独り言


2006年07月25日(火) 御挨拶

三ヶ月連続で行った自主企画イベントも先日のvol.5を持ちまして何とか無事終了致しました

出演して下さったバンドの皆様
貴重な時間と場所を提供して下さったライブハウスの皆様
そして何より奇跡的な確率で全三回とも雨に見舞われたにも関わらずイベントに足を運んで下さった多くの皆様
yok一同心より感謝しております

本当にありがとうございました



この三ヶ月間は私個人としましてはとても多くの事を考えさせられる貴重な時間となりました

世の中には多くの価値観が存在し私の持つそれと他の持つそれとの間には大きな隔たりがある様に思われその悲しい隙間にいつも辟易としこの心ごと投げ出してしまいそうになりますがそんな私をすくい上げてくれる他も確かに存在しその度に「私は私以外のものになる事は出来ないのだから私は私らしく地を這いながらでも構わないから前へ進むしかないのだろう」と思うのであります

他が音楽に対し如何なる趣を求めるのかは私の存じ上げる所ではございませんが私にとっての音楽とはやはり「感情に起因するもの」でありそれは良くも悪くも「技巧を超えた存在」なのだと強く感じました

五線譜では収まり切らないものがあると思いました
言葉はやはり無力でそれは時として邪魔になるものだと思いました

そしてこんな私の想いが私以外の他にも伝われば良かったのにと思います


何のあてもなく浅はかで幼稚な意志だけを便りに上京し早八年が過ぎようとしています
それだけ多くの時間を裏切りながらも未だにこんな青臭いことを公の場を用いて堂々と言ってのける自分をとても誇りに思います



yokは只今フル・アルバムのレコーディング中です

どんな作品に仕上がるのか私自身も他人事の様に楽しみにしておりますが一日も早く完成し無事日の目を見てくれる事を祈るばかりです


最後に
こういった形でしか感謝の気持ちを伝えられない貧弱な私をどうかオカマ野郎と罵ってください

本当にありがとうございました




追伸

自分自身に「特別ではない」という烙印を押し繰り返される終わらない今日に疑問など抱かず燐と胸を張り生き抜く力強さを求めて昨夜私は私自身の真夜中を奪い何より輝かしかったあの夢を葬ろうと試みた



しかしそこには揺るぎ無い過去と360゜の未来が立ちはだかり私の現在至上主義は一流女優の猿芝居よりも安物だったのだと思い知らされる


新世界は何処に


2006年07月23日(日) テリーデイズというBandについて・後書き

約3ヵ月間・全37回に渡り当ホームページ上で展開してまいりました『テリーデイズというBandについて』


この『テリーデイズ』とは今よりずっと以前に私の夢に出てきた架空のバンドであり当初は「もし実在したらどんな楽曲を演奏するんだろう?」というひどく短絡的で下らない興味本位から個人的な暇つぶしとして『テリーデイズの為の楽曲制作』に取り掛かったのですがそこから受けるインスピレーションは私の想像を遥かに越える物であった為最終的にはyokの活動の一環として行われる事となり今回こうした全く有り得ないデタラメな物語を展開する運びへと至りました


物語は亜龍の最後の日記にもある様に「全てフィクション」であり登場する人物・団体・建造物・地名・その他各名称の大半は架空の物となっております
一部には実在する地名や人物名も登場しますがこれは物語のリアリティーを追求する上で必要不可欠な要素であり絶対に欠く事の出来ないものでありますので時代背景や地理的事実関係と相容れない部分も多々ありますが何卒御了承願いたいと思います


そして最後に
本文中随所で暴力的であったり卑猥な表現が使用されていますがこれも前述した項目同様『物語のリアリティー追求』という観点で見ると無くてはならないものと思われもしこの事が原因で気分を害されたり自尊心を傷付けられた方がおられましたらこの場を借りて心より深くお詫び申し上げたいと思います



当ホームページ上ではこの『テリーデイズというBandについて』に関する苦情・質問・問い合わせ等は一切受け付けとおりませんのでそちらをあらかじめお断わりした上でこの一連のクソ下らない暇つぶしを終わらせて頂きたいと思います


永きに渡りお付き合い下さりまことに有難うございました













うんちー(^3^)



寝る


2006年07月22日(土) テリーデイズというBandのその後について

李 亜龍

消息及び生存の有無も不明

事件直後警察当局は亜龍のアーティストとしての知名度を一応認識しており放っておいても一般人からの通報ですぐに足が着くだろうと踏み全うな捜査を行っていなかった
しかし思っていた様な有力情報が得られず事件発生から一週間後になって初めて正式な捜査本部を設置し本格的な捜査に乗り出すのだがそれでも亜龍の足取りは掴めず今日に至る

警察の内部情報に詳しいある人物の話によると亜龍の消息に関して警察が手にしている確実な情報はたった一つしかないそうでその情報とはあの『フリーク・カンパニー』の店員から得られたものだという
その内容とは事件発生の翌日4月9日朝早くに亜龍がそれまでフリーク・カンパニーで購入した蔵書の全てを店に持ち込み買い取ることを強く要求してきたというもので余りの執拗さに仕方無く店員が要求に応じると亜龍はそれで手にした金で『世界昆虫大百科・デラックスカラー版』というアメリカ製の本を購入し店を後にしたという

捜査に際して亜龍の日記も重要な手掛かりとして考えられたが当然事件当日の4月8日の記述を最後に日記は終わっている
ちなみにその4月8日の記述を見てみるとそこにはただ一言
「全てフィクションだ」
とだけ書かれている





スージー・キュー

亜龍の失踪により事実上テリーデイズが解散されると彼女は一旦古巣である蛇孔に戻るが表現者としてある程度確立された自分の立場を無駄にしたくないと考え個人で人権擁護団体『S.H.B』を設立している

この団体は当初テリーデイズに影響を受けてその後中国に数多く誕生した通称『テリーキッズ』と呼ばれるロックバンド達の作品や発言を擁護する目的で設立されたのだがこの団体が上記の目的で活動する事は一度として無く現在はスージー・キュー自身も含めた同性愛者達の社会的地位獲得を目的として運営されている

あの事件の影響も相まってアルバム『Stend』は更に爆発的に売れ続けそれ以降ロックミュージックは排他されるべきものではなく中国ショウビズ界のメインストリームのど真ん中に堂々と鎮座出来る程に強大な存在となっていた
スージー・キュー曰くロックバンド達の言動や楽曲が過激になればなる程レコードのセールスは伸びていくという寸法だったのでそこにはもはや人権を擁護する必要性等無かったのだという

