鶴は千年、生活下手

2004年02月26日(木) 椅子

今日は、10時前から出かけて、銀行ATM回りと買い物をした。
花粉が本格的に飛ぶ始める時間よりも前に帰宅する、というのが
目標だったが、目はかゆい。
帰宅した途端に、もぐちゃんは出すものを出してご機嫌だった。

先日ネットで注文した高座椅子が届いた。
木の部分を取り外すと、ちょっと厚めの座椅子になる。
足の高さが三段階に調節できる。
もちろん、座椅子なのでリクライニングOK。
なかなかいい椅子なのだが、いい置き場所がない。
ミルクをあげるときや、抱っこしているときに座りたいと思って
購入したので、ベビーベッドのそばに置くことができればそれが
一番いいのだが、布団を敷く度に移動しなければならなくなるし、
夜中に起きてミルクをあげる時には、布団は敷いてあるわけだし。
場所のことは夫と相談することとして、とりあえずミルクをあげ
るときに座ってみたが、これがなかなかいい。
これまであぐらで抱っこしていたので、だんだん重くなってくる
にしたがって、膝が痛くなってきていたのだ。

ひじ掛けがついているので、かえってそれが邪魔な気もするのだ
が、それは工夫してなんとかしてしまおう。
ひじ掛けがなければ、病院の授乳・観察室の椅子に匹敵する。
(ひじ掛けは足と一体化しているので外せない。」
妊婦のうちに買っておけば良かったなぁと思うような椅子だ。

基本的に我が家は床に座る生活なので、椅子を置こうと思ったと
きに、なさけないことにうまい置き場所が思い付かないのだ。

さて、いろいろと配置換えが必要になるのか否か。
そういえば、食器棚も買いたいなと思っているのだが、こちらは
いつになるだろうか。

なんだか気の抜けたような話題で申し訳ないっす。

 君だけの居場所になると決めたから座椅子のようにどっしりしている
                           (市屋千鶴)



2004年02月25日(水) 特別なこと

一昨日だったか、テレビで自宅分娩専門の助産師さんの話題が取
り上げられていて、自分の出産のことを思い出した。

陣痛は、よく畳の目も見えないくらい痛いとか言われていたりす
るが、痛みに強いわたしにとっては破水するまでの陣痛はそれほ
どでもないように思えた。破水してからが本番とも言えるが。
胆石発作を薬なしで我慢してしまったほどの人間であることと、
深呼吸が上手かったことで、痛みを逃がすのが上手かったようだ。
担当の助産師さんからも、痛みを逃がすのが上手いと言われた。

それまで、計画分娩で麻酔分娩という予定になっていたのだから、
自然分娩ということに少しは不安が有った。
しかしながら、気張ってみると案外楽なもので、力むことができ
るって楽だなぁと思った次第。
それに、分娩台というものは非常に力みやすく作られているのだ
なぁとも思った。
足をかけるところや握り棒があって、踏んばりやすいのだ。
これが自宅で自由な姿勢でと言われたら、うまく踏んばれるだろ
うかとも思った。
出産前にちゃんと足腰を鍛えておかないと、踏んばりがきかない
ような気がした。

出産の際に、痛いときや辛いときは深呼吸という習慣が付いてし
まったのか(34時間以上も深呼吸しっぱなしだったし)、毎日
の暮らしでもちょっと痛いところが有ると深呼吸したりする。
出産の時の深呼吸は、吐くことに重点をおくので、フーッと音を
だして息を吐くのだが、それを日常にやるとちょっと笑える。

計画分娩・麻酔分娩を推奨している病院でも、場合によっては自
然分娩になるわけで、その際にはやはり助産師さんの存在がとて
も大きいのである。
会陰切開と縫合という医師の仕事もあるわけだが、陣痛から出産
までのほとんどが助産師さんによって行われるのだから、ほんと
に助産師さんには感謝感謝である。

出産で同室になった経産婦の方は、9年前に担当してくれた助産
師さんを覚えていたが、「きっともう忘れちゃったよね。」と、
少しだけ寂しそうに語った。
看護婦さんとか助産師さんとか(医師はもちろんだが)、命の始
まりと終わりとに深く関わりのある仕事をしている人達は、おそ
らくそれが日常になっているのだろうが、患者にとってはその時
が一生の中で特別な思い出になるのだ。
わたしのとっても、助産師さんのことは一生忘れられない人にな
るだろうが、それも病院のスタッフにとっては、日常の中の一つ
なのである。

そういった意味合いでは、自宅分娩専門の助産師さんは、ずっと
覚えていてくれる気がする。

人は、特別な体験をしたときのことは、誰かと分かち合いたいも
のなのだ。

 わたしには特別なことのいくつかをまとめて君の脳内に入れる(市屋千鶴)



