鶴は千年、生活下手

2004年09月30日(木) どこに行っても

昨日書きたかったことは、やっぱり思い出せない。
もう、記憶していられなくなったのか・・・・(しくしく)

今日は午後から「こどもセンター」に行ってきた。
ちょうど小学生が帰る時間で、児童クラブの子供達が大勢居た。
男の子はコマ回しをやっていて、それはもうにぎやかだった。
1時間は居られなくて、40分くらいで帰ってきた。
帰り道も、どこも小学生でいっぱいだった。
一旦帰宅して、また買い物に出かけると、途中の公園も小学生
でいっぱいだった。
このところ雨の日が多かったから、みんな外で遊びたいのだな
と思った。

自分がそのくらいの年だったころを、つい比較してしまう。
もっとも、わたしの生まれ故郷は、交通量も断然少なかったし、
耕耘機やトラクターがゆっくりと走っていたりはしたが、道路
で遊ぶことも多かった。
道路にチョークで丸や四角を書いて、石蹴りをしたりした。
向かいのお寺の境内も遊び場だった。
それに、小学校でもよく遊んだ。
特に、雪の校庭はいい遊び場だった。

どこに行っても、お天気の日の子供は元気だ。

明日は通院日。

 ハイトーンの声がする方ばかり見る子供の声は子供を招く(市屋千鶴)



2004年09月29日(水) またかぁ

またかぁと思ってしまうよ、台風。
今年は上陸する台風が例年より早くから来ているし、数も多いし。

テレビで「陰陽師2」を見ながら日記を書いている。
どちらにも身が入らない。
困った。

やっぱり、テレビを見終わってからにした。(笑)
しかし、書こうと思っていたことをことごとく忘れている。(涙)

う〜〜〜ん、だめだぁ。
また、明日。



2004年09月28日(火) 新しい眼鏡とこどもセンター

午後、もぐちゃんと散歩ついでに新しい眼鏡を受け取りに行った。
少し耳のところを調整してもらって、まだ古い方の眼鏡をかけて
店を出た。
というのも、新しい眼鏡は細めで、ブランドオリジナルのケース
もまた細めにできていたのだ。
今の眼鏡はそれに納まらないのだった。
今の眼鏡よりも、すこ〜しだけシャープな感じになってうれしい。
なんだか、出かける時だけ掛け換えることになりそうな予感。(笑)

その後、まだ一度も行ったことの無い「こどもセンター」まで行
ってみようと思い立って、行ってみた。
自宅からだと、15分ちょっとは歩く距離か。
「こどもセンター」では、まだ小学生が遊びにくる時間の前だっ
たこともあり、ボールで遊ぶ女の子とお母さん、本を読む男の子
と女の子とお母さんの2組しかいなかった。
もぐちゃんの名前を書いて、名札を作った。

もぐちゃんは、しきりと天井を見上げていた。
天井はネット状になっていて、そのネットのそのまた上で大きな
ハネが回っていた。
子供はなぜか天井を必ず見るのだそうだ。
きっと、母親や大人を見る時に、見上げることが多いから、見上
げることが自然なんだろうな。

小学生が来る時間でも、「幼児室」には小学生は入れないことに
なているとかで、そこで遊んでいられるということだった。
もぐちゃんは、幼児室でハイハイして、ちょっとわくわくしてい
たらしい。
こんどは、ちゃんと替えのおむつも持って遊びに行こうと思った。

その後、ちょっと買い物をして帰宅。
帰る途中から、やっぱり眠り始めたもぐちゃんは、まだ寝ている。

 初めての感触の床に手をつけば幼子の目は輝きを増す(市屋千鶴)

結句がちょっと、だなぁ。(しゅん)



2004年09月27日(月) 前向きに

自分はただの人だと実感したというのは、決して後向きな考えな
のではなく、身の程を知ってその上で楽しむためのものだと思っ
ている。
負け惜しみとかではない。
どうせなれないから、自分の方から拒絶してしまえというもので
もない。

自分の能力はよく分かっているつもりだ。
それに、好きなものでさえ特別に勉強するのはあんまり好きでは
ないし、勉強も長続きしない性格なのもよくわかっている。
だから、わたしは歌人にはなれないと思っている。
物書きにもなれない。
まず、読書量が全然足りないのだから、話にならないのである。

というわけで、わたしは短歌が好きで趣味で短歌の会に入ってい
る、もうすぐ45歳になる新米かあちゃんなのである。
45歳で新米かあちゃんというだけでも、そこそこインパクトは
あるかなぁ。(笑)

子供を産むまで、短歌で子供を読むのはずるいと思っていた。
子供の歌には誰でも惹かれてしまうものだから、その題材を実感
を持って使うことができるというだけで、有利だとか思っていた。
しかし、いざ自分が子供を持って、子供を題材にして短歌を作ろ
うとしたときに、何も考えずに作っていたのでは、そこかしこで
見かける歌と代わり映えがしないし、そのなかで自分らしさを出
すことの難しさに気が付いた。
子供は一人一人違うというのに、それを短歌にしようとすると、
どうしても似たような場面を切り取ってしまいがちなのだろう。
それが共感を呼ぶ点でもあり、新鮮みの無い甘いだけの歌になっ
てしまう点でもあるのかもしれない。