『S.H.B.』は儒教を重んじる中国でそれまでタブー視されていた同性愛という問題を正面きって堂々と世論に訴えかけるという非常にスージー・キューらしい恐れを知らぬスタンスを用いて活動されておりその積極性はそれまで暗幕に身を隠していた同性愛者だけでなく一般の人達の共感も集め今日ではあの『リバティー・ポイント』と肩を並べる程に大きな団体へと成長している

ちなみに団体名である『S.H.B.』とは亜龍がテリーデイズ結成以前路上で独り歌を歌っていた時に必ず着用していたTシャツの胸に書かれたメッセージの頭文字を取ったものだという




ジョージ

テリーデイズ解散後約一年間に渡りあの事件の後遺症によって入退院を余儀なくされる
体調が完全に良くなるとテリーキッズの一つである『ランチャーダンク』というバンドに加入しドラマーとして活動するが半年で脱退

その後彼は亜龍が書いた曲の中で唯一中国語詞を持つ未発表曲『JHOME』に影響を受け単身日本へと渡っている

この『JHOME』は亜龍の変質よりずっと以前に作られた曲で詞の内容は亜龍が母から伝え聞いていたのであろうまだ見ぬ日本という彼にとって心の故郷とも言える国に対し想いを馳せたものとなっている
その曲を亜龍はアコースティックギターを用いて弾き語りそれを自宅でカセットテープに収録しスージー・キューとジョージに渡していたのだ

スージー・キューにこの『JHOME』について聞いても「そんな曲もあったかも知れないわね」という程度の印象しか持っていないがジョージにとっては唯一歌詞が理解出来る曲という事もあり特別な思い入れがあった様だ

ジョージは今でもそのテープを持っており特別に聴かせてもらう事が出来たのだがこの『JHOME』には何とも理解しがたい箇所が一つ存在する
それとは曲のオーラス部分で「再見」という言葉が16回にも渡りリフレインされている箇所についてなのだがどう考えてもこの「再見」という言葉は本編の詞の内容とは全く結び付かずまるで後から付け足した別の曲の一節であるかの様な違和感を生み出している

ジョージ曰くこの「再見」は亜龍からのメッセージで「日本に行けばまたアルに会えるような気がして」彼は日本へと渡ったのだというが残念ながらまだ亜龍には会えていないらしい

現在彼は日本で全く無名の3ピースバンドに在籍しドラムを叩いているのだが以前の様なピエロのお面はもう着けていない

ジョージの熱狂的なファンで彼のドラミング見たさにわざわざ日本まで赴いたある人物の話によると奇しくもそのバンドはテリーデイズと同じベースボーカルスタイルでフロント2人は亜龍とスージー・キューにとても良く似た佇まいを持っているが彼等並の天才的な要素は感じられなかったということである


2006年07月21日(金) テリーデイズというBandについて・最終回

「悪魔が呼んでいる」


俺はマイクに向かってそう呟くと目の前で渦巻く真っ白い蒸気をただ眺めた
世界は驚く程静まり返っている
遠くでは赤子の泣き叫ぶ声


「ミルクが欲しいのかい?
それともおしめ?…いや違う
この声は母を呼ぶ声
あの頃の俺と同じ声」



俺は殴り付けた2人や戸惑う客等眼中に無い振りをしてステージを降りた

雨はまだ降り続いている

このまま永遠に降り続いて俺がこれから犯す過ちも全てその水底に沈めて亡き物にしてくれればいいのに



スネーク・ストリートまで出てタクシーを拾おうとしたが今の俺のポケットの中身じゃ安物のポルノ雑誌も買えやしない
仕方無く俺は歩いて五番街まで抜け地下鉄で家へと帰る事にした



「母さん待ってて…すぐに行くから
もう全て終わりにしよう」



地下鉄の中は雨のせいかやけに鼻につくカビ臭い匂いが充満していた
仕事帰りのサラリーマンや赤が似合う女学生…俺やレールの軋む音や悪魔の呼び声が互いの存在には気付かぬ振りで肩をすり合わせ西から東へと流されていく

何と悲しい現実
こんなに近くに居るのに誰からも温もりは感じられない
俺は目を閉じ唯一心地よい地下鉄の振動に身をまかせ最後の安らかな夢を見ることにした

俺の鼓動が地下鉄の振動と重なり…そして離れていく
眠りは浅く閉じた目蓋の裏側に浮かんでくるものは俺が今まで生きてきた現実と何ら変わりの無い漆黒の闇ばかり



「母さん助けて…頭が痛いよ
もう全て終わりにして」



地下鉄を下り家までの道程を歩きながら俺は次第に強くなる雨足を無視する様にこれまでの人生ってやつを懐かしんでみた


俺は何処から来て何処へ向かっていたんだろう?
俺は中国人?それとも…

音楽なんてどうだってよかったのさ
ただ自分の居場所を探していただけ
自分の存在する意義を…決め付けたかっただけ

そんな時たまたますぐ側にあったあのボロいギターを持ってみただけ
そしてたまたまスージーと出会っただけで…ジョージと出会っただけ
バンドを組んでみただけでライブをしたりレコードを作ってみただけ…

確かなものなんて何もありはしない
頑なに守るべきものなんて何も無いんだ
全ては偶然が産んだ他愛もない出来事でそれがいくら積み重なろうが不確かな事にかわりない



「母さんでもね…今となってはそんな全てが愛しく思えるんだ
でも行かなきゃ

俺は決して憎くて殴った訳じゃないんだ
俺はただ…嫌われたかっただけなんだよ
だって俺はもうここに居れなくなるから

母さん…あなただけはわかって

俺は決して…あの2人が憎くて殴った訳じゃないんだ」



家の鍵を開け雨で冷たく冷えきったドアノブを回した
蝶番の軋む音が何故だか懐かしく感じられたのはきっと柄にも無く人生なんぞを振り返っていたせいだろう

俺は靴も脱がず窓から差し込む街灯で縁取られただけの薄暗い部屋へと上がり込み全身にまとわりつく雨の雫をまるで野良犬がする様に体を震わせ其処ら中に撒き散らした

雨は一向に止む気配が無い

あばら家の雑作なトタン屋根を雨粒が叩きそのデタラメなリズム感に俺の脳裏は更に掻き乱されていく



「母さん…世界中の罪を集めて俺にプレゼントしてちょうだい
そのお返しに俺は母さんに天国をプレゼントしてあげるから」



濡れた上着を脱ぎ捨て俺はゆっくりと母さんが寝ている寝室の扉を開けた

4月とは思えない程重く湿りむせ返った空気が肌にまとわりつきただじっとしているだけでも汗が滲み出てくる
そんな中でも母さんは何より美しい存在としてそこに横たわっていて珍しく安らかな寝息を立てて眠るそのすぐ横に俺は腰をかけ心の中でこんな話をしたんだ



