│←「切った」 「吐いた」 「飲んだ」…もう、そんな言葉達、聞き飽きたょ。→│
ネィルサロンに行く前に、沢山・衝動買いしたお洋服の値札を カッタァで切っていた。 そうして、 ゆっくり刀を引き、手首を、切り刻んだ。興奮した。 母に見つかるといけないので、 誰にも見つかってはいけないので、 高校時代、友人からいただいたリストバンドを附ける事にした。 勿論、その下には、ティッシュを沢山詰めて。 「・・・また切ったんか?!」 この傷を、両親に見つかると、怒られる。
こんな事を、繰り返し・繰り返し…もう、何年続けてきただろう。 治ったと思わせては、切って、切って、…沢山の薬を飲んで、救命に入院して。 食欲がないと思ったら、また、過食嘔吐を。 馬鹿みたいに、病気に固執している。日記にも固執している。
正直、私自身の中では、病気や日記を通して分かり合えた関係のほうが、 今はとても大切なものでかけがえの無いものとなっている。 どうしても、それらに固執してしまう理由は、それらから築いた関係を失いたくないから。 でもね、こんな言葉は、使っちゃいけない。自分自身の内側の問題なんだっよね? 「 血まみれのまま ただれた羽根を裂き合う前に そっと消えてしまえばいい。 だけど忘れないで、 わたしを忘れないで。」
*羽根*より。作詞:Cocco
この歌詞が思い浮かぶ。 私は、死を描く術すら知らない。詩も。 そう、例え、私が病気で無くなっても、日記を書かなくなっても、 私の事を思い出してくれる人はいるのかもしれない。 しかしながら、やはり、自分の中の欠如がもたらすことは、判っている。 私は、私自身に似合う色だけを探せば済むことなのに、 自分は、自分自身を。 ねぇ、どうして? そうして、 汚い人間だとか、愚かで稚拙の考えしか持っていないと 極端に、卑下するのだろうか。 将来の自分を想像すると、嫌になる。 ”時が止まれば良い”という、幼い考えが抜け切らない。 時の流れるのが、悪い夢のようで。
明日は外科に行かねばならないというのに…なんで切ったんだYO! 腕は汚いけれど、ツメは、綺麗です。写真日記に掲載中。↓
っと思ったら、、、またヤプースさんの調子が悪い様子。 んま、いつか出ますので、ご安心を。§2003年07月14日(月)§ |