2006年12月31日(日) 総括2006

さて今年も残すところ最後(書いてるのはすでに除夜の鐘鳴り終わり、一時間以上経過してます。ゆずっこを寝かしつけていてそのまま寝てしまい、何度か起きたものの、起きだしたのは年明け一時間後。紅白? 今年は存在そのものも知りませんでした)。恒例の一年の振り返りを記して、年明けを迎えたいと思います。

今年は、あまりにいろいろなことがありました。なので、集約すると『変革と切り崩し』でした。具体的には、転居、転職なわけですが。順を追って書いたほうがいいのかな(誰も見てないから別にいいといえばいいけど)。なので、大まかな流れを書いていきます。

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おととしの十一月から新規事業と称し、老人福祉施設の送迎の運行管理及びガス馬車御者の派遣、そして自分自身がガス馬車御者として出動をしたりした。
極端な話、送迎に従事する人間からすれば、お年寄り(介護度高の人たちは特に)は、物言う荷物(しかも割れ物で生もの)。言っている内容は会話にならないが、負の感情だけは良く覚えていて、それがお客さんの家族を通じて上がってくる。それがヘルパーの愚痴だったり、予定到着時刻の遅延(五分前後だけど)だったり。だが、介護施設はそれをガス馬車御者のせいにしたため、その弁明に追われていることが多かった。
まあ、それは事務方の話だけれども、おいらは極力現場に足を運ぶようにしていたので、その大変さは身をもって体験していた。
そこに来て、実家の祖母の痴呆の進行と介護度の上昇。さらに、一昨年の伯父の死。
自分がいなければだめなんだ、と思った。棺おけに横たわる父の姿が容易に想像できてしまった。介護を通じての三者(父、母、祖母)の対立。それぞれが家内に味方がおらず、介護で疲弊する実家は解体間際だった。

加え、ゆずの病院体制の異常とおいらの職場と保育園との兼ね合い。
二人ともが働いていると、ゆずっこを育てることが困難になっていた。当初はゆずの実家に頼ることを考えていたのだが、無理であることが判明したからだ。

上記の内容をすべて解決する方法として、転職と転居、という選択をとったわけだ。



新規事業の引継ぎを、アホに行ったわけだが、結局ハゲが全部したようだ。
新規事業向けに開発したエクセルのソフトは、ハゲ仕様に作り変えた。
加えて、四月一日に大型ガス馬車御者の路線変更があったりしたため、それが片付いてからの退職となった。
でも、立つ鳥跡を濁さず、ではないが、業務が回るように退職後もしばらくフォローアップしていたため、未だに前の会社にはよくしてもらっている。
群馬が第二の故郷になった。
新規事業は、介護保険の制度変更のため、今年の十一月に終焉した。
自分で言うのもなんだが、はげとおいらの仕事はほぼ完璧だった(ミスはあったが、そのミスを補って余りあるフォローをお互いにしていた)。そして、ガス馬車御者たちもそれに完璧に答えてくれた。
立ち上げ当時からいたガス馬車御者二人に、途中で追加となったひとりが、最後の日に花束を貰ったことでも、施設内での信頼が絶大であったことを物語っている。
それはおいらやハゲにもいえることで、会社を辞めて二ヵ月後くらいにゆずの母親の事故で実家に行ったときに、その介護施設の人に会ったのだが、おいらのことは覚えていてくれた。
群馬での戦いは終焉した。
いろいろ細かい文句はあったが、群馬での戦いはおいらを強くした。



引越しが完了し、ゆずが群馬帰りたい症候群となった。具体的に帰りたいといっていたわけではないのだが、転居のショックで無気力になってしまったのだ。何をするのもやる気がない。
実は、これが第二子の妊娠初期、つわりなわけだが。

