まゆ日記
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2007年12月31日(月) |
大晦日は大雪とともに |
ふつーに雪がふって積もるってのがめちゃめちゃ久しぶりなようです。 積雪20センチくらいかな。
いろんなことがあった一年。たぶん忘れられない一年でしょう。
今年は鶏肉となめこをいれたとろりとさせた年越しそばですごします。 お雑煮の準備もできましたからそろそろすこし飲みますかね。
会社的には6日まで休みなのですが、2日と3日と5日、仕事にでます。 正直、出勤時間給のパートですから長期の休みは翌月の給料に響くんですね。あまり長期の休みがないほうがありがたいんです。
足りないPOPや値札をこしらえて、自分の机の中をすこし片付けて。 いらない書類やなにやらをシュレッダーにかけて、まったり仕事が出来ました。
デスクマットに一年間お守りみたいにはさんでいた、高校のとき信勝の顧問の先生からの年賀状。 あ…これがここにあるっていうことは年賀状、先生に書いていないじゃないか!
あわててデスクマットから引っ張り出して、年賀状を書きました。 明日投函予定です。 無事に元旦に届けばいいけど^^;
旦那が入院している病院の隣に、老人保健施設が併設している。
いま現在は旦那は医療保険で入院していて、前回の入院時、介護保険に切り替えてそのまま入院していた。 今回、もしかしたらそれが難しいかもしれないと言われていた。 介護保険に切り替えたときに、別の施設を考えてくださいとお願いするかもしれませんと言われていた。 併設する老人保健施設がいま入院している病院とほぼ(あくまでほぼ)同じようなリハビリをやってくれているので、申し込みだけはしてみてくださいと言われていた。 申込書を持っていったのが昨日。 今日、携帯に電話が入った。
審査会議の結果、入所いただけますので
ということだった。 医療保険での入院が続けられなくなったら隣の施設に入所。
一安心である。
勤途中の道路沿いにカネタってなまえの衣料品店があるんです。 しまむらよりももっと安い価格帯の洋服を売っている店で、そこではとてもじゃないですが買う気がしないのですが、ストッキングや肌着・タオルなんぞを買うつもりで会社帰りに寄ったんですね。 なんだか変なんです。
夜だっていうのに出入り口の外にじゃんじゃん服がかけられたハンガーバーが出しっぱなしだし、店の中はかなりぐじゃんぐじゃん。 旦那の靴下とか肌着とかσ( ̄▽ ̄)のタイツを選ぶのも一苦労だし段ボール箱が乱雑に積み上げられていて通るだけでも大変でした。 ようやくレジに向かうとレジの人もイライラしながらレジ打ちしてます。 思わず、 「どうかしたんですか?ここ」 と聞くと、 「改装してまして」 「いつまでですか?」 「さあ、いつになるんだかわかんない…」
開店状態のまま店内改装って言ったって、それならそれで出入り口に、 「店内改装のため云々」 っていうおことわりの張り紙くらいしたってよさそうなものだと思ったんですよね。足元も頭上もとにかくぐじゃぐじゃですから。 たとえていうならテレビに出る、ゴミ屋敷にちかいものがありましたもの。 とても開店してお客さんが来るのを待つ状態のお店には思えませんでした。
こんなことって、あるんですね。
2007年12月26日(水) |
今日も一日POP作成 |
要するにデザインというもののセンスゼロなんですねσ( ̄▽ ̄)。 出来上がっている画像データの日付や商品名を直して印刷するのは簡単なんですが、そういうものがない状態で考えて作るっつーのに必要なセンスがまるでないんです。 今日も何度も何度も対面の上司に向かって、 「泣いていいですか」 元隣の席の人に向かって、 「代わってやってくれない」 とぶちぶちぶちぶち。
今日は本当は旦那の病院に洗濯物をとりに行く日だったんだけど、その元気もなかったです。 思わず病院に電話してあまりにも疲れたので今日は行けないと旦那に話すようにお願いしました。
店の初売りが2〜4日なんですね。
