事務局 日誌
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2005年07月30日(土) 支部長も危機のヘルパー事業所不足

支部長夫人が仕事を辞めなければならなくなるかも、と危機的状態。慣れていた介護の方達がたまたまだが一挙に引いてしまい人手がなく、社協のケアマネから患者会の方からも探して貰うように、とのこと。吸引が新発田ツクイしかできなく他に受け手がないとのこと。事務局も個人的には殆ど事業所を知らない。会としてお願いできる所はないか・・・。社協はどうなっているのだろう。

夜Oさん宅へ慰問。家族の不在を花園看護ステーション・井浦さん・長谷川あやちゃん等の協力で一日乗り切っている。9時過ぎには近所のお友達も来て複数訪問をしているステーションさんが驚く賑やかさ。お楽しみのコンサートは雨でないと良いのだが。


2005年07月29日(金) 霜鳥和子さん・宮川キヌ子さん

若林一人留守番の日。11時頃平岩さんが久しぶりの和子さんとやってきました。川崎さんに子供の衣類を譲るのでと洗面所一杯の袋をおいていきました。全然年を取らない万年少女不思議です。
入れ替わりに井浦さんが「お米」を求めてやってきました。手塚さんに電話してみるとなんと「地球博行って知多半島にいるんだよ」とのこと。この前は広島だった・・。しばらくお喋りをして友人宅へ。

思いがけないことが起こりました。「宮川といいますが募金の振り込みに行きたいけど足が痛くて来週になります」とのお電話がありました。「こちらから伺います」と夕方金衛町の松林近くの路地奥へ参りました。小さな古屋に静かに暮らしている品の良い老婦人から渡された袋になんと50万!「私はつましく暮らしておりますが丁度満期で子供もないし、本当に困っているところに使って頂きたいと思いまして。名前は出さないでくださいね」とあくまで謙虚。低く置かれた灯りは卓の上に上げられる、とか言います。お知らせしないわけにはいきません。清々しい思いで振り返った暗い町の一角がぽーっと底光りするようでした。

追加:小出保健所星野保健師からTEL。Yさんの件の他に秋にさくら病院で専門職研修会を開きたいとのこと。グー!


2005年07月28日(木) 看護力強化事業・けやき納涼会

Oさんの娘さんから一日家を空けたいがヘルパーさん一人になる時間があり機関内吸引は無理だからどうしようと相談あり。ケアマネも県の看護力強化事業を知らなかったらしい。ステーションが丁度受け入れてくれる事業所だったので早速導入、解決。
IさんのOTからスイッチ相談TEL。織田さん出張で解決済みを告げる。ベッド上でのパソコン操作・意思伝達など相談。

夜、遁所さん参加の納涼会にお邪魔する。「けやき」の会田さん、「からし種の家(認知症のグループホーム)」の笛木さん渡辺元婦長、「むすびや」の内山さんなど地道に長年地域活動をしている人たち。「なぜ国民の皆さんからお金を貰ってやっている大きな所(公社)がやらないで、自分たち弱小グループがボランティアみたいな形で難しいことをやりつづけなければならないんだ」と遁所さんの義憤は大きい。その通りでもあり組織が引き受けても埋められない隙間を満たすボランティア的な存在も必ず必要だと思う。


2005年07月27日(水) 他疾患相談

中之口の介護事業所から伝の心の相談あり。ALSではないが発語が難しくなっているとのこと。50台男性、難しいことは嫌いというのでレッツチャットを紹介。


2005年07月26日(火) 暑中見舞い。

患者さんへの封書に暑中見舞いを同封。良いハガキが出来たので昨日発送分にも入れられたらと悔やむ。約50通。
昨日織田さんが行って下さった室内ブザーの方、電話したら大変喜んでおられた。相談したら迷う暇もなく来て下さった、と織田さんの機動力に感謝。


2005年07月25日(月) 事務の日・PC故障・発送

午前IさんからTEL。声が小さくなったので室内用の呼び出しブザーが必要になりケアマネさんに訊いたら協会に訊いてみて、といわれたとのこと。やっと出番で少し嬉しい。メールしておいたら午後事務所に行ってみると既に織田工務店が用意万端整えていた。グーな連係プレー。
支部のパソコンがハードディスクが壊れリカバリーディスクで修復必要。こんな時はマイサポートがサポートしてくれる。まことに有り難き地域連携。

