事務局 日誌
DiaryINDEX|past|will


2004年12月29日(水) 井浦さんと

年末井浦さんと大橋・井川宅へ。ゆうさんは具合悪そう。井浦さんがさすってあげながら一緒に馬鹿話を少し。午後は川崎さんが来て水曜ボランティア納めで第九「歓喜の歌」の歌をヘルパーさん達と一緒に歌ったとか。ありがとう、ごくろうさま!
井川宅は佐藤恵美子さんも一緒。息子さんだけだがアルバムなど見せて頂く。
西脇さんからCD他忘れ物届く。


2004年12月27日(月) 事務の日・賀状

今年最後の事務の日
総務・会計:寄付者名簿の記入。織田さんが実務担当分以外の賀状は既に出したそうです。
実務:患者家族遺族への年賀ハガキ作成。
手塚さんがちょこっと顔を見せ出来損ないと言うけれどとても美味しいハリハリ漬けのお裾分けを下さいました。
参考福祉カレッジの清水さんがご挨拶に。
エイテン小熊さんは7日(金)10時にドメインのことで来局予定。
山田雅則さんが自伝を完成されたとか。伝の心の威力!

今年一年お世話になりました。先の読めない時代、JALSAもJALSA新潟も同様です。何人かの方々と永久の別れをしながら、日々を重ねていくだけ。それでいいか疑問のまま暮れようとしています。


2004年12月24日(金) お見舞いサンタ

織田さんと震災被災の方々へ皆さんからのカンパをお届けする。
十日町の仕事場へ小泉夫人を訪ね手渡す。越後製菓の餅一箱を皆さんにと頂く。住居へ行ってみる。見たところはそのまま住めそうだが崖っぷちにあり地盤が傾いているので確かに危ないかも。
小千谷さくら病院へ小泉忠男さんと小林富美子さんを慰問。忠男さんはお元気そう。富美子さんは「生きるか死ぬかの瀬戸際だけど、不思議とよみがえる」とご自分で言われて看護婦さんは微笑んでおられた。回復途上らしい。
「歳月があっという間だけど若林さんの顔を見たらぴっとした」と言われた。古い同志の感覚か。
遅くなったが津田事務局長や若林院長ともご挨拶。
長岡は夕方になり、高橋さん、小野塚さん、最後に西脇さん宅へ着いたら5時過ぎ。お見舞い金とカンパ者名簿(コメント着き)をお渡ししたら涙ぐんでおられた。看護学校での授業風景を後で送って下さるとのこと。
時間切れで見附はパス。ごめんね清水さん。事務所へ着いたのは7時過ぎ。織田さんに更に用事を頼んでしまいました。済みません。お疲れサンタ様ですね。


2004年12月22日(水) 3行

午前Oさん宅、快調で3行も入力。1時間半。グッタリと消耗されていた。鶴が羽根で織物を織るように身を削って書いておられる。


2004年12月21日(火) 相模原事件公判傍聴メモ(金沢事務局長)

午前O宅訪問。気分は下でお休み。ブザーの依頼受ける。
相模原事件の金沢事務局長による第3回公判(17日)傍聴記[maee]に入る。
関心のある方はmaeeに参加されたい。御連絡下さい。
************************

皆様へ報告とお知らせ

 8月26日に相模原市でおきたALS患者(40歳息子)を母が呼吸器を
 止めた事件に対する第3回公判が
 12月17日1時半〜2時半頃まで横浜地方裁判所101号法廷で開か
 れました。
 検察官より約40分、弁護士より約20分最終弁護、被告(母)より
 最終陳述がありました。
  検察官より殺人罪、懲役5年の求刑がされ、次回2月14日(月)
 1時半〜3時に横浜地方裁判所101号法廷で判決言い渡しがされます。

