日々逍遙―この1冊、この1本、この1枚―
1冊の本、絵本、1本の映画、舞台、(ワインやお酒)、1枚の絵、CD。
散歩の途中に出会ったあれこれを…。

2002年03月19日(火) ミッフィー三昧

多治見にある「こども陶器博物館」この春「ディック・ブルーナ展」が3月20日から催されます。
そちらへの納入のための絵本が75種類入荷。伝票を書きながらこれまでじっくり読んだことのなかった講談社のミッフィーのおはなしを読んでみました。
『ミッフィーとメラニー』『ミッフィーのゆめ』『アリスおばさんのパーティー』『ボリスとあおいかさ』『ボリスとバーバラ』『こぐまのボリス』『ちいさなロッテ』『ちいさなふなのりのぼうけん』『ミッフィーのおばけごっこ』『ミッフィーどうしたの』『ミッフィーのおうち』『スナッフィーのあかちゃん』『ボリスのすてきなふね』『ボリスのやまのぼり』『ミッフィーのたのしいテント』『りんごちゃん』etc.etc.
以前、『ブルーナのすべて』でオランダの美術運動とのかかわりから福音館書店の「こどもがはじめてであうえほん」などに見られる限られた色での表現を試みたこと、その後、うさこちゃんに続くキャラクターを世に問うためにその原則から離れ茶やグレーを使いだしたことを知りました。
これらの色が「ボリス」などでどう使われているのかがわかりました。
ただ、ブルーナらしいブルーナと誰もが納得するのはやはりオレンジ、グリーン、ブルー、イエローの4色と輪郭線で背景や洋服、小物、建物や遊具、小物までを描いたものでしょう。
フリーハンドで描いたとは信じられないシンプルな、でも暖かな線、洗練されたデザイン。そのセンスが長年愛され続けたことにもうなずけます。
今日読んだ中では、『ミッフィーのゆめ』の構図の巧みなこと、シンプルな図柄を
生かすその配置が一番印象に残りました。
訳文の感じが長く親しんだ石井桃子さんの「うさこちゃん」と違うことに違和感があるのはいかんともしがたいのでしょうか。舟崎靖子さんや、角野栄子さんはきっとそれぞれのミッフィーのイメージを投影した訳文をつくられたのでしょうが、石井桃子さんの「うさこちゃん」のふんわりとして品格の漂うすっきりした文章を基準に据えてしまうとどうしてもちょっと違うという感じは否めないのです。



2002年03月12日(火) モリムール(ヒリヤード・アンサンブル&クリストフ・ポッペン)

バッハ・無伴奏ヴァイオリンパルティータ、3月3日の「日々逍遙」でギドン・クレーメルのことを書いた時にも少しふれたのですが、ここ何年か本を読む時には欠かせない曲です。
このヴァイオリン・パルティータの第2曲ニ短調BMV1004をバッハの最初の妻への追悼の曲であるという説にのっとり、当時の教会用のコラールを絡み合わせた”Morimur”というCDを頂きました。
さっそく聴いていて小躍りしてしまいました。
男性3人(テナー、セカンド・テナー、バリトン)女性1人(ソプラノ)による4声コーラスのヒリアード・アンサンブルにはグレゴリアン・チャントのCDやサキソフォンのガルバレクとの共演によるCD「オフィチウム」などがあります。
バロック・ヴァイオリンのクリストフ・ポッペンとのコラボレーションであるこのCDでは、ヴァイオリンの演奏を導きだし、時には薄衣を纏ったようにしっとりとヴァイオリンに寄り添うヒリアード・アンサンブルによるバッハの声楽曲。
この中に長年探し求めていた曲があったのです。
10年程前、劇場公開時に観た映画「春にして君を想う」(監督フリデリック・トール・フリデリクソン 音楽ヒルマン・オルン・ヒルマルソン)で繰り返し、印象的に使われていた曲、―≪お前の道と心の煩いとを≫マタイ受難曲BWV245から―CDが後半にさしかかったあたりでこの聞き覚えのある曲が始まった時には耳をそばだて、くり返しもう1度聴き、この偶然を誰かに聞いて貰いたいような気持ちでいっぱいになりました。
映画は、年老いた農夫が一人暮らしのつつましい住まいを片づけて、都会で暮らす娘のアパートに身を寄せてはみるのですが、そこでの処遇や生活になじめず、老人ホームで暮らす逃避癖のある幼なじみの老女と共に彼女の夢である故郷への道をたどる、というものでした。
真新しいスニーカーで足拵えをする2人の老人の若やいではしゃいだ心、たどりついたあこがれの地での悲しい結末、その音楽と共に忘れられない映画です。