この日から第二のおいらの戦いが始まった。
会社で新しい仕事を覚え、300人以上いる従業員(その九割八分がガス馬車御者だが)の顔と名前を覚え、さらに家での家事。東京が初めての人たちのフォロー。
一番ショックだったのは、群馬での五年で体が思った以上に痛んでいたということ。保険の利くマッサージ店と歯医者の通院。さらに、ゆず退職による収入の激減と、それによる貯金の切り崩し。そして、体力の切り崩し。
今は、体力を温存しながら戦わないと、おいら自身が参ってしまう。
ここ数ヶ月、ゆずっこと一緒に寝て、翌朝四時に起きる生活が続いている。
睡眠時間だけで八時間。自分の趣味は一切できていない。
また趣味をやろうとすると、生活が立ち行かなくなる事実もある。
ガス馬車業界は給料安いのよ。


今回の戦いは、決して楽ではないだろうが、やりぬくしかない。
来年の一月にはまた家族が増える。
場合によっては、おいらはもう一度ガス馬車に乗れるようにする必要があるかもしれない。
そう考えていて、ゆずが入院している一週間のうちに、乗れる体制を整えてしまおうと思っている。東京のガス馬車御者は、23区とその周囲のごく一部の地域においては、東京ガス馬車センターの統括下にあり、そこの試験を通らないと二種免を持っていても営業できないのだ。

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書いてみて、なんかあまり大変さは伝わってきませんな。
まあ、大変さ、なんてのはこまごまとした問題の蓄積だからね。
そんなこまごました問題をいちいち書いていては総括じゃなくなっちゃう。
別にいいか。

元旦も二日も仕事です。
元旦に働くのは初めてかな。
群馬では、元旦から三日までは休んでた。
四日から金融機関が始まるからね。
今回は正直そういったこまごました気遣いは必要ないけれど、まだ仕事の全貌が見えておらず、個人プレーの集合体な人たちのおかげで、未だに作業が系統立ててわかっていない。
まあ、良くも悪くも会社、なんだよねえ。上意下達の組織、なんだね。でも、その上意が伝わってこないんだけど。

経営者に準ずる立場にいたことのあるおいらからすると、全体が見えないのがなんとも歯がゆい。しかし、理屈だけじゃない、それぞれの人の事情とかを垣間見てきた経験は、ガス馬車御者と向かいあうに当たってこれからもずっと役に立っていくだろう。そして、いつのか経営者になる日が来るかもしれない。
そのときにこの力は使っていけるはずだ。

あんまり考えても意味がない。
とりあえず、一日一日の目標をこなしていくことを考えよう。
一日500円(爆)



2006年12月30日(土) 未確認生物番組

毎回、ぎょっとするような映像を求めてみるものの、やはりいつも期待はずれ。
しかも、最初の未確認生物やって、UFOやって、気候やって、予言やって。
全部構成一緒。

テレビの番組に期待をしてはいけないと思いつつ、やはり見てしまう。
すきなんだねえ。
でも、幽霊系はだめだったりして。

やっぱり、ネッシーとかはいて欲しい、という希望的憶測があるんだよね。

意外と期待しているものははっきりしてる。
まあ、悲しい現実を受け入れつつあるけれども。

明日は、恒例一年を振り返る、をやる予定ですー。



2006年12月29日(金) なんかてきとーに書き散らし。

憲法九条を世界遺産にしますというマニフェストを掲げて議論していた、今日の『太田総理…秘書田中。ダメな日本を大掃除!幸せ願って大激論SP』

みてました。途中から途中まで(爆)
幼児育児中は、さすがにテレビに没頭することはできません。

っつか、ほかのだんなさんもこんなにテレビ見れなかったり自分の時間取れなかったりするんだろうか(^^;

ちなみに、今は何を見ようかと検討した結果『細木数子の緊急大予言』をつけてます。

もう、世間のテレビも、一年総決算に突入しつつあります。
毎年大晦日に書いてる、おいらの年間総決算、書けるだろうか(^^;←というより、見てる人がいるのだろうか

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憲法九条の問題にしても、いじめの問題にしてもそうなんだけど、知識のレベルが同等でない人たちが話し合いをしても、なんら問題解決になっていない気がします。
議論をして、こういう考え方もあるんだ、という目からうろこがあってもいい。
けど、知らないことがあって、その知らないことを知らないままに理論構築をしていっても、『問題解決』という観点からすればまるで無駄。
ただ、解決、ということを目的にしない、意見の衝突ならば、それは知識の吸収の意味合いもあるから、すごく大きな意味はあると思うけれど。

