★悠悠自適な日記☆
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2003年03月31日(月) |
2003年3月よりおいしいラーメン券 |
「2003年3月よりおいしいラーメン券」という緑色のカードを私は持っています。これは、今から3年前の、中学校の卒業式の日に、担任の先生がクラスメート全員に配布したものです。
これは、2003年3月以降、つまり、私達が高校を卒業した後は、先生と生徒の関係ではなく、一人の人間として、一緒においしいラーメンでも食べながらお話しましょうという意味を持ったカードで、裏には「人生という航海で失敗しないための教訓」と題した、ちょっといい言葉が記されてあります。
私はこのカードをもらった中学の卒業式の日から、今日の日までずっと大切に自分の机に飾っていました。そして、高校を卒業したら誰よりも先に先生に逢いに行ってラーメンを奢って貰うんだという決心をしていました。その気持ちは今も変わっていません。
中学生の時、私はまぁまぁ成績も良く、生徒会役員等もやっていたので、周囲から典型的な優等生として目立っていたそうです。(本人は全然自覚がなかったのですが。)ところがそれは周りが見た目で判断しただけのこと。実際の私は、友人関係に悩むわ、先生と衝突するわ、人と接するのが恐くなって学校に行けなくなるわ…そりゃぁもう人間の腹黒さを抱えまくった問題児でした。
その、ありのままの自分…といってしまえば綺麗に響きすぎるのですが、素の自分ていうか、醜い部分もひっくるめて、本当に思っていることを誰かに聞いてもらいたくて、ずっと私は文章で先生に伝えていました。中学の頃には「生活自主ノート」という日記帳みたいなものがあり、勉強もろくにせず、まとまりのない長い文章をだらだらと毎日書き続けていました。
だから、その先生が唯一自分を知っていてくれているわけで、考えていることを飾らずに話せる先生だと思っています。
私は中学の頃から、高校に入ってほんの少しの間まで、先生には大変なご迷惑をかけてしまいました。だから今それを謝りたいというか、むしろあんな子供の主張を真剣に受け止めてくれたことを感謝したいと思っています。そして、自分が今元気でいること、人生最大の決断をしたこと、受験に失敗したこと、友達がたくさんできたこと…たくさんありすぎて上手に話せるのかわからないけれど、誰かを通じてではなく、自分の言葉でキチンと先生に報告したいと思っているのです。
ずっとそう考えて来たけれども、私は進路未決定の浪人生で、イマイチ逢いに行きにくいのが現状です。やっぱり進路をバッチリ決めてけじめをつけて逢いたいと思うからです。でも、誰よりも先に逢いに行きたい…。う〜ん…。
そんなことを思っているうちに、3月は終わりを告げます…。
奇妙な夢をみました。それは、私が好きな人に告白して、OKをもらって、何故か親公認で付き合うことになる…という夢でした。
誰かと恋人になる…というところまではよくあるシチュエーションなのですが、(いやあまりないけど。)今回驚いたのは、実際知っている人が恋人となって登場したことでした。お相手は中学校の時の同級生。そこまではいいのですが、その、相手の男の子のお母さんは、何故か和泉節子でした(爆)ここらへんが夢です。
夢の中の私は、初めて告白をし、即OKをもらって、本当にドキドキしながら、デートに何を着ていくか悩み、ここでは言えないようなことも真剣に考え、頭の中はあずきちゃんもしくはママレード・ボーイモードでした。♪だから気になる〜こんな気持ちはなぜ〜です。♪あぁ〜助けて♪リボンが決まらない〜です。
前に出産する夢を見た時にも書きましたが、夢の中での、相手に対するドキドキ感や気持ちの高ぶりは、本当にリアルで、目が覚めてもずっとドキドキしていました。
結局デート途中の、電車の中で目が覚めました。あまりにもとんとん拍子に話が進んでいったので、もうちょっと続きが観たかったのですが、残念です。(相手の男の子には悪いけど、別に私が望んだんじゃないもん)
普段はカラーで見る夢が、今回に限りセピア色でした。何か暗示しているのでしょうか…。だといいんだけど(笑)。
