「隙 間」

2007年08月31日(金) 贈る言葉

 明日は一日じゃあ、ないですか!

 映画感謝デーじゃあ、ないですか!

 ということで。
 行ってきます。
 久しぶりの映画三昧のはしご道。

 と思って映画を物色してみたのはいいけれど……。

 不作。

 です。
「どうしても観たい」と思える作品があまり見当たりません。

 それならエヴァでも観る?

 気と足が向いたら観るかもしれません。
 観たら観たで盛り上がるのかもしれないけれども……て、独りで?(笑)

 ベースを銀座にして渋谷で締めくくる予定です。

 予定ではエヴァを除いて(笑)三作品、です。
 そのうちの一本に「ベクシル」を入れるかどうか悩んでます。テーマは面白そうだけれど、アニメーション? フルCG? の映像的なところがひっかかってしまってます。

 タリバンの韓国人人質開放。
 国内の彼らへの批判。

 昨年に渋谷のミニシアターで観たひとつの作品が脳裏に浮かんだ。

「バッシング」

 日本人女性ボランティアが帰国し、バッシングを受け、それは彼女の日常生活にまでも変化を与えた。
 常に浴びせられる周囲からの白い目。居場所のなさ。そして身内の仕事にまでそれは及んでくる。

「ここには、私の居場所がないの。あっちの子どもたちは、笑ってくれたよ。どうして、いけないの? 私が自分の居場所をみつけたら、そこへいったら、どうしていけないの?」

 彼女は日本を捨て(?)、一人のひととして自分を求めてくれる海外へと最後は旅立ちます。

 今回救出された人たちは、いったい、今回のことでどれだけ己の、そして、己の周りの人たちの人生を大きく変えてしまうことになるのでしょう?

 今、こうしている私自身も、きっと、常に人生を変え続けてしまっている(?)のかもしれません。

 あのとき、ここで毒を吐かなければ……。
 あのとき、聞く耳をもっていれば……。
 あのとき、こうしていれば……。

 素晴らしき我が人生のすべての共犯者たちへ贈る言葉。

 これもなにかの縁ってやつでさぁ。
 諦めるか開き直ってしてお付き合いくださいますよう、よろしう……笑



2007年08月28日(火) 稲妻

 涼しいがどこか襟足を逆立たせる生ぬるい風が吹き、うす灰色の空がぴかぴかと光りながら、ごろごろと咽喉を鳴らす。
 パッと私の頭上の街灯が消え、どうやら私の近辺の街灯だけが消えたようで、少し先の離れたところにある街灯は変わらずに灯っている。
 変わらずにと言っても、変わる前を凝視していたわけでもないので、どう変わらずなのかはわからない。
 ただ消えてしまった街灯をぼんやり見上げて佇む私を追い越してゆく人の影が、なんだか勢いが増していて、往来で茫としている自分がふと、影の世界に紛れ込んでしまった異物のように思われてきた。
 自分が異物であると思うのは抵抗があり、しかし私を追い越してゆく人は皆、紛れもない影なのである。
 迷ったときは警察官に頼ろうと、私はすぐ先の警棒を杖に頼って立ちんぼしていた警察官に歩み寄る。
 しかし、なかなか足が重く上がらない。坂の上り道であったので、きっとそのせいであろうと思うが、それだけではないようにも思える。
のろのろと歩くうちに、重いのは闇に紛れて影が纏わりついてきているからだとわかった気がした。
 やがてすぐ目の先の灯された街灯の明かりがあるところまで辿り着き、警察官はその少し先に変わらず立ちんぼであったので、もうあとちょっと、と歩きつづけた。
 明かりの下ではなんだか少し、体が軽くなった気がする。後ろを振り返ってみると、影はおとなしく地べたに引きずられていた。
 追い越してゆく人も皆、私と同じ格好であり、警察官もまたただの警察官だった。
 うす灰色の空はぴかぴかと光り、やがてポツポツ滴が落ちだした。