まあ、今まで議論していて結論が出ない問題に、自分なりの意見をぶつけていくという意味では、上記の番組はすごくいいと思うんだよね。
おいらは、自分自身が知識的に完璧でないと思っている。
だからこそ、ああいう議論を聞いて、なぜその議論が引き出されてきたのか、という背景がすごく勉強になる。
そういう意味でのテレビはすごく有用だよね。
読書もそうだし新聞もそうなんだけど、与えられた情報について、疑うのが非常に難しい。
その方面にある程度知識があれば、そこから類推してこの記事はおかしい、ということもいえるのだけれど、そうでない場合鵜呑みにしてしまう場合が多い。
ところが、テレビの議論の場合、自分以外の人がその議論の問題点について代弁してくれる場合があり、「そうか」と瞠目することも多い。

どちらの媒体がいいという優劣をここで言うつもりはないけれど、他者の意見に対しての他者の反論が聞ける、というのはすごくテレビは有用だね。
新聞の対談モノって、スペースの割に同調で終わってしまっている気がしてならない。
まあ、エキサイトして両方の席の人間がギャーギャーわめいているのをリアルに文面化するのは無理だから、仕方ないんだけど。

久しぶりに、脳の使っていない部分を動かした気がした。

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動かしたといえば、メイドマッサージ。
そこで別の患者と先生との話で、「いつも動いていないと、過去に経験していたことでも、体が覚えているつもりでも体は素直に動いてくれない」という話が出た。そのときには、たまに小学校の運動会に参加するパパが徒競走でひっくり返る話を例としていたのだけれど、おいらは別のことが頭によぎっていた。
群馬にいた頃に二回だけ練習に参加したサッカーチーム。
そこでのミニゲームで、とにかく体が動かなかったのだけれど、いいタイミングでボールをけり込めるボールが出たことがあった。
ところが、頭で意図しているプレーができなかったことがあり、ショックを受けたことがあった。
スピードも十分だったのに。
体が一瞬戸惑ったのだ。

一刻も早くサッカーやらないと、体が忘れてしまうのではないか。
そんな危機感に駆られている。

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けどね。
今のおいらには遊んでいる余裕はおろか、友人と共にのみに行く金すらない。
今の職場の給料が安いのもそうだけれどもね。
家のことを空いた時間でやりつつ、会社の収入にプラスアルファを出す。しかも賭けではいけない。
そんないい方法があるのかどうか。
試行錯誤をしながら探していかなきゃいけない。
単純なのは、バイトでガス馬車に乗ることなんだけど、今のおいらの東京の道路事情の知識ではまだ戦えない。
かといって学ばないわけにも行かないし。
どうしましょ。

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今日は、ゆずの気分転換をかねて、武蔵村山市の元日産の跡地にできたダイアモンドシティというショッピングモールに行ってきました。
おいらが群馬にいた頃のショッピングモールみたい。
広いね。でかいね。
けれど、ほとんどの店舗に用はないね(爆)
でも、ゆずも気分転換になったのではないかな。
腹が張っただけっぽいけど。



2006年12月28日(木) 泊まりあけて

最近思うのが、職業の選択の自由が奪われて、不適切な人が不適切な職についている気がする。
そして本人も不適切であることを認めている……。

チンピラを乗せたが、途中でラーメンを食いたくなったので駐車場で待たされているガス馬車御者から電話。
「精算しようとしたら、『精算したら金がなくなるから、待ってろ』といわれたらしい。それでも、とぐずったら一喝され、一万円札を二つに破られて渡された」のだそうだ。
一万円のはんぴらもらえれば、相手ははんぴらを持ってたってつかえないんだから、黙って待っていればもらえる。
それは、この業界で戦ってきた人間ならばわかること。
しかし、その待っている時間が恐ろしくて仕方ないのだそうだ。
まあきもちはわかる。
けれど、お客さんから現金を払ってもらって何ぼの商売。
逃げたらだめ。
もし、それが怖くて仕方ないなら、それはこの商売には向かないといわざるを得ない。案の定、予想通りにはんぴらもらって一万円で帰ってきたそうな。

