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例えば、カフェで営業用スマイルを発動しニコニコと接客していれば、 その一時間には750円か800円の時給が出る。 例えば、学祭の準備でてんやわんやにテンパってたら、 一時間なんてもんはすぐに過ぎていく。 例えば、カテキョでぎゃーぎゃー喋りながらダラダラ英語の訳をやっていれば、 その一時間には2000円の時給が出る。 例えば、テレビはつけっぱなしなんだけど、別に見るわけでもなく ぼーっと過ごしても、一時間は過ぎる。 例えば、3000円払って、ビークルのライブでアホになっていても、 一時間は過ぎていく。 それぞれの一時間にそれぞれの意味があって、 それぞれの一時間であたしの生活が成り立っている。 それは、とても必要であったり、別に必要でもなかったり、色々。 でも、あたしはそうやって一時間という単位を消化していく。 一時間という単位でできることは限られているから、取捨選択の繰り返し。 時に、何かを犠牲にしなければならないなんてことは、しょっちゅうだ。 その時に、何を基準にして、何を大切にして、何を選ぶかってことが、 あたし自身を形作っているんだと思う。 授業を受けたり、バイトしたり、ライブに行ったり、買い物したり、ニセコを語ったり、 ご飯を食べたり、ドライブしたり、星を眺めたり、飲んだくれたり… 生産的だったり、非生産的だったり。 どっちが良いかなんて比べられない。 ただ例え、時給が出ずとも、こうぼーっとしてる時間っていうのが、 あたしにとってどれだけ大切かっていうことを思い知る昼下がり。 電車の窓から指す光が、やたらまぶしかったのを覚えている。 どうして、心地よい時間というのは、流れるのが早いんでしょう。 …そんなこと考えてたら、ジンマシンがまた恐ろしく発症。 |