冒険記録日誌
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2014年11月30日(日) 魔法使いディノンシリーズについて

 復刊したディノンシリーズを読み終ると、「確か雑誌ウォーロックに作者がディノンシリーズに関してコメントしていたような」と思い出し、ウォーロック13号を取り出してみると、ありましたよ。「ゲームブック・システム講座顛末記」という門倉直人さんの2Pにわたる記事が。

 ウォーロック13号はゲームブック製作に関する特集号でして、この記事もゲームブックを製作するのに役立つエッセーとして書かれていたものなんですが、丁度ディノンシリーズが完結した頃に書かれたせいか、ディノンの裏話的な内容が載っているわけです。昔、この記事を読んだときは、まだディノンシリーズを読んでいなかったので、ピンときていなかったのですが、今読むといろいろ興味深いです。
 2巻の隠しエンディングについてのヒントや、ミスティックマークの具体的な意味(「A=フィリオンとの親密度」「C=魔力に影響を受けている度合」「P=魔力に抵抗する意志力」)、あえて曖昧な表現を使うことでゲームブックとしての矛盾やジレンマを避けるetc……。

 特に興味深いのは1巻と2巻の対比のくだりです。1巻は主要登場人物を、性格の異なる2人の仲間という必要最小限の人数にすることで、ゲームブックが苦手と思われる対人描写を奥深くさせることを意識していた。対照的に2巻は、登場人物を増やして推理ミステリー風にすることで、あえて人間を記号化した。結果は圧倒的に1巻の方が人気があった。という内容です。
 私も1巻の方が好きです。2巻はラストが感動的だし、1巻よりも普通のゲームブックに近いのである意味遊びやすいのですが、1巻に漂う独特な雰囲気は、それ以上に物語的な魅力があります。作者は「読者が求めているのは、凝ったパズルではなく、バラエティーに富んだクエストストーリーなのだ」と捉えていましたが、より正確に言うなら「ディノンの続編に読者が求めているのは〜」だと思います。
 推理ミステリー風で人間を記号化すること自体は悪いアイデアではなく、実際にその手法で「ツァラトゥストラの翼」(2014年9月14日の冒険記録日誌参照)のような良作が生まれていますからね。普通は一つのシリーズで途中から路線変更というのはしない方がいいんじゃないでしょうか。
 ただ、少数意見として女性読者から「2巻の主人公は中性的で読みやすかったが、1巻は男性視点なので感情移入しにくかった」というものも紹介していました。なるほど、女性ならそう思うのも理解できますけど、私は1巻の流れで2巻も男性主人公として読んでいたので、終盤でいきなり主人公の性別を聞かれて逆に違和感を感じたものです。
 作者ご自身では、中性的でかつ1巻のような感覚的な内容も盛り込んだ作品を今後目指すべきかもという結論になっていましたが、どうせ全ての人を満足させる作品なんてこの世には存在し得ないので、これを成立させるのは難しい気がする。本に限らず人気作品には大抵アンチファンもいますし、気にせず作品の評価が真っ二つに分かれてもいいや、くらいの気持ちで書いてもいいと思いますけどね。と、思ったけど、よく考えたらこの方は次に「送り雛は瑠璃色の」(2003年6月25日の冒険記録日誌参照)なんて、もっとクセが強いものを書いてました。送り雛はまさに好き嫌いがはっきり分かれる作品でして、私は駄目な側ですが、他の多くの読者の高い評価からして名作であるのは事実なわけですな。

 ゲームブックブーム当時、私は鈴木直人や林友彦、アメリカのスティーブジャクソン作品のようなTVゲーム的な作品の方が好みで、ブレナンや門倉直人(思緒雄二)のようなノリや雰囲気重視な作品は苦手でした。
 昔ほどではないとはいえ、今でも自分にその傾向はあると思います。しかし、久しぶりに「魔法使いディノン」を読み返して予想外に楽しめたことで、ゲームブックの間口の広さを再認識したような気がします。


山口プリン |HomePage

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