生活ではほとんど目立たない。
昨年の新型インフルエンザ対策から、ずっとマスク生活だ。 少し長い時間外出した時は、帰宅したら当然マスクは捨てる。 使い捨てマスクというのは、そういう使い方のためにある。 一箱開けたら、もう一箱買い足しておく。そんな生活。
マスクといえば、タイガーマスクか、MaskedRider。
よく、何々世代という言い方をするが、夫はガンダム世代である。 少し年下の友人達はベルばら世代だという。 それではわたしはと考えた。 自分の子ども時代に大きな影響を受けたテレビ番組は何だったの だろう。 好きだった番組は、女の子らしくないものばかりだった。
「タイガーマスク」、「バロム1」、「光速エスパー」、「仮面 ライダー」、「ウルトラマン」、NHKの少年ドラマシリーズ、 人形劇の里美八犬伝、プロレス、大河ドラマ、NHK教育テレビ の人形劇やおとぎの部屋、「マジンガーZ」。 中学生までに見たと記憶しているのは、これくらいである。 ちなみに「ベルばら」は高校生でコミックを読んでいた。 「勇者ライディーン」も高校生だった。 「バビル2世」は中学だったか、高校だったか。 横光さんのコミックを読みあさったのは高校生だったが。
こうしてみても、影響を受けたのはどれかというとよくわからな い。 わたしには、ガンダム世代のガンダムのようなはっきりとした代 表者がいない。 すべてのヒーローものがあてはまるのかもしれない。
大人になってからでさえヒーローものは欠かせないあたり、まだ 子どものままで影響を受けつづけているのかもしれない。
正体を知らせず人を守りつつ光の中のヒーローの影(市屋千鶴)
月曜日は、夫の人間ドックだった。 昨日、中間検査報告とかいう書類を見せてもらったが、昨年より も全体的に数値が下がっていて、正常値を越えているのは体重だ けという結果になっていた。 昨年胸に見られた浸潤影もほとんどなくなっていたようで、医師 から肺炎の痕だったようですねといわれたとか。 胆のうのポリープは相変わらず経過観察のみで、特に問題はない ようだし、眼圧も下がっていたし、良しとしよう。 我孫子に行く回数が減ったことが良かったんではないかと二人で 話した。 昨年は、夜中にラーメンとか食べていたので、それがないだけで も違うのだろう。
夫が我孫子まで行く日は、わたしが学校に送っていくが、自社や 近くの取引先直行の場合などは、夫が学校まで行ってくれる。 夏の入院後からそういう風にしてくれていて、かなり楽になった。 朝はちょっとつらいなという日も多いので助かる。
今週は、月曜日に我孫子で、火曜、水曜と自社だった。 今日はまた我孫子なのだが、我孫子に行きたくない病が出て、な かなか起きられない夫であった。 半年行ってくれと言われてもう2年である。 持ち家でもないのに、2時間半の通勤はさすがにね。 そりゃあ、行きたくなくもなるわな。
がんばっている父の姿を、ちゃんと子どもに伝えられる母であり たいものだ。 実際、自分の夫がどんな仕事をしているのか、ちゃんとわかって いる妻は多くはないのかもしれない。 子どもが家にいるお父さんしか知らないように、妻も家にいる夫 しか見えなくなっているとしたら、お父さん、ちょっと残念。 働いている人はかっこいいものなのに。 お父さんはかっこいいんだよと、子どもに自慢する母でありたい。
「いつだって夫に惚れております」と胸張る母を見せておきたし(市屋千鶴)
のろけてしまった。
昨日、発達障害と診断されたり、診断されていなくても子育てし にくいなと感じている親の会に初めて参加した。 うちの学区の隣の学区の方が代表だった。 他に中学生のお子さんのおかあさん。 他には、今年小学校に入学する子を持つお母さん達。 2時間、いっぱい話をして、終わってからも今年入学のお母さん 達とロビーで話し込んでしまった。
話しているとどんどんと、もぐちゃんが恵まれていることが実感 される。 本当に、住んでいる場所によって受ける教育が違うんだなあと。 それは支援学級の場合だけでなく、すべての子どもに共通するこ となのかもしれないが。
で、支援級の先生をしているからといって、発達障害のことを充 分理解しているとはかぎらないという話になった。 専門的に学んだと言っても、基本的に子どもが好きでないとやれ ない仕事である。 自分の子どもでさえ理解するのに時間がかかるというのに、仕事 だからと割り切って相手できるものではないと思うのだ。