字のきれいな恵美子さんにグローバルデー郵送物の仕上げを頼む。顰蹙覚悟で無用と思われる訂正も頼む。グローバルデーのお知らせと脳スイッチ募金の案内、今年の歩みをA4に纏めたモノ。300通弱では心許ないが送料分以上は成果が出ると良いなぁ。


2005年07月24日(日) 井川さんお参り

思い立って午前メグちゃんのお参りに。ひっそりとご主人一人居間に。生きても残されても思い悩みの山。去年の今頃から入院して呼吸補助を始めたことなど振り返り。お盆に帰ってきてほしいなぁ、と。

夜・高井さんから学生(名越)さんが新潟の患者さんに会いたいのでとのTEL。中旬来港か。


2005年07月22日(金) 女だけのpcc・渡辺母子・封筒詰め作業

佐々木・坂爪・川崎・手塚・相馬・若林と常連は女性陣だけ。そこへカシオさんの奥様と雅代さんが全国大会の写真をプリントしたいと久しぶりに来局。淡いピンクの同色系の装いはいつも女性らしい。プリントは写真屋でと薦められ、結局封筒詰めのお手伝い。美味しい具一杯そうめんもご一緒に。


2005年07月21日(木) ビデオファイルのアップロード

石川支部から頼まれた「もっとコミュニケーション新潟版」や「横山さんのニュース」等のアップロードを試みる。BSNからTVニュースはHPには掲載できない旨伝えられ誠に残念。会員間の個人伝達用に使いたいと試している。永井先生の友人の先生から紹介された長岡のパソコンボランティア横山智樹さんが心強い助っ人。有り難いこと。
募金用お知らせ作りはさっぱり進まない。夏風邪っぽいのは流行に乗ってる?。


2005年07月20日(水) 種の会・グローバルデー・電話相談

グローバルデーでチラシと一緒に「脳スイッチ募金」のお願い分を作成。振り込み用紙と入れることにした。宛先は心を込めて手書きに、ということで種の会の例会を事務所でやって頂き、順延の事務の日と一緒。
堀川・小倉・三輪・礒野・田村・三瓶・織田・佐藤そして有馬各氏がそれぞれの持ち場で働いた。17,8年もALSに関わっている「普通の人たち」がいて、人生が移っていく事が話の端々で感じられる中で手紙を出すこと・・。
恵美子さんから辞職記念?の大粒サクランボが提供され、誰かのおみやげのトルコ菓子、パソコン教室とまた違った賑わいのある一日だった。
宛先は患者家族を省く会員・ご寄付者等協力者を主に約300通。金曜に持ち越された。
以前来局された、市外の親が告知された娘さんから電話相談あり。五里霧中で大変なとき。ネット情報を頼りすぎるよりそれを種に医療者との話し合いを薦めたい。


2005年07月19日(火) 痰吸引装置情報・近畿ブロックHP

痰の自動吸引装置に期待を掛けている患者さんが開発者に手紙を出し、その返信を転送して下さった。医療機器としての承認や細かい仕様改良が残っていて販売は来年初めからになる事、取り扱い方法や購入販売体制がまだ決まっていない事、でも全国に待ちわびている方々が沢山いるので出来るだけ早く完成させたいと頑張っていること、などが伝えられていた。患者さんからの要望が一番の加速器か。
先日の脳血流判定機といい、研究者は誠実に取り組んでおられると思う。

小杉さんから近畿ブロックHPに相模原事件に対する率直な患者さん方の感想が載っているとお知らせを頂いた。まことに素晴らしいHP。脱帽。http://www011.upp.so-net.ne.jp/alsosaka/Kaihou_00/k_49/2_Tokusyuu/anke-to_kaitou00.htm

病院内LANの設定をしてくれるボランティアはいないかとSさんからの依頼があった。大学林教室に依頼してみる。


2005年07月18日(月) マクトス

瞬きが困難になってきた方のために筋電センサーとしてのマクトスをお借りしたいと久しぶりに故カシオ氏宅へ。新潟のALSでは初めての購入者だったとのこと。丁寧に包んで下さったものを拝借してくる。事務所で解説書を読んでからOさん宅へ。痰詰まりでそれどころでない状態。往診にいらした先生にお見せする。