**当日の金沢傍聴メモ。正確には裁判記録を参照ください**

検察官の論告要旨 
 ・ALSで呼吸器を付けていた患者。介護できないと悲観し殺害した。
  しかるに被告は調書をひるがえし、承諾殺人と主張している。
  被害者の気持ちは理解できるが殺人罪に該当する。
 ・平成13年1月入院。3月診断。その際、母が「呼吸器をつけると外せ
  ない」説明をし「40歳まで生きたいとの希望」で呼吸器をつけた。
 ・平成13年8月、転院先で2度の呼吸器トラブルを自分で難を逃れた。
 ・平成14年に「呼吸器をつけたことを人生最大の失敗」と言い出した。
 ・平成15年に「死にたい」。平成16年7月に「他の疾患になっても延命
  処置はいらない」と訪問看護師と母に伝えている。
 ・呼吸器外しに対して、母はふびんに思いながら「そんなことはできな
  い」と叱咤激励をしていた。
 ・3ヶ月に1回、ショートステイを利用していた。病院では手厚い看護が
  できないこととコミュニケーションのことで行く事が嫌になっていった。
  同年9月1日よりショートステイを予定していたが、自分(母)がコミュ
  ニケーションができないのに病院では出来ないと判断した。
  「これまで息子を励ましていたのは自分のわがままではと思い」殺害
  に到った。
 ・7月より意思疎通は悪くなったが出来ていた。
 ・取調べは温厚な検事であり、捜査段階の供述は信用でき、法廷での
  供述は信用できない。
  看護師は8月26日にコミュニケーションができたと言っているが、
  「はい、いいえ」に20分かかったといっており、コミュニケーションが
  困難であったということは調書と整合性がある。
 ・転院先のK病院で呼吸器取り扱いミスに対して自分で引っ張り回復
  した。(2回あった)。病院は「このような患者は病院におけない」と言
  ったが本人は誤解からの発言であることを了解していた。
 ・動機で被告は「本人の死にたい希望があった」というが調書では「わ
  からない」と言っている。
  7月以降、コミュニケーションが困難と言っているが法廷では「当日
  は不思議なことに意思疎通ができた」と言い、信用できない。「早くつ
  れていってくれ」は一緒ということで本人の願望。家族の介護が想像
  を絶するものであり、本人が誤解されたくないと思い、供述をひるが
  えした。
(まとめ)
 ・患者の意思は確認できていない。
 ・人の気持ちは変わるものであり、直前に変わるもの。思いとどまるこ
  ともある。
 ・推測すべきではない。
 ・7月8日の聞き取りメモは延命処置に消極的であるが呼吸器を外し
  て欲しいとのことではなかった。「ほっておいて欲しい」と理解するの
  が自然である。
 ・看護師も供述をひるがえしている。7月8日は十分話せていた。自ら
  安楽死を希望することは表明できたはず。
 ・直前に呼吸器を外すこと」の確認がない。「おふくろ、ごめん」は「シ
  ョートステイを止めることに対してか「呼吸器を外す」ことに対してか、
  分からない。
 ・被害者は仮に死にたい気持ちがあっても母を犯罪人にしたくはなか
  った。母には死にたいと言っているが看護師には言っていない。どう
  しょうもない状況で起きた。母が「一緒に逝くから」と言い、患者は
  「黙認」、母は「息子の温もりを感じていたい自分のわがまま」と思い
  到った。
(意見)
 ・2倍の睡眠剤を段階的に与え、自らも包丁を別に準備していたことから
  前途を悲観しての計画的犯行である。
 ・一人の命が奪われた。意思疎通が低下しても殺害は許されない。
  犯行の動機には同情の余地はあるが、被害者(息子)にあきらめるこ
  となく生きる希望をもたせるようもたせるよう頑張るべきであった。
  軽々に命を奪ってはならない。
 ・意思疎通が厳しくなっても懸命に頑張っている多くの患者や社会的
  影響は大きい。