2004年02月23日(月) ビュービュー

昨日は南風がビュービュー、今日は北風がビュービューである。
昨日の南風と今日の北風は、どうやら吹き方が違うらしい。
南風は大きな振幅で雨戸をガタガタ言わせるが、北風は小刻みに
雨戸をカタカタと揺する感じだった。

先日の通院日。
バスの窓からふと見えたそれは、おそらく工事用の照明。
1体に4つのライトがついていて、そのどれもが同じ角度で下を
向いていた。
その工事用照明が、4機並んでいた。
それぞれのライトが下を向いている様は、控えめにうつむいてい
るように見える水仙のそれとは異なり、ひた向きに試験を受けて
いる受験生のようで、うつむいているというよりも、下を凝視し
ている感じだった。
バスがそこを通り過ぎるまでの間、ずっと目を奪われ続けた。

病院の帰り道。
駅から自宅まで歩いている間に、6機の戦闘機が飛んで行った。
真っ青な空に戦闘機という光景ではなくて、ソフトフォーカスを
かけたような戦闘機が飛んでいた。
ソフトフォーカスがかかったように見えた機体は、本当に霞んで
見えただけなのか、それとも空にまぎれるような仕様になってい
るのだろうか。
戦闘機の後ろと追いかける轟音は、ゴロゴロなり続ける雷の音に
も似ていて、これなら雷がなっても飛行機が飛んでるのだと思え
ばいいなと、妙な考えが浮かんだ。(それは雷が怖いからだが。)
それにしても、新しい戦闘機は、ほんとに大きな音がする。

昨日は、午前中に夫にもぐちゃんをまかせて美容院に行った。
隣の駅前に有るその美容院まで自転車で行ってみた。
南風は向かい風となって、久しぶりの自転車にはきつかったが、
今年は花粉が少ないのだということを実感した日だった。

外を出歩かなければ、新しい発見も少なくなってしまうのだなと、
痛感した。
子供に関しての事柄は、発見というよりも学習している感じがす
るので、外を出歩いての発見とはやはり違う。
子供の成長をのぞけば、毎日が同じリズムで同じ生活だと感じる
ことも多く、やはり週に1度くらいは外出すべきだと思った。
それも、独りで考える時間を持ちながらでなければならないよう
な気もする。
それは当然、理解有る夫の存在が不可欠なのだけれど。

 新しく見つけたものの存在は君より大きなものではいけない(市屋千鶴)



2004年02月21日(土) 相変わらず休日出勤あり

今日も夫は午後から出勤して行った。
お昼を食べたら、歯を磨いたら、着替えたら、そして出かける前
にと、何回となくもぐちゃんの様子を見に行き、もぐちゃんのご
機嫌な反応に大喜びしては、家を出るタイミングを逃してしまう
という親バカな夫。
休日のお昼にしか、この楽しいお遊びタイムは経験できないのだ
が、1日休みの時は昼まで寝ているし、なかなか思う存分味わう
というわけにはいかないようだ。

夫が出勤ということは、美容院に行きたいという希望は日曜日の
ものとなり、夫が寝ながらもぐちゃんの様子を見ているであろう
午前中に行くことになる。
というのも、夫がちゃんと起きている時間は、出かけないで一緒
にいたいというのも、また休日の希望だからだ。
ただ、寝ながら様子を見ているという行動は、どうやら母性本能
に裏付けされたものであるらしく、母親のわたしが一泣きで目が
覚めるのに対して、父親である夫は本格的な泣き声にならないと
起きられないらしいのである。
三年寝太郎の夫には、起きるだけでも難しいことなのだろうが。

今日からカロリーと塩分とタンパク質の計算をしながらの食事と
なる。(タンパク質まで計算するのはちょっと面倒だけど。)
外食や出来合いのものを買うのは、なるべくやめなくてはならな
いのだが、食べたいものを我慢するのは悲しいことだね。
月に1、2回のお楽しみといった感じになるのだろうな。
母乳をやめるということは、お酒も飲めるということだなと思っ
たりもするが、それは別の意味で制限される。(しくしく)
産後に飲んだアルコールは、梅ッシュの350缶1本だけだ。
(そんなものでは酔いはしないのだけどね。)

 塩だけで酒が飲めると豪語した若さが懐かしい年となる(市屋千鶴)



2004年02月20日(金) 通院日

今日は、産科と内科に。
産科では、基本的に貧血だけを見てもらったので、再度4週間分
の鉄剤を処方された。少しは良くなっているんだけどね。
内科では、血圧がやはり高いのでどうしましょうかと訊かれた。
実はここ数日、もぐちゃんはおっぱいを吸っていて、急に嫌そう
な顔をして、乳首を口から出してしまうようになっていた。
もうすっかりミルクっ子になってしまったみたいだ。
このことを医師に告げ、そんなわけで薬を飲みますと言ったら、
「親孝行なのかもね。お母さんにもう頑張らなくていいから、薬
 を飲んでと言ってるみたいよね。」
と言われ、涙がこぼれそうになった。
女性医師、泣かせることを言うじゃないか。