2005年07月16日(土) 幹事会

朝会計の佐藤さんよりTEL。8月一杯で辞めるとのこと。色々忙しくスケジュール調整がつかないと。見るべき程のものは見つの感か。
午後安田で幹事会。結局遅れて済みません。織田・佐々木・清水・横山夫妻に突然のオブザーバーとして平出・大越。
事務局動向報告。グローバルデーセンサー募金・陳情(複数ステーション)・スイッチ研修事業(西村さんに来てもらう)・全国代表者会議の報告。
最後の大越さんから「三時間掛けてやる内容なのか。事前準備をして短時間で終わらせられるのでは」と鋭いご指摘を受けました。専門職や健常者の会議とは違いますが、準備不足の非は私が負うものです。今回は確かに身内だけという気の緩みがありました。反省!オブザーバー歓迎ですね。

Oさん具合悪いと聞き訪問。胸押しで落ち着く。家族疲弊。


2005年07月15日(金) pcc

今日は清水さんが黒一点。相馬・佐々木・川崎・若林が手塚亭の極上天ぷら蕎麦とおからサラダを頂きました。佐々木さんが暑中見舞いを。織田さんはお仕事で欠席。平岩さんも行方不明?
食後これから外へメンバーを派遣したくともできない現状では関わった方と繋がりを持ち続けるためにもハガキを出そうと言うことなどはなしました。
デイサービスの方からスイッチの話が聞きたいとTELあり。支部のスイッチ対応姿勢を整備する時期か。

夕刻、清水さんと猪爪・近藤さんのお見舞い。猪爪さん半身起きて声に力あり。一時帰宅の話ありとのこと。近藤さんはPCに日誌をつけておられる。


2005年07月14日(木) 勇二君34歳

守岡勇二君の誕生日。今まで何かとお祝いの機会を作っていたが今年は外へは出られない、というので顔を見に。丁度妹さんが、かずき・げんきの兄弟(5歳3歳)を連れてやってきました。「お誕生日おめでとう。ハッピーバースデーツーユー・・・ディア勇二おじさん」の歌声が響き、看護婦さんもニコニコ。可愛い素敵なバースデーとなりました。カメラが壊れていて残念!

Sさんも快調、先週から同室になられたBさんも元気にデッサン画を見せて下さいました。

若いボランティアの協力を得てHPにBSNニュースを掲載しようと張り切っていたのですが、BSNの規定があり難しそうです。残念。


2005年07月13日(水) 西新潟HP・中地区センター

午前中地区センターの建物で近くのご家族kさんとお話。後3Fで青木保健師と立ち話。担当保健師は不在。患者会情報は知りたいけれど会には入りたくない方は結構多いと見受けられる。そうした方も保健所なら相談に行ける。入会も保健所や主治医からという形でないと今後難しくなっていくのでは無かろうか。
後で知ったのだが織田さんはSさんからの要請で西新潟HPへ出動、PC/TV関係の作業を、種の会の方々も車椅子散歩のボランティアの日だったとのこと。皆様ご苦労様です。


2005年07月12日(火) 地方と本部・近畿ブロック

先の代表者会議前後の所感を金沢事務局長に送る。同じく正規勤務を持ちながら前事務局長時代に比してどれ程充実してきたか分からない活躍に感謝。
他方の雄、近畿ブロック水町事務局長とも久しぶりに長話。(自宅からです)。豊富な経験からTLSの方々のお話など伺う。地方支部でも人脈による交流が盛んになれば随分助かるだろうに、等思案。無駄な心配?
時間を勘違いして約束を一日延期して頂く。


2005年07月11日(月) 事務の日・有馬亭・堀川さん

事務の日、織田・佐藤は午前中に来局お仕事、昼食を守岡母さんと共に有馬さんのお宅でおよばれ。遅くにたまたま光子さんも参加。名目は若林の誕生会。ありがとうございます。還暦を過ぎた人たちばかりのボランティアとご家族。近場ですぐ寄り合いができるローケーションの良さを感じます。
堀川さんは朗読ボランティアグループが機関誌JALSAを定期朗読してくれようかというご相談。有り難く第一回目を依頼。
ナミックス社長小田嶋さんという方が会社名で20口も会員になって下さった。本部荒川次長に一応連絡。maruyamaさんという方から伝の心係に礼状が来て本部はJALSAに紹介しろと言っているがどうしようという相談。会員でないのでお断り。そういえば礼状を添えて返却するように頼んだのだった。

