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2002年03月16日(土) 狂っているということは

 いったいどういうことなのか。どこからが境界線で、あちら側へ行ってしまったら果たして戻って来れるのだろうか。そもそも、境界線を引いたこちら側にこそ、狂気が潜んでいるのが僕らの日常なのだろう。そんなことを昨日観た『ピアニスト』 (監督ミヒャエル・ハネケ出演イザベル・ユペール/ブノワ・マジメル)で考える。

 物語はウィーン。エリカ(イザベル・ユペール)は幼い頃からピアニストになるために母に厳しく教育を受け、恋人をつくることも一度も許されなかった。しかし、母の夢だったコンサートピアニストになれず、現在は名門ウィーン国立音楽院のピアノ科の教授になったことで、自分を責めていた。母はエリカが中年となった今も、彼女を監視し二人で暮らしていた。そんな彼女の前に、才能ある生徒ワルター(ブノワ・マジメル)が、小さなコンサートでピアノを弾き、彼女に恋をする。若いワルターは強引に彼女に愛を求め、いつしか彼女もワルターの姿を追いかけていた。そして、彼女はワルターに誰にも語ったことのない秘密をうち明けることを決意する…。(以上HPからの抜粋)

 この「誰にも語ったことのない秘密」と言うのはエリカのアブノーマルな性のことなのだが、もちろんそれを最初から受け入れられる者は少ない。実際ワルターは若すぎて、自分の許容範囲以外の事を認めようとしない。そして気持ちがさめる一方で、身体だけが追いつかない。そんなワルターより、狂っていると罵られたエリカのほうが身近に感じられた。僕はこのワルターに人間的に何かとても厭なものを感じた。それがワルター役のブノワ・マジメルなのか、ワルター自身なのかどちらか分からない。もしかしたら、それは若い男が持つ特有なものなのかもしれない。しかし物語に出てくるダメ男は、どうしてこんなにも自分のようなのでしょう…と、別の意味でワルターに親近感を抱く(それとは別にあとでブノワは僕と同じ27歳と聞いて驚く)。

 観終わってからも「もし、自分の恋人がそうだったら、どう向き合うか?」と矢ちゃん、やなちゃんと話していた。僕は「もしそれを治したくても、そうじゃなくても受け入れる」と答えたら「狂った経験がなかったり、身近にそういうひとが居ないからそう思えるんだよ」と言われた。そう、僕は至って普通で狂気の沙汰を向こう岸からぼんやり眺めているひと。そして物事を総体的に捉え過ぎて、あれもこれもありで本当を曖昧にしてしまっているのかもしれない。それでも僕は、恋人が望む水底へ沈んでゆけたらと思う。ワルターとは違う形で。本当に救いたいのなら渦の中に飛び込まなければ、水底へもたどり着けないもの。

 あまりお勧めの映画ではないし、わからない人にはただ「気持ち悪い」のひとことで終わってしまうものかもしれない。ただ、異常な描写だけで取り上げられるのも面白くない。女性¥900だった昨日、映画館に多く来ていた女性たちはどのように受け取ったのだろう。
 それと元々エリカがこうなったのも母親の影響が大きいことも話していた。母親の執拗な愛情も最初はそう異常でないと思っていたが、やはりそれによる影響は大きいと改めて思う。「教育」って大事ね。親、学校はじめ接する人全部の影響。僕はひとに恵まれ過ぎている。今日は地元で柏で呑み。


臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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