帰宅して、夫にそのことを話していて、やはり涙がこぼれた。
妊娠中は、とくにどうということもなく過ごすことができたし、
自然分娩もなんとか乗り切って生まれてきてくれた吾が子だが、
生まれてからも母に気を使ってくれているようで、愛おしい。
きっと、彼がまだ子供のうちに透析しなくてはならなくなるかも
しれなくて、また気を使わせてしまうのかもしれないけどね。

明日から、血圧の薬を飲むようになるので、おっぱいはあげられ
なくなる。
それに、塩分計算もしなくちゃならないし、また1日蓄尿もする。
タンパク質の量も制限されるので、やっぱり母乳は無理なんだな
と痛感した次第。
2か月、がんばったんですから、と医師にも言われ、まあいいか
と思い直した。

明日から飲む薬は、鉄剤と胃薬と血圧の薬と重曹。
う〜む、薬だらけだ。

 カプセルを一つと錠剤二つ飲み重曹一包 朝の習慣(市屋千鶴)



2004年02月19日(木) 隣り近所

今朝、少し遅めに新聞を取りに玄関を出たら、隣の奥さんが玄関
前を掃除しているところだった。
それで、前から訊いてみようと思っていたことを訊いてみた。
それは、小児科はどこに行っているのか、ということ。
それをきっかけに、あれこれと10分ばかり立ち話をした。
隣のお子さんは女の子で、1歳と少しといったところ。
ちょこちょこと歩いているのに出くわしたりする。
今、二人目がおなかにいて、夏に出産予定だということだった。
隣の奥さんには、わたしと違って家のこととかをちゃんとしてい
るんだなという印象を持っていて、話してみてやはりちゃんとし
た人だと感じた。

うちの子は唸ったり気張ったりでねぇ、と話したら、かわいいで
すねと言われたが、そんなにかわいい唸り方でも気張り方でもな
くておっさんくさいのだと言いたかったが、ちょっと我慢した。
小児科のこととか、母乳は出なかったことだとか、つわりが少し
おさまってきただとか、そんなことを話した。

同じアパートの他の部屋の方とは、ほとんど話したことがなかっ
たのだが、隣の上も男の子二人だし、いろいろと教えてもらうこ
ともあるだろうし、機会を見つけて話すようにしたいと思った。

先ほど、ダンプカーのタイヤが外れて、おばあちゃんと手を繋い
で歩いていた3歳の男の子が、その直撃を受けて死亡したという
ニュースをやっていた。
そのおばあちゃんへのインタビューもあって、その男の子が自分
をかばったらしいのがつらいと話していた。
3歳の子が、咄嗟におばあちゃんをかばうというような行動をと
るのだろうかという疑問もあるが、もしそうだとしたら、男の子
にしてみれば直撃して来るものがどんなにおそろしいものなのか
もわからずに、ただおばあちゃんが危ないと思ったのだろう。
とてもせつない。

 大きさを知らないままで受け止める 人生における災いや愛(市屋千鶴)



2004年02月18日(水) 「混んでいる」の基準

今日は、もぐちゃんとベビーカーで銀行ATMめぐりをしてから
東急○トアに買い物に行った。
ちょうどお昼時だったが、お客さんはといえば、レジのところに
10人くらい、店内にもやはり10人くらいといった状況だった。
レジを通る時、店員さんにもぐちゃんをじっと見られ、かわいい
と言われ、何か月かと訊かれたので2か月だと答えた。
すると、その店員さんに、「あら、大丈夫なの?こんな混んでる
時間に。」と言われた。
いや、これで混んでるんですかと聞き返したくなるのを抑えて、
ただ笑って通り過ぎたが、これが小田急相模原駅の方のスーパー
であれば、空いている時間でもこれ以上のお客さんがいそうだ。
東林間の駅側は、全体的にお店も空いているので、ベビーカーで
買い物をするならこっちだなと思っていたから、混んでる時間に
と言われて、少々面食らってしまった。

「混んでいる」の基準は、あくまでそのお店ごとのものだろう。
東林間駅側のスーパーも、夕方にはもっと混むのだと思う。
開店直後の時間は、もぐちゃんのミルクタイムと重なってしまう
ので、その時間にはなかなか行けないと思うのだが、開店直後に
行ったらどれくらい空いているのだろうか。
店員さんは、そのくらいの時間に来いと言いたいのだろうか。

