酔陽亭 酩酊本処
いらっしゃいませ。酔陽亭の酔子へろりと申します。読んだ本や観た映画のことなどをナンダカンダ書いております。批判的なことマイナスなことはなるべく書かないように心掛けておりますが、なにか嫌な思いをされましたら酔子へろりの表現力の無さゆえと平に平にご容赦くださいませ。
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2003年11月27日(木) |
『サグラダ・ファミリア [聖家族]』 |
響子がピアノに熱中している時、電話が鳴った。出たくない。でも電話は鳴り止む気配が無い。仕方なく出てみるとそれは響子が狂おしいほど愛したかつての恋人、透子だった。透子は出産をしたと言う。驚く響子。透子の産んだ息子、桐人に距離を取りながらも、透子のもとへ通い始める響子。透子もまた響子を愛していたままで、生んだ息子はゲイのピアニストを無理矢理犯して妊娠したのだと言う。透子を取り戻した響子を待ち受ける厳しく激しく神聖な事件が起こる・・・。
ゲイの恋人同士が苦しむことのひとつとして子供を作れないことにあると言います。正直、私は愛する人さえそこにいてくれれば(勿論男でも女でも)子供を欲しいなんてまったく思わないのだけど・・・。ヘンなのかなぁ。姉の娘はかわいいです。でもどうしてもなにがなんでも自分が子供を生みたいと言う願望が皆無なんですよねー。 透子という女性は欲しい者は必ず手に入れようとする素敵な女性です。響子を傷つけはしましたが、欲しい子供をものすごい方法で手に入れ、そしてちゃっかり響子のもとへ戻っていく。こういう女性、私もかなり好きですね。 このタイトルの聖家族の意味するところは、かなり深いところに置かれていました。家族は血のつながりがあるから家族な訳でなく、家族になっていくのではないかと。血がつながっていなくても互いが互いを思いやり、愛し合えば、家族になれるんだと思う。だって愛するもの同士がいっしょに暮らせば、やはりそれは家族なんだと素直に思う。大切なことは相手を慈しむこと。それだけじゃないかしら。
ピアノの演奏が弾き手の人格を残酷にさらけ出してしまうように、文章というものもまた書き手の人格を浮き彫りにしてしまうものらしい。
『サグラダ・ファミリア [聖家族]』 1998.7.1. 中山可穂 朝日新聞社
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