★悠悠自適な日記☆
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東京ではただの流行でしかなかった(らしい)のに、関西では立派に女子高生のアイテムとして定着してしまったもの…それが、ルーズソックスであります。
ちょうどルーズソックスが街に出始めた頃、当時中学生だった私は、別に大して細くもないのにスカートを「I’s」の伊織ちゃんのごとくギリギリまで短くしてルーズソックスを地面に引きずりながら歩く女子高生を見て、絶対にルーズソックスには手(足)を出すまいと決心したものでした。
しかし、そんな私は今現在ルーズソックスを履いて高校に通っています…。
というのも私の高校には、体育の時間は必ず白靴下を着用するという決まりがあるのです。それでルーズソックスを履くのです。紺色ハイソックスはだめで、ルーズソックスはいいというのはなんだかおかしな気もしますが、体育時のルーズソックス率は99%(ちなみにあとの1%は裸足か、白のくるぶし靴下…笑)で、履いていない方がかえって目立ちます。なので私も仕方なく履いて行ったりします。そう、仕方なしにです。本当はルーズソックスを履くのには抵抗があるのです。今回は、ルーズソックスの知られざる秘密を教えたいと思います。
まずひとつめは、肌にルーズソックスをのりでくっつけるということです。普通は肌に優しい靴下専用のソックタッチを使うのですが、粘着性があまりなくて、汗をかくとすぐにとれてしまうので、最近は事務用ののりを使っている人が多いのです。私はコレにすごく抵抗があります。
ふたつ目は、値段がべらぼうに高いということ。長さによって違いますが、オールシーズン通して履ける70cm〜80cmとなると、一足1500円位が相場です。冬用の90cm〜120cmになってくると2000円位します。たまに安〜く出ているものもあるのですが、ここですぐにケチって買っては゜安物買いの銭失い´です。ここでまず見なければならないのは「生地の硬さ」であります。なるべく硬く、綿混のものを買うことです。好みによりますが、比較的値段が安めで生地のやわらかいものは、いくら長くても肝心の「たるみ」が靴の外にデロデロ出るばかりで上に蓄積されません。そして汗を吸わないので足が臭い人は要注意です。それから、ルーズソックスを履くと靴がいつもよりキツくなるので気をつけなければなりません。そして、洗濯してもなかなか乾きません。
そしてここからは私達の間での知恵となっているのですが、足の部分が破れると、足の部分だけを切ってしまってレッグウォーマーのようにします。そしてくるぶしまでの靴下を履いて、その上から切った「たるみ」の部分をかぶせます。すると、やっぱりルーズソックスを履いているように見えるのです。綿混のくるぶしソックスなら本来のものより吸汗性に優れていていい感じです。お金のない高校生の知恵です。
そんなワケで、こんな私もルーズソックスを履いて生活しているのです。。(体育のない日はめっぽう紺ソックスですが…。)いろいろめんどくさくて、好きではないのですが、この時代を生きた証拠にはなるかなぁと思い、今日の記録に残しておきたいと思います。
先日図書館で友達と勉強した帰りに久しぶりにプリクラなるものを撮りました。ところが、出てきた写真を見てみると、変なんです。何がって私の顔がです。丸いんですよ。いや、もとから丸い顔なのですが、更に丸くなっているのです。友達は相変わらずシャキっとした顔をしてらっしゃるので機械が原因ではありません。
太った…。
原因は明らかです。
★秋なので、食べ物がとてもおいしい。 ★演劇部を引退したので、それまで少しだけ割れていた腹筋がたるみまくった。 ★カツゼツ訓練をしなくなったので、顔の筋肉が衰えた。 ★最近なんだか友達がローテーションでお菓子を持ってくる。 ★中間考査のために、体育の授業がなかった。 ★一次審査合格のお祝いで、ケーキとゴージャスなラーメンをたらふく食べた。 ★誕生日だったので、ケーキを2日続けて食べた。 ★寒い帰り道、コンビニに寄るとホクホク肉まんが私を呼ぶ。 ★土日はほとんど家から出ない。ぐうたら生活。
よく考えたら、よく考えなくてもこれで太らないワケがありません。そういえば、女性は年頃になると一度スッキリとした体型になると言われますが、私にはその気配すら感じられません。運動はもっとしたいのですが、受験中はちょっとなぁ…。走る時間が惜しいというより、走って疲れて眠る時間が惜しいのです。…となると食べる量を減らすしかありません。また「フードファイト」な毎日です…。(2002年2月19日の日記参照。)
2002年10月27日(日) |
合格通知と高級ラーメン |
昨日の話なのですが、昨日は弟の文化祭であると同時に、某D大学のAO入試の一次審査の合格発表の日でした。ちなみに私の受けた学科専攻の定員は2人なのに対し志願者24人!最終倍率12.0です。その中から一次審査に合格するのはたった5人です。発表の前日、夜中に大学からのメルマガが届き、一次合格者が5人だと知った時はのんきに構えていた私も流石にダメかもしれないな…と思って中々眠りに就くことができませんでした。昨日も、通知が届くよりも(多分)少し早くにインターネットでの発表があったのですが、恐ろしくて見ることができませんでした。
文化祭を一通り楽しんだ後も、家に帰るのが恐くて、ギリギリまで喫茶コーナーで焼きイモを食べていました(中学生が掘った芋なので食べ放題です…笑。)でも、この日も吉本新喜劇をビデオに録画するという任務が課せられていたので、泣きそうになりながら家に帰りました。(徒歩1分。)
郵便受けを覗きます。明らかになんか入ってます。鼻息が荒くなります…。ソレを取り出します…ん!?…ちょっとブ厚い!?…。その封筒を空にかざしてみます。振込用紙みたいなのが見えます…もしかして!?…もしかしてえぇ!?