出産一時金が先週入金されていて、その確認をした。
今度の日曜と、その次の日曜は、税務署が受け付けてくれる日だ。
医療控除の還付申告をすべきかな。
それから、もぐちゃんの入院費用は相模原市で負担してもらえる
ので、それも役所に申請しに行かなくては。 来週、行こう。

 それぞれの基準で生きている今は君の姿もぼやけて見える(市屋千鶴)



2004年02月17日(火) 頭の中で何が

乳飲み児は、どんなことを考えているんだろう。
考えるということ自体が、乳飲み児にはまだないのかもしれない
が、どんなことを感じ取って暮らしているのだろう。

母親の顔を見てうれしそうな顔をする時、彼は本当にうれしいの
だろうか。
大きな音に驚いたような顔をする時、びっくりしたなぁもおって
思っているのだろうか。
自分のうんちのおむつを換えてもらっている時、臭いなぁとは思
わないのだろうか。
母親が納豆ご飯を食べている時、なんだか臭うぞとは思わないの
だろうか。

不思議だらけである。

ネットで本を買ったのに、読む暇がない。
というよりも、読もうとすると眠ってしまいそうになるので、読
むことができない。
ただ積んであるだけだ。(涙)
高校の同期が翻訳した復刻本「ピーターの法則」も、まだ買って
いない。
(いつも使っているネット本屋さんでは品切れだったので。)

ぷらむの方から、イベントのハガキが届いた。
到底行くことのできないイベントなのだが、ハガキの絵がかわい
いから送るねと、彼女はコメントを添えて送ってくれた。
確かにかわいい絵だった。
ありきたりのかわいらしさではないが、かわいい。
彼女は二人の女の子の母でわたしより年下である。
いろんなことに積極的に参加している行動派だと思う。
わたしは、彼女のように行動的な母親になれるだろうか。
まあ、こればっかりは、もぐちゃんがもっと大きくなってみない
とわからないのだが。

毎日、何を考えているんだろうと思いながら乳飲み児を観察して
いるわたしは、時間の流れを見失ってしまいそうだ。
そういえば、お宮参りもまだだった。

 まっさらな瞳を持ってただ時が過ぎて行くのを見守っている(市屋千鶴)



2004年02月16日(月) 遊んでいるのか

最近、遊んでいるかのような表情を見せるもぐちゃん。
「もぐちゃん、は〜い。」と優しい声で話しかけると、まるでそ
れに答えるかのように「あう」という形で口を開くようになった。
いや、親バカかもしれないが。
優しい声、というのがポイントで、ある特定の音域の声が心地よ
いらしいのである。
その音域であれば、「ぽーう」だろうが「おはよう」だろうが、
はては「よっ」でも同じように喜んでいるような顔をする。
したがって、夫の声ではなかなか反応しない。(ちょっとかわいそう)

その楽しい時間はお腹が空いてぐずりはじめる直前まで続き、口
をパクパクして何か言いたそうにしている。
ここ数日は、日中にはそういう時間が多く、あまり眠っていなか
ったので、夜はよく寝ていた。

夫に、この楽しそうな表情をすることを実際に見てもらいたくて、
昨日の昼前に起こそうとするが、なかなか起きてはくれなかった。
木曜日に徹夜してから、どうも4時とか5時とかまで寝なくなっ
ていたので、昼前に起こすのはもってのほかだったようだ。
昼食後、少し眠って、午後から3人で買い物に行き、夕食後にま
た眠ってしまった夫。お疲れのご様子。

週末は、なんだかあっという間に平日と変わらないような感じで
終わってしまった。夫との会話が少なかったよぉ。(しくしく)
そしてまた、月曜日になってしまった。
また次の週末を楽しみに過ごすんだなぁ。

 一日の終わりにしがみつかないで明日も来るからきっと来るから
                           (市屋千鶴)



2004年02月14日(土) 仕事人間ではないはずだが

祝日の水曜日。
夫は夕方に電話が来て、18時頃に会社に出かけて行った。
帰宅は、夜中。
翌日の木曜日。
帰って来れなくて、金曜日の朝に帰ってきた。
そして昼まで寝て、午後から出かけて行った。
今日、土曜日。午後から出勤。何時に帰ってくるのか。

夫は仕事人間ではないはずなのだが、会社にいる時間の長いこと。
この業種では珍しくないことだから、もうあきらめてはいるのだ
が、時々気の毒になる。
そんな人々の奥様方は、わたしと同じ気持ちなんだろうか。