σ( ̄▽ ̄)は福袋とかをつくったりするのではなく、その店内POPや値札やら整理券やらを朝からガンガンつくっていたんですね。 ほぼ半日つったってました。 カッターで切って、枚数数えて、データこしらえて印刷して。
なんか今日のσ( ̄▽ ̄)って仕事している人みたいでしたよ。
定刻すぎてからいつもの入力は、一日はたけ違いの仕事をしていたせいかやたらにはかどりました。指が動く動く〜。
なんか今日のσ( ̄▽ ̄)ってすごく仕事が出来る人みたいでしたよ( ^∀^)
毎年この時期は、楽しい嬉しい思い出がたくさんある。 旦那になるまえの旦那と、旦那の友達と三人で過ごしたイブもあった。 このとき私はぎっくり腰で旦那のアパートの階段が登れなかった。 旦那は私をアパートの部屋までお姫さま抱っこして連れて行ってくれた。 お子が生まれて退院してきた日がイブだった。 「最高のクリスマスプレゼントだ」 と目を細めた旦那。 サンタクロースってやっぱりいるんだよねと話をした。
冬休み クリスマス 年末年始
大晦日は旦那の家でごちそうになり、飲まない旦那運転で私の実家に行きまたガンガン飲んでお泊りが毎年の恒例だった。 「そんなに飲むなよ」 と呆れ顔の旦那を尻目に高いびきの私。 目覚めると朝から宴会の実家にむりやりつき合わされていた旦那。 「なんでおまえの家はみんな酒好きかな」 といわれながら帰宅していた。
すべてすべて楽しい嬉しい笑顔だけの思い出。
実家で正月を迎えないのは旦那が入院しているままだから。
そんなことを考えると人は「まゆぼうが可哀相だ」と言う。
それは少し違う。 私だけで楽しい正月を過ごすのは嫌なだけなんだ。むしろ楽しい正月が過ごせるはずがないし。 楽しい正月はやっぱりみんなで。 酒を浴びるほど飲んで寝ている私をムッとした顔して見ている旦那がすぐそばにいないし。 だけどそれをお子につき合わせるのもどうかと思うので、毎年お子には実家でお姫さま状態になってもらう。 めいっぱい甘えさせてもらう。 それがせいいっぱい。
楽しくて嬉しい思い出が次々に浮かぶとどうしても涙が出てくるので。 べそべそ泣いている母親の顔はあんまりお子にみせたいとも思わないから。
せめていまは一人で思い出し泣きしててもいいだろうと自分に言い聞かせたり。
大寝坊。 ここまで寝たのは久しぶりって感じの惰眠を親子してむさぼったあと、遅い朝食を済ませて、乾いた洗濯物の大量の山と格闘。 21日は忘年会だったので、実家父に応援要請していたのでそこそこ家のことをしていてくれたのだが、畳んでタンスに納めることはσ( ̄▽ ̄)がしたいんで、乾いたらとにかく部屋の隅に積んでいて欲しいって頼んでいた。 その山が2日分くらいと旦那の洗濯物もあったので、結構な高さと化していたのである。
前からタンスの引き出しが固くて重かった。 引越しが決まったらレールのついた引き出しのタンスに買い換えたいなあと言っていたら、烈火のごとく怒る実家父。
なにせ婚礼ダンスですから。 だけど、使うのはσ( ̄▽ ̄)ですから。
実家父はグラインダーを持ってきたから引き出しを磨くと言う。 だもんで、σ( ̄▽ ̄)は引き出しをかたっぱしから空にしてやるだけやってもらった。 そのうえでミシン油で磨いてくれた。 すると、あれだけ固くて重かった引き出しが、軽くなったと言えばちょっとおおげさなんだけどだいぶ楽に開け閉めできるようになった。 で、大喜びで引き出しに納めようと、して…
もうこのTシャツ何年着ただろう
このTシャツ全然着なくなって何年たつだろう
このTシャツ染みが気になって着てないんだったんだ
あとお子のGパンでつんつるてんになっているにもかかわらずお子は着心地がいいんだろう、置いていると必ずはいているの、とか。
そういうのをかたっぱしから袋に入れて、そのうえで、引き出しに納めていった。
あーら不思議。
タンスの引き出しがまるっきり1つが空になった。
午後からお子は狂言の稽古納めで終わったら実家父が迎えに行ってそのまま山形の実家に行くことになっていた。 実家父を見送って、まみゅ家に箱入りうどんをお裾分けしにいったらまみゅから、 「今日がクリスマスパーティで」 とごちそうとムース(画像二枚)と青菜の漬物のお裾分けをいただく。