「母さんただいま…待たせたね
もう全て終わりにしよう

大丈夫
俺に任せて
母さんの中に巣食う悪魔は俺が殺してあげるから
大丈夫
俺は大丈夫

俺はこれまでの人生とそしてこれからの人生の全てを代償にして母さんに天国をプレゼントするよ

そしたら母さんは天国でまた父さんと出逢って…また俺を産んでくれればいい
それまで俺はこの世で償い切れるはずも無い大きな罪を…それでも何とか償ってみせるから

父さんに逢ったら酒は程々にしろって俺が怒ってたって言っといて
…また居なくなられたらかなわないからって

母さんありがとう
落ち着いたら手紙を書くよ
きっと届かないけど…手紙を書くから
母さんも気が向いたら返事をちょうだい

さよなら母さん

もうこれ以上悪魔の笑い声に付き合いきれない程に…頭が痛いから」



そして俺は母さんの体の上にまたがり白く細い喉元に手を掛け一片の迷いもない真っ白な心で永遠の夢へと続く扉を開けてあげたんだ


…だけどその扉の向こうに居たものは神でも天使でも無くまだ何も知らぬ頃の幼い俺自身で罪の意識等一切持たずただ何となく蝶々の羽を引きちぎったあの日の記憶が鮮明に脳裏をかすめた



「母さん…あなたは今何処でどうしている?

雨も俺の頭痛も…まだ一向に止む気配がないよ」



‐完‐


2006年07月20日(木) テリーデイズというBandについて・その35

亜龍がステージから立ち去った直後スージー・キューは頭部から血を流しながらも立ち上がりマイクに向かって
「何でもない…何でもないのよ」
と言い何とかその場を取り繕おうと努めるがその行動が逆に観客の不安を煽る形となってしまい会場は一気に混乱しはじめ一部では正気を保てなくなってしまった女性客が泣き叫び気を失い運びだされるという騒動も起こっている

ジョージはというと余程打ち所が悪かったのか一向に起き上がる気配を見せず慌てた王盤社のマネージャーが呼んだ救急車によって病院に運ばれそのまま約8日間にも渡り意識不明の重体へと陥っている


とんでもない暴挙をしでかし姿を消した亜龍の事よりも意識の戻らないジョージの方に皆の関心は集められこの日から亜龍の存在はスージー・キューも含めた全てのテリーデイズに関わる人間の頭の中からもその姿を消す


そして3日後の4月8日
まだ意識の戻らないジョージの傍らで不安な心を抱えていたスージー・キューの元にある一人の男が訪ねてくる
その事により亜龍の存在は皆の頭の中に強烈にして鮮明に戻ってくるのだがそこには余りにも悲しすぎる結末が用意されていた




「もう何だか普通じゃない事が起こり過ぎてて訳がわからなかったわ
でもね…とんでもなく悲しい事が起きてしまったんだって事だけはわかったの
あなた知ってる?
本当に悲しいと人って涙を流したりなんて出来ないのよ
私こう見えても結構泣き虫なんだけど…涙なんて一粒も流れやしなかった…あんなに悲しかったのに
…でも私が一番悲しいと感じたのはあの事件の事よりも亜龍っていう人間の存在そのものに対してだった
亜龍っていう何処までも真直ぐに屈折していってしまった人間の存在自体が…只々不憫で仕方無かったの」
とスージー・キューはその時の心境を振り返っている


ジョージは
「目が覚めて一番最初にスージーさんに言われた事は『絶対に亜龍を嫌いにならないでね』って
『亜龍は生まれてきた時点で被害者だったんだから』って言われました
そして僕が眠っている間に起きた事を聞いたんですけど…正直訳がわからなかったです
どうしてそんな事になったのか理由が全然わかりませんでした
…でもその後にアルの日記の事やアルの周辺で起きていた事実を知って
彼がそれまで歩んできた人生や僕等には決して見せなかった本当の素顔を知るうちにスージーさんが言った『亜龍は被害者』だっていう意味が何となくわかってきて
…でも彼がした事は絶対に許されてはいけない行為だし他に選択肢は無かったのかと未だにやり切れない感情に襲われる事がありますよ」
と言っている




1991年4月8日

まだ意識の戻らないジョージの傍らで不安な心を抱えていたスージー・キューの元にある一人の男が訪ねてくる

その男はノックもせずに病室の扉を開けるとおもむろに「中央警察署に所属する刑事」だと名乗り訝しい表情を浮かべるスージー・キューに対し間髪入れず
「アーロン・ユウ・パークハイドの居場所を知らないか?」
と言ってきた

ジョージの事で精神的に疲れ切っていた彼女は特に何も考えずただ何となく
「どうして亜龍の居場所を知りたいの?」
と逆に問い掛けたのだがそんな彼女に返された言葉とは


「アーロン・ユウ・パークハイドをミツコ・パークハイド殺害の容疑者として指名手配中だからだ」


という余りにも衝撃的なものだった


2006年07月19日(水) テリーデイズというBandについて・その34

そして3つ目にして最悪の暴挙として亜龍はとても理解しがたく絶対に許されない行動を取っている


それはアルバムの最終曲『希望方』の間奏部分で起こった

何を思ったのか亜龍は突然物凄い勢いでスージー・キューの元へと駆け寄り肩からベースを外すとそれをまるで刀の様に持ちかえ無防備な彼女の頭部めがけて一気に振り下ろした

そして彼女がよろめき地面に倒れるか倒れないかというほんの一瞬を使って今度はドラムセットへとよじ登り同じ様にジョージの頭部を激しく殴り付けたのだ



ドラムが消えた事により曲は完全に姿を失い会場全体を2つのアンプが発するひび割れたフィードバックが支配する



亜龍はドラムセットから降りると顔色一つ変えずステージ上をゆっくり歩きだしまずはじめにベースそして次にギターアンプの電源を落としその瞬間今度は会場全体を一変した静寂が包む