慌てちゃダメだ…。まだ決まったワケじゃないし…。落ち着け、落ち着くんだ!!と言いながらも私は靴を脱ぎ捨てて家に入りました。一直線にサイドボードに向かってハサミを取り出し、封を切ろうとしました。
いや、ちょっと待てよ。ビデオをセットせな…。
とりあえず新喜劇が始まるのを待ちます。録画ボタンを押すと即行で今度こそ封を切りました。
「合格」
えっ!?マジでマジで!?24人中の5人に滑り込んだ!?すぐに親にメールを入れました。(電話しないあたり、セコイ。)それなのに誰からも返事が返ってきません。おかしいなと思い、携帯の画面を見ると「送信失敗」。いや、こんな時にそんなボケかまさんでえーからと思い、もう一度送信。一番に電話を掛けてきてくれたのはさっきまで一緒に文化祭を観に行っていた友達です。
それから親も帰ってきて、それはもうお祭り騒ぎでした。まだ一次審査突破しただけなのに…。母が「今日はアンタの好きなモン食べさしたる!!」と言いました。私は「三田屋のステーキ!!(1600円位のやつ)」と言ってみました。母が予約を入れるために電話を入れると、そのメニューはもうなくなっていて、2800円からのコースしかないのだそう。さすがに2800円もする高級品を食べてしまうと、2次審査で落ちた時に喰った分返せ!と言われそうなのでそれはいけないと思い遠慮しておきました。母が、「三田屋のステーキ以外で何がいい?」と聞くので、私は思いつきでこう言いました。
「ラーメン…。」(定価550円)
次の瞬間、家族全員ツッコミをいれてきました。なんでラーメンやねん!!と。もっと高級なモンが言えんのか!!と。しかし、普段大して高級なモノを食べていないのに急にそんなの思いつきません。貧乏性です。結局、私の好きな「たろう」のあっさりラーメンに好きなトッピング+ケーキで話はつきました。トッピングは最初「ネギ」にするつもりだったのですが、また家族全員から激しいツッコミをされたので、+350円の「たろちゃんラーメン」という、なんだかスペシャルなラーメンを注文しました。こんなゴージャスなラーメンはもう二度と食べられないかもしれないと思い、感動しながら黙々と食べました。ラーメンの前に散々イモを食べていたのでお腹が破裂しそうでした。でも食べました。
ケーキも「シャトレーゼ」で値段に構わず好きなものを選んでいいと言われたので、なんとなく食べたいと思ったチーズケーキを選んだら、なんとそれは定価160円もモノがフェアで115円に値下がりしていたものでした。あまりにもの貧乏性ぶりに家族は飽きれていました。でも、とてもおいしかったんです。うん、おいしかった。
この「おいしかった」が後々悪夢を見せることになるのですが、その話はまた今度、別の時に話すことにする…。(と、ミヒャエルエンデの「果てしない物語」っぽく終わってみる。)
神戸市立大原中学校の文化祭を観に行ってきました。弟が生徒会劇と、合唱コンクール優秀クラスと、3年生の全体合唱の指揮をするので姉としては見所タップリでした。久しぶりの母校訪問でした。
生徒会劇「メッセンジャー」は、UFOを探しに大原山にやってきた中学生達がピーマン星人と遭遇し、日に日に汚れを増していく地球について考えるお話でした。ネタばっかりで、何を言っているのかわからないこともたくさんあったのですが、そのぐちゃぐちゃしてるところがとてもおもしろいのです。変に訓練されていなくて、素直な中学生が一生懸命走り回る様は、上手い下手ではない、情熱が伝わってきていい感じでした。舞台における制約を知らない分、個々のキャラクターの濃さが溢れ出ていて、なんだか笑えるのです。多分、私はずっと笑ってました。演出は生徒会の先生と弟が担当していたようですが、飽きないコミカルな動きが多く、最後まで楽しむことができました。時々、私の「Planet-ch」からパクってるなっていうのも見られましたが、私達のやったことを良いものとして観ていてくれたんだなと思うと、少し嬉しかったです。
この文化祭で、弟は大活躍でした。生徒会劇でも弟はズバ抜けた演技を披露しており、合唱の指揮でも、さすが全国大会のビデオで研究して練習していただけあって、その辺の高校の吹奏楽部の指揮者にも劣らない位上手でした。姉バカと言われそうですが、本当です。やっていることは3年前の私とほとんど一緒なのですが、嫌という言葉を一言も漏らさず熱心に取り組み周りから信頼を集め注目される人柄には嫌味なくらいスペシャルさを感じます。これ以上誉めると調子に乗られそうなのでやめておきます。学校では人気者ですが、家ではそれを当たり前といったような態度を取るので私は嫌いです。男の子ってそんなもんなのかもしれませんが。
