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Mi Pensamiento Diario

時の流れ

決して止まることない時の流れ。今、この瞬間に思ったことは、次の瞬間には過去のものとなってしまう。今のこの瞬間を大切にしなければ、私の思いや考えは常に過去のものとなり、決して今の思いとはならない。一瞬、一瞬を大切に生き、後悔をしないようにしなければ、後ろを向く時が多くなるだろう。後ろを向きながら時の流れと共に歩もうとすれば、それはとても不安定なものとなるだろう。その不安定さは私に不安と恐怖を与えることだろう。その不安と恐怖にさいなまれれば、私の足はすくみ、立ち止まってしまう。そのことは否めない。そして立ち止まった所にある過去にすがりつくことであろう。なぜなら過去というものは美化されるから。その美しい過去にすがって生きてしまう。しかしこれでは時と私の間に溝が出来、その溝はこの瞬間にも広がっていってることだろう。たとえ時の流れと同じ速度で進めないとしても、やはり前を向いていかなければ、いつの日にか過去の遺物となり人々の記憶の中から消え去ってしまうだろう。
しかし、前に向かったところで、私に何ができるのであろうと自分に問いかけることがある。何かをやらなければいけないと思いながらも何をしていいかわからない時もある。そして何かをやる限りは失敗はしたくないと思う。しかし、人生において成功や失敗といったものはすべて相対的なもの。絶対的なものは存在しない。何が成功で何が失敗かは常に相対的なもの。時や空間ですら今では相対的なもの。絶対空間もなければ絶対時間も存在しない。時空という相対的な時間の中で生きる私。そして相対的な判断で失敗か成功かを決めてしまう。心の中では人と比較することはいけないと叫んでいるのに…。常に私の持っているものさしの尺度ですべてのものを計ってしまう。そして相対的な判断で幸せか不幸せかを決める。
前に向かって歩かなければといいつつ、後ろばかりを向き、人と比較することはよくないと思いながら、相対的に見ていいか悪いかを判断する。他人との比較なしには相対的な判断っていうものはない。もしこの世に絶対というものが存在しているのであれば相対という概念は必要ない。絶対的な判断に委ねればいいのであるから。
矛盾だらけの私の心。心の中では葛藤だらけ。こう考えている間にも時は過ぎていく。そして時の重みを感じる。
今日1日何をしたのだろうと思う。ムダに過ごしていなかったかなと思う。朱子の言葉を思い出す。

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚地塘春草夢
階前梧葉已秋声

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰(こういん)軽んずべからず
未だ覚めず池塘(ちとう)春草の夢
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

月日のたつのは早く、自分はまだ若いと思っていても、すぐに老人になってしまう。それに反し、学問の研究はなかなか成し遂げ難い。だから、寸刻を惜しんで勉強しなければならない。池の土手の若草が夢心地から覚めきらないうちに、早くも夏は過ぎ、階段前の青桐にはもう秋風がおとずれるようなものである。

過ぎ行く時の流れ。一瞬、一瞬を大切に生きていこう。そう思う今日だった。

今日は何にも書けません。一昨日のあの異常なくらいの調子よさはどこへ行ってしまったんでしょう。一瞬の夢だったのかな…。


2002年05月18日(土)




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