その場に居合わせた客の中にはこの亜龍の過激な行動をパフォーマンスの一環だと勘違いした者も少なくなかった様で一部からは軽はずみな亜龍コールが沸き上がるが一向に立ち上がってこないスージー・キューとジョージを見て自分達の過ちに気付きその歓声もすぐになりを潜める



今現在の状況が理解出来ずただ固唾を飲んで見守る事しか出来なくなってしまった観客等まるで眼中に無いといった表情をした亜龍はステージ中央に立ち客の上空で渦巻く真っ白い蒸気をただじっと眺めていた

緊迫した状況は更に静寂を深めその静けさといったら遥か遠くで泣き叫ぶ赤ん坊の声さえ容易に聞き取れるほどだったという



しばらくすると亜龍はゆっくりとマイクの前へと進みかすれる程に小さな声で
「悪魔が呼んでいる」
と呟きまた少しの間上空を見つめそしてそれを最後にステージを降りそのまま会場から姿を消している



このライブイベント『Stend』の模様は一部の不道徳なファンによって無断で撮影・製造された非公認ライブビデオ『Scramble』に収録されており若干画像は荒いもののその一部始終を克明に知る事が出来る


『Scramble』は事実上テリーデイズが解散してしまったこの日の約2ヵ月後に無許可で発売されているのだがその商品価値は説明する必要が無い程に高く非公認でありながら有名大型レコード店の店頭でも当たり前の様に販売されているのを当時私も幾度と無く目にした事がある


しかし王盤社は当然この非公認商品の販売を認めず各レコード店に販売中止を要請
聞き入れられない場合は手当たり次第に告訴するという常套手段に出た為事実上『Scramble』はこの世から抹消された事になっている



ちなみにこの『Scramble』を製造した人物は未だに特定出来ていないがパッケージにはスタジオでベースでは無くギターを爪弾く亜龍の写真が使用されている事から極めてテリーデイズに近しい人間の行いだと考えられる

しかしこの人物はテリーデイズというバンドにさほど興味が無かった様でライブの1曲目で演奏されたアルバム未収録曲『Fly』をろくに調べもせず適当に『#1/テリーデイズ』とバンド名をそのまま当てはめ表記するという過ちを犯してしまった
その為今日でもファンの間で『Fly』は『テリーデイズ』という間違ったタイトルで認識されている


2006年07月18日(火) テリーデイズというBandについて・その33

1991年4月1日

余りにも過密な計画だったので一部報道で発売延期もささやかれはしたが予定通りこの日めでたく『Stend』は全国一斉発売された

しかしレコード店の商品棚にこの『Stend』が陳列される事はほとんど無かったという

アルバム『Stend』はスージー・キューの思惑を見事に反映させる結果をあらわし発売前の購入予約の段階でそのほとんどを売り切ってしまっておりレコード店には今後の入荷予定や購入予約に関する問い合わせが殺到したという

こういった事態を受けて初めて王盤社はテリーデイズの商品価値を認め『Stend』の大量再プレスを決定する運びへと至った


音源の売れ行きや再プレスの決定については勿論直ぐ様テリーデイズ本人達にも伝えられたがスージー・キューもジョージもその事より前日何も言わずオーウェンから姿を消した亜龍の事が気掛かりで喜ぶ所では無かったという

「亜龍が何も言わないで消えるのはいつもの事だけど…あの時は明らかに様子が違ってたの
彼があんなに取り乱した表情を見せたのはあの時だけじゃない?
それを見て凄く嫌な予感がしたわ
漠然とだけど…嫌な予感がした
何でかはわからないけど…もう二度と彼に会えないんじゃないかと思って不安で仕方無かったの」
とスージー・キューはその時の心境を語っている

この彼女の予感はある意味的中し亜龍はあの後から4月5日のライブまで一度も2人の前に姿を見せずそしてライブ当日約5日振りにあらわれた彼の様相はというとかつての変質を大きく上回る程に強大な負のイメージを引き連れた本来亜龍が持つ愛らしさ等微塵も感じさせない変わり果てたものだったという



1991年4月5日

この日は朝から小雨が降り続きライブ中止の提案も出されたが開始の6時間以上も前から会場にはすでに多くの若者が詰め掛けており何より変質した亜龍がその場に来ているという事実がライブを開催せざるを得ない状況を作り出していたとスージー・キューは語っている

「彼は何も言わなかった
またいつかみたいに完全に心に鍵をかけてしまっていたの
…でも彼は来た
何でそんな状態なのに彼がライブ会場に姿をあらわしたのか全然理解出来なかったけど…客も相当集まってたし…今更『中止します』だなんて言えやしなかったわ」



午後19:00
ステージ上にあらわれたテリーデイズを約2万人もの歓声が迎え入れた
オーディエンススペースの上空は降り続ける雨に打たれた客の体から立ち上る蒸気によって白く渦巻きこの世のものとは思えない程に幻想的な雰囲気を創り上げていたという


このテリーデイズ最大にして事実上最後となったライブイベント『Stend』
そのステージ上で変質した亜龍は誰も予想だにしなかった3つの暴挙をしでかす


当初ライブはアルバム『Stend』を曲順通りに演奏すると決められていたが亜龍は1曲目にあの封印していた『Fly』を演奏する様2人に強要したのだ

この事についてジョージはこう語っている
「アルが僕の所へ来て『Fly』をやれってまるで怒ってるみたいに言ったんです
スージーさんは反対しましたし僕もずっと演ってない曲だったんで反対だったんですけどアルは全く聞く耳を持ちませんでした」

こうして演奏された『Fly』は序盤ぎこちなくたどたどしいものとなっているが1番のコーラス部分が終わる頃には3人の息も合いはじめ最終的にはこの日のベスト・テイクに挙げてもおかしくない程の輝きを放っている


そして2つ目の暴挙として亜龍は6曲目の演奏が終わった直後デタラメなベースラインを弾きはじめそれに合わせて何語とも識別のつかない言葉を用い独りで歌を歌った
スージー・キュー曰くその姿は「路上で歌を歌ってた頃の亜龍そのもの』だった様で戸惑う2人を気にも止めず約4分半にも渡り彼はこのパフォーマンスを展開している