友達とお茶券を買ってお饅頭と抹茶を飲み、豚汁とおにぎりとサツマイモを食べ、更に喫茶コーナーでレモンケーキとコーヒー、そしてまたサツマイモを食べ、なんだか食べまくりな一日でした。中学1年の時の担任と進路の話になり、先生に「音大に行くの?あなたまだ声優の夢を追いかけてるんじゃないでしょうねぇ?」などと聞かれ、あぁ、その頃はまだそんなことを言ってたっけなぁ…。としみじみ思いました。あれから5年です。自分の進む道は思いっきり変わりましたが、その先に見据えているものはあの頃とたいして変わっていません。私は先生に「まだそういう道も視野の中にはありますよ〜。」とだけ言っておきました。 しかし、5年前の私の夢を覚えていてくれるなんて、私はよっぽど主張していたんだろうなぁ…と思います。
しかし家に帰ってからの母の会話と言えば、「○○ちゃんがいっぱい選ばれてた。あの子は成績もいいから」「△△君の作品が●●君よりたくさん飾られていた」など、他人の話ばかりで、展示されていた作品の内容は一言も触れません。人の価値を名札の数でしか判断できない人の会話は、とてもつまらないと思いました。
2002年10月25日(金) |
異文化コミュニケーション |
W杯以降、私はよく某サッカー選手(海外移籍中のS選手…あ、まるわかりやん。)のHPを訪れます。アンオフィシャルHPですが、それは実際にオフィシャルHPがS選手の意志により作られていないだけであって、実際はアンオフィシャルとは思えないくらいしっかり作られていて、毎日多くの人が訪れています。
さて、今日もぼんやりとそのHPの掲示板を見ていたら、なんと海外からの書き込みが!!その人は中国の方で、S選手の大ファンだからはるばると日本のHP(しかも非公式)に熱意を伝えにきたのだとか。簡単な英語を使っての書き込みだったのですが、わざわざ日本語が並ぶ中に飛び込んできてくれたという思いが私にはなんだかとても嬉しくて、その書き込みにレスをつけることにしました。
さて、レスを付けると簡単に言っても、扱う言語はもちろん英語です。高校で英語の成績が極めて悪い私にとっては一大事です。まずはいつも使っている英文法・会話表現の問題集と電子辞書を片手に文章を作成していきます。自己紹介は楽勝です。しかし「ここではみんなでS選手を応援しています。」という文章になると、なんとなく文構造は頭に浮かんでも、文法が不安で仕方ありません。しかし、ここで間違った英語を使って(私はモチロン、日本人が)恥を掻くのも嫌なので、中学英語範囲でなんとかすることに。
ちなみに、こんなことを書きました。↓
Hello. Nice to meet you. My name is (ハンドルネーム) in Japan. (ちなみに、ハンドルネームは嶋子でない。) I like Takayuki Suzuki too. There is in support of Takayuki Suzuki. Let's support him together.
しかし、これでも間違っていないかかなり不安です。私は彼女の熱意に応えることが出来たのでしょうか?しかし、稚拙ながらも英語を使って人と交流をすることは何とも言えないドキドキ感があります。もっと真面目に(いや、私は真面目です。)英語の授業を受けようと思いました。
あぁ、そうですよ。S選手って、鈴木隆行選手です…。
私はとても物覚えが悪く、物忘れが激しいです。今日は世界史のテストがありましたが、何日もこの教科に費やした割に全然できませんでした。ちなみにすぐ隣にいる私の友達は一夜漬けでいつも80点台をキープしておられます。しかし私は、一週間ひたすら教科書を『読む→まとめる→書きまくる→つぶやく→』を繰り返してやっと平均点とれるかとれないかです。(ほぼ、とれない。)直前まではなんかいろいろ覚えている気がするんですけど、問題が配られて、ちょっと文章が変わったりしていると、もう頭の中は初期化状態です。流石に一夜漬けで80点を望んだりしませんが、せめて努力した分は結果に繋がってほしいものです。
よく、好きなことなら覚えられると言いますが、それでも私は覚えが悪いです。例えば芝居でセリフを覚えたりするのにも、他の部員達は稽古の中で大方覚えてしまえるみたいなのですが、私は暇を見つけては台本と睨めっこしてブツブツ反復していないと覚えられません。他人のセリフはもっと覚えられません。(そのかわり比較的本番に強いです。芝居だけは…。)漫画を読んでいても、脇役のキャラクターの名前はほとんど覚えていませんし、おつかいに行っても(基本的にあまり行かないけど)メモがないと、何を買うかまでは覚えていても、何個買うかになってくると不安になります。どうしてこんなにも覚えられないのか、頭の中のどこかの機能を使い忘れているんじゃないかという気さえして恐くなります。
テストの問題について友達と話をする度に私は友達に「凄いなぁ…。」と呟き、そんな自分に嫌気がさします。個人能力の差ってある程度はあるのかもしれませんが、それでも同じ高校に通ってる子の間ではある程度同じレベルでいたいと思います。受験なんて、暗記ができないと話になりません。そういえば、世界史にしろ、英単語や古典単語や助動詞の意味にしろ、ネックになっているのはどれも暗記ものばかりな気がします。(数学は論外です。)覚えさえすればいい至って単純なモノが、私には最大の壁のように思われます。ツライです。やるしかないんだけど。