この頃あっという間に一週間が経ち、メモや通信記録を見て纏め書きすることが多い。事務局仕事以外の生活が無いので大方分かるが細かいことは記せない。多分もっと簡潔で然るべきだろうが事務局記録としては利便性が高い。あしからず。


2005年07月09日(土) 代表者会議・JALSAいのちの倫理研究会

11時から東京平河町全共連ビルで。昨年は織田さん、今年は若林が参加。近畿・大分・山形・宮城・埼玉・徳島・長野・高知・岩手・熊本・福島・北海道・千葉・愛知・宮崎・群馬・広島・神奈川等々30名近い参加者でした。
本部からの活動方針説明・本部支部の連携についての質問・各支部が抱える問題点の応答交流等であっという間に5時終了の時間となりました。年一回では足りないという声をあちこちで聞きました。私はいつも出ている理事会よりもこれこそが患者会、という雰囲気を感じました。

引き続き同会館で今年度総会で提案承認された尊厳死法案提出に絡んでその関係のことを患者の立場から研究する委員会が開かれました。メンバーは橋本、熊谷、川口(委員長)、海野、吉本、堀内、若林の7名、らしいですが、川上・金沢・平岡・伊藤等部会長と言うのでしょうか、いつも何にでも出ている人たちがチャンと出ていました。事前MLで検討され名称は表記のものに。伊藤理事から背景説明がありました。目標はJALSA記載のものに。事前指示書のモデルを作ろうということに。次回8月21日までに各支部で集めて持ち寄ろうとのこと。その時伊藤理事から難しい文言の説明を聞いて勉強するところから始まります。他にTLSも近い悩み深い患者さん方の本音を、現状の意識調査?を何とかやろうという話もでました。私は以前から関心が高いので参加しましたが、大変そうな委員会です。


2005年07月08日(金) パソコン教室クラブ・患者家族相談

9時半にメール相談を受けていた三島郡の家族二人が来局。他県在住の息子さんが詳細な下調べと纏めを準備してこられ感動しました。お父様が2月に告知されたけれど球麻痺タイプで激やせしながら日々元気に仕事に励んでおられ、今後何をどう考えていけばいいか、などの相談でした。色々資料提供しましたが、お母様の方は川崎さんや他の遺族ご家族等経験者とお話ししてそれなりのリラックスをしておられたようです。人材豊富なPCCの活躍時です。
Kさん親子の他は佐々木・坂爪・平岩・井浦・手塚・若林と全8名。織田さんはお休みです。ABEさんは月曜?にイロウ手術終了とかでお休み。万博も大変だったけど無事行ってこられたとのこと。

「若林さんは絶対癌にならない。言いたいこと言ってストレスが溜まらないから」と井浦・手塚両名に保証されました。「ホントは言ってる事の何倍も言いたい。検査すると超内向的なんだけど」と言ってみたけどそれは欲張りだとか、検査法がおかしいとか何とか・・。複雑です。


2005年07月07日(木) 七夕・BSNニュース

きれいな星の写真が宮崎支部の平山さんから届き、患者さん方へ転送しました。
夜、Oさん宅で七夕会。桜見の頃はビールもたしなめたのに近くでワヤワヤやってるだけになりました。
夕刻BSNニュース。横山さんの大学講義とさくら病院訪問。林先生も出てスイッチについて主眼を置いていました。


2005年07月06日(水) 闘病チャート

金曜に相談来局予定のKさんから詳細な相談内容をエクセルで纏めた予告書を頂く。経緯・申請一覧・診療時設問・患者会設問他切実感溢れるものだが同時に何らかの書式があると患者家族は闘病対策を立てやすいかもしれないと思った。指針(チャート)。

通信業務は尊厳死に関する委員会についてのやりとり多く考え物。最初から迷路に入っている論点のずれている東京お元気路線中心の委員会で消耗するのかと。地方の少しでも安らかな終焉を願っている普通の人たちの思いはどうなるのだろう。前途多難。


2005年07月05日(火) 担当者会議・支援費事業所の開設?