ぷらむ短歌会で子供の歌を発表する時には、なるべく感情を文字
にしないで、情景だけを詠むようにしようと思って作る。
まあ、なかなかうまくはいかないのだけれど。
それでも、母性本能が万能ではないことや、夫婦と家族の違いへ
の戸惑いや、子供を愛おしく思うのと同じくらいに憎たらしく感
じるときがあることや、一つの体でいたものがやはり二つの命で
あることを思い知らされることなどを、自分の感覚で短歌に出来
たらいいなと思う。

そして、わたしには子供への愛情と同様に夫への想いも有って、
そうしたものも詠んでいきたいと思っているし、故郷への想いや
生き方のことも短歌にしていきたかったりするのだ。

努力家でもないのに欲張りなのが、欠点である。

 見晴るかす稲穂の海は波打って刈られる日まで空にこがれる(市屋千鶴)



2004年09月26日(日) あらためて感想と自分自身の変化

昨日の日記で、名前の漢字を間違えてしまいました。
(前にその名前をだしたときも、です。)
「紺乃卓海」さんを、「紺野卓海」と入力してしまったのでした。
訂正してお詫びいたします。

さて、昨日、朗読はわたしにとって感情の過剰摂取になるようだ
と書いた。
第1部は、前半後半で会わせて15人が朗読をした。
今日になって思い返してみると、それほど情感たっぷりの人はい
たっけかという思いがしている。
不思議なことに、一晩経ってしまうと、その場で感じたいっぱい
いっぱいな感じはなかなか思い出せなくなっている。
いったい誰の朗読でいっぱいいっぱいだと感じだのだったろうか。
会場では、思わず目を閉じて耳だけを活かして聞いたりすること
もあったのに。

真っ暗な会場、ステージの照明とBGM、マイクを通した声。
それらの小道具が、実際に耳の届いたものに、善かれ悪しかれ、
なにがしかの効果を付け加えているということなのだろうか。
そして、その後に登場する人達の朗読に対する期待にも、それは
影響しているようだった。

なんにせよ、自分にこの場はもう似つかわしくないとは思った。
演劇なら演劇、コンサートならコンサート。
朗読なら、単純な朗読。
それが今のわたしには似つかわしいのだと思った。

一昨年は、なんだかうきうきしていて、初めて歌人という人達を
生で見たことに感激して、舞い上がって、二次会にまで行ったと
いうのに。
まあ、二次会の会場で、もしかしたらわたしには似つかわしくな
い所ではないかという感触を、もう味わっていはいたのだが。
自分自身も身軽で、家で待っているのは夫一人だったし、この先
もいろいろな場所に出かけて行けると思ってもいた。
そして、だんだんと自分もその世界にはいりこんでいけたらいい
なとも思っていたかもしれない。

どこまでいっても、いつまでたっても、わたしは歌人でもなく、
パフォーマーでもなく、物書きでもない。
わたしは、超高齢出産して腎臓に病気を持っているというだけの
ただの人なのだなぁと、すこぶる実感した日だった。
それは、何の未練も無く会場を後にし、夫に帰るという電話をし
ているときに、ほっとして気が軽くなったことからも明白だ。

 フィルターを通して人を見るように現実味の無い世界を逃げる(市屋千鶴)



2004年09月25日(土) 途中退場

新宿に着いて時計をみたら、もう14時20分だった。
会場までは、新宿駅から徒歩13分とある。
大江戸線に乗ろうか、都営新宿線に乗ろうかと数分間考えたが、
乗り換えに歩く時間を考えたら、都営新宿線のC7出口まで歩い
た方が早い気がした。
地上を歩くよりも、地下道を歩いた方が涼しいし。
しかし、根っからの短気のためか、歩く速さはなぜか最速だった。
銀行員をしていた頃の速さだった。

ああ、久しぶりに新宿の人込みをすり抜けるように歩く快感。
これが渋谷とかではそうはいかないのだ。
新宿だからできるのだ、わたしは。
新宿は歩きやすいと勝手に思っている。
本当は慣れているだけ。

C7出口から地上に出ると、やはり蒸し暑かった。
そこからもさらに6分ほど歩いたので、会場に着いた時にはもう
汗だくだった。
電車の中などの冷房の効いている場所ではちょうど良かった服も、
街の中をずんずんと歩くには少し厚着だったということか。

開演、15時。
最初の挨拶で、「マラソン・リーディングは実はマラソン・ヒヤ
リングでして、これから5時間〜〜略〜」という言葉を聞いた時、
これは最後までは入られないなと思った。
4時間くらいかと思っていた。
それなら、もぐちゃんが眠る前に帰宅することができると。
終了予定が20時では、それから帰宅したら22時近くになって
しまう。
どこで切り上げるか、それが問題だった。
第1部を終わった時点で、16時40分。
第2部に入ると、どこで切り上げたらいいのかわからなくなって
しまいそうで、いっそのことこれで返ってしまおうと思った。
本当は、最後まで聞きたいのだけれど。

とりあえず、もう一つの目的、東先生の『愛を想う』のサイン本
を直接受け取ることは達成したので良しとする。
第1部で帰ってしまうことを東先生と紺野卓海さんに伝えて挨拶
し、会場を後にした。
驚くほどあっさりと。

