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Mi Pensamiento Diario

ルネッサンスの人

ついに数値解析の中間試験が返ってきたよぉー。予想通り、赤点もいいところ。かなりヤバイね。だから今日の授業が終わったあと先生のところへ寄ったんだけど、会議中でお話することが出来なかったの。残念だなぁ〜。もし、このままやってても単位が取れなそうなら、とっととこの授業をブッチして、残りの授業を一生懸命やるしかないしねぇ。っていっても、他の授業は全部コンピュータの授業だから、数値解析ほど悩まないんだけど。やっぱり久しぶりの数学はきついねぇ。でも、数値解析は必須だし、今ブッチしてもいつの日にかはもう1度取らなきゃいけないし。困っちゃたぁ。

今日もねぇ、発音矯正のクラスがあったの。本当は月曜日だけなんだけど、でもちょっと間が開いてたから、今日もやったんだぁ。相変わらずひどい発音だぁー。たくさん直されちゃった。大体、「learn」って単語が上手く発音できないんだから困ったものだよねぇ。今日だけで5回は直されちゃった。何度いわれても直らないの。やっぱり学習って言葉を知らないんだろうか?1度いわれたら理解してもいいものなんだけどねぇ。どうもねぇ、身についてしまった発音っていうのはすぐに直らないみたいなんだよねぇ。それを思うと工藤夕貴はすごいなぁ。彼女も映画に出る時に発音の矯正をしたんだよね。ムースは見てないんだけど、「ヒマラヤ杉に降る雪」って映画。この映画を撮影してる時だか、撮影に入る前だかはわからないんだけど、TVに工藤夕貴が出てて、英語の発音を直されてるっていうのを見たんだ。その頃は実際にどんなことをやるかわからなかったんだけど、漠然とムースにも必要だなぁって思ったの。だって発音が悪いなぁって思ってたから。何度かいえば通じていたんだけど、やっぱり1度いっただけで通じたらいいなぁって思うじゃない。だからその番組を見てるときにいいなぁーって思ってたの。そしたら、この学校には発音を直してくれるクラスがあるって聞いたもんだから、他の先生へなんだけど、すぐに「発音を直したぁ〜い」っていったの。そうしたら専門の先生を紹介してもらっちゃった。いい感じでしょ?思うんだけど、日本人にとったらLとかRとかの発音って難しいし、英語って母音がたくさんあるから、同じ「あ」でも微妙に違うしねぇ。直してもらわなかったらいつまで経って通じない英語の発音しか出来ないしねぇ。それとよく直されるのが強勢を置く位置かな。何せ強勢を置くところがムチャクチャだから。だから全然通じなかったのかもねぇ。こりゃこりゃ大変だわ。