美容室に行って久方ぶりに髪を切り、白髪をがっつり染めてもらって。
だいぶ遅くなったけど旦那の病院に行って、 「髪、切ったの。どう?似合う?」 とみせたら旦那はよくわかんないみたいな表情。
「この美しい妻の髪が変わったのがわかんないのかぃ?」 旦那は困ったような顔をしていた。 そういうのに目ざとい人だったのにと言ったら、旦那はようやく左の指で円を作ってみせた。
どんなに遅い時間になってもごちそうが待っているわけで… これも旦那に自慢して帰宅。
アパートの売買契約が終わりました。
行政書士やさんは旦那の親たち、買い手の不動産屋さん、すべての判子が押されたものをもってきたので、安心して判子を押しました。
第一段階終了です。
なんか安心しました。
対面の上司は昨日休みをとっていた。 今朝、見事なイメチェン。ロングヘアからショートボブである。
一年半ぶりに髪を切ったのだそうな。
まるで別人である…
で、経理の人が、 「髪を切ってきた人になんか、言う言葉あったよね?」 と言う。 「なんですかそれ?」 「なんだっけ、なんかあったんだよ…」 何だろう、何なんだろうと思っていたら、 「あ、『はつがんこ』だ!」
はつがんこ?
初めて聞く言葉だった。
朝、髪を切ってきた人に「はつがんこ!」と言って頭をたたくのだそうな。
「なんですかそれ?」 とたずねると、経理の人が、 「なんだかわかんないけど、『はつがんこ』って言って、みんなから髪を切ってきた人は頭をたたかれるの」 と答えた。
山形県置賜地方の習慣らしい。
おそるべし(゚Д゚;)
なんかだるいなあと思っていました。 そういえば10日から休みをとっていないのです。あたりまえですね。
というか、休んだのはお子の咳がひどくなった12日の午前と17日の日中の中抜けだけで。 なんかだるいわけですね。
売り出しがあったから仕事場にいたわけですが、いたらいたで結構嬉しいこともあるんです。 この日、リンゴのオブジェとお菓子を送ってくださった先生がご来店でした。 「まゆぼう@年詳さん(本名のフルネームっすよ^^;)、いらっしゃいますか?」 あきらかに地元の人ではない口調で店の人におっしゃった先生。 「年詳さんってまゆぼうって言うんですか?(苗字で呼ばれることが多いため名前がわりに知られていないまゆぼうです)」 なんて店の人がいうもんだから… 先生はなんだか不安になられたらしいです。 呼ばれていったら、まさか東京にいらっしゃる先生だったとは思わなかったのでもう、嬉しくって嬉しくって。 ご一緒に来店いただいたお嬢さま(このお嬢さまはまるでモデルのようにきれいな人でした)と、枕をお買い上げいただきました。
まさか先生にお会いできるとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです。
そして今日は、なぁさんが久しぶりに会社に来ました。 3348gという大きな赤ちゃんを産んだとはとても思えないほど元のほっそり体型にもどったなぁさん。 顔色もよくって仕事場のみなさん一様に、 「明日は忘年会だからw」 「出社はいまからでもいいんだよねw」 と口々にいってました。 それほど元気そうで、嬉しかったです。
2007年12月18日(火) |
平成8年12月18日13時50分から |
あっという間の11年。
私と旦那のもとに暖かい心を持ってやってきたお子。 きてくれてよかった。
今回も旦那が病院にいて、私がひとり買いに行ったバースデイケーキである。
まみゅから寄せ鍋と義経焼きのおすそわけをいただいたおかげで、ケーキとオムライスだけだったのにいっきなりのごちそうメニューに変身した食卓。
まみゅ 本当にありがとう。
2007年12月17日(月) |
「名探偵コナン」な夜 |
お子が無事に帰宅しました。 すこし咳が出ますがお医者さんからは「たいしたことがないです」のお墨付きをもらいました。