もう一人も、先日、お客さんに待てといわれて待っていたら、後ろの車のドライバーに扉を開けられ引きずり出されそうになったとか。

人の心を読んで、先手を打てない人間には、この商売はつらい。
ある意味本当に自分の才覚のみで仕事をしているのだ。

今回は、不適切者が弱者として見えるが、お客にきつく当たったりしてクレームが来るのも実は同人種。
相手が怖いから、大声を張り上げたり、語調を荒くすることで相手を威嚇し自分を守ろうとする。
それでも通用しないと、みっともないぐらいに尻尾を巻く。

人間恐怖を感じるのは仕方のないこと。
それは、人間が、というより動物としての本能。
けれど、それをカバーするのが経験であり、人格。
いずれにせよ、クレームがくるようなガス馬車御者は、やはりまだ人間として未成熟といわざるを得ない。



2006年12月24日(日) 今日はクリスマスイブ

ということで、ゆずが、がんばってゆずっこが食べられそうなクリスマスケーキを作った。
ホットケーキに生クリームを塗り、トッピングしたんだね。
本当は、普通のスポンジケーキでも良かったんだけど、栄養価を考えてホットケーキに。

ところが……。
重い(−−;
しかも、保存ができそうな体制にないため、必死に残りを食ってます。
せっかく作ってくれたんだし、捨てるようにはしたくない。
ただいま十時前。
何とか食い終わろうと必死に。
うおー、腹が痛い(−−;

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あと一週間もすると正月なんだねえ。
なんか、今年の一年はバタバタしてますな。

クリスマスイブといえば、ねたをひとつ。
クリスマスイブの特有のクレームがガス馬車会社にあります。

それは。
行きにカップルを乗せてラブホへ。
三時間後、同じガス馬車が同じラブホに呼ばれる。
乗せたお客も同じ。
そりゃ、ラブホからでてくりゃ、何をやったか明らかですな。
ガス馬車御者、にやり。
それがクレーム(^^;

そりゃ、しかたないでしょ。
でも、クレームを言うほうも、なんていってクレームあげたんだろう。
ガス馬車御者が、ラブホに入って、出てきた私たちを出て『にやり』としたのがむかつきます、ってか?
これはガス馬車御者を怒るに怒れないだろ(^^;



2006年12月20日(水) がんみ

今日、マッサージの帰りに、ゆずからメールがあり、お土産買ってきてほしいとのことだった。

そこで、おいらはマッサージ屋の隣のコンビニで、エクレアを単品でひとつだけ購入。
うちはそんなに無駄遣いできないしね。

そしたら、レジの女子高生ががんみ。
『おまえ、なんでエクレア単品かってんねん!! 買い方間違えてるんじゃねえぞ、このおやじがぁ!!』
「袋にお入れしますか?」
お土産なんで
「お願いします」
『てめえ、たった一つのエクレアのためにビニール袋に入れようってのか? もうちょっと環境のことを気を使えや、この肥溜めがぁ!!』
「はい」

『』内の心の声をバリバリ感じた買い物でした。

三十男が150円くらいのエクレアを単品で購入するのってそんなにだめですか?(;;)



2006年12月19日(火) こっちは楽しい飲み会

半年以上ぶりに、悪がき三人組集まりました。
新宿での飲み。
今回は、おいらも帰りの時間や手段を気にしなくていいため、こしをすえてじっくりと楽しめました。

二児の父は、まだ沖縄。
あと一年三ヶ月ほどで東京の本社に転勤になるそうだ。
また、うちの傍の社宅に入るのかと思いきや、社宅がまだいろんなところにあるそうで、そこに戻るとは限らないそうだ。
うーん、羨ましい。
ただ、ゆずがそこのかみさん宅に遊びにいきたいという話をしているから、できれば近くがいいな、なんて思ったりして。
まあ、実際は、その頃はゆずも働き始めているだろうから、そう簡単には予定は会わないだろうけれど。

