★悠悠自適な日記☆
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2006年04月28日(金) アンチ日記コミュニケーション

 この日記もかれこれ続けて5年になります。日記を書くことを義務付けず、それなのに5年間も続けてこられているのは少し自慢で、数少ない私の財産だなと思えてしまいます。

 自分の気持ちを整理することを目的に始めた日記です。ところが続けているうちにそれだけでは物足りなくなって、自分の気持ちがどうであるかに加え、更に一歩踏み込んで「なぜ」かを追求するところに欲が出てきました。自分への、追求。たまに感情まかせの文章もありますが、それはそういうことしか考えられなかったというひとつの記録おして残すことに決めています。

 つまり、ぐだぐだしている自分の日々なんて書き残してもしょうがないわけで、なるべく、のちに自分が読み直して何か考えられるような話題を選んで書くようにしているのです。

 私が生きるためのエッセイ。私が死ぬための遺書。そのどちらにもなり得る様なものを目指しています。もし私が死んだら、まずその遺書はこの日記だと思ってくれていいし、エッセイストになったら、まずネタはここにあるでしょう。(どちらもきっとないけどね!!!)

 最近、ブログやmixiをやっている人が増えて、自分の日々日常を簡単に公表できるようになりました。でも、そこにはあったことだけが淡々と記されているだけで、自分自身で答えを出さず、まるで誰かに答えを求めているかのような、答えを出してもらうことに依存しているようなものばかりです。

 答えを、返事を、励ましの言葉を待っている、そんなブログ。

 最初はみんながどんな生活を送っているのかを知るのが楽しくてせっせと色んなブログをチェックしていました。だけどレスを待っているかのような書きぶりは、だんだんとても女々しく見えてきて、ちょっと近寄りがたく思えてきました。「僕、病んでるんだ。」「私、こんなにもグダグダな生活をしていて、ダメダメなの。」…あーもぅ!!面白くない!!「大丈夫!」「頑張って!」「私も同じだよ!」こんなコメントを待っているみたいです。

 ときどき物凄く深い思考がはりめぐらされている、読み物として興味をそそるブログが存在することも確かなのですが、でもほとんどは前記したようなものばかりです。

 結局は目的が違うのでしょう。自分の中で何かを記録として残したい人と、ただ日記なんかどうでもよくて、ただ相手の返事や励ましが欲しい、寂しさを解消するためのツール。

 べつにどちらでもいいんです。好きにすればいいと思います。

 ただ、ちょっとweb上でプライベートを曝け出せば自分のことを理解してくれる、友達になってくれると思い込んでコミュニケーションを広げようと躍起になっている人は、ちょっと気持ち悪いです。相手のことをわかったつもりになっている勘違い、もしくは不法侵入。

 ちょっと昔の友達とコミュニケーションが取れちゃったりする、便利で楽しいツール。普段できない会話ができる、秘密のツール。だけどそれがお互いに自分の答えを他人に求めるようになるとそれは寂しいツール。ちょっと励ましの言葉を掛けただけでその人を理解した気になるとそれは高慢ちきなツール。

 それは人間関係と同じだけれど、相手が見えない安易さと希薄さも兼ね揃えています。web上には空気の読めない寂しい人間がウヨウヨしています。最近私はそういうネット村に住んでいる人たちをちょっと遠い目で見つめています。


2006年04月23日(日) 衝動

 私、死にたい。
 とか考えたことはないけれど。
 死ぬんじゃないかなって思うことが多々あって。

 それは笑えるくらいおバカなことで。
 漫画のヒトコマみたいに些細なことで。

 例えば

 うどんの汁をこぼしたとか
 教科書を忘れたとか
 洗濯物を干したのに雨が降ってきたとか
 彼氏がこっそりmixiはじめてましたとか

 なんでもないことをきっかけに死んでしまうんじゃないだろうかと
 そんな気がしてならない。

 こんなことで人は死なないけれど、
 人が死ぬきっかけとしては十分成立するのではないかと。

 小さな衝動。

 人の感情は、薄い膜のようなもので覆われていて、
 それはぶうぅうっと膨らんでいるのだけれど、
 それをピっと破るのは簡単なんじゃないかと。

 つまりは小さな衝動なのだと。
 すべては小さな衝動なのだと。

 私は死にたいなんて全然考えないけど
 こんなとき、ふと、死ぬんじゃないかと
 自分の膜が破れてしまうのではないかと疑ってしまう。

 目をこすってこすって、青い空を見上げて
 澄んだ空に手を伸ばして、その衝動に負けないように
 手をかざして。

 その手に欲しいのは、やっぱり、きっと、人のぬくもり。


2006年04月22日(土) →↑↓←

 矛先を向ける場所がないから、自分に向けてみる。
 それしかないの。
 それすら許されないならば
 それこそ私はどこに身をよせればよいの?

 誰を責めるの?
 誰が悪いの?
 そんな人はいないから
 だから、私。
 仕方なく、私。

 自分を擁護して生きて行けたら幸せ。
 ぬるま湯の中で、自分を守って守って。
 でもそれができないから息ができない。

 

 


2006年04月19日(水) フラッシュバック

 私、今幸せ。大好きな人が側にいてくれて、大好きな人たちとお芝居ができて、それなりに反省点はたくさんあったけど、その分課題も見えて、今やらなければならないことが見えている。やりたいことと、そのためにやらなきゃいけないことも一致している。毎日平穏で、幸せ。

 でも、私はおかしいんじゃないかと思う。

 最近、毎晩1年前の情景が夢になって現れる。アート館の前のベンチに座って楽しそうに話している人たちを見ると、頭がグラングランしてくる。1年前、ちょうど今と同じように桜が散ったときのあの風景が重なって見える。

 一度死んだはずの私。

 もう過ぎたこと。もう気にしていないこと。忘れようとしていたこと。私は今が楽しい。みんなが好き。私は大丈夫。過ぎたことをとやかく言うこともないし、今更何も望んでいないし、本当についこの間まで忘れていたこと。

 それなのに、夢とか、記憶とかが、今になって私の前に現れる。好きな人がみんないなくなる寂しさと、孤独。私がいらなくなるとき。繋いでいた手が離れてしまう瞬間。もういいのに。そんなことはいらないのに。私は今をしっかりと歩いていきたいのに。今の幸せを噛み締めて生きていきたいのに。あの時と同じ桜と、温度と、平穏な情景が、もう一度私の首を絞めようとする。

 あの時薬を飲んだのが私だったら私を見てもらえただろうかとか。

 そんな邪悪なことは考えなくていい。私は今元気。大丈夫。だから、お願いだから、もう出てこないで。



 

 


嶋子 |MAILHomePage

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