来年からは、もう行かないことにしようと思った。
切り上げた後に朗読されるであろう人の声や作品に、思いを残し
たくないから。

それに、わたしは、この手の朗読は感情の過剰摂取になってしま
うようになったらしい。
一昨年、最初に聞きに行った時は平気だった、どころか面白いと
思って聞けたものが、今回はそうではなくなっていた。
たとえば、文字で見てさえ感情のたくさんこもった恋の歌を、声
に感情を思いっきり込めて語られると、もういっぱいいっぱいな
感じになってしまう。
受け取る側のわたしがいっぱいいっぱいになのだろう。
余裕が無いというか。
感情のこもった歌を、さらりと朗読された方が心地よく思えた。

と、
途中までしか聞いていないわりには、言いたいことを言ってしま
うのだった。

 声にして言いたいことは何ですか?自分の胸にきいてみる午後(市屋千鶴)



2004年09月24日(金) 眼鏡新調のこと、明日は行けそう

昨日、もぐちゃんを夫にまかせて眼鏡を買いに行った。
まかせてといっても、小一時間のことなのだが。

駅までの途中にある眼鏡屋さんにて。
まずは、眼鏡でどれくらいまで視力が出るのかが心配だと告げ、
今の眼鏡で視力検査をしてみた。
おどろいたことに、0.8まで見えたのだった。
作った2年半前、この眼鏡では0.7まで見えていなかったはず。
なぜだろうと思いながら、新しい眼鏡のための調整をした。
今の眼鏡は、近視のみを矯正して度数をだしていた、乱視の矯正
はしていない。
案の定、乱視の矯正まですると、眉間にいや〜な感じがしてくる。
うんと甘いものをたらふく食べた後に、甘いものの匂いを嗅いだ
時のような眉間の感じだ。
いろいろとやってみた結果、今の眼鏡と同じ度数で行くことにな
ったのだった。

う〜ん、そろそろ老眼の心配をしなくてはならない年齢に差し掛
かり、どうやら近視の方が少し弱くなってきたらしい。
それに、わたしは遠くを右目で、近くを左目で見ているというこ
とがわかった。
今の眼鏡がその状態に対応するように調整されていたのだった。
店長さんにいろいろと教えてもらった。
次に眼鏡を作り替えなくてはならないのは、近くが見えにくくな
ったとき、つまり老眼がもっと強くなったらということらしい。

フレームは、軽くてしなやかでかけ心地がいいものを選んだ。
今のは金ぶちだけど、今度は水色がかった銀色にした。
金のフレームも薦められて、試しにかけてはみた。
かけ心地はいいのだけれど、とにかく光りすぎ。(笑)
出来上がるのは、1週間以内。
コンタクトも必要かと思っていたが、眼鏡で充分やって行けるよ
うだ。
同じ度数なのに眼鏡を買い換えるのは、今の眼鏡のフレームの耳
のところ付近がさびてきたからである。
今度買うフレームの三分の一くらいの値段だったし、もぐちゃん
をお風呂に入れる時に、眼鏡をかけたままで入るからだろう。

新しい眼鏡は、入浴に使ったりはせずに大切に使おう。
もぐちゃんとのお風呂タイムには、今の眼鏡をかけることにして。

明日は、「マラソン・リーディング」。
夫が休めるかどうかは、夜までにはわかる予定だが。

 本人の顔より目立つ黄金のフレームなんかに絶対しない(市屋千鶴)

追記
 夫は明日、休むと言っているので、「マラソン・リーディング」、
 行けそうです。
 会えるかもしれない方々、楽しみにしています。



2004年09月22日(水) 昨夜の出来事、子育てサロン

昨夜、帰宅した夫がシャワーを浴びてたばこを吸いに行くまえに
もぐちゃんの寝顔をのぞいていたころのこと。

玄関に背を向けて座っていたわたしは、「ズザザ、ズシン」とい
う音に振り向いた。
表で何かずっしりとした重みのものが倒れたような音だった。
しかし、その「ズシン」の前の「ズザザ」は何だろうか。
そのすぐ後くらいに、表の道路で車のドアの音がした。
2階の人が、慌てて出ようとしてこけたんだろうかとも思ったの
だが、「ズシン」という音は、確実にお尻に響いたのだった。

少しして夫がそーっと玄関を開けると、ガサガサという音と共に
おまわりさん登場。
夫は玄関前で、このアパートの人かと質問されていた。
わたしも顔を出して、体感した音の話をした。
ひとしきり、おまわりさんと話をした後で、夫は表にたばこを吸
いに行った。
そこでは、おまわりさんだけでなく、刑事さんもいたらしい。
「ホタル族?」「ええ、雨の日も風の日も。」
「子供さん、いるんだ。」「はい。」
とまあ、こんな会話をしているのが、雨戸越しにわたしにも聞こ
えた。
どうやら、この春に引っ越してきた2階のお姉さんのところに、
不審な男がやってきたらしい。
わたしの体感した音は、2階の廊下から下に飛び下りた音だった
のだろうか。

今朝になって、やはり表でたばこを吸っていた夫が、当事者であ
るところの2階のお姉さんと話をしていた。
夫によると、お姉さんが昨夜帰宅しようとすると、階段を上って
くる男性がいて、それはアパートの住人ではないようだったので
すぐ近くのコンビニに一時避難したそうだ。
そして頃合いをみて帰宅すると、ノックがして警察だと名乗った
のだそうだ。
警察に電話すると、応対しては行けませんといわれ、直後、警察
がやってきたということらしい。

