★悠悠自適な日記☆
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2005年10月30日(日) |
それはパフォーマンス |
眠ることは素晴らしい。瞼を閉じれば痛みを忘れる。
目が覚めると、使えないと言った右手が元通りだ。右手でメールを打ち、左耳で電話をする。手癖の悪い手、歩いたり走ったりすること以外に使う足、聞こえないものまで聞いてしまう耳、人を傷つける口、人を嗅ぎ分けられない鼻、そんなどうしようもない身体で、今日もまた踊るのだろう。
つまりは嘘なのだ。昨日のことは全部嘘。使えない手も足も頭も口も耳も鼻も、手放した携帯電話もみんなパフォーマンス。瞼を閉じれば元通り。だからパフォーマンス。本当は使えるから今日はいつもと同じ朝。だからそれはパフォーマンス。だからそれは狂言。
瞼を閉じれば忘れるけど、捨てられないのね。だから繰り返すのね。後悔しない主義。でも反省もしない主義。
でも私は平気だと思う。いざとなれば、その右手で私を消せばいいのだ。
大丈夫。一度眠れば元通りになる。
でも、殴られた私の頬は、眠ってもまだ痛い。
ブログのブームと共に最近よく投げかけられるひとつの問い。
『なぜ、日記を公表するのか?』
近況報告に留まらず、自分の内面に秘めていること、口に出して言えないことを何故わざわざWeb上で公表するのかということ。人に言えないことを、文字で見せようとするのかということである。
私が出したひとつの答えは、腕を切る行為と同じだということ。
人との協調性を求められる世の中、社会に適応と順応を求められる世の中で、私達は自分の「声」を封じ込められる。今、これを言うべきじゃないな。こんなこと言うと退かれるな。嫌われちゃうかもしれないな。何かを発言すると批判されて、批評されて、潰されて、結局は黙って言うことを聞いている人間が得しちゃった…という世の中。
高いモチベーションを維持し続けてそれでも向かって行ける人間は強い。だけど多くの人間はどこかで疲れを感じ始める。「こんなはずじゃないんだけどな…」と思うようになる。
「声」を奪われた人々は新たな武器として、時として防具にもなり得る「文字」を手にする。言葉で何かを攻撃し、言葉で自分を守ろう。面と向かって発言することとは違い、相手を特定して手紙で伝えることとは違い、あくまでも自分の考えや気持ちをただそこで述べているだけにすぎないので、封じ込められる筋合いもない。文字で攻撃し、守ることで自分がここにいることを証明しよう。私はここにいる。わたしはここにいる。ワタシハココニイル。
それは、腕を切ることと同じ行為だ。腕を切って、流れてくる血を眺めて、自分が生きていることを認識する。私がここにいることを確認する。時にその行為を誰かに見せて、私がここにいることを存在してもらおうとする。日記を書く行為は、ただ自己表現の方法が異なるだけで、意味合いとしては腕を切る行為と何ら変わらない。
文字が苦手で、文字を武器にも防具にもできなかった。文字だけでは自己表現として物足りなくて不安で仕方がない。あるいは「声」だけでなく「文字」まで封じ込められた。そうやって逃げ場を失った人たちがどんどん自分の身体に傷をつけはじめる。
リスカをする人の数は、男性よりも女性の方が圧倒的に多い。それは、血を見ることで男性は死をイメージし、女性は生をイメージするためだという。日記を書く人口も女性が圧倒的に多い。
(※最近は男性の日記やリスカも増えてきているけどそれは男性の女性化ということで説明がついたりします。)
Web上を流れる文字と腕から流れる血は酷似している。ひとつの自分がここに存在していることを感じることで快感を覚えるひとつの自慰行為だ。
私はこれからも文字を武器と防具にして書き続ける。私だけの領域。私だけの世界。もし今の私に文字を奪われたら、私は間違いなく腕を切るだろう。
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今日の日記、脅迫っぽいなぁ…。別にそんなつもりないんだけど。いや、あるかな?
