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■ 伊香保へ行って参りました
私の誘いは断ったのに、あの人の誘いには乗るのねっ!
……みたいなことが、間隔を置いて二度ほどあって、正直ちょっと凹む。 ま、私の人徳なんてそんなもんだよなとか、ネットの中でみんなが私に優しいのは、単に腫れ物に触る気分で接してるだけなのかなとか、考え出すとどんどん自分の世界が「リアル世界の家族」の中に閉じこもっていくような気がして余計凹む。
元々、他人に「自分の世界」を侵されることをとてつもなく不快に感じるくせに、自分が好意を持っている人間が、自分と距離を置いているな、と感じると凄く不安になる、なんていう矛盾した世界を私は内包していて、もっと平易に言うならば「私の家には入ってくるな、お前の家には入らせろ」みたいな無茶苦茶な感情を持っているわけで、多分私はそんな我が儘な感情を隠す術すら知らずに他人と接していると思うので――自覚出来ていないので推測するしかないのだけれど――私と接する他人が私に上辺だけ優しくしながら実はもの凄く底の浅い交流しかしようとしたがらないのも当たり前といえば当たり前で、それを何となく感じながらどうすればいいのか途方に暮れるしかない自分が歯がゆい。
かと言って、多分「こうすればいい」と誰かに言われても、私はいまの私を無理矢理なにか他のカタチに合わせることは極端に嫌う筈で、だから多分、私はこのまま死ぬまで底の浅い付き合いしか出来ないままなのだろうと思う。
そんな中、唯一、なりふり構わず泣いたり怒ったり我が儘を(自覚して)言ったりするような「弱み」を見せられるのが血の繋がった「家族」だった。 何しろ「家族」は全員、私が今の私として形成されるまでの30年間をそばでずっと見てきているのだから、今更取り繕う必要もなく――例えばこの日記だってこうして一見すると弱みを書いているようだけれども、これだって言葉を選んで自分が悪く思われないように気を遣いながら取り繕って書いているので弱みを見せているわけではないのだ――だから安心して私も感情を発露させられるわけだけれども、その「家族」の中にある日突然「他人」が割り込んできた。
それが今現在の私の義弟になるわけだけれども、正直言って「彼」を「家族」として見ているかどうかと問われれば、否、と答えるしかない。 幸い母が社交的で「彼」に対してもかなり親しげに話すので「家族」の中にいる「私」は「彼」と「家族的」な付き合いは出来ているけれども、それだって、「家族」としてそこにいる「彼」と直接言葉を交わす時には未だにどこか構えてしまうし、ましてや例えば二人きりになるシーンがあったとしても多分会話はないだろうと思う。 理性では、彼は「家族」の伴侶だとわかっているし、もちろん、そのことに嫉妬するほど愚かではないつもりではある。だから「彼」に対して悪印象を持っているわけではない。
だけれども、「彼」が「家族」の中に入り込んできた数年前から今まで、保年を言えばかなり苦痛だった。 妹が「家族」の領域から別の地へと嫁いでいき、離ればなれになったことは寂しかったけれども、これが同居という形にならなくて本当に良かったと思う。 それほど、私の中での「家族」は1974年2月に私が生を受けてから今までの30年間に培われた、ある意味「聖域」であり、私自身そのものであり、誰にも侵されたくない領域なのである。
だからこそ私は今、怯えている。 いつか訪れるであろう、この領域が崩壊する日を。 私自身に何か災いが起こらない限り「家族」を形成する上で最も大切な「両親」は私より先に他界するわけだし、それより前に私には義妹が出来るだろう。そして義妹はよほどのことがない限り同居の形をとる筈だ。
世のホームドラマのように義妹をいじめて楽しむ小姑のような悪趣味は持ち合わせていないが、自分の聖域が侵されたら、私の聖域は「家族」という領域から「自分」という領域へと狭まってしまう気がしてならない。 両親はそういうことに関してはあまり頓着がない方なので、今の「家族」に嫁が来てもあまり気にしないで受け入れるのだろう。 けれど、私は多分、上辺では「彼女」を受け入れながらも、内心では激しく拒絶するのだ。
そして、その恐怖が私を死の願望へと誘う。 私の世界が崩壊する前に。私の聖域が侵される前に。 その前に死ねたらどんなにか幸せだろうかと。
あともう何年かしたら訪れるであろうその時に怯えながら、私は今を生きている。
2004年10月12日(火)
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