そのクラスで、今日もグウィネス・パルトローの話をしちゃった。ムース的には彼女のイギリス訛りの英語ってすごいって思うんだよねぇ。「恋に落ちたシェークスピア」は見てないからわかんないんだけど、「スライディング・ドア」での彼女のイギリス英語はすごかったんだぁ。だからねぇ、今日、先生にグウィネス・パルトローの「スライディング・ドア」を見てくださいっていっちゃった。でね、どうして彼女はあんなにイギリス訛りの発音が出来るんだろうねぇとか話してたんだぁ。だって、日本語でもそうだけど、よっぽど気をつけない限りは、発音ってその人特有のくせが出てきちゃうじゃない。TVのニュースを見てたって、たまに東京の発音と違う発音、っていうかイントネーションを使っちゃう人いるよねぇ。ってことは、プロでも発音を矯正するのっていうのは難しいと思うんだぁ。アメリカ映画の批評を見てると、彼女のアクセントは変だから雰囲気が出ないとかって書いている人もいるもんねぇ。それだけ難しいんだよねぇ。でね、グウィネス・パルトローの話の後にキャサリン・ゼタ・ジョーンズの話をしたのね。彼女はグウィネス・パルトローの逆で、イギリス、正確にはウェールズで生まれて、アメリカに渡ったからムチャクチャイギリスっぽい発音をしててもおかしくないけど、アメリカっぽい発音してるもんねぇ。「エントラップメント」の時はショーン・コネリーとの競演だったせいか、ちょーアメリカって感じはしなかったけどねぇ…。先生曰く、みんな発音を直してるんだよって。有名な女優さんとかはお金もあるからいい先生に教えてもらってるんだろうねぇ。だからくせのない英語を話すようになるみたい。ムースもそういう風になれればいいなぁって思うけど、何年必要なのかなぁ?って思っちゃう。しかもムースの場合は単語も覚えなきゃいけないし、文法も直さなきゃいけないし。あぁー、やることがたくさん。子供の頃から外人の先生に英語を習ってれば、きっと発音が上手になったんだろなぁ。ふとそんなことを思っちゃった。 といってるものの、小学3年生の夏に外人の先生が教えてくれる英会話のクラスを取ってたことあるんだぁ。今でも覚えてるのはガールの発音が習ってたのとは全然違うってことくらいかな?考えてみれば昔っから英語には触れてたんだよねぇ。だって一番初めに英語を習ったのって幼稚園の時だったし、小学校2年生の途中から3年生の終わりまで、英会話に行ってたんだもん。我ながらすごいなぁーって思う。それなのに何で英語の偏差値が30台だったんだろう?うぅ〜ん、いかに中学高校時代に勉強してなかったかがわかるなぁ…。きっとあの詰め込み式の授業がムースには合わないから、拒絶反応を起こしてたんだろうなぁ。納得できる言い訳だぁ。

発音矯正のクラスで何をしてるかっていうと、実は普通の英会話なんだ。ただ話の途中でも、変な発音をするとそこで話が止まっちゃって、その発音を直されるんだけど…。でね、今日はいきなり石の話になったの。っていうのは何の石だかわからないけど、机の上に石が置いてあって、それについての話が始まったんだ。日本ってこういう石ってあるの?って感じで。ムースは石についてなんて何にも知らないから、さぁ?って感じだった。だけどこの間、とあるHPで鹿沼土に関することをたまたま読んだのね。だからそれについて話そうかな?って思ったところで、石炭とかダイヤとか金とかってあるの?って聞かれたの。ムース、地理が好きだからどこで石炭がとれるとか知ってたのね。北と南だと石炭が取れるけど、本州じゃムリかな?って答えたんだ。そうしたらなぜかそのまま話が逸れて、日本って断層があるよねぇ?って話になったのね。だから日本にはプレートとプレートがぶつかってるところがあるんだよ…みたいなことをいったのね。何でこんなことを知ってたかっていうと、火山に関するHPに書いてあったのをたまたま覚えてたの。正確には火山に関するHPじゃなくってプレートテクトニクスなんだけどね。とにかく、それを説明できちゃったもんだから、先生もちょっとビックリしてたんだ。だから「ムースねぇ、火山にちょっと興味あるからぁ」っていったら、「ルネッサンスの人みたい」っていわれちゃったの。ルネッサンスっていろいろな分野のことを知ってる人っていたじゃない。例えばレオナルド・ダ・ビンチって芸術家のようだけど、実は数学とか物理とかにも詳しいんだよねぇ。何かねぇ、そんな感じなんだって。この間は自分のことを何も専門のない中途半端な人っていったけど、こういういわれ方をすると気分いいよねぇ。ちょっとだけ賢くなった気分がするしねぇ。だから今日は気分がいいの。でね、常に新しいものに興味があるみたいともいわれたんだ。でも、それはちょっと違うんじゃないかなぁとも思うんだけど…。ただ、ムースの知らない分野のものに興味を持つことは多いかな?それを新しいもの好きっていうんだよっていわれるとそうかもしれないねぇ。だっておもしろいんだもん。ニュースとか見てると専門家が出てきていろんなことを説明してくれるじゃない。やさしい言葉を使ってわかりやすく。だから興味を持つのかもしれないんだ。だってムースにも理解できるから。へぇーって思うこともあるし、うんうんってうなずくことも出来るしねぇ。知るって楽しいことに思えるの。でも、それが学校で習うとなぜかつまんなくなっちゃうんだよねぇ。やっぱり詰め込まれるから拒絶反応を起こしてるんだろなぁ。