2005年10月21日(金) |
バトン回ってきましたとさ3 |
またまたヨネから回ってきました。 バトン専用ページ作ろうかな。。。
1)17歳の時なにをしてた? 演劇してた。 初めてかいた戯曲で小さな賞もらった。 ダンスしてた。
2)17歳の時なにを考えてた? 芝居のことだけ。きっと今以上に。
3)17歳のイベントといえば? 修学旅行。クラスのかくし芸大会であかずきんのコントしたら優勝した。
4)17歳でやり残したことといえば? 勉強。 読書。 教養のなさに今苦労してます。
5)17歳に戻れたらなにをする? もっと身体を鍛える。
6)17歳で失敗したことは? 数学のテストで…。
7)17歳の頃いい恋してた? 今の方が良い恋してます。きっと。
8)バトンを回す5人は? GOUTENさん 見塚さん わらわらさん オリさん K5さん
答えたら報告もらえると嬉しいです。
2005年10月10日(月) |
そのノートを破り裂いてやりたい |
アートは人を喰い潰して存在する。
私が死んでも、それは図々しく進んでいくのでしょう。
個性という名の無個性。創造性という名の非創造性。
個性という言葉に雁字搦めになった人たちが集まって、無個性を形成する。
そしていつの間にか、いつもと同じ「個性」を振りかざし、満足するようになる。
ああ、つまらない。
こんなにつまらない戯言に、「人よりアート」
そんなつまらないものに、私は優先順位を越されるなんて。
ああ悔しい。
そんなものに、殺されるなんて。
そんなもの、さっさとなくなってしまえ。
そんなもの、とっとと滅んでしまえ。
こっそり祈る。
でも、その前に、私が消えるのがてっとり早い。
2005年10月07日(金) |
本当はその山を越えたい私 |
その昔、炭酸飲料が飲めなかった母は、山登りをきっかけにコカ・コーラを飲むことができるようになったらしい。山頂には何故かコカ・コーラしか売っていなくて、もうそれを飲み干さないとどうしようもない喉の渇きとしんどさと、だけど爽快な疲れと気持ちよさがそこにはあったそうだ。
山を越えるとは、そういうことらしい。
しかし私はそういうのを感じたことがない。小学5年生の時に発症した外頚骨障害の影響で、長時間における運動や、でこぼこ道が歩けない。よってそれ以降山登りは、無理して参加してもいつもリタイアか、足の痛みで泣きながら足を引きずって下山し、しばらくまともに歩けないかのどちらかだった。
「嶋子が同じグループにいると、足手まといやねん。」
陰ではこんなことを言われていたりもして、結局、私は山登りはいつも不参加、学校で自主学習(という名の図書館談話)の一員になっていた。
一部の人を除いては、私に「無理しなくていいからね」と、優しい言葉をかけてくれた。私も後に控えている公演や稽古のことを考えると、見送らざるを得なくなる。
だけど、本当は違っていて。
めっちゃ疲れて、汗だくになって、足がぎーんと痛くて、だけどそれで乗り越える山はそれだけ気持ち良いものなのだろう。飲めないはずのコーラが喉を通る瞬間はどんなものだろう。すっとそんな感覚に思い焦がれたりしている。
でもそんな気持ちはいつもどこかに葬り去られる。
「足出まといやねん。」 「無理せんときね。」
返ってくる言葉はいつもこのどちらかで。ありがたいけれど、やっぱりこのどちらかで。気遣ってはくれていて、それはとてもありがたいのだけれど、いつも心のどこかでひっかかりを感じている。不満が残る。
私の思いはどこにいったのだろう。
私の気持ちは最初からそこになかったことになる。
学校は皆で行動するところだ。次から次に課題が与えられて、それをこなすことに皆は必死になり、わき目も振らずに進んでいく。しかし私は未消化のまま素通りしていくことになる。
それは仕方のないことなのかもしれない。だけど、私は悲しい。とても悲しい。
仕方がないと諦めてしまうことは簡単。でも押し込められた私の気持ちはずっと底に沈んでいって、罪悪感のようなものに変わっていって。そいつをどうしようかなといつも考えてみる。でも、一人で解決できないことが多い。
本当は、誰か一緒に駒を進めてくれる人がほしい。私のゆっくりなペースになってしまうけれど、それでもゆっくりで、止まりながらでも、一緒に山に登ろうって声を掛けてくれる人がほしかった。諦めることは簡単だけれど、でもどうしたらできるかを一緒に提案してくれる人、望むなればそういう人が隣で肩を並べてくれたら孤独な道もかなり楽しくなるだろうなと思う。
それは、今学校にいて強く思うことで。