昨日、和歌山に里帰りしている近所のママさんからのハガキが届
いた。
事情が有って、まだ和歌山から帰れないらしい。
11月30日に出産して、もう2か月半。
その間、お父さんは子供の変化を目にすることもできずに一人で
暮らしているんだなと思うと、そのお父さんも気の毒に思えた。
睡眠不足になっていないだろうことだけは、羨ましいが。
そのママさんからのハガキでは、子育てがこんなに大変だとは思
ってなかったと書いてあった。
一晩でいいからぐっすり眠りたいって。
それは同感だが、うちは夜中はミルクオンリーなので、時々は夫
が夜中のミルクを引き受けてくれて、わたしを寝かせてくれよう
としてくれる。
なかなか眠ったまんまというわけにはいかないことも多いが、夫
の気遣いには感謝している。

今日は一日がとても長く感じる。
春の嵐とでもいうべき春一番が吹き荒れる中で、首も座っていな
い乳飲み児の、遊んだり眠ったり唸ったりうんちしたりする様子
を観察しつつ、風の音にびくびくしているのは母の方だ。

洗濯物は、午前中のうちに取り込んでしまった。
あとは、窓から差し込む日の光で乾かした。
ぽかぽかの部屋で、乳飲み児に話しかけ、反応したと喜び、この
様子を観察できない夫のことをかわいそうに思った。

 明日にはお父さんにもその顔を見せてあげてと乳飲み児に言う(市屋千鶴)



2004年02月13日(金) 特別な知識

先日、ヒーローについて熱く語ったわたしだが、とくとく考えて
みれば、何かについて特別な知識を有しているということがない。
何かについては、人よりも多くのことを熟知していて、それのこ
となら何でも聞いてくれ、というものが無いのである。
どれもこれも、中途半端に知っているという感じなのだ。
生き方そのものが中途半端なのか、自分。(笑)

例えば接待の席で、相手の方の振ってきた話題に乗っかっていけ
るだけの知識が有るし、ちょっと面白いことを知ってるんですよ
といった程度の話題を振ることもできる。
しかしながら、悲しいかな、それらはすべて中途半端なのである。
広く浅く生きているんだなぁと思ったりする自分。
まあ、最近では、そんな話題を入手することも難しいのだが。

夫は、ガンダム世代である。
が、わたしにとっては、ガンダムは軟弱な主人公のアニメにしか
過ぎないものだった。
ヒーローに強い執着を持っているわたしとしては、悩む主人公と
いうのは、基本的にパスなのである。(見るんだけどね。)
同じ理由でエヴァンゲリオンも好みではない。(見たけどね。)
どちらも、ロボット(というと怒られるか)のデザインは好きだ。
特にターンAガンダムは好き。
別物と言われているGガンダムも別の意味で好きだ。
(なんだかんだ言っても、けっこう見ているじゃないか。)

わたしは、何世代なんだろう。
大型ロボットものでは、マジンガーZか。
高校時代はライディーンが大好きだった。
実写ヒーローものでは、仮面ライダーもそうだが、光速エスパー
や、バロムワン。
成人してから、仮面ライダーブラックに見とれたものだった。
だが、もしかして一番好きだったのは、NHKの夕方の番組だっ
たかもしれないな。
人形劇の「里見八犬伝」とか、「真田十勇士」。
(「プリンプリン物語」は夫の世代らしい。)
ドラマでは、「タイムトラベラー」とか「謎の転校生」とか。
パトカーとか消防車とかが知能を持っていて、ロボットに変身す
るシリーズも好きである。ガオガイガーとかも好き。

わかりやすいヒーローものが一番好きだったりする単純なわたし。
とにかく、誰かのためにとか、みんなを守るためとか、一生懸命
になれる主人公が大好き。
人は大事なものを守るために強くなれるということを、見せつけ
てくれるものが好きなんだと思う。

そういえば、我孫子に引っ越した年の暮れだったか、夫がカラオ
ケで「らいおんハート」を唱い、その歌詞を初めてよく読んだら
しく、すごくいい歌だよなぁと感心していたっけ。

なんか、思いっきり話がそれてる?

 気付かずに求めるものは身のうちに持ってはない心の強さ(市屋千鶴)



2004年02月12日(木) 達成感

毎日の暮らしのなかでも、小さな達成感は重要だと思った。

昨日は、一人で出かけてベビーカー他を買い、えっちらおっちら
と持ち帰った。
使用目的は、近所に出かけるためのものなので、重さよりも乗り
心地のほうを重視して選んだ。
昨年の12月に出た別のメーカーのものよりは重いけど、1年前
は両対面では、かなり軽めの機種だったものだ。
帰宅したら、夫から、なんだか元気になったようだと言われた。
お出かけ嫌いが解消するかなぁ、と言われた。