 ……。

 内田百�良�に書いてみました。
 なんだか放置されたままのような感覚が伝われば、まあまずまずだと思います。

 なにが?笑

 雨が降る前に帰るつもりで、傘は持たずに家を出てきました。
 失敗……。
 相変わらずぴかぴかごろごろざあざあぴゅうぴゅうと騒がしい空模様です。

 腹ぁ括って、駆けて帰ります……汗



2007年08月27日(月) 「東京日記」と火の七日間

 内田百�涼�「東京日記」

 百�諒験悗蓮△笋呂蠅匹海�サラサラとしている。
 とりとめなく日常の影から非日常へと誘われる。
 例えば、ふと不忍池の上に浮かぶ月を見上げ元に戻ると、柳の下の影がぱっくりと口を開けているような。
 だけれども、あまりにもサラサラし過ぎていて、非日常を味わうには塩気や濃さが足りなく、上品な味付けのような気がする。

 もう少し、濃いめな味付けが欲しい。

 最近の食事がただでさえ薄味だったり、少量(普通の量なのかもしれないが)だったりしているのだから、せめて……笑

 昨夜と今朝、目方に乗りました。
 徳萬殿ランチを経た週末明けにして、トータル三キロ減。

 夏痩せの範疇とはいえ、なかなかな経過。
 なにせ、運動なんてこれっぽっちもせず、食事の量も、たぶん人並み。

 てことは、それまでの食事が「どんだけぇ〜!」だったことか……笑

 残すところは……

「火の七日間」

 です。

「焼き払えっ! どうした、それでも(中略)末裔かっ!」

 な意気込みです。

「腐ってやがる。早過ぎたんだ!」
「短けぇ夢だったな……」

 とならぬよう祈ります。

 脂肪滅亡まで、
 あと、七日……



2007年08月26日(日) 「ステップ・アップ」とノーとパソ

「ステップ・アップ」

 をギンレイにて。
 振り返れば昨日今日と、ダンス(踊り)繋がりの二日間。
 観ていると、こちらも踊りたくなってしまう。

 いえ、踊りの類いはまったくもって、できませんが。

 というより、自分に自分の人生、踊らされてますから……笑

 いつまでも借り物のままではいかんと思い、ノートパソコンの物色を始めてみた。

 すぐには買えないけれど。

 で、気になったのが……
 工人舎のSA100なんとかシリーズ。

 A5サイズで一キロ以下、ドライブは外付け(別売り)だけど、充電池で五時間もつ。
 お値段なんと八万円前後。

 DVDや動画は観ない。
 ネットでの検索やメール、小説の読み書きしかやらないので、キーボードの打ち込みに不便がなければオッケー。

 どうなんでしょう?



2007年08月25日(土) 二年前の忘れ物

 二年前の同じイベント。
 昨年はつい見逃してしまい、ここに来ることはなかった。

 そして、思い出すことも。

「スーパーよさこい二〇〇五」原宿駅口ステージの脇の木陰で出番を待つ踊り子たち。同じチームから少し離れたところに腰を下ろしていた女の子と、それをメンバーから目隠しするようにして背を向けてしゃがみ込んでいた男。
 女の子はテーピングさるた足首にペットボトルを当てて冷やしながら、男の背中の衣装の紐を、手首に絡ませながらギュッと掴んでいた。

「入場の位置に移動してください」

 スタッフからの案内の声がすると、メンバーは掛け声をかけようと集まりはじめる。
 女の子は素早く衣装のすね当てをたくし上げてテーピングをきっちり隠し、先に立ち上がった男の衣装の紐に引っ張ってもらうようにして立ち上がる。

「いくぞぉー!」
「おおーっ!」

 掛け声の輪の中に、一番外から手を伸ばす。

 ステージの上のどこに彼女がいたのかはわからなかった。
 わからないほど、全てのメンバーは躍動感に溢れていた。
 こわばった顔も、つらそうな顔も、そんな顔はどこにもなく、踊っている楽しさを体いっぱいに、それこそぱんぱんにはちきれそうなほどに詰め込んで、観てくれている皆に伝えたい、という顔でいっぱいだった。

