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海老日記
管理人(紅鴉)
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2007年01月31日(水)
伯爵と25のシチュエーション

 深夜。
 中央ステージ横本部テントで片づけをしていると、向こうから車が来た。まだ駐車場整備をしていないので、ここまで入ってくることはできるが、しかしこの時間帯に誰が?



 目の前に、黒い軽自動車が止まった。
 小さい車体に押し込めていた白熊のような巨体が、這い出るように現れた。
 男は彼女を見て少しほっとしたように
「ああ、まだやっぱりいましたねえ」
 カンテラ伯爵令嬢は、あっけに取られた顔で男を見る。
「J君、まだ帰ってなかったの?」
「いや、帰ってる途中でそういえばカンテラ先輩が帰りの目処が立ってないまま解散しちゃったな、と思って念の為一応」
「君も明日は早いだろうに。私はもう泊まりの準備しちゃったよ」
 Jはきょとんとして。
「あら、じゃあ俺の早とちりですか、しゃあないですね。じゃ今度こそ帰ります」
「ごめんね」
「いえ、謝ることじゃないっすよ」
「ありがとう。心配して、わざわざ戻ってきてくれたんでしょ」
「いえ、早とちりして、ただの馬鹿です」
「ううん、馬鹿じゃないよ。すっごく嬉しい」

 Jは少し照れくさくなって、頭をかいた後
「明日の準備、まだ何か手伝うことは?」
 ステージマネージャー、カンテラ伯爵令嬢は笑って答えた。
「J君は明日このステージでライブする人なんだから、早く帰ったほうがいいよ」
 白熊は、再び笑った。



2007年01月28日(日)
伯爵と25のシチュエーション


「僕は暴力は嫌いだ。だから、素直にしたがって欲しい」

 彼女はぽかんとしていた。

「随分と暴力的な説得の仕方するね」

 伯爵は続けた。

「今日は他人を尊重する余裕と時間がないんだ。だから、汚い手も卑怯な手も使うよ」

 彼女は少し悲しそうな顔をした。

「あなたも、そんな人だったんだ」

 伯爵は、もっと悲しそうな顔をした。




2007年01月26日(金)
伯爵と25のシチュエーション


「ったく、あいつ本当にムカつくなー」
「Iさん、他人なんてそう簡単に呪うものではありませんよ」
「だってカンテラちゃんはあんな風に言われて平気なの?」
「それは平気ではないですけれど、わざわざ口に出すほどひどくもないでしょう。あの人だって色々と悩まなくちゃいけないことがあるから刺々しい言葉になるのです」
「でもさあ」
「それに、嫌な言葉を口にすると、嫌な気持ちになるでしょう。あちきは、Iさんに嫌な気持ちになどなって欲しくありませんよ」
「はぁ、なんでカンテラちゃんはそんなに優しいのかなあ」
「異性には優しくするものだと、聞いていますから」





2007年01月25日(木)
伯爵と25のシチュエーション


「伯爵、そんな顔してたらみんなが心配するよ?」
 そうは言われても、僕だって辛い時はあるのですよ。
「なんで?」
 なんで、って。そりゃ思い入れが強かったからでしょう。
「……」
 はぁ。
「ごめんね」
 ……え、何が?
「伯爵は辛い時にいつも助言をしてくれるのに、私は何も言えなくて」
 僕が落ち込む時なんてそうないですよ。
「今じゃん」
 
 ……。
 いいんですよ、いてくれるだけで。(落ち込んでいるのは僕なのに、なんで彼女のフォローをしているのだろう?)