今日は高校の演劇部の三送会でした。(普通卒業式前後にあるのに何故こんなにも遅いかというと、演劇部が公演でそれどころじゃなかったからです。)送られるのは55回生夢野劇部の私達です。
三送会では、公演後の茶話会と同じで、一人一芸が決まりとなっています。私達は今回送られる側の人間なので、本来ならそれを見て楽しむだけでいいのですが、コント2本、漫才1本を披露して参りました。どっちがお客なんだかわかったもんじゃありません。
何故こんなにも張り切ってネタを仕込んでいったのかというと、今年で3年間お世話になった顧問の先生(私の元担任)が転任されてしまうからです。今日、私達は先生を送り、後輩達に送ります。その先生に感謝の気持ちも込めて、前々からコントの脚本を書き、綿密な計画(?)を立て、しあわせの村で1日強化訓練を行ったのです。パラパラと雨が降るしあわせの村の芝生広場で、自転車に乗った子供達やゲートボールをやっている老人にじろじろと見られながらもコントやら歌の練習やら頑張った甲斐がありました。
55回生夢野劇部は、今本当に仲良しです。女4人男1人という妙なメンバー構成ですが、きっとこれからもずっと良い友達として付き合いを続けて行くことでしょう。
実をいうと、最初は全然仲が良くなくて、喧嘩するわ、分裂するわで先輩や先生をとても冷や冷やさせてしまっていました。アニメおたくやらダンサーやらチョコ中毒少女やら生物博士やら、個性が強すぎて今でも何がなんだかよくわからない集団です。唯一接点があるとすれば、3年間同じ空間で過ごした為に必然的に呼吸が一緒になってしまっていることと、演劇で散々衝突したので、その他の事は仲良く、楽にやりたいという相手を許容する気持ちがあることだけです。だけどその2つが形成するものはとても大きな意味があり、今の私達の関係を作り上げています。とても幸せなことです。
後輩とも、本当はもっともっと腹を割って色んな話がしたかったです。そしたらもっと分かり合えたかもしれないのにということが多々あります。今後は先輩後輩の関係なしに、一人の人間として、仲良く付き合っていけたらいいなと思います。本当は皆大好きなのです。
会の最後に、後輩から色紙をもらいました。1年生の子が私のイラストを描いてくれているのですが、これがどうしょうもないくらい上手でソックリです。家に持って帰ると、両親に、顔はもちろん丸い体型までソックリだと爆笑されました。
で、文章はどんな感動的なことが書かれているのだとう…とドキドキしながら読みました。すると…。
「嶋子先輩の下ネタが大好きでした。」 「これからもシモ子(←下ネタの「シモ」)先輩らしくがんばってください。」
こればっかり…。
大切にさせて頂きますよ。もちろん。最高の贈る言葉です。
2003年03月23日(日) |
僕達は自分の生活を守る為に戦争することを決意した。 |
「僕達は自分の生活を守る為に戦争することを決意した」
これは、今からちょうど一年前に私達が上演した「Planet−ch」(ぷらねっち)という芝居の中で出てきた台詞です。自分が戦争に加担するのは、相手の国の人々に憎しみをぶつけたいからではなく、ただ今ある自分の生活を、平凡な幸せを傷つけられたくないからという自己防衛の為だということを意味しています。
この言葉が今、現実のものとなっています。
先日テレビで、反戦デモを展開する集団と交戦デモを展開する集団との衝突現場が報道されていました。その時に交戦派のリーダー(らしき人)が叫んでいた言葉は、1年前に私達が口にした言葉と全く同じでした。
「自分の生活を守る為に戦争して何が悪いんだ!!」
この言葉を聞いて、私はとても心が痛みました。1年前、私があの芝居の脚本を書いた時は、まさかこんなにも早く現実の世界で耳にすることになるとは思ってもみなかったからです。
もちろん、この台詞は一昨年の9月11日のあの出来事に少なからずとも影響を受けて書かなかった訳ではありません。原点はあの事件にあります。しかし、社会風刺をする気はなかったし、戦争を肯定する人々の気持ちを、自分なりに考え、悩み、それで表現したつもりです。稚拙な脚本でしたが、決して軽い気持ちでは書いていません。
