2012年04月30日(月) |
果たさぬカイコウ、ショク罪 |
昼前に博多は天神駅前にバスは到着したのである。
博多よ、わたしは帰ってきた。
友とふたり、学生時代に訪れて以来であるから、二十年ぶりくらいになるだろう。
当時、父母の友人である方に真っ昼間だというのに焼き肉をご馳走してもらったのである。 しかし、わたし自身はその氏と初対面であったので会話もままならない。社交性に長けた友がいてくれたとはいえ、友にとっては何の接点もない見知らぬおっちゃんが相手である。
なんとも珍妙な時間であった。
氏と久方ぶりの再会、というのもよかったが、鹿児島行きの新幹線の時間も、ある。
帰りの日に、会えそうなら連絡してみよう。
今は、その前にゆくところがある。昨夜からまともな食事をとっておらず、空腹である。 そうとなれば、さっそく天神から地下鉄で大濠公園に向かう。
新幹線までの猶予は三時間少々。 往復で余裕があるはずだったのである。
さあ、着いた。 目的の店が見える。
「王さん(現ソフトバンクホークスの会長)が入院中、病室を抜け出してまで食べにいった店」
である。
エヴァ娘の番組とブログで紹介され、すっかり全国区の有名店になったようである。
人の列、列、列。
まさに今はお昼時。 最後尾へと列をたどってゆく。
わたしは、行列に並ぶのは我慢と納得がゆかない人間である。
たどるうちに、やがて最後尾を通り過ぎて、引き返すことにしたのである。
並んで待っていては時間が足りない。駅弁をじっくり選ぶ時間の方が、よっぽど有意義である。
帰りの日に、また来てみよう。
敬愛する百ケン先生は、どんなに旨い蕎麦屋よりも、出前できちっと食べたい時間に届けてくれる並みの蕎麦屋の方を好んでいた。
それに少しあやかってみよう。
博多に戻り、弁当をふたつ購入する。 博多鹿児島中央間の乗車時間は一時間半くらいである。 いくらなんでもふたつは食えない。 ひとつは宿での分である。 宿には朝食しか付いていない。 食いに出かけるのにも、目当ての店が開いているか、はたまたまた列に並ばねばならないかわからない。
明日からの予定を立てながら、もそもそと摘まむのがよいだろう。
そのつもりだった。 新幹線さくらの車窓と乗り心地を味わっているうちに、弁当がなくなってしまったのである。
座席に腰を落ち着かせるやいなや、ひとつめの包装を解いたのは覚えている。 博多駅限定という牛焼肉弁当だった。
ふたつめの包装を、解いたのかもしれない。
そういえば、「極黒豚」という紙を四つに折り畳んだ記憶が、おぼろげに、ある。
車窓とは、罪である。
流れゆく景色に目も心も奪ってゆくとは。
くちくなった腹をさすっていると鹿児島中央である。 ここから乗り換えて国分という街までゆく。
わたしが霧島への入り口とした街である。
観光地ではないため、日常のものが手に入る店がいろいろある。 逆にいえば、名物を食える店が少ない。
明日の買い出しに向けて、界隈の便利な店の場所を見て歩く。 何よりも百円均一とホームセンターがあったのがありがたい。
ここで必要なものが安価に手に入る。
駅の表と裏をひと回りしてみると、小腹がぐうと鳴き出した。
チェーン店らしいが、この街で黒豚とんかつを食うならこの店、と紹介にのっていた店の灯りに吸い寄せられる。
とんかつに罪はない。 いやしきはわたしの胃袋なのである。
いやしき胃袋に罰を与えんと、もう食えん、というところまで食らってやろうと思ったのである。
実際、カツ丼の並くらいならなんとか入るか、くらいの空き具合であった。 そこに、蕎麦が付いた定食を頼んだのである。
はあぁぁ。
食い過ぎだと注意するものもなく、無駄に贅沢に詰め込める。 至福である。
明日からが本来の旅のはじまりである。 前途は洋々か多難か、漕ぎ出してみないとわからないのである。 腹が膨れると、気持ちも大きくなるものである。
矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、と豪語してみたのである。 それは線路を過ぎてゆく星鉄の陰に散っていったのであった。
2012年04月29日(日) |
揺れるモノ、上がる幕 |
今夜、九州に向けて東京を出ます。