 今年も三、四才から六十代までの老若男女たちが眩しい日差しの下のステージで輝いていた。
 原宿の空は、とても、眩しい……。

 見上げた木漏れ日に、手を、かざしてみた。

 二年前の忘れ物を、言い訳などせずに、もう一度、文字に綴ろう。
 あのときの彼らに、今出会うことはない。
 だけれども、あのときたしかに彼らはいて、私の中に再び現れたのだから。

 物産広場で四万十うどんをすすりながら、鳴子を物色しながら、そんなことを思いました。

 今夜は目方には乗らずに眠るつもりです……笑



2007年08月24日(金) 復活と伝染○とそんなの関係ねえっ

 気がついたら閉鎖されていた掲示板を、先ほどようやく復活させました。
 携帯対応、らしいです。
 そろそろ小説のほうも作品によってはアップできる時期になったものもあることだし、そちらもできるかぎり速やかに、アップしてゆきたと思います……。

 ハウスメイトのCMで、コニタンがソースを片手にコロッケを頬張ろうとしているのを観て、近所の谷中銀座にある有名なお肉屋さんのメンチカツが食べたくなりました。

 一個くらい、いいよね……。

 なんだか、なんだか、やるせなくなるぅ
 なんだか、なんだか、儚く見えるぅ
 一個百四十七円也のメンチカツ、ぅがぁ……

(笑)

 雨上がりの湿り気を含んだ空気が、冷房でジンジンになった肌をさらりと撫でてゆき、草陰からこぼれてくる虫の音が、ゴロゴロゴロと……。

 腹の虫でした(笑)

 祖父殺害の少年が秋葉原の量販店で確保って、思い切りドン・キ○ーテじゃん。
 店員の女の子がなぜかメイドさんのコスプレしてるんだよね、たしか。
さすがに「お帰りなさいませ……」とは言わないだろうけど。

 浦安のねずみーらんどでバイトをしたとき、

「ゲストに“いらっしゃいませ”と声を掛けてはいけません。“いらっしゃいませ”に返す言葉がないからです」

 でも普通に聞いてた“いらっしゃいませ”て……。

 でも、そんなの関係ねえっ!
 でも、そんなの関係ねえーっ!(笑)

 伊勢丹と三越が経営的統合。店名は変わらず、らしいですね。

 でも、そんなの関係ねえっ……

 て、クドい?

 手がけている長編が、気がつきゃ主人公が代わってる。
 ぐいんじゃないんだから、主人公不在のまま何巻も、てわけにはいかない。

 てか、もっと早くに気がつけって……

 でも、そんなの関係ねえっ……



2007年08月23日(木) 落ち着かず

 いまだ腰の落ち着き場所が見つからず。
 締めたり、丸めたり、引っ張ったり、入れたり、押し出したり、いろいろ組み合せてみたり。

 少し痩せて(?)体が重心をはかりかねて戸惑ってるのかしらん……?



2007年08月21日(火) 違和感がある、の……

 二日前から、腰に違和感がある。
 三日前までは何もなかったのに……笑

 腰痛がおさまったというのに、歩いていると体の重心に違和感を覚える。
 リュックを背負っているときのような、ややそっくり返ったような姿勢。

 腰が乗っかっているようで、腰が入っていない感じ。

 といってわかるだろうか。
 とにかく、心許ない。



2007年08月19日(日) 吉原回顧録

 今日はお盆休み最終日。
 ということで、ぶらっと街歩きをしました。

 映画「さくらん」や芥川賞受賞作「吉原手引草」などの影響もあり、ふと、吉原って? と地図を調べてみました。
 そうして初めて、場所を知りました。

 なんやのん、ご近所(?)やないのん……汗

 すわ、吉原へ。

 谷中霊園を抜けて入谷鬼子母神を通り過ぎる。するとまずは新吉原花園池跡へ。
 ここは関東大震災時に大火に追われてここに逃げ込んできたというのに、後から後からつめかけてくる人たちに押し込められ溺死してしまう悲劇の場です。

 そして向かうは吉原大門跡。

 現在は交差点名として残されているだけです。
 ナビにまかせててくてく歩いていると……。

 あぎゃ。

 現在の吉原は、全国にも名だたる湯屋(?)の街になってます。
 そのメインストリートを通り抜けるべく、ナビされてました(汗)