Kさんがくださったもう1枚のCDはジョルディ・サバールのヴィオールによるサント・コロンブの作品集。
こちらも、大好きな映画にかかわりのあるCDでした。
1993年に劇場公開された時に観た映画「めぐり逢う朝」。妻を亡くし、世間から自らを隔離するような隠遁生活を送るサント・コロンブと、世俗的成功の為、師サント・コロンブと袂を分かち、コロンブの娘を自殺へと追い込むマラン・マレ。この映画で、音楽を担当し、書き下ろしも含め、演奏、編曲、指揮を務めたのがジョルディ・サバール(1941年スペイン生まれ)でした。

マラン・マレの青年時代をギヨーム・ドパルデュー、壮年をジェラール・ドパルデューの親子が演じたことも印象に残っています。

Kさんのお嬢さんのNちゃん、嬉しい偶然の話を聞いて下さったOさん、これもまた偶然、今日がお誕生日でした。おめでとうございます。



2002年03月07日(木) サウンド・オブ・ミュージック

昨年の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で、そして今年になって「ムーラン・ルージュ」で思わず「サウンド・オブ・ミュージック」に再会しました。
この2本の映画、その味わいはおよそかけ離れたものですが、どちらもまったく新しい試みのミュージカル映画です。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリヤー監督は1956年生まれ、「ムーラン・ルージュ」のバズ・ラーマン監督は1962年生まれ。
ブロードウェイで「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台が評判を呼んだのが1960年、ロバート・ワイズ監督によって映画化されたのが1965年です。
公開から5年、再上映された1970年に観た映画「サウンド・オブ・ミュージック」。
そのストーリーにも映像にも音楽にも深く惹き付けられました。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ムーラン・ルージュ」の両監督もそれぞれに、
この映画を心に刻みつけた経験があるのでしょう。
その表現の趣が違うものなので「それぞれに」、がどんなふうにだったのかが気になりました。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、ミュージカルを愛し、過酷な運命を背負って生きている主人公セルマ(ビョーク)が、白昼夢のように夢みるシーンがすべてミュージカル仕立てになっています。特別な舞台や衣装などなく、働いている工場や、汽車の上でそこにあるものを使ってのミュージカルシーンです。この部分の曲の作詞、作曲はセルマを演じるビョーク。
それとは別に彼女が所属するアマチュア劇団が練習しているのが「サウンド・オブ・ミュージック」。セルマはマリヤ役。
この現実と夢想とが並行し進展していく物語を字義通り、子の犠牲となり悲しい最期を迎える母親の話として受け止めてはいけないのかもしれません。
1年たって振り返ると夢見るセルマの夢の場面が、確かなセルマの現実にも見えてくるのです。
「ムーランルージュ」は、映画はビロードの赤い幕がひかれて始まります。
舞台は1900年のパリ、モンマルトル。喧噪に満ちて猥雑なムーランルージュに迷いこんだ若者と女優志願の高級娼婦との悲恋を、既成の耳に親しい数々の名曲(エルトン・ジョンの”Your Song”ビートルズの”All You Need Is Love”マドンナの”Like A Virgin”など)に新しい詞を乗せて、そしてセリフではオリジナルの歌詞を使って、最初から最後まで約束事としての「おはなし」として描ききってしまうという芸当をこのオーストラリアの監督はやってのけています。
これらの中に「サウンド・オブ・ミュージック」もありました。
美、自由、真実、希望、愛こそ、人が究極的に求める幸せ、と感じているバズ・ラーマン監督は普遍的神話であり、ラブ・ストーリーであると監督自ら言うこの物語をいかにもつくりものの世界の中で展開させています。
再び幕がひかれ、死にひきさかれた2人の愛の真実だけが観客に残される、というのがこの監督の意図するところのようです。

期せずして「サウンド・オブ・ミュージック」を介して並んだ2作品が、共にミュージカル映画の新機軸をうちだしたものと言われること、またデンマーク人のトリヤー監督が60年代のアメリカを、オーストラリア人のラーマン監督が1900年のムーラン・ルージュを舞台に選んでいること等々、興味はつきません。

この2作品を観たあとでの「サウンド・オブ・ミュージック」は?
私にとっては30年という時を経ても、いつも新鮮な喜びをもたらしてくれる糧なのです。



2002年03月04日(月) 「惜別」(朝日新聞3/4夕刊)

