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2003年03月04日(火)

 林矢子が昨日のライブの感想を唄箱日記に書いてくれました。かなりの酷評ですが、的確だと思います。僕の中でも誤魔化していた部分がもろに出てしまったのが本音です。あとは精進するのみ。

 今日の永六輔のNHK人間講座『人はなぜ歌うか』は素晴らしかった!これまでは「日本の歌がこれまでどのようにして歌われてきたか」が中心だったのだけど、今日は2人の歌い手のエピソード。
 まず淡谷のり子。彼女は10代の頃、生活の為にヌードモデルをやっていたが、あまりの恥ずかしさに気を失ってしまったこともある。
 そして沖縄のある街での話。もともと永が沖縄に住む淡谷のり子好きのお婆さんから、託を頼まれただけのものだったのだけど、それを聞いて淡谷自身がその人に逢いに行き歌うと言って聞かなかったそうだ。その街には歌う場所もないので、浜辺でピアノをバック歌う。しかもそれは台風が近づく嵐の中だった。「ツケまつげが飛んだら絶対拾ってね、高いんだから!!」と永は司会&まつげ拾い係りを担当。お婆さんのまるで仏に祈るかのように手を合わせる姿を見ながら歌い上げたそうだ。そこで淡谷の目に光るものがあったのを永は見逃さなかった。歌い終わった後に「泣いてたでしょ」と聞いたのだが、断固として「泣いてない」と淡谷。何度も何度も問い詰める中で、歌いながら2度だけ泣いたことがあると話し出した。1度目は戦禍の中、今まさにこれから出発する学徒兵を見送った時。強要された唄は歌わず、あくまでも自分の唄を歌う。派手な格好は許されない中、ツケまつげと真っ赤な口紅も外さなかった。その為、憲兵隊に殺されかけたこともあるそうだ。2度目は今回だと、最後は泣いたのを認めた。
 元々淡谷は、他の歌い手が大勢の前で歌うのとは反対に、渋谷のジャンジャンという100人くらいしか入れない所で歌うのを好んだ。それ以上に誰か1人だけの為に歌えるって本当に素敵だ。歌うことの原点は何かひとつの為だけに歌い出すのだと思う。

 もう1人は三波春夫。亡くなる少し前に老人ホームの慰問をやっていた時の事。そこには何時もどこに居ても1人で歌っているお婆さんがいる事を予め三波は聞いていた。実際、三波がその場へ行くと歌い出す前にそのお婆さんは1人で歌い出していた。通常なら邪魔だと止めてもらうか、歌い終わるのを待つのだろうけど、三波はそのお婆さんの隣に座り一緒に歌い始めた。それに加わるかのように普段は歌っていなかった周りの人たちも、一緒になって歌い出した。その場を観てはいないものの、話を聞いているだけで泣きそうになった。

 「唄は歌い手だけが特異で歌うものではなく、それぞれの心の中に紛れもなく持っているもの」と永自身も言っていたし、それを深く感じた。「芸人は常に謙虚でなければならない」と言う言葉を最近教えてもらった。昨日のライブのビデオを観たが、何処か僕は偉そうだ。そんなつもりはないのだけれど、無意識に傲りがあるのかもしれない。

 ※明日、火曜日午後3:30〜4:00再放送です。観れる方は是非!見逃した方は再々放送の3/29を待ちましょう。永の人間講座自体は月曜の午後11:00〜11:30で、今月一杯やってます。


臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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