徹夜明けなので、今から昼寝します。
2002年10月20日(日) |
腹黒い子供と正義の味方 |
昔から戦隊モノがとても好きです。幼い頃、デパートの屋上やスーパー、ひらかたパーク(限定)でやるショーには必ず前の席を陣取って座っている子供でした。前に座っていると時々ショッカーが5人くらいの子供を連れて舞台に上がってくれるので、わざとショッカーに捕まってレンジャーに助けてもらおうとしている腹黒い子供でした。でも、子供はたくさんいるのでかなり低い確率でした。
多分「ジュウレンジャー」だったと思うのですが、念願叶って私はショッカーにさらわれることができたのです!!ショッカーにだっこされて、舞台上で「気をつけ!」「休め!」などの命令にひたすら従い、間違ったらピコピコハンマーで頭を叩かれるのです。その時私は間違えなかったのですが、横に立っていた男の子がわざと何度も間違えて叩かれていて、おいしい子やな〜と思っていました。腹黒い子供でした。
しかし、腹黒いながらも、正義の味方は大好きでした。ままごとよりも戦隊モノごっこの方が好きでした。戦隊モノごっこはこの歳になってもやったりします。(お相手は演劇部の仲間のD。)というのも、今から2年前、とある劇団のお芝居でで3人のレッドがカレーの嫌いなイエローをいじめまくるというキョーレツな劇中コントを拝見し、かなり興奮したのです!ひそかに再演希望してます。むしろ自分がやりたいくらいです。…そんな訳で稽古場でこっそりやっていたりするのです。
今は毎週日曜日に「ハリケンジャー」がテレビで放映されていて、私は頑張って早起きして見ています。しかし、ハリケンジャーはこれまでの戦隊モノの王道からかけ離れすぎていてちょっと嫌です。というのも
★ヒロインはピンクではなく、ブルー(水色)である。 ★メンバー構成がおかしい。ハリケンジャー(赤、黄、水色)にゴウライジャー(ワインレッド、青)シュリケンジャー(緑)という意味不明な構成である。 ★ハリケンジャー(特にレッド)が弱い&アホ。 ★シュリケンジャー(緑)が強すぎて独走。そしていつのまにかリーダーの座を奪いつつある。 ★シュリケンジャー(緑)の正体不明。そしてやたらアメリカかぶれ。 ★総司令官がハムスター。
…とまぁ、こんなカンジです。私的にはせめてメンバーの色合いくらいなんとかしてほしいと思うのですが、毎回出てくる武器やモンスターおもしろいのでつい毎週見てしまいます。でも、ヒロインはやっぱりピンクであるべきだと思います。私はピンクになりたいんだってば!!
たとえばもし、今突然大きなカンバスと絵の具を手渡されたならば、私はカタチを持たないモノを一心不乱にカラダを使って作り出すだろう。筆はいらない。
たとえばもし、誰もいない空間に私とピアノ1台あったならば、私は一心不乱に鍵盤を叩き、旋律にならない音を奏でるだろう。楽譜はいらない。 たとえばもし、目の前に突然キャンプファイヤーのような炎が現れたなら、私はその炎の中に飛び込んでいき、雄叫びをあげながら踊り狂うだろう。振り付けはいらない。
たとえばもし、誰もいない舞台の上に一人立たされされたならば、私は震えるような声で、叫びをあげるだろう。言葉はいらない。
ろうそくに灯された炎のような欲が私の中に静かにゆらめいているのがわかります。自分が普段の生活において出し切れていない感情(それは不満だけでなく、感動でもある)が蓄積されて燃えているものです。私という人間は、自分の感情のまわりには自分の立場、相手の立場、社会的立場、そのまわりをぐるぅっと偽善…という制約がまとわりついて形成されています。それはこの世の中では当たり前のことで、そういう制約事がないと生きていけないシステムになっています。私はその世界で生きることを拒否したりはしないし、そうやって制約の中で生きている自分に「これは本当の自分じゃない」と青い鳥めいた言い訳をしたりするつもりもありません。それなりに毎日を楽しんで生きる方法も知っている気がします。
ただ、こういった生活の中で少しずつ満たされなかった感情が蓄積されていくと、燃えすぎた炎はろうそく一本だけでは支えられなくなってしまいそうです。間違った場所に燃え移らないように、また、その熱が消えてしまわないように、その熱を発散させる機会が欲しいと思います。
私はそれを「創作」にまわします。
何かをつくることに熱を伝えることで、自分というバランスを保っている気がします。魂が浄化される感覚です。
今はそんな機会が遮断された生活を送っています。そろそろどこかに燃え移りそうです。その熱を勉強に伝えられたらいいんだけど、勉強ではなかなか自分の感情が表れないので嫌いです。せめて成績に表れたらまだ何とかなりそうなのに…。
最近、ボロボロの問題集にとても魅力を感じます。何度も何度もその問題集を頑張って繰り返し解いた証が刻まれていると言うのでしょうか?使い込んで自分の手に馴染んだ感触というのでしょうか?使い込んだおかげで、たとえ同じ問題集でも他人のものが使えなくなってしまうという感覚、それにとても情緒を感じてしまうのです!!