Aさんに関する担当者会議のお誘いを受けていたのに日時を勘違いして遅くに駆けつける。連絡手段を持たないままの外出など緊急時対応策の詰めが甘いままの在宅やヘルパー吸引対応に疑問あり。誰が責任を持つのか、と詰めて行けば結局同意書を書いた本人に行く仕組みになっている現実。実質的な主治医不在の中ではそれをサポートする保健所・医療者にもう少しの同情と緊迫感、責任感が無いと危うい。そして患者家族自身の自覚。業務としての吸引が確立されない以上安心できる在宅体制は遠い。

Oさんに県庁秋山係長からの伝言を伝えに行く。260回事業の中で休日等時間外手当分は公的事業であっても本人との契約による、とのこと。東京風に支援費事業所を開設するしか経済的困難を解決する道はないのか?黄色い表紙の開設手引き書を持っていって娘さんに渡す。


2005年07月04日(月) 事務の日・レッツチャット

 事務の日トリオ:会計佐藤さんはいつもパソコンとにらめっこ。操作が分からなくなると織田相談役に解説して貰いその時だけの問題が解決します。銀行か郵便局へ行くことも。織田さんはこの日はマイパソコンを持参、名簿や書類の参照、インターネット接続で分からなくなると過去のメールや事務局長日誌を見たりで何かと便利です。ただ発信できないのが難点です。若林のPCは本体不在。3月DELLが二台壊れたママ、新規PCがある自宅で殆どの仕事・通信を済ませています。月曜は情報交換・金銭処理・打ち合わせ・何かの準備、関係者連絡というところ。
 本日は16日予定の幹事会内容について。県庁秋山係長にステーションの園長料金についての問い合わせ・市保健所武藤さんに定期研修会はどうなってるかの問い合わせ(結局ケース検討会をそのまま残し・10月3月?に研修会とのこと。役所は予算が付くと実態が無くなっても、より有効な方に振り向けるのでなく、そのまま続けるだけという実例を見ました。)
長者町の方から遠方の親戚に関して相談のお手紙が。他に堀川光子さんから朗読グループによるJALSA定期朗読の提案電話あり。
 旧タイプですがレッツチャット3台ファンコム松尾さんが無料修理して下さいました!いつでも貸し出しできます。


2005年07月02日(土) お見舞い数件

久しぶりの病院見舞い。猪爪弘さん、小さくなった顔にひげが伸び、眉をしかめて痛そうな顔をしていらした。スノータイヤのありかを聞く用事あり、絡めて色々話している内に少し笑みも。
TLS状態のYさん訪問。春以来。長年月関わっていた他グループが定期を中止した模様。それでも個人的に随時訪問して下さっている。うまく連携を持続できなかったのが不本意ではあるが貴重な関わりと感謝している。ご主人には会えなかった。
K氏個室からQチャンを引き上げる。自宅訪問し奥様ともお話。


2005年07月01日(金) PCC・阿賀野病院文字盤教室


今日は患者さん不在。佐々木・坂爪・相馬・平岩・織田各氏に手塚さんの冷やしラーメン風そうめん。おだしが美味しいこと。遅れていった若林舌鼓です。夕刻からの阿賀野病院での講習準備に午後一杯。織田さんは資料のコピー・皆さんにはコンクール用小道具作り。そして文字盤教室のまねごとを。結構皆さんお上手で楽しそうです。
若林は自宅でモウ一仕事、織田さんが荷物を持って先に、が、故あって京ヶ瀬から車一台で、ぎりぎり5時半開始に間に合う。
石川院長以下30名以上が参加。熱心な実習も交え90分の講習が終わりました。横山禮子さんも途中から応援参加。帰りに会津から入院している方を訪問。隣のベッドの方も、時々訪問する方がないと淋しいだろうな・・・。
9時過ぎ若林は夫の留守を良いことに次の会へ。織田さんはJALSA号でご自宅へ。無料奉仕のお仕事、これが皆さんのご寄付に依る患者会の啓蒙活動というものかもしれません。


事務局超日記