ところが、1年前にそのような言葉を生み出しておきながら、世界がこのような事態に陥っている今、私は何を主張していいのかがわかりません。
残念ながら私には教養がありません。私は世界の情勢や政治に本当に疎くて、日頃からニュースや新聞の報道に目を向けるよう心掛けてはいるのですが、わからないことだらけです。心の中では戦争なんか絶対にしてほしくないと思います。だけど、それを簡単に口に出して、世界を分かったような振りだけはしたくありません。こんな時、もっと自分の意見が明確に表せたらいいのにと歯がゆく思います。
街に出ると、至る所で戦争反対の署名運動が実施されています。私は毎日それを振り切りながらバイトに向かいます。
2003年03月13日(木) |
卒業旅行 東京豪遊記その2 笑っていいとも!! |
この日はスタジオアルタまで「笑っていいとも!!」を観に行ってきました。役1ヶ月半前、この卒業旅行が決まった時からいいともを観てみたいと意気込んでいたの、当たってラッキーでした。春休み中のいいともの観覧希望の応募はとても殺到するので当てるのは難しいのだとか…。とにかく、生まれて初めてのテレビスタジオなので、すごく楽しみにしていました。
でも、アルタって狭い!!テレビで見ているとスタジオはとても広く見えるのに、実際は小劇場くらいのスペース(KAVCやrise-1よしもと)しかないのです。スタジオっていっても場所は小さなブティックが集まったビルの1フロアで、入口までの階段には小道具や大道具がぎっしり。カメラは3台で客席も150くらいしかありません。その代わり、1番後ろでもハッキリと出演者を見ることができるし、大きな声を出せば十分声も届くので、その点はとてもありがたいと思いました。
この日の出演者はガレッジセールに麻木久仁子さん、ピーコに三瓶、釣瓶さんに白石美保さんでした。白石美保さんはカワイすぎです。テレフォンショッキングは東儀秀樹さんでした。私は東儀秀樹さんの音の隠れファンなので生演奏(といっても小さな笛でしたが)を聴くことができてとても興奮しました。テレビや写真で見る時はあまり意識していませんでしたが、生で見る東儀さんのお顔はとても彫りが深くてステキでした。
本番中は、番組の進行の妨げにならず、且つ盛り上げるためなら何を叫んでもよかったので、隣に座っていたタカクミは「ゴリかっこいい〜!!」だの「ステキ!!」だの出演者の三瓶よりもたくさん叫びまくっていましたが、私はこういう場合に何言っていいのかがわからなくて、うろたえるまま収録を終えてしまいました。
しかし、何もしないまま終わっていいのかよ!!という悪魔(?)の囁きが私の頭の中を何度も何度も横切り、収録後の出演者トーク(これが30分以上もあってビックリ!!)まで引きずることになります。
話題は、ピーコは色んな薬を持っていて、誰かがどっか悪いと言えばスグに薬を持って来て何でも治してくれるという内容でした。私の悪魔の囁きはここでついに行動を起こします。
「アタマが悪い場合はどうすれば治るんですか!?」
そうです。私はお偉〜いいいともの出演者様を相手に「ボケる」という行為をかましてしまったのです。しかもベタベタな内容で。言うか否かの決心をするよりも先に口が動いてしまったのです。
出演者様の目は一瞬点になり、その直後には全員の視線が私に集まりました。私は「エライことしてもたぁ〜!!」と思いました。静まる会場の中、まず最初にピーコ様が口を開きます。
「頭が悪いって、あなたソレは中身の問題でしょ!?」
(ハイ。もちろんです。ごもっともでございます…。ゴメンナサイ…。)顔を真っ赤にしながら頷いていると、今度はタモリさん。
「君、そういうコトは時々友達同士で声を揃えて言う子はいるけどねぇ、君みたいに一人で『頭が悪い場合は!?』なんて大声で発言する子は初めて見たよ。君、並大抵の度胸してないでしょ?」
と、こんなコトを言われました。あまりにも緊張して、恥ずかしすぎて、周りのコトはあまり覚えていませんが、とりあえず、私は笑われていたということだけは事実のようです。私の人生最大のハプニングです。