さて。 佐々木蔵之助さんに大爆笑し、香椎由宇さんの宮野志保のはまりぶりにたまげながら、来年4月の映画の予告編を見てわくわくしていたら、お子が、 「ママ、映画行くの?」 とボソッ。 「行くよ、もちろん。行きたくないの?」 「そういうわけじゃないけど」 「行こうよ〜行こうよ〜。行きたくないならひとりで行くしかないもん」 「うん、まあ、行くけどさ」
大人と子供が逆転した会話がなりたってしまうのが、我が家にとっての「名探偵コナン」なのであります。
さっき実家父から電話がきた。 お子、今度は熱が上がったり下がったりなんだって。
_| ̄|.............○コロコロ
学校を休ませている間に冬休みになりそうな悪寒。
夕べ年賀状とぽつぽつ届く年賀欠礼のハガキを整理した。 整理をしながらはたと気がついた。 幸か不幸かσ( ̄▽ ̄)は、いままで一度も年賀欠礼を出していないのである。
旦那のおばあちゃんが亡くなったときも同居していたわけではなかったのでつい出してしまったし。
もし身内に不幸があっても、年賀欠礼は出さないでいよう。 年賀状が来なかったらただでさえ喪に服すお正月、それはそれはさみしいことだと思うから。 いただいた年賀状に感謝しながら寒中見舞いを書きますよ。きっと。
お子発熱。
_| ̄|.......○コロコロ
耳鼻科にいってお薬もらって山形の実家に連れて行く。 お子は車の中でまあしゃべるしゃべる… ものすごい咳き込みのくせして。
実際この咳さえなかったら、学校に行けるんだろうなってくらいの元気さなんだけどな。 だけど咳がおさまるまではと、実家両親にお子を頼んできた。
昼近くに戻ってきて、市役所で旦那の国民健康保険やらなにやらの手続き。 結局出社できたのは午後二時過ぎだった。
明日から売り出しだし。 σ( ̄▽ ̄)の仕事もほどよく滞っているし。
お子が山形の実家にいったからってんでもないんだけど今週は23日まで仕事することになった。
2007年12月12日(水) |
続続 夕食がインスタントラーメンになった理由 |
しかし本当に我が家の夕食がインスタントラーメンになるって多いなあ…
・今朝寝過ごしたから旦那の病院に行けずじまいになり退社後に病院にいって洗濯物をとってきた。 ・ご飯を炊き忘れ、主食がなかった(おかずは妙に残っていたが)。
そして
・お子の咳き込み。 ・一昨日にうどんを食ったからうどん以外の麺もので時間がないから速攻で食えるやつ。
野菜とゆで卵と豆腐をいれて、いっきにかっこんで、薬を飲ませて栄養剤を飲ませて早めにふとんに寝かしつけた。 さて明日はどうなることやら。
2007年12月11日(火) |
授業参観は詩のお勉強 |
蝶 二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。(ジュール・ルナール)
こういうのをお勉強した後、子供たちの短い詩が延々無記名で書いてあるプリントを渡されて、子供たちが次々読んでいく。
一押しと思ったのが
電話 ひみつの数字でひみつの会話ができちゃうよ
へー、うまいなあと思った。
子供たちの無記名の詩の中で、
風船 風船はどうして空気がぬけるのかな 穴は空いていないのに
もしかしてお子が書いたのはこれかなあ、お子は風船大好きだからと思っていたら、授業の終わる間際に先生が、自分の詩を自分で読むようにといい、風船は確かにお子が書いていたのだった。
やっぱりなあと苦笑いした。
夕食後にぼけっとしてたら郵便やさん(いまはなんというのだろう?)がやってきた。 ダンボールひとつ中身ぜんぶリンゴ。
早速お礼の電話をいれたらお子にあきれられるほど長々としゃべってしまった(´▽`*) いや〜明日から食うぞ。リンゴ。
病院でようやく旦那の必要としていたものを渡してほんのちょっぴり遅刻になったσ( ̄▽ ̄)。 仕事はいつものとおり可もなく不可もなく揉め事もなく。
帰宅後、鍋で夕食。
いつものようにいつものとおり過ごした。
無事に1年過ごせたなあって思う。 本当にいろいろあったなあって思う。
いっぱいいい出会いがあっていっぱい助けてもらって励ましてもらって。 辛かったことも情けなかったこともすべてが帳消しになるくらいだった。 大事な大事な42歳がすぎた。 43歳まだまだこれから。 いい一年になるといいな。