最近、遅かれながらやっと単語帳を買いました。受験生お馴染みの「ターゲット1900」です。これまで学校で購入した「速読英単語」を使っていたのですが、それは速読対策にはなっても単語を覚えるにはどうも私に合わないと思い、新しく購入したのです。
この単語帳、只今ピカピカです。電車の中で、ボロボロの問題集を開いている学生さんを横目にそれを開くのは少し気恥ずかしいです。しかし、この単語帳がやがて手放せなくなってしまうくらい使い込んでボロボロにしてやりたいと思っています。今のささやかな目標です。(もっと欲を言えば、この単語帳がボロボロになる前に進路が決まってほしいんだけど。)
弟が毎日夜遅くまで芝居の稽古に出かけています。なんでも、文化祭で生徒会劇をするのだとか…。今日始めて台本を見せてもらったのですが、その台本が、とてもおもしろかったのです。「メッセンジャー」というタイトルで、UFOを探すためにキャンプにやてきた子供達が、ピーマン星からやってきた宇宙人と遭遇する…といったお話です。
もともとコレは中学生演劇用の台本なのですが、演出の先生が脚色しておられて、なんというか、ネタばっかりです。なんでもその先生はよくお芝居を観られる方で、劇団赤鬼のファンなのだそうです。弟は学校で赤鬼の「Silent night」というお芝居のビデオを観せてもらったそうです。弟が言うには、その台本には赤鬼の要素がたくさん入っているのだとか。私は赤鬼の芝居をまだ一度も観た事がないので羨ましい限りです。
3年前、私もこの学校の生徒会劇に出演しました。最初はキャスティングも自分達で決めていたのですが、どうも演出の先生の意にそぐわなかったらしく、読み合わせを聞くこともなく後で全部変えられてしまいました。結果、私のセリフは全部で5つ。出番も2つしかなくて、本当にやりたかった役を演じることができませんでした。お芝居を誰よりもやりたかった私にとってはとても苦い思い出です。しかし、ひとつのセリフをどれだけ大切にしなければならないか、ド素人ながらに凄く学んだ公演でした。
弟が家で必死にセリフの練習をしているのを見ると、3年前の自分を思い出しました。しかし、弟達はキャスティングも自分達で決めて、楽しくやっているそうです。弟の役はあまりセリフのない役です。しかし、キャラクター的にはやり方次第でいくらでもおもしろくなるような役を選んできています。弟はその役を自分から志望し、セリフのないトコロでいかにおもしろいことをやるかを考えたいと言っています。我ながらしっかりした弟やな〜と思います。
弟があまりにも真剣に取り組んでいるので、それなら私も少し協力したいと思い、弟がやろうとしていることがより芝居の中で生きてくるようにアドバイスをしてやりました。こーいうことに関しては、私も弟も熱が入ります。今、存分に稽古できる弟が羨ましいなと思います。
とりあえず、弟には舞台の上で楽しんできてもらえたらな〜と思います。本番が楽しみです。
今日で私は18歳になりました。誕生日にはケーキが食べられるのではっぴーです。
しかし、誕生日の楽しみと言えばケーキが食べられたり、みんなから「おめでとう!」って言ってもらうことぐらいで、それはとても嬉しいのですが、昔程年齢を重ねていくことに喜べなくなってしまいました。精神的に大人になって、歳相応な振舞いをして生きていきたいとは思います。しかし、そのことによって、今真剣に考えたり、悩んだりしていることを忘れたくないのです。例えば他者と自分の関係だったり、生と死についてだったり…。この話を担任の先生に話したら、「大人になって、家庭を持ったりすると、そういうことを考えなくても楽に生きれる方法を見つけてしまうんや…。」とおっしゃっていました。そうなのかもしれません。考えなくても楽しく生きていることができるのかもしれません。しかし、私はたとえ答えが出ないことでも、考えてしんどいことでも、それを放棄したくないと思うのです。ピーターパン・シンドロームなのでしょうか?