弁護士の弁護要旨
 ・全国のALS患者・家族にとって重い事件。人間の尊厳を考えるきっか
  けになって欲しい。
 ・ALS患者は7000名弱。ALS協会に約1700名が入会している。関
  係者の善意に支えられたものが国に理解されているとは言えない。
 ・呼吸器装着時、生死の選択を迫られる。後で呼吸器を外せないことを
  包み隠さず医師は話すべき。装着後のケア、アドバイスをすべき。
  直前までされていなかった。
 ・平成13年3月13日、本人に運動ニューロン、家族へALS告知。3月末
  気管切開、呼吸器装着。心構え不十分。S病院での告知が無機質であ
  った。転院から在宅。問題を端的に物語っている。
  S病院では十分な指導を受けられず、K病院に転院。転院先での看護
  師への不満。
 ・在宅になって母は息子の弱気を知り、生きる希望や励ましをした。
 ・平成16年8月、文字盤のみとなる。母のみに気持を許した。生きること
  に絶望。「人生で呼吸器をつけたことが最初で最大の失敗であった」
  との発言。 母に呼吸器停止のボタンを教えた。
 ・つかの間の充足感を感じていただろうが苦悩があった。看護師、かかり
  つけ医に死にたいことを述べていた。
 ・「生き地獄」どこの世界でも息子を殺す人はいない。子供のことを思うの
  も母。
 ・H病院の専門医より「延命を拒否しているのならメモを」と頼まれた。
 ・嫌がるショートステイに送り出すことを止め電源を切る。
 ・8月26日は何時になく明確に文字盤を拾った。本人が求めることに対
  して、渾身の力で「おふくろ、ごめん。ありがとう」と言ったのである。
 ・3年半の壮絶な闘いの中で判断すべき。生きる意味を積極的に求めな
  がら、できなかった患者。「おふくろ、ごめん。ありがとう」をかみしめる
  べき。
(まとめ)
  不幸な事件であり、一応にあてはまるものではない。多くの嘆願書をい
  ただいた。
  発症から死までの足跡をたどり、得心のいく判決を望む。被告に生きる
  希望を。
(裁判長より弁護士に)
 ・承諾は嘱託を含むと解釈してよいか。(弁護士)よい。
(裁判長より被告へ)
 ・最後に言っておきたいことはないか。(母)特にありません。息子の供養
  をしていきたい。

******
(このメールを読まれている関係者の皆様へ・・ALS協会事務局長 金沢)

・どこまでこの事件の詳細や背景を明らかにすべきか、それがなくては議
 論は難しいことと思いますが、ご家族のプライベートなことや関係者への
 配慮もあり、裁判で明らかにされたことに報告をとどめています。
 (裁判では実名、機関名まで述べられています)
 患者さん、ご家族にとっては重々、状況は推察、理解でき敢えてもう知りた
 くもなく触れたくないことかもしれません。しかしこの機会にALS患者・家族
 のおかれている実態を関係者に理解してもらい、再びこのようなことが起
 きないようにしなければなりません。現実を直視し、共に考え解決の道を
 探らなければ第二、第三の事件がおきるこことも否定できません。
  JALSAには18年余の歴史があり、告知をされ絶望の中で生きるか死
 ぬか悩み抜き、また呼吸器選択に悩みながら共にその道を切り開いてき
 た歴史もあります。
 呼吸器を付けない患者も付ける患者もどのように残された時を生きるか考
 え、また支援者はALS患者の生命をどのように支え、尊厳をどのようにし
 たら全うできるか共に闘い歩んできた歴史があります。
  今回の事件は呼吸器装着患者が増え、療養期間が伸びるなか、ALS
 診断から3年半、コミュニケーションが困難になる中で在宅療養中に起き
 た事件であり多くの大切な問題を含んでいます。約2400名の嘆願書で多
 くの方々より意見も寄せられていますが、引続き率直な感想、意見を協会
 まで寄せていただけると幸です。
 
・お母さんが協会の会員でありながら、地域の花見会や交流にとどまり、支
 援の手を差し伸べることができなかったこと。まだ協会の活動は患者・家族
 が言ってくるまで支えることができない力量であること。ALS協会の療養
 支援について本部、支部として反省すべきことがあると思います。