今日は、そのベビーカーで、郵便局まで出かけた。
ベビーカーは2か月からだから、10日くらい早いんだけどね。
牛乳代を払い込んで、学資保険の資料をもらって帰ってきた。
途中でコンビニに寄って買い物もしたが、お店に入る時には、扉
をあけるのが大変だったが、帰りには店員さんが扉を大きく開け
放ってくれて、ありがたかった。
もぐちゃんはというと、初めてのベビーカーで、歩道のガタガタ
という振動をこれまた初めて体験して、少し興奮したみたいだ。
動いていると大人しいが、止まるともぞもぞと動き出す。

毎日、同じようなリズムで暮らしていると、それを崩したくなく
て、出かけることが億劫になってしまっていた。
家を出ないで暮らせるのならば、そうしていたいと思っていた。
だけど、そうもいかないし、それではいけないし、なんとか動く
ことを考えなくてはと思っていた。
郵便局にはベビーカーで行こうと決めて、急遽購入を決めた。

そんなこんなで、昨日、今日と、ちょっとしたことだが何かした
という達成感があって、気分が高揚する。
明日は、抱っこで家の周りを歩いてみようね。

 一歩ずつ歩いて行けばいつかまた君のもとまで行けるだろうか
                          (市屋千鶴)



2004年02月10日(火) ヒーロー

こうも毎日もぐちゃんのことばかり日記に書いていると、やはり
ジャンルを変更するべきだろうかという気持ちになる。

そこで、もぐちゃん以外の何かの話題を。

日曜朝のヒーロー達。
「爆竜戦隊アバレンジャー」は最終回をむかえ、二週間前には、
「仮面ライダー555」も最終回だった。
戦隊ものはずっと続いているということもあって、最終回までの
盛り上げ方はやはりうまい。
最終回までの3回でぐっと盛り上がったようだ。
そして、見事な大団円。
この辺が安心して見ていられるポイントだと思う。

仮面ライダーシリーズが、せつないヒーロー達の物語だと思える
のは、どうしてだろうか。
戦隊ものと違って、変身することに対しての迷いが大きいのだと
思う。
最初の仮面ライダーからして、悪の組織に改造された男なのだか
ら、望んで変身する体になったわけではないからなぁ。
それに、平成ライダーシリーズでは、戦う相手がストレートに悪
玉と決めつけられないという点もせつない要因だろう。
戦隊ものは、基本的に侵略者や世界征服を狙う悪の集団と戦うと
いう構図になっているから、分かりやすい。
が、ライダーではそうではないのだ。
特に、「仮面ライダー555」では、そうだった。
図らずも、人間の進化系として再生してしまったもの達。
戦うべきなのか、共存すべきなのか。
そんな迷いもあって、せつないのだった。

今度の仮面ライダーも、同じようなせつなさを持っている。
戦う相手は、だれがこの世に引きずり出してきたもの達なのか。
否応無しに戦うことだけを要求されるヒーロー達。
今度の戦隊ものは、「デカレンジャー」。刑事さん達。
これはもう、みんなの安全を守るために戦うというのは、とても
はっきりしているわけで、文句無しに応援できるというものだ。

ここら辺が、対象年齢の違いのようにも思えるのだ。
戦隊ものよりも、仮面ライダーのほうが、対象とする年齢は確実
に上だろうと思う。
後楽園とか、ショッピングセンターとかで行われているショーは、
やっぱり戦隊もののヒーロー達でなければならないのである。
小さな子供達が、一生懸命応援するのを受けて、力を増して戦う
というヒーローには、せつなさは似合わないのだ。

いずれにせよ、こんなことを考えているのは、子供達ではなくて
やっぱり大人なんだけどね。



2004年02月09日(月) 紙おむつなのに

今朝、もぐちゃんの声で目を覚まし、お腹が空いているんだねと
言いながら、その前におむつを換えようねとお尻に手を回してみ
たら、おしっこがもれていた。
紙おむつなのにもれてしまうということは、夜中にミルクをあげ
た夫がおむつ交換をしていなかったということ。

肌着も濡れていて、下に敷いていたバスタオルも湿っていた。
ああ、紙おむつなのにごめんね、と何回も謝りながらおむつ交換
をし、ミルクをあげた。
夫は、目を覚まして失敗したなぁと言ったけれど、起き上がれな
いままで、結局何もしなかった。

瞬間的に夫への怒りがわき上がったのだが、よくよく考えれば、
21時過ぎにお風呂に入れたときから、おむつを交換していなか
ったのではないかという気がして、結局わたしも悪い。
なにしろ、1時頃に眠くて夫に任せて先に寝てしまったのだから。
前にも、夜中のミルクの時におむつを換えていなくて、朝になっ
てから見てみたら、おしっこでずっしり、ということがあったの
だから、忠告しておくべきだった。

まあ、こうして学習して行くのだろうが、もぐちゃんにとっては
いい迷惑だよね。
布おむつだったら、おしっこもれなんてしょっちゅうだったかも
しれないな、わたし達。
ほんとにごめんね。

