ついに八月も終わり、九月になってしまいます。 ああ、夏が終わってしまうのね。
今年は、子供たちイベント(夏のね)目白押しでした。 なんといってもその二大イベントは、カブトムシ取りと海水浴でしょう。 仕事後逗子の海に行く、と聞いたときはどうなることやらと思いましたが、横横道路ががらがらだったのと、ついた時間が三時半だったこともあり、直射日光は砂浜を焼いてはいないが、海水は十分にあったまっている、という快適な海水浴環境で、悠真さん、大喜びで海で遊んでいました。 海水がしょっぱいという感想は出なかったけど、海がしょっぱいというのは何かで知っていたのかな。しまじろう効果恐るべし(笑) 慧真さんも海にははじめて入ったけど、同世代のころの悠真さんほどには怖がらなかったような気がします。 まあ、怖いとは言っていたけどね。
そしてもうひとつはカブトムシ取り。 これは、慧真さんは行っていません。 朝早いのと、まだ危なすぎるのよ。早朝の林は。 なので、悠真さんを連れて三回行ってきました。 去年の夏に、コクワガタさんを捕まえて、「これ、クワガタさんだよ。もう少し悠真さんが大きくなったら捕まえて一緒に飼おうね」と約束した。 今年はそれを実現する年。 ということで、実際に捕まえに行きました。 一回目は完全に空振り。 二回目は近所の大学の敷地にて、メスのカブトムシが来ているのを発見。 しかし、メスのカブトムシ、とりわけ小柄なやつだと、これがカブトムシだという認識がなかなかもてない。 ということで、今度はオスを捕まえに別の日に出かける。 しかし、これは不発。 ただ、行く途中の商店街で、光を求めて飛んできたメスカブトを捕まえる。 こんな近所でも取れるようになったのか、とちょっと感動。 自然はゆっくりと、しかし確実に戻ってきているのね。
今年やれなかったこととしては、田んぼのあぜ道の脇の用水路での小動物取り。 こぶなやザリガニ、小さいゲンゴロウやその他の動物。ドジョウとかも取れる。それを目の当たりにさせての、自然との接し方を教えたい。 自然との接し方、といっても、おいらはそいつらを食べることはできないけどさ。 あとは、大規模な花火大会に連れて行きたいかな。 小さい規模の入って、それはそれは目を輝かせてみていたけど、花火大会がメインのところにはまだ連れて行っていません。 熊谷の花火大会は遠巻きにはみたけど、あれは見たうちに入らない。 音が聞こえないんだもんね。 今度は、何とかビニールシートをしいて、席を確保した上での花火大会参加をしたいなあ。
九月は保育園のお祭り。 そして、十月十一月は紅葉狩り。後は十国峠のススキ。 十二月は雪遊びと、できればそり、スキー。 スキーはまだ早いかもしれないけど。 来年の夏は、豊島園かサマーランドのウォータースライダーにも連れて行きたいな。
悠真さんと慧真さんは約二歳違い。 さすがにまだ慧真さんは連れて行けない代物も多いけど、ばらばらでもかまわないけど、なんとか小さいうちに一度すべてのものをやらせたいな。
最近、弱い自分が見え隠れする。 そうかくことで何とかして自分を律しようとしているのだけど……。 律しなくてもいいのかな。
今は、とにかく誰かに包んでもらいたい。 ショウロンポウ。あ、変換しないのね。
今は、子供を二人抱っこしても、ママさんを抱っこしても、包んでもらっているというよりは、包んでいる感じ。
もう、一家の主なのだし、包んであげることはあっても、包んでもらうことはない。 そんな風に思っていた。
今、包んでもらうことを欲している。 いや、全部わかってもらえるとは思っていない。 すべての困難を共有して、その上で包んでもらえるなどとは思っていない。 それは、今の現状では無理だし、それをわかってもらえる人はいない。 それが出来る人間がいるなら、すべて依存してしまうだろう。
けれど、何か他者に期待してしまうのは甘え以外の何物でもないだろう。
