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Mi Pensamiento Diario

相談

一昨日あれだけ辛口の批評をしたのに、昨日の晩また「ブリジット・ジョーンズの日記」を見ちゃった。レニー・ゼルウィガーのイギリス訛りが下手といったものの、話自体は好きだから見ちゃうんだろうね。それと彼女が演じる不器用な女の人って上手だと思う。何だか褒めてるんだか、けなしてるんだかよくわからないよね。ムースなりに褒めてるつもりなんだけど。「ザ・エージェント」で彼女が演じてるのもどこか不器用な女の人なんだけど、これがまたいい感じ。あの映画もハッピーエンドだから好きなのかも。物語の流れとして、不器用な女性が紆余曲折を繰り返しながら最後に幸せになるっていうのが好きなのかもしれないなぁ。「プリティー・ウーマン」はその代表だと思うんだけど。昔の映画でいえば、オードリー・ヘップバーンの「麗しのサブリナ」(原題:Sabrina)なんかもちょっと不器用な女性の物語でハッピーエンドだったよね。って何だか家にあるビデオを全部紹介してるみたい。

今日ある日記を読んでいたときにふと思い出したことがあったの。それは瀬戸内寂聴さんが平成のよふけに出ていたときにいってたことだと思う。もしかしたら違う番組だったかも?ただムースの記憶では鶴瓶が寂聴さんに聞いてたって場面なの。そこで何を話していたかはあまりよく覚えてないんだけど、1つだけ覚えているのが寂聴さんがいってたこと。彼女のところに相談に来る人が多いのは知ってる人も多いと思う。そこで鶴瓶が寂聴さんに相談しに来た人にどんなことをアドバイスするのかって聞いたのかな。そのときに寂聴さんのいってたことなんだけど、「私はあぁーしなさい、こぅーしなさいってことは何もいいません。ただ、うん、うんってうなずいて話を聞いてあげてるだけです」って。これを聞いたとき、ムースは彼女はすごいって思っちゃった。ムースは聞き役っていう立場になることは皆無に近いくらいないんだけど、相談者の側になることはいつものことなので、そのときに何をいって欲しいかがよくわかるの。何かを悩んでるときって人に相談するけど、実は相談をした人にあぁーしなさい、こぅーしなさいってことをいわれたいって思ってるんじゃないんだよね。自分のやりたいことに自信をなくしちゃってるから、自信を取り戻したいだけ。悩んでるってことは考え方が悪循環してると思う。1度悪い方に考えちゃったらどんどんと悪い方に考えちゃう。しかも堂々巡りしてる。正直いってどうしていいかわからないから誰かに聞いてもらいたいんだけど、解決策を教えてもらいたい訳じゃないんだよね。解決策は自分が1番よく知ってるんだもん。もちろん、たまには別の視点で見たらこんな感じだよってことをいってもらいたいけど、だからといってそのようにしなさいっていわれると、それはそれでイヤなんだよね。そんなの自分勝手だよっていわれちゃうかもしれないけど、自分の胸につかえてるモヤモヤを吐き出したいだけ。吐き出しているうちに自分で気がつくときもあるから。もちろん、中にはどうしたらいいの?って聞く人だっていると思う。そういう人に対しては、私だったらこうやるけど…ってことをいってあげればいいと思う。ただあなたと私は違うってことを強調しておかないと、「あなたのいったようにやったのにうまくいかなかったじゃないの。どうしてくれるの?」ってことになりかねないから、気をつけなきゃいけないとは思うけど。
ムースは昔、自分と他の人を混同してしまって自分のいったようにやればうまくいくってことを強調しすぎてたの。これ本当によくないんだよね。聞いてる方は意見を押し付けられてるように感じちゃうから、自分を守ることで精一杯になっちゃう。きっとこういうときの会話って、でも…、でも…とか、…だけど…、…だけど…って感じで、逆説の言葉が増えてると思う。相談しながら一生懸命に自分を守ってるんじゃないのかな?あるときに自分で気がついたことがあったの。相談をすればするほど疲れているし、相談してるときに何でこんなに興奮してるんだろうって。相談してるってことは胸の中のモヤモヤを一生懸命吐き出してるんだけど、同時に一生懸命自分を守っていて、そのモヤモヤを溜め込んでいってたんだよね。だからどんどん自分がダメになっていっちゃって。こんな感じのときにある友達と会ったの。普段は一方通行なの?って思える人だったんだけど、実は悩んでいるときにこういう感じの人と話すのが1番リラックスできるって思ったんだ。もちろん会ったときは一方通行のように自分ばかりがしゃべってる。相手はうん、うんって聞いてるだけ。だけどそれが妙に居心地いいんだよね。もちろんそのときに居心地いいって思ったんじゃなくて、あとで落ち着いたときに、ふとそのときのことを振り返ったら居心地よかったなぁって思っただけなんだけど。きっと自分の話を聞いてもらいたかったんだよね。普段から、違うとか、そうじゃないとか否定ばかりされ続けてると自信が揺らいじゃう。自分はこれでいいのかなって。これが悩みの根本じゃないかな?自分の思いと他人の思いの相違にどうしていいかわからない。自分自身が培ってきた考えが否定されて自信が揺らいじゃってる状態。そんなとき、さらに自分を否定され続けちゃえばどんどん落ち込んでいっちゃうよね。でも、それでいいんだよっていってもらえれば自信を取り戻していく。ムースがいつもいう褒めてあげるっていうのは、それでいいよっていってあげることなんだけど。大人になると誰も褒めてくれないじゃない。だから悩みを持ったとき胸につかえたままになっちゃう。こんなときは黙って話を聞いてくれる人を探してるんだよね。ただ黙って、うん、うんっていってくれる人を。自分を肯定してくれる人を。だから寂聴さんが鶴瓶にいったことを聞いたとき、ムースは目からうろこが落ちたような気分になったんだ。自分の思いは正しかったなぁって。
子供がお父さんやお母さんに一生懸命話すのって自分を褒めてもらいたい気持ちがあるんだよね。子供だけじゃないけど叱られるのはイヤだもんね。だから一生懸命いいことだけ話す。大人も実は一緒じゃないかな?誰だって怒られたくないし、褒められたい。でも世の中にはいろいろな考え方の人がいるし、どれが正しくて、どれが間違えかってことがとっても曖昧。そんなときに自信を失うようなことがあると、それが悩みとなって胸につかえちゃう。そんなときは歳がいくつであれ、子供と変わらなくなっちゃうんだよね。だから話を聞いてあげる。そして何がしたいかを聞いてあげる。こういうことなのかなって思ったんだ。