2007年01月22日(月)
伯爵と25のシチュエーション


「ねえ、伯爵。あなたは私の言葉を聞いてくれている? そうありがとう。私が今から言うことは普通の人からすれば当然のことなのかもしれない。普通に二十一年生きていればわかっているような当たり前のことを、幼稚で未熟な私がここに来てやっとわかって、それを何か興奮してしゃべっているだけのことかもしれない。けれどそれを受け止めてくれる人間はあなたしかいないから、私はあなたにこれから想いを告げる。かまわないかしら? とは言ってもあなたはそんなことを拒めない性格なのよね。ごめんなさいね、嫌なら聞き流してちょうだい。私はね、怖いっていう感覚がわからなかった。子供の時から夜が怖くなかった。幽霊が怖くなかった。そんなものがもしいてもいなくても、どっちでもよかったから。学校でみんなが怖がる先生も、人体模型も、通学途中にいる野犬も、みんなの嫌いな給食も、鉄棒も、何も怖くなかった。叱られても叱られるだけだし、吠えられても吠えられただけだし、まずいものはまずいだけだし、逆上がりだってできないだけだった。進路だって、自分の受けられるレベルの学校選んでそれとなく志望動機を考えて推薦で合格した。周りの子達となじめなくても、別にかまわなかった。私は自分を知っているから、仲良くできないのも納得できた。将来に不安なんてなかった。私はどんなにがんばっても私以上のことはできないのだから、少しも怖がる必要なく歩いていけばよかった。大学も行った。卒業は簡単だった。仕事も見つかった。初めて企画を任された時も怖くなかった。やれることをやるしかないから、失敗しても納得できた。父が事故で亡くなった時も、初めて男と寝た時も、なんにも怖くなかった。それは、そういうものなんだって思っていたから。怖いってどういうことなのか、わからなかった。みんな、どうしてありもしないことを想像して一人でびくびくしているのか、わからなかった。原因を考えたら、結果なんてわかるじゃない。なのに、なんで少ない方の可能性ばかり人は求めたがるのか、理解できなかった。なのに、なのに私は今怖いってことがどういうことなのかやっとわかった。原因が、わからないから予想できない。だから結果がわからない。でも、考えなくちゃいけない。それが、こんなに苦しいことだったのね。私、私今すごく怖いのよ。ねえ、伯爵。なんで? なんであの人は私に結婚を申し込んだの? あの人が私を好きになる理由なんて考えられないのに、どうして? そして、私はその答えを出すことを求められた。どう答えればいいの? 答えの出し方が、わからない。こんなこと初めてだった。私は今、とても怖いの」


 
 そういうことを年下の大学生に打ち明けるのは、怖くなかったのだろうかこの人。





2007年01月19日(金)
伯爵と25のシチュエーション


 彼はいつも言っていた。
「頑張っただけで結果が出るようなものじゃない」

 彼はみんなが喜んでいるときも輪の外にいた。
「ああいうのは苦手なんだ」

 彼はみんなが必ず大会に優勝しようと言っている時に、いつも顔を曇らせた。
「変な期待をして失敗したら辛いじゃないか」


 でも、私は知っている。

 歯を食いしばり、努力する彼を
 拳を握り、熱く静かに喜んでいた彼を
 本当は誰よりもずっとみんなと勝ち進みたい彼を


 今年が、私たちの最後の夏。県大会
「ねえ、F君。優勝して行こう、四国大会」
 彼は初めて応えてくれた。
「ああ、行こう」


 それから半年。


 結果は、私たちだけの秘密。


 




2007年01月17日(水)
カンテラ伯爵と25のシチュエーション


 Eの車に乗って、岬を目指す。
 どうでもいいことを話して、僕は相槌を返すだけ。

 でも、要は返し方だ。
 話題をつなげられるようなうなづき方をすれば、相手はいくらでも喋ってくれる。そのうち話題は本筋を離れて、就職活動の話をしていたはずなのに気がついたら「平成狸合戦ぽんぽこ」について語っていた。
 変な感じだった。彼は院に進むのか就職するのかと質問していたのに、四国では狸が神様であることについて答えていた。

 なんだか、変な感じだが、いつもこうだ。
 だったらいつも変なのだろうか。

 こんどは後輩の可愛い女の子についての会話になったはずなのに
「なあ、カンテラ。俺ってお前にとってどんな奴なの?」
 Eが突然訊いて来た。
 即答。
「そんなこと、今更口にするような間柄じゃないでしょうに」
 彼が求めていたのは、そういう言葉ではないことを知っている。
 それでも、こうしか答えられない。



 恥ずかしいじゃないか。


 外を見る。
 ガラスに反射したEの顔が見えた。

 



