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2002年08月24日(土) 記憶〜『北の国から』を観て〜

 夕べは何遍も観たはずの『北の国から』を一心不乱に観る。今回は『記憶』と題してお馴染みの純のナレーションで1980〜87年を振り返る。ちなみにこのナレーションは山下清の『裸の大将』(確かラジオの方)からの引用だと、倉本聰がインタビューで語っていた。

 走る。全体を通して思ったのは、とにかく走るドラマ。純ははじめて五郎に殴られて走り、蛍は母との最後の別れに河原を走り、五郎は雪の中帰ってこない純と雪子の為走りまわる。都会のドラマだとこうは行かない。走りま周るのはせいぜい刑事ドラマで、普通のドラマでは走り出せば車に轢かれるのがオチだろう。それだけ走り出させる意味も距離もない。北の国からの大地にはそれを受けとめる自然がある。
 今回、特に前半部の純や蛍の子供の頃の話で「子供ってこういうのよくある、ある!」と思っていたのだが、それが今となっては大人になってからの視点で見た子供なのか、子供の頃本当にそうだったのか分からなくなる。もう忘れてしまった記憶、感覚と言うのが北の国からの中にはある。

 たまに他のドラマを観ていて何でこの場面でキャストがその動きをするのか、不快でたまらない時がある。僕は演出などやった事ないし、映像にはこと素人だけど「こう来たら、別の人がこう来て、こう動くから映像が活きるんじゃないの?」と思うことが多々ある。それが北の国からには全くない。それどころかカメラワーク含め、演出に相当参っている。「っかぁ〜こう持って来るかぁ!?」と、これを肴に酒が呑め、ご飯だけで何杯もいけそうだ。
 挙げたらキリないが、昨日の中では純とれい(横山めぐみ)のちらつく雪の中での再会シーン。これでデビューしたはずの横山めぐみのそっと微笑み、手を振るだけの演技が深みを増してくる。僕は倉本聰の脚本はもちろん、杉田成道の演出にすごく惹かれているようだ。他にこのコンビで『時計』(出演:中島朋子、いしだあゆみ)、『1970年僕たちの青春』(出演:吉岡秀隆、筒井道隆、萩原聖人、永堀剛敏)などの作品がある。『北の国から』の貧乏臭さと善意の横行が鼻につかない人には是非お薦め。

 来週の『記憶1989〜98年』では息子に力で負けた父親の弱さが急に出てくる。と同時に田中邦衛の目尻も大分下がってくる。そして来月の『遺言』放送日には、この北の国からの大地、北海道に行って来ます!これって贅沢過ぎなんぢゃねぇの!?

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