発達障害のことはしっかり勉強していますから、よくわかってい ますという先生にかぎって、ひと括りに考えてしまいがちなのだ という話だった。 同じ発達障害という括りになっていても、本当に一人一人が異な る特性をもっているので、ひと括りに考えられては困るのだ。
一人一人がみんな違うことは、なにも発達障害だとかそうでない とかに関係なく、すべての人に言えることだが、発達障害の人は 苦手なことや得意なこと、好きなものや嫌いなものの振り幅が大 きくて、そのことに自分自身が手こずっているのだ。
今年入学するお子さんのお母さん達も、他の人の話を聞いて、同 じ診断名をもらっていても、本当にそれぞれ違うんだなと実感し たようだった。 感覚過敏も、それぞれに好き嫌いが違うこと。 他のお子さんの話を聞いて、そういうことだったのかと気が付い たりすることもある。
違っていたり、同じだったり、だからこそ親同士のおしゃべりは 大事なんだと思った。 うちだけなのかと不安になることは、普通級の親以上にあるのだ。 うちだけじゃないと思ったり、そこはこう違うんだなと思ったり、 子どものことを客観的に語り合うことができるというだけで、親 の気持ちの持ちようが変わる。
なにより、みんながんばってるなあと思えるのがうれしい。
「ぼくのことちゃんと見てる?」ときいた子に素直にごめんという親である(市屋千鶴)
さきほど、夫ともぐちゃんが出かけていった。 行き先は、秋葉原。 今週も秋葉原に行った二人。 どこに行きたいかという問いに、もぐちゃんは即答だった。
次回のぷらむ短歌会は3月6日。 今年も児童クラブの入会説明会と重なることになった。 またもや、忙しいお昼になることだろう。 で、3月のお題は「音」である。 「赤い」「白い」と来たから3月は「青い」でいくか。 「青い」と「音」を合わせて組み込めたらいいなあと思案中。
こうして、一人になった時間にパソコンに向かっている訳だが、 今年になってがっくりしたこと。 「スターゲイト」シリーズの「スターゲイト・アトランティス」 が終わってしまったこと。 本編とも言える、地球のSG1(スターゲイトチーム1)の活躍 を描いていた「スターゲイト」はシーズン10で終了し、別の銀 河(ペガサス銀河)でのアトランティスチームの活躍を描いてい た「スターゲイト・アトランティス」もシーズン5で終了となっ てしまった。(たぶん・・・)
スターゲイトシリーズは、もぐちゃんが一緒でも見られる番組の 一つだった。 わたしの好きな海外ドラマには、刑事ものが多く、殺人やレイプ など、子どもには見せられない内容のものも多い。 そんな中で、もぐちゃんにもスターゲイトは見せられるのだ。 架空の物語であることは、ゲイトや異星人などを見ていて、よく はわからないなりに、理解できるらしい。 要するに、アニメのような作り話の実写版であるという認識がで きるのである。 作り話であるとわかっていながら見て楽しむことができるという ことが大事なのである。 わくわくするし、ピンチはピンチで心配するし、主人公達が切り 抜けられた時には喜ぶし。 「スターゲイト・アトランティス」の最終話でも、ハラハラドキ ドキし、切り抜けた時に二人で喜んだ。 良かったねえと微笑み合ったが、これで終わりなのだと告げると、 もぐちゃんはとても寂しそうな顔をした。 再放送がまた始まるよというと、ほっとしたような顔をした。
何かが終わってしまうことはとても嫌なのだ。 終わること、もう会えないこと、もう見られないこと、そして、 もう乗れないこと。 だからなのか、ポケモンのゲームも、じわじわと味わうように進 めているもぐちゃんなのだった。
繰り返し繰り返しながら先へゆく日々の暮らしを味わうように(市屋千鶴)
昨年の11月は、学校給食にもキノコメニューが盛りだくさんで、 キノコがあるから食べないなどと言っていると、ほとんど食べず に学童に行くというような日もあったもぐちゃん。 給食によく使うキノコ類(しいたけやえのき)、かまぼこ(カニ かまとか)、豆類(きんとき豆は食べられるようになったらしい)、 エビやイカ、タケノコ、はるさめなどが駄目らしい。 どうやら、噛んだ時の感触が嫌みたいだ。 ピーナツクリームは好きなのに、ピーナッツそのものは食べない。 それと、納豆も、梅干しも、漬け物も、臭いから嫌だという。 しかし、牛乳は好きだし、ほうれん草・にんじん・ブロッコリー も大好きだし、豆腐や油揚げも大好きだし、家で野菜を食べなく て困るということもない。