別にテレビに映りたいという欲があったワケでもないのに、何故あんな恥ずかしい発言をしたのか、今でもタモさんやピーコさんに土下座して謝りたい気持ちです。でも、友達からは散々「アンタおいしすぎ!!」と言われたので、ちょっと得したのかなぁ?という気持ちもあります。うん、確かにオイシかったのかもしれない…。
また東京に出る機会があればいいともを観覧できたらなぁと思います。でも、今回のようなコトは、もう二度としません。たぶん(笑)。
「次はボケないでくれるかな?」 「いいともー…?」
2003年03月12日(水) |
卒業旅行 東京豪遊記その1 東京ディズニーランド |
高校時代の仲良し4人組(私、モツヲ、タカクミ、アルパカ)で3泊4日の卒業旅行に行ってきました。11日の午後から散々カラオケで歌い倒し、夜に神戸を出発。次の日は東京ディズニーランド、2日目は東京観光です。
この日は東京ディズニーランド。去年修学旅行で行った東京ディズニーシーの経験を生かして、綿密な計画を立てて挑みました。まず、開園と同時に2手に別れてダッシュ。私とモツヲは「プーさんのハニーハント」のファストパスを目指して走り、あとの二人は待ち時間ほとんどナシで入れるミクロアドベンチャーに並びます。4人分のファストパスを確保した私達はミクロアドベンチャーで合流します。
この最初のダッシュは肝心です。入口から「ハニーハント」までは相当な距離があり、私達もかなり必死こいて走りました。おかげでファストパスを利用しての待ち時間は40分くらいで済みましたが、コレがもしあと15分遅れていたら2時間3時間待ちは当たり前になっていました。
この調子で、2人がファストパスを取りに行く→もう2人は別のアトラクションに並ぶ→という作戦で、閉館までに合計10以上のアトラクションを巡回することができました。もちろん5つあるファストパスは全て制覇です。時間を有効に使いまくった充実した一日でした。
ファストパスが利用できるアトラクションはどれも最高におもしろくて、言葉にできないくらいの感動と興奮があったのですが、あえてそれ以外の話をさせてもらうと、ファンタジーランドの中にある「イッツ・ア・スモールワールド」が一番印象に残っています。
「イッツ・ア・スモールワールド」は世界の様々な民族の服を着た人形や動物達が一緒になって「小さな世界」を歌っていて、私達はその中を小さな船に乗って巡回するという、ただそれだけのアトラクションなのですが、今、世界情勢が複雑なだけに、「平和」という当たり前の言葉が当たり前でないことに深い悲しみを覚えながらその時を過ごしました。
♪せかいじゅう どこだって わらいあり なみだあり みんな それぞれたすけあおう ちいさなせかい
せかいじゅう だれだって ほほえめば なかよしさ みんな わになりてをつなごう ちいさなせかい
せかいはせまい せかいはまるい せかいはおなじ ちいさなせかい♪
こんなことを歌っていられる東京ディズニーランドはまさに「小さな世界」、まさに「夢の国」。世界中の人々の「小さな世界」というささやかな願いが現実のものとなるように、世界の平和を願わずにはいられませんでした。
2003年03月10日(月) |
魔法使いにあこがれて… |
ハリーポッターを観てきました。世間は「戦場のピアニスト」だの「ロード・オブ・ザ・リング」だの言ってる中、初めてのハリポタです。
私が最も敬愛するミヒャエル・エンデの作品に「はてしない物語」というお話があります。エンデの代表作です。このあかがね色の本を読んだ人はよくわかると思うのですが、私は昔、この本の世界にどっぷりと取り込まれてしまっていました。
こんな壮大な物語が映画になったらどうなるんだろう…。ところが、その映画に幻滅。私の描いていた世界とは全く違うものだったのです。私が私の中で描いていた私だけの世界が、映画という大衆に向けて作られた世界に否定されているような気がして、がっかりしてしまったのです。
それ以来、本はできるだけ原作で読むようにして、映画で観るということはあまりしなくなりました。
最初、ハリーポッターもそのつもりで、最近やっと賢者の石を読み始めたところでした。ところが、友達から秘密の部屋のタダ券を頂いたので、観に行ったトコロ
「ヒット。」