すると、やはりわたしが聞いたのは、その男が2階の廊下から飛
び下りて逃げようとした音だったのだろうかと思った。

このアパートは、この春までは全部所帯持ちだったが、越してき
たお姉さんだけが一人暮らしだ。
その上、階段を上がってすぐである。
どうも物騒な話である。

さて、午前中の子育てサロン。
今回は、赤ちゃんが多くてうれしかった。
もぐちゃんと同じくらいの、ハイハイ&つかまり立ちの子達や、
まだ寝ているだけの赤ちゃんまで、見ているとうれしい。
4、5か月の赤ちゃんのなんとかわいらしいことか。
10か月の子のお母さんと共に、寝てるだけの頃が懐かしいわね
と笑ってしまうのだった。

母親は、子供といるだけでは駄目なのだ、きっと。
話す相手が夫だけでも駄目なのだ、きっと。
他人と話をしなければ駄目なのだと思う。
そして、ほんの少しでいいから自分の子供のことを褒めたりされ
ることが必要なのだと思う。
毎日の同じような生活のなかで見つけた我が子の成長の証しなど
を、他者にも話したり見せたりすることでかなりの達成感が得ら
れ、それがまた次からの毎日に張り合いを持たせてくれるのだと
思う。

そういえば、だいき君母子と会えなくなってからもう1か月以上
になるのだ。
今日はりょう君母子と久しぶりに会うことが出来てうれしかった。
来月の子育てサロンも行こうと思うのだった。

 「ホタル族=子持ち」なのだとは刑事でなくても推理可能で(市屋千鶴)



2004年09月21日(火) 9か月、落ち込む

今日で、もぐちゃん9か月。
ちょっとしたところで、つかまり立ちしてしまうので、目が離せ
なくなってきた。
ついには、椅子の上で立ち上がったりするようにもなった。
もちろん、何か取りたいものがある時に限るようだが。
さすがに、歩行器で立ち上がったりはしないのだが、何かを取ろ
うと夢中になると、身を乗り出すようになったのは、ベビーカー
でも歩行器でも同じだ。
歩くようになったら、いったいどうなるのやら。
気の短いわたしに、耐えられるだろうか。
今でさえ、たまにカッとなるのに。

カッとなると、いじわるしたくなる。
大嫌いな鼻くそほじほじをしてやりたくなる。
鼻くそほじほじは、全身で嫌がり、汗だくになるほどなのだ。
汗だくになると、その後始末が大変なのでやらないが・・・・

この3連休、夫は土日休んで、昨日が出勤だった。
わたしは、土日はまあまあだったが、昨日からどうもイライラし
てばかりだ。
どうやら、日曜日の夕食の出来が良くなくて、自分自身としても
土日の達成感が無かったからだろうか。
もともと家事が不得手なわたしにとって、家事での達成感は大事
なことなのだろう。
それが得られないと、どんどんと自分自身をだめだと決めつけて
いってしまい、こんな母親でもぐちゃんはかわいそうだと思うと
ころまでいってしまう。

その上、カッとなったりしていじわるしたくなったあとは、特に
反動がすごくて、もぐちゃんを相手に泣いてしまったりする。
叩きたくなってしまった時、部屋の襖を閉めて一人ぼっちにして
しまいたくなった時、いったい誰に気持ちを吐き出せばいいのだ
ろうか。
もぐちゃんを抱き寄せて、一人で泣いて吐き出すしかないのだろ
うか。
3日間で、もぐちゃんは睡眠時間が足りていないような気がして、
ひたすら寝かせようと焦っていたのかもしれない。

大人と同じものを食べられるようになるまであと一踏ん張りだと
書いた途端、何もかも自信がなくなっていくのはどうしてなのか。
家事も満足にできない女が子供を育てるのは、けっこう辛いもの
だなぁと実感している。
一緒に遊ぶのだったら、得意なんだがなぁ。

明日は、午前中、子育てサロンに参加する予定。



2004年09月17日(金) 連休前、赤い印

夫は、本日半休にした。
気持ちが悪いと言って、起きられなかったのだ。
夏休み明けの今週は、月曜日は比較的早かったが、あとはいつも
と同じ午前様の毎日だった。
寝不足なのだが、昨日帰宅してからの食事でおかわりまでしたの
がいけないと思う。
本人もそう思っていた。

三連休は、1日は出勤しないといけないかもなと言っていたが、
これで明日は出勤確実だろうなと、出かける夫と話し合った。
果たして、どうなることやら。

就学前の子供のいる専業主婦の家では、連休だとかどうだとかい
うことは基本的な生活には影響が無くて、会社勤めの人間が家に
いるかどうかの違いだけなのだと最近思うようになった。
子供は毎日同じ時間に起きるし、同じ時間に食べて飲んで風呂に
入れて生活しているし。
出産したばかりの頃にひよ○クラブを買ったら、付録に育児ダイ
アリーというものがついてきて、わたしは毎日それにもぐちゃん
のことを書き込んでいる。
ミルク(何ml)、湯冷ましや麦茶(何ml)、散歩、おでかけ、
離乳食(メニュー)、うんち(固さや量の目安)、ねんね、風呂
やシャワー、などなど。
特に、うんちには下に波線をつけたり、離乳食には下に赤線で、
お風呂やシャワーは赤丸で囲んでいる。
それらを見ると、夫がいる日は本当にリズムがずれるんだなあと
実感できる。
先週は、赤い印が同じ位置に並んでいなかった。
今週は、見事なくらいほぼ同じライン上に赤い印が並んでいる。
2回食のリズムにすっかり慣れてきたということか。

