│←躁状態を抜け出す。→│
躁が来ると、必ず・鬱が来る。 まず、躁状態で自分を危険な目に合わせられ、そうして、 躁状態で傷ついた自分を、癒し守るのが鬱なのだと思う。 鬱状態もまた、自分にとっては必要なのだ。
一生涯続き、私を逃がさない螺旋を描く“呪い”だと思えばいい。
私の躁鬱病の様なものは、自分の性格そのものなのだと、 ずっと・思いこんで生きてきました。 思いこみ屋で、尚且つ、自意識過剰と言われる所為か、 親にほったらかしにされたとか、誰かを恨むことは自然としなくなりました。
リストカットをするのも、薬の一気飲みをするのも、決まって 躁状態のときです。
今日は、猫の白骨死体を見ました。白くてとても綺麗でした。 最初見たときは、
「はっぱかな?これ」
と不思議がっていたのですが、尻尾も肋骨も肉が附いたら可愛らしいあのお手手も 私の眼には、はっきり入りました。 人は皆・死ねば骨になる、だから骨が好きなのだろうと思います。 あの海で泳いでいた色とりどりの魚も、一緒に暮らしている猫も、 皆・骨になることを避けられないのです。
いつもいつも、書いても仕方の無いことや、Hpを開く意味を見出せないままですが、 こぅして生きて誰かに聞いてもらう、見てもらう事は、 少しは傷が傷ではなくなったのだろうと思います。
昨日のTRUE LOVEに反応してくれた方がいて、とても嬉しかった。 勝手にあたしの思ったままに書いているだけなのに、 反応を求めていなくても、嬉しいことに、 「今度歌ってあげる」とか「私もDomnLoadした!」と言って下さる。 そういえば、言われて気附きましたが、 先週くらいの「めちゃイケ」で流れていましたね。
何かの反応を求めて書いているというわけでは無いけれど、これからも 自分の思うこと、行動を書いていきたい。
ビィジィエム Cocco 遺書。 リピィト
§2003年04月29日(火)§ |