・国で難病施策、ALS支援策が行われていますが、どこまで本当に支援になっ
 ているのでしょうか。
 全然役にたっていないとは言いませんし多くの方々から支援を頂いています
 が今回の事件は一つの検証事例でもあります。
 今回の事件はALSの息子と母の「殺人」か「承諾殺人」の問題ですまされる
 ことなのか。そうではではなく、社会性をもった事件であり他のALS患者・家
 族等が抱えている問題です。
 お母さんだけが裁かれて済む問題なのか。そうではないと思います。
  病院からはたらいまわしにされ、在宅療養では患者の息子と母が孤立した
 世界に入り、お母さんが「息子を生きろと励ますのが、自分のわがまま」と思
 うようになったのは個人の問題なのでしょうか。「患者・家族が言う」ことをそ
 のまま受け取り、止むを得なかったこととして扱うことが医療・福祉の社会的
 支援なのでしょうか。
 何故、医療、福祉の関係者、機関はそのようになるまで手を差し伸べず、
 機能できなかったのでしょうか。
  そこまで医療、福祉関係者、機関に求めることはALS患者・家族の行き過
 ぎた要望なのでしょうか。
  現場のかかりつけ医や看護師は証人尋問のなかで反省の発言をされてい
 ます。
 しかし、国や行政、病院からこの事件に関しての反省の声はまだ聞かれま
 せん。
  聞こえてくるのは厚生労働省科学研究 難治性疾患研究事業で「よりよい
 生き方と逝き方を考えるー重症疾患の診療倫理確立に向けて」というシンポ
 ジウムを開催し、「抽象的に呼吸器を外すことを望むALS患者を設定し、本
 人が望めば外すことは許容される」等の研究発表です。
  研究や議論は自由ですがALS患者・家族だけでなく同様の問題を抱える
 ものにとって今後に極めて大きな影響を与える事柄です。当事者である多く
 の患者・家族の意見も聞かず、同時にこのようなことが行われていることに
 危惧を抱かざるをえません。

 少し、批判めいたことを述べましたがこれは事件後に関わってきた事務局長
 としての率直な感想であり、問題提起です。
  皆様からのご意見を期待します。
                          12月20日
日本ALS協会事務局長  
金沢 公明
 〒146ー0095
 大田区多摩川2−24−6−618
 TEL&FAX 03−3758−8955
 携帯 090−7188−2760
 E−Mail zad97059@pine.zero.ad.jp

日本ALS協会事務局
電子メール アドレス :
jalsa@jade.dti.ne.jp
電話番号 : 03−3267−6942








--[PR]------------------------------------------------------------------
▼ お試し生餃子セット 1,890円(初回送料無料) ▼
http://ad.freeml.com/cgi-bin/ad.cgi?id=cYC8z
 一口サイズの「一口生餃子(10g×50個)」、肉のジューシーさがたま
らない「もち豚肉生餃子(25g×12個)」キャベツたっぷりあっさり味の
「野菜生餃子(25g×12個)」==餃子工房RON(株式会社 鳳食)==
------------------------------------------------------------------[PR]--
■GMO GROUP■ Global Media Online www.gmo.jp

------------------------------------------------------
ALSメーリングリスト maee@freeml.com


2004年12月20日(月) 事務の日・ADSLに・倉富さん

午前BふれっつをADSLに変換する工事を待つ。来ない。午後一番とのこと。エェ?1時間半かけて完了。小熊さんにドメイン申し込む。
倉富さんご挨拶に。16日には埼玉の人。リハビリCDを作りかけたけど未完成。お送りすることに。
織田さん、賀状宛先リスト作成。寄付者名簿作成。
さとうさん経理。ご寄付カンパ多様面より。感謝。会津ALSの会からも3万円。賀状で御礼しようとのことになりました。27日の作業です。
織田さんCD金曜に沢山作ってきてくれました。それを三浦・内山各氏に発送。
井浦さん夕刻来局。久し振りなので織田・有馬・若林でさんとお好み焼き屋さんへ。チョット気晴らしになりました。雨。


2004年12月19日(日) 賀状原案

しばらくオサボリしていた日誌。織田氏訂正があったら教えて下さい。

今日は支部の賀状の原案を作りました。織田・横山各氏からクレイムあり。


2004年12月18日(土) アップロード

昨日のPCC忘年会を欠席の方にもお見せするべくホームページにアップロード。BSN愛の募金風景も。写真を加工するのに大変時間がかかるので以降はチョット考え物ですね。


