ムースの部屋 TOPへ

INDEXPastWill
Mi Pensamiento Diario

隣街へ行き過ぎ

今日は日曜日だっていうのに朝の10時から電話があったの。一体誰がこんなに早く電話するんだろうって思ったものの、ムー太郎もムースもベッドから出られず、電話を取ることが出来なかったんだ。で、また1時間後に電話。今度は留守電が入っていたんだけど、これを聞いてムー太郎はビックリ。今日はムー太郎が隣街に行かなきゃいけない日。いつもだったら前の日の晩に電話があって、一緒に行く人と待ち合わせをしてから行くんだけど、今回はなぜだか当日の朝に電話。きっと昨日電話をかけ忘れたんだと思うけど、それにしても出発30分前の電話はムー太郎にとってかなり厳しかったよう。慌てて身支度を整えて準備をしたものの、何せ一緒に行く人は気が早いので、11時半に出発するっていった割には11時15分には家にいないの。そんなことでムースがムー太郎を隣街まで送っていくことになったんだ。

先日タイヤを交換してからというもの、車の走りが何となく快適になったような感じがするの。それに今日は昼間に運転してするので、気分的に楽なんだ。ここ数日は夜になってから運転することが多かったから。それでも今週はすでに3回も隣街に行っているので、ちょっとご馳走様って感じ。今までどんなに多くても週に2回しか隣街に行ったことがなかったから。

隣街に着いてムー太郎を目的地で下ろしてから、ムースは電気屋さんへ寄ってDVDを物色してきたの。でも今日はピピッてきた映画はなかったので何も買わずに帰ってきちゃった。

家に帰って来てからは1人でまったりしちゃった。今日は朝が慌しかっただけに、ちょっと疲れちゃったかな。だからムー太郎が帰って来てからすぐに晩御飯を食べて、それからゆっくりをDVD鑑賞。今日は「Welcome to Mooseport」(邦題未定)という映画を見ていたの。今週はこれっていう映画を借りてきてなかっただけにこの映画もあまり期待していなかったんだけど、これが思ったよりも面白かったの。っていっても、常にお腹を抱えてしまうほど面白いって訳ではないけど。今日のようにまったりとしたい日には楽しく見れるって意味での面白さかな。

話はがらりと変わるんだけれども、先日日本語に対してちょっとした疑問を持ったの。それは自動詞と他動詞の違いのようなんだけど、ムースの中では今1つしっくりこない言葉について。誰かが死んだときに「亡くなる」とか「亡くなった」とか「亡くす」とかっていうと思うんだけど、この「亡くなる」って言葉の使い方がどうも気になって。例えば、「私は親をすでに亡くしているので、身寄りがありません」っていうのは聞いていて変じゃないんだけど、「私の親は亡くなっているので、私は身寄りがありません」っていうのはちょっと変に聞こえるの。どこが変に聞こえるかというと、「私の親は亡くなっている」という部分。日本語的には正しいようなんだけど、何か変に聞こえるの。掲示板等の書き込みを見ていても「私の祖父母は亡くなってしまっていて…」と書いてあることがしばしばあるんだけど、身内のことなのに他人事のように聞こえてしょうがないんだ。辞書によると「亡くなる」っていうのは死ぬってことの婉曲的表現だそうなので誰に対しても使えると思うんだけど…。きっと自分自身の身内に対して「亡くなる」って言葉を使うから変に聞こえるんだろうなぁ。きっと「亡くす」って言葉を使えば変に聞こえないのかも。

と、関係ない話だけど、こんなことを思ったの。ムースは日本語がおかしいとよくいわれるだけに、結構気にしているんだけど、気にすれば気にするほど変なところが気になって、重箱の隅をつつくようなことをしてしまっているのかもしれないなぁ。


2004年10月17日(日)




↑エンピツ投票ボタン
My追加 Mail BackTop