2007年01月16日(火)
伯爵と25のシチュエーション



 始発電車に揺られて、目的地を目指す。

 左隣に座る女学生。
 身の細い、お下げの彼女はうつむいている。


 前の車両から学ランを着た男が入ってきた。

 彼は彼女を見つけると近づいて、彼女の目の前に立ち止まる。
 彼女は顔をあげた。

 彼と彼女は少しの間目を合わせて、

「二ヶ月ぶりか、君はどこに行ってた?」
「ちょっとね、学校休んでたの」

 力なく笑う彼女に、彼は冷めた目をして言った。
「一応言っておく。あけましておめでとう」
 そして頭を下げた彼に、彼女は何を思ったのか、少しだけ笑みを増して会釈した。

 そして彼はわざわざ彼女から離れた席に座る。


 


 それを見ていた私は今年も、もう半月経ったのかと少しため息をついた。



2007年01月14日(日)
伯爵と25のシチュエーション


 サニーマート。
 下りのエスカレーター。
 僕と彼女は二人並んで乗っている。

 前には家族連れがいた。
 大柄な父親。髪の長い母親。
 厚着をした娘。
 父と娘がじゃれて、母親がそれを見ている。


 隣の彼女に聞こえるぐらいの声で言う。
「僕は思うんだ」
「何を?」
「僕がいつか大人になった時には、休日に買い物に行くだけでも家族ででかけて、あんな風に家族で楽しめる。そういう大人になりたいと。すごく、そういう平凡にあこがれるんだ」
「そう……」
「こんなこと言うなんて、僕は変かな」
 彼女は少し考えて
「それはプロポーズでもしているつもりかな?」
 僕はまったく普通の声で
「いいや、違うよ」
 ちょうどエスカレーターが下りきったので、僕たちは同時に歩き出した。

 



2007年01月12日(金)
カンテラ伯爵と25のチチュエーション


 伯爵 in 12才

 伯爵とCは犬に追われていた。
 よくわからない。ふと後ろを向いたら犬がこっちに向かって走ってきていて伯爵もCも反射的に走った。
 そしたら犬も追いかけてきた。
 
 最初から、狙われていたらしい。

 走った。
 走った。
 呼吸をするのも忘れて走った。

 追いかけてきた。
 追いかけてきた。
 今になって思い返せば、あの時その犬は尻尾を振っていたが、僕らにはプレデターにしか見えなかった。


 火事場の馬鹿力というのか、それとも手加減されていたのか。
 伯爵達は犬よりも速く走った。
 クラス内最鈍足の伯爵が、いつもかけっこでは1位のCと同じ速さ。
 人間は命かかればなんとかなるものだなあ、と思いながら伯爵は道を右に曲がった。
 Cは、まっすぐ走った。

 あれ?

 伯爵は一瞬、思考が止まった。
 何故、右折したのだろう。
 その時はとっさの判断だった。きっと、犬もまっすぐよりジグザグの方が追いにくいなどと考えたのではないだろうか。

 そして結果として犬はまっすぐ走っていったCを追いかけた。
「Cくーん!」
「伯爵ー」

 そして、犬を連れてCは見えなくなった。

 僕は帰った。
 帰った。
 追いかけても、どうにもならない。
 せめて、僕だけは帰ろうと。

 次の日、Cは学校に来ていた。
 機能のことは話さなかった。

 どうやらCにとっては話す必要もないほどどうでもいいことらしかった。

 けれど、カンテラ伯爵にとっては、人生に初めて本気で走った日であり、思い出すと今でも笑いがこみ上げる。
 



2007年01月10日(水)
伯爵と25のシチュエーション


 野外でコンパ。


 伯爵はあぐらをかいて背中を壁にあずける。
 脱力。体の外に重心を置いて、ぼんやりと座る。

 彼の太ももに頭を乗せて、寝るA。
 喧騒の中で、Aの寝息を聞き取った。

「伯爵ー。Aさん寝とるがー?」
 Bがきた。伯爵に体を預ける形で潰れているAを見てBは呆れたようである。
「仲いいねー」
 伯爵は特に感じ入る様子もなく返事する。
「さっきまでよく喋ってたんですけどね」
 色々と、謝られた。いつも迷惑ばかりかけているとか、これからももっとかけてしまうとか。そんなこと、こっちは少しも思っていないのに。
「仲いいねー」
「この人、いろんな人に謝りたいんでしょうね。別に自分のせいでもないのに、色んなことを自分から背負って」
 
 まだ、宴は終わりそうもない。


 伯爵は思う。
 自分か、Aか、どちらか一人だけでも女性なら、絵になるのになあ。