2004年12月17日(金) PCC・クリスマス+誕生会+忘年会 山梨へCD発送

守岡母子・清水氏を迎え年忘れ。ノリ先生は加齢祝い。4ヶ月遅れだけど・・。佐々木・平岩・坂爪・手塚・えみこ・織田・有馬・ワタコーさんも特別参加。手塚シェフ達の心のこもった特製天ぷら、えみこ特製バラ寿司・北海道のいとこ煮他豪華メニュー。食べられなくても楽しんでくれる勇二君は神様です。
夕刻、巻保健所から依頼のKさんへ貸出の吸引器。点検したら部品が不足。急遽新鋭工業・源川医療機器の○○さんへTEL。何とか入手。感謝。
別途山梨へ本日中に送るCDのラベルを貼って40枚完成。近藤家にチョット寄った後クロネコヤマトの〆切8時半に滑り込みセーフ。
Oさんの顔もチョットだけ見に行って一日が終わりました。


2004年12月16日(木) 大学訪問・西新潟クリスマス会・震災CD作り

久し振りに大学訪問。YAMAGISIさん胃瘻術語順調でいいお顔色。懐かし涙。一安心。師長さん・S先生とも立ち話。西澤先生の発表画像など見て頂く。

2時から西新潟病院でクリスマス会。ロビーで看護師さん達がベル演奏・お話し語り・安来節等々大奮闘。種の会の堀川さんも付き添いごくろうさま。

山梨北島さんの講演会が金土にあるのでCDを販売したいとのこと。いつものように直前製作。CDは出来るけど、表面印刷のプリンタが発色悪し。結局金曜用はあきらめる。


2004年12月15日(水) ひまわり忘年会・BSN愛の募金

Oさん宅。初めてのメールに挑戦。嬉しそう。
ひまわりの種の会、福祉会館で食事作り着き会食忘年会。三輪・小林・田村・磯野・星・堀川・石井さんに大越夫妻も元気なお顔で参加。ごちそうさまでした。織田さんへのお土産付きでBSN会場へ。
1時半から愛の募金授与式。今年は25万円、織田さんと共に横山支部長が妹さんとヘルパーさんを介助に参加。社長、大倉さんとも面通しできて大成功、と織田レポート。若林は孫の日で失礼しました。


2004年12月14日(火) おぼろ

久し振りにOさん宅。東京情報を報告。伝の心はパス。
何やってたか殆ど覚えてないけど13本メール発信してます。ドメイン確保の件、東京での交流の後始末。ホームページの感想への答え。CD注文答えなど。多分日々はこうして流れているのでしょう。


2004年12月13日(月) Bふれっつ解約・事務の日

先週金曜から自宅インターネット不通。午前小熊さんに来てもらう。事務所をBフレッツにしたため自宅の普通のADSLが対応しなくなったとのこと。面倒なので解約。小熊さんのEITENでドメインを取るとホームページ容量心配なくなるとのこと。Bフレッツを解約し、そちら路線に乗り換えることに。
午後事務の日。会計振込豊かな様子。感謝。織田さんにもドメイン了承頂く。
会計処理。礼状、確認電話等々。


2004年12月12日(日) QOL班会議(全共連ビル)

9時から永田町全共連ビルで恒例の中島孝先生班長による標記研究発表会。午前中は呼吸器外しの演題がいくつか出る。西澤先生・宮坂先生の発表も。相模原事件の影響もあり北里荻野先生の意見に患者会理事から質問が出るなど白熱。いよいよ本丸入口の感あり。堀川医院スタッフの発表を聞き逃したのが残念。後でフロッピー頂くことに。
帰途堀川先生のご厚意で一行に便乗させて頂く。深夜バス券を無にしたがずっと楽でした。


2004年12月11日(土) 本部理事会

11時から新宿戸山ハイツで本部理事会。


2004年12月10日(金) PCC

川崎さんのレポートです。(若林は明日の理事会に備えて空路上京)

出席・織田師範・佐々木夫人・坂爪さん・猪爪さん・平岩氏・手塚さん・相馬さん・川��
お食事タイムに井川氏。吸引機・スタンドなどを持ってきてくれました。
渡辺こういちさんが林檎・薇・年賀葉書などを持って参加。有馬さんも林檎を買いにきてくれました。