もう一人のほうは、現在の職場にまだ残るつもりのようだ。
全く畑違いのところに送り込まれ、一時期は悩んだそうだが(今も悩んでいるのかもしれないが)今は勉強の時期、と割り切っているのだそうだ。
そうだなー。
それがいいのかもしれない。
自分の畑違いのところに送り込まれたことを不満に思いやめる人間の多い中、彼のメンタル面は賞賛に値する。
それがそのまま仕事に生きる、生活に生きるとは言い切れないけれど、そこで培ったものがまるで無駄にはならないだろう。

お互いの近況報告が終わったところで、話題は東京と地方の差について、に移行。
やはり、おいらと同じ感想を持っているようだ。
地方に比べ、東京は生き急ぎ、疲れ、殺伐としている。
それは新宿を歩いているおいらにも言えることだった。
何人かがぶつかってきて、何人かにぶつかった。
ぶつかったことそのものに対し謝っていたおいらはもういない。
ぶつかったことそのものも気にならないし、ぶつかった相手がどうあろうともうどうでも良かった。
やはりすさみ始めている。
ぶつかった相手すら確認しない。

『隣はだれが住む人ぞ』

まさにそんな感じだ。
東京に戻ってきたことで、おいらは病み始めてきた気がする。
というより、新宿とか、不特定多数の人が蠢く地に限りなのかもしれないけれど。
実際、まだおいらの住む地は都内でありながら、まだ隣近所の付き合いがある。
しかし、もっと都内に入ると、もう隣は誰が住んでいるかわからない。
恐ろしい魔都になってきた。
人間性の問題ではない、もっと別のものが都内に巨大な悪意として巣食っている。
そんな印象を受けた。

そして仕事の話。
今、沖縄にいる彼は、権利のみを主張する従業員に対し怒りを覚えているようだった。
仕事が終わってないのに、「時間なので帰ります」というのは、社会人としてどうか。
振られた仕事はたとえ労働時間がどうであってもこなすべきではないのか。
ふむ。
確かにその通りだ。
おいらが、前の職場でアホに対して思っていた怒りと同じ。
仕事が終わらず、忙しい、できないとほざくのは、給料泥棒の前兆。
与えられた仕事をこなして、それから文句を言え。
しかし、その一方で、経営者や、管理者の仕事の振り方が適切かどうか。
そこも問題になるのだと思った。
本人の能力を加味して、本人の能力を少々超える仕事を本人に振る。
そして、本人の能力の底上げを図る。
それは正解だ。社員教育の観点からも。
しかし、能力の数倍の作業を、期限だけを切ってぽんと渡し、後はわれ関せず、ではそれは上司としてだめだし、それ以上に組織として失敗だ。
それがたまにならばわかるが、恒常的になるのは、それは教育でもなんでもない。
労働力の搾取、という。
計画性なくそれ相応の給料を払わずに、ただ仕事だけを投げ渡し、仕事だからやれ、という上司が多いのも事実。
そこに話題はいたらなかったが、仕事の振り方にはそういう側面があるのも事実。
しかし、逆にそこに思い至る必要がなかった、と言うことは彼の職場は、幸せなのだろう、と感じた。
会社という組織が絶対。
そこにいればくいっぱぐれることはない。
今のよその職場は、もらえる給料が少なく、副業を持たなければやっていけない場合も数多くある。
メインの仕事をこなしているだけではやっていけないのだ。
だが、メインの仕事に労働時間を搾取されると、生活そのものが立ち行かない。
それゆえ、メインの仕事をある程度区切って、副業にいそしまなければならない場合も多い。
その可能性に対して言及しなかったということは、それを踏まえる必要がないということで、それはすごく幸せなこと。ちょうど、高度成長期にあり、企業にいれば絶対あんしん。その頃の話を髣髴とさせる。
いいところに就職したんだな、と改めて実感。一時期上司との関係がうまく行かずやめることも考えていた彼だが、今は戦う道を選び、そして生き残る。
いいことじゃ。