困るのは、納豆や梅干しや漬け物なんかを親が食べている時に、 逃げ出したくなってしまうことかな。 父に言われて、なんとか同じテーブルについてはいるけれど。 ときどき、母は台所で納豆を食べていたりする。(笑)
音や匂いやいろんなものに敏感で、そのへんはわたしも同じよう な敏感さを持っているので、理解はできる。 ただ、わたしはもう大人なので、我慢できるというだけのことだ。 もぐちゃん、以前はパチンコ屋さんの前を避けて歩いていた。 避けられない時は、両耳を塞いで走り抜けていた。 今は、本人曰く、お兄ちゃんになったから少し我慢できる、よう になったらしい。 ちょっとずつ、我慢できることが増えてきたようだ。
「ぷらむ第三歌集」の相互評をしていて、短歌に対しても本能的 に好きだと思ってしまう歌があるなあと今さらながら思う。 逆に、有名な歌人の作品でいい作品だと言われてもいても、好き になれないものもある。 好みは、そうそう変えられない。
この年になって人間が丸くなってきていても、根本的に短気でケ ンカっぱやいのは変わらない。 ただ、それを抑える術をたくさん修得してきているだけだ。 変わらないものを、知恵で補っているだけだ。 わたしも発達障害の人達と、何も変わらないのだと思う。 みんな一つの個性だから。
我慢することが成長の証か したいこととかしないこととか(市屋千鶴)
2011年01月19日(水) |
抱負といっていいものか |
今年は、日記とともに子育て短歌というか家庭内短歌を書き込ん でいこうかと思っている。 11月、1月と、ぷらむ短歌会では「赤い」シリーズと「白い」 シリーズということで、心象短歌を作っていたので、ぷらむの方 は心象短歌でいってみようかと思い、生活詠はこちらでと思う。 最初の頃、毎日日記を更新して短歌も載せていたのを、久しぶり に読み返したのが刺激になったようだ。 が、その頻度はというと、一日置きというのが精一杯の感じで、 たぶん透析の日には更新しないし、土日は一人の時間がないので やはり更新しないかもしれない。 まっ、そんな感じで。
もぐちゃん、昨日は先生の作ってくれた予定表にハナマルをつけ てもらってきた。 ちゃんと時間を守れた印。 1時間目に国語、2時間目に算数の交流学習にいき、給食も交流 で一緒に食べたらしい。 交流に行くのは楽しいと言っていたそうで、先生もコメントに星 マークをつけるほどの喜びよう。 うれしいコメントには星マークがついてくるので、わかりやすい。 給食も、以前は食べられないものが入っているとその品物全部を 食べなかったのが、先生と母と何度も「食べられないものは食べ なくていいけど、食べられるものを選んで食べるんだよ。」と言 い聞かせ、今はいやなものを避けて食べたりするようにはなった。
食べることで考えれば難しいことではないのだけれど、嫌な要素 があると全体から目を背けたくなるのは、大人もおんなじかもし れない。 人間関係でもね。
わが子に対しては、そうであってはいけない。 自分達の子どもだからそれだけで好きだし、大事。 それが親になった時の気持ちのはず。 なのに、子どもが大きくなっていくにつれて、条件付きの愛情に なってしまうのはなぜなんだろう。
微笑んだ君の瞳に映るのは純粋な愛をもつ母ですか(市屋千鶴)
土曜日、わたしの方の親戚の新年会だった。 例年通り多摩市で行われたので、帰宅すると23時過ぎになって しまう。 それから寝る準備をして布団に入って眠りにつくのは、24時近 くになってしまう。
寝不足になるから、朝はゆっくり起きていいよと言ったのに、日 曜日は「ポケ●●スマッシュ」の時間に起きてしまうもぐちゃん。 ビデオに撮っとくから寝てていいよと言っても、起きてしまった。
寝不足の息子と夫を残して、日曜日は南大沢までぷらむ短歌会。 おとなしく家で留守番をしているのかと思ったら、短歌会後に連 絡すると、「今、秋葉原。」という返事。 「えええ〜〜〜っ?」と思うわたし。 17時半に秋葉原って、何時に帰ってくるのか・・・・ というわけで、ぷらむの新年会に1時間だけ参加してきた。