珍しく患者さんがお出でにならなかった日。
近藤氏は栄子さんのために入院。お部屋が空いたら病院でインターネットを出来るように先生にお願いされたとのことです。

平岩さん大活躍で(具を練る・包む・・・ほとんど一人でやってくれました)、手塚さんの美味しい」

餃子を頂きました。
織田師範ル・レクチェ・平岩さんから長野のラ・フランスの差し入れ。双方とても良い食べ頃で美味しく頂きました。

佐々木夫人・坂爪さん・猪サンは年賀状制作。
携帯用小型プリンター使用不可。ヘッドクリーニングなどをやってみたのですが印刷不可能です。

手塚さん経由でのお米が届きました。30キロ1万円。織田さんが支払いをしてくれました。

北海道しんやさんから電話。会報が届いたこと・呼吸器を付けずにすみそうとのことでした。
清水さんのこと、昨年事務所にきたことなど懐かしそうに話していられました。
美恵子シェフからも電話有り。ただいま東京とのこと。今日は金曜日と思ってかけたとのことでした。

大橋さん宅へクリップ届けておきました。

ノリ

(織田さんにCDラベルお願いしたのですがIT不通でファイルが渡せませんでした。そこをなんとかして下さってありがとう!飛行場への送りもありがとうございました)


2004年12月09日(木) 事務所変身・震災CD

朝から織田さんが大工仕事。ゴッチャゴチャの8畳が素敵な書斎に変身!階下(4階)から一言言ってとクレイム。でも尊いお仕事ですと日中は不問。
それにしても織田さんのリフォームセンスは凄い!

山梨で11日開かれる県内の看護研修会で販売するための震災CD。内容修正とラベル作り。PDFアプリケーションを使いこなせなくて画像の大きさ統一が出来ず断念。せっぱ詰まってるとチョット手の込んだ新しいことが修得できない。最低限OKの線で行くことに。


2004年12月08日(水) 改造・手術・吸引器部品一つ無くても困ります

午前事務所へ行ってみると鍵が開いてます。あれ?織田さんがなにやら大仕事を始めました。6年前以来の改造が始まりそう。
Kさん一家の大事な日。娘さんの手術日です。ALSファミリーは一軒の大事はみんなの大事。平岩さんはじめ皆さん応援してます。

ノリさん・あやちゃんから緊急電話。Oさん宅で吸引機の部品が一つ壊れて使えなくなったとのこと。結局業者から借りられたけど、連絡先が分からなくてあたふた。日々の安全は綱渡り。緊急時対応を常に念頭に。


2004年12月07日(火) 発送・上村県議会副議長

朝、えみこさん、有馬さんと三人で開封作業他。約500通西局搬入はえみこさんに任せて大橋さん宅へ。フジレスピロニクスの中村さんへTEL。

1時県連小島さんから上村議員が陳情の件を詳しく聞きたいと先日TELあったので議会棟へ。久し振りの上村さんお偉い役回りになったので副議長室へ入る前に何人もの人が立ってお辞儀をしてくれる。ぼさぼさ頭でシミの付いたトレーナーにはそぐわない場所。

やあお久しぶりと話しているところへ思いがけなく県の玉井難病対策係長、歌川看護介護人材係が入室。こちらが県庁へ出向かなければ行けないと思っていたのに上村さんが場を設定して下さった。
要望書に沿って順次説明

1)難病センター構想:県も取り組んで居るとのこと。患者会がイニシアティブを取ったら?と提言も頂いた。マンパワーがあればと応える。

2)スイッチ・センサーの補助:国へ日常生活用具に組み入れてと行政として申し入れる同時に県で全国の先例となるべく頑張り給えとプッシュして下さった。

3)吸引器5万では不足なのでと訴えた。発電機は補助対象には難しいが実際使えるものを買う補助は必要とまた議員がプッシュ。

4)看護協会訪問看護推進事業24時間モデル事業の件。受け手が無いし県からも財源が難しいと見送られた模様。年度末までの現状調査、来年度推進協議会の設置は予定しているとのこと。現実的に看護の手がもっと欲しいと訴える。話の中から宮城県のホット息抜き事業や新潟での看護協会によるNPO法人事業の検討などの具体案も出てくる。細切れモザイクサポートでなく、一日分の金がもっと生きる形でのサポートを考えて欲しい。考えていきましょうとなりました。(その間に患者さんはドンドン悪くなっていくので、日暮れて道通し、が実感ですが・・・)