それから、何よりも恐れているのが、肉体の衰えです。体がこれまでのように動かなくなっていったり、物忘れがひどくなったりすることにはやはり恐怖があります。この前、久しぶりに鉄棒をやってみたら、逆上がりができなくなっていました。小学生の頃、あれだけ頑張って練習してできるようになったのに、こんなにも早くできなくなってしまうのです。ショックでした。そういうことがこれから増えていくんだろうなと思うと、ちょっと重荷です。できるだけ体を鍛えることと、今できることは今のうちにやっておかなければならないなと思いました。ババァみたいなコメントです。
話は変わるのですが、今からちょうど一年前(正確には10月12日)とある劇団のお芝居を観に行きました。そこで運良く劇団員さんとお話することができたのですが、その時に、私が17歳になったことを告げると、その人に「人生で一番楽しい時やからしっかり楽しみや〜」と言われました。
そこで、17歳を少し振り返ってみました。思い起こせば、私の17歳は、その劇団員さんの言うとおり、メチャクチャ楽しむことができたのです。まず、演劇部で書いた脚本で賞が取れたり、県大会に出場したり。修学旅行のかくし芸大会でコントをして優勝したり、色んな人と友達になれたり…。もちろんその間には揉め事で泣いたりしたこともあったのですが、そういうのも全部ひっくるめて、やりたいことは全部やって楽しめた気がします。心残りと言えば、花の17歳とか自分で言っておきながら、恋愛の「れ」の字もない程泥臭い生き方をしてしまったことだけでしょうか。あと、もう少し勉強しておけばヨカッタな…と。毎年誕生日前になると友達に「プレゼントは何がいい?」と聞かれ、その度に私は「愛!!(つまりは彼氏)」と答えていたのですが、そろそろ本気で飢えているように思われそうなので、今年は「合格通知」と答えておきました。ま、この課題は18歳に繰り越しってワケです。(苦笑。)
最初にえらく悲観的なことを書いてしまいましたが、18歳という時代を生きることは私自身とても楽しみにしているのです。高校を卒業すれば、また新しい人と出会い、世界が広がるのでしょう。そして、演劇部ではない場所で芝居ができるのでしょう。それをとても楽しみにしています。
私は学校の選択科目Mで情報処理をとっています。現在、パワーポイントを使っての課題を制作しています。いわゆるプレゼンってやつです。画像さえ載せてあれば、テーマは自由です。
ちなみに私は、吉本新喜劇をテーマに作っています。役者さんの写真を取り込んで、芝居中でのポジションやギャグなどを紹介していくという、いたって単純なものです。友達には自分がやった芝居について作ればいいのにと言われるのですが、本番中の写真がほとんどない上恥ずかしいのであえて新喜劇にしています。エッセイを書くための資料として購入した吉本新喜劇ガイドブック「ゲラゲラ・ハッピィ」がやっと役に立っています。
さて、画像をスキャナで取り込む作業は先生にやってもらわなければならないので、その本を先生の所に持っていきました。その本を受け取った先生は、作業を進めながら私に言いました。
「君、吉本新喜劇好きなの?」 「ハイ。毎週欠かさず見てます。いつもビデオに録画して…。」 「録画するの?」 「ハイ。我が家のしきたりなんです。忘れると、家族から3日間文句を言われ続けるんです。」 「先生ね、去年劇場に観に行ったよ。君は行った事ある?」 「3回行きました。内場さんが大好きなんです。」(私、頬を赤らめる…笑)
ここまではいいのです。ところが、先生は突然私の顔をじろじろ見て、こんなことを言い出したのです!!
「君って、吉本にいそうな顔だよね…。」
なんですと!?私がこんなに真面目にお話をしているのに、その顔を『吉本顔』と抜かしてケツかるのです!!女の子で『吉本顔』といえば、普通、ブサイクを意味します。私は遠まわしに、でもこんなにもハッキリと「ブサイク」と言われている!!
ガーンガーンガーンガーン…。
このことを家族や友達に言ってやりました。すると、どうでしょう。誰もがそのことを否定してくれないのです。友達からは「まぁ、そんな感じよな。」「吉本に馴染んでる顔よな。」と言われ、家族には爆笑されました。
思い起こせば、私は昔から色んな人に「吉本に入れ」と言われてきた気がします。家族や親戚はもちろんのこと、最近は、ダンス教室の友達や美容師さんにまで言われる始末です。今日は友達に「うちのお母さんがゆっぴ〜ちゃん(私のあだ名)は進路どうするの?やっぱり吉本かしら?…って言ってたで〜」と言われました。言っておきますが私は決して人前でギャグを展開するような子ではありません。目上の方には目上の方なりの接し方をしているつもりです。それなのに、言われるのです。友達に言わせると、何気なくやっている行動やリアクションが芸人っぽいとか…。
あんまり言われるようになってきたので、最近自分の将来が少し心配になってきました。気がついたら吉本で売れない芸人をやっていたらどうしよう…と。吉本新喜劇は本当に好きなのですが、私は吉本じゃない普通のお芝居がしたいんだってば!!