帰ったらまだ二人とも帰っていなくて、東林間のマックにいた。 そして、20時頃に帰宅。 それからなんだかんだいろいろやって、お風呂に入って、さらに 夫がやってる「ホワイト」を見せてもらっていたので、寝たのは 22時頃だった。
寝不足が二日続いているもぐちゃん。 今朝は眠そうだった。 学校に行っても眠かったらしく、3時間目の初め頃に保健室まで 逃走したようだ。 一度戻って、また保健室に逃げ込んだので、5分だけ寝かせても らったらしい。 たった5分でも、寝かせてもらったらすっきりしたということで、 その後の授業はちゃんと受けたようだ。 給食も、まあまあ食べたようである。
そんなこんなで、今日は学童に行かずにみんなの帰宅時間に迎え に行ったのだった。 14時40分で終わるが、昇降口までおりてくるには10分近く かかってしまう。 今学期の目標「時間を守ろう!」達成のために、先生が毎日時間 入りの予定表を作ってくれている。 はっきりとした目に見える目安があるとがんばりやすい子なので、 (ナイスだっ、先生!)と思いながら、毎日の報告を読む。
がんばれ、寝不足坊主よ。 今日は早く寝ようなっ!
君の夢はさみしがりやの母のため天井裏にストックされる(市屋千鶴)
今日届いた「嵐」のCDを聞きながら、2003年2月の日記を 読みふけってしまった。 自分で書いた日記なのに、面白かった。(笑) なんだか夫と二人きりの生活が面白可笑しく書いてあった。 とにかくわたしは夫が大好きなんだなと再確認した。 二人でやっていたゲームの話とか、アニメの話とか、テレビ番組 の話だとか。 まあ、楽しそうだった。 前半は14歳の思い出を綴った暗い話だったが、それ以外は千葉 県我孫子市の生活が楽しそうだった。 自分自身のことなのに、楽しそうというのも変な話だが、二人と も親になってみると、二人だけのまるで子どものような暮らしぶ りが懐かしく思える。
聞いている嵐のCDを注文したときに、間違って知らないグルー プのCDも注文したらしく、2つとも「嵐」のCDだと思って開 封したら、見たことも無いグループの写真がジャケットにあった。 こりゃあこまった。返品できないシステムなのに・・・・ ま、いっか、1枚くらい新発見のアーティストのCDがあっても。 きっと、もぐちゃんにばかにされるな。 7歳児に「ありゃまあ。」とか、言われてしまうのだ。(>_<)
もぐちゃん、今日は歯医者さんで定期検診である。 学童に迎えに行って、すぐに帰って来れるといいのだが、3学期 になって、帰る準備に時間がかかっている。 「やめる」ができない状態がまた戻ってきていて、なかなか遊び や本読みを止められず、帰る仕度に取りかかることができないで いる。 普通の子は、お迎えの家族が来るとものの5分とかからずに仕度 をして帰るが、もぐちゃんは10分以上かかる。 ひどい時は15分くらい待つこともある。 それは保育園の頃からそうだが、疲れている時は正直待つのはつ らいこともある。 イライラしてきて、母が迎えにきたのがうれしくないのかと思っ てしまったり、帰りたくないのかお前は、と思ったりする。 しかし、それは障害の症状の一つで、物事の切り替えがうまくで きないからのことなのだ。
決して母を大事に思っていない訳でもないし、帰りたくない訳で もない。 ただ、今やっていることをやめることができないのだ。 タイマーを持たせようかしら。(笑) もっと大人になったら、自分で切り替えがうまくできるような工 夫をするようになるだろう。 というか、そういう工夫ができるように指導していくんだろう。
発達障害を治すのではなく、自分の特徴にあわせて工夫しながら 社会に対応できるように指導していくのだ。 ようは、社会生活にそれなりに対応できれば良いわけだから、た とえば相手の感情を推し量るのが難しくても、こういうときはこ うするものだと学べば良い。 普通は相手を思いやって自然にできることが、感情を推し量るこ とが困難でできないのならば、学んで行うことでカバーする。 もぐちゃんの場合、たいていのことは普通に行えるが、まだまだ 相手の気持ちを推し量ることは難しいようだ。 唐突な行動も、相手を遮る行動も、ちょっとした刺激への過剰な 反応も、みんなわざとじゃないということを、親も周りも理解で きるようになるには、少しだけ時間が必要だ。
まあ、普通の人だって、人の気持ちが分からない人はそこら中に いそうなもんだが。
この声が君の耳まで届いたら振り向くことは知っているから(市屋千鶴)