 入口の前に立つお兄さんたちと目を合わせないように、頑ななまでに前を見て、わき目も振らずに歩きました。

 日曜の真昼間でも、この類いのお店ってやってるんですね……。

 でまあ、大門跡はわかってても「見返り柳」はどこかようわからん、と、ふと不安に駆られました。
 まさかここのお兄さんたちに聞きに戻ってくるわけにもいかないですし。
 そこでちょいと前を歩く、財布片手のお姉さんをつかまえて尋ねてみました。

「大丈夫ですよ。ここ真っ直ぐ抜けると大門の交差点で、その脇に生えてる柳がそれですから。ガソリンスタンドがあるからすぐわかりますよ」

 丁寧に説明してくれたお姉さんは、ふわりとよい香りを残してさってゆきました。
 たぶん、お店のお姉さんだったのでしょう……。

 おかげさまで無事(?)、吉原大門に辿りつき、たしかに「見返り柳」を発見。
 これは、吉原に遊びに来た客が帰るときに名残惜しげに振り返っていた、という由来の柳です。

 さて次は……。

 浄閑寺、です。

 浄閑寺は別名投込寺と呼ばれ、安政2年(1855)の大地震の際にたくさんの遊女が投げ込むように葬られたと伝えられています。

「生まれては苦界、
 死しては浄閑寺」

 と詠われた碑が刻まれています。
 永井荷風はたびたびこのお寺を訪れて、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせていました。荷風の弟子である谷崎潤一郎ら四十二人がその師の気持ちを碑に刻んでもあります。

 さてさて、ひと通り吉原巡りを終えると、次は……。

 浄閑寺のある三ノ輪という街。

 じつは、私の本籍地、なんです。

 今は津田沼に実家があるのですが、父が幼少の頃を過ごしていた街、なのです。
 住所の地番表示が変わっているので現在のどこが本籍地の番町なのかがわかりません。
 交番に聞いてみても「新表示でしか案内してないので、ちょっとわかりません」とあしらわれてしまいました。

 素直に父に聞け(笑)

 で、聞いてその現在地に行ってみました。

 重松清さんの世界です。
 親子や夫婦の間にありつづける歯がゆい思い、また少年少女の形にしきれない思い、そして故郷への思い、をしみじみと感じさせてくれます。

 さて、帰りに合羽橋珈琲店にて一服……。

 一年前、退職直後の頃に、ここでときどきネタ書きしてました。
 でも、そのうち足が神保町に向くようになって、それ以来でした。
 なので、なんか不思議な感じ、です。

 さてさて、回顧(懐古)にうつつを抜かすのもここまでです。

 明日から社会復帰……できますように(汗)



2007年08月17日(金) 「ドグラ・マグラ」(上)(下)

 夢野久作著「ドグラ・マグラ」(上)(下)

 ドクの口からも出た作品だったし、といっても賛辞とは対極な感想だったけれど、幻・妖・エロ・グロの極み、との挑戦的な宣伝の美辞麗句に戦いを挑むべく、読んでみた。

 ……ドクの感想に共感。

 時代背景やらを考慮したらどうなのかわからないが、妖も幻もエロもグロも、大したこっちゃあ、ない。
 いや、妖や幻なら、作品の舞台がそうなのかもしれない。
 胎児の夢、心理遺伝、という妖なる幻なるものを用いているのだから。

 あまりお勧めはしません。

 誰一人わかった、といいきれるものはいないだろう、(中略)これまで多くの人が、さまざまな解釈をしてきたのだ。

 と巻末の解説にある。
 解釈など、する気力を持ち得ません。

 頭をクリアにするために、さてグインの最新刊でも読もうかしらん。
 akdからお盆休みに「出てたでしょ」といわれるまで気づかなかった。

 不覚。

 SF・ミステリは読まないといえど、グインは別物です。
 ざっと十年以上の付き合いですから。
 一巻四百枚を二十年以上、百四十巻ちかく描き続け、結末はまだ遠い、だなんて、栗本薫てぇ作家はいったい凄すぎるてなもんです……。



2007年08月16日(木) 「さくらん」と削ぎ落とす

「さくらん」
 ギンレイにて。
 土屋アンナ主演、蜷川実花監督作品。
 極彩色のイメージが強い蜷川ワールド、という期待が足を引っ張ってしまったのか、ラストにもう一幕、インパクトのある色使いが欲しかった。

 原作は人気コミックで、読んだことがないからなんともいえないけれど、極彩色で艶やかな吉原の町に生きる遊女の世界を、そしてその世界から飛び出したありふれた普通の世界を飾らぬ自然色で表現したのかもしれない。

 吉原を舞台にした作品が芥川賞を受賞したことだし、密かな吉原ブーム?