そして3つ目にして最悪の暴挙として亜龍はとても理解しがたく絶対に許されない行動を取っている


2006年07月17日(月) テリーデイズというBandについて・その32

1991年3月31日
午後10:20頃

パーティーも佳境に差し掛かり最大の盛り上がりを見せていた最中オーウェンの扉を激しく押し開けて飛び込んできたのは蛇孔やスネークストリートの雰囲気とは無縁と思われる一人の地味な中年女性
誰しもが顔を見合わせ何事かと訝しく思っているとその女性に気付いた亜龍は即座に反応を示し何も言わずその女性と供にオーウェンを飛び出していった

これも後の調べで判明した事なのだがこの女性というのは亜龍の母であるミツコ・パークハイドのかつての仕事仲間でありその当時バンドの件で家に居る事が少なくなっていた亜龍の代わりにミツコの看病をしてくれていた張雲玲という人物でこの時彼女は亜龍にミツコが病院に緊急搬送された事を知らせに来てくれたのだった


ミツコの担当医師に話を聞くと
「安定していた病状が急激に悪化し心機能がかなり低下していました
それに伴って免疫能力がほぼ失われてしまい彼女は複数の合併症を患ってしまっていたんです
病院に搬送されてきた時には呼吸も正常に行えない位に衰弱していました」
という事でその病状はかつて無い程に緊迫した局面をむかえていた事になる

しかし不思議な事に亜龍が病院に到着するとそれを見計らった様にミツコの悪化した病状は一時的になりを潜め会話する事は出来なかったものの意識はあった様で集中治療室のガラス越しに見守る亜龍に対し手を招く様な素振りを何度も見せたという

その時現場に居合わせた張雲玲の話によると
「ユウちゃん(亜龍の日本語名)はただ黙ってじっとガラスの向こうのミッちゃんを見てたわ
…見てるっていうより睨んでるみたいに怖い顔してた
そんなユウちゃんの様子が気になって私が『あなた…今何を考えてるの?』って聞いたらユウちゃんはただ『呼んでるんだ』って言ってそのまま1時間近くその場所を離れようとしなかったの」
という事で総会の時に続き亜龍が呼んでいたものというのが何なのかは定かではないが間違いなく彼にはその対象が存在していたはずでそれとは彼が日記の中に産み出してしまったあの悪魔なのではないかというのが私の個人的な見解である


病院側は「全くもって不適切な処置だった」とその時の自分達の判断に非があった事を認めているが亜龍の強い希望があったとはいえ絶対安静にしていなければならなかったはずのミツコに対し翌日の明け方には退院の許可を出している

「何分全ての根源となっている心臓疾患の原因が全く不明だったもので病院側としても手の施しようが無かったんです
あのまま入院していたとしても満足な治療を施す事は…多分出来なかったと思います
息子さんもきっとそれを察知していたんじゃないでしょうか?
何が何でも家へ連れて帰るって言ってきかなかったんです
私どもとしましても苦汁の決断だったという事を何卒ご理解頂きたいと思います」
と担当医師は語ってくれた



この日亜龍の日記には約半年振りに悪魔が姿をあらわしている

しかしその内容は終始に渡り支離滅裂を極め全く理解不能なものである上に書かれた文字の大半は暗闇の中で書いたのかと思わせる程にいびつな姿をしており読解する事は極めて困難なものとなっている

辛うじて文章として成立している箇所を挙げるとするならば冒頭部分の
「悪魔が呼んでいる」
と中盤付近に何度も繰り返し書かれている
「頭が痛い」
という言葉位のものだろう


2006年07月16日(日) テリーデイズというBandについて・その31

王盤社はテリーデイズの知名度や音楽性を考慮した上でこの『Stend』の初回プレス枚数を1万枚とかなり少なく見積もりテリーデイズに提示してきた

これを受けたスージー・キューはこう考えたという

「ちょっとイラっとしたわ
亜龍の希望とはいえ私は王盤社との契約には無理があると思ってたから
その予感的中で私達のやってる事の良さや新しさってものを彼等は全く理解してくれていなかった訳よ
…でもねそこで思ったの
はっきり言って1万枚なんてあっという間に売り切る自信があったわ
そして店頭から『Stend』は消えて無くなる
無いと余計に欲しくなるのが人の常でしょ?
私の言いたい事わかるかしら?
1万枚の方が後々面白い事になるんじゃないかと思って私は彼等の申し出にOKのサインを出したのよ」


こんなスージー・キューの思惑を知ってか知らずか『Stend』は限定1万枚という看板を掲げて音楽雑誌や各種マスメディアに取り上げられる事となり来る4月1日の発売予定日を目指し急ピッチで商品として仕上げられていく


この音源リリースと並行してスージー・キューは総会でのライブを通して確信した自分達のアーティストとしての影響力や価値をいかんなく発揮すべくある一つのプロジェクトを発案する

そのプロジェクトとは平和公園に隣接する屋外総合運動場に仮設ステージを組み野外ライブイベントを開催するというものでその発案に至った動機というものが
「私一度だけ見たことがあるのよ
ヨーロッパに行った時に野外フェスってやつを
その時に一回でいいからこんな所でライブがしてみたいって思ったのがずっと残ってて…それをやってやろうと思ったの
単純でしょ?」
という何とも彼女らしいものとなっている

こんな短絡的とも思われる彼女の発案だが反対の意を示す者はおらずスージー・キューはライブ開催日をテリーデイズ結成から丁度一年後の1991年4月5日に設定しイベントタイトルには音源と同じ『Stend』という名を付けこのイベント実現に向け計画を進めていく



1991年3月31日

『Stend』発売日を翌日に控えたこの日
スージー・キューはメンバーや近しい人間を集めショットバー『オーウェン』にてささやかな祝賀パーティーを催した

そこには蛇孔の人間は勿論亜龍の古くからの友人も招かれており酒の勢いも手伝ってパーティーは終始笑い声の絶えない賑やかな雰囲気に包まれていたという

しかしそんな雰囲気もある一人の招かれざる客の訪問によりもろくも引き裂かれてしまった


2006年07月15日(土) テリーデイズというBandについて・その30

1991年3月4日

今回のリバティー・ポイント総会に伴って発生した『新世代達の新たな動向』は警官隊が出動したという事実も相まって一つの社会現象として各種のマスメディアに取り上げられる事となる