私は癖毛っ子です。中学生の頃は本当に爆発してヘアピンを何十本も頭の中に仕込んでいる子供でした。しかしそれでも膨らんでモコモコしてました。なので高校になってからは専らストレートパーマです。値段が高いので半年に1度位しか当てませんが。しかし今月いっぱい行き着けの美容室で縮毛矯正が、なんとカット代込みで9800円でやっているというのです。縮毛矯正といえば、ストレートパーマの王様です。半永久的に効果が持ちます。(但し、新しく生えてくる髪の毛は癖毛です。)ちなみに普通の美容室で当てると2万円は越えます。私はいつも8千円位で普通のストパを当てていましたが、(それでもめちゃくちゃ安いんですよ!!)その値段の安さから、友達と3人で一緒に行ってきました。
私は昔から美容師さんとお話するのが苦手でした。何しゃべっていいのかわからないのです。尋ねられたことに対して素直に答えればいいんですけど、緊張してしまって、「ハイ。」「そうですね。」ぐらいしか話すことができないんです。それから、芝居をしているからでしょうか?美容師さんによっては、「この人、無理して話を合わせようとしているんだろうな…。」というのが見えてしまうのです。だから私も余計に気をつかってしまって、美容師さんに話を合わせようとしてしまうのです。お互い、相手の出方を伺っているという状態です。
今日も最初はそうだったのですが、ひょんなことから漫画の話に発展しました。私は美容室では普通の女の子らしくいっちょまえにノンノ等を広げたりするのですが(いや、ノンノは好きだけどさ)、友達が堂々と少年漫画の話を始めたら、つい仲間に入らずにはいられなくなってしまって…。気がつくと、美容師のお兄さんとお姉さん3〜4人と輪になって盛り上がってしまいました。「ワンピース」の話題から始まり、最後には「エヴァンゲリオン」まで話し込んでしまいました。
ちょっとマニア丸出しで、内心「ヤベェ…。」と思いました。しかし、美容師さん達も私達に全然負けてないです。いかにもマニュアル通りで、女の子な話をするより、こうやって漫画の話をしている方が、意外と私も美容師さんも無理がなくて、楽しいんです。みんなが共通した話題を持っているからなのでしょうか?
とにかく、このお店は、こーいうお店なんだなって思いました。私に合っているお店です。髪の毛もサラサラツヤツヤやしね。
2002年10月05日(土) |
月組公演 「父を尋ねて三千里」 |
吉本新喜劇JAPANツアー月組公演in神戸「父を尋ねて三千里」 出演:辻本茂雄 山田花子 浅香あき恵 鵜川耕一 吉田ヒロ 中山美保 井上竜夫 中西喜美恵 他 主なネタ:ひょっとこピンクレディーメドレー ブサイクあき恵のバケツ顔 つまらない物にはメーン!! 回転寿司 花子のセクシーポーズ
を、観ました。…テレビで。この公演は9月に神戸国際会館こくさいホールで行われたものです。実はこの公演、私は母と弟と観に行こうとしていたのです。ところが、弟が「俺、やっぱり受験やから…」とイイ子ぶってしまったがために、おじゃんになってしまったのです(そんな私ももちろん受験生です。)。しかし、これは観に行っておくべきでした。と、いうのも、この公演、めちゃくちゃおもしろかったのです!!我が家では永久保存版ビデオとなりました。
話のあらすじは、耕一とあき恵の結婚に茂造ジジィが大反対。大喧嘩のうちに茂造ジジィとアルバイトの花子は死亡(!!)天使になった二人は亡くなったハズのあき恵の父がまだ生きているということを知ってしまい……!?ドタバタコメディに最後は感動シーンで観客から大拍手…という、新喜劇には珍しい“泣き”の芝居も入った理想的なお話でした。(私はこれくらいじゃ泣かないケドさ。)
普段の新喜劇は45分なのですが、ツアーでは2時間公演です。やはり、2時間あればかなり手の込んだお話になりますし、ネタも深いトコロまで突っ込んでいけます。普段より稽古量も多いのでしょう、役者の動きにも切れがありました。特に、ベテラン組が凄かったです。これまでマドンナ役ばっかりだった中西喜美恵が見事三枚目を演じていたのは驚きでした。そして、舞台転換が5回!!のちセットが入れ替わるのが4回!!ホームグラウンドであるNGKよりはるかに広い舞台で、これだけの転換は大変だったと思います。しかし、NGKでの公演より出演者がはるかに多いので、場面を区切って出番を制限したのはヨカッタと思います。
そして、やはり1番の見所といえば、辻本茂雄&山田花子のコンビです。ひたすらボケまくりです。山田花子が新喜劇に出演するのは本当に久しぶりで、絶頂期だった頃の新喜劇が帰ってきたみたいでした。山田花子が出ると、新喜劇のカラーがガラっと変わります。あんな棒読み芝居でも(でも昔より遥かに上手くなってるし、カワイクなっている。)存在感は絶大なモノです。才能やな〜って羨ましく思います。洗練されまくった辻本さんのネタ(コレがまたスゴイ!!)とのギャップがまたおもしろいのです。大阪に帰ってきてくれないかな〜と切実に思います。