もう少ししたら3回食になるが、そうなるとまたしばらくは赤い
印が上下することになるのかもしれない。
大人と同じようなメニューが食べられるようになるまでは、もう
あとひとふんばり。

もぐちゃんが寝てから姉に電話した。
来月の旅行の話を少し。
これまでまったく医者にかかっていないもぐちゃんだが、旅行の
ときも元気でいてほしいとみんなが願っている。
(元気すぎて、かかりつけの小児科を決めかけている。)
まだ、わたしのいとこ達は、実物のもぐちゃんを見ていないので、
みんなすごく楽しみにしてくれているのだ。
わたしも、みんなに見せるのが楽しみである。

 一年の四分の一を過ぎた頃あと一息と自分を励ます(市屋千鶴)



2004年09月16日(木) 3か月ぶりのいがぐり君

もぐちゃん、3か月ぶりにいがぐり坊主君になった。
やっぱりよく似合うと思う。
そして、そうすると本当に夫に良く似ていると思う。
一応、記念に写真を撮った。
デジカメを構えると、あっというまに接近してくるので、電源を
入れるのは、後ろ手でこっそりと。
手をもって立ったところを撮ろうとして、もぐちゃんがひっくり
返ってしまった。
脳みそ、揺れてなければいいのだが。(汗)

叔母の家に遊びに行った9月8日に、叔母の家の座卓に手をつい
てヒョイと立ってしまったので、つかまり立ちの最初はそれか。

今日は、部屋の隅の段ボール2段重ねに手をかけて立ち上がった。
それから、まだ開封していないおむつの袋を横にして襖に立てか
けたものにつかまって立ち上がった。
立ったはいいが、そこからどうしていいのかわからずに、わたし
に助けを求めるのだった。
そんなふうに、立ち上がりそうなセッティングをしている場所で、
わたしはもぐちゃんの後ろをひたすら見守っていたりする夕刻。

夫は、お風呂の時も立ったままで洗ったらしいが、わたしはまだ
抱っこして洗いたい。
とくに、いがぐり坊主君の頭は、当人の顔を見ながらごしごしと
洗ってやりたいのだ。

午前中に床屋さんにいって、散歩がてら買い物し、帰宅する頃に
は、やっぱり寝てしまったもぐちゃん。
帰宅してもねむねむで、その後30分ちょっと寝ていた。
昼寝は、15時過ぎから16時までの1時間足らずだったから、
21時前には寝てしまった。

明日は蓄尿の日。
最近、わたしがトイレに入ると、うれしそうに歩行器で寄ってく
るので、ドアを開けたまま小用を足してしまったりするのだが、
蓄尿している姿はいかがなものか。(笑)

 ぐりぐりと頭を撫でる母の手は冬に向かってかさついていく(市屋千鶴)



2004年09月15日(水) 元敬老の日

敬老の日とか、体育の日とか、成人の日とか、どうしても日付け
を固定して覚えてしまっているものだ。
それなりの理由が有ってその日と定められていた祝日を、三連休
のために移動してしまうのは、やっぱりまだなじめない。
三連休になるのはうれしいことではあるのだが。

今日は敬老の日だった日。
わたしの祖父母は、父方も母方ももういない。
夫の方はいるけれど、手紙のやりとりが、年賀状だけから端午の
節句もという年2回にやっと増えた程度だ。

叔母達も、敬老の日に何か送られてうれしい年ではないと思う。
いや、そうだとは思いたくないだけなのか。
孫がいたら、敬老の日にプレゼントをもらうのだろうか。
そうすると、50代でもらう人もいるわけか。
なんだか腑に落ちない。
がしかし、何歳からと決めるものでもないのだから、やっぱり孫
とかが決め手なのか。

などと、とりとめの無いことを考えてしまった、元敬老の日。
それもこれも、最近届く様々なショップからのメールには、敬老
の日のプレゼントにといううたい文句があるから。

さてと、明日はもぐちゃんを床屋さんに連れていこう。
またいがぐり坊主君にしてもらうのだ。

 お返しはずっと元気でいることと送りたき人この世にあらず(市屋千鶴)



2004年09月14日(火) 母と子の暮らしに

昨日から、9日ぶりに母と子の暮らしに戻った。
うんちのおむつ替えも、離乳食を食べさせるのも、お風呂に入れ
るのも、母だけが相手になる日々。
夫が、休み中に台所を広くしてくれた(物を片付けてくれた)の
で、歩行器で動き回るのも広々として楽しそうである。