2007年12月06日(木) |
「七つ子」CDロム事件 |
狂言の担当の職員さんからメールが来た。 「まゆお子さんに約束したCDロムできました」 お子は小舞「七つ子」の謡担当なのにさっぱり覚えられない〜と言ってこの職員さんにおねだりしたようである。
お昼休みにおじゃましますと返事して、お昼を食べたあとに車で伝国の杜http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/にいってありがたくいただく。
夕方の騒がしい時間帯の電話をとったら狂言の担当の職員さん。 「すいません…実はお渡ししたCDロム、何がはいっているのかわからないんです…」 後輩さんにCDロムを焼いておくように話してしばらくたって、自分の机の上にCDロムがあったからそれだと思ってσ( ̄▽ ̄)に渡したら、それはなんにも入っていない可能性の高いCDロムだったそうだ。 店のほうにわざわざ職員さんがまわってくれて、届けてくれたCDロム。
お子は風呂上りにまったりしながら聞いていた。 今度の土曜日の発表会のための小舞「七つ子」を。
遅刻覚悟で朝旦那の病院に行く。 いって棚のセットをして着替えやバスタオルをセットしなおしできた。
旦那はいまいる病院で前にリハビリ担当さんから作ってもらった「コーヒー」「トイレ」「おいしい」「暑い」「寒い」とかとにかくたくさん書いてもらったのをカードケースに入れてこれを指し示して使っていたやつを探せと指示する。 持って帰った覚えがないんだけど… だけどようやくわかった。 引き出しに入っていた二つの箱の中にあるという。 確かにそういえば箱二つ、荷物に入れた覚えがある。
帰宅してからちょっと探してみたらありました…
旦那って細かいところが病気する前と変わんないなあと思ったまゆぼうである。
2007年12月04日(火) |
日中の気ぜわしさがふっとんだ |
昨日の疲れを引きずったような状態+朝から雪だし。 それだけでどっと疲れが増してしまい、いつもの仕事は能率上がらない。しかも各店の店長が集まる会議があったから、セクハラ野郎(各店の店長の一人)の相手もしなくてはならなかった。 本当だったら今日、外出させてもらって日中旦那の病院にいって、もちこんだバスタオルや着替えを入れる棚をセットしてきたかった。 でもそんなことを言い出すきっかけすらないほどの気ぜわしさだった。
だけど…
お子をむかえにいったまみゅ家では、まみゅが…
まみゅお得意の塩味うどんと、おすそわけにとおっぱいぷりん・さつまいものケーキ・東京バナナを準備して待っていてくれた。
なんかね、極上のエステにいった気分で激美味を堪能した。
おなかの中から気持ち休憩したようだった。 嬉しかった。 Thanks ☆☆** v( ̄ー ̄)v**☆☆ Thanks
しかも今日は月曜日。 朝の読み聞かせボランティアの日だったんで、出発もバタバタ。 旦那が前にいた川西湖山病院はパジャマも着替えも一切持参だから夕べ、でっかい袋に先日引き上げてきた旦那の着替えをじゃんじゃん詰め込んだものと、いま入院している米沢市立病院に持ち込んだこまごましたもの、今日の旦那の着替え(米沢市立病院は患服とでもいうのだろうか、パジャマを貸してくれる)を車に詰め込んで、最後に読み聞かせで使う本をもって家を出た。
1年生だったのになんども当たってしまったクラスだったから20分で1冊の本にしたら何人かの子が…飽きちゃったのね(;´Д`) 次回は気をつけよう。
午前中一杯とはいえ定時は9時から18時の勤務の会社。 旦那が病院を出るのが13時15分で14時着の予定。 だから実質三時間経過後の12時ちょうどで退社。
病院に着いたとき12時20分くらいだったんだけどまだ旦那はまくまくとお食事中、看護士さんが食べるのを手伝ってる。 「すみません、お食事の準備が遅くなりまして」 と看護士さん。今日は退院で時間厳守だみたいな連絡をもらっていたってのににこれかよ、あーついてないなーと思ったまゆぼうである。 旦那がまくまくご飯を食べさせてもらっている間に、旦那の着替えをお願いして旦那の荷物を車に運ぶこと二往復。