突然でしたが久し振りに熱血上村憲次健在を感じた日でした。


2004年12月06日(月) ひまわり発送・事務の日

10時から織田・堀川さんが事務所へ。昨日一大辛苦をした二つ折り紙面を搬入。2時から8時までかかってようやっと半折りが出来た上質紙。おまけに防災マニュアルは刷り上がりが悪くて半徹夜で詫び文と患者さん用訂正版を作る。御難続きの震災特集号だった。せめてカンパが集まってくれるといいが。
午前は有馬さんや三輪さんも、午後からは磯野さんといつものえみこさんが参加して作業。7時過ぎに一段落。後は翌日。
「ひまわりの種の会」の発端はこうした会報発行で集まってもらったことだったのを思い起こした。

午前中k氏が来局。来月半ばに国に帰られるとのこと。現在の主治医の診断書で通所リハビリが出来るとのこと。最初のあの朗らかな瞳の輝きが鋭く突き詰めたものに変わっていく。現実を知らす事の重さと辛さが染みる。


2004年12月05日(日) 次のものありませんか?

<掃除機、ファンヒーター3台、物入れ、食器棚>
三条の知的障害者支援もしている結屋の内山さんが、避難所帯のために必要だと探しています。お心当たりのある方若林へ御連絡下さい。
ファンヒーターは出来れば石油式。電気式はx。ガスも良いかも。


2004年12月04日(土) 災害マニュアルアップロード

山岸夫人からtel。イロウ手術は30日だったとのこと。
午後、支部便り刷り上がる。海津商店へ取りに行く。
静岡中部保健所作の「災害時の行ける難病患者支援マニュアル」をHPにアップロード。


2004年12月03日(金) PCC・井川淳さん・bフレッツ

近藤さんお一人で・・。PCCの仲間へ信頼のメッセージ。お大事に。
井川淳さん吸引器・唾液吸引装置・ボードなどお持ちになる、彼女の。
イノさんはタイヤ交換でお昼も抜き。小杉さん・平岩さん・小熊君と男性陣。手塚さんの手の込んだ肉じゃが(スゴ〜イご馳走)を坂爪さん・相馬さんが汗だくでお手伝い。佐々木さんは綺麗な年賀状を仕上げました。ノリ先生の誕生祝いは17日ということに。
bフレッツの工事。セコムも来る。丁度小熊さんが居て何かと分かりやすい。PDFファイルのテキスト化、若林宅のパソコン設定確認なども頼む。ボランティア精神豊かで心配。子供もいるのにお金にならないことばかり・・。ヘルパー講習も受けているそうだが。
昼過ぎに封筒が印刷されていたのに取りに行きそびれ皆さんに宛先ラベルを貼ってもらい損ねました。残念。


2004年12月02日(木) PDFのテキスト化

「照る日かげる日」を横書きにすべく方法を探る。試行錯誤の日。


2004年12月01日(水) ひまわり・ゆうばえ

新規レザープリンターと格闘。ようやく印刷可能になり「ひまわり・地震特集号」打ち出しました。イヤー最後の山(印刷)が参りました。
海津商店へようやく持ち込み、できあがりは今週中は無理かも。封筒だけでも金曜昼までにとお願いしてきました。

「ゆうばえ」のKNS来局。ケアブック2冊購入、文字盤品切れ、もっとコミュニケーションCDあげるの忘れました。
井川さんの所に入っていた方で、彼女がとても明るく指文字で冗談など言ったりしてくれていてALSは暗いというイメージが変わったといっていました。病院のイメージと在宅とではまるで違ったとも。それなりに充実しつつある様子が伝わってきて少しホットしました。


事務局超日記