昨日の午後に郵便局に行った。
今日は午前中に買い物がてら散歩に行った。
まだまだ暑い。

もぐちゃんは、寝る時はまだバスタオルをかけただけの格好。
少し大きめのバスタオルを、寝返りする度にぐるぐると巻き付け
るようにして寝ている。
昼寝の時も同様で、あっちへごろんとしては半分巻き、反対向き
にごろんとしては残りの半分を巻くといった状態。
上手い具合に巻き付いていて、寝冷えの心配は全くないほど。
夫がいつも感心している。

今朝、夫の見送りに前の道路まで出ると、隣の奥さんが洗濯物を
干していた。
ひとしきり話をして、もぐちゃんの叫び声がうるさくはないかと
か、隣の赤ちゃんとお姉ちゃんと二人の泣き声はうるさくないか
とか、訊ね合ったのだった。

まだ小さい赤ちゃんは、呼吸が速いので、泣き声も短く繰り返す。
お姉ちゃんの方は、もっと息が続くようになっているので、一声
が長いのだった。
泣き声で、上の子なのか下の子なのか区別が付くなんて、思って
もみなかった。

産んでみなければ、育ててみなければわからないことだらけだな。

 レジ袋振り回すだけで笑い出す君の笑いのツボはなんだろ(市屋千鶴)



2004年09月12日(日) ぷらむの日

先月と同じ8人のぷらむの日。
お題は「円」。

 円陣を組む若者よ明日から日常に戻る覚悟はいいか(市屋千鶴)
 念を込めた視線は君を素通りし円を描いて自分を焦す(市屋千鶴)
 忘れてた母性を引っ張り出した朝 あめのちくもり家庭円満(市屋千鶴)

一首目。
夏の甲子園。東北高校が負けた日に作った歌。
夏の夢、青春の夢から覚めた後には、高校生という日常が待って
いるのだなぁと、漠然と思ったのだった。

二首目。
説明など無用の歌だと思っている。
念を込めれば込めるほど、君は知らんぷりをし、わたしの視線は
君を素通りしてしまうのだ。
そして、念を込めれば込めるほど、その反動は自分を焦す。

三首目。
「朝」と「あめのちくもり」という時間の流れの違いを指摘され
たのだが、下の句はおまじないのような感じにしたかったのだと
説明した。
やはり、かぎかっこをつければ良かったのだなぁ。
 忘れてた母性を引っ張り出した朝「あめのちくもり家庭円満」(市屋千鶴)

今回のお気に入りの歌。
 ふらここの揺れてるような風蓮湖名を知るのみの湖(うみ)に風立つ(布施直生)

 青りんご青きがゆえに風の子の又三郎がさわさわゆする(布施直生)

 ひどく暗い夏の踊り場見上げれば眩しい窓に雲の満ち来る(鹿野亮)

 公園の塩辛とんぼ白日い煉瓦の熱を吸い込んでいる(川口孝子)

 道のべの睡蓮の鉢しまわれて円き痕が風にこたえり(田島素美)

 きゃんきゃんと軽めの祖父を飲み込んでゆく骨壺の蓋の円さよ(恩田麻美子)

布施さんの歌には、いつも新鮮な驚きを覚える。
人生は、こうやって経て行くものだと教えられるような気がする。
風蓮湖。名前しか知らない湖を思ってこんな歌が詠めるのだなぁ。

鹿野さんの歌は、表現がおもしろいといつも思う。
外が明るければ明るいほど暗い踊り場。
眩しい夏の日差しとの対比。
詠みたいことがよく見える。
ああ、こう思って詠んだんだろうなとわかるのがうれしい。

川口さんの歌は、日常がきちんと歌に反映されている。
この歌も日常の一場面を見事に切り取っていた。

田島さんの歌にも、いつも新しい発見がある。
今回の歌は、鉢植えの置いてあったその痕に注目したところがいい。
縁の下の力持ちが日の目を見る時。

恩田さんの歌には、若い頃の感覚を呼び覚まされる。
いつも歌を読みながら、歌の中で繰り広げられる世界を楽しんでいる。
他の二首は、そうやって歌の世界を楽しめた。
今回引用した歌は、「骨壺の蓋の円さよ」だけでもう・・・・

来月は、吟行。
またしても、午後から歌会のみの参加の予定。そして、お茶当番。
当日、歌会が始まるまでに三首作るつもりでいる。



2004年09月11日(土) かたたたきき

ひらがなで書くと、間違えていそうで心配になるかたたたきき。
本日、かたたたきき、購入。

夫が夏休みの間、もぐちゃんと遊ぶのはもっぱら夫の役目だった
ので、わたしはもぐちゃんを抱き上げる回数も少なく、当然の結
果として、肩の筋肉が多少落ちている模様。
そのためか、もともと調子の悪い左肩がちょっと痛くなってきた。
今からもう十数年前、銀行を辞めるほどの借金をした原因となっ
た男と、ゴルフの打ちっぱなしに行き(初めてだった)、その時
に左肩を痛めたのだった。
ついつい、ソフトボールのバッティングの癖が出てしまい、肩の
ひねり方を間違えたらしかった。
慣れないことはするもんじゃない。
それ以来、ちょっと無理をすると左肩が痛くなる。

もぐちゃんに母登りさせるようになって、肩の調子はすこぶる良
くなっていたのだ。
夫の夏休みが終わって、またもぐちゃんを抱き上げるようになっ
たら、左肩の調子も良くなるだろうか。