昨日、午後から出勤した夫は、今日は昼近くに出かけて行った。
週の真ん中、明後日の祝日というのは、楽しみなものだ。
やっとわたしの風邪がおさまり、鼻の下の赤いのも治ったという
のに、外気浴に出ようと思う意欲をなくしてしまうような天気。
そんなことじゃあ、いけないとは思うのだが。

 窓からはうすぼんやりとした空が見えて気力をはぎ取っていく
                          (市屋千鶴)



2004年02月06日(金) 雲の流れ

雲の流れは意外に速くて、太陽は照ったり陰ったり、忙しい。

飛行機は相変わらず毎日飛んでいて、もぐちゃんも飛行機の音に
は慣れたようだ。
竿竹売りの声とか、焼き芋屋さんの声とかの方が気になるらしい。

妊娠がわかって、引っ越してきて、出産して、仕事というものと
はすっかり遠ざかってしまった。
コンピュータの仕事(ソフトの開発)は、基本的に怠け者である
わたしには、いつかは引退しなくてはならない分野だった。
日進月歩のこの世界で、ものを作るためにはそのスピードについ
ていくだけの努力が必要だからだ。
その点、我孫子にいたときの仕事は、パートと言ってもそれなり
に一人でやる部分が多かったから、責任も有ったし、楽しかった。
やっぱり自分には、事務のおばさんが合っていたのだろうと思う。

これから社会との関わりは、子供を通してということがほとんど
になるのだろう。
そんなこと考えてもみなかったことだ。
子供の親同士という付き合いが始まるなんて。

自分が親になって暮らして行くなんて、想像できなかった。
わたしのように家事の苦手なものが親だというのは、ちょっと気
の毒な気もする。
が、きっと、たくましく育ってくれることだろう。

子供には、いろんなことを教えてあげたいと思うのだが、では何
をと考えると、それはなんだか生活感のないことばかりのような
気がするのだ。
子供の頃に、どうしてだろうと思ったことは、やっぱり生活感の
ないことばかりで、そんなことばかり覚えているから。
空はどうして青いのか。
雲はどうして落ちて来ないのか。
月はどうして落ちて来ないのか。
日本にはどうして四季が有るのか。
一番大きな魚は何なのか。
どうして花が咲いて実がなるのか。

そして、どうしておとうさんとおかあさんは結婚したのか。
自分はどこから生まれたのか。
どうやって生まれたのか。

雲の流れを追いながら、小さかった頃に不思議だったことを思い
出してみたりする午前中だった。

 教えてはやれないこともあるけれど愛のことにはちょっとうるさい
                           (市屋千鶴)



2004年02月05日(木) 自分のこと

ついつい、自分のことは二の次で、食事もおろそかである。
ちゃんと栄養のバランスを考えて食事を作らねばならないことは
充分承知しているのだが、行動が伴わない。
冷凍のほうれんそうや小松菜をソテーしてみたり、納豆ご飯です
ませてしまったりしてしまいがち。

当然の如く、化粧っけなどまったくなくて(もともとないけど)、
ジャージに半纏を羽織ってゴミ出しに行く始末。
そんな格好で、2階の小さい兄弟とお父さんに遭遇してしまった。
おまけに、髪はパッチン止めで止めていた。(しくしく)
早く社会復帰しなくては、という感じ。

明日は蓄尿して、明後日は検体を病院に持参する。
蓄尿と言えば、胆石の手術で入院した時も、急性胃炎で入院した
時もしていた。
胆石の時は虎ノ門病院で、一人一人にプラスティック製の溲瓶が
割り当てられていて、それを使って採尿してためて行く。
これはかなりやりやすかった。
急性胃炎の時は、東林間の病院だったが、そこでは500mlの
計量カップだった。溲瓶よりは使い勝手は良くない。
やっぱり溲瓶だわね、と思ったものだった。

今回は自宅での蓄尿。
いろいろと面倒なので、病院の売店でカップと蓄尿壷を購入した。
今後も蓄尿以外に使い道はないだろうが、蓄尿だってこれっきり
というものでもないだろうし、と考えたからだ。
見たところ、蓄尿壷という名前で呼んでは申し訳ないような容器。
果実酒を作りたくなるような。

風が強くなってきたので、洗濯物は取り込んでしまった。

 びゅうびゅうと唸る北風聞きながら鏡を見ること忘れてしまう
                          (市屋千鶴)