今日は頭が酸欠でちょっと痛いから変なことを書いてるかも?っていうかムースはついに冬に向けて始動しました。今日の夕方ちょっとだけ走ったんだけど、去年の今頃だったら余裕で走れたところが、途中で肺が痛くなって、頭が酸欠で痛くなって、さらに足が上がらなくって全然走れなかったの。多分お酒の飲みすぎとここ最近太ったせいだと思うんだけど。たった半年何にもしなかっただけどここまで体がボロボロになっちゃったのかと思うと老化は恐いって思う。でも2年前に減量を開始したときはもっとひどかったので走れただけまだマシかなって思ってるけど。2年前は100m走ったら死んじゃいそうになってたから。今日死んじゃいそうだったのとは雲泥の差。今日の方が何倍もマシだもん。あと2ヶ月でシーズン。一昨日コーチに会ったばかりだし。ちゃんと体を作れるのかな?とにかく持久力だけは必要だから、これだけはどうにかしないと。肉の塊にはなりたくないから、体重は現状維持で体を作っていこう。昔は10月にいきなりシーズンに入っても平気だったのに…。ここ3、4年は年を追うごとにひどくなってるねぇ。っていっても2年前から体を作るようにしてるから練習についていけるけど。あぁ〜あ、明後日は筋肉痛だろうなぁ。明日、筋肉痛にならないところが悲しい。


2002年08月24日(土)




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