病棟〜外来〜会計〜受付〜玄関〜駐車場がめっさ距離があるもんで今日、もしかして万歩計をつけてたらすごい数字をたたき出すんだろうなあと思いながらふーふー荷物を運ぶ。 13時すぎようやく介護タクシー到着で、無事に退院。 請求書は間に合わず後日郵送のようである。
川西湖山病院には14時ちょっと前に着いたのだが、σ( ̄▽ ̄)より先に出発したはずの介護タクシーがなかなか来ない。 旦那の荷物をあらかた運び込んでようやくの到着だった。 顔見知りの相談員さん、事務員さん、介護士さん、看護士さんばっかりで、旦那は少しほっとしたような顔立ちになっている。 今回旦那は医療保険のほうで入院するのだそうで、で、前に使っていた介護保険のほうも食事代の控除が受けられるので、医療保険のほうでもそれが可能なはずだから市役所で手続きするように言われた。
それから旦那が検査だったり、病室にはいってから相談員さんと話をしたり手続きの紙をもらったり、とにかく時間がかかってしまった。
お医者さんから話がありますのでもう少々お待ちくださいって言われたのはいいんだけど、外来があったとかですっごく待たされた。 で、また医療保険での入院のこと、けいれんを抑える薬を服用しながら様子を見ましょうと言われたのだが、そのあとで、 「テレビとビデオデッキを買って持って来て下さい」 って前後の何の脈絡もなくいきなり言われた。 いちおう、 「はい。わかりました」 と答えては見たものの、この病院、テレビは一日300円かかる。 テレビやビデオデッキ持参なら違うのか?って思ってまたあとで、同席していた相談員さんに聞いてみたら先生の言った主旨がちょっとわからなかったので確認しますとのことだった。
この相談員さん、今日から旦那は医療保険で入院することになったのだが、前回の入院のように介護保険に切り替えて入院を続けるっていうのが、今後は難しいかもしれないという。 病院の増築工事が終わってみないとわからないがこの病院はほとんど順番待ちの状態になっていて満床なのだそうだ。 エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?って気分だった。んじゃ旦那は今回、むりくり引き受けてもらったってことなのか?と思った。 医療保険での入院を続けるのが難しくなったときに、自宅ではなくなおもリハビリを受けさせるためには老人保健施設をあたるしかないが、この病院の隣の老人保健施設の申し込みもなさったらいかがでしょうか、と言われたんで、ついでといってはなんだけど、言ってみた。
渡り廊下でつながってるし。 夏祭りでさんざんおじゃましているところだし。 リハビリの回数がどうしても減ってしまうけれども、長期の入所はむずかしいけれど、とりあえずの希望である、 「車椅子からベッドへ ベッドから車椅子へ トイレから車椅子へ 車椅子からトイレへ」 これが一人でできるようになんとしてもなってもらいたいんだと話したらここの相談員さんも親身になって聞いてくれる。
川西湖山病院がいいか米沢市内の老人保健施設がいいかって両方見学したときに、米沢市内の老人保健施設は見学に来たっていってるのに、見学に着て下さいっていったくせに、 「いまは順番待ちですから優先順位もそのたびに変わりますし」 とさっくり言ったとこがあって、川西湖山病院もそうだけどこの老人保健施設もそんなことは微塵も言わないからなんか違うなあって思った。 米沢市内の老人保健施設は、若い人なんか受け入れても何年も居座るんだろう、入れ替えしなきゃいけないんだからさっていうのが言葉の端に漂っている感じだった。 だけど川西湖山病院もこの老人保健施設も対応があきらかに違うと思った。 とりあえず申し込み用紙を受け取った。