東京から九州へ旅にでる。といえば、誰しもが飛行機を選ぶだろう。
しかし、わたしは違う。
バスである。 もちろん、夜行。 飛行機の片道分の運賃で、往復できてしまうのである。
何よりも、旅の味わいが、違う。 飛行機などではとても醸すことが出来ない「旅情」というものがある。
夜八時半東京駅丸の内を出発し、翌昼前に福岡県の博多に到着する。
博多からすぐに、今回の本命である鹿児島に向かう。
「九州新幹線」
である。
「阿房列車」がわたしの旅であるというこだわりが、最近の旅の中ではじめてまともに鉄道を使う。
まだ出発前日だというのに、駅弁は何がよいかもう頭がいっぱいである。
うきうきしていたら、一時間後にバスの出発時間が迫っていたのである。
まだ、谷中の自宅で積み込む荷物に悩んでいる最中であった。
「ギューインッ、ギューインッ、ギューインッ……」
ほらみろ。 携帯電話のアラームが、急かしているではないか。
「強い揺れに備えてください」
地震警報である。
わさわさわさ。
知るか。 勝手に揺れてくれ。 こちとらそれどころじゃあ、ないのである。
まて。
これで地下鉄が止まったり遅れたりしたら、バスに間に合わない。 それは一大事である。
テレビがキシキシと倒れぬよう踏ん張っていたのはすぐにおさまり、今は速報を流していた。
とめてくれるなおっ母さん。 上野の山も今宵かぎり。 また来週、帰ってきたら無事の再会とゆこうじゃあないか。
部屋は大変な荒れようであった。
地震による被害、といっても間違いではないかもしれない。
ひかれる袖を振り切る思いで、わたしはメトロに飛び乗ったのである。
心配は、ただ東京駅のグランスタで夜食のイベリコ豚の弁当を買う暇がなくなってしまったことだけであった。
「阿房列車」の著者である内田百ケン先生ならば、夕方にはもう東京駅に着いていて、同行者であるヒマラヤ山系氏に切符と酒と食事の手配を全てしてもらっているはずである。
そのくせそのヒマラヤ氏に小言や文句をぶっつけつつ列車の出発に胸を小躍りさせている。
しかしわたしはひとりで、その二役をやらねばならないのである。
さて、丸の内に着いた。 やはりグランスタにまで寄る暇はない。 コンビニでパンを買って済まそう。
こうして、わたしの「九州縦断ブラリ旅」が幕を上げたのである。
桜花繚乱。
であった。
というのは、四月頭にこれを書いていたからである。 それにしばしお付き合い願いたい。
都内屈指のお花見スポットである上野公園が、わたしの家路の途中にある。
しかし、上野公園の桜のトンネルよりももっと素晴らしいところが、近所にあるのである。
それは谷中霊園である。
それはそれは「お見事」なのである。
谷中銀座でつまみの惣菜を買う。 テレビや雑誌で毎回紹介される「谷中メンチ」のサトウさんでメンチを買うのは、素人である。
わたしくらいになると、「いちふじ」さんで買うのである。 こちらはあらゆるマスメディアの取材を拒み、本当に谷中の地元の皆さんのために、旨い惣菜を安価で提供してくれているお店なのである。
やきとり、皮、つくねの串を一本ずつ。 唐揚げを百グラム。 メンチを一枚。
「焼おにぎり」があれば完璧なのだがなかったため諦める。 しかし、これでも五百円でおつりがくるのである。
少し肌寒いので、あたたかいお茶を買って駅の脇の階段を、とんとんとんと上がってゆく。
桜の枝花がわたしを押し潰さんとするように頭上を覆っている。 枝花をくぐり抜けつつ、串やメンチや唐揚げを平らげてゆく。
やはり、この街が好きである。
わたしが、ある意味であらためて歩みだした街である。 そこからまだ飛び出してはゆけないが、ここからなら遠出しても帰ってこられるようなつもりになれるのである。
それは深夜に会社からタクシーで二十分少々で帰れるということも含めてであるが、そんなことは、できれば遠慮したいがこれがまた重要だったりするのである。
三時に会社を出ても、四時には着替えて家で寝られる。 そうすれば三時間睡眠が保てるのである。
こんな自虐的な利点は考えるのをやめよう。 そんなのは、もう、御免蒙りたいところである。
四月からの組織改編で、わたしはBIMチームに残った。
