│←自業自得の不自由さを、慰めてくれる人は居ないけど。異常は力になる。→│
苦しいのは私だけじゃない。
自分の生きたいという強い気持ちが、自分の写真を携帯へ念写したこと。 すべてが不思議に満ちているけれど。 自分の目の前にある真実を信じる。
ところで、私の家には今、三匹の猫が居る。
私が小5の時に 弟が ナイロン袋に入っている状態を見つけてきた黒猫。でこ♂。
数ヶ月前、 弟の中学校に迷い込んでいた 猫かぶりの白猫。しお♂。
仲の悪い・でこぼこオセロコンビ。
そうして、3匹目。 今、家に、 弟が拾ってきた片目の無い猫が居る。 両親は、飼おうとは思っていない。 拾ってきた弟自身も、あまり世話をする気が無い。 そうして、私も…。
その、片目のない猫は、 今飼っている二匹の猫の餌の上に 糞をしたりおしっこをしたりする。
母も私も、 突然にやってきて 片目がないという理由だけで家に置いているその猫に 自分達の、今まで可愛がってきた猫たちが 餌を食べれなくなってやせ細っていく姿を見るのを 堪えられないのだと思う。 だから眼のない猫でも、しつけを出来ないほど小さく 叩けば死んでしまいそうな猫だけど、 こんなのイラナイ。そう思うのだろう。
一度ひらった猫を、もう一度捨てるというのは、 一番、残酷なことだと思うのだ。 だから、私たちは捨てられない。この猫を。
今後、でこ(黒猫)としお(白猫)の体重は減るばかりだろう。 片目のない猫を捨てる以外に、どうすれば、 餌をしっかりと食べてくれるのだろう。 人間の勝手なのかもしれないが、 痩せ細ってゆく愛猫たちを、 見ていたくない。
では、本当にイラナイのは誰なのか。 自分ではないのかと疑問になる。そうして、また鬱状態が始まる。
ここで押し潰されてはいけない。 そう決意を思い返し、 少しずつ、ひとつずつ、 自分の出来ること・自分の本当にしたいこと・伝えたいことは何なのか、 と考えていく。
完璧を望むのは、ここに居る私だけですか。 そうして苦しむのは、私だけですか。
ゆたかクリニックに通院してきました。 銀の針を、毎回、最低3度は刺されることを知った。 点滴が済んでから、診察。そして、腰あたりが腫れているので 20枚ほどのCTスキャン。 一昨日の血液検査の結果を渡される。CPKの値は、下がってきたようだが、 まだ基準値の20倍ほどあるので、腎臓透析などしないために 「点滴はまだ続けらなあかんね。」 と、もとこたんは笑顔で言った。
全く眠れないこと、 脚が日に日に動くようになってきたことと、 朝昼晩構わず泣き叫んでしまうことを、 もとこたんに伝えた。 でも、私は、薬を頼もうとはしなかった。もとこたんも 薬の事を口に出そうとはしなかった。
薬という病的だと思うモノを使わなくても 治したいとどこかで思っているから。少なくとも私は。 自分に必要な量だけは飲みたいと、思うのですが、 やはり・また貯めてしまいそうな自分が居るため、 危険なものだと思わざるを得ないのです。
眠れない日々に堪えられるかどうか、 試さなければならない。
眠りたい。
自分が変わらなければ、周りの景色は変わらない。 永遠に眠るのではなく、疲れたら そのひと時だけ眠りたい。 障害を自分自身の奥底に眠る力で乗り越えなければ、 これからは一歩も歩けないのではないか。
ねぇ
本当?
私たちは、
青い世界に生きていけるの?
貴女の言葉を
私は
信じたい。
§2003年06月02日(月)§ |