かたたたききを購入して帰宅後、即刻やってみた。
気持ちいいのは確かだが、今日の痛みはどうやら寝違えた痛みに
近いものらしく、かたたたききではなかなか治らないようだ。
やっぱり、時間が解決するものなのか。寝違えもどき。

寝違えでないことは、朝の薬の服用時は、なんの支障もなかった
ことから推測して、確実なのだ。
痛みが始まったのは、ぎゅっと座ってスター・チャンネルを見た
後に、トイレで大きい方を済ませてからなので、テレビの見方が
悪かったのか、トイレでの座り方やお尻の拭き方が悪かったのか
のどちらかだろうとは思う。

なるべくならトイレじゃない方が気が楽。
というか、納得しやすい。
なにより、人に言う時に恥ずかしくない。

明日はぷらむの日。



2004年09月09日(木) 夫の夏休み=わたしの夏休み

2か月半ぶりに美容院に行った。
木曜日の午後の美容院、空いていた。
おねいさんとおしゃべりしながら小一時間。
その後、相模大野まで。
昨日買ったもぐちゃんの服の包装と中身のサイズが違っていたの
で、交換してもらいに行ったのだが、追加で買ってしまった。
そして、イカめしと焼芋きんつばを買って帰宅した。

もぐちゃんは、歩行器に乗って台所をぐるぐる歩いていた。
夫は、台所の掃除をしていた。
なんか、どんどん片付いて行く台所であった。

明日は、本棚の整理をする予定。
夫の手を借りて、秋の大掃除になってしまった、夫の夏休み。
夫が言うには、わたしを休ませるための夏休みでもあるらしい。
そのため、昼まで寝ていることもなく、午前中からもぐちゃんと
遊んだりしてくれる。
ありがたいことだ。

9月25日の「マラソン・リーディング2004」の予約もした。
行けるかどうかは、夫が休めるかどうかにかかっているのだが、
とりあえず、予定だけはしておこうということで。
ぷらむの紺野卓海さん、聞きに行くのだ。



2004年09月08日(水) どピーカン

台風一過の、どピーカン(雲一つない晴れの意味だと思う。)。
小田急線を乗り継ぎ、多摩センターまで。
そこから多摩モノレールに乗って、叔母の家まで行った。
モノレールの駅から、高台の団地までの道のりは険しかった。
すごい急勾配。
叔母曰く、「雪が降ったらあそこはどうするのかしらね。」。
そんな疑問というか心配を、おそらく誰でもしてしまうだろうと
思われる急勾配だった。
夫は、モノレールに乗った途端に寝てしまったもぐちゃんを縦抱
っこして、登った。
叔母の家に到着した途端、目を覚まして遊び始めたもぐちゃん。
帰りも、ちょうど歩いている間とモノレールに乗っている間だけ
眠っていた。
小田急線に乗っている間は、なぜか起きているもぐちゃん。
不思議である。

自宅でないところで離乳食を食べるのは初めてだったからか、そ
れともはしゃぎ過ぎの延長なのか、食事も少なめで、ミルクもあ
まり飲まなかった。
麦茶をたくさん飲んでしまったからか。
帰宅して、すぐにまた麦茶を飲んで、2回目の離乳食。
こちらは全部食べたが、ミルクはほとんど飲まなかった。
しばらく遊んで、夫とシャワーを浴びると、眠ってしまった。
1時間ほどして目を覚まし、情けない感じでめそめそ泣いた。
とてもお腹が空いていたらしく、一滴も零さずにミルクを飲んだ。
そして、またすぐに寝た。
このまま朝まで寝るのだろう。

きっと、今日は楽しかったに違いない。
たとえ、暑くて汗びっしょりになっていたとしても。

 よりかかり眠るおさなご抱えつつ多摩モノレールの揺れを楽しむ(市屋千鶴)



2004年09月07日(火) はしゃぎ過ぎ

もぐちゃんは、夫がいるとはしゃぎすぎて、なかなか寝ない。
土曜日から、就寝時間は23時半である。
そのくせ、昼間も夫がいるとなかなか寝ない。
すごく眠そうでかわいそうなくらいな時もあるのだが、そんな時
は、夫に見えないところで静かにしていてもらいと、10分ほど
で眠るのだった。
さすがに、今日は遊び疲れたのか、哺乳瓶を洗っている夫を見な
がら昼寝に入った。
もうそろそろ2時間になるが、まったく同じ位置で寝ている。
いつもは、ごろんごろんするのに。

お父さんがいるのがそんなに楽しいのかと、つい笑ってしまう。

夫が休みでいる間、なんだか久しぶりにちゃんと三食料理してい
るような気がする。
もともと、家事全般が好きじゃないのだが、妊娠する前は、自分
の食事療法のためにちゃんと料理していた。
それが、産後、ものすごく手抜きになっていたので、この夫の夏
休みを機会に、ちゃんと料理する習慣を取り戻そうと思っている。

実際、わたしの年齢であれば、普通は子供に三食きちんとご飯を
作って食べさせてという日常を長いことやってきているわけで、
それが全く出来ていない自分が情けなかったりする。
一人暮らしでも、ちゃんとやっている人はやっているのだが。
わたしはきっと、基本がなってないんだろうなと思う。