今、ムースが英語のこといろいろと書いてるじゃない。英語を話せるようになりたいって思ってるから勉強をしてるんだけど、これって誰にも強制されてないし、やめたかったらいつでもやめれるのね。それがムースにとっていいのかもしれないの。だからいつもリラックスして出来るのかもしれないんだぁ。上にも書いたけど、中学高校時代って本当に勉強しなかったのね。何でかっていうと、受験のためっていう名のもとに詰め込まれてたからすぐに拒絶反応が出ちゃったと思うの。それとねぇ、ムースはただひたすら覚えるっていうのがすっごく苦手なのね。例えば英単語もそうなんだけど、出る単とかでただひたすら覚えるって出来なかったの。でもねぇ、最近のことなんだけど、出る単を見たら知ってる単語がたくさんあったからビックリしちゃった。知らず知らずのうちに覚えてたみたい。きっとどこかで同じ単語を何度も聞いてたから覚えたんだと思うけど、こういう方法じゃないと頭に入っていってくれないんだぁ。賢くないねぇっていわれちゃうと身も蓋もないんだけど…。でも、これが本当のゆとりの教育のような気がするんだけど、どうなんだろう?だって心にゆとりを持ちながらいろいろなこと覚えるし、興味を失わないし…。興味を持つってことが勉強するのに一番必要なことじゃないかな?って思うんだけどね。

よくねぇ、自分のやりたいことがわからないとか見つからないって聞くんだぁ。ムースもねぇ、昔は全然わからなかった。今はあれやりたい、これやりたいってあるけど、実はこれって最近思ったことなんだ。いつも、いつも、自分のやりたいこと探してたの。でね、自分でやりたいものが見つかってから、他の人を見たときに何で見つからないかわかるような気がしたの。例えば高校生の場合だと、中学時代も高校に入ってからもずーっとこれやりないってことだけいわれてきて、それをやるのに一生懸命になっていて、他の事なんてゆっくりと考えることなんて出来ないのに、ある日先生から「文系か理系か決めなさい」っていわれたって困っちゃうよねぇ。何かに興味を持つことなんてできなかったし、仮に何かに興味を持ったとしても先生がそれを後押ししてくれないでしょ?好きこそ物の上手なれっていうけど、中学高校時代にはある程度ひっぱってもらいたいよねぇ。上手になるために。興味を持ち続ける方向に持ってって欲しいよねぇ。でもいつもいわれるのは、それが大学受験に関係あるかないかだけ。まるで受験以外のことを考えちゃいけないみたいにいうよねぇ。それなのに「行きたい学部を決めろ」だなんて厳しいこというし…。だから「とりあえず」って感じで文系・理系を決めて、とりあえずっていって大学へ行くから、就職の時も同じ壁にぶつかっちゃう。またそこで悩むけど、時間だけは過ぎていって、またまた「とりあえず」どっかに就職して…。でも、あるときに自分が本当にやりたいものってなんだろうって思うとわかんないとか見つからないとか。当たり前じゃないかな。みんながみんなこうだとは思わないけど、こういう感じの人は多いと思う。だからムースも悩んだことたくさんあるし、時間もムダにしたし。教育制度が悪いとかそういうことがいいたいんじゃないんだ。興味を持ったことに対して後押ししてくれるような先生がもっとたくさんいたらいいなぁって思うの。ゆとりの教育っていって教科の時間数を減らせばいいと思ってるみたいだけど、本当に必要なのはみんなが興味を持ち続けていけるような環境が必要じゃないのかな。そうしたら子供達だって夢を持ち続けられるんだと思う。

昨日は短い日記だったから、今日はいつも通り長々と書いちゃった。ってもうちょっと頭が回ってればもっと簡潔に書けるのかもしれないけど…。書き始めは元気なんだけど、ここら辺になると眠くてたまらないの。ほんの数分で読めるんだけど、書く時はちょっと時間が必要だからねぇ。


2002年03月22日(金)




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