その後は、定例のカラオケ。
一時間で数十曲。
最初は全部謳うが、そのうち一番のみ。
一フレーズ。前奏のみ。
がんがんかっとされて数十曲。
いつものパターンだー(−−;



2006年12月16日(土) 忘年会シーズン

です。
しかし、ガス馬車はそれほど動いてません。
やはり、景気快調の兆しは数字上のものでしかないのでしょうか。

正社員の減少。
下請け、孫受け会社への過度な要求。
従業員のサービス残業。

一時期の数字に惑わされて取った選択が、会社にとって、社会にとって取り返しのつかないものにならないように。

ガス馬車業界にも、ほかの業界と同じく団塊世代ショックがあります。
2010年問題、だっけ?
ガス馬車御者のほうが、少々定年が長く、やめても嘱託として働くことが多い。
そのため、実際は70近くまで働ける。
しかし、実際問題として70といえばお年寄りに近い。
その車に乗りたいかという問題も在る。

経営者は、人件費の問題、労働力の問題、そういったものにこれから大変な苦労をするでしょうな。

今日はおいらは会社の忘年会です。
けど、二次会には行かないつもり。
飲み会の場までは、ちゃりで行きます。
貧乏のような気もするけど、今は我慢の時期。仕方ない。

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そして行ってきました。
つまらなかった。
というか、いるのが嫌だった。
飲み会の質はどちらが上でどちらが下なのかわからなかったが、後輩に芸をさせ、笑い飛ばす飲み会。
気に入らなきゃ鉄拳が飛ぶ飲み会。
無論、おいらたちには来ない。
整備の連中があのノリでやっている。
けれどね。
見ていてかわいそうだと笑っている人たち。
あれは、いじめを見てみぬ振りをしているのとかわらないんだよ。
本人に聞くと、あれはあれで喜んでいる節があるので(かまってもらっているから嬉しい……実際面倒見がいい場合もあるんだ、その先輩たち)、おいらも何も言わないけれど、見ていて気分のいいもんじゃない。

程度の低いどつき漫才か、バラエティ番組を見ているような嫌な気持ちになった。
人をバカにして、小突き回して笑いを取る低俗なバラエティ番組はおいらは大嫌いだ。
その延長を見せられたような気がして、胸が悪いなんてもんじゃなかった。
途中からはカラオケボックスにいることすら嫌になった。実際トイレに行くと証して時間つぶしていたし。
歌も、笑いを取るためだけに下らん歌ばかりを歌っていて、誰もが楽しんで歌を歌える状態じゃなかった。

なんだ、この飲み会は。
二度と行くもんか、といいたいところだが付き合いだから仕方ない。
けれど、来年は、飲まなくていいように、一次会で帰れるように、車を会社に置いておこう。
まずい酒を高いかねはらって飲むことはない。
最低限の接待料だけを払って、とっととお暇することにしよう。



2006年12月14日(木) 男児確定

おいらは、その現場には立ち会えなかったが(エコーそのものは見た)医者に言われたらしい。
男か……。
ゆずっこも男の子。
そして二人目も男の子。

二児の父か。
男二人はなかなか育てるのが難しそうだ。
なにがって……。
バランスだよね。
どちらにも偏ってはいけない(それは男女問わないんだろうけど)。
一人だったら、一人に集中すればいいのだろうけれども。

今までのそれらとは違うといえば違うのだが……。
おいらは、ひとつしかかわいがれなかった。ひとつにしか取り組めなかった。
ゲーム。ペット。すべてひとつずつしかかわいがれなかった。
二つ以上いる場合には優劣がついてしまっていた。
今まではそれでも良かった。
種類の違う動物だったから、そこまでの愛情差はうかがい知ることはできなかっただろうから。

けれど、今度は同じ人間。
愛情を二倍発揮することは容易だ。
しかし、それを当分に分配できるか。
それが実は不安で仕方ない。

性別がわかったことで、出生が近いことを再確認させられる。

ゆずによく言われた。
ゆずっこのときに比べて、おなかをなでる回数が少ない、と。
そのとき、おいらはゆずにこう答える。
『ゆずっこが間に寝てるからおなかなでづらいんだよ』。
けど、今日思ったのは、あれはもう人間である存在と、これから人間となっていくであろう存在との間にある、自分の中での差別。