今週も台風。九州や四国、西日本、大変だなぁ。
19号も来てるしなぁ。
明日は、おばさんの家に行く予定。
天気は大丈夫だろうか。



2004年09月04日(土) 三種混合3回目&8か月検診

今日から次の週末まで夫は夏休みである。
休みの間、もぐちゃんといっぱい遊んでもらうために、用事は早
めに済ませようということで、午前中に三種混合の3回目の注射
と8か月検診を一緒にしてもらおうと、近所の産婦人科に行った。
空いているし、病気の人はあまり来ないので、予防接種や検診に
はいいかもと思っていた。
本当は、検診は、かかりつけにしようと思っている小児科に行く
方がいいのかもしれないが、わたしは産婦人科の医師が気に入っ
ているのであった。
まずは、8か月検診。
体重は8.7キロ。身長は69.7センチ。
いろいろ触診して、おちんちんを見て、一回も剥いていないんだ
ねと言われた。
そして、もぐちゃんのおちんちんをむにゅっと剥いたのだった。
「ちょっと痛がるかもしれないけど、これくらいまでときどきは
剥いてやってくださいね。お風呂の時とかにね。」と指導された。
最終的には、「はい、順調ですね。」とひと言。

それからちくんと注射をされて、ちょっとだけべそをかいていた。
やっぱり、飴をもらえた。(笑)

帰宅して夫に、おちんちんをたまに剥くようにと言われたことを
告げると、そうか剥かれたのかと笑った。
二人でおむつ替えの時に、もぐちゃんのおちんちんをしげしげと
ながめ、先っちょが赤くなっているのが痛そうだねと言い合った。

もぐちゃんの成長は、今のところ全く心配はなく、心配なのはこ
の母の育て方と母自身だなと思うのだった。

 週末のはしゃぎっぷりを見るにつけ父の役目は遊びだと思う(市屋千鶴)



2004年09月03日(金) 通院日

朝8時頃、姉が来てくれた。
そのちょっと前に夫を起こし、もぐちゃんにミルクを飲ませても
らいながら自分の支度をして家を出た。

診察前検査(採血、採尿)を終えて、午前中に飲むクレメジンを
飲んで待合室に戻り、ぷらむの今月の歌を作っていた。
隣に座った年上の女性から、話しかけられ、自分の番が来るまで
話し込んでしまった。
その女性もわたしと同じ担当医師で、腎臓を悪くした経緯などや、
もぐちゃんのことやその女性のお孫さんのことなどを話していた。
膠原病の治療(薬)で腎臓を悪くしたとのことだった。
ちょうど、多発性のう胞腎が東京都の特定疾病だという話をしよ
うとしたときに、自分の番が来たのだった。
診察が終わって帰る際に、
「お話ができて楽しかったです。ありがとうございました。」
と言ったのだが、帰りのバスの中で、自分だけしゃべってしまっ
たような気がして、申し訳なかったと思った。
それだけ、人と話をすることに飢えていたのだろうか。
それとも、その女性がとても話しやすい人柄だったからだろうか。
来月もお会いできたら、まずはそのことを詫びてから話し始めよ
と思った。

検査結果だが、先月のクレアチニン値よりもいい値だった。
それどころか、先々月よりも少し良かったくらいだ。
悪くなる一方ではなくて、こうやって上がったり下がったりして
ちょっとずつ悪くなって行ってくれればいいな。
医師にも、この調子で頑張ってと言われた。
嬉しかったので、病院を出て早速夫にメールした。

病院に行くまでの間、どれくらい検査値が悪くなっているのだろ
うという不安はあったものの、歩いているうちにぷらむの歌を考
えるだけの余裕が出来ていた。

 少しでも歩かなければ しあわせは生きてることと思い出すため
                           (市屋千鶴)



2004年09月02日(木) 身辺にはなにごともなく

毎日がなにごともなく過ぎて行くのは、多分いいことなのだろう。
浅間山が噴火したり、脱北者が駆け込んだりはしていても、自分
の周りでは、さして大きな変化も無く過ぎて行く。

明日の通院日は、姉が来てくれることになった。
先週末の模様替えは、ある程度は終わったらしい。
一番大仕事らしい二段ベッドの搬出が終わったのだから、あとは
まあぼちぼちと片付けていくのだろう。

姉は、8時頃には着くように来てくれると言う。
夫の朝ご飯の用意もしてくれると言ってくれたのだが、夫は毎日
遅い夕飯を摂るので、朝は軽くシリアル程度の方がいいこともあ
り、明日も朝ご飯はシリアルにするのだと姉に告げた。

オリンピックが終わってしまうと、ただ漠然と付けっぱなしにし
ていたテレビもそうはいかなくなり、今度は漠然と映画ばかりを
見ていたりする。
特にもぐちゃんが寝ている時は、音量を絞って字幕で見られる方
がいいので、もっぱら字幕ものなのだ。

題詠マラソンのお題を拝借しても100首が終わってしまうと、
どうも本来の日記歌の作り方が思い出せなくなっている。
日記の文章を書いていて、きゅーっと集約されたものを歌にして
きたつもりだったが、どうもそれができなくなっている。
すっかりお題で詠むことに捕まってしまったらしい。

とはいえ、ぷらむの9月のお題の「円」は、まだ2首しかできて
いないのだが。

 なにごともなくすぎていく毎日が積み重なって人生なのか(市屋千鶴)


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