この現象を音楽業界に携わる人間達が見過ごすはずは無く総会でのライブ直後からテリーデイズには大手レコード会社やプロダクションからレコードデビューに関する数多くのオファーが舞い込む事になるのだがその構図は現代の音楽業界が提示する間違った力関係とは異なりまずアーティストが先に立ちそれにレコード会社が賛同するという本来あるべき姿を示したとても健全たるものだった


こういったオファーを申し出たものの中にはかつて接触のあったスリークォーターミュージックやその大元であるサンレコード直属の有名プロダクションも含まれていたが当然彼等の申し出がテリーデイズの心を射止める事は無く最終的にバンドは「尊敬する歌手が在席しているから」という亜龍の意志によりロックとは遠く掛け離れた中国古典歌謡をメインに制作している『王盤社』と契約を結びそして契約書が交わされた翌日である3月4日にはもうレコーディングを行うという急展開を迎えている


レコーディングは前回同様たった一日で全曲を完全なる一発録りによって行われる事となり現場には王盤社が手配したプロのエンジニアも居るには居たが彼等の仕事といったらスージー・キューの小間使い的な役割として働く事以外無かったという


「スージーさんは前回の録音の時エンジニアさんに執拗とも思える程に機材の扱い方やマイクのセッティングの仕方を聞いてたんです
そしてそれを全てマスターしちゃってたみたいで作業は驚く程スムーズに進んでいきましたよ」
と当時を振り返りジョージは語っている


今回のレコーディングでは15曲録音されたがこれも前回同様亜龍の意志により5曲がカットされ残されたものがテリーデイズ唯一のオフィシャル音源に収録される事となった

その曲目は
「Like the elephant」
「Spri」
「World Wide Disturbance」
「Summer Call」
「J.J.P.R.」
「ZACK VANHOUTEN」
「Nile's Miles」
「33」
「for sweet」
そして唯一の日本語タイトルが付けられた「希望方」
の10曲でこの音源のタイトルには
「限り無く終わりに近しい始まり」
という意味を込めて亜龍が考えた
「Stend」
という造語が付けられる事となった


2006年07月10日(月) テリーデイズというBandについて・その29

全10曲のセットリストを演じ終えると亜龍は客の歓声に応えるスージー・キューとジョージを置き去りにしたまま急いでステージを降り脇に居たケビンに
「行きたい所があるから」とだけ言い残し中華大会館を後にしている
亜龍が居ない事に気付いた2人がステージを降りると客席からは示し合わせたかの様にアンコールが沸き上がったが亜龍はすでに会場を後にしていたので仕方無くスージー・キュー自らがステージに戻り客に対して「アンコールは出来ない」という事を告げる形でこの日のライブは終わりを迎えている


リバティー・ポイントの記録によるとこの日の総観客数は2235人
総座席数1500席の中華大会館にこれだけの人数を無理矢理に動員したのだからその客席の有様はきっと想像する事さえも大儀に思わせる程に厳しいものだったことだろう


この総観客数は勿論今までの総会の中で一番の記録だがテリーデイズのライブ終了後客席に残っていた人数はというとわずか207人でその全てがあの騒ぎの中何とか会場入りを果たした正規のリバティー・ポイント会員だけだった


ケビンは総会を締め括る最後の挨拶として
「前代稀に見る何とも乱雑な失態を犯してしまった事をリバティー・ポイントの代表として皆様に深くお詫びをしなければならない
しかし私個人としては今回の総会に存在したかつて無い程の力強い自由というものを絶対に否定する事は出来ない」
と言っている


2006年07月09日(日) テリーデイズというBandについて・その28

16時になりステージへと上がる直前亜龍はすぐ隣に居ても聞き取れない程に小さな声で何かを呟いていたという

「何を言ってるの?」と問い掛けたスージー・キューに対し亜龍はただ一言「呼んでるんだ」とだけ答えステージへの階段をゆっくり上がっていった



どう見ても偽物とわかる金色のカツラの上に今時子供でも欲しがらない上海ガニの帽子を被ったフロントマン
それとは対照的に真っ黒なロングへアーを携え大人びたスリップドレスを身に纏った女性ギタリスト
そしてナンセンスと呼ぶにもおこがましい軍帽を被り顔には何故かピエロのお面を付けた余りにも小さ過ぎる少年ドラマー


そこにいた観客の全てが「これが本当にあのテリーデイズなのか?」と疑心暗鬼に陥り会場内はライブ前とは思えない程静まり返っていたという


しかしその静寂も亜龍の言葉にならない叫び声により一瞬にして切り裂かれそれをきっかけにテリーデイズは約40分間のステージを一瞬の静寂も許す事無く演じ続けた


スージー・キューはこの日のライブの事をこう振り返っている
「後にも先にもあんな経験をした事は無かったわ
私って理数系の人間だから占いとか幽霊とかそういった所在の明らかにならないものって一切信じないんだけど…あの日あのステージ上には間違いなく何かがあった
言葉じゃ説明出来ないけど…私達3人の間には明らかに目に見えない力が存在してたの
強く突き動かす何かが
亜龍が呼んでたものってそれだったのかもね
そこには理屈もへったくれも無いのよ
上手く演奏しようとか格好つけようとかそんな事微塵も考えなかったわ
ただ何処までも広がる音に身を投じて身体は勝手に次のフレーズを手繰り寄せて…あとはなるようになっちまえってそれだけ
でもね…そんな中でも冷静な部分っていうのは私の中に残ってて…言うのよ
『これ以上必要なものなんて無いよ』って
そして私は確信するの
『あぁ…これでいいんだ』ってね」