そしてこれまでBIMソフトを触ってきた者たちは、他の二次元のCADチームに移されてしまったのである。
なんということだろう。
しかしチームの長に、親会社でずっとモデリングのルールだとかの研究チームにいた御山さんがやって来てくれたのである。
時々わたしは御山さんに相談や質問をしていた間柄で、くだけた会話もできる。
その御山さんが出向で我が長になってくれ、いったいどのように業務を変えることができるのか期待である。
よし、今のうちに休みの予定をとってしまえ。
そんな勢いで、それには何の意味もないのだが、旅先をちょっと探してみる。
わたしは、何かを持っているのかもしれない。
よさこい祭りの本選最終日に、高知市内で、さらにはりまや橋まで徒歩圏の宿に空きができたのを、見つけたのである。
よさこい祭りの期間は、参加者や関係者、そしてよさこいファンが全国から高知市内にやって来ているのである。
であるから、会場である高知駅に近い宿など、なかなか取れないのである。 一昨年、わたしはそれで室戸岬に宿をとることになったのである。
今年は年が明けてから、勿論宿泊受付は予約日の半年前ころからなのが一般的だとわかっていつつも、三日と開けずに深夜帰宅後、空き部屋がないか探していたのである。
二月半ばになり、いよいよとなるが、見つからない。 それでもあきらめずに、探し続ける。 見つからない。
しかし。
それが。
どうせ無理だろうと諦めていたのが、ひょんなタイミングで見つかったのである。
やはりわたしは、何かを持っているに違いない。
御山さんにお盆休みの前に有給休暇をつけてよいか、聞いてみよう。
「え〜、お盆休みのことでしょう? その頃にならないとわからないでしょう。 それに仕事に支障をきたさないようなら構わないけれど」
至極当然のお言葉である。
ならば、そうなるようにしよう。 そして、わたしがいかによさこい祭りに行きたいか、どれだけ幸せを、生き甲斐をそこに求めているかを、周りの皆さんも含めてアピールしてゆこう。
浅草の人々が三社祭のために一年を過ごしているのと同じである。
わかってくれないはずがない。
まさに日常を積み重ねた先にあるものなのである。
2012年04月01日(日) |
「種まく旅人」「僕達急行」「おとなのけんか」「ヘルプ |
四月一日は日曜日であった。 となれば、久しぶりの映画のはしごをしないわけにはいかない。
新年度になり、仕事もこの時期はいったんは停滞となり、存分に休めたのである。
まずは一本目。
「種まく旅人〜みのりの茶〜」
を銀座スバル座にて。
勤めていたアパレル会社を辞めてしまったみのり(田中麗奈)は、祖父の住む大分を訪れる。 祖父の修造(柄本明)は、周りが農薬を使っている中ひとりで茶畑の有機栽培に取り組んでいた。
しかし修造は農作業中に倒れて入院してしまう。 みのりは農作業も茶畑もなにもわからないまま、修造が元気になるまで後を引き継ぐことになる。
たまに修造の手伝いをしにきていた金次郎(陣内孝則)という男の助けもあり、無謀かと思われた有機栽培の祖父の茶畑を育ててゆくのだが、はたして無事に収穫までたどり着くことができるのだろうか。
作品の内容はよくある展開で安心して観ることができるものである。
陣内孝則のわざとらしいセリフ回しが耳に障ることもない。
ここは、女優「田中麗奈」をみたい。
これはかなり以前からだが、彼女の姿は映画作品でしかみかけなくなっている。 映画女優として仕事を絞っているのか、もしくはテレビドラマの枠に割り込めないのかわからないが、とにかく久しぶりである。
演技力がずば抜けているというわけではなく、ただ自然なのである。
その「自然」さが、演じていないようにみえる自然さだったり、あきらかに演じている自然さだったりと、よくわからない。
しかし、それがなぜか、良い意味で気になる。 気になるので観てしまうのである。
続いて二本目は、
「僕達急行 A列車で行こう」
松山ケンイチと瑛太それぞれが鉄道ヲタクとして、恋と仕事と鉄道にガタンゴトン揺られる日々を描く。
作品の雰囲気は、佐々木蔵之助と塚地無雅が演じた「間宮兄弟」に似ている。
どこか「作りもの」の雰囲気に満ちていて、しかし、世の中に存在するものは全て「作りもの」なのだから、その世界の中で存分に楽しむのも、アリである。