2004年02月04日(水) 想像

朝食を食べたら、めまいがした。
おなかに血液が集中し過ぎたか?
午前中にもぐちゃんと一緒に眠ったらめまいはしなくなったから、
寝不足だったのだろうか。

今朝、目が覚めると、7時過ぎだった。
もぐちゃんはまだ眠っているしと、もう一度8時まで眠った。
起きてから、夫に「もぐちゃん、ずっと寝てるねー。」と言った
ら、3時過ぎにミルクをあげたとのこと。
わたしは2時前に眠って、まったく気付いていなかった。
夫は、まとめて眠る時間をあげたかったからと言ってくれた。
そうして、もらった睡眠時間だったのに、まだ寝不足でめまいが
するなんて、夫にすまない気がした。

午後2時過ぎ、「ふらふらは大丈夫か?」とメールが来た。
「午前中に寝たから大丈夫みたい。」と返事した。
ありがとう。

今日は、銀行員時代の同期から、もぐちゃんのTシャツが届いた。
自分の子供に着せていたメーカーのものだそうで、趣味がいい。
昨夜は、夫の会社の方達からもお祝いに洋服をいただいた。
ちょっとずつ、先の洋服が増えて行く。

まだ2か月にもならない息子の、大きくなる姿を想像できるわけ
もなく、ニュース映像で見た、豆まきの鬼を見て泣いている幼児
の姿を息子に重ねてみる程度だ。

まあ、妊婦である自分も想像できなかったのだから、想像できな
くても実現することは多々有るということだろう。
想像するのは容易でも、実現しないことの多さに比べれば、それ
は微々たるものではあるのだが。

 念ずればかなうことなど少なくてバレンタインのチョコはあげない
                           (市屋千鶴)



2004年02月03日(火) 節分

豆まきしたら、年の数だけ豆を食べる。
その食べる豆は、まいた豆を拾って食べるものだということを、
夫は一昨日初めて知ったようだった。
わたしは、小さい頃から、家の中で豆をまいたものを年の数だけ
拾って食べるものだと思っていた。

でも、まいた豆って、拾って食べるということに抵抗のある人に
はできないだろうな。
乾いてるから、そんなに抵抗ないぞというわたし達は、異常か?
まいた豆じゃなくても、年の数だけ食べるには、44個はきつい。
できれば、黒豆のほうが・・・・

両手の手あれがひどい。ひび割れ。
しょちゅう手を洗っていると、薬を塗ってもすぐにとれてしまう
し、濡れた時にぬるぬるして気持ちが悪い。
ついつい、そのままにしてしまう。う〜ん、どうしたものか。

2月のぷらむ短歌会のお題は、「線」。
なんとか三首作って送った。
らしいのからしくないのか、よくわからない歌が二首。
たぶん、らいしと言われる歌が一首。

休日は、夫にもぐちゃんを預けていられることを考えると、三月
までお休みしなくても良さそうな気がする。
どちらかというと、自分の体調次第なんじゃないかな。
復帰が春の吟行というのも、ちと辛いような気もするし。
三月から復帰する方向で善処する、予定。(変な言い回し。)

今日は晴れるんじゃなかったのかーっ!

 「ぼんやりとした空がいやっ」と言い放ちふくれた頬は雪を待ってる
                          (市屋千鶴)



2004年02月02日(月) 如月

如月と言えば、如月ハニー。
さとえりのキューティーハニーも見てみたい。
いや、そうじゃなくて、一番寒い時期。
週末は暖かかったが、この雨がやんだら、また寒くなる。

平日、乳飲み児と二人の暮らしは、忙しいようではあるが、自分
や子供の体調さえ良ければ、心の中は穏やかである。
子供のことを中心に考えていればいいから。

金曜日の夜、夫が休みなんだと思うと、期待が膨らむ。
何をしてもらおうと具体的に決めているわけではないのに、何か
わくわくするものがある。
それが、土曜、日曜と時間ばかり過ぎてしまうような気がして来
ると、心は穏やかでいられなくなる。

夫は、もぐちゃんを夫に預けて出かけたらどうだと言ってくれる。
しかし、今のわたしが望んでいるものは、そうではないのだ。
平日に、自分だけでは手が回らないところを、休日には夫ととも
に片付けたりしたいのだ。
夫は、平日も、夜遅くの帰宅後に、洗い物をしてくれたりする。
休日も、起きてからはいろいろと手伝ってくれる。
それでも、まだわたしは何かをして欲しがっている。

本当は、何かをして欲しいのではなくて、何かをしてあげたがっ
ているのかもしれない。
夫のために何もしてあげられていないような気持ちになる毎日に、
自分自身が反抗的になり、自分自身に対してヒステリーを起こし
ているのだ、きっと。

心を乱すきっかけは、ほとんどの場合が「なかなか起きない夫」
であるという事実を考えると、わたしだけの問題ではないのだと
は思うが。(笑)

 人生の相棒と子の親同士という肩書きの違いを述べよ(市屋千鶴)


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