ジョージもまたこの日のライブにはいつもと違う感覚が存在したと言っているがその内容はスージー・キューのものとは多少異なりをみせている
「ステージに上がってすぐにアルがマイクに向かって叫んで
僕は『あっ始まるんだ』と思って
1曲目はツェッペリンの『ロックンロール』のカバーだったんですけどあれってドラムから始まるじゃないですか?
それで『あっ叩かなきゃ』と思って叩き始めたんですけど
勿論ライブですししかもあれだけの大ホールですから2人のアンプの音量もかなり上がってたはずなんですけど…凄く静かに感じました
いや実際には静かじゃないんですよ
聴覚的な問題じゃなくて…第6感とでも言うんですかねぇ?
…とにかく静かでした
そしてドラムを叩きながら目を閉じて耳を澄ますと絶対に聞こえてくるはずの無いものが聞こえてきたんです
アルの息遣いや流れ落ちる汗の音
スージーさんがフロアを強く踏み付ける音や加速していく心臓の鼓動まで聞こえてくる様な気がしたんです
それよりずっと前にアルに一度だけ言われた事があって…『お前は音を聴きすぎてるからダメなんだ』って
その時は『音楽やるのに音を聴いて何がいけないんだろう?』って思ってたんですけど…あの時アルの言葉の意味が初めてわかった様な気がしたんです
僕が意識するべきだったのはアルの歌や2人の鳴らす音じゃなくてもっと根源的なものだったんだって
呼吸とかそういった凄くシンプルなもの
それに合わせて僕がドラムを叩きその上に2人の音が乗りそして一番最後にアルの歌がきて初めて曲が完成するんだって
論理的に説明するとそうゆう事なんですけどこれって凄く感覚的なもので…偉そうにこんな事言ってますけど実は僕もあんな感覚を掴めたのはあの時が最初で最後でしてそれ以降も頑張って意識してみるんですけどどうにも上手くいかないんです
多分あの日あのステージには何かそういった感覚を呼び覚ます目に見えない力が存在したんでしょうね」


こういった人知を越えて存在する神掛かり的で圧倒的な力は確かにそこにあった様でステージ脇から終始見守っていたケビンの言葉を借りてこの日のテリーデイズのライブを表現するなら
「子供の頃に読んだ童話に載ってた天国と地獄の挿し絵を重ね合わせて見ている様だった」という事である

またケビンはこうも言っている

「永遠に尽きる事が無いと思わせる程に強烈なエネルギーを放っていた
でも終わってみるとそれは驚く程一瞬のとても些細な出来事だったんだと気付いた
…まるで一人の人間がこの世に生を受けそして永遠の中の永過ぎる一瞬であっさりと息絶えていくのを目の当たりにした様だった」


2006年07月05日(水) テリーデイズというBandについて・その27

その日テリーデイズのライブ見たさに中華大会館へと足を運んだ若者の数は確認が取れているだけでも2000人を超えておりこの状況に慌てた総会運営委員は取り合えず詰め込めるだけ詰め込もうと順次誘導を始めた

しかしそれに気付いた最後列の若者が明らかに自分達が入場出来ない事を察知し強引に人を押し退け入場を試みようとした為開場前から現場は騒然とした雰囲気に包まれ最終的には警官隊が導入される程の騒ぎへと発展している



当初16時からスタートされる予定だったテリーデイズのライブであったがこの状況を一刻も早く収拾したかったケビンは
「今すぐライブを開始してくれ」
と彼等に願い出た

しかしあいにくそこに亜龍は居らずほどなくして総会開始の時間を迎えてしまい入場を許され初めて体感するロックのライブを前に浮き足立つ者と入場を阻まれ閉ざされた入り口付近で警官隊と衝突する者とが混在する何とも厄介な状況の中大学教授や政治家達が壇上に上がり有り難い話をするという前代稀に見る滑稽な演説会が展開される事となる
ちなみに何とも皮肉な話だがその客席にリバティー・ポイントの正会員の姿はほとんど無かったという



総会開始から約2時間後亜龍は頭に上海ガニの爪をかたどった赤い帽子を被って楽屋にあらわれよほど観光が楽しかったのか変質以前の彼を思わせる程に軽快な口調で上海の歴史について話し始めたという

亜龍到着の知らせを受けたケビンは直ぐ様楽屋へと飛んでいき一刻も早いライブの開始を迫ったがこの申し出を亜龍はあっさり却下したそうだ

理由は
「まだ時間になってないから」
というとてもシンプルなものだったという


この時の事をスージー・キューはこう話してくれた
「亜龍はポケットからしわくちゃになったタイムスケジュールをを取り出して『まだ1時間も前じゃんか』って言ったの
そしてね…そっからが面白いんだけど彼ったら『16時からって告知してんのに1時間も早く始めちまったら…仮に俺等のライブだけを目当てに時間ギリギリに来た人がいたら…ダメじゃんかよ』って言うのよ
例え彼が出演者専用の裏口から会場入りしてたとしても間違いなく外の騒ぎは目にしてるはずなの
だけど彼の中でその騒ぎと自分達のライブをうまく結び付ける事が出来なかったんでしょうね」



必死に今の状況を説明しようとするケビンの事等全く眼中に無いといった素振りを見せた亜龍は上海ガニの帽子を買った事によって使い果たしてしまったのかスージー・キューに金を貸す様せびり受け取った金を持ってまた上海の街へと消えていった



そしてライブ開始10分前になり再び楽屋へと姿を現した亜龍の手にはよほど気に入ったのか頭に被ったものと色違いの青い上海ガニの帽子が握られており
「何処を探しても緑が売ってないんだけれども…僕はどうしたらいいですかね?」
と深刻な表情で何故かケビンに相談していたという


2006年07月04日(火) テリーデイズというBandについて・その26

1991年2月25日

上海中心部に位置する『中華大会館』は数多くの企業や民間の有力団体等の共同出資により建設された収容人数1500人を誇る大ホールでここでは中国古来の演劇やフルオーケストラによるクラシックコンサート等の芸能関係の催し事はもとより国立大学の入卒業式やオリンピック選手団の壮行式等の厳粛な儀式でも利用される事が多く正に多目的ホールと呼ぶに相応しい場所であった
しかし完成以降約30年の歴史を持つこの中華大会館のステージをかつてロックバンドが踏んだという事実は無論存在せずテリーデイズは今正にその歴史の第一歩を刻み付けようとしていた

リバティー・ポイントの総会は年4度開催されておりその都度各界の著名人や大学教授等を招待して有り難い演説をしてもらうというものをメインに据えその合間に少しは名の知れたミュージシャンやかつての大ヒット歌手を呼んで歌を歌ってもらうという余興を取り入れていた
そしてリバティー・ポイントの会員以外の人間でも無料で入場出来るという寛大なシステムをとる事により団体の知名度向上と新規会員の獲得を目指していたが大体の場合が訪れるのは会員だけという寂しい結果を残してきていた

ケビンはそんな倦怠的な状況を少しでも脱したいという意味も込めて今まで出演してきたアーティストとは明らかに毛色の違うテリーデイズにライブオファーをだしたのだろうが総会開始1時間前にもなると彼は自分の考えに大きな誤りがあったたいう事を嫌でも実感しなければならなくなる