「ポンパ!」

 とか、叫んでみたり……笑
 あ、これはもうひとつの受賞作品のキーワード、です(汗)

 しばらく長文でばかり描いているので、余分、の境目を自分なりに見直さなければならないかもしれない。
 ショートショートでも久しぶりに描いてみようかしらん。

 現行の長編はもちろん進めつつ(汗)

 文字を削ぎ落とすように、脂肪も削ぎ落とせないかしらん。
 脂肪と同じように、文字を削ぎ落とすのが得意なわけではないけれど……。



2007年08月15日(水) 「熱球」と負ける権利

 重松清著「熱球」

 内容と時事が絶妙に関わりの有るタイミングでのこの作品との出会いだった。
 二十年前に町中が甲子園への夢に盛り上がったときのエースが主人公。県予選の決勝前日にチームメイトが不祥事をおこして夢破れ、地元の恥さらしという目で周りからは見られてしまう。
 そして今や、妻はアメリカに留学中、自分は失業中という状態で一人娘と故郷に帰ってきて、父と娘と三人の同居生活がはじまる。
 地元に残ったチームメイトやOBとの再会、妻が留学から帰ってきたら仕事や生活はどうするか、娘は、父は、妻は、そして自分は……。
 戸惑いながら、それでもやがて、少しずつ、その答えを見つけてゆく。

 いい。
 やっぱり、いい。

 毛穴が開くほど、芯から震わされた。

 内容に関連することでつらつらと……。

「高校野球」は特別な世界だと思う。
 プロ野球を目指す高校生と、高校球児は、別モノ、だ。

 結果的にプロへと繋がる、ということを考えると、同じだろう、という見方が大半だろうとも思うけれど。

 プロに進むためには「技術論」が重要になる。
 しかし高校球児には「精神論」が大きなウェイトを占める。

 実際は届かないほうが現実的な「甲子園」という夢に向かって、非効率的とも思える練習量をこなしたりする。

 だけど、それが私たちにとっての「高校球児」であって、そこではスーパースターもエースもスラッガーもレギュラーも補欠もスタンドで応援する者たちも、すべて、等しく尊い「高校球児」である。

 技術論は、自らみつけだしたり求めなければ、誰からも与えてもらえるものではない。なぜなら、本人にとってなにを求めたいのか、どこまでわかっているのか、が他人からは皆目見当がつかない上に、持論に対する裏付けが自分自身にしか通用しないからである。
 自分が感覚として身につけたものをつたえることは難しいだけではなく、それがその相手に合っているかどうか、が重要でもあるからだ。
 今現在、巷に溢れかえっている技術論は、並べ立てるとそれぞれで矛盾がまた溢れかえっている。
 だから、もっと根本的な基礎体力、筋力をつける練習が多くなってしまう。
 するとそこには精神論が付きまとってしまうことも往々にして、ある。

 だから、敬遠されてしまうのだろう。

 汚れず、傷つかず、疲れず、効率的に技術を得たい、と。
 なんか、違わなくないだろうか……。

「スポーツマンには負ける権利」がある。
「勝つ」ことからよりも「負け」ることからのほうが、何倍も学ぶべきものがある。
「負ける」ことすらできずに故郷を去った主人公は、元チームメイトの息子との勝負で、ようやくすっきりとした「負け」を手にすることができる。

