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2002年10月10日(木) 朝のマラソン

 この堕落日記を愛読してくださっている方には、薄々感づかれているかもしれないけど、今月に入ってから歩いていない。歩くというのはひとつ前の駅で降り、自宅まで約25分、1日の唯一の運動…のはずだった。雨の日が続いたり、呑んで帰って来てとても歩けそうじゃなかったり、と色んな理由を並べてやめてしまった。厭きたと言えばそれまでだが、これでも小学校の時は毎朝マラソンをしていた。それを昨日の唄箱日記を読んで思い出した。
 もちろん自発的ではなく、父に強制されてのことではあったが、確か小5まで走っていた。朝5時前に起床。町内から学校までの道、まだ舗装される前のグラウンド。はたまた学区外の町まで走ることになった。しかもそこは坂がかなり多く、それゆえに父が選んできた。僕は走りながらどうやったら怠けられるか、そればかり考えていた気がする。それでも一定のペースを乱すと父に背中をグーで殴られるので、走らざるを得なかった。自宅まであと100mくらいまでの距離になると、ダッシュを強制される。これもまた遅いと背中をどんどん殴られるので、手抜きは出来ない。僕は泣きながら走っていた。雨の日は休みなのが唯一の救いだったかもしれない。布団の中でその喜びを噛み締めていた。

 ある朝、いつものコースを走っていると一台の救急車とすれ違った。そこは事故の起こるような場所ではなかったので、父と不思議そうに顔を見合わせていた。朝のマラソンを終え学校へ行くと、担任の先生からWくんのお父さんが亡くなったことを聞かされた。よくよく話を聞いてみるとそれは自殺だった。仕事でのトラブルなのか、家庭内でのことなのか、子供の僕らには本当のことは何も分からなかったけど「人が自分で死を選ぶ」ということを僕はそこではじめて知った。しかし、それよりも僕を驚かせたのが、朝マラソンの最中に見た救急車にはWくんのお父さんが乗っていたことだった。木の枝からロープを垂らしての首吊り自殺。僕らと同じようなマラソンをしている人が発見して通報したが手遅れだった。
 Wくんは大仏のような、子供の割には達観している顔つきだったのが、通夜に行くとその顔も崩れ号泣していた。僕は前に並んだ友人の見よう見真似で焼香をした。Wくんはしばらくして、お母さんの実家へ引っ越して行った。

 父と僕はマラソンコースを変え、また走り続けた。それが先ほどの坂が多いコースになった経緯かもしれない。マラソンは小5でやめた。詳しくは覚えていないが、どうしても耐え切れなくなった。同じように通っていた公文、スイミングスクール、書道も全部やめた。泣きながら懇願したような記憶があるが定かではない。ひ弱な僕なりの限界だったのだと今になって思う。

…と、結局はまた僕の駄目さ加減を改めさした内容になっただけかもしれない。今日は祖母の家でカンパチの刺身をご馳走になりました。また太るかもしれないけど、いいんです。美味しく食べられれば。でも、明日からまた少し歩いてみようと思いながら今日は眠りにつきます。おやすみなさい。

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