私の足は、手術したのに状態が芳しくない。みんな気遣って「無理せんときね。」と言ってくれる。それはありがたい。感謝してる。だけど私の「やりたい」という気持ちはどこに行くのだろう。
一緒に進んでいこうね。と言ってくれた人がいた。この人にちょっと期待した。こんな私にスピードを合わせてくれる人だ。と、勝手に思い込んだ。だけど結局それは口先だけの約束で、結局目の前に新しいチャンスが現れると、それに追いつけない私を置いて先に行ってしまう。それは、目まぐるしい時間の流れは私を待ってくれないということだ。ここも、その人も、やっぱりそうだった。時間は止まることなく進んでいて、それに適応できないのは私だけなのだ。
私なんかに構わずどんどん進んでいって、という思いと、でも逆に、いつもそういう人を見送るばかりで、そんな自分の歯がゆさに限界で、わがままだけど、私はいつも他人の成功だけを願っていられる程お人よしじゃない。
今回も、私の思いはまたなかったことになっているのだろう。 同じように「いつかまた」とした約束も、「いつか」になったらなかったことになっているのだろう。
気がつくと私は蚊帳の外にいる。
やっぱり独りらしい。 もう期待しないことにした。
今日、友達から『星の王子さま』を借りました。悩める私に少しでも希望になればと貸してくれた本です。そして、小学生の頃からずっと読もうと思っていたのにも関わらず読まず終いだった本でもあります。帰りの電車の中でずっと読んでいました。
私は語り手が話すのと同じスピードでしか物語を読めないので、まだ最後までは読めていないのですが、読んでいる途中で気になった言葉がひとつあります。それは…
『大人は何でも数字で判断をする。』
という言葉です。
今日、身体育成の授業で、足を痛めてしまいました。手術をした箇所が、本当はもうとっくに治っていてもいいはずなのに、いつにたっても鈍い痛みがとれないで心配していました。それでも運動許可が出ていたので、思い切って跳んだり跳ねたりしていたら…やっぱり痛いのです。その痛みはだんだん酷くなっているようで、授業が終わる頃には跳んだり跳ねたりはおろか、歩くのですら少し困難なほどでした。
私の足は本当に治るのか。それが物凄く心配になってきたため、とりあえず母に連絡して、明日が主治医の出勤日なので、病院に連れて行ってもらえないか頼んでみることにしました。
稽古が終わってから帰ると、毎日日付変更ギリギリに帰ることになります。今日は足が痛いため駅まで迎えに来てもらいましたが、問題はそこからです。
明日、レントゲンを撮ると医療費がどうのこうの、医者の言うことを信用するからどうのこうの、病院までの時間がどうのこうの、ガソリン代がどうのこうの、病院でもらった薬代がどうのこうの、(医療費がかかるから)あんたのせいで家族がどれだけ苦しむかどうのこうの、挙句の果てには帰ってくるのが遅いせいで中途半端にお皿が5枚洗えない、お風呂の電気がどうのこうの…そんな言葉を並べ立てられてしまいます。
ケチとかではなく、きっと、お金が大事であることを伝えようとしているのだと思います。
だけど痛いのは私です。家族は金銭的に痛い思いをするのかもしれないけど、この、足が、本当に痛いのは、私なのです。
でも、父も母も、私の痛みとかにはさして話題にも触れず、医者がどうだとか、せっかく手術したのに手術代がどうだとか、そんな話ばかりです。誰も私の足の傷口を見ようともしません。両親なりに心配はしてくれているのでしょうが、あまりにも私のことを見ないで、自分達の中だけで話をし、自己完結してしまうので、私のことなのに、私の足の痛みなのに、だんだんとまるで他人事のように思えてきます。「私はここにいなくてもいいんだな。」そう思えます。
冗談抜きで、この家にいると、死にたくなるのです。 「死んだよ」って言っても、気付いてもらえないんじゃないかと思うのです。
私が死んだという事実よりも、私がそこにいないという実態よりも、父母にとっては葬儀にかかる金額の方がリアルで現実的な問題なのではないかと思うのです。本当に。
いつも家に帰ると絶望的な気持ちになります。家族の中で孤独を感じるくらいならいっそのこと誰も話し掛けてくれなくて良いと思ってしまいます。
それでもいつも優しさという淡い期待を抱いて家に帰ってしまうのです。そしていつも後で後悔するのです。どうして帰ってきたのだろうと。
数で解決したがる父と母。本当は数ではなく、私に触れて欲しいのに。
期待をすると叶わなかった時に悲しい思いをするから、それなら最初から期待しないことにしよう。
そうやって何かを諦めた今日という一日。
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