★悠悠自適な日記☆
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最近私は独りになった時、「寂しい…。」と口に出すことが多い。
それは私が今作っている芝居が人の抱いている寂しさをテーマにしているためであり、その追求をしているせいだとも思う。「寂しい気持ちはどこからやってくるのだろう…。」そんなことばかりを考えている。
寂しいという気持ちは確かにそこにあるのだ。胸がキュンと締め付けられるような感覚、人と接していて、何気に出た言葉や仕草や態度に痛む。それらが道徳的にも倫理的にも、私が間違っているとか、そんな発言や態度を取るあの人が悪いとか、そんなこととは関係なしに、私の胸は痛む。頭では理解し納得しようとしているのに、心がず〜っとざわざわしている。別に誰も悪くないのに、泣きたい。どうしてだろう。
「寂しい」と口に出すことで、自分の気持ちを頭に伝達し、その原因を探る作業を始めていると思う。どうして私は寂しいのだろう…。
人は常に誰かと一緒にくっつき合いたがる動物なのではないか?だけど人は最初、独りで生まれてくるが故にそのことを忘れている。一人で生きていると勘違いをする。ところが、誰かと触れ合う温もりを一度思い出してしまうと、今度は一人になった時に耐えられなくなる。私は一人で生きていけるようになりたいんだ!!そう願っているのに、温もりがいくらあっても足りない。優しさに飢える。優しさに飢えるから、誰かに与える分の優しさをも自分で使い切ってしまう。このジレンマが寂しさの正体ではないだろうか?
一人で生きていけることを、自立することを美徳とする人間観。しかし本来人が持っているのは、他の動物と同じで群れていたい、一緒にいたいという本能ではないか。それが擦れ合うから、人は寂しさという感情を抱くのかもしれない。
そんなことを考える。人は生まれた時から寂しさと闘わなければならない。闘い続けなければならない。そういう生き物なのではないか。そう思えば、寂しい気持ちを抱くことに罪悪感を感じていたのがちょっと楽になる。ちょっとだけ。
ならば私は正直に言う。私は今、寂しい。
会えないことが、寂しい。 私のことを好きでいてくれているのかが分からなくて、寂しい。 私の意志を最後まで貫徹することができるのか不安で、寂しい。 自分に自信がないから独りで生きていく勇気がもてなくて、寂しい。
私の痛みの根源は、きっとここにあるのだろう。
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