おいらが今思っている不安は、ほかの人には理解されないものかもしれない。
けれど、おいらの不安は今ここにある。



2006年12月10日(日) 戻ってきた愛車

今日、修理が終わって戻ってきたチェイサー。
修理に出している間も気持ちは揺れていた。
もう、出したほうがいいのじゃないか。
修理してもそれほどの期間乗れないんじゃないのか。

けど、帰ってきて乗ってみて、やっぱりこれしかない、と思った。
スピードを出したわけじゃない。
荒い運転をしたわけじゃない。
でも、ほんの少し走っただけで楽しかった。
車庫から出る姿を見て惚れ惚れした。
やっぱりこいつしかない。

おいらは、幼少の時分から、自分が本当にほしいものを買ってもらったことがなかった。
おもちゃにしろ、備品にしろ。
誕生日プレゼントにいたってはもってのほかだ。
おいらの要望はどこに。

いくつか自分のほしいものは買ったが、どこかに妥協が入った。
いつもどこかに不満を抱えていた。

三十年生きて、生まれて初めてすべて要望を満たしたものを買った。
それがあいつだった。
車への無知ゆえ、わけのわからないこともしてしまった。
その傷はボディに染み込んでいる。
けれど、それすらおいらを成長させてくれた証だった。

あと五年一緒にいられるかはわからない。
けど、それまで面倒見てくれな。



2006年12月07日(木) 俺は子どもが好きじゃない!

そういって、自分の実の子どもを床に投げ捨てた男性。
32歳で奥さんは20歳。

本当に、子どもに自分の奥さんをとられたと思う人がいるんだね。
独占したい、自分のものにだけしておきたい、という理由で結婚したわけじゃないから、その気持ちがおいらには不思議で仕方ない。

子どもを作るって、そういうことじゃないでしょ。
確かに、そういう感覚を持っちゃう人がいるのは事実。
そして、それはおいらには理解できないものだが、納得はしなきゃいけない。
けれど。

だからっていって、子ども投げ捨てるか?

なんか、つい四、五年前の歌の歌詞には「やったもんがち」「自分を大事に」云々の表現が横行した。
それは今もなのかな。
でも……。

やったもんがちすぎるだろ

相手のことを全く考えない人間が増えすぎてる。
年齢関係ないんだよね。

なるほど、人間は滅びに向かう種族かもしれない。
最近痛切にそう思う。



2006年12月05日(火) ゲームがSport?

本日の朝日コムに、興味深い記事があった。
それは、アジア室内大会(オリンピックではないみたい(^^;)の競技にテレビゲームを含めるというもの。

以下アサヒコムより抜粋

『アジア・オリンピック評議会(OCA)が、サッカー、バスケットボール、自動車レースの三つの家庭用ゲームを「Eスポーツ」として、第2回アジア室内大会(07年、マカオ)で新採用する。「戦略で頭脳を使い、指先を動かす、れっきとしたスポーツだ」と、ドーハで開催中のアジア大会を利用してPRしている。』

以上

確かに面白い試みではある。
幼少時より英才教育を受けてきた一握りの人間しか参加できない従来のスポーツ大会に比べて、普通の人が参加できる可能性は飛躍的に増えるだろう。