特に大々的に告知を打った訳では無かった
リバティー・ポイントの会報には確かにテリーデイズの名は記載されているがそれはとても小さな扱いである
にも関わらずこの日中華大会館の前にはどう考えても収容しきれない程に多くの若者がテリーデイズのライブ見たさに詰め掛けていたのだ

この出来事にはまたしてもテリーデイズ本人達の知らない所で作用していた小さな後押しが存在する


その後押しをした人物とはまたしても王孔明その人であった
彼は実はリバティー・ポイント北京支部の立ち上げに尽力した初期からの会員の一人で時期的な事を踏まえて考えると亜龍の日記に出てきた『アメをくれたヒゲのおじさん』とは当時からまるで達磨大師の様に印象的な髭を携えていた王孔明の事ではないだろうかと思われるが勿論その真相は定かではない

リバティー・ポイントの会員である王孔明の元には当然テリーデイズが総会に出演するという情報は伝わっており彼は
「スゴく面白い事になるんじゃないかと思って」
この情報をすぐさま李華蓮に流した
前述した様にテリーデイズの音源は『夜音会』で毎回必ずO.A.される程に絶大な支持を得ておりこの頃には他の若者同様すっかりテリーデイズの虜となっていた李華蓮は彼等のライブ情報をいささか興奮気味に番組内で告知していたのだ


これを聞いた若者達がじっとしているはずも無くこの情報はかつてテリーデイズの音源が流出していった時と同じ様に人から人へと伝えられ結果として考えられない程多くの若者を中華大会館の前に集結させる事となった


その情景を目の前にしケビンはテリーデイズというバンドを過小評価していた自分の過ちを責める事も忘れてただ言葉を失い立ち尽くすより他無かったという

しかしこの情景に圧倒されていたのはケビンだけでは無くテリーデイズ本人達も初めて現実の物として自分達の置かれている状況を目にした訳でありこの時の事をスージー・キューは
「マイケル・ジャクソンにでもなった気分」
だったが
「みんな私達の音は知っててもルックスを知ってる人間は誰も居なかったから…私達が顔を出したって無反応なの
それが凄くシュールで面白かった」と言っている
ジョージに関しては
「あんなに多くのチャイニーズを一度に見たのは初めてでした」
と訳のわからない感想を述べておりその時の彼の興奮と戸惑いを充分窺い知る事が出来る
そして亜龍はというと初めて訪れた上海という街に気を良くし到着直後からリハーサルもせず一人で観光に出かけてしまっていた為この開演前の情景は目にしていない
しかし仮に目にしていたとしてもこれまでの亜龍の性質を踏まえて考えるとその内心はさておき表向きには大した反応は見せなかったのではないかと思われる


2006年07月02日(日) テリーデイズというBandについて・その25

実は亜龍はこのリバティー・ポイントの存在をずっとずっと以前から知っており彼の日記を幼少期までさかのぼってみると(亜龍は父親を亡くした小等部1回生の頃から精神科医の指示により日記を書き始めており所々欠落している年代はあるがその総冊数は確認が取れているものだけでも40冊を超える)1989年小等部3回生の時母親に連れられリバティー・ポイント北京支部創立直後の一般説明会に足を運んでいたという事実が判明する

その日の記述には
「今日はお母さんと一緒にお出かけた
ひさしぶりの太陽ですごくあたたくて気持ちが良いのだけれどもお母さんは僕が大きな大声を出すとすごく困った顔をするのですお母さんといっしょの時には大声を出さないようにしよう
そうしよう
病院に行って心のお薬をもらてそれからリバティー・ポイントというリバティー・ポイントという所に行ってきまし
リバティー=自由
ポイント=点
おじさんやおばさんがいてたくさんむずかしい話をしてるから僕はたいくつだったけれどもお母さんといっしょだったから全部楽しかったよ
帰りにヒゲのおじさんからアメをもらた
ミルク味のアメ
本当はレモン味のが良かったけれどもがまんした
『自由』ってなんだろう?
聞いたことあるけどなんだろう?
じてんを見てみたけれどもむずかしくて良くわからないわからない
明日お母さんに聞いてみよう
それから先生にも
そうしよう」
と書いてありそこから約1ヵ月間彼はこの『自由』という言葉の真意をつかむ為あらゆる大人達に質問を繰り返しそしてその内容を当時の彼なりに克明に書き記している
ちなみに当時の彼が最終的に導き出した結論は
「自由=セイシュウ川に浮かぶ空き缶←レモン味」
だと別の日の日記に記述されている

こういった日記からもわかる様にそれまで亜龍は『自由』という言葉の意味すら知らなかった訳でありここでのリバティー・ポイントとの出会いが無ければその後の『表現闘争』やアーティストとしての『李亜龍』も存在しなかったのではないかと思われ人知を無視し時を越えて結ばれた因果関係を感じずにはいられなくなってくる

そして更に日記を検索していくと1986年14歳になった亜龍はここでまたしてもリバティー・ポイントと接点を持っている
しかしこの時は一人でしかもリバティー・ポイントの会員限定で行われた懇親会会場に裏口から潜り込むという行動を取っている

その日の日記には
「自由と大きく書かれた看板にぶら下がっているお前はもはや自由とは呼べない
自由の名の下に集い統一された思想に寄り掛かるお前はすでに自由とは無縁
本当の自由とは言葉や形じゃ表現できないもの
いや自由だけじゃない
全ての物は無の上に塗りたくられた安物のレクリエーション
自由点を探して死ぬまでそのクソッタレな使命感に溺れてりゃいい
リバティー・ポイント万歳!!
さぁご一緒にどうぞ」
という否定的な記述を残している

しかしその頃からの亜龍の友人に話を聞くと
「アルはリバティー・ポイントに入会しようかどうしようかってマジで悩んでたよ
『一緒に説明会に行こう』って誘われた事もあったし
…でもリバティー・ポイントに入るには入会金が必要だったんだ
そんな大した額じゃないぜ
今時だったらガキでも軽く払えちまう位のちんけなもんさ
…でもアルにはそれを払うだけの金さえ無かったんだよ」
という事で亜龍の日記の記述は本心を誤魔化す為の天の邪鬼的な発想によるものと思われ本当の所は裏口から不法侵入するというリスクを犯してでも近づきたいある種憧れにも似た感情を抱いていたのではないだろうか


とにもかくにもテリーデイズの3人はこのケビンの申し出を快く引き受け彼等は初めてスネークストリートを抜け出しリバティー・ポイントの本部がある上海へと赴く事になる


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