青春の思ひで。
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東京での開催期間がそろそろ終わるはず、と思い出して急に見に行きました。
フェリシアン・ロップス展。
吉秒さんの日記を読んでからずっと興味を持っていたのです。
4日ぶりに休みで、恋人に逢って、恋人に車を運転させて町田の国際版画美術館まで行きました(……だって、車にカーナビ付いてるんだもん)。
「知り合い(吉秒さん)曰くね、『肉体関係のない相手とのデートに使うのはやめておいた方がいい』だって。『人間なんて豚以下よね』とか言い合える相手じゃないと辛いんだってさ」
「ふーん。『雌豚め』とか(笑)? 面白そうじゃないの(笑)」
吉秒さんの言うことを信じるなら、一緒に行くのに恋人以上にふさわしい人間をあたしは知らない。 そこで「雌豚」なんて言葉をさらりと言ってのけるあたり、さすが恋人だと思った(褒めてません)。 普段から、ひとのことを「雌豚、雌豚」と罵倒してくる恋人以上に吉秒さんの言う条件に当てはまる人間は……いてほしくない。
小雨降る中、車を運転すること約1時間半。
目的地に到着。
「フェリシアン・ロップス展――まなざしは、悪魔か神か…――」
以下ビラからの抜粋。
「フェリシアン・ロップス(1833−1898)は、ベルギーの画家・版画家です。彼は官能的で悪魔的な主題にとりわけ特異な才能を発揮しています。それらの作品群は、当初からつねにスキャンダラスな話題の的となりました。
ベルギーの南部、ナミュールで生まれた彼は、若くして莫大な財産を受け継ぎました。それを資金に諷刺雑誌『アイレンスピヘール』を創刊、自らも卓抜なリトグラフを寄稿します。晩年のシャルル・ボードレールとの出会いを経て、当時のフランスの文学者から高く才能を評価されることになります。
パリの街角にたたずむ娼婦の姿、悪魔やエロスを主題とした作品、聖職者を揶揄する作品をロップスは数多く制作しました。社会の暗部をえぐり出し白昼のもとにさらそうとしたその過激ともいえる制作の背景にあったものは、道徳や宗教をふりかざし「神」の名のもとに偽善者的生活に甘んじる当時の聖職者たちやブルジョワたちへの反逆でした。悪魔的な欲望もまた、人間に生来そなわった根源的なものではないのか。ここに生涯に渡って彼が持ち続けたテーマがあります。
この展覧会は版画、素描、油彩画など130余点による日本で初めての本格的な回顧展です。これまでほとんど知られていなかった風景画家としての側面や、優れた版画家としての側面もご紹介する機会となるでしょう」
とな。
……正直、風景画家としてはあまり興味をひかれなかったというか。 ロップスというひとは旅好きで、旅に出るたびに風景画を残したらしいけれど。 別に並んでいて異彩を放つわけではなかったと思うのよ、風景画は。
美術に関して全くの素人で、自分の審美眼にもいまいち自信のないあたしが芸術の感想を書くのって、怖い。 何か、見当違いなことを言ってしまいそうで。
ロップスは裸婦を描いた。 それは女を「誘惑するもの」として表現するため。 それこそ一見「雌豚め」と蔑んでいるような絵にも見える。 でも、その中にあたしは女性賛美を感じた。 下半身が骸骨になっている女、エデンの蛇に犯される女、豚と並び世界を支配する女。 「女なんて雌豚だ」と言いながら。 「それでも女性は美しい」と。 「女なんて雌豚だ。でも、ちくしょう。女はいいんだ」 ロップスはそう言っているような気がしてならない。
「まなざしは、悪魔か神か…」 ロップスが悪魔なのではなく、神でもなく、ロップスのまなざしのその先が、ロップスが描いた女達が「悪魔」で、そして「神」なのではないだろうか。
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