宗教に傾倒する人間は「あなたの苦労はすべてわかっていますよ」という教祖の言葉にほぐされる。 愛人に傾倒する人間は、心を包んでもらうのを体を包んでもらうことで錯覚する。 けれど、それを是としない自分がいる。
人生是常に戦い。
そんな風に思う毎日。 最近、よく暖かいものに包まれる夢を見る。 女性だったり、大きな毛を持つ生物だったり。
和むとかそういうものではない、大きな抱擁を心は求めているみたい。 思えば、小さいころから心は常に孤独だった。 親友がいないかといえばうそになる。 ただ、相手はおいらに本気でぶつかってくるが、おいらはというと、相手にぶつけることをためらった。不器用であれば、相手もおいらが心をぶつけていないことに気づき、そこで喧嘩するなり仲たがいするだろう。 ところが、おいらはそんなところは器用だった。 自分の心をぶつけている振りをして、相手にも同様の満足感を与えた。 そして、おいら自身も、真の心とは少し違う、対外用にデフォルメされた心を他者にぶつけることで、心を相手にぶつけていると錯覚し満足していた。
今、自分の心を整理する技術を身につけるにしたがって、どんどん自分の心の中の闇が見えてきて、自分の心の乾いた部分がむき出しになってくる。 どうすればいいのかはわかりません。 誰に包んでもらいたいのか、もわかりません。 ただ、包んでもらいたい。
そんな漠然としたキーワードが頭をよぎる。 己を含むすべての他者に対して営業モード。
それでいいのかわからないけれど、そんなすべてを律している(と錯覚している)自分が、また平常であり安心できる気もする。 心のよろいはみんな着ているはず。 それを脱げる人はおそらくいないだろう。 そう考えると、今の自分は、現状把握が出来ているだけいいのかな。 そんな気もするし。 結局よーわからん。 そして、この日記の意味もよーわからん、として締めくくるのでした(^^;
2009年08月19日(水) |
夢はパラレルワールドの一部? |
最近、寝ると前の夢の続きを見る。 厳密に続きかはわからないんだけど、妙に続いているという確信がある。
そこでは、トラブルが多い。 見ていていたたまれなくなる夢も多かった。 覚えているだけでも以下のとおり。
・就職説明会(大学だか、別の場所だかは不明だが、なぜ自分がここにいるのかわからなかった) ・たぶん、その帰り道(道の感じからして群馬でした)。 ・嫁の実家になぜかいる芸能プロダクション社長ほか部下二人と、外人タレント似の若い女の子。 ・なぜかその四人と一緒に風呂に入るが、話の流れから逸脱し、風呂場で部下に両足無理やり開かされ、社長に汚されてました。 ・義理のお母さんとおいらは彼らを接客していたが追い出すことを決意。その途中でなぜかベンツの話が出て、ニヤニヤしているやつら。
女の子の悲鳴で目が覚めた。
今、おいらの心の中で何が起きてるんだろう。 それ以上に、なんか別の世界でとんでもないことが起きているような気もする。 かつて漫画で、夢の世界では英雄、という話があったと思ったけど、(夢の世界で殺されると現実の世界では寝たきりになってしまう)そこまでかっこいい話じゃない。 なにか、どす黒いものが動いている気がして仕方ない。
2009年08月08日(土) |
久しぶりに書き散らし。 |
いや、夜中は暑かった。 横になったのは十二時過ぎだけど、結局暑くて寝られず、子供も何度か起きたもんだから、実際にはあまり寝た気がしていません。 にもかかわらず、五時半におきたのは、もう寝られないだろうな、と思ったから。 特に朝飯を改めて作るわけでもないんですが、おきてみました。
●芸能界覚せい剤パーティー