鉄道ヲタクはもはや市民権を得ているに等しい。
様々な嗜好で、鉄道を楽しむ。
瑛太は町工場の後継ぎで、鉄道の鉄部品ヲタクである。 窓枠の金具や座席テーブルの開閉機構や、しげしげと眺め、さする。
松山ケンイチは、少し変わっていて、車窓に合う音楽ヲタクときた。 「この風景には何樫がよく合う」と選んだ洋楽曲を聴きながら車窓を楽しむ。
全国に広く存在する鉄ヲタたちは、どこでその繋がりが活きるかわからない。
今回のお話はその他聞に漏れず、仕事の難題をそれで解決してしまうのである。
そんな予想通りの展開に、へえもはあもない。
感動したのは、九州に左遷も同然の転勤が決まった松山ケンイチが、
「九州。なんて嬉しい転勤先だろう」
鉄道ライフを満喫できる、とまた前向きに喜ぶのである。
これは「釣りバカ日誌」の浜ちゃんと同じ反応だが、西田敏行が万歳するのと松山ケンイチがニタニタ笑うのとでは違うもののように思える。
鉄道に揺られてゆく旅情は、まさに癒しである。
軽い気持ちで楽しめる、テレビドラマのような作品である。
ああ。 わたしも旅に出たい。
映画後半戦。
「おとなのけんか」
をシャンテシネにて。
二組の夫婦が、子ども同士のケンカの話し合いからやがて次から次へとケンカの種が入れ替わりすり変わり、夫婦同士、夫たち妻たち、とにかく途切れることなくケンカが続いてゆく。
ケンカとケンカの間繋ぎが、面白い。
挙げ足の取り合い、和解から一転、相手が変わって、また。
四人のうち誰かが静観、仲裁、役割分担がコロコロ変わる。 変わるタイミング、きっかけが予想通りだったり意外だったり。
ドリフターズのコントを外国で俳優に脚本をつけて映画っぽくしてみた。
といった軽さである。
息抜きのつもりだったがそれには足らず。 かといって文句をいいたくなるようなつまらない作品というわけでもない。
千円に見合う作品ではなかったかもしれない。
さて。
本日のメインである。
「ヘルプ」
をシャンテシネにて。
1960年代アメリカ。 人種差別がまだまだ根強く残るミシシッピ州。
白人家庭でメイドとして働く黒人女性たちの不自由な立場に疑問を抱いた作家志望のスキーターは、彼女らにインタビューし、それを本にしようと思い立つ。
他の州では差別が少しずつだが解消されはじめている。
なのに。
彼女たちは白人と同じトイレを使うことを許されない。 乳母として赤ん坊の世話を全て任せているのに。
彼女たちが使った便器に座ると「病気がうつる」かもしれない。
と。
メイドの子はまたメイドとして白人家庭につかえるしかない。
赤ん坊が大人になると、それが彼女たちの雇い主に変わる。
中には差別などとは無縁の考えで、乳母である彼女を「もうひとりの母」とあつく慕う者もいる。
スキーターはそうだった。
だから、声をあげようと思った。
はじめは口をつぐんでいた彼女たちだが、やがて、ひとりまたひとりと、口を開いてゆく。
それは雇われている白人家庭のおかしさを暴露してゆくこと。
匿名とはいえ、出来事の当事者には自分のことだとピンとくる。
はたして、彼女たちの運命はどうなるのか。
全編にわたって、重苦しさや苦痛さを見せない、感じさせない。
これははっきり言おう。
秀作である。
なんだコイツ、ムカつく。
と生意気な白人の奥さんにカチンときても、メイドたちの強さ優しさ明るさが、気持ちよくしてくれる。
しかし、気持ちよく忘れてはならない。
「わたしが朝来るまで、オムツのなかはうんちがたっぷりそのまんま」
「お嬢ちゃまを、少しでもいいから抱き締めてあげてください」
「彼女はこの子の母親として、時間を持たなさすぎる」
メイド、ベビーシッター文化におけるありふれた日常的な問題。
アカデミー賞受賞作として、メッセージ性がきちんとある素晴らしい作品である。
さて。
休日にきちんと休日として過ごせる幸せ。 四月から社内は新体制となり、わたしは新制のBIMチームに残ることとなったのである。
はたして今年度、いかなる生活になるだろうか。
とはいえ、なるようにしかならないのである。
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