しかし、問題点もいくつかある。
もちろん、その競技を統括する団体がない、などの、新聞で語られている問題以外にも。
まず既製のゲームソフトを利用する点。
これは、参加者が限られるほか、対戦にてコンビュータの修正が入る。これでは戦術もなにもあったもんじゃない。まあ、それすらもゲームの性質だ、といえば言えないことはないが、判断としては難しい。また、バグ情報の共有は必要となる。
また、既存のゲームということで利権等の問題も出てくる。
多分、そういったゲームを作成する会社から、公式競技に認定するように賄賂等が横行するかもしれない。そうすれば、自社製品の売り上げは増えるから。
その大会に参加するためにはそのゲームを買わなければならない。
スポーツ選手としての投資としては安いかもしれないが、どうしても利益先行になりかねない。
ゲームの種類の選定も、何が残る。歴史シュミレーションゲームが主力のゲーム会社はなかなか参加しづらいし。
かといって、ジャンルごとの種目を作成するのも大変といえば大変。
というより、競技数が倍以上になる気がする。
そして、当然ゲーム機も。
ゲーム機本体を、道具を使うスポーツとして位置づけるなら、その道具にも規格を設けなければならないだろう。
言って見れば、スケートでもかかとが上がる靴と上がらない靴という差が、単純にWIIとPS3といったような比較になる。どちらの性能が上かは別としてね。
処理速度が速いほうがいいに決まってる。
ゲーム機の違法チューンもあるかもしれない。
そういうものをすべて統括するのは、既存の考え方をしていては無理だ。

そして、従来のスポーツとしての捕らえ方。ゲームとしての捕らえ方。
将棋や囲碁、チェスなどもスポーツとはいえまいか。
手は動かさないけど。

どうせやるなら、ゲーム会社の入札にして、四年に一度、開発した独自ゲームを使って予選から行ってほしいな。あとは、ソフトを開発する各社から、代表者を出し合ってゲームを協議用に作るとか。
利益を無視しての企業PR的な活動に位置づけてのゲーム作成にしてほしい。
ハードの場合は、どうするか。
各社共通ハードを作成するか。
それとも、スパイクとかのスポンサー契約のように、E選手ごとにハードウェアの形をモデル化し、販売するのか。
ゲーム種類の選定は、どうせなら、テレビゲームでしかできないもの、にしてほしい。

少なくとも、ソフトアピールのためのゲーム大会とは違い、デリケートな問題がいっぱい出てくるような気がするなあ。

なんか、日付あけると書きづらいです(−−;



2006年12月01日(金) 傷ついたチェイサー

乗り初めて六年。今まで自分のミスでの修理はなかったのですが、この度初めてぶつけてしまいました。
前日が泊まりで昨日が明け。その明けの帰りの車庫いれでした。
元々バックでクランクを通る車庫いれで、ある意味普通に難しい。
加えて三十二時間寝てない状態では無理でした。
ゴン、というよりはズシっという鈍いショック。
やばっと思い出てみると、左後部側面がへこみ、塗装が剥がれていました。

一言目に出た言葉が「ちくしょう」でした。
今まで傷つけたことなかったのに。

ゆずに頼み、そのまま東京での行きつけにしようとしていたネッツに持って行きます。やっぱり寝てないけどそれ所じゃない。

車を換えろという意味か?
勝手にメッセージを受け取ったおいらは下取りも視野にいれ話をする。
その結果、三つのパターンが考えられた。

エアロパーツ外して板金塗装。十万五千円。
エアロバーツ交換して板金塗装。十三万円。
下取り引取価格五十万。

エアロパーツ外すと樹脂が割れてしまう可能性があるため、交換も視野に入れてます。

今回で自分の車にたいする気持ちがよくわかりました。値段じゃない、性能じゃない。この車じゃなきゃダメなのね。

十万キロ越えで五十万の値段がつくのも驚きだけど。

ということで修理をお願いしました。

教訓。寝不足で車を運転してはいけない。

事故と健康診断とその他諸々で仕事が忙しかったんだよね。それでも、あそこで後ろを見てれば、とおもうと悔やんでも悔やみ切れない。
板金で綺麗に打ち出されて来るかもわからないしね。

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群馬のネッツの知り合いに久しぶりに電話してみる。
保険の銀行口座の振り替えだけれども、それ以外に、打ち出し板金+塗装の金額とそれ相応の仕上がり具合になるのか、ということを確認したかったのだ。
結果は、元々あったものなみに綺麗に仕上がるそうだ。

ただ、塗装のやけ具合は仕方ない。
徐々には一緒になっていくでしょう。


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彩葉 [MAIL]

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