チケット代は5千円とちと高めですが、NGKまで足を運んで見ても同じくらいの値段になってしまいます。それなら、NGKで漫才と新喜劇を観るのもいいんですけど、地元でもっとクオリティの高い新喜劇だけを観るのもいいかな〜なんて思ったりします。来年は絶対にツアーを観に行ってやろうと思っています。新喜劇ラヴ★
私がこれまで生きてきて一番辛かったことは「音楽」が聞こえなくなったことである。
私は2歳の頃からピアノを触っていたらしい。母がピアノの講師をしていたこともあって、私は音楽の中で育った。別に英才教育を受けていたわけでは全くないが、他の子よりも始めるのが早かったし、私自身楽しんでやっていたようなので、周囲の人々は私が母のように音楽の道に進むと思って疑わなかったらしい。
しかし、私にはそのつもりが全くなかった。音楽は何よりも好きだったが、ピアノを弾くことは私の1番にはならなかった。もっと遊びたかったし、幼い頃から役者になりたいという夢も漠然と持っていた。
しかし、成長するにつれて、そういった気持ちが母の意見とよく衝突した。ひどい時は、弾けるようになるまでご飯を食べさせてもらえない。友達が遊びに誘いに来ても追い返される。逆らって練習を拒めば2階のベランダから楽譜を投げ捨てて、その後すぐに外に放り出されたこともあった。その道を志す者ならともかく、その気のない私にとっては地獄のような日々だった。そして私はそれを助長するかのように反抗しまくっていた。
それななのに、中学を卒業する頃になると、私は自分から「ピアノで大学に行きたい」と母に言った。それが一番いい道だと思ったからだ。ここまで長く続けていると、ピアノを弾くことは私の1部で、運命であるかのように思えていた。それに、人より少し上手いことで誉められたり、頼りにされたりすることもまんざら悪い気もしなかった。その気持ちがあればこれからもやっていけるだろうと思った。そして何よりも、ここで決めてしまえば母との対立もなくなって楽になるかもしれない。それはどこか諦めのような決断だった。
ところが私は演劇と出会ってしまった。一目見た瞬間「ここは私の居場所だ。」と確信してしまった。それは私が2歳の頃から積み立ててきたものに匹敵するくらい大きな存在だった。高校で部活はやらないと決めていたのに、私はどんどんのめり込んでしまった。
私はピアノと演劇の間で揺れ続けていた。一度決めたことを途中で投げ出してはいけない。しかし、両立も限界だった。ピアノと演劇、どちらを選ぶか決着をつけなければならなかった。しかし、この気持ちを母にも、ピアノの先生にも言い出せないでいた。
そうしているうちに、私のこの曖昧な態度が最悪の事態を招いた。ある日、家に帰ると、母が泣いている。母のそんな顔を見るのは初めてだった。そして母はこう言った。「O先生(ピアノの先生)もう、面倒見きれへんって。お宅の娘さんどういうしつけしてるんやって、さっき電話かかってきたわ…。」私は急に目の前が真っ黒になった。そして「破門」という2文字が私の心臓をエグり取るかのように、私を息苦しくさせた。自分で決着をつけなければならないと思っていたことが、中途半端なまま私の手から離れていってしまった。これまでどれだけ拒んでも離れることがないと思っていたピアノが、いとも簡単に消えてしまった。
その時から、私には音楽が聞こえなくなった。音楽を聴くことによって生まれる感動や言葉、世界が全く分からなくなった。ステレオから聴こえる音も、テレビから流れてくる音も、人の声さえもが雑音のように疎ましく思え、吐き気がした。 そうやってずっとふさぎ込んでいた私に声を掛けてくれたのは同じ部の仲間だった。友達はただ「また、やりたいと思った時にやればいいんじゃない?」とだけ言ってくれた。とても優しい言葉だった。しかし、この言葉を受け入れるのには、少し長い時間が必要だった。純粋にピアノを弾くことを楽しみたいだけなのだと思えるようになったのは、つい最近のことである。
私がどれだけの思いでピアノをやってきたか、そしてどれだけの思いで演劇を選んだのか、その気持ちを証明するためにも、私は演劇に執着した。そして、自分自身の意志で音響をやりたいと申し出た。
しばらくたって、これまで私が演劇をすることに大反対だった母が、初めてこう言った。「あんたは、あんたが選んだ道を進めばいいねん…。」と。私はただ「うん。」とだけ答えた。心の奥底に沈んでドロドロしていた塊が、少し小さくなった気がした。
それから私は以前よりも増して鮮明に音楽が聞こえるようになってきた。
しかし、ピアノの音だけは、まだ、私には聞こえてこない。
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