 父親が抱く、永遠の(と思い込んでいる)夢。

 息子とのキャッチボール。

 そう。

 遥か遠くにある、夢……汗



2007年08月14日(火) 「あかね空」と馴染む

「あかね空」

 をギンレイにて。

 江戸下町の豆腐屋一家とそれに関わる人々の人情物語。

 中谷美紀さんの江戸小町姿(?)はよかった。
 因縁ある繋がりが、小粋に、痛快に、物語をしめてくれます。

 スクリーンに度々登場する神社が、ひと目で、現代の錯覚に引き戻す。

 根津神社やん……。
 しょっちゅう、通ってるし。

 エンドロールでも確認しました。
 なんか、行ったことがテレビや映画にでてたときの嬉しさ、というより、地元がでてたときのくすぐったさ、のようなものを感じました。

 そういえば、近所で映画の撮影をしてました。

 ○大映研

 と書いてありました。
 芸能で有名な大学です。

 そして東京ドームは、ジャニーズの某のコンサートがあるらしく、すごいひとでした。

 これが、自分の日常の風景、です。
 なんだか、馴染んでます……笑



2007年08月03日(金) ギャルと夜空のムコウニ。会話と言葉とムズカシイね

 帰りにネタ書きと読書に寄った上野マックで、「マックポーク」を食べてしまいました。

 美味かったです。

 そして、「一食は、一食」です。
 晩ご飯をわずか一分少々で平らげてしまい、後悔しつつ、空腹に耐えております。

 隣の席のギャルたちの会話に、耳を覆ってしまいました。
 ああ、女子たちよ、いったいどこへ行ってしまったのだろう……。

「ちょーまじ、ゴメン。まじウ○コいい?」
「えっ、まじ? まじウ○コなの? ちょー、まじぃ?」
「まじまじまじ。ホント、いってくる!」
「なになに、ちょーながくね? やっぱまじウ○コ。うっけるぅ〜」
「ちょっと、ながかったジャン〜」
「ねえねえ、まじウ○コだと思ったんだけどぉ、ちがったのよぉ! まじっ屁だったぁ! ちょー、笑っちゃったんだけどぉ!」

 こんなことを、大声で、ぎゃはぎゃは笑いながら……。

 お願いです。

 こんな会話を、言葉を、臆面もなく口にする女性は、どんなにそれまで魅力的で盲目的に思いのすべてを向けていたとしても、一瞬にして視界の暗闇の彼方に葬り去らせてもらいます。

 かくいう私も、年長者との会話の中で「まじですか」などとふさわしくない言葉を使っていたりもするので、気をつけようとは思うのですが。

 たまに、わざと使ってみせたりもしてますが(笑)

「ら」抜き言葉が気になって、一文字も文章が進まなくなったりするくらい、な時期があったと作家の川上弘美さんが話していました。
 SMAPの「夜空ノムコウ」がきっかけで、「ら」抜き言葉自体がとても「らしい」言葉使いだと思って乗り越えたそうです。

「信じてこれたかなぁ……」

 これが「信じてこられたかなぁ……」では、まったくニュアンスもメッセージも異なってしまう。
 確立した人格性、成熟性を感じさせてしまいかねない言葉ではなく、未成熟、未知、不安、希望、可能性、といった、未来へ向かう過去への想いを浮き彫りにするために、必要不可欠な表現。

 むずかしいね。言葉って。



2007年08月01日(水) 「白痴」と素直

 坂口安吾著「白痴」

 読んでしまいました。
 その気があるうちに読んでしまわなければ、きっと、ずっと手に取ることはなくなってしまうだろうと思ったので(汗)

 なんだろう。

 安吾の思想というか世界観というか、が、わかる。
 理想も現実も、無理も道理も、どちらかがどちらかにしばりつけられるものではなく、どちらかにこだわろうとしてしまうことは、ある意味、本質を見失いかねないことにもなりかねない。

 本質がどうの、ということを語っているのではないけれど。



 大臣辞めましたね。

 このタイミングを逃すまじ。
 猛者どもが、この瞬間を待っていた。

 に、違いない……。

 膿としてなにもかもをひとまとめにして出し切って押し切ってしまえるか、はたまた出し切れぬすでに手遅れだと切り倒すべしと絡め捕られるか。

 こんなことを考えてしまう……。

 素直に、まあ大変、と受け止めることは素晴らしきかな……。


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