とっても面白かったのですよ!!私が描いていた理想の世界がスクリーンの中にありました。(もちろんハリポタの方がネバーエンディングストーリーよりも話が子供向けなので、誰でも簡単に世界に入り込める内容になっているのですが。)遅れながらにして私にハリポタブーム到来の予感です。
私は昔から魔法モノが大好きなのです。好きな児童文学書を並べると魔法モノばかりです。ずっと私は魔法使いになりたくて、(今でもそう思うのですが)魔法の国から使いの者が降りてきて、「あなたは本当は選ばれた大魔法使いなのよ!!」とお迎えが来ることをずっと考えているような子供でした。だから、ハリーの最初のシチュエーションは私がずっと思い描いていた理想の世界なのです。
でも、私がって言うより、誰もが一度は夢見ることなんだと思います。私の場合、それが過剰なだけで(笑)。魔法使いになりたいという欲望、その欲望を代わりになって満たしてくれているのがハリーなワケで、ハリーはもうひとつの自分の可能性なワケです。
ハリーに憧れると同時に、軽い嫉妬まで覚えます。彼の今後の成長が楽しみです。
PS ハーマイオニー可愛すぎです。どうせなるならハリーよりハーマイオニーになりたいです(笑)
さて、卒業式です。直前まで私は友達と3年間の思い出をバカ笑いしながら振り返っていましたが、いざ体育館に入場してしまうと空気はガラリと変わります。卒業証書授与は、名前を呼ばれて返事をするだけでも緊張するのです。特に私のクラスは直前までT君が大きな声で返事をしたら皆も大きな声で返事をするという意味不明な提案があり、特に私はT君の次に名前を呼ばれるので、直前までドキドキでした。まぁキチンと返事することは提案があろうがなかろうが決めていたのですが。そんな甲斐あってか、私のクラスが一番大きな声で返事をしていたそうです。
さて、問題は私です。卒業証書授与が無事終わって一安心した私は、校長の式辞の時、物凄い眠気に襲われました。前日床に就いたのが夜中2時半だったせいです。ちらっと隣を見ると、T君も眠っていました。私の眠気もピークだったので、無意識のうちに、目をつむってしまっていました。
「卒業生、起立!」
校長の式辞が終わると、皆が立ち上がりました。私もコレだけは遅れてはならないと思い、目を開くと同時に勢いよく立ち上がりました。ところがです!
「!?」
立ち上がった瞬間、急に目の前が真っ暗になり、平衡感覚を失った私はそのまま後ろにガタガターン!!…そうです、倒れてしまったのです。
幸い椅子が一緒に倒れることはなく、大きな音がしたのにどの先生にも気付かれずに済んだのですが、周囲の人はとてもビックリして、「え?どうしたん?」「大丈夫!?」等と散々迷惑を掛けてしまいました。さすがに居眠りぶっこいてフラついて倒れた…とは言えないので、「ゴメン、ちょっと貧血起こした…」と言っておきましたが、右隣のT君と左隣のNさんは絶対に気付いていたに違いありません。恥ずかしいです。とても恥ずかしいです。
このことを後で友達に話すと、「犯人はアンタかい!」と散々笑われました。その時は私も一生のネタになるな…と少しおいしいと思っていましたが、次の日、私は風邪を引いてダウンしました。結局は風邪の前触れだったようです。
なんだか「お前卒業式なめとんか!?」的なお話ですが、最後の退場の時にはクラス全員が一緒に「基ちゃん!(←担任の名前)ありがとう!!」と頭を下げて退場するという、これまた定番なことをやったりするのですが、このときには目に涙をいっぱい浮かべて退場しました。
去年の卒業式の日に、私はこの日記で別れよりも新たな出会いの方が嬉しいから泣いたことがないと書きましたが、ここで新たな感情が湧きあがってきました。それは、優しい友達や先生に出会うことができた嬉しさと感謝の気持ちです。人間関係に悩み、疲れていた小、中学校の時には分からなかった熱い感情です。
その時は必死で涙をこらえましたが、家に帰って一人になった時、部屋の隅っこでさめざめと泣きました。
友達に、先生に、本当にありがとう。さようなら。
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