1月から2月にかけて子どもの本にかかわる人々の訃報が相次いでありました。
今日の朝日新聞名古屋版の夕刊の「惜別」にとりあげられていた、アストリッド・リンドグレーンさん(1月28日死去94歳)、上野瞭さん(1月30日死去73歳)に続いて2月16日にはいぬいとみこさんが77歳で、2月19日に1938年生まれのヴァージニア・ハミルトンさんが亡くなっています。
別れの時がやってくると、改めて、その人が生きてきた軌跡をたどったりしてその人生の重みを感じます。
今日の夕刊の「惜別」ではリンドグレーンさん、上野瞭さんと共に2月5日に89歳で亡くなった彫刻家の舟越保武さんも紹介されています。
舟越さんはすえもりブックスの末盛千枝子さんや、須賀敦子さんの本の装丁で使われている彫刻作品で知られる舟越桂さんのお父さんでもあるのですね。
「日々逍遙」の2002年2月21日の『巨岩と花びら』でご紹介した通り、この本は70代に入った時に「老い先短い」と感じはじめた頃それまでの数々の出会いを振り返ったものでした。
生前その仕事や人となりを深く知ることもなかったのですが、新聞にも紹介のあった東京芸大退官の時の学生たちから贈られた「卒業証書」にあるように鷹揚に学生たちを見守ったその根っこのところには、制作に励む学生の姿を美しいと感じる心持ちがあったのです。
そうして見守られた者たち一人一人の中で息づく舟越さんがきっといらっしゃるのでしょう。
リンドグレーンさんへの献花のエピソードやずっと彼女の作品に挿し絵を描いてきたヴィークランドさんが捧げた絵(登場人物たちが閉じられた本を囲んでうなだれている)に託した思いをみても同じようなことを感じます。
つながり生きながらえていくものを生み出した人たち。

ここに、あらためて、ご冥福をお祈りします。



2002年03月03日(日) ル・シネマ(ギドン・クレーメル WPCS6177)

ギドンクレーメルは、旧ソ連、ラトヴィア生まれのヴァイオリニスト。
ル・シネマは最初に手に入れたCDです。
若い頃アメリカ映画に心惹かれ、行列をして手に入れたチケットで観たというクレーメルは、
「映画は私にとって芸術です。この芸術の巨匠たちから私は音楽のインスピレーションも与えられています。」
とル・シネマのライナーノートに書いています。
このライナーノート、冊子になっていてCDでとりあげている一曲、一曲についてクレーメルの曲に託す思いが綴られています。
このCDには、やはり映画に対する深い愛情を持ってたくさんの映画音楽も手がけた武満徹が―アンドレイ・タルコフスキーの追悼に―と副タイトルをつけて作曲した「ノスタルジア」も収録されています。
続いて手に入れたのが、「バッハ 無伴奏ヴァイオリンパルティータ」。5年ほど前になるでしょうか。
静かに本を読みたい時には、カザルスの「バッハ 無伴奏チェロ組曲」か、この「無伴奏ヴァイオリンパルティータ」を。

一昨年、念願かなってこのクレーメルと彼が率いる室内オーケストラ「クレメータ・バルティカ」の来日公演を聴きに。
50歳を期に、出身地のラトヴィアをはじめ、エストニア、リトアニアのバルト3国の若者たちと結成したクレメータ・バルティカ。
ピアソラやラトヴィア出身の作曲家ヴァスクスの「遠き光・声」、をレパートリーとする彼らをにこやかに見守るクレーメルは良き父の印象でした。
ソビエトの弾圧への抵抗運動からバルト3国の独立から10年余。
圧政に苦しみ、長く自国の言語、文化を奪われてきた歴史は、強い自由への希求や
その民俗的独自性への深い認識をこれらの国に育った人たちにもたらしたのでしょう。
クレーメルの故郷に回帰する思いが、「クレメータ・ヴァルティカ」という形に結束して、その表現が普遍的に世界の人々をゆさぶる力を持ち得ている、というその事実は、「人が人に働きかけて内面的なことろで人を動かしていくことって何て素敵なんだろう」という場所にいつも私をひき戻してくれます。

クレーメルの演奏。情感をたたえているのに甘さがない。技巧にたけているのに衒いがない。大好きです。

  無伴奏ヴァイオリンパルティータ PHCP10570
  ヴァスクス 遠き光・声     WPCS10207
  ピアソラ  天使のミロンガ   WPCS10032


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みねこ

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