いつからこの日記を始めたんだっけ?と、古いテキストをちら読 みしてみた。 う〜ん、むかしはいろいろなことをちゃんと考えてたなあと感心。 なんといっても夫婦二人だけだったし、病気の方も進んでいなか ったし、考える時間がいっぱいあったんだなと思った。 今は、週に3回の透析で4時間ずつ自由に考える時間があるとい うのに、寝てるかテレビを見ているかという有り様で、短歌すら たまに考える程度である。
目の前に何も無い状態で何かを考えるということが苦手なわたし は、パソコンの前だとよく文章が浮かぶし、短歌もできやすい。 思い付いた時にすぐに記録できることが大事。 しかし、それはメモ帳ではだめらしい。 手で書くよりも入力する方が速いので、書いているとじれったく なるし、なにより字が下手で、書かないから余計に下手なままと いう悪循環。 子どもへの手前、そんなことではいけないのだが、書くのは苦手 である。
過去を振り返っていろいろ考え、それを文章にするということは、 その事自体に回復効果があって、書くことによって過去から解放 されていくような気がする。 文章にすることができるということは、もうその事柄に捕われ続 けなくてもよくなってきているということ。 まだまだ意識がその事象に捕われている間は、文章にするだけの 客観性を持つことができない。 文章にすることは、つらいことでもあるが、大事なことである。
わたしの場合は混沌とした思考を論理的な文章にしようとする行 為によって、混沌の中に道筋ができ、混沌との間に距離を持つこ とができた。 第三者の目を持つことが必要だったのだろう。 別れた父親への漠然とした不満や拒否といったものが、実はどう いう感情だったのか、何が許せなかったのかということを見つめ 直すために必要だった。 何が許せなかったのかがわかったとき、では許せることは何なの かが見えてきた。 許せることが見えてきた時、楽になった。
生きていくのに、心が楽な方がいいに決まっている。 体はしんどくても、心がしんどくなければなんとかなるものだ。 今は、体より心のしんどい人のほうが多いのではないだろうか。
もう松もとれた10日になってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。 ゆるゆるとした更新のこの日記を読んでくださっている方々、 いつもありがとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
もぐちゃんは今日まで冬休み。 やはり、デュエルの方が面白いと言って、父と子はデュエル○○ のストラクチャーデッキを昨年末に購入してしまった。 何だかなあ・・・・(笑) 「おかあさんもやる?」って訊かれるが、「おかあさんは老眼で 小さい字がよく見えないからやらない。」と断りつづけている。 「虫眼鏡を使えば?」とか、「僕が読んであげるよ。」とか言わ れもするが、丁重にお断りするのだ。 わたしまではまってどうするんだ、という気持ちである。 とはいえ、父と子がきゃあきゃあと楽しそうにデュエルしている 様子は、母としてはうれしいものがある。
おまけに、息子がポケモンのブラックをやっているかと思えば、 夫はポケモンのホワイトを買ってきて始めてしまったりなんかし て、父と子できゃあきゃあ遊ぶのはこの先もしばらく続いていく 様子で、こうなると母はうれしいを通り越してちょっとうるさい かなあ。(苦笑)
以前は、父と子ででかける時はよく怒られていたようなのだが、 最近は怒らなくて良くなったと夫はうれしそうに言う。 逆に母としては、息子の速さについていけなくなって、「待ちな さい」とか「こっち来なさい」とか言うことが増えた気がする。 夫はよく子どもを見失う。 背が高いので後ろに回られると、見えなくなるのだとか。 何回か、もぐちゃんを見失った振りをしてきょろきょろしながら 名前を呼ぶ、ということを繰り返していたら、きょろきょろする だけで目の前に戻ってきてくれるようになったと言っている。 父もいろいろと工夫をしているのだなと感心する。
好奇心に負けてうろうろするのは、出かけている時は仕方が無い ことだと思っている。 ただ、事故にあったりせずに、ちゃんと戻ってきてくれればいい。
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