旦那の病室に戻ったら、さっきの相談員さんがテレビ云々のことの説明をしてくれた。 要するに、前回の入院のとき旦那はそれこそ夜中までロビーでテレビを見ていたりビデオを見ていたのだそうだ。 で、それがあまりにも目に付いたのでテレビをと先生が言ったのだそうだ。 最初、 「まゆ旦那さんがビデオを見ているんですが私たちにも好みがわからないのでご自宅からビデオテープ持ってきて欲しいんですが」 って声をかけてきたのは病棟の看護士さんである。 だからこっちも嬉々としてビデオテープを準備したのだ。 だけど他の患者さんの迷惑になり先生の癇に障るような、あまりにも度を過ぎた視聴があったんなら看護士さんなり介護士さんがまゆ旦那本人に注意すればいいじゃないか、むしろするべきじゃないか、言ってわからない相手ではないんだと主張して、そのうえで一日300円かかるテレビは本人がいくら望んでも借りませんと言った。
旦那には帰りに、 「夜中までテレビだのビデオだの見ていたんでしょ(ここで旦那小さくうなずく)他の患者さんにめったくそ迷惑かけていたんだよ。 ビデオテープはもう持ってこないから、昼間にロビーでテレビ見るのそれでもう我慢しなさいね」 と話したら旦那はちゃんとうなずいてくれた。
ほーら言えばわかるじゃんと思いながら安心して帰宅した。 帰宅後に昼飯抜きになったのを思い出して空腹感が飢餓感に変化した。
朝9時に学校の体育館へ。 親子ドッジボール大会。もんのすごく気合をいれてジャージをきるσ( ̄▽ ̄)にお子は冷ややかな目線。 各学年の親VS各学年の子供で1試合7分間。 だけど子どもの数にあわせようとすると親の数がどうしても少なくてほとんどの親出ずっぱり状態。 σ( ̄▽ ̄)も5年生・4年生・そして5年6年女子と3試合やって2勝1敗。 膝が大笑いするほどだった…_| ̄|.......○コロコロ
11時からお子は狂言の稽古で、送っていった後で買い物。 帰宅して洗濯。
お子とお昼を済ませてから少しだけ昼寝。
午後から旦那の病院にいってお子と三人でしばらくすごしてから、別の病院にばばちゃのお見舞いにいってみたところ、ばばちゃは退院していたようで、しかもどこの部屋だったかもわからず2階から4階までの各病棟を見回っても見つからなかった。 きっとばばちゃは、退院したんだろう。ちょっと安心してていいのかなと思う。
急に届いたのはりんごのオブジェにブタさんと奥にうさぎさんのぬいぐるみつきのお菓子の詰め合わせ。 お子の保育園のときの先生でいまは東京にお住まいの方である。 夕食後にお礼の電話をしたらついつい長々と話し込んでしまった。
2007年12月01日(土) |
頭の中ぐちゃんぐちゃんの結果 |
さて。
アパート売却の三分の一の金額で、リフォーム込で買える中古住宅の目星がついたのでどこをどう直したいかってことをいろいろ考えたらいい加減嫌になった。
・1階床部分できる限り段差をなくす
これが大前提なので、そのほかの希望を優先順位つけて箇条書きにしてメールくださいって行政書士やさんが言うんで、それをつれつれとかんがえていたらもう…
「そんなん引越しして住んでみないとわかんないじゃん」 っていうのも事実だろうし。
「引越しして生活を始めたらなかなか住んでいる家を直すってむずかしい」 これも事実だろう。
だけどなあ…
というわけで本屋でリフォームの本を立ち読みしたり図書館に行って見たり。
この中古住宅は真ん中に廊下、奥に台所と和室、階段があって階段の手前のほうに洋間・和室。廊下の反対側に風呂・洗面所兼脱衣所・トイレになっている。 階段部分が家全体を区切っているような感じ。 で、台所となりの和室側に階段の下が押入れになっている。
もしかしたら、できるかも。
台所と隣の和室の間の壁・階段の壁をとるだけとって、その真上の和室と洋間のうち和室を半分以上撤去し吹き抜けにしちゃうっての。
2階和室は実家両親が来たときの部屋にしようって最初は思っていたんだけど、実家両親が来たときしか使わない部屋になりそうな気もしてきたんだ。 お子がもう少し大きくなって2階洋間をひとりで使うことになったとき、台所兼居間にする部屋から階段がまるみえって、なんかいいかもって思ったし。
限りなく少ない予算だけど、ダメもとで思いついたことをじゃんじゃん書いてようやくメールした。 行政書士やさんからどういう返事が来るかすこし楽しみになってきた。
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