頼るってことと依存するってこと、同じ意味のようだけどムースの中ではちょっと違うんだ。例えば、勘に頼るっていう場合の頼るは辞書によると依存するってことと同義語のようなの。ムースは国語学者じゃないから、それがそうといわれればそうですかとしかいえないんだけど…。でも、ムースがここでいいたい頼るってことと依存するってことが違うっていうのは、人との関係で頼るってことと依存するってことの話。 子供の頃、親に「人に頼るのはやめなさい」とか「人に頼ってばかりいないで自分でやりなさい」とかいわれたことはないだろうか?ムースはものぐさな人なので、自分自身が興味を持たないものに関しては見向きもしないような感じだったんだ。でも、学校へいってるとどうしてもやらなければいけないものってあるよね。例えば、読書感想文。何度かこのことに触れてるけど、ムースは本当に本を読むってことが大嫌いだったんだ。さらにそのことについて何かを書きなさいっていうのはもっと苦手。旅行記は子供の頃からなぜかすらすらと書けたんだけど、その他の題材については本当に苦手だったの。だから読書感想文っていうのものは実は自分で書いたことがないんだ。どうしてたかというと、母が本のあとがきを読んで、本の内容を推測してムースに伝えるっていう感じだったの。もちろん、ムースは1文字も読んでないから何が書いてあるかわかんないから母だけが頼みの綱だった。 こんなことを何度か繰り返しているうちに自然と自分でやるってことをしなくなっちゃうんだよね。読書感想文っていうのは母の宿題って感じだった。だからだと思うんだけど、「人に頼ってばかりいないで自分でやりなさい」って怒られることもことも多かったんだ。その時のムースは、もう自分で考えるってことはしなくなっちゃったんだよね。いつの間にか母に依存してたの。最初は自分でやる力も持ってたのかもしれないけど、心地よい温室に長い間何も考えることなくいたら、いつの間にか自分では何1つできなくなってたし、自分で考えるってことを停止しちゃってたんだよね。その結果、国語のテストをやってもどうしてもいい点が取れなかったんだ。学校のテストじゃなくって模擬試験ね。でも、今思えば当たり前なんだよね。だって文章を読んだり、書いたりして、理解しようっていう練習を何もしてないんだから、テストをやったってできるわけないもんね。心地よい温室にいたと思ってたんだけど、徐々に温度が上がっていってて、知らず知らずのうちに自分が茹で上がっちゃってたんだよね。よくかえるを使ってこの話を例えると思うんだ。かえるはお湯の中には熱いってわかってるから飛び込まないけど、水の中に飛び込んでからその水を徐々に温めると、お湯になっても気がつかないでお湯から出てこないって。ムースもそんな状態だったのかな?もう茹で上がって、骨抜きになってたのかもしれないね。 人って不思議なもので、最初は心地よいって思ってたものも、その状態でしばらくいると、それが普通になって心地いい状態じゃなくなっていくんだよね。だからもっと心地よくしたいって思う。依存してる人だと、もっと心地よくしてっていうのかな。ムースもそんな感じだったのかな。で、心地よくならないってことは自分の欲求が満たされないから怒るよね。もちろん、怒られた方だってたまんないと思うんだ。一生懸命、その人のためにいろいろとやってあげてるのに、怒られるんだから。そんなときはそこから1歩でも外に出て見ると、今まで自分のいたところがどれだけいいところだったかわかるんだけど、何もわざわざ苦しい思いをしたくないから外にはでないよね。だからいつの間にか茹で上がってしまって、どうしようもない状態になっちゃうんじゃないかな。 つい2日前に書いた、ある掲示板を存続させようと思ってみんなが力を合わせたって話しだけど、あれって1人で全部やったわけじゃないよね。最初に呼びかけた人は1人だったかもしれないけど、他の人に頼らなければいけないところってたくさんあったと思う。そのときに、「子供の頃、人に頼るなって教えられたから自分1人でやります」な〜んていってたら上手くはいかなかったと思うの。人は万能じゃないし、必ず得手・不得手っていうものがあるからどこか頼らなければいけないと思うんだ。そういう時はどんどん頼っていいと思う。だって自分の考えを進めるために、不得手な部分を他の人に任せてるだけだもん。 ここが依存と頼るってことの大きな違いだと思うの。ムースのいう依存するっていうのは自分で考えることをやめてしまって、相手にすべてをやらせて、温室にいるにも関わらず、自分の思うようにならないから文句ばかりいっている状態。でも、人に頼るっていうのは決して自分で考えることはやめてないことだと思うんだ。それに自分でできる部分はやっていると思うんだ。自分でものごとを考えて、できるところは自分でやって、不得手な部分を他の人に任せているだけだと思うの。人に依存することはよくないけど、頼ることはしてもいいと思うんだ。親に「人に頼ってはいけません」って育てられたから誰にも頼らず1人で全部やるとはいわずに、どんどん頼ってもいいと思うの。でも、そこで自分で出来ることは自分でやって欲しいんだ。考えるってことはやめないで欲しいんだ。だって自分でできることをやめてしまったら、考えることをやめてしまったということはそれは依存してること以外の何ものでもないから。
この週末が明けたらすぐに試験だっていうのに、今日は30分くらい数学の勉強をやったら飽きてお昼ねしちゃった。でね、起きてから何をしたかというと、トップページにあるムースへのメールフォームがもうちょっとよくならないかなぁって考えてたの。でね、ネットの中をフラフラしてたら、な、な、なんとムースが使ってるメールフォームのプログラムがあったの。ちゃんというとCGIのスクリプトがあったんだ。でね、思わず解析しちゃった。どうやったらいいんだろうって感じで。これってPerlっていう言語で書かれてるんだけど、ムースはPerlがわからないからちょっと一苦労。でも、大体何をやってるんだか見当はつくんだ。いろいろとプログラムを見ながら考えたんだけど、今のままでいいやぁーって。もしムースがCGIを書けるようになったらちょっと変更するかもしれないけど。 もう試験前なのに一体何やってるんだろう…。最近は日記も短くなって来ちゃったし…。 |