芸能界って、ある意味特殊な世界だよね。 本人の努力もともかくとして、収入の増減が完全に他者に依存している。 しかも、イメージとか、雰囲気とかだけでも左右されることもある。 人気のためにやせられないって、一体何(−−; そんな世界だもん、許されるわけではないけど、心のよりどころがないとやっていけないのはわからないでもない。 すんげぇ美人であっても、それだけだったらそれだけで終わり。 片やすんげぇ不細工であっても、その不細工が売りに出来るだけの強心臓があって、さらにその不細工が番組進行に欠かせないくらいの存在感が出てくれば、もうしめたもの。 『くやしいです!』の人もそうだし、吉本のねーさんと呼ばれるあの山田さんも、あれが売りになってしまったすごい人。 顔のパーツの並びがどうであれ、それをそれだけで終えないところが彼らの才能なんだろうねえ。そういう意味では、常識にとらわれない(常識が通用しない)世界であるのは間違いない。 そんな中、普通の常識の持ち主で、人より少し優れている(常識という色眼鏡でのぞいてみた場合)才能を持っていた場合、その世界には入ってみたものの、そのプラスアルファがない場合、それは自分の責任とは到底思えないところでの駄目だしをくらい、そのままつぶれていく。 その最たる例が、真中瞳じゃないかな、とおもう。まあ、おいらの個人的な好みの問題だけど。 すんげぇ好きなタイプなんだけど、たぶん、芸能界ではそれだけの人だったんだろう。そして、それに疲れて一般企業に戻っていった。 その選択は、彼女にとってよかったのでしょう。少なくとも、覚せい剤とかの快楽でごまかす必要のない世界に戻ることが出来たのだから。
一度いい思いをしてしまうと、なかなかやめることが出来ないのが芸能界。そんな風に思います。そう考えると、パチンコとか、競馬競艇と同レベルなのかな。ちやほやされる快楽を覚え、その快楽に浸っていたが、本人の実力不足でそのちやほやがなくなると、何とかしてその快楽を得ようとする。しかし、それは本人の努力では得ることが出来ず、仕方なく金をはたいて快楽を買う。それが覚せい剤。 賭け事にはまる人も、大当たりしたときのアドレナリンの興奮が忘れられず、どんどん投資する。 そう考えると、大して芸能界も賭け事の世界も大差はないような気がするな。
●巨人逝く
ジャイアンツじゃありません。 ここにきて、大物と呼ばれる芸能人の逝去がいろいろ取りざたされます。 年をとってもきれいな人って、とんでもなくきれいなのねえ。若いころ。 いろいろタイプが細分化されてきた芸能会。 時代が時代ならとてもではないが美男子や美女とは言えないような人間が闊歩している。 それはそれで趣味の多様化が進んだからいいといえばいいのだが、そういうタイプが年をとるとどうなるのだろう。 大きなお世話か。
●ゲリラ雷雨
去年は今頃はどんどん降ってたものですが、今年はここ数日でやっとゲリラ。 一週間経ったら猛暑になるという予想もどこへやら。 まあ、ゲリラ雷雨がないのはありがたい。 そんなときのタクシー要望されても電話つながらないし。 というか、そういうときばかりタクシー要求するなって。 需要と供給のバランスがあるんだから。 どうせ、そういうやつはそのあと一ヶ月以上乗りはしない。 そういうやつこそ苦情言うんだよね。 みっともないことこの上ない。 そして、大抵上司か何かにめちゃくちゃ怒られた腹いせなんだよね。 聞いてみるとそういうケースが多い。まあ、上司に怒られた腹いせなんです、とはいいませんがね。
●示談書送り返さない、精神病んでるかあちゃん
示談金渡して、示談書書いて返送するといって早二ヶ月。 忘れてるのか、嫌がらせなのか。 いずれにせよ早く送れとせかすのみ。 離婚したことが原因なのか、それともその性格が元で離婚したのかは不明だが、あまりかかわりたくない人間ではある。 示談書もらったらもう二度とかかわるもんか。
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