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■ 凹んでます。
あー、正確に言うと、動揺しているというか戸惑っているというか。 初めからその「臭い」は感じていたのに今までずるずると自分を誤魔化してきたツケがこれか、と思っています。 直感は信じるべきだと痛感した一日。 縁が一つ切れた一日でもあります。 この年齢になっても、色々叱責されることも諭されることもあります。 今は夏休みですが、しょっちゅう上司に諭されてます。 この上司が、結構いい加減で(笑) 自分の感情のままに部下を叱責したりして、叱責の激しさは感情に左右されるんですが、内容は正しいんですよね。 だから、叱責された後、ものすごく凹むことはあっても次に繋がるわけです。 今までいくつかの仕事先で上司を持ち、叱責を受けましたが、今の会社の上司は元派遣会社だったせいもあってか、部下を扱うのが上手です。 誤りは誤りだときちんと訂正・叱責してくれます。 しっかり、その理由も説明してくれます。 だから納得できるのです。 だから議論が出来るのです。 相手が聞く耳を持っていると思うからこそ、こちらも真剣になれます。 最初は結構聞く耳を持ってくれないというか言っていることを理解してくれなくて、そのおかげで「自分が言いたいこと」の訓練も兼ねてるわけですが(笑) お互いに尊重しあえる議論は好きです。 例え他の部分で反目しても、いいと思った部分は素直に採り入れよりよい関係を築いていける、そんな人間関係に恵まれた私は今、幸せだと思います。
……すべてを否定され、親にも、友人にも、教師にも、姉弟にも、全ての人間に否定されていた頃に比べたら。 私は否定を知っています。だからこそ否定をしたくありません。 孤独を知っています。だからこそ社会人として、引くべき所と、決して譲ってはならないところを知っています。
私がすべてを否定されていた頃を知らない、今の上司は、それでも私を受け入れてくれます。 だからきっと、必要なのは「現在」の相手をどれだけ思いやり、相手の立場にどれだけ立てるかと言うことなのだと思います。 私の至らないところも、すべて思いやり、受け入れ、けれど間違ったことをしようとするときちんと叱責してくれる上司を持った私はとても幸せな社会人だと思います。 少なくとも、間違った社会生活は送っていません。
以前、働いていた勤務先で、私は私の意見を言えませんでした。 言っても受け入れて貰えませんでした。返ってくるのは相手に有利な解釈をした一方通行の要求だけ。 それでも、3年は働いたかな。結局、その上司の傲慢さにあきれ果て、私はその勤務先を見限ったんですが。 果たして、そこは数年で潰れました。あまりのあっけなさに失笑した覚えがあります。 相手を尊重することの出来ない人間に「コミュニケート」を語る資格はない。 そして、コミュニケートが出来ない人間に部下を扱う資質はない。 そんなことを感じた事件でした。
私は、押しつけられるだけの意見がどれだけ理不尽か、どれだけ不毛か身に染みるので。 相手の意見を尊重しつつ、自分の意見も主張していけるよう、まともな議論が出来るよう、これからも仕事を頑張っていきたいと思います。 とかいうことを夏休みにふと考えてしまいました。 ……ま、きっかけはなんであれ、ね。 夏休み恒例戦争特集とかもやってるしなー。
2004年08月13日(金)
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